第五十一話 奈落の剣戟/聖槍の使い手
しばらくして目を覚ましたエイミさんは、俺に皇竜の知り合いがいるというのは内緒にしておく、と勝手に約束してくれた。人に知られるとまずいと思ったのだろうが、確かにそう思うのもわからなくもない。あの皇竜素材の価値を見てしまうと、ユィシアの正体があまり広まりすぎるのも良くないからだ。
そして、バルディッシュを磨いている間、代わりになる武器を貸してくれた。エイミさんは何種類かの武器をすぐ売りに出せるようストックしていたが、その中に良作の斧槍が一本あった。
◆アイテム◆
名前:ドヴェルグの斧槍+3
種類:斧槍
レアリティ:レア
攻撃力:13~45(+10)
スロット:空き1
装備条件:恵体30
・ドワーフが装備すると攻撃力+10%
◆ログ◆
・あなたは『ドヴェルグの斧槍+3』を装備した。
ドワーフに対する付与効果を活かすことはできないが、十分に強い装備だ。錆びた巨人のバルディッシュと比べて最大ダメージは4分の1にとどまるが、これでも町で手に入る装備としては破格と言える――エイミさんの鍛冶の腕は本物だ。
スロットに魔晶を入れようかとも言われたが、武器はなるべく無属性がいいと思っているので、今回はナシにしておいた。法術の中には『シャープネス』などの、攻撃力を増加するものがある。それを封じた魔晶を武器に入れれば、属性がつかずに攻撃力が上がる。俺はまだ使えないが、名無しさんなら習得しているはずだ。
今はといえば、俺は少しバルデスじっちゃんのことが気になって、会いに行こうとしていた。
じっちゃんは、西の森に行くと言っていたらしい。そちらに足を運んだら、ネリスさんのところに行って、久しぶりにミルテと二人で話すのもいいかもしれない――そんなことを考えながら、俺は足を早めた。もうすぐ夕方だ、悠長にしてはいられない。
草原を抜け、森に入る。
すぐに俺は違和感に気づく――森にいつも住み着いている無害なモンスターの姿が全く見られない。
こんなとき、森には必ず異変が起きている。俺の背中に冷たい汗が流れ、進む足が鈍ろうとする。
だが、止まるわけにいくわけもない。じっちゃんが、今この森にいるのなら。
戦うことを恐れる相手なんて、今の俺に早々いるわけもない。それなのになぜ、俺の本能が、進むことをためらうのか――理由は一つしかないのに、まだ信じることができない。
――そして、さらにしばらく歩いたところで、前方の空間から、覚えのある邪悪な気配が生じる。
血が凍りつくような感覚。しかし俺は、恐れていた最悪の事態とは違うとも肌で察した。
(リリム……じゃない。でも、リリムのまとっていた空気に似たものを感じる……この先に、邪悪な何かがいる……!)
「――じっちゃんっ!」
心臓が跳ね、俺は弾かれるように駆けだしていた。この森にじっちゃんが来ていたら――この邪悪な気配に、今まさに遭遇してしまっているのだとしたら。
ミゼールの森には、父さんに軽傷を負わせるような魔物も出現する。セディはようやく魔物が減ってきたと言っていたが、ミゼールの周囲の危険度が上がりやすい状態なら、依然として危険であることに違いはない。
進む先の視界が開け始める。ユィシアと会った湖から、南に位置する場所――そこには魔石鉱の採掘に使っていた道が広がっていた。今は通る人がおらず、草や石がそのままになり、荒れ地となった場所。
そこに、鎧を着た男が立っていた。
男の手には、血のように赤い剣が握られている。その前に、倒れ伏しているのは――。
俺がその姿を探していた、ドワーフの老人。バルデス爺だった。
「……うぁぁぁぁぁぁっ!」
ウォークライでも何でもない。怒りが声に変わり、俺は斧槍の柄を握りしめ、じっちゃんの前に立つ男に突きかかっていく。
じっちゃんを傷つけた奴に、手加減など必要ない。最初から最大のスキルを使う――!
◆ログ◆
・あなたは『ダブル魔法剣』を放った!
・あなたは『フリージングコフィン』を武器にエンチャントした!
・あなたは『サンダーストライク』を武器にエンチャントした!
