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第四十八話 母と妹/領主の館/氷の乙女

 マナの値が大きい名無しさん、ミコトさんが相手の場合、スキル上げも必然的に長くなる。俺の流儀としては、マナの半分までが目安である。それくらいだと疲労もさほど響いてこないし、そこまで行き過ぎた空気にもならず、落ち着いたままで終えることができる。


「ありがとう、二人とも。忍術は元からかなり上がりにくいみたいだけど、法術スキルはまだ上がりやすいみたいだ」

「シノビはクラスチェンジの難易度が高いですし、元からスキル経験値の必要量も多いからですわね、きっと」

「法術士はマスターして、早く上位職になりたいところだけど……まだ法術スキルは70にもなっていない。ミコトと比べると、マギアハイムに来てからの稼ぎが甘くて申し訳ないね……」


 名無しさんは仮面のこともあるが、元からログイン時間が俺とミコトさんと比べれば少なかったので、PLパワーレベリングしてレベル上げを支援し、カンストまで持って行った。


「ミコトさんは、どうやってスキルを上げたの?」

「基本的にはMOB狩りですわね。単調作業は得意ですの……といっても、実際に身体を動かして魔物を倒すのは、やはり骨が折れましたわね。スキル50で魔物を千体倒してもスキルが上がらなくなったので、各地のボスを狩ってレベルとスキルを上げましたわ。この世界の人たちは、ボスの一部が定期的に復活すると知らない人が多いんですの」


(そうか……今のところ、俺はボスが湧くダンジョンの周回はしてないな。採乳の効率が良すぎて、必要がなかったわけだけど)


 ソロでボスを倒すのは不可能ではないが、基本はパーティで倒す仕様になっていた。ボスでレベル上げをしようなんて考えて実行できるのは、ミコトさんくらいだろう。しかし名無しさんも、そこまで極端なレベル上げに慣れていないだけで、プレイヤーとしてのスキルが俺たちに比べて大きく落ちるわけではない。彼女はどちらかというと、集団戦を得意とするタイプだ。


 名無しさんはゲーム時代のレベルカンスト時期はギルドで三番目だったし、サーバー全体でも上位にいた。今の彼女は効率のいいレベル上げができてないだけで、ゲーム時代の法術士ランキングでは日本で十位に入っていた。『麻呂眉』って字面を見ると気が抜けると言われていたが、ギルド同士の対戦では強烈な範囲魔法でキル数を稼ぎ、紙装甲のソーサラーなのにほとんど倒されることがなかった。彼女は戦況を読み、接近されない立ち振舞いに長けていたということだ。


 ミコトさんは前線と裏周りの両方をこなし、絶大な貢献をし続けたDDダメージディーラーで、ギルドバトルのMVPを数多く獲得している。俺がその純粋な強さに嫉妬した唯一のプレイヤー、それが彼女だ。


 ふたりは今でも、俺にとっては憧れの人物だ。フィリアネスさんとは違う意味だが、どちらをより尊敬しているとも言い切れない。

 何よりも、コミュ難の俺の悪い部分を引き出すことなく、ゲームの楽しさを教えてくれたことに感謝している。ギルドを作る前、三人で冒険していた時のことは、今でも忘れられない思い出だ。


「……でも、こうしてスキル上げを終えて別れるのも寂しいですわね。ギルマス、ご迷惑でなければ、近いうちにお家に泊まらせていただけませんか?」

「う、うん。いいよ。母さんには俺から話しておくから」

「そういうことなら小生も……と言いたいけれど、ウェンディとモニカさんも泊まりたいと言い出しそうだね。これは、賑やかなことになりそうだ」


 名無しさんは楽しそうに言う。口元だけでも感情は読み取れる――しかし、その仮面の下にある素顔への興味は尽きない。


「ああ、そうだ。マナが減ってると思うから、ポーションを渡しておくよ」

「私は大量に持っているので、大丈夫ですわ。名無しさんはもらっておいた方がいいですわね、術士ですし」

「小生も在庫はあるけれど、補充させてもらえるとありがたいな。代わりに、小生からもプレゼントをあげよう」


 ◆ログ◆


・あなたは《名無し》に「交換」を申し出た。

・あなたは《名無し》に「マナポーション」10個を渡した。

・あなたは《名無し》から「うさ耳バンド」を受け取った。


「っ……な、名無しさん。消費アイテムに装備品は見合ってないんじゃないか? しかもレアそうだし」

「こういうものもあるよ、と教えておこうと思ってね。萌え装備の一部は、希少流通品として、一点もので店に置いてあったりするみたいだ。私も見た時は目を疑ったけど、ゲームと違ってプレミアがついてないから、すごく安くてね。思わず買ってしまったよ」

「なるほど……自分で素材を集めて作る必要があると思ってたけど、そうでもないのか」

「マユさんは、ヒロトさんにうさ耳装備の残りを集めてもらって、仮面を外したあとで一式装備したいと。そういうことですのね?」

「そ、そんなことは別に考えていないよ。ヒロト君がどうしてもというなら、考えるけれどね。我らがギルマスは、その前にうさ耳バンドの利用法を見つけてくれるだろう。好きに使っていいんだよ」


 コスプレにしか使えない気がするが……うさ耳か。みんな似合いそうだけどな。敢えてミコトさんにつけてもらうというのも、黒髪のきれいな女の子にうさ耳はしっくりきそうでとてもいいと思う。


 ふと気づくと、名無しさんとミコトさんが、少し切なそうな目をして俺を見ていた。スキル上げを終えて別れるのが寂しいと言っていたけど、そういうことみたいだ。


「……マナが回復してくると、いけないね。もう少し一緒にいたいと思ってしまうから」

「ギルマス……マナポーション一本分だけ、延長しませんこと?」


 ミコトさんは俺の前に胸を差し出すように、腕を上に半分外す。そうすると、むにゅっと柔らかそうに下側がはみ出す――こういう見せ方が一番魅惑的だと思うのだが、それはミコトさんも分かってしているようだ。

 俺は両手の人差し指で、胸の下側から持ち上げるように触れる。手のひらを触れさせなくても、それだけでエネルギーをもらうには十分だった。



◆◇◆


 家に帰って自室に戻ると、ソニアが俺のベッドで寝ていた。寝息が静かで、まるで自分の定位置とでも思っているかのようだ。

 俺が帰ってきたことに気づいた母さんが部屋にやってきて、ソニアを見て笑う。


「この子、いつもこうなのよ。おにいたん、おにいたんっていつも言っててね。お父さんのことも好きみたいだけど、あんまりかまってもらえないって嘆いてるわ」

「父さんも苦労するなあ……いや、十分すぎるほど仲良しには見えたけど。ソニアも父さんになついてるから、甘えてるんだと思うよ」

「ふふっ、それはそうだけど。ヒロト、ソニアのことだけど……ヒロトがいないうちにね、この子『おにいたんを私が守る』って言ってたのよ。何か心当たりはある?」

「え……?」


 俺はソニアに、自分が8歳にしてどんな立場にあるか、どんな経験をしたかなんて教えてはいない。母さんと妹を助けるためにユィシアの涙石を取りに行ったことも、話してはいない。


