第六十一話 水蛇の正体/護衛獣の忠義
抜けるような青空を映しだした真っ青な湖面。観光気分で眺めたいのはやまやまだが、水蛇が起こした波で船が揺らされ、漕ぐ手を緩めると押し戻されそうになる。
(『船乗り』のスキルを持ってると、船が揺れても酔わなくなるんだったな……まあ船に乗ること自体が初めてだからしょうがない。少しの我慢だ)
◆ログ◆
・『カリスマ』が発動! 《水を統べる者》があなたに注目した。
こんな、水中系最強のような二つ名を持つ魔物がいきなり出てきていいのかと思うのだが――魔王と戦う勇者とあろうものなら、これくらいの魔物は使役できて然るべきということなのか。とにかく油断はできないし、舐めてかかるつもりもないので、射程に入った時点で全力で仕留めに行かなければ。
このままできるだけ接近してもいいのだが、既に敵が俺の姿を認めて、水面に飛び出し、頭から潜りを繰り返しながら接近してくる――あまりにも体長が長すぎて、胴体が空中で輪を描いている。もしかしたらうまく誘導したら勝手に固結びにならないだろうか。
(そんなことが勝利条件のわけがないよな……さて、行くか!)
「――うぉぉぉぉっ!」
◆ログ◆
・あなたは「ウォークライ」を発動させた!
・パーティの闘志が昂揚する! パーティの攻撃力が一時的に上昇した!
この距離ならまだパーティのみんなにも、攻撃上昇効果が入るようだ――と思っていたら、岸にいるみんなのつぶやきがログで流れてきた。
◆ログ◆
・《フィリアネス》はつぶやいた。「ヒロトの声を聞くと、私も戦いたいという気持ちにさせられる……この高揚感は、いつ味わっても良いものだな」
・《ミコト》はつぶやいた。「まったくですわ。私も相手が蛇でなければ……ああ……疼きますわね……」
・《名無し》はつぶやいた。「あまりそういうことを言うと、王女様が引いてしまうよ?」
・《ルシエ》はつぶやいた。「……私も、ヒロト様の声は勇ましくて、勇気が出るお声だなと思っていました」
・《セーラ》はつぶやいた。「ふふっ……ヒロトさんもこんなことをお話しているだなんて、思っていらっしゃらないでしょうね」
(いや、ばっちり聞こえているわけだが……このログが、転生者の一番の特典のような気がしなくもないな)
ウォークライによる攻撃力上昇は、みんなにとって『高揚する』『疼く』と受け取られているようだ。なんだかいけない意味に取ってしまうのは、俺に邪念が多すぎるからだろうか。
とにかく、みんな信頼して見守ってくれている。初手から驚かせるのも何だが――『神威』を披露するときが来たようだ。
それを知ってか知らずか、水蛇はこちらに猛然と迫り、顎を開く――この小舟など、一呑みにしてしまいそうな巨大な顎。
――しかし、俺はある違和感に気づいた。
水蛇には、生物として必要なはずのものがない。牙が生えていないのだ。
「――シャァァァァッ!」
◆ログ◆
・《水を統べる者》は顎を開いた。
・《水を統べる者》は猛然と泳ぎ、突き進んだ!
(――今の俺のダメージ限界を出させてもらう……!)
斧槍を握り、構えたとき、俺はもはや自分が、尋常ならざる存在に変わりつつあることを自覚していた。
俺の数十倍に及ぶ体長を持つ水蛇を前にしても、まるで怯みもしない。
そんな俺を信じて、安心してみんなが見守っている。
その期待に応えるどころで済むのだろうか、という思いがある。
この武器を手に入れ、既に人間の限界を突破した俺が、最大の技を放てばどうなるか。
しかしそれで終わりではない。まだ俺のレベルもスキルも、カンストなど程遠い状態だ。
攻略しても攻略しても、果てなど見えない。本当に、女神が言っていた通り、この世界の懐は広い――。
だが『神威』の詠唱は、俺の力が女神にも届く可能性があると、すでに指し示してくれているものでもあった。
「――我が手に宿る力は、神にも届く。『神威』!」
◆ログ◆
・あなたは『神威』を発動した!
