第五十二話 サラサの決意/魔剣と聖剣/選定者の素養
診療所にはフィローネさんだけがいた。彼女は医術師として、診療を任されるほどになっていたのだ――何だか看護師っぽい格好をしているが、それはゲーム時代もそうだった。メイド服、ナース服、他にも幾つか中世ファンタジー世界に似つかわしくない装備があったものだ。
じっちゃんの治療を終えて、処置室からフィローネさんが出てくる。彼女は手袋を外すと、俺に向けて微笑みかけた。
「おじいちゃん、見た目の出血は多かったけど、幸い傷はそれほど深くなかったわ。数日で退院できると思うから、ひとまずは大丈夫よ」
「ありがとう、フィローネさん……それにしても、こんな時になんだけど。すごく似合うね、その格好」
「えっ……そ、そう? 患者さんにも良く言われるんだけど、ヒロトちゃんにほめてもらえるなんて……」
少女のように恥じらうフィローネさん。昔からおっとりしていて、癒される雰囲気だなと思っていたから、看護師姿があまりに似合いすぎる――白衣の天使とはこのことか。
「それで……気になってたんだけど、ヒロトちゃん、その女の人も怪我をしてない? 治療しましょうか」
「あ……ボクはアンナマリーって言います。ヒロトくんが手当てしてくれたから、治療はしなくても……」
「自然治癒よりも、仕上げに治癒術を使ったほうが傷が残りにくいのよ。私にまかせてみて」
「う、うん……じゃあ、お願いします」
フィローネさんはアンナマリーさんを椅子に座らせ、包帯を外すと、傷を見ながら呪文を唱え始めた。
「大いなる女神よ、我が手にひととき癒やしの恵みを貸し与えたまえ……『快癒』」
◆ログ◆
・《フィローネ》は『リカバー』を詠唱した。
・《アンナマリー》のライフが320回復した! 創傷が消えた。
「っ……あたたかい……こんなに治癒術が使える人が、この町にいたなんて……」
「この町には、治癒術を使える人が少ないから。私のところにけがをした人が集まって、それで経験を積むことができたのよ。使えば使うほど上手になるものみたい」
誰でも技能を使うことで経験値が溜まり、スキルが上昇する。フィローネさんは、それを図らずも実践していたというわけだ。
快癒は治癒魔術スキル50で覚えるので、フィローネさんは治癒魔術だけなら、フィリアネスさんのお母さんにも匹敵するということに……例え専門職でもここまでスキルが上がることは珍しいので、フィローネさんがいかに町の人に慕われ、普通の医術師より診療回数が多いかということだ。
「フィローネさん、バルデスさんのお薬の処方ですけど……あっ、ヒロトちゃん……っ!」
「えっ……さ、サラサさん……!」
お互いに名前を呼び合ってしまう。診療所の薬の調合室から出てきたのは、これまたコスプレ装備と言われていた、白衣を身につけたサラサさんだった。
ま、まずい……白衣の前が全然閉じてない。こんな薬剤師さんが居たら、俺を今すぐ調合してくれとか、わけのわからないことを口走ってしまいそうだ。
「サラサさんは薬の調合の知識があるから、ときどき手伝ってもらってるの。ごめんなさい、今日は上がりの時間だったのに」
「い、いえ。ヒロトちゃん、バルデスさんに一体何があったんですか?」
そう聞かれて、俺は現実に引き戻される。
バルデスじっちゃんを傷つけたのは……それを言うべきなのか、すぐに答えが見つからない。
「……ハインツって人が、おじいさんに危害を加えたの。ヒロトくんは、それを守ろうとして……」
「っ……!」
サラサさんは目を見開く。いつも優しそうな彼女が悲しむ姿を見ると、俺も胸が締め付けられる思いだった。
しかし彼女は、俺とアンナマリーさんに頭を下げ、そして言った。
「……バルデスさんを助けてくれて、ありがとうございます。ハインツのしたことは、私にも責任が……」
「ううん、そんなことないと思う。人の考えは縛れないし、もし悪に染まるとしても、それはその人の自由だから。私たちはそれを許すわけにはいかないから、戦わないといけないけど……」
「……それでも、私は……あの人に、居場所を与えられたのに……何も、返してあげられなかった」
「返すとか返さないとか、そういうことを考えたら、人は一緒にはいられないんだよ。ボクは、自分がそうだったからわかる……ボクも『おとうさん』にいっぱい良くしてもらったのに、何も返せなかった。恩返しなんてしなくてもいいって言われたのに、ずっと囚われてた。それじゃ、周りの人が悲しむだけだよ」
(アンナマリーさん……『おとうさん』って、誰のことなんだ? 彼女は、何を背負ってるんだ……?)
