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コミュ難の俺が、交渉スキルに全振りして転生した結果  作者: とーわ/朱月十話
第七章 少年期 西方領編二部 育成編
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第五十八話 砦での交流/誘惑の瞳/海を想う

 その後、俺はメアリーさんから、魔石鉱が採掘ができた後のことについて相談された。


 西方領の都であるラムリエルの商人と交渉し、魔石の原石を売るわけだが、その時騎士団の代表として交渉の卓について欲しいということだ。


 俺としては、いよいよ交渉術を利用することができるということで、全く異存はなかった。本来交渉術とは、こういう場面で使うものなのだ。転生してからというもの、想定外の用途でばかりお世話になってしまった。


 そして三人と別れて部屋の外に出ると、ちょうど様子を見に来たのか、フィリアネスさん、クリスティーナさん、ジェシカさんが揃ってこちらに歩いてきた。


「ヒロト、メアリーとの話は終わったのか?」

「んふふ、マールとの試合の後なのに、ヒロト君もスケジュールがいっぱいだね」

「私はヒロト様たちの試合を見た興奮が、今も冷めておりません……やはりマールギットは、性格さえ騎士らしければ、騎士団長の器に値する武人。それを再確認させられました」


 ジェシカさんは『猛将』らしく、血が猛っていることを隠しもしない。試合を見ていて高揚していたのは彼女だけではなく、フィリアネスさんとクリスさんも同じようだった。


「騎士団長クラスを全員集めても、ヒロト君には勝てそうにないけどね。私とジェシカさんは、フィル姐さん一人でも勝てないくらいだし……この格差、どうやったら埋められるのかなぁ」

「相性というものもあるからな。私はおまえたちの癖を、修行時代から見ているということもある」

「フィリアネス様の戦い方を吸収して自分のものとしているヒロト様は、やはりその若さにして歴戦の勇将。団員たちは皆、ヒロト様の下について戦えることを誇りに思っております」

「士気が向上したのなら良かった。これからは、命を賭けた戦いが待ってるんだ……俺は皆を護り、鼓舞できるような存在でありたいと思ってる」


 ――と言ってみてから思うが、格好をつけた言い方をしすぎた。もうちょっとこう、自然体で振る舞いたいところなのだが、歴戦の勇将と言われるとその気になってしまう。自分で言うのもなんだが単純な性格だ。


「……ヒロト君なら、うちの家族も認めてくれそう。レミリア姉さんが出て行っちゃってから、意固地になっちゃっててね。でも、その息子さんがこんな立派になってるって知ったら……」

「レミリア様はクーゼルバーグ伯爵家の分家、ハウルヴィッツ家の出身だったな」

「しかしリカルド殿と出会い、彼の伴侶となるために、クーゼルバーグ本家から命じられていた婚姻を破棄され、出奔された……そう伺っております」


(そんなことがあったのか……だから、クリスティーナさんは母さんに対して、少し複雑そうだったんだ)


 会ってみれば、クリスさんは母さんを慕っていることがよく分かった。だからもう心配はないが、クーゼルバーグ伯爵家の人々ともし会うことがあれば、できればわだかまりを解いておきたいと思う。


「その、クーゼルバーグ伯爵家は、どこに領地を持ってるんだ?」

「東方領の地方領主をされています。リカルド殿は、そちらの魔物討伐に派遣されたときに、レミリア様と知り合われたとか……」

「ジェシカさんはそういう話、結構興味あるもんね。将来を嘱望された騎士と、地方貴族の令嬢のロマンス……んふふ、私が言うのもなんだけど、絵になる話だよねえ」

「そのリカルド殿だが、今訓練場に来られているようだぞ」

「え……と、父さんが?」


 砦の二階の廊下の窓から、訓練場の様子を見ることができる。俺はフィリアネスさんに案内され、父さんがどこにいるのかを教えてもらった。


 すると父さんは、若い騎士たちと一緒に、木製の武器を使って練習試合をしていた。

 練習であっても、父さんがこうして戦っているところは初めて見る。俺たち家族の前で見せる姿とは全く違う、戦士の顔をした父さんがそこにいた。


「リカルド殿は騎士の道を途中で離れたため、今はまだ腕がなまっているとおっしゃっておられましたが……斧騎士リカルドの往年の力を、取り戻されたいと思ったとのことで、私の部下と修練をされています」

「豪快だよねえ……ヒロト君にも通じるところがあるっていうか。『息子の強さに触発されて、身体を動かしてみたくなった』って言ってたよ。リカルドさんが騎士団に顔を出したこと、姉さんも喜ぶんじゃないかな」


 魔剣の護り手となったあとは、父さんは一度も騎士団に顔を出さなかったのだろう。ミゼール近くにあるこの駐屯地に来たことがあったかは分からないが、クリスさんの話を聞く分には、初めて訪れたのだと思えた。それも、俺に触発されて。


「……父さん、昔はあんなふうに戦ってたのか」


 木こりとして過ごした間の能力の低下が、訓練によって戻りつつある。俺が知っている父さんの能力は、木こりとしては強くても、騎士団長クラスの人たちには全く及ばないというくらいだった――しかし、今父さんが繰り出している技は、斧マスタリー40の『パワースラッシュ』だ。

 俺に斧技を伝授してくれたのは、紛れもなく父さんだ。たとえ俺の方が斧マスタリースキルが上でも、父さんの繰り出す技は、俺の目にはとても美しく、完璧なものだと思えた。


「リカルド殿も、ミゼールを防衛するために戦われるおつもりでしょう」


 ジェシカさん、クリスティーナさんは『魔剣』のことを知らないのだと、その時理解する。騎士団でもごく一部、おそらくディアストラさんとフィリアネスさんだけが、その事実を把握している。