・武器に『滅属性』が付与された! 攻撃力が120%上昇した!
神威を発動し、無色のオーラ――滅属性のバフが武器を覆う。
あと数秒で水蛇の顎が閉じ、俺と小舟を飲み込むだろう――だが――!
「おぉぉぉっ……!」
雄叫びと共にアクションを発動する。全身の筋肉が引き絞られて軋みを上げ、小舟が垂直に深く沈み込む――足場が盤石ならばより威力が上がるのだろうが、今は小舟の底を踏み抜かないだけで十分だ。
「――穿けぇぇっ!」
◆ログ◆
・あなたは『山崩し』を放った!
・滅属性の追加ダメージが発生! ダメージが限界を突破した! 《水を統べる者》に30552ダメージ!
・クリティカルヒット! ボーナスダメージが発生! 《水を統べる者》に8334ダメージ!
・『アースジャベリン』が発動! 《水を統べる者》に3回ヒット、4056ダメージ!
・『手加減』が発動! 《水を統べる者》のライフが1残った。
(合計で4万……一気に今までのダメージ限界の4倍……やはり武器の差は大きい……!)
振りぬいた斧槍から放たれたエネルギーに、滅属性のオーラが交じり合う。武器の威力は錆びた状態から最大で2.5倍ほどになるが、ダメージは約3倍――それは俺のスキルが上昇した分の補正だ。
◆ログ◆
・《フィリアネス》はつぶやいた。「……やはり……私と訓練しているときに感じたのは……」
・《ミコト》はつぶやいた。「……なんて綺麗な技……私も、いつかあんなふうに……」
・《名無し》はつぶやいた。「……強いということは、やはり美しいものだ。そう思わざるを得ない……」
みんなが望むなら、いつか俺と同じ場所に立てる。強くなる方法さえわかっていれば、決して不可能なことじゃない。
水蛇はまともに俺の技を受け、斧槍の放つエネルギーに押し戻されて、空中に舞い上がる――長大な水蛇の全身が水しぶきを上げながら空中に躍り上がる。
俺は水蛇系のモンスターに必ずある『逆鱗』を視認しようとするが、それらしき部位は見られない。弱点がなくとも、ダメージだけで倒せるのか――ゲーム時代のボスならば、そんなことはありえないが、この水蛇がボスに相当するのかはわからない。
倒すつもりなら、手加減をかける必要はない。それでも手加減したのは、この水蛇も『ルシオラ』という人物の護衛獣だと見られるからだ。
試練として立ちはだかる魔物を全て倒して、目的の杖を奪取する。それを求められている気もするが、俺はひとつの可能性を否定できなかった。
(魔杖を守る勇者……その護衛獣を死なせていいものなのか。分からないなら、全部生存したままの方がいい。一度死んだら、それで終わりだからな)
考えながら、俺は水蛇が沈んで姿を消したままでいることに気がつく。
――ライフは1しか残っていない。その状態では、全ての行動に支障が出てくるはずだ――しかし。
◆ログ◆
・《水を統べる者》は、深い水底に潜んでいる……。
・《水を統べる者》のライフが回復していく!
・《水を統べる者》は雨雲を呼び寄せた!
(正面から力で押すだけじゃ、この試練は抜けられないってことか……!)
静まり始めていた湖面に、にわかにさざ波が立ち始める。そして、《嵐を呼ぶ者》がそうしたように、湖の上空を黒々とした雨雲が覆い始めた。雨粒がぽつりと頬を叩き、見る間に辺りは豪雨にさらされる。
(ご主人様っ……あの水蛇はまだ水底にいる! このままだと、水の中に引き込まれる……!)
(――ユィシア、みんなに俺は大丈夫だって伝えてくれ! 湖の岸から離れるんだっ!)
(ご主人様……わかった。私は、ご主人様を信じる)
あんなにユィシアが取り乱すのは初めてだった。広い湖の中で俺が水に引き込まれれば、たとえ水中呼吸ができるといっても、心配するのは無理もない。
だが、俺はこれも必要なことだと思っていた。外部に弱点らしき部位が見られないなら、答えはひとつ――この水蛇の弱点は、外側には存在しないのだ。
(外側にないなら、内側……これもお約束だが、上手くいってくれよ……!)