アンナマリーさんの言葉を、サラサさんも、フィローネさんも、ただ黙って聞いていた。
そして先に動いたのは、フィローネさんだった。彼女はサラサさんの肩に手を置いて、ぽんぽんと撫でる。
「あのね、サラサさんも知ってるかもしれないけど、ハインツさんは私やターニャにも声をかけてきたことがあったのよ。私もまだお酒を覚えたての頃に、興味があって酒場に出入りしてたんだけど……ハインツさん、家にいてもつまらないからって、毎日女の人をとっかえひっかえしてるって噂があったの」
(確かに自分でそんなこと言ってたけど……まさかターニャさんとフィローネさんにまで声をかけてたとは)
フィローネさんはそのとき、どんな対応をしたのだろう……き、気になる。ずっとフィローネさんと交流のなかった俺には彼女の行動を縛ることはできない、だが、しかし。
「……それは……あの人が私に言わないのなら、私には、疑う権利なんて……」
「はい、それが間違いだっていうの。ハインツさんはサラサさんが優しいから、浮気してもばれないって思って好きにやってたんじゃない。それで、バルデスのおじいさんまで傷つけて……ヒロトちゃんが適切な手当てをしてくれてなかったら、死んじゃってたかもしれないんだから」
『バルデス爺が死んでいたかもしれない』と言われて、サラサさんの表情が曇る。彼女は胸に当てた手をぎゅっと握りしめている――それは怒っているようにも、悔いているようにも見えた。
「……あの人は……やはり、まだ……」
メディアの支配下に置かれているのか。そうはっきり口にできないでいるサラサさんに、俺は頷く。もう、先送りにできる問題でもない。
「俺はハインツさんと命をかけて戦った。最後に、ハインツさんはどこかに転移した……きっと、裏で糸を引いてる誰かにそうさせられたんだと思う」
「……『彼女』なら、それも造作もないことでしょう。ヒロトちゃん、本当にごめんなさい……私が、ハインツを止められていれば……」
「……俺がハインツと戦ったのは、サラサさんを、あの人から自由にするためなんだ。もし、許してくれるのなら……あの人のために悔いるのは、もうやめてほしい。お願いだ、サラサさん」
彼女がこれからもずっと、ハインツさんの罪を自分のものとして悔いることだけはあってほしくない。優しい彼女にそれを強いることが、どれだけ難しいか分かっていても。
――しかし今度は、フィローネさんとアンナマリーさんが、両側から俺の腕を取ってきた。
「ふ、ふたりとも……?」
「サラサさんがヒロトちゃんを独占したいと思ってたこと、私たちはみんな知ってたのよ。だって赤ん坊の頃から、ヒロトちゃんは私たちの中心にいたんだから」
「ヒロトくん、サラサさんはハインツさんのことで責任を感じてはいるけど……そのことと、ヒロトくんが大事だっていうことは別だよ。ヒロトくんの顔を見た時、サラサさんがどんな顔したか、思い出してみて」
「あ……」
サラサさんは俺を見た時、とても嬉しそうな顔をした。
俺をどう思ってくれているのかが確かなら、何も不安に思うことはない。
――みんなが傍にいてくれるのに、俺は一人失うことすら、心の底から恐れてしまう。手が届かない存在だったサラサさんのことも、もう自分のものだと思ってしまっている。
「……私は……あの人ともう一度ヒロトちゃんが戦うとしても。ヒロトちゃんに、勝ってほしい」
「……ありがとう。ごめん、そんなこと言わせて」
「はぁ、ドキドキしちゃった……こういうのって、見てる側もハラハラするわよね」
「あ、あの……フィローネさん、ハインツさんに声をかけられたって言ってたけど……ど、どんな話をしたのか、聞いてもいいかな」
そこまで干渉するのは小さい男だろうか。いや、いかに小さかろうと、気になるものは気になる。気になることを聞かずに悶々とするよりは、おちょこの裏のような器の小ささでいい。
「ふふっ……そんなの決まってるじゃない。私もターニャも、お酒を飲みながら話すのはヒロトちゃんのことだったんだから。他の男の人たちをあしらうのは、かなりうまくなったわよ」
「……あ、ありがとう……!」
「ヒロトくんったら、ほんとに安心した顔してる……やっぱり色んな女の人にもらってたんだ。大人になっても離さないなんて、なかなかできることじゃないよ。これからも頑張っていってね」
「あ、そんな私たちが重荷みたいに言って。そうならないように、私たちも頑張ってきたんだから……」
フィローネさんはそう言うと、俺を見つめて――次第に顔を赤らめていく。
その目を見るだけで、女の人が何を期待しているか分かってしまうようになったのは、いいことか、悪いことなのか――勝手に身体が反応して、男としての本能にスイッチが入ってしまう。
(だ、だから……シリアスな話をしてた直後に、すぐにそっちに切り替えられるのはどうなんだ、俺……!)
