第六十三話 人形の城/最後の試練
リンダとカレンが鎧を装備し直すのを手伝ったあと、テントに戻ってくると、起きてきたみんなが湖に出現した古城を見ていた。
フィリアネスさんはすでに装備を整えており、サークレット以外は身につけていた。俺に気づくと、こちらに駆け寄ってくる。
「ヒロト、もう起きていたのか。古城が現れたから、調査でもしていたのか?」
空中ジャンプを得られるまではと、リンダとカレンと交互だったり、同時だったりで採乳にいそしんでいたというのは、さすがにしれっと言えることではない。ましてフィリアネスさんは、俺が攻略のことを考え、まじめに行動していたと思っているのだ。
「え、えーと……その、リンダとカレンと話をしてたんだ。彼女たちの飛び方から、何か学べることはないかと思って」
「そ、それは……さすがに、羽根のある魔物と同じように飛ぶことはできないのではないか?」
「魔力の制御の仕方次第で、空中で跳躍することができるようになるはずなんだ。今、ちょっと試しにやってみようか」
驚くフィリアネスさんを前に、俺はスキルの発動準備をする。空中ジャンプ、どんな感覚なんだろう。
「よし……行くぞっ!」
まず垂直にジャンプし、最高点に到達するあたりですかさずスキルを発動する――すると。
◆ログ◆
・あなたは『空中ジャンプ』を発動させた!
スキルを発動すると、足の下に魔力が集まるのが分かる――まるで、足元に浮遊する足場が生まれたかのようだ。
「――っ!」
それを踏みしめるようにすると、弾力がある踏みごたえがあって、反動でさらに跳躍できた。
高度は約二倍――さらに連続でスキルを発動させることもできる。これなら、慣れればマナが続く限り空中移動を続けられそうだ。
一度の空中ジャンプでもかなりの高さが出るので、着地する寸前で再びスキルを発動する。これならどんな高さから飛び降りても勢いを殺せるだろう。
「こんな感じかな……フィ、フィリアネスさん?」
フィリアネスさんは目を丸くしている。しかし驚きすぎて引いているとかではなくて、何かこそばゆくなるような、そんな目をしていた。
「す、すごいとしか言いようがないのだが……おまえは本当に器用なのだな。見せてもらっただけで、なかなかできることではないぞ? 私も魔術は使えるが、どう制御してもそんなふうに飛べる気がしない」
風の精霊魔術では姿勢の制御くらいはできても、空中ジャンプの挙動を再現するのは至難の業だろう。俺もそれができないからこそ、空中移動を可能にするスキルを探していたわけだから。
そして俺は『刻印』スキルを鍛えてないので、自分のスキルを他人に渡せるのは一個が限界だ。あまりに便利すぎるので、無限にスキルを渡せるということはないが、2個くらいは可能になりそうな気もする。
(しかし、鍛えるにもキスしまくらないといけないのか……それこそ、スキル上げできる相手が限られるな)
フィリアネスさんならスキル上げに協力してくれるだろうか。そう思って見つめると、彼女は恥じらって顔を赤らめた。
「ヒロト……皆も向こうにいるのだから、今は自重しなくてはならないのだぞ? わかっているか……?」
「い、いや……変なことを考えてるわけじゃないよ」
フィリアネスさんにつけた印を消してしまったら、もう一度つけても、『授印』で渡したスキルがリセットされてしまう可能性がある。そうすると、スキル上げが可能なのは、まだスキルをあげていない相手ということになるが――。
(あ、あまり深く考えないほうがいいな……有用なスキルだが、スキル上げをする光景が、あまりにも……)
――なんてことを考えていたら、フィリアネスさんがみんなの方を窺って、見られていないことを確かめてから、俺との距離を詰めてきた。
「んっ……」
そして俺の頬にキスして、離れていく。不意を突かれて反応できずにいる俺を見て、フィリアネスさんは嬉しそうに笑った。
「おまえがあまり見るから、したくなったのだ。目的を達するまで、以後は自重しよう」
「え、えっと……ありがとう」
「ふふっ……感謝されるようなことではないのだがな。私とおまえの間のあいさつは、全てこれにしても良いくらいなのだぞ?」
「そ、それは嬉しいけど……その、あんまりされると、俺も男だから……」
「そうなのか……ヒロトは落ち着いているから、私がこんなことをしたくらいでは、鋼のように動じないとばかり思っていたのだが」
(動じまくりというか、もしここが俺の部屋だったら、理性を保てていた自信がないな……この女性は、自分の魅力をいつになったら分かってくれるんだ)
「……な、何を真顔になっている。冗談だというのが、わからないのか?」
「えっ……あっ、や、やっぱりそうだよな、フィリアネスさんはこういうこと、恥ずかしがるほうだもんな」
「あ、改めて言われるとますます恥ずかしくなるから、言わなくていい」
なるほど、フィリアネスさんは大人の女性として俺をリードしようと、落ち着いているそぶりをしていただけだというわけで。
「……だ、だから……じっと見るなと言っている。先に行っているからな、戻らないと皆が……きゃっ……!」
フィリアネスさんが後ろを向いた途端、普段聞かないような可愛らしい悲鳴を上げる。そこには、こちらを微笑ましそうに見ているパーティメンバーの姿があった。
「何か甘酸っぱいやりとりをしていたようですけれど……その雰囲気の作り方は、聖騎士さんからぜひ学ばせてほしいところですわね」
「ヒロト君、早朝からどこに行っているのかと思えば……やはり君は、攻略のこととなると情熱が違うね。あの天馬騎士たちから、得るものはあったかい?」
「ま、まあ、有用な技を教えてもらえたよ。さっき、フィリアネスさんにも見せたんだけど、空中で跳躍することができるようになった。ほら、こんな感じで」
◆ログ◆
・あなたは『空中ジャンプ』を発動させた!
