表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/104

第七十二話 魔王の宝珠/魔界の扉/煉獄の女帝


 聖杖ハルモニアによって作られた『聖域サンクチュアリ』は、リリムの作った領域を内側から打ち消した。


 ◆ログ◆

・『サンクチュアリ』によって『血の領域』が解除された。

・《魔王リリム》から『紅雫の宝珠ブラッドオーブ』が取り出された。


 リリムが正体を現したときに禍々しい色に染まった空の色が、元に戻っていく。だが、まだ悪魔の飛び交うこの町には邪気が満ち、空はまだ薄曇りのままだ。


 教会に向かう坂の途中に、シスカとナヴァロが倒れている。

 その向こうに、リリムが膝を突いて座っている。身につけていた装備はぼろぼろになり、その傍らに、赤い宝石のような玉が転がっている。 


 聖杖でリリムの力を封印したことによって、出現したアイテム――近づいて拾い上げると、並々ならぬ力を感じさせる。


「これがリリムの力そのもの……もう、戦う力はないんだな」


 項垂れていたリリムがゆっくりと顔を上げる。赤い瞳で俺たちに殺意を向けていた魔王の姿は、もはやどこにもなかった。


 リリムのぼろぼろに破れた黒い翼が、灰のように崩れて、風に流れて消えていく。その飛行能力も、宝珠の力で発現させていたのだろう。


「……リリム」

「その宝珠を壊さなければ、私は死なない。けれど、私と宝珠を引き離せば、私はただの人間と何も変わらない。さあ……壊すなら壊しなさい。それとも、今までの恨みを込めて、拷問でもしてくれるの?」


 俺が名前を呼んだだけで、リリムは顔を上げ、焦燥しきった顔で、それでもまだ刃物のように鋭い言葉を放つ。


「《魔王リリム》は、今ここで消える。もう二度と、復活はさせない」

「……ヒロト」

「……あなたは手を汚すべきではありません。そんな仕事は、私に任せるべきです」


 フィリアネスさんとミコトさんが声をかけてくる。俺の性格を知っていて、心底から案じてくれていることが伝わってくる――だが、俺は首を振った。


「いや。俺がやらなければいけないし、俺にしかできないんだ」


 リリムは何も言わずに俯き、白い髪を分けて、自分で首を差し出した。

 俺は斧槍に手をかけ、振り上げる。みんなが息を飲む――そして。


「――だめっ、ヒロちゃん!」


 ――そうだ。

 みんなと一緒に、ここに残してきたリオナ。そしてサラサさんが、戦いが終わるまで待って、俺たちの前に姿を見せた。


 そのリオナが、俺の前に立っていた。斧槍を担いだ俺の目を真っ直ぐに見つめ――涙に目をうるませながら、必死で訴える。


「ヒロちゃん、だめ……この子は……」


 リオナに宿った、リリスの魂が訴えるのか。妹を殺さないでくれと。


 リリムがグールドたちにしたこと、サラサさんにしたこと。それだけでなく、これまで続けてきた罪への報いは、受けさせなくてはならない。


 ――しかし、俺がどうしたいのか。俺が今、力を失ったリリムを見て、思っていることは何なのか。


「お願い、ヒロちゃん……この子、もうなにもできないから……っ」

「リオナ……リリムのことが分かるのか?」

「……この子が悪いことをたくさんしたっていうのは、わかってる。でも……だめなの……」


 その答えを聞いて、俺はリオナが何も思い出していないことを確かめる。

 安堵と落胆の両方がある。一度『凶星』で失われた記憶が、リリムと接触することで戻るのではないかと思ったが、そうはならなかった。


 ――しかし、思い出さない方がリオナのためにはいいのではないか。自分がリリスの転生体であることなど、忘れたままの方がいい。


「……魔王リリムは、ここでいなくなる。けどそれは、命を取るって意味じゃない。まだ、聞きたいことが山程あるからな」


 リリムがゆっくりと顔を上げる。深紅の瞳でこちらを見る彼女の目には、もはや敵意は残っていなかった。


 ◆ログ◆

・あなたの『カリスマ』が発動! 《リリム》はあなたに注目した。

・あなたの『【対異性】魅了』が発動! 確定でクリティカルが発生した!

・《リリム》は『魅了』状態になった。

・《リリム》はあなたを見つめている。


(魅了への抵抗力がゼロに……今のリリムには、本当に魔王の力は残っていないんだ)