「……でもね、私たちも、もうそろそろ……ヒロトちゃんが振り向いてくれなかったら、色々考えなきゃいけなくなってきたから……一度、二人でゆっくり話したいっていうか……ターニャと、三人でもいいんだけど……」
「フィローネさんもそんなにまでヒロトちゃんを……ヒロトちゃん、私からもお願いします。フィローネさんはいつも忙しくしているので、心も身体も休養が必要なんです」
「あ、あの……ボクには休養っていう言葉が大人の意味合いにしか聞こえないんだけど、気のせい? ヒロトくん、まだこんなにちっちゃい……あ、おっきくなってたんだった」
アンナマリーさんの一言で、フィローネさんもサラサさんも顔を赤らめて恥ずかしそうにする。そして当のアンナマリーさん本人も、俺が成長したことにたった今気がついたとでも言わんばかりに見る目が変わる――これだけ時間が経ってそうなるとは、まさかこの人は天然なのか。
「お、俺、バルデスじっちゃんの容体を見てくるよ。この話はまた後で、必ず聞くから」
「……私のお休みのときに、ヒロトちゃんが、ゆっくり二人でお話してくれるっていうこと?」
「う、うん。逃げたりしないから大丈夫だよ」
悠久の古城の攻略を始める前に、町の守りを固めて、パーティの装備を整え、万全に訓練しておきたい。一ヶ月鍛錬しても既にレベルが高い人はなかなかスキルが上がらないだろうが、まだ上がりきってない人は、高レベルのメンバーと特訓することで早いペースで強くなるはずだ。
その間に、フィローネさんと話す時間はつくれるだろう。その時に、改めて彼女の話を聞きたい。
「じゃあ、ターニャも誘っておくわね。仲間はずれにしたら、寂しがると思うし……」
「っ……う、うん。俺、髪も切ってもらないといけないしね」
「ヒロトくん、すっごく髪が伸びちゃってるもんね。いっそのこと、断髪式でもしちゃったらいいんじゃない?」
「あ、それはいいかも。明日の朝、さっそくターニャを連れてヒロトちゃんのうちに行くわね」
ようやく髪を切ってすっきりできる。それはいいのだが――何か、すごい行事になってきてしまった。
◆◇◆
バルデスじっちゃんはまだ意識が戻らなかったけれど、寝息は落ち着いていた。もうかなりの高齢で、あんな怪我をしたら命に関わると思った――でも、赤ん坊の俺を助けてくれたじっちゃんの恵体は、まだあの頃とそれほどと変わらない数値を保っていた。
生命力と恵体はイコールではないけど、恵体が高いほどダメージも抑えられ、回復は早くなる。明日には退院できるというから、知らせを受けて駆けつけたエイミさんも安心した顔をしていた。
エイミさんが跡を継ぐといっても、じっちゃんもまだまだ現役だ。これから忙しくなるし、長く元気でいてくれるように何かがしたい。ポーションのレシピはまだ暗記してるままだから、活力が出る薬などをプレゼントしても良いかもしれない。じっちゃんが飲んでくれるかは分からないが。
診療所を出て家に帰る頃には、すっかり日が暮れていた。月の照らす帰路を、アンナマリーさんは俺と一緒に歩いている。
「ヒロトくん、おじいさんが無事でよかったね。すごく心配してたでしょ」
「ずっとお世話になってる人なんだ。すごく優しくて、鍛冶の腕も抜群で……俺が小さい頃から、俺のことを分かってくれてた」
「そっか……やっぱり。ちっちゃい頃もやんちゃだったんだね、キミは。それは、ボクのせいもあるかな?」
「い、いや……俺は根っから、ちょっと変わってるっていうか。少しでも早く強くなりたいとか、そういうことばかり考えてたから」
「おっぱいをあげると、冒険者の資格が得られるんだよね」
「っ……!?」
世界のシステムに関わることを、転生者以外が口にしたのは初めてだった――俺はそれをどう捉えるべきか、判断に迷った。
しかし俺が答える前に、アンナマリーさんは微笑んで言葉を続ける。
「不思議な世界だよね……でも、魔術みたいな力があるんだから、どんなことが起きてもおかしくないんだよね。私はそういうことを、『おとうさん』に教えてもらったの。できれば、ヒロトくんにも会わせてあげたかった。」
「……アンナマリーさんのお父さんは、色んなことを知ってたの? 今みたいなこととか……」
「ううん、さすがにおっぱいを飲むと力がもらえるなんてことは知らなかったよ。それは私の、女の勘っていうのかな……それはいいとして。キミの家に着くまでに、いろいろ話そうか。それとも、帰ってからの方がいい?」
すぐにでも聞きたいことがいっぱいある。俺はその中でも、最も気になることを尋ねた。