「っ……ギルマスったら、またそんな素敵なスキルをひとりで……見せびらかさないでくださいませ、羨ましくなってしまいますわ」
「シノビなら、『忍術』の八艘飛びがあるから同じような機動はできるんじゃないかな」
「そ、それはそうですけれど……ギルマスの技とは全然使い勝手が違いますわ。かといって、もう一つ印を与えてもらうわけにもいきませんし……ああっ、悩ましいですわっ」
『最強』にこだわりのあるミコトさんは、空中ジャンプによほどの可能性を感じたようだ。俺も、さっそく今回の冒険で何かに使えそうな、そんな気がしている。
「皆さん、朝食の準備ができました。ルシエ様、お手伝いいただきありがとうございます」
「私こそ、手伝わせてくれてありがとうございます」
セーラさんとルシエ、そして居合わせたユィシアが、朝食の支度をしてくれたようだ。フィリアネスさんたちも、途中までは手伝っていたようだが。
「ヒロト、持ち込む食料にこだわっていたようだが、何か思うところがあるのか?」
「うん、食べるものによって調子も変わってくるからさ」
今回持ち込んだのは保存が効く燻製肉などだが、それはスターラビットの肉を加工したものだ。食事効果は今のステータスになると微々たる影響しかないとはいえ、重要な戦いの際は無視できない。
スターラビットは5%の行動速度上昇効果があり、堅焼きパンは防御力が2%上がるいにしえのクルミを入れて焼き上げている。どちらもミゼール近くの森で手に入るレアドロップだ。
安定してステータス上昇食材を供給してもらうには、それらの食材を一手に扱う商人と契約するか、自分で生産するということになるが――いつかはスターラビットの繁殖に挑戦してみたいものだ。
◆ログ◆
・あなたのパーティは食事を摂った。
・『スターラビットの燻製肉』の食事効果によって、パーティの行動速度が上昇した!
・『いにしえのくるみパン』の食事効果によって、パーティの防御力が上昇した!
◆◇◆
食事を終えて装備を整えたあと、俺たちは船に乗り込んで古城を目指した。リンダとカレンから聞き出したところによると、選定者がこの船で古城に向かわなければ、入り口が出現しないというのだ。
さらにこの湖一帯では、ユィシアの竜化が封じられている。もっと言うなら、俺の山崩しで城を吹き飛ばすなどということもできない――制限付きダンジョンというやつだ。
(こんな城を、人間が作れるものなのか……女神が作ったのなら、逆らえない制約が多いのも頷けるが……)
「こんなに綺麗な湖が、この国の中にあったなんて……はるか水底まで見えてしまいそうですね」
セーラさんは船のへりから顔を出し、湖を見て感嘆する。ルシエも同じようで、フィリアネスさんのとなりで恐る恐るといったようすで湖面を見ていた。
「すまないな、ヒロト。漕ぐのを任せてしまって……」
「いや、スイスイ進むからまったく苦にならないよ」
船の櫂が二本あるので、カヌーを漕ぐようにしてみたら、思ったよりも上手くいった。船漕ぎのスキルも欲しいところだが、そのうち船乗りと知り合ったときに取得すればいい。
「……飛行を封じられるというのは、初めてのこと。ご主人様も飛べるようになったのに……」
「それが、ある程度の高度以上には飛べないんだ。定められたルートを通らないといけないわけだな」
天馬騎兵とグリフォンも、俺やユィシアと同じく古城まで飛ぶことはできないとのことだった。今は湖岸で待機して、俺たちの船を見送ってくれている。
「空を飛べたら、最初から古城の最上階に着陸するなんてことも考えられますものね」
「それでは城の意味がなくなってしまうから、いろいろと制約をつけているのだろうね。城に近づくにつれて霧が濃くなってきた……もう城の下半分しか見えない。外から構造を知られないように、魔術で細工をしているということか」
名無しさんの言うとおり、船を漕ぎ始めてしばらくすると、古城の周囲に霧がかかり始めた。
古城は湖の中にある島の上に建っている。このまま近づいても、古城の土台は垂直に近い絶壁になっていて、そこを登った先にも門は見当たらない。しかし向かって右側に船を進ませてみると、クエストの進行を示すログが流れた。
◆ログ◆
・あなたのパーティには選定者が含まれている。
・導きの船を迎える、古城の船着場が姿を現した。
「あちら側からなら接岸できそうですわね。門まで登れるように、階段も作られていますわ」
「……こちら側に移動した途端に、入り口が出現したように見えたが……姿すらなかった城に入ろうとしているのだから、今さら驚くことではないのか」
フィリアネスさんはこういった仕掛けのある迷宮は初めてなので、少し緊張しているようだ。こんな時こそ、みんなを安心させるのが俺の役目だろう。
「俺とミコトさんが進む先の安全を確かめるから、大丈夫だ。みんなはあとからついてきてくれ」
「私とユィシア殿は、後衛の三人を守れば良いのだな」
「ただのユィシアでいい。私も、フィリアネスと呼ぶ」
「そうか……では、ユィシア。今回の戦いにおいては、場合によっては連携も考えてもらえるだろうか?」
「場合による。必要があればそうするし、なければ個々で戦う」
「それで十分だ。ありがとう、ユィシア」
ユィシアはかすかに微笑んで頷く。彼女が人間らしい表情を見せてくれると、俺はそのたびに嬉しくて仕方がなくなる――だが、浮かれている場合ではない。
船を埠頭に接岸し、鎖でつないでおく。仲間たちはそれぞれ自分で船から埠頭に飛び移ったが、ルシエだけは身体が小さく、一人で跳ぶのは難しかった。
「ルシエ、ちょっといいか? よっ……!」
「きゃぁんっ……!」
ルシエを抱え上げて一緒に岸に飛び移る。彼女はとっさに俺に抱きついて、発育途上のふくらみが――と、そればかり気にしていてはいけない。
「……ルシエ、着いたぞ? もう離しても大丈夫だ」
「……あっ……は、はい……ぽーっとしてしまってごめんなさい、お兄様……」
ルシエはつぶらな瞳を潤ませて謝ると、俺の首に回していた手を離す。そして俺は気がつく――この姿勢は、考えてみたら例のあれなのではないかと。
「これが本物のお姫様抱っこというやつだね……小生も、一度は経験してみたいな」
「あっ……そ、そうか。ごめんルシエ、俺、考えなしに……」
「い、いえっ……お兄様は悪くありません。私が、いつまでも跳べなかったので、それで……」
「そうか、それなら良かった。こんな運び方したら、恥ずかしかったかなと思ってさ」
ルシエを降ろしてやると、彼女は顔を真っ赤にしてはにかむ。何というか、もはや完全に妹が一人増えてしまったかのような、そんな感覚だ。
「さて……ここから気が抜けないな。ミコトさん、先行するぞ」
「ええ。名無しさん、念のために『罠感知』をかけておいてくださいませ」
「了解。『罠感知』」
法術は何度も世界中の法術士によって詠唱が繰り返された結果、魔法を発動するための手続きが世界の理として刻み込まれ、体得することができれば術の名称だけでも魔術が発動できる――というのがゲームでの設定だったが、やはり何度見ても不思議な光景だ。
精霊魔術は精霊に呼びかけて力を借りるというわかりやすさがあるが、法術の原理は俺の理解を超えている。といっても、名無しさんのおかげで、俺も法術を使う感覚は身体で覚えてはいるのだが。
「もうひとつ、生命感知もかけておこう。『生命感知』
◆ログ◆
・《名無し》は『罠感知』を詠唱した!