 父さんは、魔剣の護り手として戦うためにも、長らく遠ざかっていた騎士団に顔を出してまで鍛錬をしているのだ。


「――どうしたぁっ! 木こりの親父にいいようにやられて、悔しくないのかお前ら! さあ立て!」


 若い騎士たちの腕も決して低くはないのに、父さんはいつの間にか指導役になっている。しかし、さすがに現役の騎士たちを相手にして、父さんも少し疲労が出ていた――だが、それでも極限まで身体を酷使し、苛め抜き、全盛期の力を取り戻そうとしている。


(父さん、頑張れ)


 あんな父さんの姿を見たら、きっとソニアも俺なんかより、父さんは凄いんだと気がつくだろう。

 俺は自分のことのように誇らしく感じながら、訓練場の見える窓から離れる。フィリアネスさんたちも俺の気持ちを分かってくれていて、微笑ましそうに俺を見ていた。



 ◆◇◆


 砦でいったんフィリアネスさんたちと別れ、俺は一人で町に戻ってきた。

 騎士団のみんなはうちに泊まりに来ると言っていたが、一斉に訪問しては迷惑がかかるので、数人ずつにするとのことだった。それを決めるために、俺との試合後のマールさんを含めて練習試合を行うというのだから、俺のために争わないでくれと言っておいた。みんな呆れるどころか、絶対に優勝すると闘志を燃やしていた――そうなると、やはりフィリアネスさんが勝つことになりそうだ。


 俺はソリューダス鍛冶工房に向かう。すると、身体のあちこちに包帯を巻きつつも、元気に鍛冶仕事をしているバルデスじっちゃんの姿があった。


「おお、おお! ヒロト坊、よく来たのう!」

「じっちゃん! 良かった、元気になったんだね!」


 じっちゃんは俺を出迎えると、ごつい手を差し出してくる。その手を握り返すと、じっちゃんはいかにも好々爺という優しい笑顔を見せてくれた。


「一度はもうお迎えが来たかと思ったがの、ドワーフはなかなかどうして面の皮が厚い。ほっほっほっ……それに、手当の仕方も良かったようじゃ。ヒロトが手当てをしてくれたのかの?」

「いや、あの時もう一人いたんだ。アンナマリーさんって言うんだけど、その人がじっちゃんを安全なところに運んで、手当てしてくれたんだよ」

「ほう……ヒロト坊は仲間に恵まれておるのう。わしもそのおかげで、こうして生きておられるわけじゃな」

「ヒロト坊や、本当にありがとう、おじいちゃんを助けてくれて」

「心配かけたのう、エイミ。わしがいなくとも、お主ならもう一人でやっていけると思っておったが……わしはまだ鍛冶の技術を何もお主に教えてはおらん。そう思うと、やはりまだ死ぬことはできんと思った。わしはこれから、お主にすべての技術を授けよう。そして、ヒロト坊のことを支えてやっておくれ」

「っ……おじいちゃん……」


 じっちゃんがいきなりそんなことを言うので、俺も驚いてしまう。エイミさんも急に言われると思っていなかったようで、声を詰まらせていた。


「さて……この遺跡から発掘された巨人の武器じゃが、これを削り出し、本来の性能を取り戻すことが、わしができるヒロト坊への最後の報いになるじゃろう。残念じゃが、わしも年には勝てぬようじゃ。この武器をお主に渡したあと、わしはエイミに技を教えるために残りの命を使おうと思っておる」

「……じっちゃん。じっちゃんなら、まだ……」

「いや、後ろ向きな気持ちではない。わしにも鍛冶以外に、余生で楽しみたいことはあるのじゃよ。理想を言うなれば、ひ孫の顔を見られればと思ってはおるがの」

「お、おじいちゃん……私、まだそんな相手なんて、全然……」

「そこはヒロト坊の甲斐性に期待させてもらうとするかのう」

「な、何言ってるのおじいちゃん! 私、そんなつもりでヒロト坊やを見てたわけじゃ……」

「最近耳が遠くなっていかん。そういうわけじゃ、ヒロト坊。わしは数日のうちに、この斧槍を元の形に磨き出す。それをわしからの餞別じゃと思ってくれい」


 バルデス爺は言って、エイミさんと一緒に石を削るための器具を使い、巨人のバルディッシュについた地層の石を削り始めた。


 二人は作業を始めると、周りの音すら聞こえていないかのように作業に集中し始める。バルデス爺もそうだが、小柄で愛らしい容姿をしているエイミさんまでが、話しかけることが躊躇われるほど、一回一回集中してハンマーを打ち込み、斧槍は気が遠くなるほどわずかずつ、けれど確実に本来の姿へと戻っていく。


 俺は二人の邪魔をしないように、出来るだけ物音を立てずに工房を後にする。カキン、カキンと聞こえてくる槌の音は、俺が階段を上がって外に出るまで絶えることなく続いていた。



 ◆◇◆



 まだ日が高いし、残った時間を有効に使いたい。次はどこに行こうかと考えて、俺はモニカさんたちに聞いたことを思い出した。アンナマリーさんが、名無しさんとウェンディを呼び出していたらしいが、一体どんな話をしていたんだろう。


 パーティメンバーの位置は確認できるので、会いに行ってみようか。それとも、干渉しすぎるのも良くないか。


 ――どうするか決める前に、鍛冶工房のある裏路地に、物々しい音が響き渡った。何か積み上がっていた物を荒々しく崩したような、そんな音だ。


(ミゼールの治安も、昔から良いとは言えないな……)


 男たちが恫喝するような声が聞こえてくる。揉め事だと断じた俺は、声が聞こえてくる方角――裏路地の奥へと進んでいく。


 すると、ほとんど人の通らない暗い通りで、男たちが誰かを取り囲んでいるさまを目にする。



 ◆ログ◆


・あなたは『忍び足』を使用した。あなたの気配が消えた。



 町のごろつきを相手にそこまで警戒する必要もないが、一応気配を消しておく。気づかれて、相手が予想外の行動に出ないようにという意味もある。


 男たちは一体、誰を脅しているのか――それが見える角度まで移動して、俺は思わず目を見開いた。


(――アッシュの家に勤めてたメイドの、メイヴさんじゃないか……!)


