第七十一話 赤き魔王の領域/白い少女の記憶
シスカとナヴァロ――ミルテの両親は、俺たちの言葉にまだ耳を貸してくれそうにない。
魅了を使うことも考えたが、こんな表示が出てしまっては、リリムを倒す以外には無くなってしまう。
◆ログ◆
・あなたは『魅了』をアクティブにした。
・『魅了』が発動! 《シスカ》は『妖精のピアス』の効果で無効化した。
・《ナヴァロ》はすでに《魔王リリム》に魅了されている。
・《ナヴァロ》の魅了状態を上書きすることができなかった。
(上書きできない……リリムは男性に対して、俺より上位の魅了を使うってことだ)
そして、メイヴの時に見たステータス通りに、リリムはおそらく対同性の魅了能力を持たない。別の方法でシスカを従えているということだ。
――単純に考えれば、ナヴァロを人質に取られている。それ以外でも、魔王ならば人心を操ることくらいは造作でもないだろう。
「ヒロト……貴方に楽をさせてあげるつもりはないわ。せいぜい苦しんで、悩んで、自分の理想とやらを貫き通してみればいい」
「……とことん性格が悪いな。最悪と言っていい」
「殺されかけたのだもの、それくらいは思って当然よ。甘さなんて欠片も必要ない。もっと私を憎みなさい」
「憎んではいるよ。だが、俺の甘さを自覚させてくれたことには、感謝もしてる。ありがとうと言ってやってもいい」
「……何か勘違いしているようだけど。あなたに傷つけられたいというのは、ただで殺されてあげるというわけではないわ。あなたが生きていられたらの話よ」
リリムの杖が、赤く輝き始める――そして。
暗い赤色だったリリムの瞳が、血の色に染まる。
ぞわ、と全身に鳥肌が立つ。その行動を完遂させてはならない――!
「ウェンディ、下がれっ! ここは俺がやる!」
「は、はいっ!」
ウェンディが技の範囲から出たところで、俺は叫ぶ――これまでも繰り返してきた、戦いの儀式のような行為。
◆ログ◆
・あなたは「ウォークライ」を発動させた!
・パーティの闘志が昂揚する! あなたの攻撃力が一時的に上昇した!
「我が手に宿る力は、神にも届く――『神威』!」
リリムの赤い魔力が魔法陣を織り成し、完成に向かう前に、俺は前に出て切り込んだ。三人全員を範囲に巻き込み、『手加減』をかけ、『山崩し』を繰り出す――!
◆ログ◆
・武器に『滅属性』が付与された! 攻撃力が120%上昇した!
・あなたは『山崩し』を放った!
シスカとナヴァロが身構える――しかしもう俺の技からは逃れられない。斧使いが地形を変える技を繰り出すことなど、想像できる者は少ないだろう。
――しかし、リリムは俺を見て微笑んでいた。その歪んだ口元に、俺は一度目の戦いを思い返す。
(あの時とは違う……俺はリリムと戦える!)
「――喰らえっ!」
振りぬいた斧から、滅びの力が放たれる。
リリムはその前に、ただ杖をかざす――魔法陣の展開を止めることなく。
――あなたの攻撃は、私にはまだ届かない。
◆ログ◆
・《リリム》の『永久の闇』が発動した!
・《リリム》のダメージを無効化した。
・《シスカ》のダメージを無効化した。
・《ナヴァロ》のダメージを無効化した。
・『永久の闇』の耐久度が22834減少した!
(なっ……!?)
リリムたちの前に展開された壁のようなもの――それは、まさに結界だった。
リリムたちの前方に発生したそれは、俺の放った技のエネルギーを受け止め、壮絶なせめぎあいの果てに、全て霧散させてしまう。
山崩しが通じなければ、技のレベルをもう一つ上げるしかない。しかし、全く効果が無かったわけではない。
三人に与えた神威のダメージ――合計で22834。この分が、『永久の闇』の耐久度を削った。すなわち、ダメージを与え続ければいつか壊れるということだ。
「――人間の力ではない。けれど私もまた、人の領域からは離れている。それだけの話よ……そうでしょう?」
リリムの身体を包んでいた真紅の魔力――それが、空中に魔法陣を描き始める。恐ろしいほど緻密に描かれたその陣が、完成に向かおうとする。
もう一度神威、そして山崩しを発動することはできない――どうしても、このレベルの技のクールタイムをゼロにすることはできなかった。
リリムが何をしようとしているのか。割り込みをかけるために技を繰り出すよりも、魔法陣の展開は速かった。
(俺たちにとって最悪の展開は何だ……それを避けなければ……!)