・パーティメンバーが罠を発見できる確率が上昇した。
・《名無し》は『生命感知』を詠唱した!
・生命体が近くにいるとき、反応を感じ取れるようになった。
気休め程度の補正ではあるが、消費マナが5と安いので、だいたいのパーティが迷宮に入るときは罠探知をかける。生命感知もセットで、法術士はパーティに一人は欲しい職業と言われていた――仮面がなかったら、おそらく名無しさんは色んなパーティの勧誘を受けていたことだろう。
「罠感知でも、罠からわかりやすい反応があれば助かるんだけどね。そう都合良くはいかないのが世界というものか」
「いきなりスケールが世界というのは、入り込みすぎですわよ名無しさん。では、参りますわ」
ミコトさんは軽やかに階段を上がっていく。俺も周囲に気を配りながら後に続く。石段に罠が仕掛けられているということもなく、俺たちは門までは難なくたどり着いた。
「どうやって門を開けるんだ……もしかしてこれ、持ち上げ式か?」
「ふふっ……ギルマスならそれもできるでしょうけれど。こういうときは、周囲を探索すれば……あ、ありましたわ。あの高い位置にあるスイッチを、何とかして押せということみたいですわね。投石もいいですけれど、肩車をすれば、ヒロトさんの斧槍を使って届きそうですわ」
「あえてそんな押し方をするのは……まあいいか。ミコトさんなら、俺の肩の上にでも立てるんじゃないか?」
「それについてはノーコメントですわ」
ミコトさんが楽しそうに言うので何も言えなくなり、俺はその場にかがみこんだ。するとミコトさんが乗ってきて、肩車の姿勢になる――鍛え上げられているのに、信じられないほどむっちりした太ももの感触に気をとられ、つい動きがぎこちなくなってしまう。
「あ……あまり振動を加えないでくださいませね。深くは申し上げませんけれど、この体勢は危険ですわ」
「俺にとっても心の平穏が保たれない……あ、そうだ。ミコトさん、考えてみたら俺の槍はミコトさんの力じゃ持てないと思うぞ」
「そ、それは盲点でしたわね……肩車をしてもらうことしか考えていませんでしたわ。でしたら仕込み傘を使いましょう、あれもかなり長く伸ばせますから」
◆ログ◆
・《ミコト》はインベントリーから『幽玄華』を取り出した。
(幽玄華……シノビの仕込み武器シリーズの中でも、スーパーユニークの一品か)
忍装備マスタリー100のミコトさんは、忍専用の装備を全て使いこなすことができる。この場においてはスイッチを押すためなどという用途だが、この幽玄華という仕込み傘も、武器として使えばかなりのスペックを持っているだろう。
「……大事な冒険なのに、遊んでいるようだと注意しないんですの?」
「これも攻略の一環だからな。投石でスイッチを押して進むのもいいけど、俺はこっちの方が好きだよ」
「っ……そ、そういうことを急に言わないでくださいませ。戦闘に動揺が響きそうですわ」
「まあ、空中ジャンプすれば普通に届くんだけどな」
「ふぅぅっ……そ、そういうことは、最後まで気が付かずに置いて欲しいですわ。私がただ、ヒロトさんに甘えているだけみたいではないですか」
ミコトさんが珍しく泣きそうな声を出すので、俺はそれ以上言わなかった。彼女だって、俺にいろいろしてほしいことがあって、その気持ちを自然に表に出せるときを探しているんだ。
◆ログ◆
・《ミコト》はスイッチを押した。
・『悠久の古城』の門が開いた!
