第五十六話 リオナの変化/夢か現か
ルシエを連れて町に戻り、大通りにあるパドゥール商会の店にやってきた。店の奥と二階が居住スペースになっていて、表から入ることもできるが、家の人は裏口から出入りしてるらしい。
表から入ると、広い店内では客が数人いて服を見ており、俺とルシエが入ってきたことには気付かなかった。俺たちは店のカウンターに行き、そこで店番をしているアッシュを見つける。
「こんにちは、アッシュ兄」
「やあ、こんにちは……あ、あれ? 隣にいるのはもしかして、こ、公女殿下……!?」
「ルシエ・ジュネガンです。本日はヒロト様に同行をお願いして、訪問させていただきました」
いつも大人しいアッシュが驚きを声に出す。ルシエは会釈をして、改めて自分の名前を名乗った。
「母さんが見たらびっくりしちゃうな……僕らが公女殿下の演説を見させていただいたと教えたら、、うらやましがっていましたから」
「では、また後でご挨拶をさせていただければと思います。ヒロト様とアッシュ様は、どのようなご関係なのですか?」
「ぼ、僕はヒロトの友達で……ヒロトとは違って、僕はルシエ様にそのようにお呼びいただくような身分ではありません。お名前を呼んでいただくことさえ、身に余る光栄にございます」
アッシュ兄はものすごく恐縮している。普通なら、自分の国の公女に対しては、こういう態度を取るのが普通なんだとわかっているが、俺はもう、一国民に戻ることはできなさそうだ……偉ぶりたいわけじゃないのだが。
「アッシュ兄、ミルテが来てるんだよな。みんなにルシエを紹介してもいいかな」
「う、うん。ルシエ様、当家のメイドに案内させますので、少々お待ち下さい」
「はい、ありがとうございます」
ルシエは終始優雅に振る舞う。演説を経て、『王統』や『気品』といったスキルが、またひときわ上昇したんじゃないだろうか。
「あ、ヒロト。ヒロトにちょっと、話しておきたいことがあるんだ」
「うん、分かった。ルシエ、先に行っててくれないか。すぐに行くから」
「かしこまりました。それでは、また後ほど」
ルシエは俺に対しては、スカートをつまんで会釈をする。そして、案内に出てきてくれたメイドさんに連れられ、奥に入っていった。
「アッシュ兄、それで話って?」
「え、えーと。ヒロトなら気づいてるかもしれないんだけど……今、ミルテと一緒にリオナも来てるんだ」
「リオナが? ああ、みんな仲いいもんな。それで?」
「その……リオナが町を歩いてると、男の人がみんな、ぽーっとしちゃうみたいなんだ。ステラが、どうしてだろうって心配してて……」
(っ……ついにこの問題と向かい合う時がきたか……夢魔スキルが上がってるんだな)
リオナには魅了を防ぐペンダントをあげたが、アンナマリーさんにもらったあのアイテムが、いつまでもリオナの力を押さえ込めるとは思っていなかった。どうやら、新たな対策を打つ時が来たようだ。
「あ……ぼ、僕とディーンは、リオナがそういう感じになってるときは、近づかないようにしてるんだ。そうじゃないと、ヒロトに怒られるからね」
「そ、それはまた、気を遣わせたな……ありがとう、アッシュ兄」
少年ふたりにそんな気を使われるというのも、恥ずかしいものがある。しかし二人がリオナに魅了された、という話じゃなくて良かった……アッシュ兄の理性には頭が下がる。といっても、まだ12歳だから、そこまで異性に対する関心がないということもあるだろう。
「ディーンなんて、しばらく町に近づかないようにするって言って、毎日お父さんの手伝いをしてるよ。リオナに変な気持ちになったら、ヒロトに悪いからって」
(俺の知らないところで、二人は葛藤していたのか……陽菜のやつ、前世からモテすぎだな……)
恭介も俺に嘘をついてまで、陽菜を手に入れようとしたわけだが――正直な気持ちを言えば、恭介に怒っていないということはもちろんない。だがそれは、陽菜を好きだったと言ってるようなものだ。
(……この期に及んで、俺は何をかっこつけてるんだ)
「……ヒロト?」
「あ、ああ……いや、何でもないよ。ごめん、考え事してて」