◆ログ◆
・あなたは『号令』をかけた! パーティに命令が伝わった。
「アンナマリーさん、先に教会まで行ってくれ! リリムは俺たちを足止めする気なんだっ!」
「っ……分かった! 先に行くよ、ヒロト君っ!」
「――させるわけがないでしょう? そう簡単に」
◆ログ◆
・《シスカ》は『絶影』を発動した!
・《シスカ》の攻撃! 《アンナマリー》は武器で防いだ。
「くぅっ……!」
「……行かせられない。ごめんなさい」
――シスカが、謝った。感情などなく、リリムの命令を聞くだけに見えた彼女が。
その瞬間、アンナマリーさんも俺も、判断が遅れる。
それすらもリリムの術中の内だと気づいた時には、遅かった――生成された魔法陣が完成し、リリムの膨大な魔力が注がれ、その力を発動させる。
◆ログ◆
・《魔王リリム》は『血の領域』を展開した!
・《魔王リリム》と配下の能力が強化された。
・あなたのパーティは徐々にマナを失い始めた。
空中に現れた魔法陣が光を放ち、視界が赤く染まり始める――リリムを中心に広がった、血のように赤い半球状の領域。その中に、俺たちは取り込まれていた。
マナを回復する装備をしていれば、減少量はそこまで致命的ではない――しかしこの人数から吸い続ければ、リリムは膨大なマナを使って戦い続けられるということになる。
しかしリリムは、笑ってはいない。全てが自分の思い通りになったわけではないからだ。
「ウェンディ、名無しさん、セーラさん! 頼む、父さんを助けてくれ!」
「っ……了解であります!」
「ヒロト君、みんな、無事でまた会おうっ!」
『号令』で教会の地下に行くように経路を伝える――俺の家の地下道。三人は間一髪で『血の領域』から逃れ、俺の家に駆け込んでいく。
「おふたりとも、こちらです!」
セーラさんが先導する――教会の司祭である彼女は、魔剣のありかについても知っている。おそらく父さんがいるだろう教会の地下に、最短経路で向かってくれるだろう。
足止めに徹するリリムたちを倒すには、相応の戦力が必要だ。フィリアネスさん、ミコトさんに頼むことも考えたが、それでは前衛が足りなくなる。聖槍を持つアンナマリーさんを行かせたかったが、思い通りにはいかなかった。
(まだ戻しは効く……しかしこの血の領域、どれくらいの強化効果があるんだ……)
「盤面は常に変化するもの。対応しきれなければ、そこで終わりよ」
「っ……!?」
それは悪夢のような光景だった――リリムの身体がどろりと溶けたのだ。
赤い血に変化して一瞬で地面に染み込み、姿を消す。
そして再び現れる場所を想像して、俺は叫んだ。
「――ルシエッ!」
リリムが創りだした領域は、球状――俺たちの上も覆っている。そう、ルシエの頭上も。
◆ログ◆
・《魔王リリム》の『流血の雨』!
ルシエの上から、血に変化したリリムが降り注ぐ――そんな未知の攻撃に、ルシエは即座に対応することなどできない。
――だがそれは、ルシエが『一人』であればの話だった。
「――『大地の盾』!」
◆ログ◆
・《ルシエ》は『大地の盾』を詠唱した!
・《魔王リリム》の『流血の雨』を防いだ。
(速い……地面から一瞬で土が盛り上がって、盾になった……!)
頭上からの攻撃だというのに、ルシエ――いや、ルシオラさんは伏せながら地面に付与魔術を使い、土を操って盾にした。ゴーレムを操るのと同じ要領だ。
『上に目がついていないと思って、侮らないでもらいたいわね……っ!』
盾が防いでいるうちに、ルシオラさんはリリムの追撃を読んで逃れる。血に変化したあと、リリムの姿に戻るのもまた一瞬――そしてシスカとナヴァロも動き始める。
「ルシエ殿下、こちらへっ!」
「――図に乗るな、槍に使われているだけの女が!」
◆ログ◆
・《魔王リリム》は『アビスグラビティ』を詠唱した!
・冥府の扉が開き、《アンナマリー》《ルシエ》の生気を奪おうとする!
「させてなるものかっ!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》は『破邪聖光陣』を放った!
・『アビスグラビティ』を相殺した!
・《魔王リリム》は破邪の光の効果を軽減した!