・あなたは『メテオクラッシュ』を放った! 「氷棺雷星撃!」
二つともにレベル7の精霊魔術を武器に付与し、斧マスタリー110の奥義『メテオクラッシュ』を繰り出す。この技で仕留め切れないものなど居ない――仕留め損なってはいけない。
――しかし、暗紫色の鎧を身につけ、顔全体を覆う兜を被ったその男は、受け止めることもかなわないはずの俺の一撃を前にして、かすかに口元を歪めて笑った。
「ようやく会えたな……リカルドの息子。忌まわしき英雄、ヒロト・ジークリッド……!」
「っ……!」
◆ログ◆
・《???》は『奈落の剣戟』を発動!
・あなたの魔術のダメージを軽減した! 137ダメージ!
・《???》の防具によって凍結効果を防いだ!
(俺の技のダメージを、軽減した……武器が弱いといっても、俺の技は4桁ダメージには届くはずだ。なんだ、この防御技は……!?)
「……こんな怪物が、ただの子供のふりをして暮らしていたのか。そしてリリム様をおびやかそうと言う……公王と手を組んでしまった今、君にはできるだけ早く消えてもらわなければならない」
「何を言ってる……なんで俺の名前を……父さんのことを知ってるんだっ!」
「『劇』は終わったんだよ、ヒロト君。僕はもう演じることを終えた。リリム様の許しを得て、君を殺す許可も得ている。この鎧も武器も、全てそのためだけに与えられたものだ」
その声を、俺はどこかで聞いたことがあるような気がした。
最悪の想像が、脳裏をめぐる。
俺と父さんのことを知っていて、バルデスじっちゃんを呼び出すことができる人物。
――そして、リリムに敬称をつけて呼び、その支配下に置かれている。
兜の中からのぞいているのは、灰色の髪。俺はその色をいつだったか、遠くから見たことがあった。
――ええ。それが、ハインツだった……ハインツは、メディアが壊滅させた盗賊団の一員だったの。彼はメディアに生かされて、私たち奴隷の見張り役をしていた……。
「……どうしてなんだ、ハインツさん……!」
目の前の男は俺の言葉を否定せず、その口元を歪めて笑うだけだった。
メディアに生かされ、配下となったハインツ・ローネイア――彼がまだ、リリムの支配下に置かれて、バルデス爺に剣を振るい、傷つけた。
それを目の前で見せられても、まだ理解できない。理解したくない……そんな俺を見て、暗紫の鎧を着た男は、心底愉快そうに笑っていた。
「だから言っただろう? 僕は演じていたんだよ……エルフの奴隷を連れ出し、血の繋がらない娘と一緒に暮らし……恋した女性の奴隷の記憶が薄れるまで、待ち続ける男をね」
その言葉が裏付けている。彼が、ハインツであることを。
その装備の効果なのか、名称を隠蔽しているからなのか――ログの名前は隠されている。それを可能にするいくつかのジョブの名前が浮かぶが、今はまだ断定はしきれない。『カリスマ』が効かず、ステータスを見ることができないからだ。
倒れているじっちゃんは、全身をなます切りにされたように、おびただしい血を流している。しかし助けようにも、ハインツさんは持っている赤い剣を俺に向け、笑いながら壮絶な殺気を絶えず放ち続けている。
俺がヘタに動けば、ハインツさんは……じっちゃんを、殺してしまう。
「しかし……僕は元々、平穏な暮らしなんてできる性質じゃなくてね。君が僕に会わずに済んでいたのは、僕にとっては家にいることが苦痛でならなかったというだけの理由だ。君がリリム様と戦うまでは、僕は本当に知らなかったんだよ。ただの不幸な捨て子だと思っていたリオナが、まさかリリム様の姉君の生まれ変わりだなんて……とてもとても、思いもよらない」
演じるのは終わった、そう言いながらも、ハインツさんの口調は芝居がかっている。そうすることで、最も俺の怒りを誘うことができると思っているのか――やはり俺は、憎まれているのか。
「……話は後で聞かせてもらう。じっちゃんを死なせるわけにはいかない」
「バルデスは最後の最後で、僕の正体を見抜いてしまった。耄碌している老人かと思いきや、とんだ食わせ物だ。言うことを聞いていれば、死なずに済んだものを」
じっちゃんに、ハインツさんが……いや。
この男が何をしようとしたのか、なぜ争ったのかは分からない。本当なら問いただしてから戦うべきだろう――サラサさんとリオナのことを考えるなら。
「……ごめん……でも……」
俺が謝ったのは、サラサさんとリオナに対してだ。しかしハインツさんは、それを自分への謝罪として受け取ったようだった。
「謝っても仕方がない。僕はね、サラサの心が別のところにあることは気づいていたんだよ。そのこと自体は責めるべくもない。なぜなら僕も初めから、サラサを愛してなどいなかったからだ」