「……たぶんこの子は、本気で言っているんだと思うのよ。まだ小さいけど、私は母親だからわかるの」


 妹のステータスは、俺から見ることができない――そこに隠された情報が、ソニアが一人で森に行くことを可能にしている。


 もう、見られないから仕方ないと放置してはいられない。「鑑定」の上位スキルを何とかして手に入れ、ソニアのステータスを確認しなければ……。


「……母さん、本当は父さんとも一緒に話すつもりだったけど。アッシュ兄ちゃんの商隊を公国まで送っていく途中に、色んなことがあったんだ」

「……しばらく、秘密にしてるのかと思った。今、話してくれるのね……それは、ヒロトが大きくなったことにも関係があるの?」


 母さんは少し緊張している様子だけど、微笑んで俺を見ている。

 息子の俺が何かを秘密にしても、明かしてもいいけど、話してくれるなら嬉しい。そういう顔だ。


「お父さんは、ヒロトが帰ってきてくれただけで嬉しいって言ってたけれどね。お父さんには、ミゼールを離れることができない理由があるの……そのことを、ヒロトは知っていてもおかしくないって言っていたわ。あなたに、大切なものを見せたことがあるからって」


 ――俺がまだ0歳だったとき、フィリアネスさんに抱えられ、家の地下道から、魔剣の安置されている教会の地下へと向かった。そして、父さんは自分が守っている魔剣を見せてくれた。


 そのときのことを、父さんは母さんに話していた。隠すことでもないのならば、父さんが魔剣の護り手であることも全て知って結婚し、ここで暮らしてきたということだ。


「ヒロトは赤ちゃんだったけど、私もきっと、その頃のことを全部覚えてるんじゃないかって思うわ。ヒロトはびっくりするほど大人しくていい子だったもの。夜泣きもしなかったし。うちの子は天才じゃないかってお父さんは言ってたけど、お母さんも本当はそう思ってたのよ」

「……母さん」


 スキルのことを、自分の素性を、打ち明けるなら今しかないのではないかと思った。

 ――だけど、俺は母さんの中では、純粋に母さんの息子だというだけでいたかった。真実を伏せることが、嘘をつくことと同じだとしても。


「……くー……くー……おにいたん……そにあがまもる……」

「っ……ほ、本当に言ってる……」


 寝言だけど、確かにソニアは俺を守ると言った――そしてその頬に、涙が伝っていく。

 それを見た母さんはソニアに近づき、頬をそっと拭って、柔らかい髪を撫でた。


「起こしちゃうといけないから、母さんの縫い物部屋に行きましょうか。いらっしゃい、ヒロト」

「うん、わかった」

「……大きくなっても素直に返事してくれるのね。やっぱりあなたは、お母さんのヒロトよ。もう少しだけ、お母さんの前では可愛い坊やでいてね」


 ――やっぱり母さんは、寂しかったんだ。俺が、急に大きくなってしまったことが。

 大きくなった俺を変わらず受け入れても、一緒にいるはずだった時間を失ったことに変わりはない。


「……と言ってはみたものの、お母さんより大きいんだから、もう子離れしないとだめかしらね」

「ははは……母さん、切り替えが早いね」

「声はまだそんなに変わってないけど、少し低くなったかしらね。のども出てきちゃって」


 母さんは俺の喉に触って、喉仏を確かめる。確かに俺は、成長した姿に相応の声に変わっていた。


(……うーむ。母さん、改めて見ると結構クリスティーナさんに似てるな……)


「あ、あの、母さん。俺、母さんの妹さんに会ったんだ。クリスティーナさんって……」

「えっ……く、クリス? あの子に会ったの!?」


 言いかけたところで、母さんは驚いて目を丸くする。


「んゅ~……むにゅにゅ……」

「あっ……ごめんねソニア、騒がしくして。お母さんたち、ちょっとお話してくるわね」


 母さんはソニアの毛布をかけ直す。そして少し慌てた様子で、部屋に俺を連れて行った。


 父さんと母さんは一緒の寝室で寝ているが、父さんは書斎を別に持っていて、母さんも趣味の部屋があり、そこで俺たちの子供服を縫ったりしている。俺が連れて行かれたのはその縫い物部屋だった。


(ここ、入ったことなかったからな……機織り部屋は見たことあるけど。こんなふうになってたのか)


「ヒロト、それで、クリスとどこで会ったの?」

「あ……え、ええと。母さん、怒らないで聞いて欲しいんだけど……」

「怒らないから言ってちょうだい。クリスは赤騎士団の団長になったって手紙が来ていたけど、ヒロト、もしかして騎士団に入ろうとしたの?」


 ずっと隠してきたことを、どれくらい話せばいいだろうか。

 俺がミゼールを領地としてもらおうと考えていること。それは魔王を撃退したことによる、公王陛下からの褒章であること……そして、魔王リリムがミゼールを狙うかもしれないこと。


(……ひとつも、伏せることはできないか。これ以上秘密にしたら、母さんを裏切ることになる)


「そんなに緊張しなくていいのよ。母さんはヒロトが何をしてたって、今さら驚かないわ。やんちゃしたことを怒るかどうかも、話を聞いてから考えてあげる」

「……ありがとう、母さん。俺は……」


 何から話せばいいのか。長い長い話になるだろうと思った――どうしても話せない部分以外、全てを母さんに伝えなければならないのだから。



 ◆◇◆


 俺が子供の頃から戦う力を持っていたこと、ユィシアを味方につけ、公女ルシエを護衛し、魔王リリムと戦ったこと――その全てを俺は話した。俺と一緒に戦ってくれた、仲間たちのことも。


「……クリスと戦って、実力を認められるなんて。あの子も天才と言われた騎士なのに……ヒロト、あなた本当に強いのね。お父さんの若い頃よりも強いんじゃないかしら」

「そうかもしれない。でもそれは関係なく、俺は父さんを尊敬してるよ。それはずっと変わらない」

「ふふっ……お父さんが聞いたら、きっと身体を鍛え始めると思うわ。もともとヒロトが強いっていうこと、あの人は気づいてたのよ」

「そ、それはそうだよね……父さんが気づいてもおかしくないことは、いっぱいあったし」

「それは私もね。あなたが助けてくれたんだと知った時から、うすうす分かってはいたのよ。数年前はまだ赤ちゃんで、私のおっぱいを吸ってたヒロトが、そんなふうになるなんてね……つい、昨日のことみたいに覚えてるわ。あなたは私を呼んで泣くんだけど、おっぱいを吸おうとすると恥ずかしそうにするの」

「そ、そうだったっけ? 母さんにはかなわないな……」

「これからもことあるごとに言い続けるわよ。ヒロト、気がついたら私の知り合いのほとんどからおっぱいをもらってるんだもの。あなたが目当てで来てる人も多いから、お母さん心配だったのよ。このまま大きくなったら、悪い女の人にだまされたりしないかって」


(俺を疑ってる感もあったけど、そういう気持ちもあったのか……ごめん母さん、好き放題して)


「今のところ、そういう心配はないよ。こんなタイミングで言うのもなんだけど……俺、結婚したいと思ってる人がいるんだ」

「け、結婚……? だめよ、そんなのまだ早いわ。あなたはまだ八歳なんだから」


 今まで落ち着いて話していた母さんが、顔を赤くして動揺する。今までの感じだと賛成してくれそうな感じだったのに、この反応はちょっと意外だった。


「リオナちゃんだって、まだ結婚は早いって言うと思うわよ。ご両親の了解も得ないといけないし」

「い、いや、今言ってるのは、リオナのことじゃないんだけど……」

「だめよ、リオナちゃんはヒロトしか見てないんだから。あの子をもらってあげなかったら、ずっと一人でいると思うわよ。お母さんはそういう無責任なことは許しません」


(お、俺しか見てないって……やっぱりそうなのか……な、なんか猛烈に恥ずかしくなってきた……)


