第四十九話 決闘/ブラッドラスト/雪解け
エターナル・マギアにおいて、訓練場とは金を払ってキャラクターを預けることで、ログインしていない時にキャラクター経験値を溜めることができる施設だった。各町によってトレーナーのレベルが違い、料金も異なっていたのだが、この世界においてはトレーナーをつけることは必須ではない。
訓練場の受付で空きを確かめると、ちょうど誰も利用していないとのことだった。普段はトレーナーをしているという妙齢の女性が、事前に利用料の精算をする。
「料金は一時間で銀貨5枚になります。訓練用の装備は更衣室にありますので、必要であれば使用してください。装備や施設を破損した場合、料金は別途精算させていただきますね」
「承知しました。坊っちゃん、こちらにどうぞ」
「更衣室が一つしかありませんから、もし不都合があったら順番に利用してください。それではごゆっくり」
「あ……そ、そうか。じゃあ、俺は外で待って……」
俺との着替えを恥ずかしがらない女性も周りには多いが、それが当たり前と思ってはいけない――と思ったのだが。
スーさんは俺の手首をきゅっと握って、静かに俺を一瞥すると、黙って引っ張っていく。
「あっ、ちょっ……す、スーさん、どうしたんだ急に……っ」
「……申し訳ありません。少しでも早く戦いたいというこの想い、ご理解いただけますでしょうか」
「あ……で、でも、いいのか? 俺、こんなに成長したのに、一緒に着替えは……」
「私は坊っちゃんのお着替えをお手伝いしたこともあるのですから、今さらではありませんか。聞きわけのないことを言うのではありません」
メイドというより乳母のようだ、と思ってしまう。今のスーさんは何というか、気がはやっている――それだけ俺と試合がしたくてうずうずしてるってことだ。
「分かったよ、スーさん。そうやって握らなくても、ちゃんとついていくから大丈夫だ」
「……はっ……も、申し訳ありません。主人の手を握るなどと……幾ら気持ちが急いでいるからといって、許されることではありません……」
「そこまで反省しなくてもいいよ。それこそお世話になった間柄なんだしさ」
「……しかし、坊っちゃんは利発でいらっしゃいましたから、ご幼少のみぎりも粗相をなさいませんでしたし……私はただ、いたいけな幼児を着替えさせて、自己の職務を果たしたつもりになっていただけなのでは……ああっ、申し訳ありません坊っちゃん……っ」
(感情の起伏が激しくなってるのは、戦いの前だからかな……?)
いつも冷静なスーさんらしからぬ動揺ぶりを見て、ついそんなことを考える。
――だが、彼女が顔を赤らめつつ俺を見ているのを見て、すぐに事情は理解できた。
適切な言い方かは分からないが、彼女は高揚しているんだと思う。俺がそうであるのと同じように。
「……着替えについては、私の方が後にいたしますので、更衣室の外でお待ちしております」
「今さらそんなことは言いっこなしだよ、スーさん」
「ぼ、坊っちゃん……私を翻弄していらっしゃるのですか……?」
年が離れていたときは、抱っこしてもらっても距離を感じる相手だった。
そんな彼女は、今は一人の、年齢相応の女性にしか見えない。俺にとってはそれが何よりも喜ばしい。
「俺も男だから、女の人の着替えに興味がないわけないよ……って言ったら、怒るかな」
「……教育上はよろしくありませんが……坊っちゃんに興味を持っていただけるなら、私は……」
「っ……い、いや、冗談だよ。スーさん、変な気持ちで見たりしないから」
思い詰めたようなというか、胸の高鳴りを抑えているというか。そんなふうに胸に手を当てていたスーさんは、もう何を言っていいのか分からないというように、しばらく俺を見つめていた。
どちらも興奮しすぎている気がする。これから決闘をするのに、まるで別のことを望んでるみたいだ。
そしてそれが、全くおかしなことだとは感じない。
子供の頃から、彼女との間には不思議な信頼関係があった。大人になれば、その関係がどう変わるか……。
「お客様、いかがなさいましたか? 利用時間が少なくなりますので、早めの訓練開始をおすすめいたします」
「あ……す、すみません。行こう、スーさん」
「っ……」
今度は俺がスーさんの手を引いて、更衣室に入る。握られた時にも気づいていたけど、彼女の手は俺の手よりも小さくなっていた。
◆◇◆
更衣室にはいくつかアイテムボックスが置かれていた。ロッカーなんてものはないので、これを代わりに使えということだ。
一緒に更衣室に入ったといっても、まじまじと直視していいわけではないので、俺は部屋の中にあるアイテムボックスのうち、スーさんが使うものと逆側のものを開けた。
訓練場装備を使うべきかとも考えたが、ロイヤルコートだけを脱いで、後はそのままにしておくことにした。スーさんはというと、しばらく考えてから、メイド服を脱ぎ始める――と、見ていてはいけない。
「んっ……申し訳ありません、この服の換えが、今は残り少ないものですから」
「いっぱい同じ服を持ってるのか。スーさんはメイドの鑑だな」
「……ギルドに所属していれば簡単に手に入るのですが。受付嬢の制服も、メイド服ですので」
そういえば、ミゼールギルドのギルド長・リックさんと、その妹の受付嬢のシャーリーさんは元気だろうか。最近顔を出してなかったから、パーティのみんなを連れて顔を出さないとな。
「ん……ど、どうしたの? スーさん」
「……今、別の方のことを想像していらっしゃる目をしていました。メイド服のお知り合いが、他にいらっしゃるのですか?」
「あ、いや……その、俺がギルドに行くようになってから、世話になってる人たちのことを考えてたんだよ」
「ギルドの方でしたら、私もある程度は存じておりますが……」
誰のことを考えてたか、ものすごく知りたそうな聞き方だ……俺もそういうのが感じ取れるようになったか。
そしてこういう時にウソをつくのが得策でないことも肌で分かる。会話における些細な要素もまた、交渉術に直接関係している部分だ――スキル120の影響は伊達ではない。
「この町のギルドにシャーリーさんって言う人がいて、その人がいつもクエストの受理をしてくれてたんだ」
「……なるほど」
納得してくれたのか微妙なのか、わかりにくい返事だった。彼女にしては、かしこまっている度合いが低いような気もする。
「承知いたしました。同じような服装であるから連想したのであれば、やはり着替えるのは良い選択です」
「ご、ごめん……いや、俺はスーさんのメイド服、すごく似合ってると思うよ」
「っ……そ、そうですか……似合うということであれば、あえて装備を変更する必要も……」
試合の前なのに服装にこだわる、それがスーさんの乙女な一面ということか。