◆ログ◆
・《水を統べる者》は『メイルシュトロム』を発動した!
(メイルシュトロム……渦潮を起こす精霊魔術か……!)
特定のフィールドでしか使えない魔術。ゲーム時代は『竜宮城』と呼ばれるダンジョンのボスが使用し、対策をしていないプレイヤーに苦渋を舐めさせた、懐かしい技。
俺の船を巻き込むように、湖に渦が発生する。木の葉のように激流でもみくちゃにされながら、次第に渦の中心へと船が引きこまれていく。
――普通なら死ぬと思うところだろう。湖岸から、みんなが呼ぶ声が聞こえる――だが。
(俺は大丈夫だ! ユィシア、みんなにそう伝えてくれ!)
もう一度念を押す。その直後、視界が反転する――船に水が入り込み、転覆したのだ。
冷水というほど冷たくもないが、渦潮の中で猛烈に回転しながら吸い込まれていくのは非常に気持ち悪い。だが自分で狙ったことでもあるので、俺は目を閉じ、水中呼吸の感覚を確かめる――どうなっているのか自分でもわからないが、スキルの効果で水に溶けた酸素が身体に取り入れられているらしく、水中『呼吸』とはいうが、息を吸わなくてもまったく苦しくならない。
◆ログ◆
・あなたの身体が、激流に揉まれて軋む! 35ダメージ!
さすがに少しはダメージを受けるが、全く痛くはない。俺はなんとか、自分が飲まれていく渦の中心に、何が待ち受けているのかを見ようとする――だが、泡が凄まじく、とても目を開けていられない。
驚くべきは、この状態でも水が透明度を保っていることだった。やはりこの湖は、普通ではない――湖にも、その近くにも、ルシオラの護衛獣以外まったく生き物が住んでいないというのも、考えてみれば異常なことだ。
俺たちはこの湖に辿り着いたときから、異界に足を踏み入れていたのかもしれない。そう思った矢先、俺は渦の中心に何がいたのかを悟った――水蛇が、口を開けて待ち構えていたのだ。
◆ログ◆
・あなたは《水を統べる者》に飲み込まれた。
◆◇◆
――俺の冒険は、特に終わりを迎えたりはしていなかった。
「ん……」
気が付くと、俺は仰向けに寝そべっていた。頬に水滴が落ちてきて、それで目が覚めたようだ。
水蛇に飲み込まれたことはログで見た。つまり、ここは水蛇の体内だと考えられるが――どうも、生き物の体内というには、何か周囲の景色が迷宮めいている。
壁が桃色に発光しており、何かドクン、ドクンと胎動しているようだが、生物の体内というには生々しさは感じない。
(……どういう生き物なんだ、あの水蛇は)
巨大生物の体内なんてダンジョンは、ゲーム時代にも経験がない。空の試練に比べて、水の試練は手が込んでいる――そんなことを思いつつ、俺は起き上がった。
あちこちに水たまりがあるが、胃酸ということもなく、湖の水と同じで透き通っていた。しかし油断はできないので、とりあえず触らずに、道なりに進んでいくことにする。
(あの水蛇の身体はハリボテで、中はダンジョンになってたとか、でたらめな生き物だな……いや、ハリボテを操ってる本体がいるのか……)
考えながら進んでいく。そして俺は、この体内にも、俺以外の何者かがいるのだという形跡を見つける。
――古い骨。どうやら、俺以前にも水蛇に飲まれた者がいたようだ。
モニカ姉ちゃんから骨細工スキルを学んでおけば、骨を見るだけで情報を得られたのだが――やはりどんなスキルでも、念のために取っておくべきだと、この冒険で何度も確認させられている。取得の機会があったら、血眼になってでもスキルを取らなければ。
(……なんだ? 何か音がする……うぉっ!?)
前方の物陰から、ぬっ、と大きな紫色のスライムが出てきた。その姿を見て、俺はぞくりと戦慄を覚える。
(こいつ……ジョゼフィーヌよりランクが上だ……!)
スライムは成長するにつれて形態が変わる。俺はグレータースライムより上の形態を見たことがなかったが、目の前にいるスライムはその形態に達している――!