「ほら、リオナはそこまで思ってないって顔してる。ヒロトはリオナちゃんに素直にしなさすぎよ。遊びに誘ってくれたときも逃げまわって、見つかったときは『やれやれ』みたいな顔しちゃって。あんなに可愛くて、ヒロトのことを一番に考えてくれる子はいないわよ。母さんずっとそう思ってたわ」

「か、母さん……今日はずいぶん、いっぱい話してくれるんだね」

「だってヒロト、母さんと沢山おしゃべりなんてしてくれなかったもの。お母さんはヒロトと話したかったのに。ときどき仕事が休みのときは、外で遊ぶんだって出かけちゃって……」


 母さんは滔々と話し続ける。俺は気が付かなかったけど、母さんは俺が帰ってくるまで、少しお酒を飲んでたみたいだ。

 俺のことを一番に理解してくれて、何でも受け入れてくれる。それは母さんが大人で、思ってること全てを言わずに居てくれただけなんだ。


(俺は母さんの話をもっと聞かなきゃいけないな……これからでも、取り返せるかな)


「いい人を見つけて結婚するにしても、陛下から領地を賜った後にしなさい。そのときは、あなたと花嫁さんの衣装は私に作らせてね。結婚式の衣装を作ったことはあるから、任せてくれて大丈夫よ」

「あ、ありがとう……そうか、結婚するとなったら、式を挙げないといけないよな。フィリアネスさんは、侯爵家の人だし」

「待ってヒロト、今なんて言ったの? フィリアネス様……あのフィリアネス様が、ヒロトの恋人……?」


 母さんは全く信じられないという顔をする。それはそうか……いかに気に入られてると言っても、俺が赤ん坊の時に助けてくれた人と結婚するなんて、普通なら考え難いところだろう。まして、フィリアネスさんは公国最強の聖騎士なのだから。


 だけど、普通は信じられないことでも現実だ。だから俺は、もう一度念を押す。


「……子供の頃から憧れてたんだ。フィリアネスさんも、俺のことを男として認めてくれたんだよ」

「男として……確かに今のヒロトなら分からないでもないけど……お父さんも言ってたけど、すごく男らしくなったものね……お母さん、ちょっとドキドキしちゃったもの。かっこよくなってほしいなと思ってはいたけど、ここまでになるなんて思ってなかったから」

「そ、それは言い過ぎだけど……そう言ってもらえるのは嬉しいよ」


 母さんはいったん黙って、じっと俺の顔を見る。な、なんだろう……改めて見られると落ち着かない。


「……お母さんはフィリアネス様の気持ち、ちょっと分かるわ。変な意味じゃなくて、私が今のヒロトと独身のころに会ってたら、ちょっといいなって思いそうだから。もちろん、私の息子なんだから、たとえ話ね」

「ははは……それ、父さんが聞いたら何とも言えない顔をしそうだな」


 冗談っぽいノリなんだけど、何というか、何というかだ。

 母さんの態度が息子に対するというより、話してるうちに、友達みたいな感じになりつつある。そういう関係の親子も結構いるらしいけど、うちがそうなるとは、我ながら思ってもみなかった。


「祝祭から帰ってきたと思ったら、そこまで話が進んじゃうなんて。男の子ってどこもこうなのかしら」

「自分で言うのもなんだけど、ここまで話が早いのは俺だけじゃないかな」

「本当にねえ……アッシュ君とディーン君は、変わってないのよね。大きくなっても仲良くできてる? 他の子たちも驚いたでしょう」

「大丈夫だよ。みんな、俺の中身が変わってないってことは、分かってくれたから」

「良かったわね、ヒロト。友達は大切にしなさい、お母さんも今日、ターニャたちと話せて嬉しかったわ。モニカからは、いろいろ聞かされちゃったけど。やっぱりおっぱいもらってたのね、昔から」

「ぶっ……げほっ、げほっ。か、母さん、モニカさんからはどこまで……?」


 怖いけど聞いてみるしかない。そんな俺を見て母さんはすぐに答えず、うつむくようにする。

 何をしてるのか――と思ったら、母さんは自分の胸に手を当てて、ぼいんぼいん、と揺らし始めた。


「かっ……母さん、それは一体……?」

「なにって、モニカが今でも出るのなら、私も出そうだと思って。ヒロト、出たら吸ってみる?」

「す、すすっ、吸うわけないよそんな、俺、もうそんな歳じゃ……」

「そう? モニカが言ってたけど、ヒロトは女の人の胸が好きで、触ってると落ち着くんだっていう話じゃない」

「い、いや、その……そ、それは理由があって……いやらしいことをしてるわけじゃないんだ、本当に」


 触れてるだけといえど、普通に考えたらやましいことなので、つい焦ってしまう。しかし母さんは怒ってはおらず、さっぱりとした顔で話を続ける。


「ネリスさんもヒロトのことばかり話してたし、もう大変よね。フィリアネス様の部下のお二人もそうなんじゃない?」

「そ、それはその……お、俺も、節操がなさすぎるかなと反省してて……母さん、ごめんなさい!」

「ううん、いいのよ。ヒロトが赤ちゃんの時に私があまりかまってあげられなかったから、寂しかったのよね。お母さん、ソニアのことは沢山かまってあげられてたでしょう。お兄ちゃんもそうしてあげられたら良かったって思ってたのよ」


 だから、その分を取り戻すように、今から母さんが俺を甘やかしてくれる……いやそれはさすがにアウトだ。

 どうしてもそうせざるを得ない、やむにやまれぬ絶対的な事情がないかぎり、俺は母さんに甘えるのは卒業したのだ。


 しかし――俺は、あることに気がついてしまった。


 ソニアは正体不明のスキルを持っている。それの出処がどこなのか――母さんから授乳してもらって手に入れた可能性があるのではないか。母さんのステータスを詳細鑑定すると、隠れたスキルが眠ってたりしないだろうか。


「はふ……お母さん、少し眠くなってきちゃった。ヒロトもそろそろ休む? ソニアが寝てるから、そっとベッドに入ってあげてね」

「あ……う、うん」

「まだ話したいことはいっぱいあるけど、今日はもう遅いから。ヒロトも夜更かししないで、早めに寝るのよ」

「分かった。母さんもありがとう、夜中まで話してくれて」

「親子でありがとうなんて言わなくていいのよ、お母さんが話したかっただけなんだから」


 母さんは苦笑して言う。確かにそのとおりだ、遠慮なんてしちゃいけない。

 自分の部屋に戻ると、ソニアはベッドから転げ落ちそうになっていた。真ん中の方に戻してやって、俺は端っこで寝させてもらう――すると。


「……おにいたん、そにあといっしょにおやすみするの、いや?」


 眠ったとばかり思っていたソニアに声をかけられる。ソニアはこっちを見て不安そうにしていた。


「……い、いやじゃないよ。お兄ちゃんそんな意地悪しないから」

「うん……よかった……おにいたん、くっついて寝てい?」

「ああ、いいよ。ソニアは甘えん坊だな」

「……おにいたん、すき」


(妹にこんな好かれるようなことしたかな……しかし俺の妹ながら……)