「……やはり、元の服装で戦うことにいたします。ギルドで購入すれば、メイド服の補充はできますので」
「もし破れちゃったら俺が新しいのを買うよ……って」
ナチュラルに話していたが、一回服を脱いだスーさんは下着姿になっていた。それに気づいた俺の視線が、上から下まで超高速で往復する。
「っ……ぼ、坊っちゃん、申し訳ありません、お見苦しい物を……っ」
「ぜ、全然見苦しくないよ……見ちゃってこう言うのもなんだけど、きれいだったし……って何言ってんだ俺っ」
なんだこのラブコメ空間は、と自分で突っ込みたくなる。スーさんは誘い受けなのか、それとも俺の気配りが緩すぎるのか。
俺は後ろを向いたままで、スーさんが服を着直す衣擦れの音を聞きながら、さっき目に焼き付いたものを検証せずにはいられなかった。
(執行者というか……上位職の『ゴッドハンド』のスキル、『気功術』。これを貰わないことには、俺は一歩も進むことができなくなる。いや、それとスーさんの成長の度合いに、因果関係を見いだしてはいけないわけだが……)
「坊っちゃん、お待たせいたしました」
振り返るとスーさんは白い手袋を外していて、指抜きグローブに付け替えているところだった。
手袋を嵌める女性の仕草――そんな趣味はなかったはずだが、俺は思わず見とれてしまう。白い手袋から抜き取られたすらりとした手指が、彼女が身につけるには無骨にも見えるグローブに収まる。
きゅっ、きゅっとグローブの具合を確かめたあと、スーさんはこちらを向いた。
もう、完全に戦闘モードに切り替わっている。切れ長の瞳の温度が下がる――ゾクリとするほど冷たく、魅入られるほどに澄んでいる。
「……坊っちゃん、装備が破壊されることなど気になさらず、思い切りなさってください」
「その言い方はまた……いや。もう茶化すのはやめにしようか。やろう、スーさん」
俺は巨人のバルディッシュを使うことは選ばなかった。手加減しているのではなく、錆びて真価を発揮できない武器よりは、訓練用でもスペックを引き出せる武器の方がまだいい。
◆ログ◆
・あなたは「訓練場のハルバード」を装備した。
「訓練場武器」というものが存在するのか……スペックは店売りの武器と大差ない。しかし、軽すぎて取り回しが逆に難しい。巨人のバルディッシュの超重量に慣れるのも考えものだ。
「……そのような生ぬるい武器では、私は本気を出す気になれません。坊っちゃんの本来の武器をご使用ください」
「そう言われるような気はしてたよ。スーさんは本当に妥協しないな」
「そうでないと火がつかないのです。生来、血が冷たいものですから」
(十分に熱いことを言ってるけどな。確かに彼女の目に宿るのは、冷たいように見えるけど熱い、青い炎だ)
巨人のバルディッシュに持ち替え、俺はスーさんと共に戦闘訓練用の大部屋に入っていく。
ここでフィリアネスさんたちと訓練をしたことを懐かしく思い出す。スライムのことでだいたい記憶が占められてしまっているが、俺はここで、聖騎士直伝の『演舞』を教えられた。
「お怪我をされる可能性もあるかと思いますが、どうか今だけはご容赦ください。戦いが終わったあとは、どんな罰もお受けする覚悟です」
スーさんの攻撃もそうだが、石造りの訓練場は、床や柱に叩きつけられれば当たり前にダメージを受ける。
訓練とはいえ実戦と変わりない――『手加減』を持たないスーさんの攻撃をまともに受ければ、俺も無事では済まないだろう。だが、それを怖いと思うわけもない。
「……私はまだ、今の坊っちゃんが戦われる姿を見ておりません。ですので、初撃から仕留めにかからせていただきます。未知の攻撃ほど恐ろしいものはありませんから」
「俺もそう思ってるよ。スーさんの立ち振舞いだけで、もう危険信号が出まくってるからな」
「……? ……信号とは、暗号か何かのことでございますか?」
「うん、まあだいたいあってるよ。俺の頭の中を、スーさんに対しての警戒が駆け巡ってるんだ。この人は強い、それもものすごくっていうね」
雷魔法があっても、『電気』の存在が知られていないこの世界においては、信号などというものもない。何かのきっかけがあれば、文明が一気に発達しそうな、そんな過渡期ではあると思うが。
「……では。私が磨き上げてきた技、その一端だけは、僭越ながらお見せいたしましょう。その後に私が何を繰り出すかは、戦いの中で知ってください」
「ああ。俺はスーさんのことが知りたい……そしてスーさんも、俺のことを知ってくれ」
今までは何も知らないも同然だった。だがこうして戦えば、言葉以上に通じるものが必ずある。
スーさんは俺の言葉にうなずきを返すと、そのまま俺が魔法剣を使わない場合の間合いから、ギリギリ一歩外で構えた。彼女が魔法剣を見たことがある可能性はあるが、俺が使えるとは思っていないことを示している。
(ダブル魔法剣からギガント・スラッシュで一撃で終わらせられるか……いや、甘くないな……!)
スーさんの構えは、左の足と拳を前方下方向に突き出し、右拳を引いて右足を軸とする構えだった。腰を落としてそのまま正拳で突くことも、前蹴り、回し蹴りを放つこともできる、オールラウンドな構えだ。
魔術で牽制することも考えたが、それよりも好奇心が勝った。ゴッドハンドの立ち回りを見てみたい、そう思うと俺は飛び道具に頼らず、初撃を受け切る方に戦術をシフトさせる。
「――受け手に回りますか。後悔なさらないのですね……?」
「っ……!?」
◆ログ◆
・《スー》は『練気』を発動した! スーの身体を光り輝く気が覆った。
・《スー》の身体能力が一時的に上昇した!
(これが『練気』……ゴッドハンドの、おそらく基礎となる技。これをどう使ってくるんだ……?)
スーさんの身体を、魔力とは似て非なるエネルギーが覆っている。練り方の違いで魔術を発動するか、体術を強化するかの二択ができる――気功術とはおそらくそういうものなのだ。
「……一撃を繰り出すための呼吸。私はそれを、『静心』と呼んでいます」
◆ログ◆
・《スー》の『氷の心』が発動した! 次の行動の成功率が上がった!
すぅ、とスーさんが音の聞こえるような呼吸をする。
――次の瞬間には、パン、と地面が震えるような踏み込みと共に、スーさんが眼前まで迫っていた。
「――殺らせていただきますっ!」
◆ログ◆
・《スー》の『暗殺術レベル10』が発動! 『格闘術』の攻撃力が120%上昇した!
(何っ……!?)
気功術、暗殺術が流れるように連続して発動し、必殺の一撃が繰り出される。
練気でスピードアップしたことで、そのまま正拳の威力が上昇する。さらに暗殺術の効果も発動すれば――もはや、武器を持っているかいないかなど関係がない……!
(『無敵』を使うか……いや、マナの消費が大きすぎる。ここは……『防御』する!)