◆ログ◆
・『カリスマ』が発動! 《クィーンスライム》はあなたに注目した。
(クィーンスライム……未実装モンスターだ。一体、どんな能力を持って……)
◆ログ◆
・《クィーンスライム》は『形態模写』を発動した!
俺を見るなり敵と見なしたのか――クィーンスライムの形態が変わり始める。その変化はあっという間だった――俺を攻撃するために、別の姿に変わろうというのか。
◆ログ◆
・《クィーンスライム》の変化が終了した。
(……何か人間の女性みたいな……と、というか……裸じゃないか……?)
スライムだとわかっていても、完璧な模写すぎて、どうしたものかと思ってしまう。
誰を模写しているのか、薄紫色の髪を持ち、幼そうな見た目に反してグラマラスな体型をした少女。スライムだから透けているということもなく、姿だけなら完璧に人間そのものだった――全裸であることが大問題だが。
「……久しぶりの人間。おまえは、何をしに来た? 我に捕食されることを望むか?」
「っ……しゃ、しゃべれるのか……」
「長く生きれば、我らスライムとて人間と変わらぬ知識の蓄積を得る」
「そ、それなら、服を着ない人間が、どれだけ恥ずかしい思いをしてるかも分かるだろ?」
「……そうかもしれない。しかし我は、マスターがどのような服を身に着けていたか、もう思い出せぬのだ。彼女とは、もう数十年も会っていない」
(マスター……ってことは、ルシオラの姿を模写したのか……数十年って、今はもうこの姿より、かなり歳を取ってるってことだよな)
「……おまえたちは、ルシオラの護衛獣なのか? あの水蛇は一体……」
「その謎を解き、あの忌々しき魔杖を手に入れようというのではないのか。我は魔杖を求めし者を試さねばならぬ。あれは、弱き者には決して渡すことはできぬのだ」
「そうか……どうしても、倒さなきゃだめか?」
クィーンスライムは、少女の姿で俺をじっと見やる。何を言っているのか、というように。
「その骨を見たのなら、我が以前の侵入者を手に掛けたことは分かるだろう。この水蛇を消滅させなければ、古城への道は開かれない。我はここに待ち受け、侵入者を阻止する。それが、マスターの言いつけなのだ」
「……そうか。じゃあ、手合わせしてもらおうか」
「……なぜ、怯えない? 我はマスターの魔術の一部を借り、行使することができる。スライムとしての力だけでも、人間一人を絞め殺すことなど、造作も無いことなのだぞ」
「俺はスライムを怖いと思ったことはないよ。俺も、スライムを護衛獣にしてるんだ」
ジョゼフィーヌももうすぐスライムスキルが100になる。形態模写でどれくらい他人のスキルを再現できるか分からないが、有用なスキルであることは間違いない――魔物の種族スキルでなければ、俺だって欲しいくらいだ。
あの赤っぽいゼリーのような、俺の愛すべきスライムは今どうしているかというと、ミゼールのある場所に伏せている。町を離れている間の、保険のようなものだ。離れるときにきゅぃきゅぃと鳴いていたのが今でも忘れられない――と感傷に浸っている場合ではない。
「……スライムを、恐れない人間……そんな人間が、マスター以外に……」
形態模写は、モデルにした人物の感情すらもトレースできるのか――クィーンスライムは小さな声で言ったあと、唇をきゅっと引き結んだ。動揺してはならないというように。
「……水蛇の心臓はこの奥にある。それを破壊したければ、我を倒すがいい」
「俺は水蛇を殺したいわけじゃないんだ。先に進ませてくれれば、それでいい。それとも、本当に水蛇が死ぬことが、古城が姿を現す条件になってるのか?」
「答える義務はない……水の刃よ、我が敵を切り裂け。《水精刃》!」
(悠長にしすぎたか……アクア・ブレード、本当に魔術まで模写できるんだな……!)
レベル3の精霊魔術とはいえ、対策無しで受ければ怪我はする。水の精霊魔術に対抗する有効な手段は幾つかあるが――ここはカウンターと共に、本体へのダメージも狙っていく――!