 ソニアは横向きになって、俺の胸に無造作に手を置き、うれしそうに笑う。そして、そのまま目が閉じられ、すうすうと寝息を立て始める。


 そして、守りたいという気持ちが強くなる。魔王がミゼールに目をつけても、俺は絶対に家族を守りぬく。


「おやすみ、ソニア」

「うん……おやすみ、おにいたん……」


 子供の体温は高いというが、今日の夜は涼しいので、ソニアがくっついているとちょうど良かった。

 俺はそのまま目を閉じて眠りに落ちた。明日は領主の館に行かなければ、と考えながら。



◆◇◆



 西方領はルシエの母親の兄であるラムザス公爵という人物によって統治されており、ミゼールの領主はその下に位置する。


 ネリスおばばの庵やユィシアの竜の巣はミゼールから西にあるが、領主の館は北側にある。ミゼールの町の北門の外側に、領主の館が建てられているのだ。


 俺はフィリアネスさん、そして今朝到着したクリスティーナさん、軍師のメアリーさんと一緒に、領主の館にやってきた。馬に乗るほどの距離でもないので、徒歩で来ている。


「髪を切るタイミングがなかなかつかめないな……今日帰ってからにするか」

「長いのも似合ってるから、身だしなみは問題ないと思うよ。ねえ、フィル姉さん」

「う、うむ……似合っていると思うぞ。短くしても、それは凛々しいのだろうがな」


 顔を赤らめながら言うフィリアネスさん。クリスさんはいたずらっぽく笑っている――二人とも騎士としての装備をしているのに、空気はリラックスしていることこの上ない。メアリーさんは静かで、フードを深く被ったまま、何も言わずについてきている。


 俺はここに来るまでに服屋のエレナさんのところに寄って、領主の館を訪問するための服を用立ててもらってきた。仕立てのいい服を選んでもらい、コートを羽織っている。



◆装備品一覧◆


両手剣:錆びた巨人のバルディッシュ

頭装備:なし

肩装備:なし

上半身:コットンクロース

腕装備:なし

下半身:コットントラウザー

足装備:レザーグリーブ

補助装備:ロイヤルコート



 コットン装備はゲームでは最弱の部類だが、デザインは悪くないので、高レベルでも戦いに出ない時は身に着けている人がいたりした。そこにロイヤルコートの組み合わせは、例えるなら文官っぽい感じだ。

 実はインベントリーに今までの冒険を通して集めた装備が入っていたりはするが、重武装する場面でもないので自重していた。


「ヒロト君、ヒロト君。ねえ、私たちと違ってそれだけしか装備してないと、心もとない感じしない?」

「話し合いをするだけなら、これでいいんじゃないかと思うけど……クリスさん、何してるんだ?」

「なにって、それはナニですよ。んふふ、一回言ってみたかったんだよね~。はい、君にこれをあげよう!」


 クリスさんはつけていた腕甲を突然外し始めると、それをそのまま俺に渡してきた。



◆ログ◆


・《クリスティーナ》が「ルーンヴァンブレイス+2」を渡そうとしています。受け取りますか? YES/NO



「これって……結構いい装備じゃないか? 敵の魔術の威力を軽減して、自分の魔術の効果を高めるっていう……」

「見ただけでわかるとはさすがだね。私、これより少しだけいい装備を持ってるから、ヒロト君にあげるよ。サイズ関係ないようにできてるから、着けられると思うよ」

「あ、ありがとう。じゃあ、早速……」



◆ログ◆


・あなたは「ルーンヴァンブレイス+2」を装備した。

・魔術の効果が上昇した。

・魔術耐性が上昇した。



 ヴァンブレイスとは腕甲、つまり腕まで覆う小手のことだ。この服で小手を着けると似合わないのではないかと思ったが、コートを着て小手をつけるとわりと違和感がなかった。


「私のにおいがする装備をつけるヒロト君……これでもう、私のこと忘れられないよねえ。んふふふ」

「……ひ、ヒロト。後で私の小手も身につけてもらおう」

「い、いや、落ち着いてフィリアネスさん。クリスさんは冗談で言ってるだけだから」

「む、むう……そうなのか?」

「冗談なんて言ってないよ、って言いたいとこだけど、そろそろ騎士モードにならないとね」


 領主の館の門兵が、俺たちを見つけて近づいてくる。いかにも怪訝そうな顔だ。


「お前ら、さっきから一体何を……っ、うぇっ!?」


 しかしフィリアネスさんとクリスさんを見るなり、いきなりすごい声を出して最敬礼した。


「し、失礼しました! 聖騎士様、この館にどのようなご用向きでしょうか!」

「ミゼールの領主にお目通り願いたい。公王陛下から、領主への書状も預かっている」

「か、かしこまりました! 少々お待ちを!」


 門兵は館に走っていき、領主に確認が取れてから、俺たちを館の中に案内してくれた。

 まず入ったところにホールがあって、左手と右手に二階に上がる階段がある。ふたつも必要なのかと思うが、豪奢な洋風の屋敷にはよくある様式だ。


 床には絨毯が敷かれているが、手入れは完璧とは言いがたかった。メイドが何人か忙しく動きまわっていたが、どうやら人手が足りないらしい。彼女たちは来客を告げられると、掃除の手を止めてその場で俺達の方を向き、頭を下げた。この屋敷ではそういう決まりになっているようだ。


 俺たちは執事に案内され、領主の部屋まで連れて行かれた。まず執事が扉をノックすると、中から返事が帰って来る。


「今は執務中だから、後にしてくれないかな」


(……思ったより高い声だな……っていうか、女性……?)


「公国騎士団のフィリアネス様、クリスティーナ様、そしてジークリッド様という方がいらっしゃいました」

「……会いたくないけど、いいよ。どうやら逃げられないようだしね」


 しぶしぶという返事が聞こえて、執事はしきりに恐縮しながらドアを開けてくれる。

 部屋に入ってまず目についたのは、紙束が積まれた机。そこで、羽ペンをカリカリと走らせている人物がいた。


「書類を途中にしておけないので、少々お待ちください」

「ああ、分かった。こちらも急に来たので、気にすることはない」


 敬語を使わないのかと思ったが、そうでもない。ちゃんと執事の話は聞こえていたということか。フィリアネスさんは部屋を見回したりはせず静かに待ち、クリスさんもそれに倣っている。騎士団モードと言っていたから、いつものノリは自重しているのだろう。


◆ログ◆


・『カリスマ』が発動! 《セディ》はあなたに注目した。


(セディ……男性? いや、女性か? 声からすると、女性なんだけどな……)


 俺も文官のような格好をしているが、領主らしき人物――セディも男性の文官のような格好だった。線が細い男性もいるし、まだ男か女かは判別しがたい。


 そのうち、セディは書きものを終えた紙を、積んである紙束の上に重ねた。そして立ち上がると、大きな机を回りこんで、こちらに歩いてくる。


「大変失礼しました。初めまして、ボクがミゼール領主のロドリゲス・ブロンコビッチです」

「ロド……?」

「ロドリゲス……?」


 その整いすぎた面立ちからは、とても想像できない名前――というか、しれっとウソをついている。

 俺が落ち着いていることに気づき、セディは興味深そうに見てきた。


「キミだけは、ウソだって顔をしてるね。なかなか手ごわそうだ」

「そいつはどうも……それで、本当の名前は?」

「見抜かれちゃしょうがない。ボクはセディ。セディ・ローレンスさ」

「セディ……男性か。すまない、女性なのかと思ってしまった」

「ボクって言ってるし、男性……と見せかけて女の子? うーん、ヒロト君はどう思う?」


(顔は完全に女の子だな……というか、領主なのに若すぎないか? 二十歳はいってないよな)


 セディは髪を短くしているが、そのままでも女性で通用するような容姿をしている。『ボク』といえば赤ん坊の頃に会った冒険者のアンナマリーさんと同じ一人称だし、女性でボクっ娘もいないわけではない。