◆ログ◆
・あなたは「加護の祈り」を使った! 祈りが届き、あなたの防御力が上昇した!
「そんなものでっ……!」
俺はルーンヴァンブレイスを付けた片腕で、正面からスーさんの一撃を受け止めようとする。
(俺の恵体は153……ルーンヴァンブレイスの防御力を含めて、防げるダメージは400ってとこだ。貫通されても致命傷にはならない……!)
「来いっ……スーさんっ!」
「――やぁぁぁっ!」
彼女は迅雷の如き速さで、全身の肉食獣のように強靭な筋肉を絞り、弾丸よりも凶暴な拳を突き出してくる。
その打撃を受け止めた金属の小手は悲鳴を上げるように軋み、地面に足がめり込む感覚を覚える。石床が砕け散り、削られるようにして後ろに押された。
「おぉぉぉっ……ぉぉぉっ……!」
◆ログ◆
・《スー》は『正拳突き』を放った!
・あなたに56のダメージ!
(56ダメージ……二桁とはいえ、今の俺にダメージを通した……やっぱり、彼女は……!)
喜びにも似た感情が生まれる。ここで0ダメージと出ていたら、戦いにも成り得ない――そうなったときに、どうやって戦いを戦いとして成立させるかなんてことを考えていた。
技を放った後にできる絶対の隙。そこに俺の技を入れることは、何も卑怯なことじゃない。
――しかし。
それが致命的な俺の驕りだった。一撃を放ったあとも、スーさんの身体を覆う『気』が消えていない……!
(練気で練った気は、正拳突きの攻撃力を上げるためのものじゃなかったのか――!?)
――執行者の初撃は、一撃で終わることはありません。
俺の耳に、聞こえないはずのスーさんの声が届く。氷のように冷たく、神経を直接撫でるような声。
その声が、俺は恐ろしいと思った。
魔王リリムを倒し、敗北の記憶を消すことばかりを考えていた。
スーさんに負けるということを考えもしなかった。彼女もまた、スキル100の境地に辿り着いた者であるにも関わらず。
――これが暗殺の極意を知り、その次の頂きを目指す者――『神殺手』です。
◆ログ◆
・《スー》の『暗殺術レベル10』が発動! 攻撃後の隙がキャンセルされた!
(キャンセルだと……!?)
「――破ッ!」
◆ログ◆
・《スー》は『発勁』を使った!
・あなたの防御力を無視して打撃ダメージが貫通した! 2 8 -ジ!
「ぐぁっ……あぁぁっ……!!」
ダメージ表記が乱れて読み取れない。衝撃が俺の防御に関係なく貫通し、身体の内側にダメージが響く。
『暗殺術レベル10』が、いかに強力なものか――これは、近接戦闘におけるアクションに寄与する技能の集合体だったということだ。
発勁で送り込まれた気は俺の神経系を一時的に麻痺させる。ぼやけた視界の中で、防御が解けた俺に、さらにスーさんは追い打ちをかけようとする。
「アーデルハイド流格闘術、奥義……『烈風脚』……!」
ふわり、と彼女のスカートが翻る。それが技を放つ前の準備動作で、発動を許せば俺は負ける。
――だけどスーさんは、勝利を眼前にしているのに、笑ってなどいない。『受ける』という判断をした俺が、やはり誤りだったのだと、この勝負に勝っても得るものはないのだという顔をしている。
(ごめん、スーさん……俺は勘違いしてたみたいだ。『こんなに綺麗な人を傷つけたくない』なんて、とんだ思い上がりだった……!)
烈風脚の溜めの時間。大技を使うためには避けられないその絶対の空隙。
それを突くことができるのは――最速の精霊魔術。
フィリアネスさんが最も得意とする、雷の魔術……!
「――雷よっ!」
◆ログ◆
・あなたは『ライトニング』を詠唱した!
・《スー》に32のダメージ!
・《スー》の技が中断された。
「くぅっ……やはり、魔術を……っ!」
子供の頃に魔術を覚えてから、俺は魔法剣で繰り出す技を強化する目的で、魔術の訓練をたゆまなく続けてきた。
魔術を最速、あるいは一瞬で発動させるには『無音詠唱』の領域に辿り着く必要がある。思念が魔術を発現する、文字通り脳の神経回路の伝達速度がそのまま発動の速さになる、詠唱の究極系だ。
しかし精霊魔術レベル7で、レベル2の『雷撃』を使うならば、発動時間は極限まで短縮される。魔術素養の値にも発動速度は依存するため、ほぼ詠唱と同時に雷が発生する――烈風脚の前の一瞬の隙に割り込めるかどうかは、さすがに賭けでしかなかったが。
「――うぉぉぉりゃぁっ!」
◆ログ◆
・あなたは『魔法剣』を放った!
・あなたは『パラライズ』を武器にエンチャントした!
・あなたは『パワースラッシュ』を放った! 『麻痺強撃』!
「くぅっ……!」
スーさんは完全に態勢が崩れているにも関わらず、それでも鋭い眼光で俺の攻撃を捉える。そして振り下ろされる巨人のバルディッシュを、女豹のような反応速度で飛びのいて避けきったかに見えた。
◆ログ◆
・《スー》はあなたの攻撃を回避しきれなかった!
・《スー》に127のダメージ!
・『麻痺』の追加効果が発生した! 《スー》は抵抗に成功した。
スーさんの身体は避けても、舞ったスカートを俺の斧槍が切り裂く。端にしか当たらなかったはずが、彼女のスカートは腰の当たりまで一気に裂け、舞い上がるフリルのむこうに、白い三角の――
(ぱ、パンツが……あれは白のスキャンティなのでは……って、そんな場合じゃないっ)
「……何という威力なのですか……服の端にかすめただけで、こんな……っ」
◆ログ◆
・《スー》の「メイドスカート」の耐久度が下がった。 装備が破損した!
・《スー》の「メイドブラウス」の耐久度が下がった。 装備が破損した!
・《スー》の「メイドコルセット」の耐久度が下がった。 装備が破損した!
・《スー》の「レザーブーツ」の耐久度が下がった。 装備が破損した!
