第六話 雷神フィリアネス
上からならず者を踏みつけていたバルデス老だが、ドワーフの体重は見た目の小柄さに反してかなり重い。しかしまあ、うちの母さんに手を上げた以上は、それくらいは甘んじて受けてほしい。
「ありがとうございます、おじいさん」
「いやいや、いいんじゃよ。わしもすっかり耳が遠くなってな、騒ぎに気づくのが遅れてしもうた」
バルデス老は言いつつ、レミリアさんの背中にいる俺を見やる。俺は一瞬だけ目を合わせられたが、やはりそっぽを向いてしまった。
「うむ、いい目をしておる。わしが気づけたのは、この子の持つ風格のおかげかものう」
同性を魅了すると、大変なことに……ということはなく、基本的には友好的になるだけだ。ゲームでは、女性が男性プレイヤーを使って同性キャラを落としにかかるというケースもたまに見られたが。やおいが嫌いな女子なんていませんって、けっこう真理に近いんじゃないかと俺は思う。もちろん俺には縁遠い文化だが。
「わしが生きているうちに、子供向けの道具でも作って贈りたいものじゃ」
「いえいえ、そんな……今日助けていただいただけで、こちらこそお礼をし尽くせません」
「儂が勝手にそう思っておるだけじゃ。のう坊主、大きくなったらこのバルデス爺の工房に遊びに来い。覚えておられたらじゃがのう……ほっほっほっ」
バルデス老――いや、バルデス爺は上機嫌に笑いつつ立ち去った。母さんを助けてくれて本当にありがとう、と言いたいところだが、言えないし、手を振ろうとしてもぎこちない感じになってしまった。でも笑ってくれてたからいいか。魅了スキルが成功してくれて良かった……。
今回の魅了スキルは町の人十人以上にかかってしまったので、さっきから「命令しますか?」のダイアログが連発している。俺が何もせず、彼らの好感度を上げなければ、24時間もすれば魅了は解除されるだろう。
のびている男たちは、ガードによって連行されていく。今みたいな事態だと、「どちらに非があるのか」は、やはり先に手を出した方が悪いということになるのだろうが……どうやら、最初男がレミリアさんにぶつかったのは、わざとだったようだ。ログを見るとアントンという男が「体当たり」を発動させている……俺は最初気づけなかったが、初めから因縁をつけるつもりだったのだ。
レミリアさん、ライフが少し減ってる……何てことをしやがる。しかし俺の怒りは、もう何かに向ける必要はなかった。フィリアネスとバルデス爺が、完膚なきまでにアントンたちを叩きのめしてくれたからだ。
「あ、あの……フィリアネス様、本当にありがとうございます。私がつい、かっとなって手を上げてしまい……」
「数に任せて女性に狼藉を働こうとするような輩を、公国の騎士が見逃すわけにはいくまい。まして、このような幼い赤子を連れて……」
◆ログ◆
・「カリスマ」が発動! 《フィリアネス》に注目された。
カリスマが発動して、フィリアネスがレミリアさんの後ろに周り、俺の顔を見ようとする。
「むっ、私の方を向いてくれない……っ」
「……あー、うー」
急にあなたが近づいてきたので、と言い訳をしたいところだが、やはり初対面の人の目を見るのは無理だ。愛嬌よく笑ったら、好感度が上がるかもしれないのに。
◆ログ◆
・「魅了」が発動! 《フィリアネス》は「聖なるサークレット」の効果で魅了を防いだ。
フィリアネスが頭につけている額当てはマジックアイテムで、魅了を完全防御しているようだ。でも、「カリスマ」のおかげでステータスだけは見られる。
俺は別に、スキル上げのことしか考えていないわけではないのだ。ゲーマーとしては、強いキャラクターのステータスは無視できない情報でもあるわけだし……閲覧させてもらおう。
所持スキルの多さは予想していたが、サラサさんと同じくらいの情報量だった……し、しかし、これは……。
◆ステータス◆
名前 フィリアネス・シュレーゼ
人間 女性 14歳 レベル30
ジョブ:セイントナイト
ライフ:340/340
マナ :120/144
スキル:
細剣マスタリー 40
鎧マスタリー 20
精霊魔術 30
【神聖】剣技 50
魔術素養 10
恵体 25
母性 35
気品 12
アクションスキル:
ピアッシング(細剣マスタリー20)
ツインスラスト(細剣マスタリー40)
加護の祈り(【神聖】剣技10)
魔法剣(【神聖】剣技20)
ダブル魔法剣(【神聖】剣技50)
精霊魔術レベル3(精霊魔術30)
授乳(母性20)
子守唄(母性30)
パッシブスキル:
細剣装備(細剣マスタリー10)
二刀流(細剣マスタリー30)
手加減(【神聖】剣技30)
カリスマ(【神聖】剣技40)
鎧装備(鎧マスタリー10)
マナー(気品10)
育成(母性10)
オークに少し弱い
スライムに弱い
残りスキルポイント:0
(……じゅ、じゅうよんさい……!?)