 しかし、魅了がずっと永続するわけではない――捕虜にするのなら、より確実にしておかなければ。


「リリム。俺たちは、おまえに勝った……おまえのこれからは、俺が決める」

「……自害せよと言われるものだと思ったら。あなたは、やっぱり甘いのね」

「甘くはないよ。償わせることを忘れたわけじゃない。決して逃げ出そうと思うな」


 自分には似合わないと思うような、強い言葉を使う。

 しかしそれを見て、リリムはかすかに笑ったように見えた。


「残酷になれない人の強がりを、優しさと言うのね。あなたは、本当に優しい人……甘さを捨てずにそこまで強くなれるものなのね……」

「……ヒロちゃん、この子を許してくれるの?」

「許してはいない。簡単には、許せない。でも、【魔王リリム】はもういない……ここで、俺たちが倒したんだよ」


 そう――リリムの名前が、ただの《リリム》に変わっている。

 力の源である真紅の宝珠を手にしたとき、魔王リリムは消えた。そしてもう二度と、人間を害しようとすることはない。俺はこれから、彼女を配下にするのだから。


 ◆ログ◆

・あなたは《リリム》を隷属化した。

・《リリム》のジョブを「奴隷」に変更することができます。変更しますか? YES/NO


「……これは俺から与える、初めの罰だ。リリム」


 ◆ログ◆

・《リリム》のジョブを『奴隷』に変更した。


 自分が奴隷にしてきた人々が、どんな思いをしたのか。それを、リリムには分からせなければならない。

 ――といっても、奴隷にしたからといって、俺はリリムと違い、理不尽な苦痛を強いることはないのだが。それは価値観の差異というやつだ。


「……リオナ、ごめんな。怖がらせて。でもこれで、リリムはもう悪いことはしない」

「……ほんと……?」

「ああ。リリム、リオナとサラサさんと一緒に、身を隠してるんだ。お前には、戦いの続きを見ていてもらう」

「……はい」


 その返事が従順さを示すものに変化したことを、みんなはただ、俺がリリムを心服させたのだと思ってくれたようだった。


 リリムの処遇については、ひとまずこれで良しとする。あとは、倒れているミルテの両親のことだ。


 ◆ログ◆

・《リリム》の『【対異性】魅了』の効果が切れた。

・《ナヴァロ》の『魅了』状態が解除された。


 魅了の効果が消えた――これで、ナヴァロさんも正気を取り戻すだろう。


「ネリスさん、セーラさん。シスカさんたちのことを――」


 頼む、と言いかけたとき。


 ぞわ、と背筋に寒気が走る――教会の方から、ただならぬ気配を感じて。


「……リカルド・ジークリッドが戦っているわ。私の手の者と」


 リリムは小さな声で、それでも言う。彼女は俺が知りたいと思うことを、もう黙っていることはできない――しかし、俺を怒らせることを恐れてもいる。


「……誰に魔剣を狙わせたんだ」

「あなたも良く知っている人……ハインツよ」


 ハインツ――その名を聞いた瞬間、俺はあの日の戦いを思い返す。

 殺してしまったのかと思っていた。しかし最後に転移した――リリムの元に戻り、傷を癒やし、そして今、父さんと戦っている。


「ヒロト、急ぐぞ! 戦っているのなら、まだ助太刀が間に合う!」

「ああ……だけど、教会の地下はそんなに広くない。俺一人で行く……フィリアネスさんたちは、ここに残ってくれ」

「っ……そうか。あの地形では……分かった。私たちは、ここで待機していよう」


 フィリアネスさんたちにも加勢したいという気持ちはあるだろうが、狭い場所に押しかけても、最大の戦力は発揮できない。


「かしこまりました、坊っちゃん……いえ、ヒロト様!」

「お兄様も、皆さんも、どうかご無事で……!」


 スーさんとルシエも、本当はついていきたい、そう目が言っている――でも、俺の指示を聞き入れてくれた。リリムを封印したことで、ルシエが魔王の攻撃範囲に入る危険を犯す必要はなくなったのだから。


 そしてシスカさんたちを手当てするネリスさんも、涙に潤んだ目を拭いながら、俺に笑顔を見せてくれた。


「ヒロト……お主にはどれだけ礼を言っても足りぬ。リカルドと皆と共に、必ず無事で戻るのじゃぞ!」

「うん! ネリスさんも気をつけて! 全部終わったら、家族四人で暮らせるんだから!」

「そう上手く行くかは分からぬが……わしはもう二度と、同じ過ちは繰り返さぬ。お主が教えてくれたのじゃよ、わしがずっと間違えていたことを」


 それは、俺が母さんを助けるためにユィシアと命をかけて戦ったときのことを言っているのだろう。


 ネリスさんもようやく娘を取り戻すことができた。この戦いに身を投じたことで、当たり前に得られるはずだった幸せが、これから始まる。


 家族が一緒に暮らすことができるというのは、そういうことだ。俺も父さんが家を出て行かないように、自分にできることを必死で考えた――。


 そして俺は、誰よりも信じている。俺の父さんは、簡単にやられたりしない。

 父さんはもともと、木こりと魔物退治で身体能力を成長させ続けていた。さらに時間を騎士団員との鍛錬に注ぎ込み、若かりし頃の力を取り戻そうとして――今はそれを成しているのだから。


「ヒロちゃん、頑張って……リカルドお父さんのこと、まもってあげて……!」

「ああ……でも、守るんじゃない。父さんと一緒に戦いに行くんだ」


 俺は改めてパーティ編成を組み直す――そしてその時になって、ようやく気がつく。

 ネリスさんたちと同じパーティで、リーダーを務めていたモニカ姉ちゃんの姿がない。


「ネリスさん、モニカ姉ちゃんは……!?」

「伝えるのを忘れておったな。モニカはリカルドから頼まれて、駐屯地におるお主の家族の護衛をしておるよ」

「そうか……良かった。モニカ姉ちゃんに何かあったら、俺……」

「彼女も坊っちゃんのことを案じていました。きっと、ご家族を安心させてくれていると思います……レミリア様とも、長いお付き合いですから」


 赤ん坊の頃、モニカ姉ちゃんと初めて会ったときのことを思い出す。今も彼女は、俺の家族に深く関わり、母さんと妹を守ってくれている。そのことに感謝しかなかった。


 ◆◇◆


 俺たちは走り出す。教会の地下に向かうには、まず俺の家に入り、地下道を通る必要がある。

 俺の家の近くまでは、悪魔たちの手は及んでいなかった――というより、被害は広がることなく沈静化しつつある。それほど、ユィシアの空からの攻撃が、悪魔の数を減らしているということだ。


 赤ん坊のとき、フィリアネスさんの腕に抱かれて通った地下道――本当に久しぶりだ。あのときと比べて目立って老朽化もしていないのは、父さんが厳重に管理していたためだろう。


 ――そして地下道に入ってすぐに、俺たちは気がつく。


 金属同士がぶつかり合う甲高い音――剣戟。その音が繰り返し、絶え間なく続いている。


 魔剣が安置されている、教会の地下の空間。その入口に倒れている姿は――ウェンディと、名無しさんだった。


「っ……ふたりとも、大丈夫か!?」

「ヒロトさんっ……この先で、お父様と、何者かが戦っています! 気をつけてください!」


 ウェンディと名無しさんは、双方魔術で攻撃を受けたのか、ライフが4割ほど減っている――しかしセーラさんの治癒魔術で回復しつつあった。


「お師匠様……すみません……リカルドさんと戦っている相手には、力が及ばなかったのであります……」

「あの敵は、人間の姿をしてはいるが、人間じゃない。おそらくは、リリムの手で不死者になっている……」


(ハインツ……リリムの手で、すでに不死者に変えられていたのか……)


 顔を上げれば、視線の先には――幾つもの傷を負いながらも、怯まずに戦い続ける父さんの姿があった。


「――おぉぉぉぉっ!」


 ◆ログ◆

・《リカルド》は『極大切断』を放った!