「アンナマリーさんは、一体……何者、っていう言い方は失礼だけど。何のために、冒険者をしてるんだ?」
「ボクは、キミの家に魔剣があることを知っている。だから、魔剣を装備できる『選定者』を探してたんだよ」
あまりにもあっさりと、彼女は核心を口にした。
まだ少女のような面影を残したまま――しかしその片目は眼帯に覆われ、もう片方の瞳は、昔のように無邪気な光を宿してはいない。
今なら、俺にすべてを話すことができる。それは彼女が、ある種の覚悟を終えているということでもあった。
「……魔剣が欲しいわけじゃなくて……装備できる人物を、探してるのか」
「うん。正確には、剣を装備できて、さらに選定者である人を探してたんだよ。昔この町に来たときは見つけられなかった。初めは、ヒロトくんが選定者じゃないかと思ってたんだけど……それは、少し違ったみたい」
「す、少しって……」
「ボクの持ってる魔槍は、選定者が近くにいると教えてくれるの。それで、キミの家に来たんだけど……」
「っ……ま、待ってくれ。今、アンナマリーさんは『魔槍』って言ったのか?」
ログに表示された名前とは食い違う――しかしアンナマリーさんは、彼女の持つ槍が『聖槍リライヴ』ではなく『魔槍』であるという。
魔槍ディザスター――俺がゲームで見たことのある禍々しい姿とは違う。聖槍の名を冠するにふさわしい印象を受ける、飾り気が少ないながらも厳かなたたずまいの槍だった。
「これは……『聖槍リライヴ』じゃないのか?」
その名前を口にするのは賭けだった。しかしアンナマリーさんは、得心がいった顔で自分の槍を見つめた。
「悪しき心を持たない選定者が持てば、魔槍はこうやって聖なる武器に変わる。けれど魔王が持てば、魔界の扉を開く鍵にもなり、多くの人の命を一振りで奪う武器に変わる。魔槍はもともと、誰が所有しているものでもなかったんだよ。使う人によってその姿を変える、この世界において最強の武器。それが『魔武器』……ううん。『神器』と言った方がいいのかもしれない」
その時俺は、魔剣についてのこれまでのすべての記憶を思い返した。
――これが……災厄の魔剣、カラミティなのか……?
――魔神が、世界を滅ぼすために魔王たちに与えた武器。魔王を討った勇者によって持ち去られ……公国領内の、勇者が暮らしていたとされる場所に、この剣だけが残されていた。全く勇者とやらも、何を思って捨てていったんでしょうな。
まだ赤ん坊だった時に聞いた、フィリアネスさんと父さんの会話。父さんは魔剣について『魔神が魔王に与えたもの』だと思っていた。
しかしステラ姉の読んでくれた絵本には、こう書かれていた――。
――それでもくじけそうなときには、あなたたちのもとに、つよきものをつかわせます。
女神が人間を救うために遣わせた、『強き者』。それはおそらく、魔王を討つ『勇者』だ。
絵本に描かれた、8つの武器に手を伸ばす人間の手。それが、『勇者』のものであったとして、アンナマリーさんの言うことが本当ならば……。
『魔槍』と『聖槍』は同一の存在で、それを使う者の性質によって姿を変えるということになる。
「なぜ……勇者は、魔剣を、『魔剣』のまま、捨てなければならなかったんだ……?」
「……それは、その勇者が『剣の選定者』ではなかったから。魔剣を手に入れても、魔王を滅ぼしたわけではなかった。魔剣によって開かれた魔界の扉の向こうに、魔王を送り返しただけ。でも、それでも良かったんだよ。魔剣がこちらの世界にあれば、魔王はこちらに出て来られないから」
魔界の扉という言葉もまた、聞き流すことのできないものだった。魔王が、魔物と共に住まう世界――魔物が湧くポイントである魔物の巣は、『異界の門』だと言われていた。その門が繋がる先もまた、魔界であったのだとしたら……。
アンナマリーさんの言い方では、魔王は『魔界の扉』を介してしか、この世界と魔界を行き来できないということになる。魔物の巣は魔物が一定数湧けば消えるし、そこに入っても魔界に行くことはできなかった。
「その……魔王の名前は……?」
「……魔王イグニス。炎を司る煉獄の王。そして、私の槍は……『時空を凍らせる槍』。私の槍でないと、イグニスを倒すことはできない」
イグニス――リリスではない。考えてみれば、それは当たり前のことだった。魔界に追い返された魔王と、リオナに転生した魔王が、同一であるわけはない。