「――そうだとしても、あの人は自分を責めてたんだ。全部捨てて遠くに行こうとするくらいに……!」
俺が止めなければ、今頃サラサさんは――そんなこと、想像もしたくない。
初めから、終わっていた。
俺が想像していたサラサさんとリオナの温かい家庭なんて、どこにも存在してはいなかった。
仮面を被った、家族の形をした三人がそこにいただけだ。
そしてハインツさんは、サラサさんに愛されずに家を出たことすら、『演技』だと言った。
「全部……リリムの言うとおりにしてたのか。サラサさんを助けて、この町に来て、父さんと友達になって……それも全部、演じてただけだったっていうのか……!」
「……なぜ、君がそうも怒ることができるのか。理解に苦しむ……例え演じていただけだとしても、僕はあの女を手に入れることができると思っていた。暮らす場所を提供したのは僕だ。どこにも行く場所がないハーフエルフに存在意義を与えてあげたのは僕だ。奴隷だった彼女に何があったかは聞いているかい? 他の奴隷たちの見ている前で、ダークエルフの男たちに犯されるところだったんだよ。僕がそいつらを殺してやらなければ、彼女は生きてすらいなかった。僕がサラサに命を与えたようなものだ……そうだろう?」
それが優しさであったのか、哀れみであったのか。
それとも、彼は彼なりに、サラサさんを愛していたのか。
――だけど、サラサさんに出会った時には……この人はもう、超えてはならない一線を超えていた。
人を殺すことを罪だと思わない心を、手に入れてしまっていた。
その凶刃をバルデス爺に向けてなお笑っていられるのは――彼が、殺すことに慣れてしまっているからだ。
「彼女は当然僕のものになるべきだった。しかし、何かを勘違いしてしまったようだ……その原因は君だろう。リオナが居ない間に、僕はそろそろ頃合いだと思ってサラサを求めた。そのとき、サラサはなんて言ったと思う?」
「それ以上……」
「――彼女は君の名前を呼んだんだよ。あの女が『助けて』と怯えた目をして言いながら呼んだのは、年端もいかない少年の名前だったんだ。とんだお笑い種だろう」
――全てがウソではなかったと思いたかった。
サラサさんは俺にとって、この異世界の攻略を始めさせてくれた恩人だ。
その彼女の心まで手に入れてしまった俺は、ハインツさんにどれだけ詰られようと、全て受け止めなければならない……謝っても許されるようなものじゃない、そう思っていた。
しかし、ハインツさんがサラサさんを本当は愛していないこと、彼女の身体を手に入れるためだけに、リリムの命じた演技を続けていたことに、他ならぬサラサさんが気づいていたのなら……。
「……俺はあんたに、許してもらえるとは思ってない。子供の頃でも、俺は……あんたと結婚してると思ってたサラサさんに、求めちゃいけないものを求めた」
「僕とサラサには何の関係もない、赤の他人だ。哀れな奴隷を、リリム様の命に従って助けてやっただけだ。しかし僕も、献身的な男を演じているだけでは気が狂いそうだったのでね。奴隷女に操を立てる必要もなかった……子供じゃないなら、言っている意味は分かるだろう?」
とても、とても昔のことに思える。
サラサさんの家で風呂に入らせてもらうとき、沸かしに来てくれた父さんが言っていた――ハインツさんに、あまり飲み歩かないように言っておくと。
家に戻らず、ハインツさんが何をしていたのか。
彼の今の口ぶりが示すことを、そのまま受け取るなら――よその女性と、関係を結んでいた。
サラサさんとリオナを他人だと思っていたのなら、そのことに、彼は全く罪悪感を感じる必要がなかった。
だとしても、やりきれない。何も知らずにそんな状況を許して、サラサさんとリオナが穏やかな暮らしを送っていると思っていた自分が、とても許せそうにない。
「どうして……それなら、サラサさんを求めたりしたんだ……?」
「僕にはその権利がある。あの女が『リリム様の奴隷』でなくなったあと、僕はもう一度奴隷の首輪を付け直そうと思っていたのさ」
ドクン、と心臓が跳ねた。その俺を見て、さらにハインツさんは――いや。ハインツは、歪んだ笑みを浮かべた。もっと俺に怒れと言わんばかりに。
「ようやく奴隷から解放された瞬間に、再び僕の手で奴隷として支配される絶望……それを知った時の、あの女の顔を見てみたいとリリム様が仰ったのでね。僕もそれは、素晴らしい余興だと――」
「――そこにあんた自身の考えが、どこにあるんだっ!」
◆ログ◆
・あなたは「ウォークライ」を発動させた!