ずらずらと列挙される装備破損のログ。耐久値が10%になると、壊れる前の警告段階として破損状態になるのだが――それがメイド服だと、びりびりに破れてしまって、期せずして扇情的な姿になってしまう。
「っ……ご、ごめん、スーさん!」
「……完全に回避したはずが……身体に目立った痛みも……痛っ……!」
俺の斧槍の攻撃はスーさんの身体の前面に袈裟懸けに浅く入っている――まるで風圧がそのまま刃となって、彼女の身体を薙いだかのようだった。
――そして、そのあらわになった胸の谷間に、ほんのり赤いあとが残っている。つまり、俺の攻撃は彼女の肌にまで届いてしまっていたということだ。
「……肌が赤くなっているだけ……それでも、ヒロト坊っちゃんの攻撃は私に届いた……」
スーさんは無言で胸元を見下ろしている。その視線の先で、彼女の胸から腰を覆っているコルセットの、ちょうど胸を覆う部分が、こともあろうに片方だけぺろっとめくれてしまった。
「あっ……ぼ、坊っちゃんっ……」
「み、見てない! スーさん、俺は何も見てないから!」
服が破れるということはこういうことだ。このまま戦うと、もっと恥ずかしいことになりかねない。
しかし、俺の攻撃はなぜこうも装備の耐久値を削ってしまうのだろう――考えられるとしたら、未鑑定の巨人のバルディッシュに、装備破壊効果が付与されている可能性が……まだ分からないが、そうだとしたら仲間内での訓練には使いづらくなる。
◆ログ◆
・《スー》はつぶやいた。「……今、お見せするつもりではなかったのに……うかつでした」
(今っていうことは、いずれ見せてくれるつもりだったのかな……? い、いや、一緒に風呂に入れてもらったから、もう見せてもらってるんだけど……)
しかし今の恥じらい方を見ていると、やはり子供に見られるのと、成長した俺に見られるのとでは全然違うらしい。胸を押さえたまま、片手で俺の猛攻をしのぎきれるのか、スーさん……って、そんな鬼畜なことをするつもりはないけど。
「え、えーと……そうだ、俺のシャツを着るってのはどうかな。俺なら脱いだって問題ないしさ」
「っ……い、いけません、坊っちゃん。戦いの最中に、相手に情けをかけるなどと……っ、あっ……!」
セディも俺が脱ぐ時に反応してたし、気をつけなければ――そう思いはするが、一回席を外すなんてまどろっこしいことはしてられない。本当はすぐにでも戦いを再開したいんだから。
俺は手早くシャツのボタンを外す。そして装備を解除したあと、スーさんに渡した。
スーさんはシャツの両肩のところを持って、何やら戸惑いながら見ている。や、やっぱり男物じゃ嫌かな……というかおっぱいが見えてしまうところを、シャツで視界が遮られて、それも何かドキドキする。
「……坊っちゃんの服を、私が……」
「あ……い、いや。あくまで応急措置だから、もし嫌だったら訓練場の装備を借りて、」
代替案を提案しようとした、その時だった。
スーさんは俺のシャツをこともあろうに、胸に抱き寄せた。そうしてから、顔にぱふっと押し付ける。
「……すぅ……」
スーさんだけに、俺のシャツをすーはーしてくれているのか。できるなら俺だって、スーさんの脱ぎたてのメイド服とか、フィリアネスさんの布鎧をハスハスしたい。ハスハスってどうやるんだろう。
「っ……ってそうじゃなくて、スーさん、一体何を……?」
「……はっ……い、いえ、何でもありません。坊っちゃんの服の匂いを嗅ぐのは、メイドの義務です」
「ははは……スーさん、めちゃくちゃ言ってるぞ? 後で恥ずかしくなっても知らないからな」
「……もう十分恥ずかしい思いをしております……坊っちゃんも、良いお体に成長されましたね……」
◆ログ◆
・あなたの『艶姿』が発動した! スーはあなたの姿に見とれた。
・《スー》の好感度が『運命を感じている』になった!
(俺の身体はどれだけ発情を誘う魅惑のボディなんだ……って、スキルのせいだけどな)
こんなスキルがあって、人の集まる海辺とかに泳ぎに行ったりしたら、どうなってしまうのだろう。日差しの当たるビーチで女性の視線を釘づけにするなんて、憎むべきリア充行為でしかなかったはずなのに。そういう光景が存在しないゲームの世界だからこそ、俺はストレスなく没入することができたのだ。
――と、詮ないことを考えていて気づくのが遅れたが、スーさんが顔を赤くして、息を荒げている。
「……はぁっ、はぁっ……」
「す、スーさん……大丈夫か? 苦しそうだけど……」
「……もはや、服のことなど気にしている場合ではありません……私は……あなたの……を、求めて……」
「とにかく再開ってことか……分かった。じゃあ、今度は俺から行かせてもらうぞっ!」
◆ログ◆
・あなたは『アイスストーム』を詠唱した!
・あなたの『マジックブースト』! 魔術の威力が倍加した。
武器を持っている手と逆、左手をスーさんにかざして、俺は凍てつく嵐を発生させる――ネリスさんも得意としている、範囲の広い氷属性の精霊魔術。マジックブーストをかければ、『凍結』効果の発生率がかなり高くなる。
「氷の精霊魔術……私の足を止めようと言うのですね……しかし……!」
◆ログ◆
・《スー》は『練気』を発動した! 《スー》の身体を光り輝く気が覆った。
・《スー》の身体能力が一時的に上昇した!
・《スー》の『暗殺術レベル10』が発動! 『シャドウステップ』の効果が発生した!
(なにっ……!?)
暗殺術には回避性能のある技まで含まれているのか――魔術が使えなくても、彼女にとっては不利ではない。
影を残してスーさんは俺の魔術の範囲の外まで出て、そこからすかさず反撃の兆しを見せる。そして彼女の身体を覆った『気』は、まだ消えていない――!
「あなたはまだ本気を出していない……ならば、本気になっていただかなければ……!」
◆ログ◆
・《スー》の『練気』が、『烈風脚』の威力を強化した!
・《スー》は『烈風月刃脚』を放った!
「はぁぁぁっ……!」
地面が震えるほどの軸足の踏み込みと共に、気に包まれた蹴り足が俺に向けて三日月の軌跡を描く。次の瞬間、ふわりと髪を揺らす風を感じた直後――まさに猛り狂うような風のエネルギーが身体を貫いていく。
「うぉぉっ……!」
俺の髪が暴れるようにはためき、結んでいた紐が千切れる。それはスーさんの蹴りの起こした風によるものだった――元は真空の刃を生み出す蹴りという設定だが、それが『練気』で強化されて、驚異的な射程を得て俺に届いたのだ。
胸に一文字の細い傷がつけられる。そして薄くにじんだ血を、俺は指で拭って舐めとった。
「……強いな、スーさん。本当に……ん……?」
「……はぁっ、はぁっ……坊っちゃん……申し訳ありません……大切なお身体に、傷を……」
「謝ることないよ。俺はスーさんの言うとおり……スーさんの全力を受け止めてみたくて、こんな立ち回りをしてるんだから。怒られても……」
「……違います……私は……坊っちゃんに、わざと血を流させるような技を……使ったのです……」
何か様子が変だと気がついてはいた。戦いの中で気持ちが昂ぶっているだけ、そう思っていたが――どうやら、そんな理由じゃなさそうだ。
俺はスーさんのステータスを見た時、ひとつ引っかかっていたパッシブの存在を思い出す。
『ブラッドラスト』。血の文字が入ったそのスキルが、今の彼女の状態に関係しているとしたら……?