・《ヴァンパイア》にかすり、96ダメージ! 《ヴァンパイア》は出血した!


 ヴァンパイア――青白く痩せた見かけに反した強靭な膂力と、様々な特殊攻撃を持ち、高い生命力で再生を繰り返す、不死者の代表格とも言われる怪物。


 黒い外套とマスクで顔を覆っている――落ち窪んだ眼窩の奥にある赤い瞳はギラギラと輝いて、父さんに対する尽きせぬ殺意を振りまき続ける。


 その瞳には覚えがある――ハインツ。怪物に成り果ててもなお、その野心に満ちた目の輝きだけが変わっていない。


「――ただの人間のままで、僕に勝てると思うな……リカルドォォォッ!」

「父さんっ……!」

「来るんじゃないっ! これは俺とこいつの戦いだ……!」


 ◆ログ◆

・《ヴァンパイア》は『闇襲刃ダクネスエッジ』を放った! 『ヴァンピールブレイド』によって威力が強化された!

・《リカルド》は『風林火山・林』を発動した! 『闇襲刃』を弾き返した!


「鈍重な斧で、よく返す……だが、いつまで続けられるかな……っ!」

「俺にとって斧は体の一部だ……俺が勝つまで返し続けてやるさ……!」


 父さんと因縁を持ち、『ヴァンピールブレイド』を振るう、リリムの配下。

 一人しかいない。あの吸血鬼は、ハインツ――リリムの駒として、不死者に変えられてしまったのだ。

 やはり俺は、ハインツの命を、あの時に奪っていた。それとも、死を免れるために、不死者に変えられたのか……分からないが、今の彼は見る影もなく、生前の端整な容姿はどこにも見出せない。


「ヒロト……ヒロト君じゃないか。そこにいるのは……僕が世界で一番殺したいと思っている、ヒロト・ジークリッド……会いたかった……この時をどんなに待ち望んだか……!」

「油断だな、ハインツ! お前の相手は俺だッ!」


 ハインツが俺の存在に気づき、敵意を向けてくる――しかし父さんが割り込み、斧槍でハインツの剣を弾き返す。


「っ――煩わしい……お前はいつもそうだったよ、リカルド。いつもお前は自分が正しいって顔ばかりをして、僕を苛立たせる……!」

「そいつは済まなかったな……だが俺は、俺自身をどうやっても曲げられん……!」

「それが苛立たしいと言うんだっ……死ねぇっ!」


 ハインツがヴァンピールブレイドを振りかざす――父さんがそれを見て、腰を低く落とした瞬間だった。


 ◆ログ◆

・《ヴァンパイア》は『闇襲刃』を放った!

・《リカルド》は『風林火山・火』を発動させた! スーパーカウンター!


「っ……何を……!」


 現役に戻った父さんのジョブ『アクスナイト』が、スキル50から覚え始める戦闘用の技能『風林火山』――父さんは、スキル80の『火』までを習得していた。


 『風林火山・林』は敵の攻撃を凌ぐ型。それを成功させた後に使える『風林火山・火』は、無条件でスーパーカウンターを発生させ、倍撃による反撃を可能にする。


 スピードアップ、防御、カウンター、回復。他の職業のスキルで代替できる技ではあるが、『風林火山』を全て習得すればその四つをこなせるようになる。短期間でそこまで実力を取り戻せたのは、父さんに斧の天分があるからとしか言いようがない。


「――くそぉぉぉぉっ!」


 何もできずに隙を晒し、ハインツが吼える。父さんは容赦せず、力を溜めて、今持てる最大の斧技を繰り出した。


「おぉぉぉぉぉッ!」


 ◆ログ◆

・《リカルド》は『ギガントスラッシュ』を放った!

・クリティカルヒット! 《ヴァンパイア》に652のダメージ! 《ヴァンパイア》は『出血』状態になった。


「うぐぁっ……あ……あぁ……血が……血が足りない……血ガァァァッ!」


 ハインツの鎧は外套ごと袈裟懸けに切り裂かれ、致命傷と分かる傷を負う――『風林火山』と斧技の組み合わせが、これほどの威力を産むとは想像がつかなかっただろう。だからこそ、父さんがカウンターの体勢に入ったことに気づかず手を出した。


 彼は戦いに明け暮れる暮らしを送っていたわけではない。リリムに与えられた力を過信して、父さんを甘く見た――それが敗因だ。


「……僕は人間を捨てたのに……なぜお前なんかに負ける……ただ安穏として暮らしてきただけのお前にっ、なぜっ……!」

「安穏と暮らしているように見えたのなら、それで本望だ。家族にこわばった顔ばかり見せてたら、三行半を突きつけられちまうだろ?」

「ふざっ……ふざけるな……そんなお前を、なぜ僕が殺せない……僕は誰かを傷つけることに慣れているのに……なぜ、お前みたいな甘いヤツに……ッ!」


 敗北を受け入れられず、ハインツはよろめきながら、怨嗟の言葉を繰り返す。その間にも血は止まらず滴り落ち、石床に広がっていく。


 ――吸血鬼にとって、血がどのような存在か。それを危惧する前に、俺は動いた。


「父さん、一旦退いてくれ! 水と氷の精霊よ……全てを押し流し、氷結の棺に閉じ込めよ!」


 ◆ログ◆

・あなたは『スプラッシュフラッド』『フリージングコフィン』を同時に詠唱した!