・パーティの闘志が昂揚する! パーティの攻撃力が一時的に上昇した!
◆◇◆
もうこれ以上話すことはない。
俺が居なかったら、ハインツはサラサさんの人生を玩具にして、リリムの退屈を飽かすことしか考えていなかった。
リリムの言うことにすべて追従し、忠実に実行しようとする理由は、魅入られているからなのか。
分からなくても、戦うしかない。これ以上は、じっちゃんの身体が持たない――!
「……ヒロト……坊……逃げるんじゃ……この男は、もう……」
「爺さん、あんたはもう用済みだ。最後に餌として働いてくれたことには礼を言うよ」
ハインツが赤い剣を振り上げる。俺は既に動いていた――魔術を繰り出し、奴の動きを止めるために。
「雷よっ!」
雷撃による牽制――走り抜ける雷は、知覚できない速度で目標に到達する。
(なんで……笑って……まさか、あの鎧は……!)
「――魔術を使うことは知っている。自分の手の内が知られていないと思ったのか?」
◆ログ◆
・《ハインツ》の『吸魔の鎧』の能力が発動! 魔術が吸収された。
・《ハインツ》はダメージを吸収した!!
――ヴィクトリアが装備していた、魔術を無効化する鎧。
その出処が、リリムのところだと予想をつけていたのに。俺は見た目が違うというだけで、魔術を放つまで気づくことができなかった。
駆け出して突きを繰り出しても、届かない。長くなった間合いを最大に使っても――もう、ハインツが振り上げた剣を止められない。
「やめろぉぉぉぉぉっ……!」
叫ぶことしかできない。
目に映る全てを守りたいと思っていたのに、俺はじっちゃん一人、守ることすら――。
時間の流れが止まったようだった。
俺はじっちゃんを助けられない。これ以上時間を進めることを、頭が拒否している。
そんなことをしても何もならないのに。
しかし、止まったような時間の中で。
――懐かしい誰かの声が、聞こえたような気がした。
「――させないっ!」
◆ログ◆
・《アンナマリー》の『聖槍リライヴ』の効果が発動! 周囲の時間が停滞した!
そのログを見たとき、俺は三重の驚きで何も考えられなくなった。
アンナマリーさん――俺に冒険者スキルをくれて、それ以来会っていなかった彼女が、今ここに現れた。
そして、『聖槍リライヴ』。
名前も聞いたことのない武器――魔を冠する武器と対になった、その名前。
極めつけは、時間の停滞。使いこなすことができるなら、それは『最強』という言葉を容易に連想する力だった。
「はぁぁぁぁっ!」
◆ログ◆
・《アンナマリー》は『絶影』を発動した!
・《アンナマリー》は『瞬光閃』を放った!
ミルテの母親――グールドの屋敷で戦ったシスカが用いた、超速の移動術・絶影。それを発動して間合いを詰め、その後に更に加速する突きを放つ。槍マスタリースキル90で取得する、青騎士団長のジェシカさんすら身につけていない奥義『瞬光閃』を、アンナマリーさんが繰り出したのだ。文字通り、瞬く光の閃きに等しい速さで敵に届く突き――裂帛の中段突きが、ハインツに襲いかかる。
金属のぶつかり合う音とは思えない、轟音が鳴り響いた。ハインツの赤い剣が弾き返されている――アンナマリーさんの槍が、俺の斧槍より早く、ハインツの剣を弾いてみせたのだ。
「ぐっ……だが、その程度の攻撃など……っ!」
◆ログ◆
・《???》は『奈落の剣戟』を発動!