「俺の血がどうしたんだ? これだけ本気で戦えば、血くらいは出るよ」
「……そうではありません。私は……血を見ると……身体が……」
「身体……? スーさん、どこか……」
痛いのか、と聞きかけて、俺は自分がいかに鈍かったかを思い知った。
◆ログ◆
・《スー》の『ブラッドラスト』が発動! 《スー》は血の匂いに凶手の本能を目覚めさせた。
・《スー》の攻撃力が大きく上昇し、防御力が下がった。
・《スー》は興奮状態になった。
「……血の匂い……坊っちゃんの……私の、大切な……尊い方の血……」
(こ、これは……ブラッドラストのラストって……色欲のことか……!?)
執行者のスキル80で得られるパッシブが、相手に血を流させることで性的な興奮を覚える――いや、防御を犠牲にして、攻撃に特化するための技能とは。
もしスーさんがパッシブをオフにする方法を知らなかったら、このスキルはとてもまずい……非常に良くない……!
「……スーさんは他の人の血の匂いを嗅いでも、そうなっちゃうのか?」
「……はい……いつからこうなったのか……抑えることが、困難で……ですから……ギルドは、辞めなければ……私は、坊っちゃんに会うまで……全ての男性を、退けなければ……」
ギルドを辞めたのはそういう理由もあったのか……もし執行者の任務で男性と戦うことになり、『ブラッドラスト』が発動したら。戦闘にプラスになっても、要らないバッドステータスがついてきてしまう。
今日ここで戦うことができてよかった。少しでも早く戦いたいと言っていたのは、彼女のSOSだったんだ。
「大丈夫だよ、スーさん。俺が必ずなんとかしてやる。助けてあげるから」
「……坊っちゃん……今は……それよりも、血を……あなたの貴い血で、私の卑しい血を……洗い流して欲しい……っ!」
◆ログ◆
・《スー》は『練気』を発動した! 《スー》の身体を光り輝く気が覆った。
・《スー》は『堅体功』を発動した! 《スー》の防御力が上昇した!
・《スー》の『暗殺術レベル10』が発動! 《スー》の移動速度が上昇した!
(この気功術と暗殺術の組み合わせ……当然だが、執行者から上位職のゴッドハンドに至るスキルの連携は、まさに完璧だ)
「はぁぁぁっ!」
◆ログ◆
・《スー》の『牽制攻撃』!
ログに表示されたことで先読みができてしまう。牽制だと分かっていれば、引っかからなければスーさんの方に隙ができる。そこに入れられる反撃を、俺は自分のアクションの中から選別する――!
「――おおおおおぁぁっ!」
◆ログ◆
・あなたは『ウォークライ』を発動させた!
・パーティの闘志が昂揚する! パーティの攻撃力が一時的に上昇した!
・あなたは『ブレードスピン』を放った!
「くっ……!?」
斧を振り回して回転し、周囲の敵をなぎ倒す技――ブレードスピン。本来なら敵に囲まれたときに、まとめて敵を吹き飛ばして仕切りなおすためのスキルだ。ダメージも低くはないが、上位の単体攻撃技よりは弱い。
しかし今の俺のステータスなら、間合いを広げるためのブレードスピンすら、必殺の威力に変わる。
◆ログ◆
・《スー》に374ダメージ! 《スー》は吹き飛ばされた!
「っ……!」
スーさんの服がさらに破れ、耐久度が限界まで下がる――ほとんど、布がからみついているだけの状態だ。しかしほぼ裸身になってしまっても、スーさんは吹き飛ばされながら空中で回転し、受け身を取る。
「はぁっ、はぁっ……坊っちゃんは、それほどの高みにまで……私は……私は、なんて……」
「……弱くないよ。スーさんはすごく強い。でも俺も、負けるわけにはいかない」
「……喰らい尽くせるなどと……私は、牙をたてることすら……っ!」
俺が斧をいつでも振り抜けるように引いたことで、スーさんが反応して突きかかってくる。『練気』を使わない彼女の身体能力でも、間合いを詰める速さは目を見張るものがあった。
「――はぁっ!」
◆ログ◆
・《スー》は『パンチ』を放った!
・あなたは53のダメージを受けた。
・あなたの攻撃!
・《スー》に127ダメージ! 《スー》は吹き飛ばされた!
「きゃぁっ……!」
小手をつけた手でスーさんの拳を受けたあと、反撃の突きを繰り出す。斧槍の先端が触れる前にスーさんは後ろに飛んだが、威力を殺しきれていない。
胸から出血していた俺は、今の攻撃でスーさんの身体に血しぶきを散らせる。大した出血ではないと思っていたが、烈風脚でつけられた傷は鋭かったようだ。
「……っ……」
◆ログ◆
・《スー》の『ブラッドラスト』が進行した!
・《スー》の攻撃力がさらに上昇した! 防御力がさらに低下した。
・《スー》は発情状態になった。
「くぅっ……うぅ……あぁぁっ……だめ……こんな……姿をっ……」
ほとんど裸身を晒しているスーさんは、自分の胸に片手を、そしてもう一つの手を腿のあたりに触れさせる。しかしそれ以上してはならないと自分を律して、抗っているように見えた。
「……私は、この血の味を求めて……違う……私は、坊っちゃんと……」
「分かってるよ、スーさん。俺たちは……こんな形じゃなくて、もっと、ちゃんと戦わなくちゃいけない……!」
◆ログ◆
・《スー》は『練気』を発動した! 《スー》の身体を光り輝く気が覆った。
・《スー》は『正拳突き』を放った!
(そんなに真っ直ぐ突きかかってきても、何度も当たってはやれない……!)
◆ログ◆
・あなたは《スー》の攻撃を回避した。
・《スー》の派生攻撃! 『サブミッション』を繰り出した!
「ぐっ……!」
正拳を避けたあと、そのままスーさんは俺の懐に入ってくる。そして斧槍を持つ手と逆の腕に、腕を絡ませて極めようとする――!
「坊っちゃん……油断しましたね……っ!」
いつも感情の起伏が少なかったスーさんの目に、俺の裏をかいたことを喜ぶ感情、そして戦いのさなかの熱情が確かに宿っている。
このまま腕を極められれば、一対一の戦いでは致命的と言っていい――だが、それは。
スーさんが俺の腕を、完全に極められていたらの話だった。
「――おぉぉぉおっ!」
俺の腕にスーさんの手が絡み、極められる前に、俺は彼女の身体を『持ち上げ』、空中に投げ飛ばした。
「っ……!?」
これくらいなら、恵体が100でもできる芸当だろう。まして153ならば、片手でそれぞれ人間を一人ずつ持ち上げることすら造作もない。
そして空中では、どうしようもない隙ができる。訓練場の宙空で、スーさんはそれでも身体を反転し、俺の追撃に備えようとする。
「坊っちゃん……いらしてください……手加減など、私への慰めにはなりませんっ!」
「ああ、そうだな……全力で行かせてもらう……!」
◆ログ◆
・あなたは『ダブル魔法剣』を放った!