ふつう門といえば、木と金属でできているものを想像するが、古城の門は白くなめらかな石でできていて、どうやってここまで運んだのか、どうやってこの大きさの石を切り出したのか、全く想像もつかなかった。やはり、人間が作ったものという感じはしない。
それともこの古城を作れるような、発達した技術を持つ者が存在しているのか。そんな人たちがいるなら、ぜひ話を聞いてみたいところだが――よくある、超古代の優れた文明を持ちながら滅んだ民というやつだったりして、この年代にはもう居ないというパターンかもしれない。
「そんな仕掛けが隠されていたのか……よく見つけられたな、ふたりとも」
「え、ええ、これくらいは当然ですわ。私も迷宮には慣れていますから」
ミコトさんは平静を装って俺の肩の上から降りる。涼しい顔をしているが、ほんのりと顔が赤らんでいた。名無しさんはそれを見て微笑みつつ、開いた扉の向こうを見やる。
「中は広い回廊になっているようだね。敵が潜んでいる可能性もあるから、慎重に進もう」
「敵といいますけれど、この城には魔杖を守る勇者がいるのでしょう?」
「あのグリフォンや水蛇たちと同じだよ、ミコトさん。魔杖を求める俺たちを、試してるんだ」
「……待ってください、皆さん。中から流れてくる、この気配は……」
「セーラさん……?」
セーラさんは何かに気づいたらしく、門の中に真剣な眼差しを送る。そして、両手を組み合わせて祈った。
「……女神よ、迷える魂に、光の道を指し示し給え」
「っ……セーラさん、それは……この城に、浮かばれないれ、霊がいるとか、そういうことですの……?」
ミコトさんは可哀想なくらいに青ざめて言う。俺もぞっとしない話だが、どうやらミコトさんは怖い話が苦手なようだ。
「まあ、不死者とは戦ったことがあるし、俺はそれほど怖くはないな」
「私も聖騎士として、不浄なる魂の浄化に望んだことがある。しかしいつまでも慣れるものでは……む? 名無し殿、身体が震えているようだが……」
「えっ……な、名無しさん。大丈夫か?」
「…………」
フィリアネスさんに言われて見やると、名無しさんの唇が震えている。そして、いつも使っているワンドを抱くようにしていた。
彼女は俺に話しかけられたことに気づくまでたっぷり5秒ほどかかり、ようやくビクッと身体を震わせた。
「い、いや、何でもない。すまない、少し考え事をしていて返事が遅れてしまった」
そういえば、と俺は前世でのことを思い出す。名無しさんは不死系の魔物が多いダンジョンに行くとき、絶対に一人では行かなかったし、みんなで行くことになっても留守番を希望することさえあった。
(仮面でステータスが見えないけど、不死者に弱いなんて弱点がついてたりして……それにしてもお化けが怖いなんて、名無しさん……)
「……何をじっと見ているのかな? しょ、小生がお化けが怖いなんて、そんなイメージに合わないことがあるわけが……」
「名無しさま、司祭のセーラさんがいらっしゃるので、何も心配はいりません。私もお傍についています」
ルシエが名無しさんの手をそっと握る。名無しさんはそれで少し落ち着いたようで、口元に微笑みが浮かんだ。少し恥ずかしそうでもある。
「ありがとうございます、ルシエ殿下。こうして殿下の護衛で同行しているのですから、やせ我慢をしている場合ではございませんね」
「名無しさん、大丈夫だ。何が出てきたって、いざとなれば俺たちを頼ればいいんだからな」
「うん。ありがとう、ヒロト君」
ルシエが手を離したあとで俺も名無しさんの手を握る。それで落ち着いたようで、名無しさんの震えは完全に止まった。
「……次の敵は、私の攻撃が通じるといい。そうしたら、本気を出す」
「ああ、頼むぞユィシア。今まで全力で戦闘させてあげられなくて、少し鬱憤が溜まってるよな」
「……私はそれほど好戦的ではない。ご主人様の役に立ちたいだけ」
「あら、奇遇ですわね。私もギルマスの役に立つことが、最も重要な戦いの動機ですわ」
ミコトさんとユィシアの間にも火花が――強者同士は、やはりそうなる運命にあるのだろうか。今回は傍観しているフィリアネスさんも、我が身を省みるように苦笑していた。
◆◇◆
門をくぐると、その中は薄暗い回廊だった。魔術の明かりが等間隔で配置されているが数が少なく、視界が非常に悪い――そして、あまり心地よくはない、ひんやりとした微風が流れてくる。
「こんなに天井が高い建物を見たことがない……明かりが心もとないが、何か高い位置の壁に文字が書かれているな。ミコト殿、読めるか?」
「……何か、楔のような形をした文字ですわね。同じようなものが、幾つも書き込まれて……」
「っ……後衛のみんなはまだ来るな! 気をつけろ、上から来るぞっ!」
◆ログ◆
・あなたのパーティは『練武の回廊』に足を踏み入れた。
・百体の《リビングドール》が起動した!
・あなたのパーティは全ての敵を殲滅するまで、回廊を抜けることができない。
ミコトさんが言っていた、天井に書かれた文字のようなものが輝き始めたあと、俺は気づいた――この回廊の天井に、人形のようなものがいくつもいくつも整然とした間隔で埋め込まれている。
それらは壁から外れると、一気に地上へと落下してくる――ガシャン、ガシャンと耳障りな音を立てて床に着地したあと、まるで糸で釣られるマリオネットのような動きで立ち上がる。
その手に握られている武器は剣、槍、斧、棍棒、そして術を使う個体もいるのか、杖を持っている――それらがきっかり20体ずつ、見渡す限り回廊の奥までガシャンガシャンと次々に着陸して、立ち上がってこちらへと近づいてくる。
一体ずつのレベルが35――今までの試練と比べると、明らかに殺しにかかってきている。長年放置されて武器が錆びているということもなく、リビングドールたちの持つ武器は薄暗い明かりの中で、ギラギラと凶々しく輝いている。
「ギルマス……殲滅しろということみたいですけれど、私も戦わせてもらってよろしいですか?」
「ああ。武器の相性を考えてみんなに攻撃するグループを指示する――あとは、好きにやってくれ」
「む……そういうことか。ヒロト、お前と私たちは、もはや以心伝心なのだな……!」
◆ログ◆
・あなたは『布陣』を発動した! パーティメンバーの配置を指示した。
・あなたは『号令』をかけた! パーティに戦闘命令が伝わった。『力を合わせて切り抜けろ!』
・あなたは『ウォークライ』を発動させた!
・パーティの闘志が昂揚する! 全員の攻撃力が一時的に上昇した!
「――行くぞっ!」
俺は斧槍を抱え、正面から切りかかってくるリビングドールに肉薄し――そして。
◆ログ◆
・《リビングドール1》の攻撃!
・あなたは『パリィ』を発動した!
「――うぉぉぉっ!」
相手の武器を弾き、大きく隙が出来たところで、反撃の技を繰り出す。
◆ログ◆
・あなたは『パワースラッシュ』を放った!
・《リビングドール1》に1674ダメージ! 敵は一時的に行動不能になった。
金属と金属がぶつかり合う音が回廊に反響する。吹き飛んだリビングドールは放物線を描いて飛んでいってドサリと落ちるが、他のリビングドールたちは全く意に介さず、今度は槍と斧を持つ個体が同時に切りかかってくる。
リビングドールは一体一体が中肉中背の大人の男性くらいの大きさで、人形が金属の防具を身に着けているような姿をしていた。顔の部分につけられている仮面はアルカイック・スマイルというやつだ――それがあと99体もいるのだから、さすがに異様な光景だ。
(古城に入ってからいきなりホラーになったな……しかも人形だから、完全に破壊しないと復活しそうだ)
「みんな、気をつけろっ! 倒してもおそらく起き上がってくるぞ!」
「見たところ人形ですから、動く力の源を絶たなければ……はぁっ!」
◆ログ◆
・《ミコト》の攻撃! 『忍法幻影斬』!