 二重詠唱で二つの精霊魔術を同時に発動させる。はじめに大波で血液を押し流し、さらに凍結させる――これで血を利用して何をしようと、動きを封じられる。


「ヒロト……どこまでも僕の邪魔をっ……おぉぉぉぉっ……!」


 ◆ログ◆

・《ヴァンパイア》に173ダメージ! 『凍結』状態になった。


 ハインツの体は押し流され、壁に叩きつけられたところで凍結効果が発生する。

 ――完全に、動きを封じた。それを見て、父さんがその場に膝を突いた。戦闘の中で父さんは全身に傷を負っている。


 セーラさんは父さんに近づくと、ハインツの毒蛇斬ヴェノムスラッシュでつけられた傷をまず数カ所探して、集中的に治癒術を施す――彼女の腕ならば上位の解毒魔術が使えるため、俺のように毒抜きをする必要はなかった。


 ◆ログ◆

・《セーラ》は『浄化ピュリファイ』を詠唱した。

・《リカルド》の『猛毒』状態が回復した。

・《セーラ》は『快癒リカバー』を詠唱した。

・《リカルド》のライフが、30秒間に250回復を始めた。


 治癒魔術はすぐにライフが固定値回復するわけではなくて、徐々に回復する。全治リザレクションでも、1分で500回復する程度――エリクシールの効果がいかに強力で、そして貴重かが分かるというものだ。


「済まん、手をわずらわせたな。ヒロト、魔王が遣わせた悪魔を見たか? 積もる話はあるが、まずは奴らを倒さなけりゃな」

「うん。父さん、魔剣は……」

「……場所を知られた以上は、ここに置いていくことはできん。しかし俺の一存で、魔剣を持ち出すわけにもいかんからな。一度、陛下に判断を仰ぐ必要がある」


 父さんは陛下の命を受け、魔剣を護っていた。移動させるにも、王の判断が必要になるということだ。


 ――それでもし、魔剣を遠方で再び封印するか、父さんが持ったまま放浪しろなんて命令が出たら。俺は、公国に背くことになるかもしれない。


 魔剣を聖剣に変えることができたら。そして聖剣使いを仲間に加えることができれば、追手から逃れて魔剣の移動を繰り返すよりは安全だ。しかしまだ聖剣の選定者を、俺たちは見つけられていない……。


「……心配するな、ヒロト。俺は、何も諦めちゃいないぞ」

「……父さん」

「昔おまえが赤ん坊のころに、聖騎士殿と話したことがあったな。俺が魔剣をどう考えているのか……魔剣があるかぎり、いずれ家族の元を離れなければならんとも言った。今になって思うんだ、おまえには全部、俺の言っている意味が分かっていたんじゃないかと。あのときおまえは、俺の服を掴んで、連れて行ってくれと訴えていたんだ……違うか?」

「……俺はどうしても、父さんと一緒に行きたかったんだ」


 それは俺がただの赤ん坊でなかったと言っているのと同じだ。

 ――しかし父さんは怪訝な顔も何もせず、ただ笑っていた。そして俺の頭に手を置くと、くしゃくしゃとかき回した。


「と、父さん……?」

「俺は赤ん坊のお前に剣を見せて、どこか安心していたのかもしれん。情けない父親だ……一人で抱え込んで生き続けると決めた。なのに俺はレミリアに、そしてお前に、頼りきっていたんだ。そのことに申し訳無さも感じていた。だがそれは、自分の弱さを認めたくなかったからなんだろうな」

「……弱くないよ。父さんは、リリムに力を与えられたハインツに負けなかったじゃないか」

「俺はあいつがあんなに強いとは思ってなかったから、侮っていたのさ。それで傷も負わされたが、山賊崩れの優男に負けるわけにはいかんだろう。それこそ、公国騎士の名折れというやつだ」


 父さんが俺の前で自分のことを騎士だと口にしたのは初めてだった。一介の町人として暮らしながら、ずっとその誇りは捨てていなかったのだ。


 ――もう、ハインツは動くこともできない。彼を捕らえ、魔剣を安全な場所に移動し、残っている魔物を倒せば、ミゼールに平和が戻る。


「……魔剣……カラミティ……僕の……僕の力に……」


 小さくうめくような声――凍りつきながら、ハインツがまだ声を発している。


「諦めろ、ハインツ。この剣は、お前の手に負えるようなものじゃ――」


 父さんが声をかけた瞬間だった。

 凍結したハインツの体――その体から流れでて、凍てつく氷の中に閉じ込められたはずの血液が、揺らめく妖気を帯びる。


「僕の血……僕の、魂を捧げる……ここに来い……魔剣カラミティ……!」


 ハインツに、魔剣を使えるわけがない。魔剣が、声に応じるはずはない――。


 そう思っていた俺の脳裏に、呪いのような文字列が浮かび上がる。


 ◆ログ◆

・『魔剣カラミティ』は生贄を求めている。

・《ヴァンパイア》は魔剣に魂を捧げようとしている。


「――やめろ、ハインツ!」

「魂を捧げる……不死者の穢れた魂……邪悪なる魔剣は、それを求めている。僕は選ばれし者なんだ……魔剣を目覚めさせれば、お前らを皆殺しにできる……!」

「馬鹿野郎ォォォッ!」


 父さんが立ち上がり、ハインツを力づくでも止めようとする――しかし。


 突如として、祭壇から水柱が吹き上がり、一瞬にして蒸発する。仕掛けを動かしていないのに、魔剣を封じ込めた石の器が割れ――寒気がするほど美しく、目を背けたくなるほどの邪気をまとう魔剣が姿を現す。 


「あれが……魔剣……お師匠様のお父様が、守ってきた剣……」

「……災厄の魔剣……実在したのか……」

「……これほどの年月をかけても、浄化しきれなかったのですね……いえ、以前よりもずっと、邪気が増している……!」


 ウェンディ、名無しさん、セーラさんも、言葉もなく見つめる。

 父さんはもはや躊躇なく、ハインツにめがけて斧槍を振りかぶる――!


「うぉぉぉぉぉぁぁぁぁっ!」


 ◆ログ◆

・《リカルド》は『ギガントスラッシュ』を放った!

