第七十三話 戦い終えて/騎士パーティの慰労
俺の腕に抱かれたまま、イグニスはそのつぶらな瞳を俺に向けている。
まずは魅了状態が継続しているうちに、イグニスを『隷属化』しておくべきだろう。
◆ログ◆
・あなたは《イグニス》を隷属化した。
・《イグニス》のジョブを「奴隷」に変更することができます。変更しますか? YES/NO
リリムは奴隷にしたが、イグニスはジョブを変えるまではしなくてもいいだろうか。ジョブを変えてしまうと、魔王の特有のスキルを所持していても、取得できなくなってしまう。
いや、こんな見かけの少女に対して、胸に触れてスキルを取得させてもらうであるとか、進んで考えるのは間違っていると考えるくらいの倫理観は俺にもあるのだが、『魔王』はいうなれば究極的にレアなジョブのひとつであり、他で代替が効かないし、せっかく強力なスキルが手に入るのに見逃すのはそれこそ甘いというか、徹底的に強さを求める上では仕方のないことなのだ――と、腕の中の少女が人間換算で何歳くらいだろうかと考えながら、思考を高速で回転させる。
(……しかしこのレベルの控えめなふくらみで、母性が50あったりするとどうなるんだろう)
小さい乳を搾るというのも、それは神秘的というか、何か新しい扉が開けるような――いや俺は、そんな偏った方向の趣味は持ちあわせてはいない。断じてそんなことは。
「……あるじ殿、と呼んでもいいかや? わらわは人に仕えたことがないので、勝手がわからぬ」
「あ、ああ……好きなように呼んでくれ」
「ふふっ……ういやつ。あるじ殿は鬼神のように強いのに、可愛いお顔をしておられるのじゃな」
「なっ……ひ、ヒロト。この魔王はいったい、何を言っているのだ……? ヒロトに倒されて降伏したというのはわかるが、あまりにも、その……」
「あ、あなどれないであります……っ、見た目は小さな女の子なのに、お師匠様を見る目が、大人の女の人みたいなのでありますっ……!」
フィリアネスさんは言葉が見つからず、かなり動揺している――そして、ウェンディはふるふると震えている。名無しさんは取れないはずの仮面の位置を直す仕草をして、セーラさんはあらあらまあまあ、という今までにないリアクションをしている。
「イグニス……お前にはこれから当面、俺に従ってもらう。魔界の扉を開いて向こうに帰すなんてわけにもいかないからな。それに、今まで魔王としてしてきた悪行ってやつも見逃すわけには……」
「それはそうじゃろうな。わらわを生かすも殺すも、あるじ殿の自由。あるじ殿が死ねと言えば、その時は誰の手も煩わせぬ、自ら水の中に入って命を絶とうぞ」
例え隷属化しているとはいえ、何の恐怖もないわけがない。魔王であれ、死は恐れるべきものだということだ――リリムのように、全てを諦めて死を選ぼうとしない限りは。
リリムは聖杖を抱えたルシエ、そしてアンナマリーさんに付き添われている。隷属化したリリムにはまだ魅了の効果が続いていて、俺をじっと見つめてくる――けれど魅了した女性が見せる熱を帯びた眼差しではなく、遠いものを憧れて見つめるような、寂しそうな目をしていた。
(そんな目をしても、俺が求めるものは変わらないぞ……っていうのは鬼畜か。いや、鬼畜なことをしたのはリリムなわけで……それを俺が一人で許してしまうというのは……)
「ふふっ……やはり、力を失ってもリリムが魔性の女であることに変わりはないようじゃな。わらわも色気だけは、あの女にはかなわぬ」
「……今の私では、ヒロト様の琴線に触れるものなんて何もないわ。この方はただ、私に猶予を与えてくれているだけ……私が役に立たないと分かれば、そのときは……」
「俺は当面、リリムもイグニスも監視下に置く。場合によっては、一生解放しないかもしれない。それだけで、十分に罰になると思うんだけどな」
そう言った直後に、頭に声が響いてくる――これは、ユィシアの念話だ。
(……私も、一生ご主人様から解放されないし、されたくない。私にとって、束縛は喜び。いつでもヒロト様に縛られて、近くにいたい)