 しかし一見すると、胸が膨らんでいない――微乳という可能性もあるが、どうなのか。発育が奥ゆかしいのか、サラシに胸を収納する技術が、俺の想像を超えているのか。


 そんなことはいい。俺は今直感を問われているのだ――セディは男か、女か。


「俺は、女性だと思う」

「……正解。そう、ボクは女だよ。胸はさらしで潰してるのさ」


 あっけらかんと答える。やはり『彼女』でいいのか。それにしてもさらしで潰すって、そんなにうまくいくものなのか……演劇の男役の女性も同じことをするというけど、見た目じゃ分からないものだな。


「な、なぜそのような……苦しいのではないか?」


 胸を締め付けから解放するために胸甲を外しているフィリアネスさんが言うと重みがある。セディもそう思ったようで苦笑していた。


「ボクの話はいいから……と、これ以上の軽口は慎みます。このミゼールに、何か御用があって来られたのですか? それとも、ミゼールの状況を察知して、騎士団の方が来られたのでしょうか」


「公王陛下より、書状を預かっている。まず、目を通してもらいたい」


 フィリアネスさんが書状を渡すと、セディは封筒を開けるためのものだろう小刀を取り出し、赤い蝋の封印を削り切って開けた。


 その文面を見て、セディの表情が陰っていく。そして全て読み終えたあと、俺たち三人を見る。


「……やっと、ミゼールの周囲の魔物も減ってきたと思っていたのに……魔王が現れるかもしれないなんて、どうしてそんな……」

「領主殿、あなたが言うとおり、以前よりもこの町は安全になっている。しかしそれとこれとは、別の問題だ。魔王リリムにとって脅威になるものが、このミゼールの近くにある。それを狙って、リリムはミゼールの近辺に高い可能性で姿を現す。その時何が起こるか、楽観的に考えることはできない」

「魔王に手出しをしなければ、ミゼールに害は及ばないのでは……」

「魔王リリムは自ら悪意を持って行動している。すでに南王家は深刻な被害を出した……リリムを倒さなければ、この国はいつか崩されてしまう」


 フィリアネスさんは毅然と言い切る。セディは初めの余裕が嘘のように、可愛そうなほど青ざめていた。こんな内容を知らされるなんて、思いもしなかったのだろう。


「そんなわけだから、私たち赤騎士団と、ジェシカ団長の青騎士団がミゼールの近くに駐留して守ります。騎士団の砦はこの近くにもあるんだけど、できれば拡張するために協力してもらえませんか?」

「……はい、分かりました。しかしミゼールの財政は、それほど芳しくありません。ボクは本当を言うと、父の代理で領主をしているんですが……代理をしてみて分かりましたが、ひどい状態なんです。今も、債務の返済期限を延長してくれないかという書類を書いていたところです」

「ミゼールは、そんなに財政難だったのか……」

「町並みを見てもらえば分かると思いますが、公共設備の老朽化が進んでも修繕する予算すらないんです。首都は物価が高いので、ミゼールの人口は漸増傾向にあるんですが。出稼ぎで流入した住民から、税がしっかり取れていないんです」


 この町で税金が高くなったなんて話は父さんと母さんからは聞いてないから、セディは税率を上げない方向で、何とか財政難を解消しようとしていたことになる。しかしそれが一概に善政とも言い切れないというのは、彼女が疲弊している様子と、債務の書類らしき紙束を見ればよく分かった。


 セディの話を黙って聞いていたクリスさんは、部屋を見回すようにしてから言った。


「なるほどね……この家を建てたのは先代か、先々代かっていうところだろうけど。このお屋敷を初めとして、町並みを見てても、ちょっとお金の使い方に問題があるとは思ってたんだよね」

「返す言葉もありません。ボクも子供だったとはいえ、贅沢を享受していましたから……今はメイドにも事情を説明して少しずつ職場を変えてもらいましたが、元々は倍の数が勤めていたんです」


 セディはすっかりしおらしくなっている。最初の威勢がいいというか、人を食った態度とは変わりすぎて、可哀想なくらいだ。


「……申し訳ありません。騎士団の方が来たと聞いたとき、ボクは領地を没収されることも考えていました。この体たらくでは、陛下に対して向ける顔もございません」

「没収というわけではないが……どうやら、財政再建も考えつつ動く必要はありそうだな。課題が増えてしまったが、どうということはない。頼もしい人物を連れてきたからな」

「え……?」

「こちら、軍師のメアリーちゃん。メアリーちゃんは軍師だけど、砦を作ったりするのに人やお金が必要ってなると、それを用立てるための策も考えちゃうから……あ、もうできてるみたい」


(もうできてるって……ん?)


 俺は気が付くと、メアリーさんにちょいちょい、と袖を引かれていた。そして、紙を渡される。


「これを読めばいいのか?」


 メアリーさんはこくりと頷く。まさか筆談しかしないとか……いや、「きれいな裸」って俺のことを見てつぶやいてたし、場合によるのかな。


「ええと……『ミゼールの西方に山脈がありますが、魔物が出るので皆さん近寄られなかったのではないかと思います。しかしその山脈にある魔石を採掘して、それを南の西方都ラムリエルとか、首都に輸送して売ることで、半年もすれば財政は立て直せるでしょう。ちなみにミゼールの財政悪化については、この町の冒険者ギルド支部に調査指令を出していたので、完全に把握しています。セディさんは財政緊縮と、冒険者に提供する宿を領主自ら運営することで利益を上げられていますが、それでは全然足りていません。昔採掘されていた魔石鉱がまだ手付かずで必ず残っていますから、それを見つけてください。こちらからは以上です』……な、長いな」


「魔石鉱……確かに、先々代までは、それを掘って特産品としていたんですが、あの一帯に竜が現れたことで、近づけなくなってしまったんです」


(まさかそれは、ユィシアのことか……いや、先々代ってことは、ユィシアはまだ生まれてないからな。どっちにしても、今は脅威はないはずだ)


 宝が好きなユィシアが魔石鉱に魅力を感じる可能性はあるが、彼女は巣に入ってこない限り、人を自分から襲うことはない。もしまだ他に竜がいたとしても、ユィシアより強いことはまずないので、脅威にはならないだろう。


「でも……どうしてそこまで、ミゼールのことをご存知なんですか? その、メアリーさんは」


 メアリーさんはやはり言葉では答えない――と思いきや、俺の袖を引いてきた。彼女の身長が低いのでかがんであげると、耳元にささやいてくる。


「……軍師だからです。こちらからは以上です」


 びっくりするほど可愛い声だった。しゃべれるのならしゃべればいいのに、と思ってはいけないところなんだろうか。


「え、えーと……軍師だからだそうだよ」

「軍師様には何でもお見通しなんですね……すごい……」


 セディは素直に感心する。それほど、メアリーさんの発言が的を射ていたようだ。


「さすがは我が国の軍師殿だな。情報収集にも長けているということか」

「ほんとすごいよね、一回見たものは忘れないから、全部つなげて策の材料にしちゃってさ。私も欲しいなー、その記憶力」


(俺も欲しいな……軍師ストラテジストのスキル、めちゃくちゃ便利そうだ。メアリーさんが元から切れ者なのは間違いないけど)


 ギルドに頼んで情報収集できるってことは、スーさんがメアリーさんの依頼で動いたことも普通にありそうだ。彼女はエージェントで、首都の冒険者ギルドに属していたわけだから。


