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第六十五話 氷の棺

「お母様っ……!」

「なぜ……私たちは確かに、ルシオラ様と戦ったのに……これでは、まるで……」


「命を止めるために、付与魔術を利用したのよ。ただ死ぬだけでは、私は何の役にも立てずに終わってしまうから」


 一度は消えたルシオラの幻影が、再び俺たちの目の前に現れる。その目には、もう敵意はなかった。

 彼女は振り返り、目を閉じて眠っているかのような、自分の肉体を見やる。


「……魔杖カタストロフ。これを聖杖に変える力が私に受け継がれていたのなら、娘に辛い思いをさせずに済んだ……けれど私はルシエに、あるいはルシエの子供に託すしかなかった。私は、この杖に選ばれなかった。選ばれるものだと信じて、勇者と呼ばれた人たちと共に、魔王を倒すための旅に出たのよ」

「魔剣を残して消えたっていう、勇者ヒューリッドか」

「……そう……私と出会ったときには、既にそう名乗っていたわね」


 選定者であるアンナマリーさんを見出し、育てたという男。しかし魔剣を見つけても、やはりヒューリッドも選定者ではなく、扱うことができずに終わった。


 ――勇者として魔王を倒すことを目的としていたなら、それがどれだけの無念だったかは、想像するに余りある。ルシオラが初め自棄やけになっていたのも、そのためのように思えた。


「彼はたぶん、消えたのではなくて……大切なものを、守ろうとしたのよ。あんな出会い方でさえなければ、彼らはおそらく惹かれあって、結ばれていたかもしれない。見ていただけの私が、そんなことを言うのは無粋だけれど……運命というものは、確かにあるのよ。私がファーガスと出会ったように」

「……お母様のことを、お父様が言わなかったのは……どうしてなんですか……?」


 ルシオラは娘に目を向ける。ルシオラが娘をどう思っているのか、それはもうわかっている。

 決して憎んでなどいない。魔杖を渡そうとしなかったのは、ルシエを魔王と戦わせたくないからだ。


「……私はファーガス陛下の側室……けれど、正室よりも先に身ごもってしまった。あなたを産んだあと、私はマリクレール王妃に、私が王家を離れるかわりに、ルシエを王室に残して欲しいと頼んだの。私は勇者のパーティにいる以上は、いつか魔王と戦わなければならない。だから、もしルシエが女王になっても、その母として王妃の立場を害したりはしない……そう誓ったのよ」


 ルシエは母の言葉を、震えながら聞いていた。その痛ましい姿を見ていられなくなり、フィリアネスさんは後ろから抱きしめる。

 そしてフィリアネスさんは、おぼろげなルシオラの姿に向けて、毅然として語りかけた。


「……母であるよりも、魔王と戦うことを優先した。その想いは、武人として理解できる……まだ母となったことのない私には、あなたの決意を咎めることはできない。しかし、あまりにも悲しすぎる」

「魔王を倒さなければ、こんなことが悲劇のうちにも入らないくらい、この国に憎悪と怨嗟、そして絶望があふれてしまう。魔王と戦ってきたのは、いつでも歴史の影にいる者たちだった。何も知らない貴族たちは、自分たちの権益を広げることしか考えていない。一度魔界の扉が開けば、人間の国は簡単に滅びてしまうのに」

「魔界の……扉……魔界なんて、私たちは知りませんわ。そんな場所が、どこに……」


 ゲーム時代の情報を知り尽くしていると自負する俺、ミコトさん、名無しさんでも、未踏の領域――魔界。

 魔剣カラミティは、魔王イグニスが持っていたもの。魔の名を冠する武器は、魔界の扉を開く力を持つ――魔王が手にした場合には。


(そんなものが、ミゼールの教会地下に安置され続けた。父さんは魔剣を持って町を出ていこうとしていた……分かっていたんだ、魔剣が人間の住む場所の近くにあってはいけないことを)