・あなたは『アイスストーム』を武器にエンチャントした!
・あなたは『ライオットヴォルト』を武器にエンチャントした!
・あなたは『トルネードブレイク』を放った! 「氷雷嵐壊破!」
巨人のバルディッシュの力を引き出すには、『ギガントスラッシュ』が適している。しかし俺は、それよりも空中の敵に対して特攻のある『トルネードブレイク』を選択した。
凍気と雷を纏ったバルディッシュ。俺はその柄を両手で握り、腕を交差させて身を守ろうとするスーさんに向けて、彼女が言っていたとおりの全身全霊を込めて一撃を繰り出した。
「――いけぇぇぇっ!」
◆ログ◆
・《スー》に3474ダメージ! オーバーキル!
・『手加減』が発動!
・《スー》の『暗殺術レベル10』が発動! 『昏倒』状態を回避した。
――凄まじい執念だ。今まで全ての相手が、オーバーキルからの手加減で昏倒してきたというのに。
執行者は気絶すらしない。もはやライフは1しか残されておらず、俺のシャツもメイド装備も、破れたショーツとヘッドドレス、そしてグローブとレザーブーツを除いて、ほぼ全てが耐久度ゼロになって、辺りに散らばっているのに、彼女は意識を保って、床に膝を突きながらもこちらを見ている。
「……これが……公国の、生と死を司る者……執行者を超えて、魔王と戦う勇者の力……なのですね……」
スーさんのおさげの先に結ばれていた紐も解ける。俺の技による凍気は、スーさんの背後の壁を氷壁のように凍てつかせ、袈裟懸けに巨大な亀裂が走っている――これは、なかなか弁償に骨が折れそうだ。俺の資産からすると大した負担ではないが。
「……俺は勇者じゃないけど、魔王を放ってはおけない。だから、もっと強くならないとな」
俺は斧槍を置く。今は武器も何も持たずに、スーさんの近くに行きたかった。
素手で歩いてくる俺を、スーさんは辛うじて顔を上げて見つめる。俺の血に対する誘惑は続いているけど、彼女はそれを律しているように見えた。
「……私は……やはり、あなたの……お傍にいる資格は……」
「……それを、確かめようとしてたのか? 俺と試合がしたいっていうのは……」
そう尋ねたところで、スーさんの目が潤んだ。初めて、俺は彼女が泣いているところを見た。
氷の花だなんて思っていたのは、俺が彼女のことを何も知らなかったからだ。
強くなろうとして『執行者』のスキルが上がり、習得した『ブラッドラスト』を制御できない苦しみ。
俺のパーティのメンバーが強いことを分かっているから、そこに加われるか分からないという不安。
――何も分かってやれなかった。初めてステータスを見た時、スーさんは俺より遥かに強かった――だから俺は、今でも彼女が俺より強いのかもしれないと思っていた。
人間の限界をスキル100だとしたら、それを遥かに超えてしまった俺は、彼女の技を力でねじ伏せることさえできてしまったのに。
こんなのは卑怯だ。だから俺は、烈風脚で傷をつけられたとき、その切れ味を恐ろしいと思うと同時に、心から嬉しいと思った。
俺の驕りをスーさんが吹き飛ばしてくれた。毎回強い相手と戦うたび、新しいことを教えられてばかりだ。
「……ふぅっ……うっ……くぅっ……」
「スーさんっ……!」
一瞬、泣いているのかと思った――しかし、違っていた。
◆ログ◆
・《スー》の『ブラッドラスト』が進行した。最終段階に達した!
・《スー》の攻撃力が上昇し、防御力がゼロになった。
・《スー》は『渇望』状態になった。
(渇望……もしかして、血が欲しいのか……?)
「ふぅぅっ……うぅっ……ぼ、坊っちゃん……それ以上近付かないでください……私は卑しい人間です……あなたに仕えるだけの力も持たず……それでも、傍にいたいと不相応な夢を見て……そんな希望は、初めから抱くべきではなかったのに……っ」
執行者として生きてきたことを『卑しい』というなら、俺はそれを否定しなければならない。
彼女がギルドに属して、俺の家に来てくれなければ、俺はスーさんに出会えなかった。
「……言ったはずだよ、スーさん。俺が助けてやるって。俺の血をなめたら、少し気持ちが落ちつくかな」
「そ、そんな……いけません坊っちゃん、私などに……っ」
「子供の頃、スーさんが俺と一緒に戦ってくれて、すごく嬉しかったんだ。スーさんが困ってるなら、俺は何をしてでも助けたい。スーさんが助けてくれたときに、そう決めたんだよ」
俺はスーさんの前に膝をついて、衛生兵スキルで取得できる『応急手当』を発動し、スーさんのライフを少し回復させようと試みる。文字通り手を当てないといけないので、スーさんの肩に触れさせてもらった。
「あ……」
◆ログ◆
・あなたは『応急手当』を行った。《スー》のライフが30ポイントリジェネ状態になった。
一瞬で30ポイント回復するわけじゃなく、スーさんが再生状態になって、じわじわ回復する。スーさんは俺の手が触れるのに任せて、時折恥じらって身をよじらせた。
「……あたたかい。坊っちゃんは……人を癒やす術も、覚えられたのですね……」
「治癒の魔術も覚えておけば良かったかな……あとでサラサさんに診てもらうか、診療所へ行こう」
「いえ……坊っちゃんに敗れたことを、私はこの身に刻みつけておきたいのです。ですから……」
時間をかけて回復したいっていうのか。
――本当に、この人は自分を甘やかさない。彼女にとって、世界は優しくはなかったのかもしれない。
それなら俺は、世界を変えたいと思う。スーさんの目に映る世界が、もっと明るく輝くように。
◆ログ◆
・あなたは戦闘に勝利した!
・あなたの『精霊魔術』が上昇した!
・あなたの『魔術素養』が上昇した!
・《スー》のレベルが上がった! スキルポイントを3手に入れた。
・《スー》の『格闘術』が上昇した!
・《スー》の『気功術』が上昇した!