「姉ちゃん、パドゥール商会で働いてんだろう? あの店、しこたま財産を貯めこんでるって話だよな」

「金はどこに隠してあんだ? 教えてくれりゃ、あんたにも分前をやるぜ」

「んなことする必要ねえよ。言うことを聞かせる方法なんて幾らでもあるだろ?」


 長身の男、太った男、中肉中背の男。彼らの言葉を一言ずつ聞いただけで、俺がすべきことは決まった。


(よりによって、パドゥール商会を狙うとか……ここで見つけられて良かったな)


 この程度の相手なら、『手加減』して通常攻撃するだけでオーバーキルだろう。俺はエイミさんに貰った斧槍に手を掛け、男たちが何も気づかないうちに倒してしまおうとする。

 ――だが、俺が動く前に、追い詰められていたメイヴさんが口を開いた。


「言うことを聞かせる方法とは、どのようなものですか……?」

「そんなこと決まってるじゃねえか。あんたもガキじゃねえんだから、言わなくても分かるだろ?」

「おい、今は騎士団が来てんだろ? そいつらが聞きつけちゃまずい。さっさと済ませちまおうぜ」

「パドゥール商会のことは二の次だ。この女をさらって、後で考えりゃいい」


 メイヴさんにパドゥール商会で会った時、俺は清楚でおとなしい女性だという印象を持った。

 しかしその瞳には、一度見られると視線を外すことができなくなるような、そんな力がある。

 ――その力ある瞳が、今は、三人のごろつきに向けられていた。


「あなたたちは、私を自由にしたいんですね。そうしたら、パドゥール商会への手出しはやめてもらえますか?」


(っ……まさか、自分を犠牲にするつもりなのか……!?)


 メイヴさんの言葉に、男たちは完全に飲まれていた。欲望に歪んでいた顔が、にわかに我に返る。


「物分かりがいいじゃねえか。ただ、一度で済むとは言ってねえぞ」

「……幾らでも、お気の済むまでどうぞ。私は、自分の身体に執着というものがないんです」


 冷めた声で言うと、メイヴさんは自分でエプロンを外し、服をこの場ではだけようとする。男たちの視線を浴びても意に介することなく、肌を晒そうとする――それ以上、ただ見ているわけにはいかなかった。


「――ぐぁっ!」

「がっ……」

「な、何だっ、何がっ……ぐえっ!」


 ログを確認するまでもない。三人を瞬時に昏倒させ、俺は自らスキルを解いて、メイヴさんの前に姿を見せた。


「……こんな奴らに、そんなことをする必要はない。パドゥール商会は、俺が守るから」



 ◆ログ◆


・《ロッゾ》たちは昏倒している。

・『恭順』の効果により、《ロッゾ》たちの友好度が上昇した。

・あなたは《ロッゾ》たちに『命令』した。



 恭順の効果で、倒した敵には『命令』がしやすくなる。俺は『パドゥール商会に近づかず、町で揉め事を起こすな』と命令した。これで、彼らが悪さをすることはないだろう。


 しかしメイヴさんは、外したエプロンを元に戻すこともせず、服をはだけたままで俺を見やる。



 ◆ログ◆


・『カリスマ』が発動! 《メイヴ》があなたに注目した。



「……なぜ、彼らを倒したんですか? あなたには、そんなことをする必要はないはずなのに」

「必要がないって……今、メイヴさんはこいつらに何かされそうになってたんじゃないのか?」

「そうだったとしても、私は彼らに力では勝てませんから、要求に答えてやり過ごせば良かったんです。ヒロト様のお手をわずらわせる必要はありません」


 彼女がそんなことを言うとは想像もしていなかった。まさか、助けたことを余計だと言われるとは……。

 ――しかし俺は、確かにメイヴさんに助けてくれとは言われていない。

 だが、見過ごすことはできなかった。百度同じ場面に出くわしても、俺は手出しをする。そうしないという選択は初めからない。


「ヒロト様は、とてもお強い方です。ですが、私は弱い者です。弱い者を助ける義務が、強い者にあるわけではありません。これからは、見捨てることをお勧めします。そんなことは、無駄な労力です」

「……そこまで言われるとは思わなかったな。でも、俺は謝らない。間違ったことをしたとは思ってないからな」

「正しさに意味はありません。あなたは強い者であるのだから、弱い者を見捨てるべきです。そうでなければ……」


 ――人目につかない路地裏とはいえ、目を疑わざるを得なかった。

 メイヴさんはさらに服をはだけて、上半身を露わにする。その白い肌と、均整の取れた二つの乳房が、俺の眼前に惜しみなくさらけ出される。


(この人は……予想以上に、何かがずれてる。だが……)


「……どうしてそこまで極端なんだ? 俺はそんなことをして欲しいって、一言も言ってないぞ」

「私と目を合わせているとき、考えているじゃないですか。女性は男性のそういう視線に、男性が思うよりずっと敏感ですよ」

「そ、それは……綺麗な目だとは思ったけど。それ以上のことは考えてないよ。いいから、服を着てくれ」


 裸なんて見せられたら、どうしても冷静ではいられない。それを気取られないようにするには、彼女を見ないようにするしかなかった。


 目を反らす俺を見て、メイヴさんはしばらく黙っている。意気地のない男とでも思われただろうか――どんな状況でも欲求に従う男だと思われるよりは、そのほうがまだマシだ。


(しかし……物凄くきれいな裸だったな。胸もかなり大きいし……)