(し、縛るとかそういう……って、そういう意味じゃないな。ごめん、戦いが終わって頭が平和になったみたいだ)
(切り替えが早いのは、いいこと。戦っているご主人様だけでなく、穏やかなご主人様も、皆は好きだから)
ユィシアが皆という言い方をする。もしかすれば俺よりも、女性同士という意味では、みんなの気持ちがユィシアにはよく分かっているのかもしれない。
サラサさんの家の物陰からこちらを窺っているユィシアを手招きすると、少し皆に見られることを恥じらいつつ、歩いてきた。みんなユィシアが獅子奮迅の活躍をしていたことは知っているから、彼女に対して口々に感謝を伝えていた。
そして――ネリスさんが、どうしているか。彼女は昏倒したシスカさんとナヴァロさんの手当てをしていたようだが、二人とも幸いにも大事無いようだった。
「ヒロト、見ているだけしかできなんだが、お主はわしの自慢の弟子じゃ……と言わせてもらおうかのう」
「ありがとう、ネリスさん。でも俺なんてまだまだだよ」
「ふむ……この娘、若く見えるが、魂は老練としておるのう。わらわと何か近いものを感じる」
「魔王イグニスにこんなことを聞くのも、何か滑稽な気はするのじゃが……お主、年齢は?」
「わらわは百八つじゃ。退屈で眠っておった時間も抜けば、覚醒期はそれほど長くはないがの。生きている年月だけ考えれば、お主と比べてもわらわの方が年上じゃな」
イグニスはネリスさんの魂を見て、本当の生きてきた年月を見破っている――力を失っていない魔王には、色々と能力があるということか。『魔眼』というわけではなさそうだが。
魔眼といえば、アンナマリーさんは大丈夫だろうか。彼女を見やると、外していた眼帯を付け直すところだった。そして、俺の方に歩いてくる。
「大丈夫、何ともないよ。短い間に何度も使うと、ちょっと負担がかかっちゃうけどね」
「そうか……アンナマリーさん、本当に頑張ったんだな」
「……未熟と言いはしたが、敗れてしまっては認めざるを得ないのう。わらわを倒した聖槍の勇者よ、ぬしは紛うことなく、その槍の使い手じゃ」
「っ……そ、そんなおためごかしは……ボクは、魔王を倒すために、『お父さん』の意志を継いで……」
「ならばお主の父君にも敬意を払わねばならぬな。負けというのはそういうことじゃ、勝った者のなりたちの全てを讃えねばならぬ」
「……魔王は……人間を憎んでいる。それは、ヒロト君に従っても、変わらないんじゃないの……?」
アンナマリーさんが疑問をぶつける。イグニスは俺の顔を見上げると、何かを眩しそうにするように目を細めた。
「お主が、人間が、わらわたちを憎むのは当然のことじゃ、わらわたちは今でも人間を憎んでいる――いや、憎んでいたことを覚えているというべきか。今でもわらわは、あるじ殿から解き放たれれば、炎でこの町を焼き尽くそうとするやもしれぬ。敗者が足掻くことが、いかに醜いと知っていてもな」
「それは……ヒロト君がいる限り、もう、悪いことはしないっていうこと……?」
「あるじ殿の意志に背くことはできぬ。そればかりは、わらわも嘘をついても仕方がない。リリムもわらわと同じじゃろうな」
イグニスがリリムを見やると、リリムは目を伏せることなく、静かに頷く。それを見たアンナマリーさんの瞳が揺れる――そこにあるのは怒り。
しかしアンナマリーさんのその感情は、どれほども長くは続かなかった。彼女はふっと笑うと、聖槍を鞘に納めて歩いて行く。
「っ……アンナマリーさんっ!」
「すぐに気持ちを切り替えるわけにはいかぬのじゃろう。わらわとリリムについては、どこかの牢にでも入れておいたらどうじゃ。それくらいの扱いは、当然のことじゃからな」
そんな幼い姿で、戦に負けた歴戦の武人のような潔さを見せられても、こちらとしては戸惑うところだが――魔王だと分かっていてそれでも容姿に引きずられるというのも、俺が甘いからだろうか。
しかし、仕方のないことだ。人間はどこまで行っても、視覚に支配される生き物だから。