「紅蓮の炎よ、来たれ……《紅炎弾》!」
「っ……!?」
クィーンスライムが目を見開く。そう――それは、俺の詠唱がまだ終わっていないからだ。
魔術素養100で得られるスキル、「二重詠唱」。今までダブル魔法剣を優先して使わなかったが――。
(今回は、撃ち合いに使わせてもらうぞ……!)
「――氷の棺の中で眠れ! 《凍結氷棺》!」
◆ログ◆
・あなたはマジックブーストを発動した!
・あなたは『クリムゾン・フレア』『フリージング・コフィン』を同時に詠唱した!
・『フリージング・コフィン』と『アクア・ブレード』が相殺した!
スライムの苦手属性は、炎と氷――どちらを防がれても、ダメージが通る。俺の右手から発生した紅色の炎が、スライムに直撃し、炎が爆ぜる――しかし。
(ダメージがない……まさか、クィーンになると耐性が変化するのか……?)
「――少しだけ驚いた。マスター以外に、それほどの魔術の使い手は、魔王しか見たことがない」
おそらくそのマスターの姿をコピーしたスライムは、ある程度距離を詰めたところで、右腕を振りぬく――すると部分的にスライムに戻った手が、想像以上のリーチで俺に肉薄する。
◆ログ◆
・《クィーンスライム》の『吸収』!
・あなたにはダメージが貫通しなかった。吸収に失敗した。
「……なんという硬さ……我が殴れば、普通の人間なら一撃で死ぬのに」
「これでも、魔王を倒すつもりだからな。そのためには、普通の強さじゃ足りないよな」
(ただの攻撃かと思ったが……スライムスキル80の『吸収』だった。あれを食らうとライフとマナを同時に吸われるからな……)
だが、俺の防御力も尋常ではなくなっている。もはや、クィーンに俺を倒す手段はない――一つを除いて。
スライムスキル90で覚える、ジョゼフィーヌには絶対使わせられない技。もしそれを使ってきたら、俺でも彼女のライフ分のダメージを受ける。
(『自爆』……なんでスライムにそんなスキルが備わってるんだろうな……)
それでも彼女は、戦う意志を失っていない。俺にダメージを与えられる可能性がそれしかないなら、おそらく使ってくるだろう。
形態模写で再現できる魔術は、どうやら模写した相手の半分以下だ。おそらくスライムとして戦った場合の方が、彼女は強い。それでも、俺が想定している強敵――魔王クラスの敵とは比べられない。
「……何としても、止める。我はそれを命じられて、ここにいるのだ……だから……」
「マスターに会いたいとは思わないのか? 水蛇の身体の中で、何年こうしてきたんだ」
「……魔物である我には、時間など関係はない」
「そんな顔はしてないけどな……会いたいはずだ。そこまでして、いいつけに従い続けるのなら」
「貴様に何がわかる……おまえごとき人間に、我らとマスターのことがわかるわけがないっ!」
――初めて見せた、強い感情。そんな姿を見せられたら、ますます事情を理解したくなる。
いったい、ここで何があったのか。彼女の『マスター』と護衛獣たちは何を思い、魔杖に近づく者に試練を与える存在となったのか……その全てを知りたい。
「我はおまえたちを止める……おまえたちに、試練を与える! それだけの存在なのだっ!」
◆ログ◆
・《クィーンスライム》は『自爆』を発動しようとしている。
――ただ、このスライムは忠実に主の言いつけを守っているだけだ。もし俺がジョゼフィーヌに同じことを命じても、護衛獣である以上、死ぬまで戦い続けてしまうのだろう。
(そんなのは悲しすぎるだろ……!)
形態模写なんてことをするから、情が移ってしまう。クィーンスライムが模した少女の瞳から涙がこぼれ、その身体の一部がスライムに戻り、触腕を伸ばして俺を捕らえようとする。
しかし今なら、スキル上げをする前ならばできなかった、あの方法が使える。
――影すらも残さない、絶対先制の移動術。『絶影』で、後出しの不利を帳消しにする――!
◆ログ◆
・あなたは『絶影』を発動した!
・あなたの敏捷性が大幅に上昇した!