 魔剣を聖剣に変えることさえできれば――その理想の答えにもまた、選定者という条件がつきまとう。

 勇者ヒューリッドたちも、得意とする武器と手に入れた魔武器が噛み合わずに終わった。しかし今は杖の選定者であるルシエがいて、槍を所持するアンナマリーさんもいる。

 人間が魔王を滅ぼすための準備は、整い始めている。そのために、ルシオラから魔杖を受け取らなければ。


「……でも、ルシエが10歳になるまで、世界は滅びなかった。それは顕現したイグニスを、彼女リリスが命を賭して押し戻したから……私たちの敵であったはずの魔王が、私たちに味方をした。けれどそれは、私たちにとっても大きすぎる損失だったのよ」


 ――心臓が、跳ねた。


 ルシオラの話が、そんなところに結びついてくるとは考えもしていなかった。

 しかし俺は気がついてしまう。ずっと何も言わずに話を聞いていたユィシアの頬に、涙が伝っていることを。


「……リリス。リリスが、イグニスを扉の向こうに押し戻した……ヒューリッドを庇って……」


 ユィシアが発した言葉の意味を、俺とルシオラ以外の誰も、すぐに理解することはできなかった。


「私の母は、中立の立場で、魔王と勇者の戦いを見ていた。魔王リリスは、イグニスと勇者たちの戦いに居合わせた……煉獄の女帝イグニスは、ヒューリッドを炎で焼き払おうとした。でも、リリスは……守って……」


 ユィシアは母親の記憶を引き継いでいる。そして、リオナが魔王として覚醒しかけたとき、リリスのことを思い出して涙を流した。


 リリスは勇者を守って命を落とした。その犠牲によって勇者たちは魔剣を手に入れ、イグニスを魔界の扉の向こうに押し戻した――。


 命を落としたリリスは、リオナとして転生した。しかしリリスの人格はどこにも無いように見える――彼女の中に眠っているのかもしれなくても、リオナはリオナで、彼女の中に宿っている魂は、陽菜のものだ。


「……ヒューリッドは、なぜ消えたんだ? そこまでして手に入れた魔剣を捨てて」

「ヒューリッドという呼び方は、もうやめにしましょう。それは彼が、冗談で口にしていた通名だもの」

「通名……それなら、本名は……」

「……あなたの名前を聞いたとき、もしかしたらと思ったわ。いいえ……あなたの姿を見た時から、感じていた。彼と同じ勇者の資質を、あなたは持っている。いいえ、それ以上の可能性を……」


 誰か他に勇者と呼ばれる者がいて、俺たちも同じように魔王と戦っている――そんな話では、初めからなかった。

 俺もまた、父さんと同じように、魔王と戦うことを宿命付けられて生まれてきた……この世界で。


「ヒューム・ジークリッド。それが勇者ヒューリッドと呼ばれた人の名前よ」


 喉がカラカラになって、声も出せなくなる。パーティの誰もが、ルシオラの明かした事実に言葉を無くしていた。

 初めに喘ぐように声を出したのは、名無しさんだった。


「……ジーク……リッド……」

「……ヒロトさんの一族の人間……こんなことが偶然であるわけがありませんわ……」

「ヒューム……ジークリッド家に、そのような人物の名は……」

「ジークリッド家は武門の家柄。強い者を養子にして、才能の伸びた者にジークリッドの名を与えた。ヒュームは天涯孤独の身の上だったけれど、ジークリッド家に拾われ、戦いの天分に開花した……けれど彼でさえ、あなたほどは強くなれなかったわ。これが偶然なのかしらね、少年……いえ、ヒロト・ジークリッド」


 ヒューリッド――いや、ヒュームは人間の限界を超えられなかった。魔王を倒す力は持ち得なかったということだ。


 父さんは、ヒュームのことを知っているのだろうか。父さんはジークリッド家の嫡子なのか、それとも――聞かなければならないことができた。


「……俺は、魔王を必ず倒す。ヒュームって人のことは知らないけど……その気持ちは理解できる」

「ルシオラ様、彼の父君は、リカルド・ジークリッドという人物なのですが……そのヒュームという人物との繋がりを、ご存知でいらっしゃいますか……?」


 フィリアネスさんが尋ねると、ルシオラは優しく微笑んだ。


「リカルド少年はジークリッド家の嫡男だから、養子のヒュームは兄弟のようなものかもしれないわね。けれど、どちらにも選ばれし者の血は流れていたのね……ジークリッド公は知ってか知らずか、彼らの宿命を見ぬいていたのよ」