「領主サマ、その魔石鉱を採掘しに行くのに、うちの団員に協力させようか? 最初はまとまった量を運んだ方がいいでしょ、道中に他の魔物が出ないとも限らないし」

「は、はい……そうしていただければ助かります。今はボクの部下も少なくて、すぐに動けないのが悩みどころでしたから」

「じゃあ、それで話は決まりね。砦を作るのはすぐに始めたいから、最初は騎士団が何とかしよう。それは陛下も許可してくれると思うしね」


 ミゼールの周辺の駐留地を増やす。そうしてもらえれば、ミゼール全域を守備することができる。

 これで『悠久の古城』に魔杖を取りに行っている間の、後顧の憂いはなくなった。

 もちろん、魔杖を手に入れた後、それを使ってリリムを倒すまで、気を抜く暇などないのだが。


「セディ殿、今は赤騎士団の一部だけがミゼールに来ているが、後から兵力はさらに増える。具体的にどれほどの砦が必要か、詰めておいた方がいいな」

「はい。あ、あの。さっきから気になっていたんですが、そちらの男性は……」

「俺? 俺はヒロト・ジークリッド。そういえば名乗ってなかったな」

「ジークリッド……あの有名な!? 屈強な木こりのお父さんと、ミゼール屈指の織り手のお母さんがいらっしゃって、鍛冶師バルデスの唯一の弟子でもあり、町で会う女性すべてが挨拶をするという、伝説の少年じゃないですか!」


 ぶふぉっ、とすごい勢いでクリスさんが噴き出し、フィリアネスさんはぱちぱちと目を瞬き、メアリーさんは微動だにしない。何より一番驚いたのは俺だった。


「げほっ、ごほっ……あははっ、あははははっ、で、伝説の少年……ヒロト君、いったい何したの……っ、あははははっ、お腹痛い……で、伝説って……あはははははっ!」

「く、クリス……笑いすぎだ。そこまで笑うことでもないと思うのだが……ヒロトは確かに伝説に残ってもおかしくないことを……だ、だから笑うなと言っている! いい加減にしろ!」

「ご、ごめんフィル姉さん……はぁっ、はぁっ。あーびっくりした、お姉さん笑いすぎて涙出てきちゃった」


「幼くして冒険者ギルドに出入りしていたと聞いて、ボクも興味を持っていたんです。ボクも同じように、子供のころに冒険者に憧れて、ギルドに行ったことがありましたから。もちろん、追い返されてしまいましたよ」

「そ、そうだったのか……」


 いきなりセディが俺を見る目が変わって、正直言って戸惑ってしまう。まあ、得体の知れない人物かと思ったら、知ってる人物だったとなったら、これくらいの変化はなくはないか。


「……あ……せ、セディ。どうしたんだ? 涙が出てるぞ」

「す、すみませんっ……ちょっと、気が緩んでしまって……情けないな、こんなときに……」


(そうか……やっぱり、そうだよな。この若さで領主の重責を背負うのは、重いよな……)


 若くしてお父さんの代わりに領主だなんて、重圧があるに決まってる。それに財政のこともあるから、王家直属の騎士団の人間が来たとなれば、心穏やかではいられなかっただろう。


「……ヒロトさんはまだ幼いと聞いていましたけど、ボクと変わらない歳に見えるから、ちょっとまだ驚いています」

「その辺りの事情も、そのうち町の人から伝わってくるかもしれないけど……魔王と戦っていると、そういうこともあるんだ」


 決して説明が面倒になったのではない。今のセディなら分かってくれるだろうと思ってのことだ。


「……分かりました、ボクの想像が及ばないこともあるっていうことですね。ヒロトさん、初めの非礼を、改めてお詫びします。皆様がた、ミゼールのために、ご尽力を賜りたく存じます。今後とも、よろしくお願いいたします」

「ああ、いや……そんなにかしこまることないよ。俺も領主との会談っていうんで緊張して来たけど、本当は堅苦しいのは嫌いだからさ」

「うんうん、まあ他の人が一緒だったら形式ばるのも必要だけど、この密室ではすべてがヒロト君を中心に動いてるからね。私たちみんな、おっぱいを出せといわれたら出すのがルールだから」

「く、クリスっ! おまえのいたずらでセディ殿とメアリー殿を巻き込むな!」


(フィリアネスさんはいいんだな……何だこの幸せな感じは……そうか、俺は今許されているんだ)


 しかしフィリアネスさんとクリスさんに許されているからといって、セディとメアリーさんには、破廉恥だと言われてしまうのではないだろうか。


「……あっ、す、すみません。そういうルールなら、ボクも従わなくてはいけないのかな、と考えてました」



◆ログ◆


・《メアリー》はつぶやいた。「……ヒロト様の裸を見たことについての責任を、いつ取るべきかと考えていましたので、こちらも異存はありません。粗末なものですが、ご希望であればお見せします」


(ふ、二人共物分かりが良すぎだ……聡明なはずのメアリーさんまで……)


 御前試合でクリスさんの攻撃を喰らい、上半身が裸になってしまったことを思い出す。それを見たメアリーさんは、俺の裸身を高く評価してくれていた――いや、それもどうかと思うが。


「あはは、もちろん冗談だから、気にしないでね領主サマ。っていうか、セディ君でいい?」

「は、はい……良かった、サラシで締め付けたあとの胸って、しばらくあとが残ってますからね。少しすると元に戻るんですけど」

「確かにマールも胸を締め付けているから、外すと楽そうにしているな。私から言うのは何だが、領主殿も、楽な格好をされるといい。それとも、何かの事情が?」

「ええ、まあそういうことです。代々男の人が領主だから、ボクも男装をしろって言われてしまって……そんな理由で男装なんてと思うかもしれませんけど、意外にいいですよ。ボクには合ってたみたいです」


 セディが好意的になってきたところで、俺はここで言うべきかどうかを考えていた。

 将来的に、俺はミゼールを自分の領地にしたい。セディにそう言っておかないと、陛下の許可を得ていざ領地を与えられるとなったときに良くないと思う。


(このタイミングで言うべきかどうか……こういう時は、あれに限るな。来い、選択肢……!)


 交渉スキルが100を超えてから、スキルが1上がるごとに『選択肢』のマナの消費量が1%ずつ減って、使ったら即気絶ということはなくなった。スキル200で選択肢がノーコストで使えるようになる――頼りすぎる気はないが、頼れるスキルだからありがたい。



 ◆ログ◆


・あなたは『選択肢』を呼び出した。


 ◆選択肢ダイアログ◆


1:ミゼールを領地にしたいと言う

2:《セディ》を『魅了』する

3:《メアリー》を『魅了』する



(げ、外道な選択肢が二つ……確かに有効かもしれないけど、極悪すぎるぞ)


 セディを魅了すれば、領地は事実上俺のものになる。そしてメアリーさんを魅了し、軍師の固有スキルをもらうことも確かに魅力的だ――選択肢に表示されるということは、実行すれば成功するということでもある。


 しかし俺はまだ悪魔に魂を売ってないので、無難に1を選ぶ。それしかない、最初から分かりきって――、


「くしゅんっ」

「わっ……」

「あ……ごめんねヒロト君、びっくりした?」


 ――クリスさんがくしゃみをした。その瞬間俺の思考は乱れ、選択肢ダイアログが消えてしまった。


(い、1を選んだよな……? そうだよな、びっくりしたからって……)


 考えているうちに、ログが流れてくる。俺は嫌な汗を背中に感じながら、恐る恐るログを確認した。



◆ログ◆


・あなたは「魅了」をアクティブにした。

・「魅了」が発動! 《セディ》《メアリー》は抵抗に失敗、魅了状態になった。



(や、やらかした……典型的なミスを……!)


「んっ……あ、あれ……?」

「…………」



◆ログ◆


・《メアリー》はつぶやいた。「……何か、むずむずして……落ち着きません……」



 セディとメアリーさんの反応がてきめんに現れる。ど、どうする……このままじゃ、フィリアネスさんとクリスさんに、俺の能力スキルが知られてしまう……!