・《魔王リリム》に118のダメージ!
聖なる気を纏いながら、フィリアネスさんが発生しかけたアビスグラビティを封殺する。彼女もまた、魔王リリムと一度目に戦った時よりも、格段に強くなっている――リリムに与えるダメージが二倍に増えている。それも、リリムの魔術を封じながらだ。
リリムの白い顔に聖なる光が触れ、煙を放つ。それはすぐに収まったが、リリムの目は殺意を持ってフィリアネスさんに向けられた。
「本当に忌々しい女……ナヴァロッ!」
◆ログ◆
・《ナヴァロ》の『分身円月輪』!
ナヴァロの得意とする暗器、円月輪――それがフィリアネスさんの背に向けて投擲される。彼女は振り返るが、幻術によるものか、円月輪の姿が幾つにも分裂する。
「――はぁぁぁっ!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》の『ミラージュアタック』!
・《ナヴァロ》の攻撃を2回相殺した。
フィリアネスさんはナヴァロの攻撃全てに対応しきれていない――メッセージからそう判断した俺は反射的に動いていた。
◆ログ◆
・あなたは『絶影』を発動した!
・『混沌を握りし手』の特殊効果が発動! 攻撃回数が増加した!
「ヒロトッ……!」
フィリアネスさんとチャクラムの間に割り込み、俺は斧槍でチャクラムを弾き返す――手応えは二回。ナヴァロはダブルチャクラムどころか、四つ同時を繰り出していたということだ。
アンナマリーさんのおかげで『絶影』を覚えていなかったら、俺は全く仲間を守りきれていない。今の戦いには、この速度が当たり前に必要になる。
そして俺はすかさずリリムを狙う。フィリアネスさんはそれに気づいて、技の軌道から何も言わなくても飛び退いてくれる。
「ヒロト、頼んだぞっ!」
◆ログ◆
・『神威』が再度使えるようになりました。
(『永久の闇』の耐久力を削りきる――そうすればリリムにまともなダメージが入るようになる。貫き通すしかない……!)
「――我が手に宿る力は、神にも届く。『神威』!」
◆ログ◆
・あなたは『神威』を発動した!
・武器に『滅属性』が付与された! 攻撃力が120%上昇した!
・あなたは『山崩し』を放った!
初撃から勝負を決めに行く。『山崩し』で足りないなら、ボーナスでスキルをさらに解放するまでだ。
振りぬいた斧から、地形ごと破壊する滅びの波動が生まれる――地面を削りながら突き進み、一瞬でリリムを飲み込む。
◆ログ◆
・滅属性の追加ダメージが発生! 《魔王リリム》に2283ダメージ!
・『アースジャベリン』が発動! しかし《魔王リリム》は無効化した。
(なんて硬さだ……他の二人の五倍も防御力がある。道理で昔の俺が、歯が立たなかったわけだ……しかし……!)
「――っ……!」
魔王リリムの表情に緊張が生まれる。そして展開された黒い壁が、音もなく砕け散った。
◆ログ◆
・《魔王リリム》の『永久の闇』が発動した!
・《魔王リリム》のダメージを無効化した。
・『永久の闇』の耐久度がゼロになった。
(25000……他の二人のダメージを消していなければ、10回は耐えられた。リリムは、俺の技の威力を読み違えたのか……?)
それとも、リリムは本当に、配下の二人を守ろうとしたのか。
信じられない、しかし、可能性は否定できない。
あれほどの非道を働いた魔王に、情けをかける理由など、見つけてはならないのに。
「前の勇者は、私の防御を破ることもできはしなかった。ここまで届いたのはあなたが初めて……ふふっ……ふふふっ……あははははははっ……!」
「――戦いの中で笑うなっ! 魔王リリム、覚悟せよっ!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》は『ダブル魔法剣』を放った!
・《フィリアネス》は『スカイヴォルテック』を武器にエンチャントした!
・《フィリアネス》は『フローズンブロウ』を武器にエンチャントした!
・《フィリアネス》は『ゼロ・スラスト』を放った! 『天雷氷零閃』!
『永久の闇』が剥がれたリリムに、雷と氷のエネルギーを集束させたレイピアで、逃れられない速さの突きを入れる――。
そのときリリムは初めて、ただの回避を選んだ。身体をひねり、心臓をそらす。
細剣の先端が肌に突き立つ瞬間、リリムが微笑んだように思えた。それは嘲笑ではなく、まるで賞賛しているかのような、清々しいものだった。
◆ログ◆
・《魔王リリム》に465ダメージ!