・《リビングドール2》に873ダメージ! 敵の行動をキャンセルした。
・《リビングドール3》にクリティカルヒット! 1284ダメージ! 敵は一時的に行動不能になった。
シノビは忍術スキルを高めるほど、通常攻撃そのものが必殺技として変化するという特徴を持っている。何もスキルを使わない通常攻撃なのに、一撃で二体の人形にダメージを与えた。
だがミコトさんが駆け抜けた先には、五体のリビングドールが武器を振り上げて待ち構えている――!
「なんだか、無双という言葉を連想しますけれど……私の身体に触れられるものなら、触れてごらんなさいっ!」
◆ログ◆
・《ミコト》は『影分身』を発動した!
両手を上下に重ねて一瞬で印を結ぶと、リビングドール五体の攻撃を受ける瞬間にミコトさんの姿が5つに分かれる。ガキン、と石床に武器がぶち当たり、人形たちが動きを止めた直後――彼らの後ろに一体ずつ、ミコトさんの分身が立っていた。
「――はぁぁっ!」
◆ログ◆
・《ミコト》は分身と共に『バックスタッブ』を発動させた!
・《リビングドール》5体にクリティカルヒット! 平均2470ダメージ!
・《リビングドール》5体が一時的に行動不能になった。
影分身は忍術スキルが上昇するごとに一体ずつ増え、忍術100で4体に達する。フィリアネスさんのミラージュアタックにも近いものがあるが、影分身が優秀なのは、術者の意思どおりに動くことと、分身の発生時間が最大で5分と長いことだ。
「ふふふっ……ああ……この戦いの中で得られる感覚……久しぶりですわ。さあ、皆さんも遠慮なく戦ってください。そうでないと、全ての獲物を私がいただいてしまいますわよ……っ!」
◆ログ◆
・《ミコト》の『戦闘狂』状態が二段階進んだ!
・《ミコト》の攻撃力が大幅に上昇した!
・《ミコト》の防御力が低下した。
ミコトさんは分身と共に、20体近くのリビングドールを相手にする――フィリアネスさんとユィシアも、彼女に負けていられないとばかりに、違う方向から来る集団に相対した。
「……味方は巻き込まないように気をつける。でも、当たりそうになったら避けて」
「後ろから撃たれることはないように願いたいものだな……私でも、後ろに目はついていない」
(あれ……なんだかフィリアネスさんとユィシアの仲が、心配することもないほど良いような……?)
みんな俺の戦闘命令に従い、力を合わせて切り抜けようとしてくれているわけだが――スキルによる影響以上に、二人が役目を果たすことについて責任感が強いということの現れでもあるだろう。後顧の憂いは、もはやない――!
「……砕け散れ。『竜煌弾』」
「――轟け、雷鳴よっ! 『雷鳴氷零閃』ッ!」
◆ログ◆
・《ユィシア》は『ドラゴニックミサイル』を放った!
・《リビングドール》10体に命中! 平均3284ダメージ!
・《リビングドール》たちは一時的に行動不能となった。
・《フィリアネス》は『ダブル魔法剣』を放った!
・《フィリアネス》は『サンダーストライク』を武器にエンチャントした!
・《フィリアネス》は『フローズンブロウ』を武器にエンチャントした!
・《フィリアネス》は『ゼロ・スラスト』を放った! 『雷鳴氷零閃』!
・《リビングドール》8体に命中! 平均2280ダメージ!
・《リビングドール》1体を倒し、七体が一時的に行動不能となった。
ドラゴニックミサイルは、皇竜のエネルギーを光弾に変えて撃ち出し、一発一発が敵に向かって誘導するという強力無比な技だった。一発三千ダメージともなれば、全弾をボス敵に打ち込んだらどうなるのか――一度見てみたいが、ダメージ限界を突破しなくても9999を超えるダメージを出されたら、ちょっとユィシアに嫉妬してしまいそうだ。
フィリアネスさんの技、細剣技のゼロ・スラストは、文字通り限りなくゼロに近い秒数で敵に到達すると言われる必殺の突きである。
雷と氷のエネルギーをまとった突きが、周囲のリビングドールを巻き込み、凍結させる――しかし、俺やミコトさん、ユィシアの攻撃でも行動不能となっただけだったリビングドールのうち一体が、『倒した』と表示された。
(魔術でダメージを与えれば、2千ダメージでも倒せるのか……いや、本来なら限界突破してない場合、敵のライフの限界は1240しかない。これくらいの敵なら500、600でも倒せるはずなんだ……ということは、こいつらを倒す方法は、ダメージには関係ない……つまり……)
考えているうちに、剣持ちと斧持ちのリビングドールが切りかかってくる。俺は斧槍を振りぬき、試しに通常攻撃を繰り出してみた。
◆ログ◆
・あなたは《リビングドール》に攻撃した!
・『混沌を握りし手』の特殊効果が発動! 攻撃回数が増加した!
・《リビングドール》2体に平均975ダメージ! 1体を倒し、1体が行動不能となった。
金属の板を斧の刃が削る手応えは変わらないが、一体が『倒した』と表示された。つまり、俺の推論通り、倒すだけならダメージは4桁も必要ない。
「ヒロト君っ、『生命感知』の光に目を凝らすんだ! 敵の身体の一部分しか光っていないっ!」
「っ……そういうことか……!」
生命感知は、生命反応を視覚的に見ることを可能にするものだ。それは通常の生命体でなくても、相手が『魔力生命体』――何者かの魔力で操られている場合でも通用する。
しかし名無しさんの言うとおり、生命感知による反応は、残り80体余りのリビングドールのいずれも、身体の一部分にしかない。ある個体は頭、ある個体は胸と、反応のある位置も異なっている。
そして俺が倒した個体からは、反応が消えている――つまり、俺の攻撃が偶然に、反応のある位置に当たっていたのだ。
戦闘命令を『生命感知の反応がある場所を狙え』と切り替える。言葉にしなくても以心伝心で正確に説明できるというのは、乱戦においては非常にありがたい。
「なるほど、そういうことか……見た目通りに、操り人形ということなのだな……っ!」
「……それなら、一撃で一体ずつ倒せる。聖騎士より多く倒して、ご主人様にほめてもらう」
「ふふっ……お二方、私もいることを忘れないでくださいませ。さあ、人形は人形らしく、大人しくする時間ですわよ……っ!」
ミコトさんはいつも通りの涼やかな声で言うが、少なからず聞いていてゾクリとするものがある。影分身を惜しみなく使い、敵の弱点を二本の苦無で踊るように削る――その正確さに舌を巻く。
◆ログ◆
・《ミコト》は『空蝉の術』を発動した!