・《アンナマリー》の攻撃のダメージを軽減した! 122ダメージ!
「やっぱり、まだ槍の力を引き出しきれてない……ヒロトくんっ、一緒にやるよ! 2対1なら押しきれる!」
「っ……ああ、分かった! いくよ、アンナマリーさんっ!」
彼女の装備は冒険者として俺の家を訪れたときの装備とは大きく変わっている――高ランクの装備を身につけた姿は、クラスチェンジ後であることを想像させるが、髪型は変わっていない。しかしアンナマリーさんは、片目に眼帯をつけていた。それはこれまでの彼女の冒険が、容易なものでなかったことを示していた。
そしてよく見れば――アンナマリーさんが使っている槍は、彼女が昔背負っていたものだった。彼女は8年前から、すでに聖槍リライヴを所持していたのだ。
ハインツは俺たち二人を前にしてもなお、余裕の笑みを崩さない。聖槍リライヴの停滞効果が解けると、剣を振りかざしてアンナマリーさんに斬りかかろうとする。
「ははははっ……聖槍までもが僕の目の前に……この町には何があるんだ!? なぜ、最強の力がこの町に集う? 教えてくれ、ヒロト君!」
「そんな攻撃……っ、くっ……!?」
「――アンナマリーさんっ!」
ハインツの剣を見切り、アンナマリーさんはバックステップで避けたはずだった――しかし。
赤い刀身から別の刃が現れ、まるで魔獣の爪のように鋭く伸び、アンナマリーさんの身体に届いてしまう――!
◆ログ◆
・《???》は『毒蛇斬』を繰り出した!
・《アンナマリー》に82ダメージ!
・『猛毒』の追加効果が発動! 《アンナマリー》は猛毒状態になった。
・《アンナマリー》は出血した! 『ヴァンピールブレイド』の効果により、《???》のライフが回復した。
「くぅっ……なんて剣なの……毒なんて、たちの悪いっ……!」
「さあ、どうする……この毒はどれだけの時間で君の命を奪うか、試してみるか」
「っ……!」
「はははっ……その顔だ……僕はその顔がとても好きだ。もっと恐れろ……命乞いをしてみせろっ!」
――じっちゃんだけじゃなく、アンナマリーさんまでが、命を脅かされている。
ハインツは殺戮を楽しんでいることを隠しもしない。その赤い剣が、多くの血を吸ってきたことを示すように。
「命乞いなんてするもんか……ボクは絶対、あんたみたいな男に屈しないっ!」
「既に足元もおぼつかないじゃないか……毒が回ってきているんじゃないのかい?」
「くっ……!」
◆ログ◆
・《アンナマリー》は『猛毒』に犯されている。継続ダメージが発生し、108のダメージ!
ダメージが大きすぎる――もう、一刻の猶予もならない。
一秒でも早く、ハインツを倒さなければならない。
(奈落の剣戟と、吸魔の鎧……どちらも『魔術』を吸収していた。それなら――!)
魔術の吸収によるライフ回復が、ハインツへのダメージを相殺しているなら、答えは単純だ。
――持てる限りの力で、物理で殴ればいい。
「ヒロトくんっ、一緒に仕掛けるよ! ボクはまだ戦えるからっ!」
「――いや。アンナマリーさん、じっちゃんを助けてやってくれ……ハインツは、俺が止める……!」
アンナマリーさんにはこれ以上ダメージを受けるリスクは負わせられない。俺は断固として言い切る――裏付けのある自信などなくても、俺にも意地というものがある。
(これ以上、ハインツの好きにはさせない。俺の大事な人を傷つけた代償は払ってもらう……!)