・《魔王リリム》の身体が感電した! しかし『麻痺』状態を無効化した。
・《魔王リリム》の身体が凍結した! しかし『凍結』状態を無効化した。
「うっ……ぐ……」
初めてリリムに、明確なダメージが入る。3桁――決して多くはないダメージで、リリムはまるで人間のように表情を崩し、がくりと膝をついた。
フィリアネスさんも目を見開く。しかし彼女は、さらに細剣を引き抜いて追撃を繰り出した。
「――ここで終わらせる……私はそのためにここに来たのだ、リリムッ!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》は『破邪聖光陣』を放った!
・《魔王リリム》に684ダメージ!
・《フィリアネス》は『ミラージュアタック』を放った!
・《魔王リリム》に4回ヒット、512ダメージ!
・《魔王リリム》はたたらを踏んだ。
「あぁぁっ……あぁ……!」
ここまで容赦のないフィリアネスさんを、俺は見たことがなかった――しかしその一撃一撃が、彼女の澄み切った闘志を込めたものだった。
聖騎士とはどのような存在か、俺は改めて知る――聖なる気をまとい、魔を討つ者。彼女と一緒に戦えることを、改めて誇りに思う。
リリムは一歩、二歩と後ろに下がり、その場に膝を突く。フィリアネスさんは追撃の手を止め、細剣をリリムに向けて告げる。
「降伏しろ、魔王リリム」
「……ふふっ……ふふふっ。嫌よ。私はあなたが大嫌いだもの」
「――リリム様ッ! 貴様ァァァァ!」
そのときナヴァロが初めて吼える。リリムに魅了されてしまった彼には、リリムの身体をフィリアネスさんの細剣が貫き、苦痛に声を上げる姿は静視に耐えるものではなかったのだ。
◆ログ◆
・《ナヴァロ》の『暴走』!
・《ナヴァロ》の攻撃力が大幅に増加した!
・《ナヴァロ》は『狂戦士』状態になった。
今まで理性的に、遠距離から狙うスタイルを取っていたナヴァロが、マントの下の全身に潜ませていた暗器を表に出す。その全てを無差別に投擲すれば、全員――後衛のネリスさんとルシエにまで危険が及ぶ――!
しかしナヴァロが動く前に、ミコトさんが切り込んでいた。後ろから追おうとするシスカは、『絶影』を持っているアンナマリーさんが食い止める。
「――守るべきものを守らず、怒りに狂う。同じ戦闘狂でも、認めるわけにはいきませんわね……!」
◆ログ◆
・《ミコト》の攻撃! 『忍法風車』!
・《ナヴァロ》に七回攻撃し、三回ヒット! 384ダメージ!
・《ミコト》の『戦闘狂』が発動した!
二刀流の忍刀で回転しながら何度も斬りつける技、『忍法風車』。それをナヴァロはダガーナイフで受けるが、全て受けきれず、3つの斬撃が両腕と右足に走る。
「ぐぅぉっ……!」
「――あなたっ!」
シスカはやはり感情が残っている――今の一言で分かった。
ナヴァロが魅了されたために、シスカはリリムに従わざるを得なかったのだ。生まれたばかりの娘を、置き去りにすることになっても。
「ミコトさんっ!」
「分かっていますわ、ギルマス……親を失くすことの意味は、私にも……」
「――がぁぁぁぁっ!」
ナヴァロは吼える――リリムに忠誠を尽くすために。助けようとするシスカを、アンナマリーさんが槍技で押し返す。
『絶影』を使える者同士だが、『冥狼』に獣化したシスカの速さが少しだけ上回り、アンナマリーさんの虚を突いて、捨て身で横を駆け抜ける。
◆ログ◆
・《アンナマリー》は『瞬光閃』を放った!
・《シスカ》にかすり、174のダメージ! 《シスカ》は流血した。
「この人は殺させない……っ!」
「――やめなさいっ、その男は、あなたも巻き添えにしてっ……!」
シスカはナヴァロをかばおうとする――ミコトさんの制止を聞かずに。
だがナヴァロはそれにも構わず、持っている武器の全てを投げ放とうとしていた。魔力で推力を得て撃ちだされる暗器、それが『暗殺者』の必殺の武器なのだ。
◆ログ◆
・《ミコト》は『影分身』を発動した!
・《ナヴァロ》は『百器繚乱』を放とうとした!