・《リビングドール23》の攻撃! 《ミコト》には当たらなかった。
・《ミコト》は『影分身』を発動した!
・《ミコト》の攻撃! 『忍法幻影斬』!
・《ユィシア》は『テールスライド』を放った!
・《フィリアネス》は『ツインスラスト』を放った!
(ログが凄い勢いで流れていく……久しぶりだな、こんな乱戦は……)
弱点が分かれば、みんな問題なく人形を確実に殲滅していく――しかし敵も押されるだけでは終わらず、後ろに控えていた術使いのリビングドールが、後衛の名無しさんたちを直接に狙ってくる。
(割り込むか――いや、今の名無しさんたちなら……!)
◆ログ◆
・《リビングドール43》は『フレイムボム』を詠唱した!
・《リビングドール44》は『エアブレード』を詠唱した!
杖を持つリビングドールたちが、少しだが誘導のかかる魔術で名無しさんたちを撃つ――しかし名無しさんは、炎と風の攻撃魔術を前にしても、一歩も引かずにセーラさんとルシエの前に立った。
「あまり甘く見ないでもらいたいものだね……『反射の壁』!」
◆ログ◆
・《名無し》は『リフレクトウォール』を詠唱した!
・魔力の壁によって敵の魔術を反射した!
法術士の『リフレクトウォール』は、攻撃魔術を一定回数反射する効果がある。敵の方が実力が上の場合は反射しきれない場合もあるが、リビングドールの魔術ならば余裕の範囲だ。
◆ログ◆
・《リビングドール48》に82ダメージ!
・クリティカルヒット! 《リビングドール48》を倒した。
(あれくらいのダメージでも倒せる……弱点をつけば、そんなにも脆いのか)
「お兄様……私も、少しだけでもお力に……っ」
名無しさんの活躍を見て、その後ろにかばわれていたルシエが前に出る。そして、おばば様にもらった杖を振りかざし、勇ましく呪文を詠唱した。
「雷の精霊よ……我が声にお応えくださいっ!」
◆ログ◆
・《ルシエ》は『ライトニング』を詠唱した!
・《リビングドール52》に36ダメージ! 攻撃をキャンセルした!
(そうか……ネリスさんに精霊魔術の初歩を教わってたんだな。少しでもパーティの助けになろうとして……)
ルシエの魔術を見て、戦いの中だというのに皆が微笑む。それは、ルシエもまたパーティの一員なのだと、皆が認識した瞬間でもあった。
「殿下の援護があれば百人力ですわ……っ、試練だというなら、あと十倍は用意してくださいませっ!」
ミコトさんの攻撃は止まらず、リビングドールの数はみるみるうちに減っていく。そこにフィリアネスさんとユィシアも加われば、俺のやることはウォークライをかけ直し、みんなを鼓舞することくらいだった。
◆ログ◆
・あなたのパーティは戦闘に勝利した!
・あなたの『指揮』が上昇した!
・ミコトの『忍術』が上昇した!
・名無しの『法術士』が上昇した!
・《フィリアネス》の『細剣マスタリー』が上昇した!
・《名無し》のレベルが上がった! スキルポイントを3手に入れた。
・《ルシエ》のレベルが上がった! スキルポイントを3手に入れた。
◆戦闘評価◆
・100体の魔物を倒し、討伐数ボーナスが発生した。
・格上の魔物を倒し、《ルシエ》に経験値ボーナスが発生した。
魔物を一度に倒した数が多いと、ボーナスも大きいらしい――さすがに百体を一度に倒したのは初めてで、レベル35程度の魔物でも経験値はかなりのものだった。
名無しさんのレベルが上がったのも大きい。リフレクトウォールで反射した魔術がうまくリビングドールの弱点を突き、倒せたのが良かったのだろう。
「ふぅ……このタイプの敵と戦ったのは初めてです。彼らはやはり、古城の主に操られていたのでしょうか」
ミコトさんは動かなくなった人形の一体に触れ、攻撃が命中した場所を確認する――すると、そこには楔型の文字が刻まれていた。どうやらこれが、人形を動かす力の源になっていたらしい。
それを見た名無しさんが何かに気づいたようで、俺のそばにやってくる。そして、みんなに聞こえないくらいの大きさの声で言った。
「……ゴーレム。ヒロト君、この人形はゴーレムの一種だ。未実装だった職業のひとつが、ゴーレムを操ることを可能にしていた」
「え……この城の主は、魔物を使役できる職業じゃないのか?」
「本人が魔物使いでなくても、魔物を使役する方法はある。私の記憶が確かならば、この人形に刻まれている文字は、『生命付与』の呪文なんだ」
「生命付与……じゃあ、魔杖の勇者がそういうスキルを持ってるのか」
「可能性は高いと思う。これで試練が終わりならばいいが、どうも嫌な予感がする……君やみんなが強いからこそ、この試練も危なげなく乗り越えてきているが……」
並の冒険者では、ここに辿りつくことすらできないだろう。しかし勇者が魔杖を受け継ぐ者を試しているなら、この程度でいいのか、という思いは確かにある。
「ヒロト、この回廊を抜けた先に、光が見える。道なりに進んでみるとしようか……む、あれは……」
「罠感知のおかげで、聖騎士さんも気が付きましたわね。なにもないように見えて、床にスイッチが仕掛けてある場所がありますわ。私とギルマスのあとを、慎重についてきてくださいませ」
◆ログ◆
・《ミコト》は罠を発見した! 仕掛けの解除に成功した。
・あなたは罠を発見した! 仕掛けの解除に成功した。
パメラからもらった盗賊スキルのおかげで、俺も罠に引っかかることはない。ミゼールでの育成期間にはかなりお世話になったが、昔と違って俺を怖がるわけでもなく、普通に酒を飲みながら話してくれた。俺は飲まないので、話し相手になるだけではあったが――。