しかし同時に疑問が生じる。今まで辿りつけなかった謎の答えが、次々に明らかになっていく――その情報量と、確かめなければならないことの多さに、思考回路が焼き切れてしまいそうだった。
「魔剣は、魔王イグニスが持っていたものなのか?」
「そう……人間が神器を手にしないように、魔王の何体かは、自分の弱点の武器以外の神器を手に入れて保持していたの。この国にいた勇者は、神器なしでイグニスを追い詰めたんだよ。そして魔剣を奪った。とても強い人だった……」
だが、イグニスを魔界に追い返すのみで終わった。それは、聖槍の使い手でなければイグニスを倒せないから。
「……その人は、一体……何者だったんだ……?」
「ヒューリッド・クルーエル。私の、『おとうさん』になってくれた人……私は、勇者に拾われた孤児だったの。槍の選定者の私を、父さんはイグニスから奪った魔剣の力で見つけ出した……そして、私を育ててくれた。いずれ、魔王イグニスを滅ぼす勇者になれるように」
――ヒューリッド・クルーエル。
それが、魔剣を置いて消えた勇者の名前。俺の父さんが、魔剣の護り手となる理由を作った人間……。
彼に対して俺は、偉大な勇者であるという以上に、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
そしてそのクルーエルという言葉に、俺は以前聞き覚えがあった。
「クルーエル……『魔穿クルーエル』と名前が同じなのは……」
「父さんは元々、『魔穿』……魔の名前を冠する細剣を守る家系の人だったの。でも、『魔穿』の適性はなかった。それでも父さんは、勇者になることを諦めなかった。普通の人なら死んじゃうような訓練をして、魔物を倒して腕を磨いて……誰にも負けない強さを手に入れて、勇者になろうとしたの」
――誰にも負けない、負けたくない。その気持ちは、俺にも心から共感できるものだった。
負けて仕方がないと思い、それを受け入れて強くなるというのは、生きていく中で誰もが経験する試練だろう。だが俺は、ゲームの中だけは、誰にも負けられないと思っていた。
だけど、今でも俺はその思いを持ち続けている。ヒューリッドという人がどれだけ強かったとしても、魔王を圧倒するほどの実力者でも、必ず凌いでみせる。そんな闘志を抱かずにはいられない。
「父さんは剣と細剣を使えたけど、どちらの選定者でもなかった。だから、『魔剣』がいらなくなっちゃったんだと思う。ボクは選定者を探す魔剣の力で見つけてもらえたけど、『剣』の選定者じゃなかった……そのことに、父さんはすごく失望してた……」
「……ヒューリッドさんは、どうしてイグニスを倒すことにこだわったんだ? それとも、どの魔王でも倒すつもりだったのか…?」
「どの魔王でも、倒すつもりだったと思う。魔王を見つけること自体が簡単じゃなかったから……人間の国を攻めようとしてたイグニスと違って、他の魔王は人間に関心が無い場合もある。でも、一度気まぐれを起こして人間を滅ぼそうとすれば、それはもう人間にとっては災厄でしかない。魔王は、そういう存在なんだよ」
アンナマリーさんが言うとおり、リリムの行動はこの国の人々にとって災厄そのものだ。
しかし、俺はどれだけリリムが悪事を重ねても、やはりリオナ――自分の姉の転生体を見た時の反応が忘れられない。
彼女は姉に会えて嬉しいと言っていた。皮肉めいた言い方をしても、本当に喜んでいるように見えた。
魔王でも、実の姉に対しては情があるのだろうか。ならばリリムは、リオナをリリスとして覚醒させたいと願っているのか――今は推し量るしかないが、そうである可能性は高い。
「……ヒロトくんが魔王リリムと戦ったことは聞いたよ。何か、ファーガス陛下から密命を受けてミゼールに来たってことも。あの演説を聞く限りだと、ヒロトくんはリリムと戦うつもりなんだよね?」
「アンナマリーさんもあそこにいたのか……? 声をかけてくれたら良かったのに」
「ううん、ボクはAランクの冒険者だから、ギルドの情報網を利用できるの。公国の中なら、ギルドの所在地で起きためぼしい出来事は、全部把握することができる」
「Aランク……アンナマリーさんは、そこまで一人で上がったのか? 俺たちはまだBランクだよ」
「ふふっ……いちおう、ヒロトくんの先輩だもん。追い抜かれないように意識はしてたよ。キミなら、その気になればSランクにでも上がれると思うけどね」
Sランクが最高ではなく、SSランクまでが存在する。だが実装予定だっただけで、ゲームで存在したのはSまでだった。