「ふふっ……」

「わ、笑わないでくれ。自分でも分かりやすいとは思ってるんだ。だから、もっと警戒してくれ」

「警戒なんてしていません。ヒロト様を初めて見た時から、あなたを信頼してもいいと思っていましたよ」

「一度会っただけで、他人のことが全部分かるなんてことはないだろ」

「分かりますよ。分からなかったら、こんなことはしていません」


 自分の身体を呈して、パドゥール商会を守ろうとした。それと同じで、俺に助けられたから、そのお礼を身体でしようとした――そんな、見かけによらず過激な考えを持つ人だと思った。

 しかし、やけになっているわけではない。彼女なりに考えがあってしていることなのだと、はだけた服を元に着直し、エプロンをつけ直す姿を見ていて思った。


「……ここで見たことは忘れてください。その方が、お互いにとっていいと思います」

「そう……だな。でも、一つ言っておきたい。エレナさんたち一家は、俺にとって大切な人たちだ。でも、彼らはそんなふうにして守られても、きっと喜ばないよ。こんなこと言う権利は俺にはないんだろうが……」

「いいえ、権利はあります。あなたは私のために、力を振るってくれましたから」


 どうやらメイヴさんは、少しだけ俺の考えを汲んでくれたようだ。

 価値観は人それぞれで、彼女にとっては、男性を籠絡することにそこまでの躊躇はないのかもしれない。


(でも俺は、やっぱりそれは嫌なんだ。それが青臭い考えだと言われても)


「……これは言っておきますが、私は彼らを誘いはしましたが、好きにさせるつもりはありませんでした。そういった身の守り方もあるのだと、あなたなら分かるはずです」

「……それって、どういう……」


 どういう意味か。俺がそう最後まで言う前に、彼女は首を振る。それ以上は、自分で考えろということだ。

 そして俺は、遅れて思い当たる――彼女は、何かの特殊な方法で、自分の身を守ろうとした。それは、そのための力を備えているということだ。


「人は見かけによらないんですよ。でも私、あなたみたいに素直な人は嫌いじゃないです」

「……初めに会ったときは、すごく緊張してるように見えたけどな。実は、肝が据わってるじゃないか」

「ええ、猫をかぶっていたのよ。どちらの私が好みだった? 後学のために教えてもらいたいわね」


 ――俺は、ここで彼女を行かせるべきではないのかもしれない。

 彼女の口調の変化を目の当たりにして、そんな直感が生じる。今動かなければ後悔する、そんな焦燥さえも。


 しかし俺は動けなかった。『カリスマ』で見られる彼女のステータスを見れば、彼女がどうやって男たちを退けようとしたか、それを確かめることができてしまったから。



 ◆ステータス◆


名前 メイヴ・ナイトシェード

人間 女 17歳 レベル24


ジョブ:メイド

ライフ:76/76

マナ :48/48


スキル:

 

 恵体 3

 魔術素養 2

 母性 22

 房中術 94


アクション

 魅惑の指先(房中術30)

 流し目(房中術40)

 密会(房中術60)

 籠絡(房中術90)

 授乳(母性20)


パッシブ

 艶姿(房中術10)

 芳香(房中術30)

 房中術効果上昇レベル2(房中術70)

 【対異性】魅了(房中術80)

 育成(母性10)



 彼女のステータスには、幾つかの異質な点がある。

 メイドであるはずなのに、メイドのスキルを持っていない。つまり彼女は、元来メイドではない――あるいは、アッシュの家に来るまで、メイドの仕事などしていなかったということになる。


 房中術のスキルも高すぎる。それは彼女がそういった人生を送ってきたからだというにも、あまりにも高い数値のように思えた。それこそ、不自然なほどに。


(俺が、彼女がそういう人じゃないと思いたいだけだ……それは甘い考えだってわかってる。でも……)


「……メイヴさん。あなたは、一体どこから来たんだ?」


 その質問に対する答えで、俺は確かめられる。彼女が、一体何者なのかを。

 答えを待つ俺を、メイヴさんは男たちを誘ったときよりも、ずっと甘く、どんな男でもかどわかしそうな愛らしい顔をして見つめた。


「……本当はあなたに会いに来た、と言ったらどうするの? 今からでも、私に興味を示してくれる?」

「っ……そ、そんなことを言ってるわけじゃない。どこから来たのかを……」

「それは教えられないわ」


 そんな答えでは、『看破』で嘘をついているか確かめても大した情報は得られない。他に、この場で有効なスキルがあるとしたら……。



 ◆ログ◆


・あなたは【対異性】魅了をオンにした。

・あなたの魅了が発動! 《メイヴ》は同一のスキルを持っている。魅了状態にならなかった。

・あなたは《メイヴ》を口説いた。

・《メイヴ》はあなたの話に耳を傾けるつもりになった。



「どうしても教えてはくれないのか? 俺は……どこか、あなたを放っておけないと思ってる」

「私のような女を放っておいたら、何か起こるかもしれないと? ふふっ……エレナ会長のお父さん、パドゥール商会の大旦那は、若い頃から多くの女性に手を出しているって話よね。私が誘惑したら、商会はどうなると思う?」

「……そういうことはしないでくれ。あなたはそうやって、世を渡ってきたのかもしれないけど……パドゥールの人たちに迷惑をかけるようなら、やはり放ってはおけない」

「優しいのね。私と初めて会った時も、あなたは優しかった。疑う余地もないくらいにね」

「俺だって、無条件にそうしてるわけじゃない。色々なことを考えてるよ……だから、疑う余地もないなんて、簡単に言わないでくれ」


 何か、煙に巻かれているような気分だった。彼女は俺との意見の相違を突きつけたり、俺の敵のように振る舞ったりしながら、けれど俺を褒めそやす――俺を翻弄したいというかのように。