「――くっ……!」
俺は武器を抜かず、素手のままでクィーンスライムの懐に入り込む。虚を突かれたスライムは目を見開くが、その眼にはある種の諦念が宿っていた。
――その攻撃では、私は倒せない。
スライムは打撃攻撃が弱点だ。クィーンスライムが、それすらも克服しているのだとしたら――。
だが、そんなことは関係ない。
俺が繰りだそうとしているのは、ただの打撃ではないのだから。
(――腹パンってやつを、こんな形でやることになるとは思ってなかったよ……悪い……っ!)
「――はぁぁっ!」
◆ログ◆
・あなたは『発勁』を繰り出した!
・《クィーンスライム》の防御を無効化した! 貫通し、386ダメージ!
「ぐぅっ……!」
スーさんから受け継いだ気功術。それを俺は、短い訓練期間で40まで上げていた――そして習得した『発勁』は、通常打撃攻撃が通らない相手にもダメージを貫通させるという、格闘術を飛躍的にパワーアップさせる奥義だった。
クィーンスライムはその場で膝をつく。ダメージは深く、伸びていた触腕が全て戻っていく。
◆ログ◆
・《クィーンスライム》の『自爆』がキャンセルされた。
「がはっ……ごほっ、ごほっ……我の身体に……何をした……」
「今しようとした攻撃は、食らうわけにはいかなかったからな。確実に打撃が通る技を使わせてもらった」
「……そんなことが……スライムの我に、素手で……」
「これ以上ダメージを与えたら、本当に死ぬ。頼む、負けを認めてくれないか」
◆ログ◆
・あなたは『口説く』を《クィーンスライム》に使った。
・《クィーンスライム》はあなたの話に耳を傾けている。
(よし……交渉の余地はあるっていうことだな。あとは、慎重に話をするだけだ)
「……水蛇の心臓を破壊せずとも、先に進むことができると、そう思っているのか」
「ああ。俺は自分の仲間を死なせるような命令は絶対にしない。おまえたちのマスターも、そんなことはしないと思いたいんだ」
「思いたい……それは、エゴではないのか。おまえに、我らの何がわかるというのだ」
もう一度同じ言葉を繰り返すクィーンスライム。しかし、その声は一度目よりも弱々しいものだった。
ダメージを受けて膝を突いているから、それもあるだろう。だがそれ以上に――彼女の心は揺れている。
「……分かりたいから、会いに行くんだ。そのとき、おまえたちが居なくなっていたらどうなる? 俺たちは、おまえのマスターと戦うしかなくなるだろう」
「そうしてでも魔杖を手に入れたいのではないのか……?」
「違う。かつて魔王と戦った人物なら、味方にしたい。戦う理由なんてないんだ」
「……戦う、理由……我らは、魔杖を手にしようとするものを、試すために……」
――そう、試すためならば。何も、魔物たちが命をかける必要はない。
「俺たちはここに来るまでに、天馬騎兵とグリフォンと戦ったが、殺してはいない」
「なぜ……人間は、従えた魔物を除いて、問答無用で殺そうとするのではないのか……?」
「悪い魔物ならそうするさ。でも、中にはそうじゃないやつだっているだろ?」
「……我らが……良い魔物だとでもいうのか?」
「俺はそう思うけどな。主人のために、そこまで頑張ってるのに、悪いスライムだとは思えないよ」
「……分からない」
それまで理知的に受け答えをしていた彼女は、短い答えを返すと、うつむいて黙りこむ。
――そして、恐る恐るというように、もう一度顔を上げる。何かに縋り付くような目で、俺を見る。
「……我は……もう一度、マスターに会えるのか? それを、望んでもいいのか……?」
「もちろんだ。向こうだって、ずっと放っておいたことを気にしてるかもしれない。この湖のどこかにいるんじゃないのか?」
「……古城は……湖の中心にある。入り口は、我と水蛇が司っている」
「じゃあ、そこに続く道を開いてくれ。俺に無理やり頼まれたっていうので構わない。もし怒られたら……そのときは、俺のところに来ればいい。うちのスライムとなら、きっと仲良くなれるよ」
そんな、楽天的で、甘い言葉に乗ってくれるほど、都合のいい話はない。
――そう思っていたのに。
俺は少女の姿をしたスライムの頬を、ぽろぽろと涙が伝っていくのを見た。
大粒の涙が止まらずに流れ落ちる。彼女は顔をくしゃくしゃにして、何かを言おうとするように口を動かすが、全くそれは声にならなかった。
ひとしきり感情が溢れだし、人間のようにしゃくりあげたあと、彼女はようやく震えながら声を出した。
「……会えるのか……マスターに……ルシオラ、さまに……っ」
「会えるよ。俺と一緒に会いに行こう」
そのとき、俺たちは拒絶されるのではないか――そんな予感はしていたけれど。
引き下がるわけにはいかない。次の試練が待つとしても、俺たちは古城に向かい、ルシオラに会う。
しばらく声もなく泣き続けていたスライムは、少女の姿のまま、目を赤らませて俺を見た。そして決まりが悪そうに、けれどどこか嬉しそうに言う。
「……おまえの言うとおりになるかは分からないが。負けを、認める。おまえの勝ちだ、人間よ」
◆ログ◆
・あなたのパーティは戦闘に勝利した!