 アンナマリーさんは、俺にも選定者の資質があると言った。

 しかしもう一つ、人間が女神の武器を手にするだけでなく、力を引き出すために必要な条件がある――『聖剣マスタリー』。その二つを揃えなければ、武器が本来の力を発揮しない。


 父さんの父親は、魔王と戦おうとして、素質を持つ子供を集めたのか――その中に勇者ヒューリッドがいて、父さんの子供の俺が、こうしてルシオラのところにやってきた。それを運命と言わずして、何と言うのだろう。


 ――それよりも、何よりも。


 女神は俺を魔王と戦う宿命に生まれさせ、陽菜を魔王の転生体にした。もはやそれは、ただの悪戯では済まされない――リリスと戦わなければいい、そう分かっていても、やはり女神を完全に信用することはできない。


(刻印スキルをくれたのは、女神の気まぐれだったのか……時折語りかけてくる時も、親しみを感じるのに。それでもやっぱり、彼女は何かを隠してるんだ)


 しかし、ルシオラさんの話を聞いて、女神の思惑が見え始めているとも感じる。

 魔王リリスはヒュームを守り、命を落とした。そしてリリスの力は今、リオナに宿っている。

 そしてヒュームは、手に入れた魔剣を放棄して姿を消した。

 彼がジークリッド家に縁のある人物であることを、俺は今初めて知った――父さんですら知らなかったか、教えてくれなかった事実だ。


「……あなたが何も聞いていなかったのなら、それも無理はないわ。ヒュームは少し、無謀なところがあったから、ジークリッド家を飛び出していたの」

「そうだったんですか。俺の父さんが話さなかったのも、ヒュームが魔王と戦ったことを知らなかったからかもしれません」

「ヒュームが知らせたがらなかったのよ。だから、当時の騎士団と私たちは連携できていなかった……でも、フィリアネスちゃんがここにいるということは、今は国を挙げて魔王と戦おうとしている。そう思っていいのね?」


 フィリアネスさんを『ちゃん』付けで呼ぶ人を初めて見た――フィリアネスさんは面識が無かったようだから、ルシオラさんが一方的に知っていたのだろう。

 不意に名前を呼ばれて動揺したのか、それともルシオラさんの姿を見た時から、思うところがあったのか――フィリアネスさんの瞳から、涙がこぼれた。


「……申し訳ありません、ルシオラ様。私はルシエの母君がいないことを、もう生きていらっしゃらないものだとばかり……」

「そうでしょうね。私は魔王と戦うとき、自分は死んだものと思うようにと、ルシエの乳母にも申し付けておいたから……ファーガスも、私のことなんて忘れていたでしょ?」


 ルシオラが寂しそうに微笑む。俺はその誤解を正さなければならないと思った。


「陛下は、この古城で魔杖を守ってる人がいるって言ってました。それが自分の奥さんだと言わなかったのは、何故かわかりませんが……あなたが生きてることを、まったく疑っていなかったんです」

「……そんな……だって、あの人は……西王家の血を引く子を持てれば、それでいいって言っていたのに……私のことなんて、愛していなかったはずなのに……」

「いいえ……決してそんなことはありません。父上は、私が王族として認められる祝祭の前に、私に教えてくれました。今度のお母様の誕生日を、お母様がいなくても、一緒に祝おうって……」


 ルシエが声を震わせながら言う。ルシオラはそれを聞いて愕然としていた。

 ――その幻影の双眸から、涙が流れることはない。しかし彼女は、確かに泣いていた。


「……魔王との戦いの結果にかかわらず、私の命はもうすぐ尽きる。そう言ったはずなのにね……」


 噛みしめるように言うと、ルシオラはしばらく胸に手を当てて沈黙する。

 そして顔を上げると、彼女は穏やかに微笑んでいた。その顔は、何か吹っ切れたというようにも見える。


「……ヒロト君。ゴーレムと戦うあなたを見て、十分に見せてもらったわ。あなたはルシエが杖を使えるから、それだけでここに連れてきたわけじゃない。私の我がままを、これ以上続けるわけにはいかないわね……ごめんなさい、意地を張ってしまって」