雷神フィリアネスのゲームでの公式イラストは、二十代の女性だった。「フィル姐さん」という愛称で呼ばれてもいたし、俺の認識が間違ってはいないはずだ。頻繁に「BBA結婚してくれ」と掲示板に書き込まれるキャラの代表格でもあった。
ゲームではレベル60を超えてたはずなのに、年齢が下がっているからなのか、30しかない。それでもほとんど無駄のない振り方をして、今見せてくれた戦闘力には納得できる……だが……。
「やはり、剣を持っている女は、赤ん坊には怖がられてしまうのだろうか……」
目の前でしゅんとしているのは、紛れもなく14歳の少女だった。女騎士というより、少女騎士と呼ばなくてはなるまい。
しかし14歳で、リカルド父さんより強い……どんなスキル上げ、もとい苛烈な鍛錬を積んだらこんな強さを得られるのだろう。俺もぜひ見習いたい。
「フィリアネス様、私が公国の貴族の子女と知っていらしたようですが……」
「私は公国を護る者。公王の系譜に連なる方々の名前はすべて存じております。レミリア・ハウルヴィッツ様……あなたが、我が騎士団の斧騎士リカルドと婚姻されてから、すでに二年になりましょうか」
フィリアネスは母さんの前に膝をつき、頭を下げる。その瞬間、俺はひとつのことに気が付き、電撃に打たれるような気分を味わった。
「ジークリッド」は俺のプレイヤー名で、ゲーム中に登場なんてしなかった。俺の両親もいなかったはずだ……なのに、この世界では、元からいた存在になっている。
俺はいくつかの仮説を立てるが、俺を転生させた女神に再会しないことには、答え合わせは出来ない。今のところは、女神が「俺を迎え入れるために」準備を整えた結果なのかもしれないということだ。両親がいて、両親にはそれぞれの出自があり、人生があり、人間関係がある。
神は自分が作り出した世界で、人間の存在を自由にすることが出来る。
でも今は、それを傲慢だと思うよりは。
「はい。この子はヒロト……私とリカルドが授かった子です」
俺はリカルドさん、レミリアさんの子として生まれさせてくれたことを、女神に感謝したかった。
おんぶした俺を心地よい加減で揺らしてあやしながら、レミリアさんが笑う。この世界の、俺の母さんが笑っている。
俺はその笑顔を守りたかった。不甲斐ない前世をそれで取り返せるとは思わないけど……リカルドさんも、町のみんなも、サラサさんやリオナだって、誰だって守ってやりたい。
それが女神にボーナスをもらって、この世界に生まれさせてもらった俺の、せめてもの恩返しだ。
「……なぜこちらを向いてくれないのだ。私はそんなに怖い顔をしているか?」
「……まんま」
「あらあら……ヒロトったら、お腹がすいてるみたい。フィリアネス様、お礼はまた日をあらためて、必ずさせていただきます。それでは……」
「実を言うと、私は貴女の家に用があって来たのです。それに、先ほどの連中の仲間がいないとも限らない。よろしければ私も、貴女の家まで同行させていただきたいのですが……」
フィリアネス……と、ゲーム時代の感覚を思い出して呼び捨てにしてしまっていたが、そろそろ敬称をつけよう。どうやら彼女は、のっぴきならぬ重要な事情でこの町に来たようだ。ほとんど首都から動かないキャラだったから、俺にはこの先、どんなイベントが起こるのか想像がつかない。
ずっと先まで、赤ん坊の身ではクエストに関わることなんて無いと思ってたけど……もしかしたら。俺はフィリアネスさんの来訪に、密かに胸を弾ませていた。