・《ヴァンパイア》を『魔剣カラミティ』の結界が保護した。ダメージが無効化された。


「ぐぅっ……!」


 届くかと思われた斧槍の刃が止まる。魔剣カラミティがハインツを守った――もはや認めざるを得なかった。ハインツを、魔剣が主として認めていることを。


「クククッ……ハハハッ……ケヒャッ、ケヒャヒャヒャヒャッ……!」


 ハインツは凍りついた手を無理矢理に動かし、目の前に飛来し、浮遊する魔剣へと伸ばす。


 ぼろぼろになり、痩せこけて骨が浮き出たその手が、剣の柄を掴んだ。


「やった……やったぞ……これでリリムも、あの恩知らずのハーフエルフも、何もかも僕のものだ……この世界の全ては、僕の……まずは僕を馬鹿にしたリカルド……その息子共々、地獄に送って、」


 ◆ログ◆

・《ヴァンパイア・ハインツ》の魂は、『魔剣カラミティ』に捧げられた。


 魂を捧げるということの意味。

 それは、魂を代償にして、ハインツに力を与えるということではなく――。

 ただ、カラミティが覚醒のために、生贄を欲していただけだった。


 ハインツの手からがくんと力が抜ける。そして、無情にも魔剣の柄を滑り落ちていく。


「なっ……んで……ち、違う……僕は力が欲しいだけだ……魂を捧げた見返りに、力が……ふ、ふざけるなっ……そんなことは望んでない……っ、騙したな、リリム……初めからこうするつもりだったんだ……僕を利用して、僕をっ、僕をっ……!」


 ハインツの手が白い砂のように変化し、崩れ落ちていく。そして光の粒のようなものが、魔剣カラミティの刀身に吸われていく――魂を吸って、剣のまとう妖気が膨れ上がっていく。


「死にたくない……っ、死にたくない……っ、助けてくれ、母さ……うがぁぁぁぁぁぁっ!」

「――やめろぉぉぉっ!」


 ◆ログ◆

・あなたは『神威』を発動した!

・武器に『滅属性』が付与された! 攻撃力が120%上昇した!

・あなたは『ギガントスラッシュ』を放った!

・《魔剣カラミティ》の周囲に結界が生じた! ダメージを無効化された。


「くそっ……!」


 『神威』を乗せた技でも手応えがない――魔王にダメージを与えられても、女神の武器は破壊できない。それをまざまざと見せつけられる光景だった。


 ――ハインツの体の全てが砂になり、その生命そのものが、魔剣の糧となる。


 しかし消える間際に、ハインツは俺たちへの怨嗟を残した。


『――消えるのは僕だけじゃない。カラミティよ、魔界の扉を開け』


 ◆ログ◆

・『魔剣カラミティ』の特殊効果が発動した!

・魔界の扉が開き始めた。


「っ……ヒロト、みんな! ここは崩れる、外に出ろ! 生き埋めになるぞ!」

「だめだ父さん、カラミティを残していくのはっ……!」

「あれにはもう人の手では触れられん……!」


 空中に浮かんだカラミティの後ろ――剣の封じられていた祭壇が、天井から落ちてきた瓦礫で押しつぶされる。それでも剣は、黒い稲光を纏いながら宙空に浮かんでいた。


 そして、魔界の扉が開き始める。次元がねじ曲がり、別の空間へと繋がる扉が、少しずつ広がり――その中から溢れ出てきたのは、炎だった。


「ヒロト、今は外に出ることを優先しろ!」

「っ……ごめん、父さん!」


 崩れ落ちる地下道を、落ちてくる瓦礫を破壊し、あるいは避けながら、俺の家まで走り抜け、そして外に駆け出す。


 ――門を出て、教会が視界に入ったところで。


 天を衝くような大きさの火柱が立ち、教会は骨組みだけを残して炭に変わり――それすらも燃え尽き、後には歪んだ空間が残る。


 ◆ログ◆

・魔界の扉が開かれ、中から強大な存在が姿を現す……。

・《魔王イグニス》が実体化を始めた。


 空に届いた火柱が、空を赤く染め上げる。

 魔王リリムを倒したあと、イグニスがすぐに姿を現す――『災厄の魔剣』の名の通りに、カラミティは魔界の扉を開き、魔王という災厄そのものを呼び出した。


「ヒロト……っ、あれは……あれが、魔剣の力なのか……?」

「……魔剣に魂を捧げることで、魔界の扉が開かれる。リリムの配下が、魂を捧げて……それが、どういうことかも知らずに……」


 リオナを抱いているサラサさんが、辛そうに目を伏せる。リリムの配下というだけで、彼女には誰のことかが伝わっていた。


 ――俺でも憐れむような最後だった。リリムが残した毒牙は、最後の最後に、最悪の結果を招いてしまった。


 しかし俺にとっては、半分は望んでいたことでもあった。

 イグニスを倒すための聖槍の使い手が、ここにいる。イグニスを倒すことができれば、俺が知りたいと思うことの多くを得ることができる――魔界とは何なのか、なぜ魔王は人を憎むのか。


「ギルマスッ、何かが出てきます……もう一度、炎が……!」


 ――歪んだ空から、巨大な炎の腕が姿を現す。それは空に向けて一本、二本と突き出され、『魔界の扉』をこじ開けていく。


 その腕が、イグニスなのかと思った――しかし、違っていた。


 開かれた扉から姿を見せたのは、一人の少女。炎を薄衣のようにしてその体に纏った、悪魔の角を持つ、年端もいかない女性の姿をした――炎のように赤い髪を持つ魔王だった。


「……女の子……ボクの槍で封じるべき魔王が、あんな小さな子だなんて……」


 アンナマリーさんが動揺するのも無理はなかった。遠くからで分からないとしても、その体躯は、魔王という言葉から連想する姿よりも、あまりに幼く見えるからだ。人間ならば十歳程度に見えるほどに。


『扉を開いてくれたこと、礼を言うぞ……弱き者よ。もはや聞こえてはおらぬだろうがな』


 まだ遠く、姿を見るのがやっとの距離で、声が頭に直接響いてくる。


『……そちは、リリムの宝珠を奪ったのか。魔王を名乗る者を倒すとは、人間もなかなか捨てたものではないな。くくく……愉快極まる。これは楽しい時間が過ごせそうじゃな』


 無邪気にも聞こえる声。しかしその言葉の底にある、底知れない威圧感が、少しずつ強まっている――『実体化』を終えようとしているのだ。


 ◆ログ◆

・《魔王イグニス》の出現により、『特殊地形:煉獄』が発生した!