「あ……ごめん、話の途中だけどフィル姉さん、ちょっとお花を摘みに行って来ていい?」

「花……? ああ、そういうことか。分かった、私も一緒に行かせてもらおう。領主殿、一旦失礼する」


 あれよという間に、フィリアネスさんとクリスさんが出ていってしまった。『お花を摘む』というのは、たぶんお手洗いに行くってことだろう。

 ドアが閉められたあと、三人きりの密室が完成する――頭の中にスキルという文字がやってきて、俺はそれを右から左に受け流した。


「さ、さて……話も一段落したし、俺もちょっと休憩してきていいかな」

「……さっきの話だけど……ボクはキミのことがもっと小さいと思ってたから、どちらかというと……ヒロトさんじゃなくて、ヒロトくんって呼びたいんだけど、どうだろう。それとも、ヒロト様がいいかな?」

「うぁっ……ご、ごめん、俺のせいで……」


 久しぶりに魅了の効果を目の当たりにすると、罪悪感が凄まじい。俺は攻略のためとはいえ、スキルのために、何人こうやって……。


「ひ、ヒロト様じゃなくていい。話し方も今みたいなふうがいいな、敬語は堅苦しいから」

「……じゃあ、ヒロトくん。ふふっ……何だかこそばゆいね。ボク、男の子のこと、こんなふうに呼ぶことってないから。新鮮な感じがするよ」


(このとろんとした目……ま、まずい。この流れだと絶対に……!)


 セディは俺に一定の距離から近づかなかったのに、あれよという間にこちらに歩み寄ってくる。

 近くで見ると思っていた以上に、彼女は女性らしさを、男装で押さえ込んでいたんだと思い知らされる。その熱を帯びた瞳は、俺を明らかに異性として意識していた。


「お、俺は……そうじゃなくて、しっかり話しておきたかったんだ。魔王と戦った恩賞として賜る領地は、このミゼールにしようと思ってて……それを、言っておかなきゃって」

「魔王と戦った人がこの小さな町を欲しいなんて……勿体ないくらいだけど。キミがそう言ってくれるなら、ボクは従うよ……お父様には、ちゃんと言っておくから。借金だって、返すためにこれからも力を尽くすよ」

「そ、そんな権限もあるんだな……いやいや領主をしてるわけじゃなくて……うわっ……!」


 セディにじりじりと接近されて後ろに下がっていたら、ぱふっ、と受け止められた。

 後ろからメアリーさんが抱きついてきている。無言でこの積極性……魅了、なんて恐ろしい……!

 今まで封印していたのも当然だと思う。このスキルは危険すぎる、いろいろと人を駄目にする力だ。

 赤ん坊の頃より、明らかに成功率が悪化――ではなく、高くなっている。俺が強くなりすぎたから、そういうことだとしか思えない。


 メアリーさんはしばらく何も言わなかったが、俺の背中に頬を寄せて、そして小さな声で熱っぽくささやき始めた。


「……最初は、ヒロト様が魔王と戦ったことを私は信用していませんでした。御前試合を見て、百八十度認識を変えさせられました……男性の裸をきれいだと思ったのは、あの時が初めてでした。男の人に触ってみたいと思ったことも、初めてです」

「だ、だからといって……抱きついたりする必要は……くっ……」


 強く振りほどくことなどできないので、抱きつかれたままになる。この感触……あまりないと思ってたけど、しっかりある。体型が見えないコートをすっぽり被っているので分からなかったが……こ、これは、もしかしたら、小柄なだけでかなりの逸材なのでは……?


「これから軍師としてご同行させていただく上で……交流を深めておくことは、無駄ではありません。ヒロト様は私の上官です……上官の裸を見た部下は、罰を受けるべきです。懲罰の内容を設定してください」

「け、けっこうしゃべれるじゃないか、やっぱり……それはいいことだけど、ば、罰は受けなくてもっ……うわっ……!?」


 後方からの攻撃に対処していて、前方を失念していた――久しぶりに前を見た時には、すでにセディが服のボタンを外して、きつく締められたサラシがあらわになっていた。


「ふ、二人が帰って来るから、それはちょっと……りょ、領主の威厳とかそういうのはっ……!」

「……ボクのことを女だって言い切ってくれて、嬉しかったんだ。本当は、男装してるうちに分からなくなってきてたんだ……女の自分は、誰にも求められてないんじゃないかって」


(俺は……選択肢に正解していたというのか。あの時には、すでに……)


 女の子だと言い切ったが、外れる可能性もあると思っていた。しかし俺の眼力も捨てたものではなかった――が、この展開は明らかに魅了によるもので、勘違いしてはいけない。


「せ、セディ、それ以上はいけない。俺たちはまだうわぁぁぁぁ!」


 全然セディは俺の話を聞いていなかった。もうこの密室に三人でいる以上は、彼女たちには踏みとどまる要素がないのだ。


「……クリスティーナ様があんなことをいうから……密室なんて。急に意識しちゃって……」

「ま、待てっ……待つんだ! だめだ、それ以上は! もっと自分を大切に……!」



 ◆ステータス◆


名前 セディ・ローレンス

人間 女性 16歳 レベル18


ジョブ:領主

ライフ:124/124

マナ :24/24


スキル:

 統治 48

 政務 31

 護身術 32

 恵体 7

 気品 16

 母性 32

 天文学 18


アクション:

 演説(統治20)

 恩賞(統治40)

 縄抜け(護身術30)

 事務(政務10)

 算術(政務20)

 授乳(母性20)

 子守唄(母性30)

 星占い(天文学10)


パッシブ:

 カリスマ(統治10)

 徴税(統治30)

 【事務】処理速度上昇(政務30)

 反撃(護身術10)

 逃走成功率上昇(護身術20)

 マナー(気品10)

 育成(母性10)



(そうか……王でも、貴族でも、騎士でもない。セディの立場だと、『領主』がジョブになるんだ)


 ステータスを開いて確認したことに決して他意はない。何かに期待していることなど決してない。

 そんなことより、セディが護身術を身につけてる以外は、ほぼ普通の女の子だと言えるステータスをしていることに着目するべきだろう。星占いなんて、乙女にふさわしいアクションだ。

 領主という職業は特殊だけど、それ以外の点において、彼女は等身大の16歳の少女だ。そんな彼女が、俺の魅了にかかり、しようとしていることと言ったら……。



 ◆ログ◆


・あなたの「艶姿」が発動した! あなたの振る舞いに、《セディ》《メアリー》は釘付けになった。



(ダメ押しのスキルが……勝手にコンボするんじゃない、俺のスキル……!)


「……ヒロトくんを見ていると、どうしてだろう……ボクはどうかしちゃったのかな……?」


 セディは上のシャツを脱いでしまって、脇の下のところにある、見るからに固く結ばれたサラシの結び目に手をかけ――少しためらってから、解いてしまう。


 すぐに巻き方が崩れない、マールさんとモニカさんよりも固い巻き方。それを緩めていくうちに、俺は信じられないものを見る思いだった――明らかに大きい。こんなものがどこにしまってあったのだという、白い大きな球体がふたつ、拘束から解放されて真の姿を見せる。


(大きい……こんなのをなぜ締め付けてしまうんだ。痛々しいくらいに赤いあとがついて……でも、男装の方が過ごしやすいっていうし、俺は一体どうすれば……!)