「メイヴさんがこれからもアッシュの家に勤めるなら、何もしないでやってくれ。そうしてくれたら、俺もあなたのことを詮索はしない」

「……いいわ。力で抑えつけるということじゃないなら、私もあなたに敬意を払ってあげる」


 メイヴさんは微笑み、歩き出す――ここから立ち去ろうというのだ。


「っ……待ってくれ、まだ話は……っ!」

「本当を言うと、あなたとはあまり二人きりにはなりたくないの」


 ――どうしようもなく、惹かれてしまうと分かったから。


 彼女は俺の横を通り過ぎるとき、そう囁きを残していった。

 振り返ると、メイヴさんが角を曲がって姿を消すところだった。すぐに追いかけても、どう身を隠したのか、その後ろ姿を見つけることはできなかった。


 夕闇の時間が近づいていた。俺は立ち尽くしたままで、彼女の最後の言葉を思い出していた。



 ◆◇◆



 先ほど起きたことは、何だったのか。パドゥール商会で見かけた新人のメイドが、町のごろつきに絡まれていた――それを俺は助けたのか、どうなのかさえ分からない。


 女性が身体を使って男を籠絡することを躊躇わない。俺はそういう人に会ったことがなかっただけで、この異世界において全体を俯瞰すれば、少なからずそういった人はいて、接する機会が無かっただけだ。

 そう分かっていても、納得はできない。俺は彼女の行動に、未だに納得がいかずにいる。

 しかしそれは、傲慢なのかもしれない。人それぞれの生き方があって、否定する権利は俺にはない。


(……俺は、人を支配したいんだろうか? 人を、ルールで縛って、その上に立ちたいんだろうか)


 自分のギルドを作り、領地を得て、副王となる。

 俺はそれらのことを、特に疑問を持たず、果たすべき目標、あるいは目標に至るまでの過程として見てきた。

 だがそこに、支配者になりたいという欲求があることは否定できない。

 女性は貞淑であれというルールを強いて、メイヴさんの生き方を間違っていると示したい、なんて。

 ――それは理想の世界を作りたいということだ。俺の価値観がすべてという世界を。


(まあ、そこまで自分を追い込むこともないと思うんだけどな……領地を手に入れても、すべての人たちに干渉したいなんて思っちゃいない)


 俺はメイヴさんに出会ってしまった。だが、これ以上干渉することもないだろう。それでこの話は終わりだ。

 それでもまだ気になり続けているのは、何かが引っかかっているからだ。

 メイヴ・ナイトシェード。その姿に俺は見覚えなどないのに、何かが引っかかり続けている。


「ヒロトさん……いかがなさいました? 先ほどから、心ここにあらずといったご様子ですが……」

「あ……せ、セーラさん。俺、こんなとこまで来てたのか……」


 家の前の、教会のある小山に続いている坂道。そこに差し掛かったところで、セーラさんに声をかけられた。司祭となった彼女だが、シスター時代と変わったのは、頭巾の柄くらいだろうか。

 容姿は出会った当初と変わっていないが、彼女ももう15歳だ。考えてみると、俺の肉体年齢とは一歳しか違わない。


「……何か、お悩み事ですか? お時間がありましたら、教会に来られませんか。女神様はいつでも、迷える子羊に対して扉を開いておいでになります」

「いや、何でもないよ。ありがとう、心配してくれて……え?」


 このまま家に帰ろうとしたのだが、セーラさんはゆっくり近づいてくると、きゅ、と俺の服の袖をつかんだ。


「私でも、お話を聞くくらいでしたらお力になれます。どうか邪険になさらず、昔のように、女神の慈悲に身をあずけてください」

「む、昔のようにって……」


 セーラさんは昔から笑顔が太陽のように明るい、理想の聖職者然とした女性なのだが、その笑顔がときどき、底の知れなさを感じさせる。一つ間違えば狂信の域に達している、女神の崇拝者なのだ。


(そうだ、セーラさんと話したいことがあったんだ。これはいい機会だな)


 イシュアラル神殿の歌姫だったことについて聞いてみたい。俺の悩みを聞くという、セーラさんの目的からはずれてしまうが。



 教会の礼拝堂は、二十人ほどが一度に礼拝できる小さいものだ。女神に敬虔な信仰を捧げている人は、このミゼールにおいてごく一部しかいない。祝祭などの行事でしか、女神の存在を意識しない人の方が多い。

 女神以外の神の存在について聞いたことはないので、もっと広く信仰されていてもおかしくないと思うのだが、治癒魔術の礎となる『白魔術』を取るときにしか、人々は教えに触れる機会がほとんどないのだ。

 サラサさんとネリスさんは、昔から教会によく通っている。彼女たちは白魔術を取っているので、女神の信徒といえるわけだ。フィローネさんも取っていたので、最近はよく通っているのかもしれない。


「では……お話の前に、懺悔の報告があります」

「懺悔? あ、ああ……えーと、俺がいないうちに、町の人たちが何か言ってたってこと?」


 セーラさんはステンドグラスを通して注ぐ光の中で、楽しそうに微笑む。


「はい。ヒロトさんが不在のうちに、ヒロトさんのことを考えてしまうので、女神様に代わりに思いの丈を告白したい……とおっしゃる方が、何人かいらっしゃいました」

「っ……そ、それは……」

「はい、ターニャさんとフィローネさんや、町の方々です。それ以外の方々も多く来られていましたよ」


(町の人たちに頼んで恵体を上げたことが、今でも尾を引いているからな……好感度をあえて下げるのも気が引けるし、致し方ないのか)


「花屋のクリオラさんは、ヒロトさんとの交流で癒やされていた面が大きいとのことで……」


 クリオラさんとは、町の花屋に務めている女性である。若い身空で旦那さんを亡くされてしまい、それからは夫の残した店をひとりで切り盛りしている。

 母さんが家に飾るための花を買いに行ったときにお世話になってしまったのだが――俺の恵体を構成する1ポイントは、彼女のおかげで上がったものだ。今でも感謝しているし、忘れてなどいない。