Sランクに上がる条件としてネックになるのは、『3つの国のギルドで最高難度のクエストをクリアする』である。ジュネガン公国の外に出ないといけないとなると、今の俺にはまだ無理だ。そのうち船を使ってミコトさんの祖国にも行ってみたいし、未実装だったマップ――もとい、国を見て回りたいのだが。
「それと……ヒロトくんはどうやったのか分からないけど、『選定者』になれる素養が身についてるよ」
「えっ……お、俺が……?」
「うん。私の魔槍……ううん、聖槍が反応してるから。ヒロトくんはまだ、素養があるだけで、実際に使うことはできないと思う。もしかしたら、場合によってはずっと選定者として目覚めないかもしれない」
(どういう意味だ……素養……俺が取得したスキルの中に、何か含まれて……あっ……!)
――フィリアネスさんがパラディンになったとき、彼女から貰ったスキル『聖剣マスタリー』。
その数値はまだ低く、何の技能も取得できてない。育て方も分かっていないが、おそらくフィリアネスさんと訓練するか、スキル経験値を供給してもらうことで上昇する。婉曲な言い方をしたが、つまり授乳だ。
『聖剣マスタリー』は、神器を人間が装備するための条件となるスキルだとしたら――アンナマリーさんも、それを所持していることになる。
「え、えっと……アンナマリーさん、一つお願いがあるんだ」
「ん? いいよ、ヒロトくんには命を助けてもらったから。十倍にして返してあげたいから、十回くらいはお願いを聞いてあげるつもりだよ。お姉さんに言ってみて?」
ボクっ娘なのにお姉さんとして振る舞おうとするアンナマリーさん。彼女の『ボク』は本当に自分に対する呼称であって、男性らしく振る舞おうとしているわけではないようだ。
しかし、十回か……一回は別のことに使うとして、九回でどれだけスキルを上げられるか。
だがいくつになっても、この交渉ばかりは精神力を要求される。胸に触るなんてダメ、と怒られてしまうリスクは常にあるのだ。好感度が高いといっても、魅了していなければ無条件に受け入れられるものではない――と、俺は思っている。実際は好感度次第なのかもしれないが。
「ヒロトくん、そんなに言いにくいことを言おうとしてるんだ……あ……も、もしかして、私のこと……女の人として見てくれてるとか?」
「お、女の人として見てるのは、そうだよ。それ以外にはありえないし……」
恩人を異性として意識してるなんて、褒められたことではない。
しかし、事情を説明すれば、アンナマリーさんは聞いてくれるのではないだろうか。
「え、ええと……俺、女の人の胸にさわると、力をもらえる体質で……で、できれば、アンナマリーさんからも、欲しいなって……い、いや、俺が採っても、アンナマリーさんの力はなくならないんだ」
「……む、胸……私の……?」
自分の胸を見下ろしたあと、俺を見て、アンナマリーさんの顔がかあっと赤くなっていく。
「そ、それは……胸じゃないとだめなの? 身体のどこかに触ればいいっていうわけじゃなくて……?」
「ご、ごめん、それも理由があって……女の人がおっぱいをくれるかわりに、胸から力を吸えるっていうか……ま、ますます分からないよね……」
アンナマリーさんはしばらく何を言っていいのか迷っているようだったが、考えた末に、ふぅ、と小さく息をついた。
「……ヒロトくんが、そんな嘘言うわけないもんね。それにヒロトくんは、私の力を手に入れれば、もっと強くなれる。そういうことだよね?」
「う、うん……ごめん、他力本願で。でも俺、もっと強くなりたいんだ」
「……わかった。いいよ、ヒロトくん」
「えっ……い、いいの!?」
「そ、そんなに喜ばなくても……ヒロトくんも男の子なんだね」
苦笑しつつ、アンナマリーさんは胸をかばうようにする。許可してくれたとはいえ、やはり緊張するといえば緊張してしまうようだ。
では、お言葉に甘える――その前に、彼女のステータスを確認しないと。
『聖剣マスタリー』が、俺の考えるようなものだとしたら――それを持つフィリアネスさんもまた、神器を使えるということになる。細剣を使える彼女が、神器の細剣を装備できたら、対応する魔王との戦いにおいて彼女の力が必須となるだろう。
(それもこれも、俺の推論が当たっていたらの話だ)
「そ、その……アンナマリーさん、俺のパーティに入ってくれないかな? 一時的でも構わないんだけど……」
「初めからそのつもりだよ。それともヒロトくんは、ボクとパーティを組まないで連携して、魔王を何とかするつもりでいたっていうこと?」