「……わらわが幼い見た目をしておるから、可哀想と思っておるのか? まこと、ういやつ」
俺を主人と呼んでおきながら、微笑んで頬をつまんでくる少女を見ていると――どうも、まだ隷属化したという実感が湧いてこない。
それゆえに魔王、といえばいいのか。俺の困惑する顔を見て、イグニスは悪戯っぽく笑うばかりだった。
◆◇◆
騎士団の砦の牢を使うという案もあったが、一時的にイグニスとリリムは俺の家の一室で監視することになった。他のみんなに留守を任せ、俺は一人で町を巡回する。
市場通りは特に出現した悪魔が多かったが、騎士団の奮戦とユィシアの援護のおかげもあって、被害の程度は全体の一割といったところだった。残念ながら住めないほど壊れた家も幾つかあるが、それについては領主のセディと相談して、なんとか再建できればと思う――新築の家に建て替わると、他の無事だった家から不満が出たりしないだろうかというのもあるので、全体の調整は必要だが。
エレナさんの家の前で、マールさんたちの姿を見つけた。彼女たちも無傷とはいかなかったようだが、アレッタさんの治療を受けたので後に響くようなダメージは受けていない。
クリスティーナさんは俺を見つけると、一も二もなく駆け寄ってくる。そして俺の頭を撫でたり、肩をぽんぽんと叩いたりして、最後に抱きしめてきた。後からついてきたジェシカさん、マールさんは羨ましそうな顔をするが、仕方ないというように微笑む。
「むぎゅー。ああ、生きてるって感じするよねぇ……ヒロト君、ヒロト君だ」
「う、うん……俺は全然平気だよ。みんなも無事でよかった」
「無事も無事、私たちは悪魔が来たら、上空に追いやればいいだけだもんね。そうしたらユィシアちゃんが全部やっつけてくれるし。悪魔を倒すたびに、宝石とかが落ちてきてたよ」
クリスさんに言われて周囲を見やると、あたりはドロップ品だらけになっていた。後で回収して、内容を確認させてもらいたいところだ――町の再建費用は、意外に収穫品だけで事足りるかもしれない。
「ヒロト君、お疲れ様。魔王との戦いが始まったことはなんとなくわかってたから、みんなで応援してたんだよ」
「空が青く戻っていくのを見て、ヒロト様たちが魔王を倒したのだとわかりました。公国の英雄として、ヒロト・ジークリッドの名は、未来永劫に刻まれることでしょう」
「倒したってわけじゃなくて、捕虜にしたんだ。魔王のしてきたことを考えれば、それは甘いって言われるだろうけど……」
リリムが召喚した悪魔たちと戦った騎士団のみんなからすれば、魔王は憎悪の対象でしかないだろう。ミゼールの人たちにとっても、一時的に避難しなければならない理由として、魔王の脅威が迫っていることは説明されている。
話を聞いていたマールさんは、思うところがあるという顔をしていたが、俺に近づいてくると、いつものようにほにゃっと柔らかく笑った。
「……魔王って、ほんとは捕まえたりとか、そういうこともできなくて……倒すしかないと思ってたけど。ヒロトちゃんだったら、それも可能にしちゃうっていうか……もう、何でもありだよね~」
「い、いや……聖なる武器がなかったら、魔王を倒すことはできないし……俺じゃなくて、ルシエとアンナマリーさんがいてくれたおかげだよ。魔王の力を封印できたのは」
紅雫の宝珠が俺の手にある限り、リリムに魔王の力が戻ることはない。
隷属化をかけている以上、『魅了』が切れてもリリムは俺のしもべのままだ。それならば、場合によってはオーブを返してやり、魔王の力を持った状態で使役するというのも考えられる。
(俺の生命力は、今のリリムに残ってるのか、それとも、宝珠に宿ってるのか……それも、聞き出さないといけないな)
――と考えているうちに、ジェシカさん、クリスさん、マールさん――そして、俺が来たことに気づいてやってきたアレッタさんとメアリーさんが、じっとこちらを見ていた。
「アレッタさん、メアリーさんも無事で……」
◆ログ◆
・《メアリー》は『軍規』を発動した!