と考えているうちに、何やら足元で『カチッ』と音がした。
「カチッ、って……うぉぉ!」
「ぎ、ギルマス……何をやっているんですの、あなたらしくもない」
迂闊にも罠に引っかかった俺を見て、ミコトさんが苦笑する。は、恥ずかしい……パメラとの採乳を思い出して、うかつな姿を晒してしまうとは。
「ま、まあ……これくらいの罠なら引っかかっても害は無いしさ」
「何を言う、もし槍が飛び出していたらいくらヒロトといえど……ふふっ」
「フィ、フィリアネスさん、笑わないでくれ。ああ、穴があったら入りたい……っ」
「フィル姉さま、きっとお兄様には深いお考えがあるのです」
「す、すまない。笑うつもりはなかったのだが……」
「……ふふふっ。我慢しなくていいのなら、それは私も少しだけは、笑っておきたいところですわ」
「ヒロト君は昔から、ごくたまにうっかりしていたからね。やはり小生たちがついていて、見ていてあげないと」
みんなが微笑ましい生き物を見る目で俺を見る。俺は四方を囲む棒をぐいっと捻じ曲げて開けると、その隙間から脱出した。こうなるとみんなにも罠にはまってほしくなってしまうが、そんな子供っぽいことではいっぱしのギルマスとは言えない。
◆ログ◆
・《ユィシア》は何かを踏んでしまった! 《ユィシア》は身動きが取れなくなった。
「……?」
そして無警戒なユィシアもまた、俺と同じ罠にひっかかっていた。さすが俺の護衛獣、主人の恥ずかしさを紛らわせてくれるとは……と、仲間が増えて喜んでいる場合でもないのだが。
◆◇◆
薄暗い回廊を歩き続け、俺たちはついにその終端に辿りつく。
眩しいほどの太陽の光に腕をかざしながら、俺とミコトさんがまず外に出た――すると。
そこは、四方を高い城壁に囲まれた一面の草原だった。草原を抜けた先には塔がある――ここは、中庭ということだろうか。
見上げると青い空が広がっている。吹き抜けてくる風は、湖の上で感じたものと同じだった。
「なるほど……空から侵入することが可能だったら、あの回廊を経ることなくここに来られてしまうわけか」
「……いや。もしそれができても、ただではあの塔に入ることはできまい……ヒロト、塔の門の前に何かがある。そこから見えるだろうか」
「……あれは……鎧……いや、甲冑……?」
塔の前の草原に散乱している、巨大な黒光りする鉄の固まり。かなり距離があるのでディテールは見てとれないが、どうやらあれは甲冑のようだ。
「……ヒロトさん、私が感じた気配が、近くに……っ」
「っ……いつの間に現れたんですの……あの人影は……」
瞬きをしていて見逃したということもない。
忽然と、俺たちの前方の中空に、人の姿が現れる。赤く燃えるような髪――ルシエと似た髪色をした女性が、長い髪を揺らめかせ、宙に浮かんでいる。
彼女自身がまるで人形のように、生気がない。しかしその美貌もさることながら、黒一色の薄手のローブに包まれた均整の取れた肢体は、こんな時であっても目を奪われるほどに妖艶だった。
「あれが……ルシオラ、なのか……?」
「……お母様……」
「っ……あそこにいるのが、ルシエの母君だと……? ファーガス陛下は、そんなことは何もっ……!」
ルシエは未だ遠い姿を見て、その赤い宝石のような瞳から涙をこぼす。それは、ルシエの言葉が真実だということを示していた。
ルシエは選定者の血を引いている。ファ―ガス陛下は、その選定者こそが、自分の側室であった女性だとは言わなかった。なぜ言わなかったのか、その気持ちも分からないでもないが――なぜ、という思いはある。
「一体、どういうことですの……魔杖の勇者が、公女殿下の母君で……」
「娘がここに来たことを知っていて、試練を与えていた……しかしどの試練も、一つ間違えば命を落としていてもおかしくない。なぜ、そんな……」
――私は、誰にも杖を渡さない。例え、自分の娘であっても。
「っ……みんな、気をつけろっ! この草原には……!
◆ログ◆
・《ルシオラ》は『生命付与』を詠唱した!
・命なき鉄塊が動き始める……《アイアンゴーレム》が出現した!
・命なき土くれが動き始める……《アースゴーレム》が三体出現した!
人形に刻まれていた楔型の文字が、まず散乱している鎧に浮かび上がり、鎧が人型に組み上がっていく――そして、俺たちの前方の地面にも、文字が無数に発生する。
「っ……やはり、生命付与……人形も、彼女が動かしていたんだ……!」
全て、名無しさんの推論通りだった――地面を揺るがせながら、三体の土の巨人が起き上がる。楔型の文字は、命なきものを動かすための呪文だった。
しかし今回のゴーレムは、弱点が一箇所などではない。全身に文字が浮かび上がり、無数の生命感知の反応があるのだから、その全てを破壊しなければ動きを止めないだろう。
「……どうしてだ。魔王と戦ってた勇者のはずだろ……なのに……!」
「……魔杖を使うことができたのは、お母様の母上……お祖母様なんです。お母様自身は……」
ルシエが全て言い終える前に、草原に声が響く。
「悪いことは言わないわ。ルシエ、彼らを連れてお帰りなさい。私には、あなたに渡すものは何もない」
「っ……お母様……でも、私は……私たちは、魔王を倒さなきゃ……」
「聞き分けのない子供には、お仕置きをしなければね。これでもまだ魔王を倒すなんて、戯れ言を言っていられる……?」
◆ログ◆
・《アースゴーレムA》の攻撃!