「あ……そ、そうだよな。別々で行動するより、一緒の方が……」
アンナマリーさんはくすっと笑う。昔、少女だった彼女よりすっかり大人びていて、何ともいえない艶がある。
「赤ちゃんのときの、ちょっとおどおどしてたキミのこと、思い出しちゃった。可愛かったなぁ……ボクも赤ちゃん欲しいなって思っちゃったくらい。ボクのあげたペンダント、今も持ってくれてる?」
「あ……あ、あれは、友達に、力を制御できない子がいたから、その子につけてもらってるんだ」
「じゃあ、役に立ったんだね。良かった……ボクも思いつきでしたことだけど、ヒロトくんがうまく使ってくれたなら、やっぱりあげてよかったんだ」
彼女にもらったものをリオナにあげてしまったと明かしても、彼女は怒らなかった。それどころか、俺の判断を無条件で肯定してくれる。
リオナの正体を知ったら、魔王と戦うために旅をしている彼女がどう思うか――それも、俺は心配する必要はないと思った。彼女なら、順を追って話せばきっとわかってくれるだろう。
「……パーティ、入ってもいいよね? ボク、相当長いこと入ってると思うけど、いい?」
「う、うん。目的が同じなら、長いことじゃなくて……ず、ずっと入ってて欲しいっていうか……」
「……ヒロトくん、それはどういう意味かわかってる? 『長いこと』と『ずっと』は違うんだよ……?」
「……分かってるよ、俺は強欲なんだって。でも、せっかくもう一回会えたのに、またどこかに行っちゃったら寂しいと思ったんだ」
一度離れたら、次はいつ会えるか分からない。彼女がここに居ることすら、奇跡のようなものだ――例え、彼女がここにいることを必然だと言っても。
「……八歳くらいだと思ってたのに、おっきくなっちゃって。ボクより背が高いとか、反則じゃない?」
アンナマリーさんはブーツを履いていても、俺より少し身長が低かった――素足なら、もっと小柄だろう。
彼女は背伸びをして俺の頭をぽんぽんと叩き、むぅ、と口を尖らせた。
「キミもいろいろ大変なことがあったんだね。キミの冒険のことも、また聞かせてもらってもいい?」
「うん。アンナマリーさんの冒険のことも、教えてほしい」
「……ボク、宿をとってないんだけど……ヒロトくんのおうちに行っても大丈夫?」
「もちろん。そっか、それなら夜の間も話ができるな」
俄然楽しみになってきた――いや、彼女の旅の話が聞けるからといって、はしゃいでる場合じゃないのだが。
「じゃあ……あらためて。ボクを、ヒロトくんのパーティに入れてください」
「ああ。これからよろしく、アンナマリーさん」
◆ログ◆
・《アンナマリー》がパーティに加入した!
一も二もなく受諾し、パーティ加入ログが流れたところで――俺はついに、八年越しでアンナマリーさんのステータスを見せてもらった。
◆ステータス◆
名前 アンナマリー・クルーエル
人間 女性 23歳 レベル63
ジョブ:バウンサー
ライフ:1096/1096
マナ :888/888
スキル:
槍マスタリー 100
聖剣マスタリー 12
軽装備マスタリー 82
恵体 88
冒険者 84
用心棒 32
魔術素養 72
母性 55
料理 48
不幸 8
アクションスキル:
烈風突き(槍マスタリー10)
薙ぎ払い(槍マスタリー20)
連続突き(槍マスタリー30)
壁貫き(槍マスタリー40)
ブラストチャージ(槍マスタリー50)
飛翔三段(槍マスタリー60)
バスタードライブ(槍マスタリー70)
四鳳閃(槍マスタリー80)
瞬光閃(槍マスタリー90)
七界槍(槍マスタリー100)
野営(冒険者20)
一時招集(冒険者40)
経路探索(冒険者50)
クライミング(冒険者60)
ロープアクション(冒険者80)
眼光(用心棒10)
絶影(用心棒30)
授乳(母性20)
子守唄(母性30)
搾乳(母性40)
パッシブスキル:
槍装備(槍マスタリー10)
槍攻撃力上昇(槍マスタリー30)
神器所持(聖剣マスタリー10)
貫通(槍マスタリー100)
軽装備(軽装備マスタリー10)
軽装備効果上昇(軽装備マスタリー50)
回避率上昇(軽装備マスタリー80)
気配察知(冒険者30)
罠察知(冒険者70)
瀕死時攻撃力上昇(用心棒20)
マジックブースト(魔術素養30)
育成(母性10)
慈母(母性50)
未開放魔眼を所持している
(俺の予想はやっぱり当たっていた……聖剣マスタリーのパッシブに『神器所持』がある……!)