「一度はお花を買いに行ってさしあげたら、とても喜ばれると思います。そのほかにも、最近ご結婚されたナターシャさんは、レミリアさんを介してですが、ヒロトさんにお祝いの品をいただいたことにお礼を言われていました」


 婚約者がいる女性からもスキルを採ってしまった過去が思い出される。俺の中では『村人』は『恵体をくれる人』だったのである。ナターシャさんと会ったときには俺の恵体はかなり上がっていたので、一度では上がらなかったりしたが――一度とはいえ、触れ合いがあったことに違いはない。


「エレナさんは明るく話されていましたが、最近ヒロトさんに相手をしてもらえなくて残念だと……」

「わ、わかった。それについては俺は、みんなの悩みを解決すること自体は、とても前向きだと言っておいてくれ」

「ふふっ……そんな言い方をされて。今あげた方々は一部なのですが、全ての方々のお悩みについて、前向きに対応されるのですか?」

「……俺、悔い改めさせてもらってもいいかな?」

「女神様は、ヒロトさんのしてきたことをあやまちだとはおっしゃっておられませんが、どうしてもとおっしゃるのならば……この私が代行者として、女神様にあなたの懺悔を届けさせていただきましょう……」


(そういって脱ぎ始めるあたり、この人も懺悔と称して、俺との触れ合いを求めてるんだよな……)


 一度俺以外の村の男性に対してはどんな感じで対応しているのかを見たことがあるが、彼女はそのときは理想の聖職者として振る舞っているので、俺に対してだけ違う面を見せてくれている。

 しかし礼拝堂ですることではないので、背徳感が……セーラさんは俺と二人のときに胸を出しやすくするためだけに、すっぽり被るタイプなので大きくめくり上げる必要があった修道女の服を、前が開くように改良してしまった。その改良を行ったのがうちの母さんだったりする。


 こんな用途に使われているとは母さんも思うまい。そんなことを考えつつ、俺は久しぶりにセーラさんの胸を見せてもらった。他は変わっていないのに胸だけ一回り大きくなっているのは、確実に俺のせいだろう。


 その胸を見られることに恥じらいを感じつつも喜んでいる、彼女の表情が何とも言えず妖艶だった。ヤンデレという言葉があるが、彼女はたぶんそれに類する性格だ――俺が遠慮しようものなら、「それはヒロトさんの本心ではありません。女神様の前では、自分に嘘をつく必要などないのです」と説き伏せてきて、なんだかんだで自分が満足するまで俺を解放してくれない。


(それもこれも、俺が魅了してしまったからだからな……未だに罪悪感はあるが……)


「セーラさん、司祭になってからは初めてだね」

「……はい。先代の司祭様から引き継ぐ間は、私も多忙でしたので……それに今となっては、ヒロトさんはミゼールだけでなく公国にとって必要な存在……この機会が、女神の慈悲をお伝えする最後の機会になるやもしれません」

「そんなことないよ。セーラさんは、どこか遠くに行ったりするわけじゃないんだろ?」

「……布教のために、弟子たちに教えを伝えたあとは、ミゼールを離れることも考えています。行き先が決まっているわけではありませんが」

「そうか……俺は、できればセーラさんにはここに居てほしいな」

「……今の大きくなられたヒロトさんに、そうおっしゃっていただくと……少し、ずるいとも感じます」

「え……?」

「幼いあなたに引き止められても、私はあなたを教え諭す自信がありました……でも、今は……」


 最後まで言わせる前に、俺はセーラさんの頭巾に手をかけ、そっと外した。ふわりと広がる、白に近い銀色の髪。ユィシアは完全な銀色だが、人ではない種族は、こういった髪色の人が多いのかもしれない。

 人魚という種族は、まだ俺の知りえない神秘に包まれている。それについて知らないまま、彼女を布教の旅に出すわけにはいかない。


「……やっぱり俺は、気に入った人を束縛しようとしてるな。それは、いけないことだよな……」

「……それは、相手によります。私はヒロトさんに束縛されるのならば、自分の目的よりも、ヒロトさんを優先したいと思っています……こんなことでは、敬虔な信仰者とは言えませんね」


 女神は自分への信仰より俺を優先する彼女を、どう思うだろう。

 未だに女神が何を考えているか分からない俺には、それを推し量ることさえできない。

 イシュアラル神殿のことを聞く前に、俺はセーラさんの胸に触れて、久しぶりの採乳をさせてもらった。触れる前から彼女の胸は強い光を放つ――触れられることを待ち望むかのように。



 ◆ログ◆

・あなたは《セーラ》から採乳した。

・『布教』スキルが上がった!


(そういえば、人魚から授乳を受けると、特別なログが残ってたな……)


 胸に触れる俺の手を微笑んで見つめるセーラさん。彼女の頬が赤らんでいくのを見て少なからず心を動かしながら、俺は思い切って尋ねてみた。


「セーラさん……セーラさんは、何か特別な力を持ってる……よね?」

「……いつから、お気づきだったのですか?」

「ほ、本当は、初めから……でも、セーラさんが隠しておきたいなら、言うべきじゃないと思って」


 セーラさんは胸に触れる俺の手に自分の手を重ねる。しかし引き離したりはせず、優しく握ってくるだけだった。


「……私が本当は人ではないと言ったら、ヒロトさんは信じられますか?」


 ついに彼女から、彼女の持つ秘密について聞くことができる。人魚である彼女が、なぜ人の姿となって、女神の教えを伝えているのか――。


「信じるよ。でも、セーラさんは、セーラさんだから。俺があなたを見る目は、今までと変わらない」

「……あなたは、私が最も案じていたことを、簡単に言ってしまうのですね。私などより、よほど司祭に向いています……人々の悩みなど、あなたはひと目で理解し、解決してしまうのでしょうね」