「なんだ……魔王の周りに、炎が……」


『わらわは魔界にて、炎の宮殿に住まうもの。わらわに触れたくば、この煉獄を超えねばならぬ。炎は少しずつ現世を侵蝕し、人の世を焼きつくしてゆく』


 聞こえてくる声は、話している内容に反して、ともすれば庇護欲さえ覚えるほどにあどけない声だった。戦意を揺らされないようにと思っても、それは紛れもなく、少女の声にほかならない。


「ギルマス、容姿に惑わされてはいけませんわ……彼女は魔王なのですから」

「ああ……分かってる。決して油断はしないよ」

「リリムが張った結界と同等……いや、それ以上に厄介だ。イグニスの周囲の空気が、炎の熱で揺らいでいる……このままでは、街全体に延焼してしまうぞ」


 フィリアネスさんの見立ての通り、『煉獄』に侵入すれば、炎属性のダメージを受け続けることになる――しかし、魔術を使える俺には、それを軽減する手立てがある。


「もう、被害は広げられない。ここでイグニスを封殺する」

「お師匠様、でも、もう炎が進み始めているのでありますっ……!」


 空中にいるイグニスに攻撃するには、『煉獄』の範囲外から攻撃する――他にも方法が幾つかある。


『さあ……魔剣を取り返し、わらわを再び魔界に退かせたいのではないのか? もっとも、そこの槍の使い手はまだ青く、未熟……わらわを封じることなど、夢のまた夢よ』


「くっ……!」

「アンナマリーさん、挑発に乗るな。『聖槍』の力を使えば、絶対にイグニスを封印できる……そのために、イグニスをできる限り弱らせるんだ」

「うん……わかった。ボクはヒロト君の指示に従う。絶対に魔王を封じてみせる!」


 そう言ってくれるのなら、これから試みようとしている連携攻撃も、成功の見込みが大きくなる――何度もあるわけではないチャンスをものにしなければ、イグニスを倒すことはできない。


 有効な方法の一つは、同じ空から攻撃すること。ユィシアが、イグニスの存在に気づかないわけはない――!


(ご主人様の意志は届いている。私がイグニスを消し去る……全力で……!)


「――グォォォァァァァァッ!」


 ◆ログ◆

・《ユィシア》の『ドラゴンハウル』! 竜の咆哮が大気を震わせる!

・《ユィシア》の攻撃力、防御力が上昇した!

・《ユィシア》は一時的に状態異常耐性を獲得した!

・付近の敵を『恐慌』状態にした!


 銀色の鱗を纏う竜の姿をしたユィシアが、ミゼール中心部の遥か上空から、一帯に響くほどの凄まじい咆哮を放つ。


 悪魔ですら恐れおののくほどの威圧感――それを真正面から受けても、イグニスはまるで動じていないように見えた。


(ユィシアの攻撃と同時に仕掛ければ、必ず隙ができる……!)


『くくく……誰かと思えば。レティシアの娘が、こんなところでわらわに食らいつくか。愉快愉快……愉快もここに極まれり……!』


 ◆ログ◆

・《魔王イグニス》は「装備再生」を発動した!

・《魔王イグニス》は「緋色の薄衣」を装備した。

・《魔王イグニス》は「火渡りのくつ」を装備した。

・《魔王イグニス》は「鳳凰の扇+8」を召喚し、装備した。


 炎をまとっていただけのイグニスの裸身が、見る間に赤い衣服――まるで着物のような服で覆われる。使用する武器は扇――およそ武器に使用できるとは思えないが、リリムの『招魂の杖』と同じく召喚したということは、替えの効かない希少な武器なのだろう。


『礼を言うぞ、リリム。すぐにその男から、おまえの宝珠を取り戻してしんぜよう』


(ご主人様……っ)


(ああ、頼む――こっちも準備は万端だ!)


 ◆ログ◆

・《ユィシア》があぎとを開く……!

・《ユィシア》は『アルティメットレイ』を放った!


 ――皇竜族のスキルが100に達したとき、習得できるブレス。それは彼女の吐く全種類の属性ブレスのエネルギーが全て調和し、混じりあって生まれる、『全属性』のブレスだ。

 敵の耐性など関係ない。浴びてしまえば、ダメージを逃れる術などない……!


『――これはかなわぬ。まともに受けては、わらわとて無事ではすまぬな』


 ◆ログ◆

・《魔王イグニス》は『炎魔の両腕』を召喚した!


 辺りを煌々と照らし出すほどの輝きを放つユィシアのブレスが、瞬きのうちにイグニスを吹き飛ばした――かに見えた。


 ◆ログ◆

・『炎魔の右腕』に2530ダメージ! 『炎魔の右腕』は消滅した。

・『炎魔の左腕』に2470ダメージ! 『炎魔の左腕』は消滅した。


 イグニスの右と左の背後から、召喚された巨大な炎の腕――それらがイグニスをかばう。それでも止まることがないアルティメットレイは、空を射抜き、雲を蹴散らして飛んで行く――しかし。


『――皇竜よ、そちはまだ戦いを知り尽くしてはおらぬな。わらわに触れたくば、わらわを逃さぬよう、枷をつけねばならぬ。できるものならな』


「その余裕が命取りだ――イグニスッ!」

「っ……!?」


 ◆ログ◆

・あなたは『空中ジャンプ』と『絶影』を同時に発動した!


 ユィシアの攻撃が着弾する瞬間、俺は教会に向けて走り、飛んでいた――二つのスキルを組み合わせることで、俺は空中でも、『絶影』の速度で動くことができるようになっていた。


「――うぉぉぉぉっ!」


 ◆ログ◆

・あなたは『神威』を発動した!

・武器に『滅属性』が付与された! 攻撃力が120%上昇した!


(――まだだっ!)


 ◆ログ◆

・あなたは『ダブル魔法剣』を放った!

・あなたは『スプラッシュフラッド』を武器にエンチャントした!

・あなたは『ヴォルテックス』を武器にエンチャントした!