「っ……分かった……毒だけは受けないようにね、すぐに解毒できるかわからないからっ!」
「大丈夫だ……俺は絶対に死なない。必ず、ハインツを倒す……!」
毒を受けて一番不安なのは彼女のはずだ。それでも俺を心配してくれる彼女を、絶対に死なせられない。
「英雄気取りで仲間を逃がすか……ヒロト君、僕は君のような人間が、地上で最も嫌いな人種なんだよっ!」
「――ああ……それでいい。俺もあんたを許すつもりはない……許される必要も、無くなった……!」
サラサさんを奪ったことへの罪悪感が、少しも無かったといえば嘘になる。
しかし彼女が俺を選んでくれたことを喜ぶ気持ちは、それよりも大きかった。
俺とハインツは、こうして戦わなければならなかった。
狩人だと思っていた人物が剣を使い、あまつさえ強力な装備で、俺を圧倒した。一度はその邪気に飲まれそうにもなった――しかし。
「……でも、それも終わりだ。これで終わらせる……!」
斧槍を担ぐようにして構え、俺は技に集中する。アンナマリーさんがバルデス爺を連れてこの場所を離れた今、手加減をする要素は何一つなかった。
「終わるのはどちらだ……通じない技を何度繰り出してもっ……!」
ハインツが剣を振りかざし、正面から斬り込んでくる。俺の攻撃が通じない、そう決めつけてのことだろう。
巨人のバルディッシュがあれば、もっと完膚なきまでに、叩きのめしてやれた。
しかし今は、エイミさんの作ったこの斧槍を手にして、俺はただひたすらに思う――。
(ハインツさん……あんたの守りを、貫き通す……!)
「――うぉぉぉぉぉぉっ!」
◆ログ◆
・あなたは『ウォークライ』を発動した!
・すでに攻撃力が上昇している! 『限界突破』スキルによって、上昇制限が一段階解除された!
・『限界突破』スキルが50を超えている!
・『気功術』スキルを習得している!
・あなたはアクション『神威』を習得した!
(神威……このアクションは……!)
俺の身体が成長したとき、限界突破スキルの数値は跳ね上がり、60に達していた――しかし、アクションもパッシブも何も覚えず、限界突破はただ、他のスキルの限界値を引き上げるためだけのものだとばかり思っていた。
だが、それは技能の解放条件を満たしていなかったからだ。
ウォークライ――つまり攻撃上昇を重ねがけして、攻撃の上昇限界を超えることで、新たなアクションの習得条件を満たした。『神威』――気功術を所持した状態で、限界突破スキル50で覚えられる技能……そんな条件じゃ、今まで覚えられるわけもなかったはずだ。
だが習得条件が難解であるほど、『神威』の威力は凄まじいものになる。そんな、確固たる予感があった。
「君の攻撃は僕には通じない……さあ、毒で死ぬか、それともバルデスのように、全身の血を流し尽くして死ぬか……あるいは、その両方か……っ!」
奴は楽しんでいる――勝利を疑うこともなく、俺の変化に気づくこともなく。
『神威』を発動する。そう心のなかで念じたとき、俺の頭のなかに、呪文のような一節が浮かび上がった。
「――我が手に宿る力は、神にも届く。『神威』!」
◆ログ◆
・あなたは『神威』を発動した!
・武器に『滅属性』が付与された! 攻撃力が120%上昇した!
やはり本来は、ゴッドハンドが、限界突破を習得することで得られるスキル――その習得条件に、気功術の高い数値が要求されないのは何故なのか。
しかしそのシステムの綻びが、俺に力を与えてくれた。やはりここまで歩いてきた道に、無駄など何一つとしてなかったのだ。
斧槍が纏う無色のオーラ――それは、スーさんが纏っていた気とは違い、文字通りに触れるだけで全てを滅ぼす凶兆をはらんでいた。
そのことに気がついたハインツの口元から、ついに笑みが消える。
「なんだその技は……っ、聞いてない……そんなことは、リリム様に、何もっ……!」
◆ログ◆
・《???》は『闇襲刃』を放った! 『ヴァンピールブレイド』によって威力が強化された!
その技を見た時、俺は全て思い出した――ハインツのジョブについての全ての情報を。
業が高い人間のみが選択できる戦士系ジョブ『イビルソルジャー』のアクション――冷静になれば、全て見切って避けることができる。
だが俺はあえてその軌道を完全に読み、切り返すことを選ぶ。
「なっ……!」
◆ログ◆
・あなたは《???》の攻撃を弾いた!
斧槍の矛先に弾かれ、赤い剣が翻る。隙だらけになった彼はそれでもまだ戦意を失わない。
斧マスタリー110の『メテオクラッシュ』は一度見せている。それだけじゃ足りない……もっと圧倒的な技で、確実にハインツの守りを貫く――!