ゴーレムのうち一体が腕を振り上げ、巨大な拳を繰り出す――それはこともあろうに、ルシエただ一人を狙ったものだった。土塊が腕に供給され、どこまでも腕は長く伸び、猛烈な勢いで迫り来る。
「……っ」
それでもルシエは逃げない。フィリアネスさんが叫んで、前に出ようとする――しかし俺はそれを制し、自らゴーレムの拳の前に出た。
「――おぉぉぉぉっ!」
◆ログ◆
・あなたは武器で敵の攻撃を受け止めた! 衝撃が貫通したが、ダメージはなかった。
俺の身体全体を潰せるほどの大きさの拳を、両手で斧槍を持って受け止める。足が地面にめり込み、突き抜けるような衝撃が伝わったが、今の俺の防御力ではそれすらダメージになりえなかった。
「重いが……だが、それだけだ……!」
俺はアースゴーレムの腕を弾き飛ばし、斧槍で半ばから切り落とす。しかし地面に再び光る文字が現れ、土が盛り上がり、アースゴーレムの腕が瞬時に修復されていく。
「あなたたちが試練の肩代わりをして、ルシエが杖を手に入れる。そんな都合のいい考えが、なぜ通用すると思ったのか……理解に苦しむわ」
「……確かに都合が良かったかもしれない。だけどな、ルシエはまだ十歳だ。幼いなりに努力をした、そこでここまで来た。それでもあなたは、受け入れられないっていうのか」
その問いかけに、ルシオラはすぐに答えなかった。
彼女は塔に入るための門を守るアイアンゴーレムの左肩に立ち、そしてようやく言う。
「なぜルシエを戦わせようと考えたの……? その子は偶然、選定者の血に目覚めただけ。そんな幼い子に戦いを教えて魔王の前に連れて行くことが、あなたたちにとっての正義だというの?」
「……魔王と戦うのは俺だ。最後の最後に、魔王を封印するためには、あなたが守ってる杖の力が必要なんだ。俺はただ、ルシエをいたずらに危険な目に遭わせようなんて思っちゃいない」
「理想論ね。あなたたちが魔王をそこまで追い込むことができるかもわからない。ルシエが杖を使う前に、近づくこともできずに命を奪われてしまうかもしれない」
「……それでも、私は……私は、もう見たくないんです。リリムの手で、苦しめられる人を……!」
「それが理想論だというのよ。誰かが命の危険を冒して魔王を倒さなければならないなんて、誰が決めたの? そうして命を落としても、誰かが責任を取ってくれるの……?」
ルシオラは娘の言葉にも耳を貸していない。もはや、彼女は魔杖を守るためにここにいるのではない――ここに来るものを拒むことしか頭にない。
(何か、理由があるはずだ……魔王と戦ったはずの人が、それを否定するほどの何かが起きたんだ)
――だが俺には、確かめる術がある。ルシオラが可能性のかけらもなく俺たちを拒絶しているのか、そうでないのかを。
「……一つだけ聞かせてくれ。ルシオラ……あなたは、ファーガス陛下を憎んでるのか?」
「っ……」
『看破』するまでもなかった。その反応を読み取れないほど、俺は鈍くはない。
ルシオラが娘の元を離れ、ここに留まらなければならない理由があった。
――その全てを、ファーガス陛下は俺たちに伏せていた。それを問いただす日は、ずっと先になるかもしれないが――今は、それよりも。
(付与術師……ゴーレムを作るスキル……と言いたいところだが。ルシエを、せっかく会えた母さんと仲直りさせてやらないとな……!)
「……あの人は、私のことなんて忘れているわ。あの人のことは関係ない……私は杖をここから出さないと決めた。それが不服だというならば……」
忘れてなんていない。ファーガス陛下は真実を告げなかったが、ルシオラのことを覚えている。そこだけは、ちゃんと否定しなければならない。
だが、今そんなことを言ってもルシオラは耳を傾けはしないだろう。ゴーレムたちは、俺たちをここから先に通すつもりがない――それどころか、先程から殺気が強まり続けている。
――そこまで、俺たちを通したくないのだとしても。ここまで来て引き下がることは、決してできない。
「ああ、分かった……これが最後の試練だっていうことなら、正面から受けて立ってやる!」
土くれで出来た、無限に再生するアースゴーレム。巨人が身につけるものかと思うほど巨大な鉄の甲冑が、命を吹きこまれているアイアンゴーレム。どちらも容易な相手ではないが、こちらも負けてはいない。
「ふふっ……こんな相手が待っているなんて。これだから、ギルマスのそばを離れられないのですわ……!」
「ヒロト、私たち三人が土人形を食い止める。ルシオラ様を、どうか傷つけずに戦いを終わらせてくれ……無理を言っていると思うが、彼女は決して敵ではないはずだ」
「ああ、わかってる。ユィシア、アースゴーレムの攻撃が後衛の三人に当たらないように防いでくれ……できるか?」
「問題ない。どれだけ大きくても、土の巨人の拳では、私の肌に傷をつけることはできない」
頼もしい限りの答えを返したあと、ユィシアは見上げるほど大きな巨人と対峙する。フィリアネスさんとミコトさんもそれぞれに、武器を構えて戦闘の準備を終えた。
「――我が力にて、命を得た人形よ。愚かなる者たちに、怒りの裁きを与えなさい……!」
ルシオラの命令を受けてゴーレムたちが動き出す。俺は斧槍を担ぎ、狙いをアイアンゴーレムに見据える。山崩しでアースゴーレムを倒しても、材料の土があるかぎりは復活される――ならば、ルシオラを止めなければならない。
「――うぉぉぉぉっ!」
◆ログ◆
・《アースゴーレム》たちの同時攻撃!
・あなたには当たらなかった。
・あなたは『空中ジャンプ』を発動した!
天馬騎兵たちがそうしたように、俺はアースゴーレムたちが振り下ろす拳を避けたあと、その腕を駆け上って天を駆ける。
狙うは、アイアンゴーレム――そしてルシオラ。飛び上がりながら廻る視界の中で、俺は後ろにいるルシエを見やる。彼女は顔を上げ、しっかりと俺と視線を交わして、力強く杖を掲げていた。
※発売日から一週間近くになりますが、遅ればせながら
改めてご報告させていただきます。
このたび3月30日に、本作の書籍版がファミ通文庫様から発売されました。
連載版と書籍版ではストーリーの主軸は変わりませんが、加筆改稿を行って
書籍版は書籍版ならではの楽しみがあるようにと心がけております。
連載も完結まで継続していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
また、4月1日にエイプリルフールということで
活動報告に番外編を掲載させていただきました。
お時間のある時にご覧いただければ幸いです。m(_ _)m