 煉獄の範囲に侵入する前に、斧槍に水と風の力を纏わせる――煉獄の熱量を相殺し、ダメージを軽減する。それだけではなく、火属性のイグニスに有効であるという目算もあった。


 神威の威力を最大効率で叩きこむため、最後の空中ジャンプを踏み込みの代わりに使う。


 ――間近で見るイグニスは、やはり角さえなければ、美しい少女と言っていい姿をしていた。悪戯な笑顔を浮かべ、俺が迫ってきたことに感激でもするかのように、大きな瞳を見開いている。


 その唇が何かを言うように言葉を紡ぐ。俺は迷わず、斧槍を振るう――一撃で殺してしまうことはない、俺には『手加減』があるのだから。


(どうせそんなに甘くないんだろう、イグニスおまえもっ……!)


 山崩しは、斧槍を下段に構え、逆袈裟に切り上げる技――地上から飛び上がった俺には、最も繰り出しやすい構えだった。

 あとは斧を振りぬけば、技が発動する――しかし。


『恐ろしい人間も居たものよな。久しぶりじゃ、このような思いを味わうのは』


 聞こえないはずの声が聞こえ、蜃気楼のようにイグニスの姿が歪み、薄れ始める。


 ◆ログ◆

・《イグニス》は『陽炎の舞』を発動させた!

・《イグニス》は煉獄の炎と一体化を始めた。


 ――やはり、そう来るか。

 リリムが持っていたものと同じ、自らの属性に応じた領域。『煉獄』もまたその一つならば、リリムと同じように利用してくる――その可能性があると思っていた。


 だが、二度も同じ手は食わない。魔王の持つ領域への対抗策は、聖なる武器――そして、その使い手……!


「――アンナマリーさんっ!」

「うん……ヒロト君、後のことは頼むよ……っ!」


 そう――俺は絶影を使って飛ぶ前に、アンナマリーさんを背負っていたのだ。


 リリムと同じならば、イグニスが煉獄の炎と一体化したあと、聖槍で封印することができるはずだ……!


『――賢しきことよ……っ、使い手としての気配の弱さを利用し、隠れていたか……っ!』


「ボクはまだ弱い……それは良くわかってる。でも、役割は果たしてみせる……!」


『できるものならやってみるがいい……っ、お主の槍など、もはや当たらぬ!』


 もうイグニスがどこにいるのかも分からない。『煉獄』の範囲内で、不規則に立ち上がる火柱――炎に化身したイグニスはそのいずれかに紛れている。


(ごめんね、ヒロト君。今は、後ろは向かないで……決して……)


「うぐっ……うぅ……魔眼よ……今封印より解き放たれ、その力を示せ……!」


 ◆ログ◆

・《アンナマリー》は『予知の魔眼』の封印を解いた!

・《魔王イグニス》の出現位置を先読みした。


(そうか……アンナマリーさんは、イグニスに槍を当てるため、そのために……!)


 魔王と戦ったヒューリッドは、イグニスが『陽炎の舞』を発動させれば、攻撃を命中させることが困難だと知っていたのだろう。それを、アンナマリーさんに教えていた。


『――魔眼……人の身で魔の力を得てまで、我を穿つというかっ……!』


「そうだよ……ボクは聖槍にふさわしいものになりたかった。この槍についていくには、ボクにはどうしても魔眼が必要だった……ヒロト君っ!」


 俺はアンナマリーさんに導かれるままに、空中を駆けてイグニスの出現位置に先回りする――眼前に立ち上がる炎。逃げた先に現れた俺たちを見て、イグニスの笑みが凍りついた。


「――やぁぁぁぁっ!」


 ◆ログ◆

・《アンナマリー》の『聖槍リライヴ』の効果が発動! 周囲の時間が停滞した!


 アンナマリーさんの突き出した槍が、青い輝きを放つ――そして、俺とアンナマリーさん以外の時間の流れが極度に遅くなる。その効果を、イグニスも逃れることはできなかった。


「――今だよ、ヒロト君! お願い、魔王をっ……!」

「ああ……これで終わりだっ!」


『当たらぬ……わらわには決して……そのような斧などっ……!』


 ◆ログ◆

・あなたは《山崩し》を放った!


 ――他の炎に移る間もなく、イグニスに俺の技が入った。


 滅属性を纏った俺の斧槍を、半実体化したイグニスが、扇で受け止める――『鳳凰の扇』から溢れだす炎が押し返そうとするが、驚異的な耐久度で扇は壊れずに俺の槍を受け止めながらも、確実にイグニスは後ろに押されていく。


「ぐぅっ……うぅ……滅びの力……こんなものを、人の子が扱うなど……っ」

「人の限界なら、もう超えたんだ……お前たちと戦って、倒すために……!」


 せめぎ合う力――イグニスは最後まで諦めず、俺の技を細い両腕で支えた扇で受け止め続ける。


「負ける……訳には……嫌じゃ……わらわは終わりとうないっ……!」


 ――しかし、限界が訪れる。歯を食いしばっていたイグニスが、耐えかねたように首を振った――そして。


「――くぅぅぅぅっ……!」


 ◆ログ◆

・《魔王イグニス》に1284ダメージ!

・《魔王イグニス》の『緋色の薄衣』が破損した!


 俺の技を受け止め、その威力を10%近くまで減衰させたというのに、なお『鳳凰の扇』は破損しない――いや、その『鳳凰』の名の通り、常に再生を続けているのだ。


 しかし『緋色の薄衣』はぼろぼろに破れ、体の一部分だけを覆うのみとなっている。

 イグニスは気を失ったかのように微動だにしない――いや。

 彼女はもう、戦いを続けられる状態にはなかった。その意識はもう、途切れていたのだ。


 ◆ログ◆

・《魔王イグニス》は昏倒した。

・『特殊地形:煉獄』が解除された。


 イグニスを中心に広がっていた炎熱が消失する――そして。

 燃え上がるように赤く染まっていた空が、本来の青さを取り戻していく。



 ◆ログ◆

・あなたのパーティは戦闘に勝利した!