・『ジークリッド隊』において、新たな軍規が施行された。
・軍規に従い、《メアリー》の命令を受けなければならない。
(い、いきなり軍規……そこからのコンボといえばやっぱり……!)
「無事で帰ってきたからといって、それで終わりだと思わないでください。事後処理までが戦争です」
「あ、ああ、俺もそれはもちろん分かって……いやあの、そんなジリジリと近づいてこられても……っ」
「事後処理の中には、私たちをいたわることももちろん含まれています。こちらからは以上です」
「い、以上じゃなくてあの……っ、き、騎士団の人たちも近くにっ……」
この戦いを生き抜いた騎士団員の皆がどうしているか――といえば、被害状況の確認に回っており、俺たちに意識を向けていない。これも軍師である彼女の計算のうちということか。
「あはは……まあ、私はもうむぎゅーってしちゃったけどねえ。メアリーちゃんがいいって言うならその、その辺りの空き家さんにお邪魔して、組んずほぐれつしちゃう?」
「く、クリスさんっ……いくらなんでもそれは……っ」
「ヒロトちゃんったら、恥ずかしがっちゃって。あ、雷神さまたちを置いてきちゃったから、班の違う私たちとは仲良くしちゃいけないとか? ぶー」
「いえ、今のヒロト様なら、私たちの要望を全て受け止めてくれます。迷わずにどうぞ」
メアリーさんが淡々と言う。フードを被ったままで耳を隠しているが、いつでもコートの下のナイスバディを見せる用意はあると言わんばかりに、胸元に手を当てている。
「……ヒロトちゃん、少しだけ……その、抱きしめさせてもらってもいいですか?」
「わ、私も……できることならば、ヒロト様の温もりを確かめ、安心させていただきたいというか……」
どちらかというと奥ゆかしいほうのアレッタさんとジェシカさんが、恥じらいつつアピールしてくる。ジェシカさんはくるくると青みがかった黒髪を指に巻き付け、アレッタさんは既に俺を捕獲しようと、控えめに腕を広げている。
「アレッタちゃんの活躍といったらすごかったんだから。戦場の天使っていう感じ?」
「ほんとにすごかったよねぇ……ヒロト君、アレッタさんをいたわってあげなよ」
「い、いえ……私は衛生兵ですから、皆さんのお手当をするのは当たり前ですし……」
「いや、本当にすごいよアレッタさん。みんな大事なく済んだのは、アレッタさんや、回復に回ってくれた人たちのおかげだから」
「……で、では……お言葉に甘えさせていただきます。ヒロトちゃん、失礼しますね……」
アレッタさんはどうやって俺を抱きしめてくれるのか――背が伸びた俺に屈んでくれるように肩に手を置いて促すと、ぱふっ、と控えめな胸に顔が軟着陸する。
「……ああ……すごく落ち着きます。ヒロトちゃんは、私の心を安らげてくれる、何よりの薬です……」
――戦った後だというのに、すごくいい匂いがする。アレッタさんに治療してもらった人が羨ましい――なんて、怪我をした人に対して失礼だろうか。でも、思ってしまうのだからしょうがない。
そして俺を放す時も、アレッタさんは優しかった。頭を撫でて、髪に手櫛を通すようにすると、次のジェシカさんのところに送り出す――しかしジェシカさんは鎧に胸甲がついているので、どうしていいものかと迷っている。
「ジェシカちゃん、もう戦いも終わったしいいんじゃない? 外しちゃえば」
「ま、マール……下に鎧下を着ているとはいえ、騎士が外で鎧を外すのは……きゃぁっ……!」
「いいからいいから。私たちの部下で、上司の行儀に文句言うような子はいないでしょ」
戦いが終わったばかりで、まだ見回りの途中なのだが――こうなってしまうと、俺もまた『ジークリッド隊』に属している以上、メアリーさんに従う以外はないのであった。