ミコトさんが分身でシスカの裏に回りこみ、ナヴァロの技を止めようとする。
だが――その前に、ナヴァロの技は既にキャンセルされていた。
「――殺らせていただきますっ!」
◆ログ◆
・《スー》は『発勁』を使った!
・《ナヴァロ》の防御力を無視して打撃ダメージが貫通した! 584ダメージ!
・《ナヴァロ》は脳震盪を起こした。《ナヴァロ》は昏倒した。
「ごふッ……!」
血の領域が発動した瞬間から、スーさんがどうしていたか――絶対の好機を伺い、敵の数を減らすために、戦場から気配を消していた。それが執行者だったころの、彼女の戦い方だったのだろう。
発勁によって伝わったスーさんの気は、ナヴァロの内部に振動を与える――そして彼は、放とうとした武器を全てばら撒いて、前のめりに倒れこんだ。そして、ナヴァロを助けようとして、自らの守りを捨てたシスカもまた、ミコトさんに後ろを取られる。
「――覚悟ッ!」
◆ログ◆
・《ミコト》は「バックスタッブ」の発動条件を満たした! 攻撃力が倍加する!
・《ミコト》の攻撃! 『忍法朧霞』!
・影分身が《シスカ》に襲いかかる! 4回ヒットし、772のダメージ!
忍法朧霞――敵を霞に包み、影分身たちが同時に斬撃を浴びせる奥義。ミコトさんは攻撃回数を最大まで増やさず、シスカが死なないようにダメージを調節する。
「くぅっ……あぁぁっ……!」
◆ログ◆
・《シスカ》の獣化が解除された。
・《シスカ》は昏倒した。
通常なら4桁ダメージを叩き出す攻撃が、『血の領域』では威力を軽減される。それでも、既に手傷を負ったシスカを倒すには十分だった。
残るはリリム一人――膝をついたまま俯いていたリリムが、顔を上げる。
真っ白な髪をかきあげながら、リリムは俺たちを睥睨する。まるで、まだ自分が追い詰められていないとでも言うように。
「……男は肝心なときに役に立たない。シスカが二人いれば良かったのに」
「戯れ言を……リリム、お前はもう終わりだ。この人数を相手にして、どう戦うというのだ」
「ふふっ……ふふふっ……あなたを殺すことだけに執心すれば、封じられる前に命は取れるわ。こんなふうにね……!」
◆ログ◆
・《魔王リリム》の『血の領域』が胎動する……。
・《魔王リリム》は『流血の雨』を暴走させた!
「――もう人の形など留めていなくてもいい。全て血の海に沈めてやる」
女性的な口調が失われる時、リリムの目は魔に染まる――その底知れぬ悪意と共に、彼女の身体は血のように赤く染まり、指先から霧に変化して、血の領域と同化する。
――シスカ、ナヴァロ。お前たちの血液も私に供せよ。
「がっ……あぁぁぁっ……!」
「くぅっ……うぅ……!」
「――シスカ、ナヴァロッ!」
倒れて流血していた二人の血を、血の領域が吸い上げようとする。傷ついた配下まで糧にしようというのか。
空間そのものに、二人の血が吸われる。それを、どうすれば防げるというのか。
◆ログ◆
・《魔王リリム》は『吸血』した!
・エナジードレインが発生した! 《シスカ》《ナヴァロ》は生気を失った。
「――やめろぉぉぉぉっ!」
この空間を一刻も早く破壊する。だが、俺の最大の技も、ヒビを入れても壊すことまではできなかった。
血の領域を発動された時点で、俺たちに勝ちはなかったのか――ただ、負けを引き伸ばしただけなのか。そんなことは微塵も考えない。
(俺たちは鍵を掴んでる……ルシエ。そして、ネリスさん……!)
ネリスさんは出血していない。それは何を意味するのか。
彼女の服を切り裂いたのは、おそらくシスカだ。
――シスカには、ネリスさんの呼びかけが届いていたのだ。母を母と思う感情があるからこそ、深く爪で斬りつけることをしなかった。
「――ネリスさん! シスカさんには、貴女の声が届いてる! 二人は元に戻れるんだ!」
ずっと自失のまま立ち尽くしていたネリスさんが、俺を見た。リリムすら彼女は戦力外と見て、無視し続けていた――しかし。
ミゼールの賢者と言われた女性は、ずっと自失のままこの戦いを終えるほど弱くはなかった。
「……わしとしたことが、動揺で心を失っておった。精霊たちも笑っておるじゃろうな……しかしまだ、手遅れなどではない……っ!」
ネリスさんの目に光が戻る。彼女は詠唱する――俺がまだ聞いたことのなかった、彼女がおそらく秘奥としているだろう精霊魔術を。
「我が声に応え、万物に宿りし精霊の王よ、弱き者に御手を差し伸べたまえ――『天護精霊陣』!」
◆ログ◆
・《ネリス》は『天護精霊陣』を詠唱した!