 ――そのログが表示されたとき、俺は本当に、戦いが終わったという事実を信じることができた。


「……まさか……ヒロト君、一撃で……?」


 アンナマリーさんが驚愕している。俺だって驚いている――しかし。

 魔王にも、強さに序列があるのかもしれない。幼い姿をしたイグニスは、見た目通りの年齢ではないにしても、本当に年少なのだとしたら。


 ずっとレベルアップログが流れ続けている――戦闘に参加した俺の仲間たち、そして騎士団の面々も、大きく成長している。当たり前だ、集団でなければ倒せない格上の悪魔と戦ったのだから。


 俺は浮遊しているイグニスを抱きとめ、空中ジャンプを何度か使って減速しながら、地上に降りた。


 ◆ログ◆

・『魔剣カラミティ』は魂の力を使い果たした。


 ――そして、カラミティはイグニスをこの世界に引き入れるだけで、すでにハインツの魂によって得た力を使い果たしていた。


 ゆっくりと降りてきて浮かんでいる剣。それを、剣マスタリーを持たず、魔剣を持っても呪われることのないアンナマリーさんが手にする。


「……ヒロト君。この剣のことは、キミの指示に従うよ。これはキミのものだから」

「ああ……ありがとう。でもそれは、俺の父さんが護ってきたものなんだ」


 魔剣を今後どう扱うか、それは俺の一存では決められない。もし叶うのなら、俺は聖剣の選定者を探したいと思ってはいるが。


 戦いを見守ってくれていたみんなが駆け寄ってくる。しかし、ぼろぼろになったイグニスを抱いている俺を見て、誰も言葉がないようだった。


「……ひ、ヒロト……その少女が、魔王なのか?」

「一撃で終わったように見えましたけれど……ま、まさか、物凄くいいところにクリティカルしたんですの?」

「驚いた……いや、対策さえできていれば、ありえない話ではないのか……」


 俺がアンナマリーさんと一緒に飛んでいなければ、彼女が魔眼を持っていなければ、俺の技がイグニスの守りを破れなかったら――こんな決着はありえなかった。


 ――しかし、これで全てが終わった。

 俺たちはあろうことか、魔王を二体同時に倒し、捕らえてしまったのだ――町の被害は少なくないが、これ以上の戦果はないだろう。


(……騎士たちの援護も終わった。悪魔は全て消滅した)


(ありがとう、ユィシア。人間の姿に戻って、こっちに戻ってきてくれるか)


(わかった。驚かれないように、頃合いを見て姿を見せる)


 父さんの前にドラゴンの姿で舞い降りて――というのも、俺に忠義を尽くしてくれる彼女への誠意だと思う。しかし、父さんをあまり驚かせすぎるのも良くない。


 ただでさえ、上空までアンナマリーさんを背負って飛び上がり、一撃で魔王を仕留めて戻ってきた俺を見て、父さんは何と言っていいのかという顔をしている。


「……俺の息子は、どうやら大物どころか、英雄だったらしい。父さん、町のみんなに自慢してもいいか?」

「い、いや……あんまり有名になると、表を歩きにくくなるし……」

「ヒロト様がそうおっしゃるのならば……けれど、魔王を倒したということは、ヒロト様は……私と……」


 そうだ――俺は魔王を倒して、副王となる資格を得た。そして、ルシエと結婚することができる。


 だが、ルシエは本来まだ12歳なのだ。結婚できる年齢は15歳だから、それまでに、けじめをつけるための猶予がある。


 今こうしてここにいる女性みんな、切っても切り離せない関係だ。そして俺は、みんなと約束をした――誰かひとりを選んで、他のみんなから離れていくことはないと。


 目を潤ませ、頬を朱に染めているルシエはとても愛らしい。大人の姿でも、元の彼女の仕草が端々に残っている。


 ルシオラさんは、これからどうするのか――そう思っただけで伝わったようで、返事が戻ってきた。


(これで私も、役目を終えたということね。もう少し活躍できると良かったけれど……娘の背後に憑いて、見守っていることにするわ)


 背後霊――というより、守護霊という言い方をしたほうがいいだろうか。ルシオラさんが元の体に戻る方法も、早く見つけなければ。


 ◆ログ◆

・《ルシオラ》は『霊装』を解除した。

・《ルシエ》は元の状態に戻った。


「……っ」

「おっと、危ない。ルシエ……ルシオラさんはいなくなったわけじゃなくて、いつも見守っていてくれる。元の体に戻れるように、俺が方法を探すよ」

「……ありがとうございます……お兄様……」


 霊装を解除したことで一気に疲労が出たのだろうか。ルシオラさんも心配そうにしているが――ルシエのステータスを見る限り、問題ない。


「……終わったのだな、ヒロト。これで……」

「うん……ひとまずは。ミゼール、そしてジュネガンも、穏やかになるよ」

「っ……良かった……良かった、おまえが無事で……っ」


 フィリアネスさんは緊張の堰が切れたように、ぽろぽろと涙をこぼす。

 俺はよく彼女を泣かせてしまっている。けれど、これからはその全てを、幸せだから流れる涙に変えていきたい。


 ――しかし、その時だった。


 ずっと流れていた戦闘結果ログの最後に、思わず思考が止まるような数行が流れてくる。


 ◆ログ◆

・『恭順』の効果により、《リリム》《イグニス》の友好度が上昇した。

・『【対異性】魅了』が発動! 《イグニス》は『魅了』状態になった。


 ――恭順が発動し、そしてオンにしておいたままの魅了が、あっさりと入ってしまった。


「ん……んん……」


 俺の腕に抱かれていたイグニスが身じろぎをして、薄く目を開ける。

 そして俺のことを視界に捕らえるなり、彼女は気を失っても握ったままでいた扇で口元を隠しながら、まるで乙女のような仕草で言った。


「……こんな姿を見られては、わらわも覚悟を決めねばならぬな……お主、わらわの主人となれ。首輪をつけても構わぬぞ」

「なっ……な、何を……この少女が、魔王ではないのか……?」


 ――イグニスもまた、倒さなければならない魔王であったはずなのに。

 その二人を、俺は一日にして隷属化し、配下に従えることになった――そんなことをディアストラさんや陛下に報告しても信じてもらえるかどうか。


 俺の腕に抱かれたまま、イグニスは裸も同然の姿を恥じらいながら、控えめなふくらみを片手で隠しつつ、もう片方の手で俺の胸板を撫でる――父さんに助けを求めようとしたが、なぜかあさっての方向を向いて口笛を吹いており、全く頼りにならなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