なんにせよ、アッシュ兄が今教えてくれてよかった。俺が今まで気付かなかったということは、リオナの能力が発現する周期があったりするのかもしれない。それとも、ミゼールに帰ってきてからまた能力が成長したか。
「僕とディーンは、リオナの気持ちを知ってるからね」
「そ、そうか……いや、まだあいつも、よく分かってないんじゃないかな」
「そんなことないよ。妹を見てると分かるけど、そういうのってすごく小さい時からあるみたいだから。僕は、まだ早いと思ってるけどね」
このアッシュの鋼鉄の理性も、このままリオナを放置したら……と思うと、とても複雑な気分になる。魅了系の能力が勝手に働いてしまうのは、やはり危険極まりない。
「じゃあ、行っておいでよ。ステラも喜ぶと思う」
「ははは……そうだといいな」
俺とリオナのことを気遣いつつ、妹のことも考えている。しかしそれでいいのか、と思いもする――アッシュには俺がどんなふうに女性陣との関係を築いているのか、彼が大人になるまで是が非でも内緒にしなければなるまい。
◆◇◆
表面を白く塗られた壁に、廊下に敷き詰められた絨毯。扉の造りといい、パドゥール家の資産家ぶりはミゼールの中でも突出している。
俺も家を手に入れたら、内装についてはエレナさんに相談したいものだ。実家の雰囲気も好きなので、良いとこどりをすると、居心地が最高な家ができるんじゃないだろうか。
「ヒロト様、ステラお嬢様のお部屋はこちらです」
「あ、うん。ありがとう」
扉には金属のプレートがかけられていて、【Stelar Padool】とエルギア語の筆記体で書かれていた。この筆跡の風合いは、女性が書いた文字を元にして作られているようだ。
「あ、あの……私の名前は、メイヴと申します。よろしければ、お見知りおきを」
(……ん? こ、この人、よく見るとめちゃくちゃ美人じゃないか……?)
こんなメイドさんが居たなんて話は聞いていない。最近勤めるようになったとか……?
栗色の髪をツインテールにして、ヘッドドレスをつけた小柄な女性。スーさんはクラシックタイプのメイド服という感じだが、どちらかというと、ゴシックドレスにエプロンを付けているような、そんな佇まいだ。
目を見ているだけで魅入られそうだ。しかし俺は何とか、彼女に見とれる自分を律する。
「ご、ごめん。メイヴさんか、覚えておくよ」
「は、はい……申し訳ありません、メイドの身で名乗るなどと、不相応でした」
「俺の方こそごめん、じっと見たりして。失礼だったよな」
「……いいえ。私も、ずっとヒロト様の横顔を見ていましたから……そ、それでは……」
彼女は顔を赤らめて言うと、頭を下げて慌てて走っていってしまった。
美人を見るとすぐこれだ――と、自分に対して呆れてしまう。だが、どうしても見ずにはいられなかった。
(何か引きつけられるものがあったんだよな……ただ、美人ってだけじゃなくて。いや、今はそのことはいいか)
気を取り直して、俺はステラの部屋のドアを開けようとする。
――そしてドアノブに手をかけて、俺はここを開けてはならないような、そんな感覚に襲われた。
中にいるのは、ステラ、ミルテ、リオナ、そしてルシエの四人だとわかっている。
分かっているが――なぜか、入っていけないと本能が警告している。
――リオナが町を歩いてると、男の人がみんな、ぽーっとしちゃうみたいなんだ。
アッシュ兄の言葉が脳裏をよぎる。その『男』の中に、俺も含まれているのではないか……?
(俺には特に魅了耐性はない……今までクエストを受けて集めた装備品の中にも、精神攻撃に対応するものはなかった。だが、魔術素養が高いだけで少しは抵抗力が身につく……そ、そうだ。今までだって大丈夫だったじゃないか)
何を恐れているのか。リオナにしてもみんなにしても、今まで通りに接すればいいんだ。
俺はドアをノックする。すると、中から返事が聞こえてきた。
「あ、ヒロちゃん? ステラお姉ちゃん、ヒロちゃんきた!」
「ヒロト? ヒロトがきたの?」
「はーい、少し待っててね、すぐ開けるわ」
ガチャ、と扉が開く――その瞬間、ログが流れてきて、俺は思わずビクッと扉から離れてしまった。
◆ログ◆
・あなたは《リオナ》の『【対異性】魅了』の範囲に入った! あなたは抵抗に成功した。
(や、やばい……マジで無差別魅了状態になってる……!)