(ならば次は――120だ……!)
◆ログ◆
・あなたは『斧マスタリー』スキルにポイントを8割り振った。スキルが120になり、『山崩し』を習得した!
「僕の鎧が壊れるはずがない……っ、ヒロト、お前の攻撃はっ……!」
通じない。そう言いかけた直後には。
ハインツは俺が放った渾身の一撃で、遙か森の奥まで吹き飛んでいた。
「――うぐぁぁぁぁぁっ……あぁっ……!」
◆ログ◆
・あなたは『山崩し』を放った!
・滅属性の追加ダメージが発生! ダメージが限界を突破した! 《???》に10083のダメージ!
・《???》は『奈落の剣戟』を発動!
・滅属性攻撃は闇属性防御によって軽減されない! ダメージが貫通した!
(――5ケタ……ゲーム時代はありえなかったダメージが……ついに出せた……!)
振りぬいた斧は、ハインツを吹き飛ばすだけでは飽きたらず、その凶暴な斬撃は前方の森全てを薙ぎ払う――山崩しの名の通り、一撃で地形が変わってしまった。森を切り開いた先に、ハインツが倒れているのが見える。
◆ログ◆
・《???》はつぶやいた。「嫌だ……まだ、死ぬわけには……」
・《???》は転移した。
「っ……ハインツ……!」
逃げたのか、それとも。しかしあのダメージでは……。
俺は文字通り『手加減』をしなかった。殺すつもりで技を放った。そうしなければじっちゃんだけでなく、他の皆の命まで危ぶまれることになる。それだけは絶対に避けなければならなかった。
斧槍を覆っていた『滅属性』の気は、もう消えている。おそらくこの状態で技を放つことで、ダメージ限界の9999を超えることができるのだろう。
リリムにまともなダメージを与えられなかった俺が、ついに希望を見いだすことができた。
それでも俺は、勝ったことを喜ぶことも、ハインツを逃がしたことを悔やむこともできなかった。
ただ、胸に穴が空いたようだった。
戦わなければならない相手だった。それでも、彼は父さんの友達で、俺の幼なじみの父親だった――本当のことを知るまではずっとそう思ってきた。
俺はローネイア家がどんなふうに過ごしていたのかを知らない。
ハインツはリオナに対して、全く父親らしく振る舞わなかったのだろうか?
それを確かめる前に、俺は全力でハインツを倒しにかかった。その生命を奪うことも、厭わずに。
「……やっぱり、そんなふうになると思った。ヒロトくん、つらそうだったもん」
「っ……あ……」
気が付くと、後ろから抱きしめられていた。すぐ近くから聞こえるのは、アンナマリーさんの声。
彼女は俺を抱きしめたままで、語りかけてくる。まるで子供をあやしているかのような、優しい響きだった。
「おじいちゃんは大丈夫だよ。血はいっぱい出てるけど、もう傷がふさがってきてる。今はポーションを飲んで眠ってるけど、治癒術をかけてもらえば、すぐよくなるよ」
「……良かった。でも、じっちゃんを、早く診療所に連れていってあげないと……」
「……うん。ごめんね……私も、さっきの毒……毒消し、ちゃんと持っておけばよかったなぁ……」
「っ……アンナマリーさんっ……!」
俺を抱きしめてくれたのは、最後の力を振り絞ってのことだったんだろう。彼女の身体から力が抜け、地面に倒れこんでしまう。
◆ログ◆
・《アンナマリー》は『猛毒』に犯されている。継続ダメージが発生し、108のダメージ!
「くぅっ……うぅ……あぁ……」
熱病にうかされたように、アンナマリーさんの全身は汗に濡れ、その表情は苦悶にゆがんでいる。
(すぐに何とかしないと、3桁ものダメージを受け続けたら、彼女のライフが尽きる……!)