「あ……すみません、こちらこそ、生意気なこと言って……ルシオラさんは、俺たちにとっては魔王と戦ったパーティって意味では、ずっと先を行ってた人たちなのに」

「いいえ……私たちは、人間でも魔王を倒せるという可能性を信じたかっただけ。私は魔王を倒すこともできず、リリスの犠牲があって生き延びただけなのよ。勇者のパーティが、魔王に助けられるなんて……あまりにも、不甲斐ないでしょう」


 ルシオラは後ろの、氷の巨人を振り返る。

 クローディアが形態模写した姿によく似た、若い人間の女性が、その白い上半身を晒したままで巨人の胸部に取り込まれている。まるで生きているように生気を保っているが――やはりこの状態では、素直に生きているとは言いがたい。


「こうして氷漬けにすることで、仮死状態を保っているけれど。本当は、ずっと前に……」


 ――死んでいる。そう言う前に、ルシエが母のもとへと走りだしていた。


「いや……お母様、せっかく会えたのに……そんなこと、おっしゃらないで……っ!」

「……ごめんなさい、ルシエ。こうして触れることもしてあげられないで、駄目な母親だったわね……」


 触れられない幻でも、ルシエは確かに母親に抱きついていた。胸に縋り付く娘の背中に手を回し、髪を撫でる――その姿を見ていると、胸が痛む。


 同時に、ここにルシエを連れてきてよかったと思う。ルシオラさんがどんな思いで娘のそばを離れたのか、その辛さと同じくらい、ルシエは寂しさを味わったはずだから。


 そして俺は思い至る――彼女の氷に囚われている身体が、今どんな状態にあるのか。


(一度ライフがゼロになり、仮死状態になった母さんは、エリクシールの力で復活した。身体がそのままの状態で保たれているなら、救える可能性がある……!)



 ◆ステータス◆


名前 ルシオラ・ジュネガン

人間 女性 20歳 レベル70


ジョブ:エンチャンター

ライフ:0/580

マナ :859/1224


スキル:

 付与魔術 100

 杖マスタリー 52

 軽装備マスタリー 56

 魔術素養 100

 恵体 45

 王統 53

 気品 76

 母性 72

 料理 8

 手芸 12


アクション:

 生命付与レベル10(付与魔術100)

 属性付与(付与魔術50)

 チャージマジック(付与魔術80)

 霊装(付与魔術100)

 魔晶解放レベル1(杖マスタリー50)

 多重詠唱(魔術素養100)

 臣従(王統40)

 盟約(王統50)

 手縫い(手芸10)

 授乳(母性20)

 子守唄(母性30)

 搾乳(母性40)

 説得(母性60)


パッシブ:

 カリスマ(王統10)

 命令(王統30)

 杖装備(杖マスタリー10)

 軽装備(軽装備マスタリー10)

 軽装備効果上昇(軽装備マスタリー50)

 貴族装備(王統20)

 魔術効果上昇(杖マスタリー20)

 マジックブースト(魔術素養30)

 マナー(気品10)

 儀礼(気品30)

 風格(気品50)

 威風(気品70)

 育成(母性10)

 慈母(母性50)

 子宝(母性70)


・仮死状態になっている。

・装備効果により、マナが自動的に回復する。



(レベル70……ついにカンストしてる人物に出会ったな。これが勇者パーティの付与術師……)


 病に侵され、これ以上旅を続けることができなくなったルシオラは、アイスゴーレムに自らの身体を取り込ませることで仮死状態となった。そんなことが可能なのかと思うところだが、高位の付与術師であれば可能になるからこそ、彼女はライフがゼロのまま、幻影術を行使することができているのだろう。


 いや、幻影術らしきものがスキル欄にない。つまり、ルシオラの意識を分離し、幻影として生じさせているのは、別のスキルということになる。


 そう――おそらくは、『霊装』。俺はそのスキルに、ある一つの可能性を見出していた。


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