しかし抵抗に成功したのなら、判定がもう一度来るまで時間はある。一度出なおして、魅了耐性装備を作ってから出直すか――いや、そんな時間はない。
(ええい、こんなところで怯えてられるか!)
俺は意を決して前を見る。すると、ステラ姉が不思議そうな顔をして見上げていた。
「……ヒロト、私の部屋の前で、難しい顔をしてどうしたの?」
「な、何でもないよ。ごめん、いいドアだなと思って」
「ふふっ、ありがとう。そのネームプレートはね、私が書いた字をもとにして、鍛冶屋さんで作ってもらったの」
ネームプレートを褒められたと思ったのか、ステラ姉は嬉しそうにする。良かった……怪しまれずに済んだ。
ステラ姉の部屋は、勉強や友達と遊んだりする居室と、寝室がつながっている。居室はかなり広く、本棚と勉強に使う机と、みんなでお茶を飲むときに使うテーブルがある。その周りに子供サイズの椅子が4つ置かれて、リオナ、ミルテ、ルシエが座っていたが、みんなこっちを向いて出迎えてくれた。
「ヒロちゃん、今ね、お勉強が終わったから、ルシエお姉ちゃんとお話してたの」
ルシエはどうやら、リオナには『様』をつけないようにとお願いしたようだ。まあ、子供だけで一緒にいる分には、咎められることもないしな。
「そうか。ミルテ、勉強ははかどったか?」
「うん。ステラお姉ちゃんに教えてもらうと、よくわかる」
「どれどれ……お、読み書きの練習か。ミルテもリオナも、綺麗な字を書くんだな」
ミルテとリオナの前にあるノートを見ると、丸っこい字ではあるが、丁寧に文章が書かれている。
「ちょっと見てもいいか。なになに……」
「あっ……ひ、ヒロトだめっ、読んじゃだめ……っ」
◆ログ◆
・あなたは『羊皮紙のノート』を読んだ。
『きのう、ヒロトの夢を見たから、おばあちゃんに相だんしたら、おばあちゃんがにこにこしてた。おばあちゃんは、わたしがヒロトの夢を見るとうれしいみたいです』
(……これは日記じゃないか? 確かに基本的な作文だが……な、なんか照れるな……)
『いままではお母さんやお父さんの夢をよくみたから、これからは、』
「だ、だめっ。恥ずかしいから……」
「ご、ごめん。つい、どんなこと勉強してるか気になってさ」
「ヒロちゃん、だめだよ? これは、女の子同士だけで見せたいことを書いたんだから」
リオナはしっかり後ろ手に自分のノートを隠している。そうされると見せてもらいたくなるが――。
「……私も見られたから、リオナも見せないとだめ」
「ええっ……だ、だめだよ、ヒロちゃんに見られたら私、はずかしくて死んじゃう……!」
「私は、とてもほほえましい内容だと思ったのですが……ヒロト様も、喜ばれると思います」
「はぅっ……公女さまがそういうのなら……うぅ……」
「い、いや、無理に見せなくてもいいぞ。ミルテ、ごめんな、ミルテのだけ見ちゃって」
「……わかった。リオナ、ごめんね」
「う、ううん……私こそごめんね」
謝り合い、そして笑い合う二人。どうやら、この場は丸く収まったようだ。
「ミルテ、ヒロトはだめって言ったのに読んじゃったから、かわりにお願いを聞いてもらったら?」
「えっ……そういうことになるのか?」
ステラ姉が俺の椅子の背もたれに手を置いて、楽しそうに言う。するとミルテだけでなく、ルシエとリオナも目を見開いて俺を見た。
「……ヒロト、お願い、聞いてくれるの?」
こうなると『ダメ』と言うわけにもいかない。内容を知らなかったとはいえ、ミルテの秘密を知ってしまったからな……俺の夢を見てるなんて。こそばゆいというか、何というか。
「ああ、いいよ。俺にできることだったら……」
「……わがからだは、やまねこのすがたとなる……」
(い、いきなり詠唱か……前と何か違ってる。獣魔術のレベルが上がったのか……!)