・あなたの『気功術』スキルが上昇した!
◆戦闘評価◆
・特殊勝利条件を満たし、戦闘評価が上昇した。
・『恭順』の効果により、倒した相手の友好度が上昇した。
(戦闘勝利……これが条件であってくれれば……)
もはや、祈るしかない――しかし、幾らも待たずに、俺の不安は払拭された。明確なログという形で。
◆ログ◆
・あなたのパーティは、『悠久の古城』に入る資格を得た。
・《水を統べる者》はあなたに対して友好状態となった。
・《クィーンスライム》はあなたに対して友好状態となった。
(やはり……殺す必要はなかった。というか、こんな相手を殺せるわけないよな……)
「どうやらおまえの言う通り、マスターの課した条件は満たされたようだ……こんなことが起こるとは、思ってもみなかった」
「それは良かった。ところで、その姿って、そのルシオラって人の姿なのか?」
「……似ているかもしれぬが、おそらく今のルシオラ様とは違う。あの方と、最後に会ったときの姿だ」
「そうか……どうしてその姿を真似たんだ?」
「……そこまで言う必要はあるまい。我とあの方のことは、お前に分かるわけはないのだ」
「そ、そうか……」
そればかりは、立ち入ってはならないということらしい。護衛獣とマスターの絆ということか――そういうことなら、俺も野暮な質問はするべきじゃない。
(さて……与えたダメージも気になるし、ステータスを確認させてもらうか)
◆ステータス◆
名前 クローディア
スライム ? 55歳 レベル52
ジョブ:クィーンスライム
ライフ:320/664
マナ :24/24
スキル:
スライム 100
恵体 52
アクション:
溶解液(スライム10)
毒攻撃(スライム20)
装備破壊(スライム30)
捕縛(スライム40)
絡みつく(スライム50)
装備を奪う(スライム60)
催眠(スライム70)
吸収(スライム80)
自爆(スライム90)
形態模写(スライム100)
パッシブ:
自動回復大
物理無効
炎無効
氷無効
雷無効
毒無効
麻痺無効
ステータスを見たことで、個体名が判明する――クローディアということは、元から雌のスライムということでいいのだろうか。ジョゼフィーヌも勝手に雌だと思っているが、どうもスライムは性別があいまいだ。
スライム特有のアクションは一通り見せてもらって把握したが、特筆すべきはパッシブの『自動回復大』『物理無効』だろう。グレータースライムは打撃が弱点で、炎と氷の魔術も弱点だったのに、それらの耐性が変化している。クリムゾンフレアでダメージを受けなかったのはそれが理由だろう。
物理無効のモンスターに『発勁』が貫通するというのは、実を言うと賭けだったのだが――もし武器を使ってアースジャベリンが発動したりしていたら、シャレではすまない。土属性に耐性がないので、一撃で倒してしまっていただろう。
「……失礼な質問かもしれないけど、スライムって寿命はあるのか?」
「我らは二百年ほどは生きるが、それがどうしたのだ」
「い、いや……うちのスライムはまだ8歳だから、そうか……あと192年も生きるのか」
「……従えた魔物の寿命を気にしているのか?」
そんなこと、気にするほうがおかしいんだろうか。しかし俺は、やはりいつまで一緒にいられるのかということを、ふと気にせずにいられなかった――と考えていると。
クィーンスライム――クローディアが、少女の顔で、くすっと笑った。
「……そんなふうに笑えるんじゃないか」
「我は笑ってなどいない。スライムが笑うと思うのか? おまえの頭の中は、そうとうに平和なのだな」