「アンナマリーさん、しっかり! 毒消しなら俺が持ってるからっ!」
「……うん……ごめんね、ヒロトくん……迷惑、かけて……」
「迷惑なんかじゃない……アンナマリーさんは、じっちゃんを助けてくれたじゃないか……!」
インベントリーから毒消しを取り出し、アンナマリーさんの上半身を抱え起こして、飲ませてあげようとする――しかし。
◆ログ◆
・あなたは《アンナマリー》に『毒消し』を飲ませようとした。
・『毒抜き』をしなければ効果がない。
「んっ……ごほっ、ごほっ!」
(毒抜きをしないと、ポーションを身体が受け付けない……毒抜きって、どうすれば……いや、アレッタさんにもらった『衛生兵』スキルで、『毒抜き』なら覚えてる……!)
「はぁっ、はぁっ……」
次のダメージが発生する前に、『毒抜き』をしなければいけない。
アンナマリーさんが傷を受けた場所を探すと――太ももの辺りに、細い切り傷が走り、毒の影響で赤く腫れてしまっている。
彼女の足を切ろうと狙うなんて……ハインツの嗜虐的な性格が伺える。俺がもっと早くあいつを倒せていたら……いや、後悔している時間はない。
(俺の『毒抜き』でうまくいくかは分からない……でも、やるしかない……!)
俺はアンナマリーさんの身体を横たえたあと、彼女の傍らに寄り添い、祈りながらアクションを発動した。
(頼む……!)
◆ログ◆
・あなたは《アンナマリー》に『毒抜き』をした。
――『毒抜き』を発動した直後、俺は何かに操られるように、アンナマリーさんの身体を診察し始める。
「んっ……んん……ヒロト……くん……?」
前世ならポイズンリムーバーを使って毒を抜く場合もあるが、感染症を防ぐために、そもそも毒を医者に見せる前に抜くのは推奨されない。
しかし衛生兵スキルの『毒抜き』は、魔術のような力で、傷の周りの毒を抜くことを可能にする。解毒の魔術なら完全に毒が消えるものもあるが、毒抜きでは完全に抜けないので、あわせてポーションを使う必要がある。
「痛いかもしれないけど……少し我慢だよ、アンナマリーさん」
「う、うん……くっ……!」
◆ログ◆
・『毒抜き』が成功した! 毒消しが使用可能になった。
・《アンナマリー》は『毒消しのポーション』を飲んだ。《アンナマリー》の『猛毒』状態が解除された。
「……良かった……アンナマリーさん、もう大丈夫だよ」
俺は衛生兵スキルを駆使して、自分の服の袖を割いて包帯を作り、アンナマリーさんの太ももに巻く。それで『応急手当』スキルを発動させると、出血もかなり抑えられた。もうすぐ完全に止まるだろう。
「……もう、一人前どころか……百戦錬磨な冒険者って感じだね。ボクがおっぱいあげたのも、少しは足しになったのかな……?」
「う、うん……あのときは、本当にありがとう。今だって、アンナマリーさんが来てくれなかったら、取り返しのつかないことになるところだったよ」
「……今、ミゼールに何が起きてるのか。ヒロトくんが、何をしようとしてるのか。それを考えたら……ボクがここに来るのは、当然のことなんだよ」
アンナマリーさんが『聖槍』を持っている理由。それが、一体どんな意味を持つ武器なのか……そして、他の冒険者と比較にならないほどに強いのはなぜか。
「……赤ん坊の時には聞けなかったけど、今なら教えてくれるかな。アンナマリーさんが、何者なのか」
アンナマリーさんは、その紅い瞳に俺を映して、しばらく黙って見つめた。そして、ふっと目を細める。
「今のヒロトくんには、半分くらい……ううん、もっと教えてあげてもいいかな。どうして赤ちゃんだったキミのところに、ボクが来たのか……ボクが、今どうしてここにいるのか」
彼女は俺の腕を借りて、自分で立ち上がろうとする。そして、聖槍を杖のように突いて何とか立ち上がった。
「はー……この槍も、こんなふうに使われるなんて思ってもみないよね。いくら仕掛け武器を使われたからって、あれで毒を受けてたら、この先生き残れないよね」
「あの剣士……ハインツも、俺が思ってる以上に強かったから」
「……あれだけの攻撃を受けて生きてるとは、ちょっと思えないけど。でも、転移したみたいだったね」
生きていると思えない。しかし、それを確定させるログは表示されなかった。
今はそれよりも、じっちゃんの治療が先だ。俺は待たせてしまったことを詫びながら、傷だらけのじっちゃんを抱えて町に急いだ。