・《シスカ》《ナヴァロ》を精霊の力が包み込んだ!
・《魔王リリム》のエナジードレインを無効化した。
シスカとナヴァロの身体の下に生じた光が、彼らを覆う――俺は確かに、そこに大いなる存在の気配を感じた。それが、精霊王――精霊魔術を修めた俺にも、感じ取ることができたのか。
ネリスさんは破れた帽子を脱ぐ。そうしてよく見えるようになった彼女の顔は、見とれるほどに美しく、晴れやかだった。
「娘にこれ以上手を出させてなるものか……至らぬ母親でも、わしはもう迷わぬ……!」
――それならお前から吸い尽くしてあげるわ。じっとしていなさい……!
次にリリムが狙いを定めたのは、ネリスさんだった。
血の領域のどこからネリスさんを襲うのか、予想などつくわけがない。
ここから抜け出さない限り、一人ずつ犠牲は増えていく。ネリスさんの魔術も、万能ではない。
――しかし、それは。
俺たちが、魔王リリムを倒すために、何の方策も持たなかったならの話だ。
赤い視界をつらぬくように、青白い光が生まれる。
その光の源は――ルシエが手にした、聖杖ハルモニアだった。
「っ……槍に、共鳴して……聖なる武器同士が、呼応してる……」
「はい……ともに、魔王たちを封じるときが来たのです。リリム……あなたは私を終始狙い続けるべきだったのに、そうしなかった。それは、この杖に触れられないからです」
リリムは答えない。その沈黙が、雄弁に答えを示していた。
杖に触れず、ルシエだけを狙う。それは決して不可能ではなかった――だが、リリムはそれを成すことはできなかった。
だからリリムは俺たちを殺すことを急いだ。
時間がかかっても、ルシエが聖杖の力を発現させてしまえば、それで戦いは終わりなのだから。
「聖杖ハルモニアよ。その聖なる輝きで、全ての穢れを浄化せよ……『聖なる領域』」
ルシエがかざした杖の放つ青白い光が、広がっていく。
視界を埋め尽くしていた赤色は、光に飲まれて消えていく…‥。
全て光で埋め尽くされたあと、視界がゆっくりと戻ってくる。
俺は今までとはまるで違う場所を俯瞰していた。
それは、何もない平原だった。
二人の少女が手を繋いで歩いている。
その手がやがて離れて、一人の少女が消える。
もう一人の少女が周囲を見回す。それでも広い平原の中で、もう一人はいつまでも見つからない。
どれだけ走り回っても、どこにもいない。転びながらも、彼女はひたすらに走り続ける。
やがて力尽きた少女は、その場に倒れ伏す。そして、ずっと泣き続ける。
何度日が昇り、沈むことを繰り返しても。
何もない平原に、何度季節が巡っても。
やがて泣き止んだあと、少女は立ち上がる。
その足取りは力強く、ただ、ひたすらに前に進んでいく。意地になってでもいるかのように。
しかし彼女の歩いたあとは、赤い血の色に変わって腐り落ちてゆく。
(……リリムは……姉を失ったあと、ずっと一人だった。退屈だったんじゃない、絶望していたんだ)
それはリリムの心象風景なのだろうか。
それとも、俺が見た、つかの間の幻に過ぎないのだろうか。
分からないが――一つ言えることは。
魔王リリムとの宿縁に、俺たちが今、一つの区切りをつけられたということだった。
※いつも本作をご覧いただきありがとうございます。
このたびは、この場を借りて大事な報告をさせていただければと思います。
本作の書籍第2巻の発売予定がファミ通文庫様のホームページに掲載されました。
書籍情報は以下となっております。
2016年7月30日(土)発売予定
「コミュ難の俺が、交渉スキルに全振りして転生した結果2」
著:朱月十話 イラスト:夜ノみつき
現在は書名のみとなっておりますが、公式での告知にあわせて
追って活動報告などでも情報をお伝えさせていただきます。
今後とも本作をよろしくお願いいたしますm(_ _)m