「そんなことはないよ。ついさっきだって、人の心は簡単に分からないんだって思い知ったばかりだ」

「そうですか……それで、迷っていらしたのですね」


 セーラさんは少し考えるように目を伏せる。その後で、彼女は自分の過去を語り始めた。


「初めは漁師の方に見つかり、見世物小屋に売られてしまいました……その頃の私は、まだ足を人間と同じ形に変えることができなかったので、水の中以外では満足に動けませんでした。そんな日々が何年か続き、もう故郷の海に帰ることはできないのだと、私は絶望し……食事を取るのをやめ、死のうとしました」


 セーラさんは淡々と言うが、語られる内容はあまりにも凄惨だった。捕らえられ、逃げることもかなわず、見世物として好奇の視線を浴び続ける。その苦痛は想像するに余りある。


「人魚は絶食しても、半年は死ぬことがありません。しかし衰えた私は、見世物にすることができなくなり、それならばと、人魚の肉を不老長寿の秘薬と信じて求めている人間に売られることになりました。どのような形であれ、ようやく死ぬことができる。私はそう思いました……しかし、私は売られる前に、女神様の声を聞いたのです。『あなたは歩くことができるのに、なぜここで死ぬのか』と」


 その声を聞いたあと、セーラさんは自分が人化の能力を得ていることを初めて自覚した。捕らえられていた彼女は、自分が成長することで起きた変化に気づかずにいたのだ。


「私は人の姿となり、売られる日までに少しでも力を蓄え、隙をついて逃げ出しました。もともと見世物にできなくなった私には、ほとんど見張りがつけられていなかったのです。そして私は山に向かって歩き続けました。人魚である私が、水の近くを離れると思う人は少ないと思い、追手の目を欺こうとしました。そして辿り着いたのが、イシュアラル神殿のあるお山のふもとでした」


 女神の声で救われたセーラさんは、この国における女神の教えの総本山であるイシュアラル神殿に辿り着き、それを運命として、信仰にすべてを捧げることにした。


「私は素性を隠し、人間として修道女となりました。人魚としての『歌の力』は残っており、私は聖歌を女神様に捧げる歌姫の役目を仰せつかりました。その役目を、二年ほど務めさせていただいた頃でしょうか……ずっと人間の姿のままでいた私は、人魚の力を使うことができなくなりました。まったく、歌うことができなくなったのです。それでも女神様の教えを伝えることはできると考え、私は旅に出ました」

「それで、ミゼールに辿り着いたんだな……」

「はい。私がこちらの教会にお世話になるようになってから、一年ほどしてヒロトさんがお生まれになったのです。無事に生まれるようにと、ご夫婦がこの教会にいらしたときのことを、昨日のことのように覚えています」


 セーラさんは七歳にして、その人生は波乱に満ちていた。人間と比べて遥かに成長が早いのは間違いないが、容姿が変わらないという意味では、不老でもあるのかもしれない。


「セーラさんは、また歌を歌いたいと思ったりは……」

「今のところは、考えてはいませんが……海の水でないと人魚の姿にはなれないのです。もし海をもう一度見ることがあれば、その時は、人魚の姿に戻り、楽園の海に女神様の教えを伝えようと思っています」

「そうか……俺もセーラさんの歌を聞いてみたいな」

「……では、海に行くときに、ご一緒させていただければ。楽園の海にその時に帰るかは別として、ヒロトさんが望まれるなら、歌を聞かせてさしあげたいです。本来は、あまりお勧めはできないのですが……」

「え……どうして?」

「人魚の歌は、船乗りを惑わせると聞いたことはありませんか? もし私の声を聞いたら、ヒロトさんは虜になってしまわれるかもしれません……そうなると、異性は私しか見えなくなってしまいます」

「じゃあ、セーラさんの本気の歌に耐えても誘惑されずにいられたら、もう怖いものはないって感じだな」


 俺も魅了系の技には一家言あるので、耐えられるかどうか試してみたい。もし魅了されたとしても、セーラさんなら、一生俺を従わせるなんてこともないだろう。


(……いや、わからないな。女性の心は海より深いからな……)


「では、その時を楽しみにしています。ヒロトさんについていって旅ができたら、今までのどのような旅よりも、幸多きものになるでしょう」

「そこまで楽しみにしてもらうと、俺も責任重大だな」


 リリムを倒したあと、行きたい場所がもうひとつ増えた――それは、海だ。

 セーラさんが元の姿を取り戻して歌うところを見たい。イシュアラルの歌姫として歌っていた頃の彼女の姿を、そのとき俺はうかがい知ることができるのだろう。

 と、真面目な約束をした直後に聞くのもなんだが、貴重な機会なのでぜひ聞いておきたいことがある。


「セーラさん、その……人魚のミルクって、俺の身体には何か影響があるのかな?」

「人魚のミルクには、水中呼吸の能力を与える力があります。もし水の中に潜るようなことがありましたら、私にお申し付けいただければ、いつでも……」

「そ、そうだったのか……教えてくれてありがとう。もし必要になったらお願いするよ」


 当面は必要はないと思うが、水中呼吸か……なかなかロマンのある能力だ。ダイビングをするにも、器具が一切必要ないということかもしれない。水圧への対応がどうなっているかは不明だが。