「な、なんだ、こちらをじっと見ているが……私の顔に、何かついているのか?」
「あら……珍しいわね、ヒロトが人見知りせずに、人のことを見られるなんて。フィリアネス様、恐れ多いことですが、うちの子がなついているみたいです」
「む、むむ……助けたからということか? 別に恩義に感じる必要などないのだが……」
もちろん母さんを助けてくれたことに感謝してもいたが、俺は、こんな時でも目ざとかった。
(フィリアネスさんのスキルに母性が……それも35。14歳なのに……!)
彼女の装備を見るには、パーティに入ってもらわないといけないので、まだ見られないが……外見だけでも、何を身につけているかはだいたいわかる。
彼女はゲームでもそうだったが、防御力が高く、付加効果も多いフルプレートメイルを、敏捷性が下がって攻撃回数が減ることを嫌って装備しない。
そのかわり、「腰鎧」という腰回りを護る装備と、「肩鎧」を、「布鎧」の上から装備している。つまり金属部分が肩と腰だけを守っていて、あとは布なのだ。
(……これがリアル乳袋……14歳で、母性35……7%のプラス補正が入ったバスト……!)
ひたすら感嘆するほかない。14歳なのに、明らかにレミリアさんより大きい。それではレミリアさんが小さいようだが、決してそうではない。フィリアネスさんが恵体……いや、発育に恵まれているのだ。
魅了スキルの判定は、しばらく時間が経たないと入らないし、彼女がサークレットをつけている限りは無効化される。高望みをしてはいけないが、セイントナイトの職業固有スキル「【神聖】剣技」が取れるとなると、正直喉から手が出そうになってしまう。
サークレットを取って髪をおろさせたら……じゃなくて、「魅了」への抵抗値を下げられたら。そんなチャンスが、果たして訪れるだろうか。
「この子ったら……フィリアネス様、くれぐれもこの子を甘やかさないでくださいね。すぐに女の子を引き寄せる、不思議なところがある子なんです」
「む……しかし、私は子供に好かれるような人間ではないし、ヒロトもさっきからそっぽを向いている。私が甘やかしたところで、喜んでもらえないのなら、何もするつもりはない」
ちょっと拗ねているフィリアネスさん。さすがに最強クラスのNPCから採乳をすることは出来ないか……こればかりは諦めるしかない。今まで18歳以上の女性しか母性20以上を持つ人がいなかったから、14歳の彼女に対しては、少なからず背徳感があるしな。
装備を外してもらうには、それより強力な装備を渡すしかない。「交換」スキルで渡すにしても、聖なるサークレットと同価値のアイテムなんて持ってないし。
お金とアイテムの「交換」も出来るのだが、幸運スキルを取ったときに取得した「ピックゴールド」は俺が自分で歩かないと発動出来ないから、現時点の財産はゼロだった。それに、マジックアイテムのサークレットは金貨百枚じゃすまない価値があるだろう。
(八方ふさがりか……うーん。とりあえず、彼女の用事が何か分かるだけでもいいか……時間回復するとはいえ、母さんのライフも何とかして回復させてあげないとな)
――俺はまだ、今の時点では失念していた。
ゲームと違い、この世界では、どんな人でも絶対に装備を外す機会があるということを。
明日は一話のみ更新になるかもしれません。
時刻は夕方~夜になります。