◆戦闘評価◆
・《スー》をオーバーキルし、戦闘評価が上昇した。
・《スー》に手加減して倒し、戦闘評価が上昇した。
・《スー》の状態異常により、戦闘評価が上昇した。
・『恭順』の効果により、《スー》の友好度が上昇した。
(スーさんにいっぱい技を出してもらったからな……俺と訓練すると、成長は早そうだ)
そして『恭順』が効果を示す――それで、俺は宣言通り、彼女を助けてあげることができそうだった。
しかしその前に、『渇望』に対しての措置が必要だ。
「俺の血で良かったら……いいよ、スーさん」
「……坊っちゃん……」
リリムに吸血されたのとは違う。俺は自分の血を、スーさんの渇きを癒すために使う。
スーさんが俺の胸に顔を埋める。そして、恥じらいながら舌を出して、ぺろ、と血を舐めとった。
◆ログ◆
・《スー》はあなたの血を舐めた。
・《スー》の『ブラッドラスト』が解除された。
・《スー》の『渇望』状態が回復した。
「……坊っちゃん、申し訳ありません……もう少し……もう少しだけ……」
スーさんは俺の傷を舐めて癒やすように、ぺろぺろと舐め続ける。まるで至上の甘露でも口にしているかのように、彼女は恍惚としている。状態異常は、もう治っているのに。
(……もう状態異常がどうとかじゃなくて、傷が治るようになめてくれてるんだな)
胸についた傷は、もうふさがり始めていた。恵体が高いと、ライフの自然回復も早いからだ。
傷が直った俺の胸板を見ると、スーさんははっとしたように口元に手を当てる。
「……ぼ、坊っちゃん……すみません、私、夢中で……」
「くすぐったいけど、嫌じゃないよ。スーさん、もっと舐めたい?」
「い、いえ……舐めると傷が治りやすいとは言いますが、消毒や、治癒魔術のほうが良いかと……」
しきりに恥じらうスーさん。俺は彼女の友好度が最大になったことをログで確かめる――そして、『ブラッドラスト』は場合によって有用であるけど、封印してもらうことにする。
◆ログ◆
・あなたは《スー》に『命令』した。
・《スー》の『ブラッドラスト』がオフになった。
(よし……これで、血を見ても興奮はしなくなる。攻撃力強化としては使えるけど、防御がゼロになるのは気になるしな……)
ゲームなら防御を捨てて攻撃力が2倍と言われたら、効率重視で腕に覚えがある人ならまず食いつくだろう。しかし異世界においては、命あっての物種だ。
「……もう、血を見ても落ち着いてられると思うけど……どうかな?」
「っ……ぼ、坊っちゃん……どうやって……自分ではどうにもならなかったのに……先生には、修行が足りないと言われてしまいましたし……」
「『先生』って人がいるんだな。その人がスーさんに戦闘を教えてくれたのか?」
「……私のように、ギルドの特別な任務を請け負う人々に、戦闘法を指導する方がいるのです。彼女は自分で、血への欲求を克服したと言っていました。私はそれがどうしても思い通りにならず……」
(たぶん、執行者を極める過程でクエストを受けないといけないんだ。『ブラッドラスト』を自分で制御できるようになるための)
その克服した過程を教えてくれない先生か……おそらく、女性で高レベルのゴッドハンド。
しかし気功術48のスーさんがこれほど強いのだから、やはり上位職のスキルは魅力的すぎる。
「……もう、お気づきかもしれませんが……私は、坊っちゃんと行動を共にするために、力量を見せたかったのです。坊っちゃんのパーティには、ミコトさんという、私より個人戦闘に特化した方がいらっしゃいますから」
「スーさんは、俺のパーティにもう入ってるみたいなものだけど……」
「場面によっては、少数でパーティを組む必要もあると思います。そのとき……坊っちゃんのお傍にいられず、留守を守るということになっては……そ、その。寂しい……ですから……」
パーティに入れられず、拠点に置いて行かれる仲間の気持ちは、察するに余りある。特に、俺と一緒に戦うために腕を磨いてきたスーさんにとっては……。
「……しかし、やはり力を出し尽くしても、届きませんでした。私は坊っちゃんに、ご指導を受けていたのです。初めからわかっておりました」
「そんなことないよ。最初の連続攻撃は、すごく効いたから。スーさんはさすがだなって思ったよ」
「そ、そんな……さすがなどと……坊っちゃんは魔法剣をお使いになるのに、最初から使われなかったではないですか。私を完全に封殺することもできたはずです」
「スーさんが接近戦をするって分かったから、間合いの外から攻撃するのもどうかと思ってさ。でも、烈風脚の範囲はすごく広かったな。あの距離で届くと思わなかったよ」
スーさんはふさがり始めた傷を見やる。そして、おずおずと手を伸ばしてきた。触れはしないで、ただ目を潤ませて見つめている。
「……私は……坊っちゃんに傷をつけてしまったことを、どうお詫びすれば……」
「お詫びじゃなくて、俺は……その、何ていうか。昔甘えさせてもらえなかった分だけ、スーさんに……」
「……そんなことを、思っていらしたのですか? 私は、坊っちゃんに好かれるようなことは、何も……」
「何もないって思ってるなら、スーさんは優しすぎると思うよ。俺が子供のとき、スーさんが何をしてくれたか……俺は、全部覚えてるよ」
仕事とはいえ、母さんがいないときに俺の面倒を見てくれた。
外に出たいという我がままを、聞いてくれた。
そして、俺と一緒に、夜中に名無しさんたちを助けに行ってくれた。
もう一度会うまでに、俺が強くなっていると信じて、腕を磨いていてくれた。
「これからは、俺と……みんなと一緒に強くなろう。置いていったりしないから」
「……坊っちゃん……」
スーさんは涙を拭く。そのとき、破れた服からこぼれた胸を押さえていた手がずれて、ふるん、と下に収まっていた部分が、束縛を逃れて前に飛び出すようにあらわになる。
「あっ……す、すみません、お見苦しいものをお見せしてしまい……」
「見苦しいなんてそんなことないよ。すごくきれいだと思う」
「……坊っちゃん」
スーさんはじっと俺を見ている。綺麗だ、と褒めても、あまり見るものではないと怒られてしまうだろうか……と思っていると。
「……坊っちゃん、というのは、終わりにしなければいけないでしょうか?」
それはもう問いかけではなく、ただの確認だった。俺がしようとしてることを、彼女は許してくれている。
「スーさんの好きなように呼んでいいよ」
「……では……もう少しだけ、『坊っちゃん』のままで……」
「いつか、ヒロトって呼んでくれるってことかな? じゃあ、俺はそれを心待ちにしてるよ」
「……どうしてそんなに、私の身に余る言葉ばかりをくださるのですか? 坊っちゃん、あなたという人は……」
困ったようで、けれど嬉しいようで。後者の感情の方が強いのは、スーさんの顔を見ればわかる。
――寡黙なメイドさんで、どうやってコミュニケーションを取ればいいのか分からない。幼い頃はそう思って、緊張して話しかけられなかったりもした。