「ふぁぁ……み、ミルテちゃんが……」
「これは……公国東部の一部の部族に伝わる、獣魔術師の秘儀……?」
ミルテの身体が淡い光に包まれる。前はにゅっと耳が生え、しっぽが生えて猫耳娘になったのだが――今回はなんと、質量保存の法則など無視して、可愛らしいトラ猫になってしまった。
トラ猫はみゃーん、と鳴くと、テーブルの上に乗り、俺に両手で掴まってくる。どうやら、抱っこしてくれということらしい……やばい、毛並みが超モフモフしてる。
「ミルテちゃん、ネコさんになれちゃうんだ……ヒロちゃんの抱っこ、気持ちよさそう……」
「猫を抱くのってこういう感じでいいのか……?」
片手でお尻を支えるとそれだけで安定しているが、いいんだろうか。人間状態でお尻を支えていたら、それはミルテが八歳とはいえ、お年ごろの彼女は意識してしまうんじゃないだろうか――と心配するが。
「……にゃーん」
「ん? あ、ああ……これでいいのか?」
完全に猫と化したミルテが何か期待するように見てくるので、あごの下を撫でてやる。ミルテは気持ちよさそうに喉を鳴らし、俺の頬をぺろぺろと舐めてきた。
「み、ミルテさん……大胆ですね、お兄さまの頬に、そんな……」
「……ミルテ、猫さんになったからって、少しヒロトに甘えすぎじゃないかしら?」
「……ヒロちゃん……私も、ヒロちゃんと……」
俺は前世では犬派だったのだが、猫にも触れてみたいと思っていた――その願いが、幼なじみが猫化するという形で叶えられるとは。
「……ごろごろ……」
「ミルテ、もしかして眠いのか?」
「それなら、私のベッドで寝かせてあげましょう。ヒロト、ミルテを連れてきて」
「うん。ミルテ、寝床に連れてくからな」
ミルテは俺の腕の中で丸まったままだ。勉強して疲れてたのかな……というか、ソニアもだいたい昼下がりのこの時間は、よく昼寝してるからな。いくつになっても、午睡の誘惑には勝てないものかもしれない。
俺も眠くなってきたので、みんなと一緒に昼寝……というには、俺は大きくなりすぎたが、今回ばかりは大目に見てもらいたい。
◆◇◆
何か、甘い匂いがする。意識は半分起きているが、まだ起き上がることまではできない。
少女たちの声が聞こえてくる――何か、とても恥ずかしい夢を見ていた気がする。
赤ん坊に戻って、成長した四人に甘やかされる夢。そんな夢を見ていたなんて、絶対に言えない。
そう、あれは俺だけが見た夢のはずだ――しかし。
「……ミルテちゃんもそうだったの? ヒロちゃんのおうちで……」
「う、うん……私、大きくなってて、リオナも、ステラ姉もすごかった……ルシエも一緒でよかった」
「皆さんが同じ夢を……そんなこともあるのですね……で、では、夢の中でしたことも、覚えているのですか?」
「……わ、私は……まだヒロトに何も言ってないのに……夢のなかでは……うぅ……」
「ステラお姉ちゃん、大丈夫だよ? 私もミルテちゃんも知ってたから」
「そ、そういう問題じゃ……う……ミルテ、そんなふうに見ないで。私が素直じゃないって言いたいんでしょう」
「ううん。私も、まだヒロトに言ってないから……ちゃんと、すきって言わなきゃ」
俺はベッドに毛布をかけられて寝ており、四人は同じベッドに座って話しているので、小声で話していても全部聞こえてしまう。
(み、みんな一緒の夢を見てたってことか……? でも、悪い意味でショックを受けてるわけじゃないみたいだな)
初めはかなり驚いたが、みんなが恥じらいつつ話しているのを聞いていると、動揺よりも、微笑ましいという気持ちになってくる。
まずチェックするべきは、みんなが同じ夢を見るような事態が、どんなスキルによるものだったかということだろう。
ログは途中までしか辿れなかったが、しっかり確認することができた。リオナの実に夢魔らしいスキルが発動していたことを。
◆ログ◆
・《リオナ》の発動した『幻界の霧』の効果が切れた。
・《リオナ》たちの『????』状態が回復した。
・《リオナ》の『嫉妬』状態が解除された。
・《リオナ》のレベルが上がった!
・あなたの『魅了』状態は、何者かによって解除された。