アンナマリーさんはどうやって取得したのか、『聖剣マスタリー』を持っている。用心棒のスキルは別にあるから、彼女には『素養』があったということになる。
フィリアネスさんのジョブ『パラディン』は、条件を考えても公国に一人しかいない職業だ。フィリアネスさんは後天的に、クラスチェンジによって『素養』に目覚めた――そういうケースもあるのだということになる。しかし、他の人間がクラスチェンジで聖剣マスタリーを得る確率は、少なくともジュネガン公国においてはゼロだと言えるだろう。
そして俺は、フィリアネスさんから聖剣マスタリー――神器を扱う素養をもらった。つまり俺も、スキルを10にすれば神器が所持できることになる……が、『装備』とは表記されていないから、アンナマリーさんが言っていたとおり、まだ彼女は聖槍を所持しているだけで、力を引き出せていないのだ。
――気になることは他にもある。彼女の眼帯で覆われている目は、『未開放魔眼』……何らかの理由で彼女の片目は魔眼に変わっている。
開放することでプラスになるのか、それともマイナスなのかは分からない。彼女に魔眼のことをいきなり聞くわけにもいかない――しかし、悠久の古城に行く前には聞いておくべきだろう。
俺はさらに、彼女の所持するアイテムの情報――『聖槍』がどんな性能を持つのか、見せてもらおうと試みた。
◆アイテム◆
名前:聖槍リライヴ
種類:槍
レアリティ:ゴッズ
攻撃力:(8~32)×1D6
防御力:50
スロット:空き8
装備条件:槍マスタリー100 聖剣マスタリー10
適正条件:槍マスタリー120 聖剣マスタリー100
・未鑑定。
・周囲の時を停滞させる力を持つ。魔術扱いとなり、一度発動するごとにマナを10%消費する。
・《魔王イグニス》に止めを刺すことができる。
・『魔剣マスタリー』スキルを持つ者が装備すると、『魔槍ディザスター』に変化する。
(やはり……錆びた巨人のバルディッシュよりもダメージが低い。完全に使いこなせてないからだ。それに、まだ隠れた性能が残されてる……)
現状では、聖槍の名に見合わない数値に見えるが、それは適正条件を満たしていないからだ。
スロットの空きが8つあるというのも、それだけで破格だ――この武器に理想の組み合わせの魔晶を8つセットした状態で、適正条件を整えて装備すれば、他の武器とは次元が違う威力を発揮するだろう。
だが、そのための道はあまりに遠い。上位職の固有スキルの聖剣マスタリーは、100まで上げるにはどれだけ頑張っても年単位で時間がかかる。ボーナスを振ることも考えられるが、アンナマリーさんのボーナスポイントは残っていなかった。レベルを上げる過程で、必要なスキルに自動的に振られてしまったのだろう。
(アンナマリーさんの固有スキルは、用心棒……今まで取得する方法がわからなかったスキル『絶影』が取れる……!)
30まで上げるのは容易ではない。しかしリリムの不可視の移動に、『絶影』があればついていけるかもしれない。
「さてと……ヒロトくんのパーティにも入れてもらったし、おうちに案内してもらってもいい?」
「あ……そうだな、ずっと立ち話もなんだし。母さんとスーさんに事情を説明して、部屋を用意してもらうよ」
「スーさん……その人も、ヒロトくんの家に住んでるの? 親戚かなにか?」
「え、えーと……俺の専属のメイドさんというか、彼女もパーティの一員だよ」
「ふーん……ヒロトくん、やっぱりすみにおけないね」
悪戯っぽく笑うアンナマリーさん。俺が彼女を家に案内する間、ずっとそんなふうに笑っているものだから、俺はそわそわと落ち着かなかった――やはりこの人は昔から、一筋縄ではいかない女性だ。