「……泳ぐことについては考えないようにしていましたが、ヒロトさんと一緒に、自由に泳ぎまわりたくなりました。やはり、人魚は海を忘れることはできないのですね……」


 セーラさんは俯いて顔を隠す。その頬に涙が伝って、降り注ぐ光の中で軌跡を残す。

 初めて出会ったときは、彼女と旅をすることになるとは思っていなかったが――彼女を海に、できるならば『楽園の海』に連れて行く。その約束は、必ず果たしたいと思った。



 ◆◇◆



 必要な準備は終わり、次の段階に進む時が近づいている。巨人のバルディッシュの修復が終わったら、ミゼールのはるか北の山中にある『悠久の古城』に向けて出発する。


 夜になって家に集まってくれたフィリアネスさんたちに、俺はそう考えていることを伝えた。


「……必ず魔杖を持ち帰らなければならない。リリムも私たちの動きを捕捉し、魔杖を狙ってくるだろう」

「古城で戦うことになるかもしれないな。もしくは、リリムの配下か……」


 ハインツと、また戦うことになるのか――シスカ・ナヴァロも差し向けられるのか。その時に相手がさらに強くなっていることはありうる。

 しかし俺も遅れを取るつもりはない。残りの日数は、皆での訓練に使うつもりだ。それでパーティ全体のステータスを少しでも底上げしておきたい。


 そして今回パーティに同行するユィシアのことを、みんなに改めて紹介しておくことにした。会ったことのある人が全員ではないからだ。


「……皇竜、ユィシア。ご主人様のペット……私が言うべきことは、それだけ」

「わ、私もヒロちゃんのペットだもん!」

「ソニアもおにいたんの……きゃぅぅっ!」


 対抗しようとする妹を抱えあげる。ソニアがペットなんて言ったら、父さんと母さんに怒られてしまうところだ。


「……おにいたん、このまま高い高い、ってして?」

「んふふ、ソニアちゃんってお兄ちゃん子なんだね。それはそうだよねえ、こんなかっこいいお兄ちゃんがいたら、同い年の男の子なんて目に入らないよね」

「ヒロト殿が、妹君を高い高いとしているところを見ると……な、何か、想像してしまうな……」

「……分からないでもないが、ジェシカは気が早すぎるのではないか? まだ、ヒロトとの接点をそれほど重ねているわけではあるまい」

「は、はっ……申し訳ございません、ヒロト殿の正室であらせられるフィリアネス様の前で、このような……」

「じぇ、ジェシカさん。正室っていうのは……わっ!」


 正室という表現は間違ってはいないといえばそうだが、まだ結婚してないので恥ずかしい――そんな意味のことを言いかけると、フィリアネスさんがジト目でこちらを見てきた。


「ヒロト……今、何を言いかけたのだ?」

「ち、違うよフィリアネスさん。嫌なわけじゃなくて、まだ正式に結婚したわけじゃないから……」

「雷神さま、やっぱり今から正室として扱って欲しいんですね~。雷神さま、真ん中が好きですからね」

「そ、そんな理由で言っているのではなく……わ、私は、ヒロトが最も居心地が良いと思う場所に置いてくれれば、それだけで……」

「じゃあ正室って言い方じゃなくて、みんな同じ立場っていうことにしたら? 私はねえ、時々ヒロト君が通ってきてくれたら別にいいかなって……あっ、ね、姉さんっ……!」

「え? それはいるわよ、夕食の支度を始めるところだけど。みんな、良かったら手伝ってもらえないかしら。やっぱり、量が多くなると、手分けした方が早くできるしね」

「か、かしこまりました……レミリア様のご命令とあらば、どのような食材も微塵に切り裂いてみせます!」


 フィリアネスさんが料理をするというのは想像がつかない(スキルがない)が、スキルがすべてでもないので手伝うこと自体は出来るだろう――だがちょっぴり心配だ。


「じゃあ……台所がいっぱいになっちゃうから、私たちはお風呂でも行ってくる?」

「さ、賛成であります! パーティの親睦を深めるには、やはり裸のつきあいが一番であります♪」

「パーティということなら、私も参加していいのですわよね……マユさん、いえ、名無しさんもご一緒しますの?」

「仮面をつけたままだから、ちょっと恥ずかしいけどね。少し変態的なビジュアルであることは否めない」

「ふふっ……それはそうですわね。早くわたくしも、名無しさんの素顔を見てみたいですわ」


「はぅぅ……ヒロちゃん、みんなと一緒におふろに入っちゃう……お母さん、どうしよう」

「ヒロトちゃん、リオナもご一緒させていただいて良いですか?」

「あっ……ち、違うの、入るのは恥ずかしいけど、できたら、できたらね、いっしょがいいなって……」


 リオナも思春期の恥じらいが出てきて、複雑な心境のようだ。しかしこの流れだと、みんながリオナを仲間はずれにするわけもない。


「じゃあ、ボクはリオナちゃんと洗いっこしようかな。ボク、アンナマリーっていうの。よろしくね」

「は、はいっ、よろしくおねがいします、リオナ・ローネイアです」


 今日泊まりに来たのは今話した人たちで全部だ。メアリーさんも来ているが、彼女は書物に目がなく、俺の部屋の書棚を見てからずっと部屋にこもっている――その勉強熱心さが、智謀の礎になっているのだろう。



 ◆ログ◆


・《リオナ》はつぶやいた。「きょう、ヒロちゃんと寝れるかな……?」



 リオナはお姉さんたちに対抗できるかどうかと緊張しているようだ。みんな優しいので、そこまで身構えることはないと思うのだが、歳の差がある人たちと一緒では、やはりまだ慣れていないことは否めない。

 サラサさんは娘の心情を悟って、リオナの髪を整えたり、細い三つ編みを結び直したりしていた。母として、娘の戦闘態勢を整えているのだ――というのは、少々大げさだろうか。


 誰かが俺と一緒に寝たいと言ってくれるならそれは嬉しいし、来るものは拒まないつもりだ。

 俺は椅子に座り、ソニアを膝に乗せて平和に考えていたのだが――その考えが甘かったことを、夜になって身体で味わうことになった。


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