否定しながらも笑っているのだが、俺は突っ込む気にならなかった。先に進むという目的は達したのだから、言いたい放題にさせても構いはしない。
「……では、我は元の姿に戻り、ここで待つとしよう。試練が終わるまで、水を差すわけにはいかぬ」
「そうか……わかった。待っててくれ、必ずルシオラに会わせてやるからな」
「……期待せずに待っているとしよう。おまえたちが無事に帰れるかは、まだ分からぬ」
そう釘を刺すように言うと、裸の少女の姿をしていたクローディアは、形態模写を解いて元の姿に戻った。
紫の、触覚のような突起を持つ、大きなゼリーのようなかたまり。どうやらこの状態では話せないらしい。
――話せなくても、触腕で道を示してくれる。どうやら、来た道を戻るのではなく、奥から転移して脱出するようだ。
ぽよん、ぽよんとスライムが跳ねて進んでいく。俺はクローディアに案内され、水蛇の心臓の手前に用意された、脱出の魔法陣へと辿り着いた。
◆◇◆
――転移を終えたあと、俺は水中にいて、透明な水をオレンジ色の光が染め上げていた。
(夕方……?)
まだ昼間だったはずだが、メイルシュトロムを受けて水蛇に飲み込まれたあと、思ったより時間が経っていたようだ。
水中呼吸ができるので焦る必要はないが、鎧をつけているので、普通に泳いだのでは浮かび上がらない。俺は少し考えた末に、下方向に水の魔術を撃って、推力を得ることにした。
(――水の精霊よ、我が敵を押し流せ……《水流弾》!)
ゴォッ、と手をかざした方向に水の流れが生じて、反動で俺の身体は押し上げられていき――そして。
「ぷはっ……!」
「――ヒロトッ!」
「わっ……フィリアネスさん、それにみんなも……」
水面に浮かび上がった途端に、俺は何人かの手で、再度沈まないように支えられた。
フィリアネスさん、ミコトさん、名無しさん――そしてセーラさん。彼女たちは必死で、四人がかりで俺のことを岸まで運ぼうとしてくれる。
だが、岸まではかなり距離がある。ここまでみんながどうやって来たのかというと――ユィシア、そしてウィングトルーパー二体、グリフォンに運んでもらい、俺が浮いてきたところで飛び込んだということらしかった。
(……私ひとりでも水に潜って助けられるけど、みんな聞かなかった。裸になって、飛び込んだ)
ユィシアが念話で語りかけてくる。その内容に途中まで感謝していた俺だが、最後の一言で、ようやく自分を取り囲む事態に気がついた。
「み、みんな……なんで裸なんだ……?」
「何を言っているっ、こんなときになりふりをかまっている場合ではないっ!」
「そうですわ、装備なんてしていたら沈んでしまいますわよ! ヒロトさんも本当は外すべきですわ!」
「あの水蛇を退けたことは凄いことだと思う……けれど、君はいささか無茶をしすぎる……っ」
「ヒロトさんが水の中に沈んで、どれだけ時間が過ぎたか……しかし、やはり女神様は見ていらっしゃいました。祈りは届くのです……信じれば、救いの手は差し伸べられるのです……」
(それはそうか……俺も、水蛇の中がああなってるとは思わなかったしな……)
みんなに、ちゃんと24時間水中で呼吸ができると伝えておくべきだったか――いや、それでもみんな、今みたいに心配してくれたのだろう。
そのことに感謝しつつも、これからもし水上戦があるとしても、防御力が下がろうと、重装備をするのはやめておこう――かといって、みんなのように裸になるわけではないが。それも俺のことを助けるためにしてくれたのだと思うと、眼福だというのも申し訳なくて、俺は夕焼けの空に視線を逃がすのだった。
※次回は来週金曜日に更新です。