でも、戦うことでようやく分かり合えた。彼女が抱えているものも、彼女が戦うとき、どれだけ美しく、生命を躍動させているのかも、知ることができた。
「……俺にスーさんの力を、分けて欲しい。許してくれるかな」
「は、はい……そう……そのようなことが、できるものなのですね……」
『授乳』をお願いすると、代替スキルとして『採乳』が選択できる。そのとき、対象となった女性は、採乳という行為が何をもたらすかをおぼろげに理解する。スキルという概念はわからなくても、俺に力を与えることができる、その実感が湧いてくるようだ。
――だから俺は、こうやって、子供の頃からスキルを手に入れ続けることができた。破れた服の布地を引っ張って、よく見えるようにしたあと、そっと下から双子の丘の全体を包み込むように手を添える。
そして、何度か手を輝かせたところで、待っていたログが流れてきた。
◆ログ◆
・あなたは《スー》から『採乳』した。
・『気功術』スキルを獲得した! 受け継がれる拳聖の意志が、その手に宿った。
スーさんの身体から、鋭く研ぎ澄まされた達人の力が流れ込んでくる。スキルの種類によって、獲得したときの感覚は大きく異なる――だからこそ、新規スキルを手に入れたときの満ち足りた感覚は、常に最高のものであり続ける。
「スーさん、ありがとう……俺も、スーさんの力を少しわけてもらったよ」
「……『気』の力でしょうか。暗殺術は、坊っちゃんにお教えするには、影の技術でございますから……」
「いや、俺はスーさんの持つ力を全部受け入れるよ。そこまで鍛えあげたこと、改めてすごいと思う」
「……ありがとうございます。そう言っていただけると、これまでのことが、全て報われる思いです」
そして俺は、スーさんに、頑張ってくれたご褒美をあげることにする――限界突破の刻印だ。
スーさんの着印点は首筋に生じた。今回つけた刻印は、スーさんのイメージ――雪の結晶の模様にした。氷の花だなんて思ったけど、彼女の中には熱い炎があると確かめている――けれどその精神は雪のように白く、純粋でもある。
「坊っちゃんがどうやってそのようなお力を手に入れられたのか……冒険譚など、長い夜のなぐさみにお聞かせいただければと思います」
刻印の意味を深くは問わず、スーさんは遠慮がちにおねだりしてきた。俺は二つ返事でOKする――そのときは俺も、スーさんの昔のことを聞こうと思いながら。
◆◇◆
汗を流すために訓練場の水浴び場を借りたあと、スーさんはストックが少なくなってしまったというメイド服を身につける。今までと全く同じ型だが、耐久度は万全だ。
水浴びの後ですぐ髪をおさげにするわけにいかず、今はおろしている。彼女は髪をおろすのは、メイドとしてだらしないと言って、しきりに恐縮していた。
「スーさん、あの髪を留める飾り、訓練場に落としてきちゃったかな?」
「飾りの玉だけは拾っておきました。紐につけて、髪を結ぶのですが……その紐は切れてしまったので、買ってこなくてはいけません」
「じゃあ、その紐を俺が買ってあげてもいいかな?」
「よろしいのですか……?」
初めから辞退するのではなく、そういう聞き方をしてくれるようになったのも、嬉しい変化だと思った。
「……実は、たくさんスペアがございますが……」
「うわっ、ほんとだ。スーさんはリボンにこだわる派だったんだな」
「リボン……でございますか?」
「あ、そうか……えーと、そういう髪を縛る紐を、俺はリボンって言うことがあるんだ」
「なるほど……かしこまりました。これからこれを、私もリボンと呼ぶことにいたします」
考えてみれば俺は『リボン』と認識してても、スーさんはずっと『紐』と言っていた。前世の感覚で横文字を使うと、こういうことが多々ある。
「……坊っちゃんに頂いたリボンは、特別にいたします。優先して身につけて……そうすると、すぐすりきれてしまうでしょうか……」
「そうしたらまたプレゼン……じゃなくて、贈るから大丈夫だよ。リボンだけじゃなくて、他のものでもいいけど」
「他のもの……でございますか。少々お待ちください」
スーさんは何か、欲しいものを考えてくれているようだった。
「っ……い、いえ、何でもありません」
「遠慮無く言ってくれると嬉しいんだけど。これからもお世話になるんだし」
「……すぐには、難しいと思うのですが……可能性としては、それほど先ではないやもしれません」
「え……?」
スーさんは微笑むばかりで、はっきりと答えてはくれなかった。いや、男として察することはできるのだが、どうにも照れてしまって、はっきりとは聞けなかった。
◆◇◆
スーさんはミゼールにいるうちは、俺の実家でメイドをしてくれるようだ。
俺もそろそろ、家を手に入れるべきだと思い立つ。新しく建てるか、もともとある家で売りに出されているものを探すか。ゲームでは100時間プレイしても買えないと言われる超高額だったが、俺はギルドハウスとして最高級の家を持っていた。それでも収容人数は200人で、千人のギルドメンバー全員が集まれる場所は、フィールド上しかなかったのだが。
千人と言わずとも、パーティの上限人数の百人が拠点にできるような場所が欲しい。大きな家か、それとも小さな家の集まりにするか――どちらにしても、領地を貰えばそこに家を持つことになるわけだから、その時に考えればいいことだろう。
「……坊っちゃん、少しよろしいですか?」
「ん?」
スーさんは外に出る前に、俺に近づいてきて、少し背伸びをして頬にキスをしてくれた。
「……ありがとうございます、坊っちゃん。やはり私は、あなたに会えたことが、運命だったのだと思います」
「お、俺の方こそ……ありがとう、スーさん。これからもよろしく」
キスされて動揺する俺を見て、スーさんは楽しそうに笑った。そしてスカートを翻し、先に更衣室を出て行く。
一人になってから、俺は大活躍してくれたアイテムボックスから、入れておいたアイテムを取り出す。換えのシャツに袖を通し、ふたたび文官スタイルに戻った。ロイヤルコートは目立つので今はしまっておく。
これからするべきことは――装備を整えること。いよいよバルデス爺の工房に行き、錆びたバルディッシュを磨いてもらう。そして、防具についても相談したい。
代金を払って受付の人に礼を言う。損壊した訓練場を見て彼女は茫然としていたが、俺が即金で修理費を払うと、逆に感謝されてしまった。直してもらえると思っていなかったらしいが、俺もそこまで無責任ではない。
受付の人に見送られ、俺は工房に向かった。懐かしい裏路地に入ると、鍛冶屋の看板の下に、何か別の名前を書いた札が付けられている。
(ん……なんだ? エイミ・ソリューダス……?)
名前からすると、バルデス爺の家族だろうか。鍛冶屋の仕事に親族は関わらせていないと言ってたけど、やはり老齢で、跡継ぎが必要になったとか……そんなこと言ったら、じっちゃんに怒られるだろうか。
とりあえず、行ってみればわかることだ。俺は扉にかけられた札に『作業中 依頼者は中へ』と書かれているのを確認して、扉を開け、地下にある工房へ続く階段を下っていった。