 葛藤する俺の前に、手であらわになった胸を覆い隠して、セディが立っている。

 ――俺の潜在意識が、あの行為を彼女に命じているとでも? 馬鹿な、そんなことがあるわけがない。


「……ボク、何をしようとしてるんだろう。どうしていいのか分からないのに……おかしいよね、こんな……」


 魅了状態になって、俺に対して女性であるこれ以上のない証拠を示して、それでもその先はまだ知らない。

 俺はそんな女の子に対して、本来ならどうするべきなのか。


(……統治系のスキルはたぶん、これからも代替できるものが手に入る。でも、王統と統治では種類が違うし、取得できるスキルもたぶん違う。統治を持ってるのは、俺が会った中ではセディが初めてだ……これを逃したら、もう手に入る機会が……)


「ヒロトくんに、ボクができることって、何かあるのかな……頭の中が、そんなことでいっぱいなんだ……」


 ◆ログ◆


・《セディ》はあなたの命令を待っている。命令しますか? YES/NO



 腕で隠しきれないくらいの、抑圧から解放されて自由を得たばかりの、白い丘陵。俺は平和的交渉を持って、その丘陵の頂点にて、友好の証を授受したいというか、つまりそれはどういうことかというと、



 ◆ログ◆ 


・《メアリー》があなたに「採乳」を許可しています。実行しますか? YES/NO



「わっ……め、メアリーさん、なんで……っ!」


 長い耳を隠すことなく、メアリーさんはコートを脱いで、その下の軍師というよりは貴族の令嬢のようなワンピースの服をはだけ、小柄な身体に見合わない大きさの部分を露わにする。ぷるん、という形容がふさわしい、手のすっぽりおさまりそうな、けれど十分な肉感のある、見事なバストだった。


 メアリーさんの耳はサラサさんより長く、尖っている。ハーフではなく、純血のエルフであることを示唆している――エルフが公国の要職についているというのは、彼女の能力がよほど特別視されていることを意味していた。


 それよりも――俺は完全に彼我戦力を見誤っていた。まさかこの二人が、こんなにも母性に満ち満ちているとは……世界は広く、俺の想像を超えてばかりだ。


「……クリスさんとジェシカさんとの行為を、失礼ながら見させていただきました。私の情報収集を可能にする力……『千里眼』を用いれば、試合が終わったあとのヒロト様の行動は、すべて感知できましたから。英雄、色を好むと言いますが……打ち負かした女性に触れることに、何か意味があるのでしょうか」

「そ、それには海よりも深いわけが……ただ触ってるわけじゃないんだ、ちゃんと意味があるんだ!」


 ついに俺の採乳の秘密に近づく人物が現れてしまった。千里眼……その力はスキルなのか、それとも彼女の持つ特殊な能力なのか。エルフならそういう力があってもおかしくないが、スキルによるものだったら俺は……!



 ◆ステータス◆


名前 メアリー・ワイズメル

エルフ 女性 112歳 レベル59


ジョブ:ストラテジスト

ライフ:112/112

マナ :1020/1020


スキル:

 戦略 100

 風水術 58

 精霊魔術 44

 恵体 6

 魔術素養 83

 母性 21


アクション:

 布陣(戦略10)

 遊撃(戦略20)

 攻撃計(戦略30)

 洞察(戦略40)

 埋伏(戦略50)

 流言(戦略60)

 離間(戦略70)

 軍規(戦略90)

 千里眼(戦略100)

 風水術レベル5(風水術50)

 精霊魔術レベル4(精霊魔術40)

 授乳(母性20)


パッシブ:

 【策略】成功率上昇(戦略80)

 山歩き(風水術30)

 マジックブースト(魔術素養30)

 育成(母性10)



戦略ストラテジー100……! というかこの人、ステータスが……体力はないけど、魔術のスキルは中くらい以上だし、風水術なんて珍しいものを……)


 千里眼の効果がメアリーさんの言うとおりなら、敵がどんな策を使ってきてもすべてお見通しということになる。こちらの伏兵は効果的だが、敵の伏兵は無意味にできる――ギルドバトルでこんなことができたら、無敵もいいところだった。軍師というジョブが実装されてなかったこともうなずける。


(……なんて美味しそうな……いや、有用なスキルを持ってるんだ。魅了を防ぐ装備は、今後は徹底してもらわないとな……)


 自分のことを棚に上げつつ、俺は協力を得た女性を、魅了耐性装備で保護する方針を固めた。もし俺以外の男に魅了されてしまうと、同じような展開になってしまうかもしれない。今までは気づかなかったが、状態異常耐性をなるべく穴がないように装備を整えることは、ゲーム時代もみんな四苦八苦していたポイントだった。


 ――と、賢者モードでゲーム時代を回顧している場合ではない。


(選択肢が消える……YESかNOか……欲しいに決まってる……でもメアリーさんがいれば、それでいいような気もする……あぁぁぁ……!)


 残されているのは十秒ほど。葛藤しているうちに、メアリーさんはセディから紙とペンを借りて、かりかりと何かを書き、そして俺にぴらっ、と見せた。


 『軍師の欲求に応えるのは、指揮官のつとめです。我が軍の新しい軍規として制定します』


「……えっ?」



 ◆ログ◆


・《メアリー》は『軍規』を発動した!

・『ジークリッド隊』において、新たな軍規が施行された。



(ジークリッド隊……俺が指揮官って、そういうことになってたのか。だ、だが、部下の欲求って……それは超絶にヤバイのでは……っ!?)



 ◆ログ◆


・あなたは《メアリー》の欲求を自動的に受諾しなければならない。

・《メアリー》はあなたに『採乳』を指示した。



(この行動力……俺はすごい軍師と巡り合ってしまったのか……というか、ちゃんとコントロールしないと、俺が操られてしまいそうだ……っ)


 もはやどっちが魅了してるのか分からない、俺はメアリーさんの言うことに逆らえず、手が勝手に動いてしまう。


 成長した俺の手でも、少し余るようなふくらみ。触れると輝きが増して、エネルギーが俺の身体に流れ込んでくる。


 メアリーさんは顔を赤らめつつ、何やらさっきの紙の裏に、かりかりと何かを書き記している――しゃ、しゃべればいいのに……。


『触れられると、温かい気持ちになります。こちらからは以上です』


「そうか……俺も落ち着くよ。メアリーさんは、思ったよりも大胆なんだな」


『恐縮です。しかしそれは、指揮官殿がいけないのだと思います』


 メアリーさんは引き続き感想を書こうと待ち構えているが、俺はそんな彼女の顔を見上げながら、スキルが上がるまで触れさせてもらうことにした。

 マナ1020、つごう102回もスキル上げが可能だ――半分の51回にとどめておくのが、俺の中でのルールだが。


 ◆ログ◆


・あなたは《メアリー》から『採乳』した。『戦略』スキルが獲得できそうな気がした。

・あなたは《メアリー》から『採乳』した。『魔術素養』スキルが上昇した!

・あなたは《メアリー》から『採乳』した。『戦略』スキルを獲得した! 戦における知の一端に触れた。


(よし、いい感じだ……何だか頭が冴えてくる感じがするな……)


『さきほどから左右交互に触れている理由を、述べてください』


「え、ええと……左と右をバランス良くした方がいいんじゃないかと思って」


『でしたら、右の回数が一度少ないと思われますが、いかがですか』


 さらさら、と書いて返事をするスピードが非常に早いので、会話が成立している。ふと見やると、セディは指をくわえて、うらやましそうに俺たちを見ていた。


 しかし俺はメアリーさんには逆らえないので、もう一回右の方から採乳してバランスを取る。なんとか軍規を変えてもらわなければと思いつつ、自分の胸が触られるさまをじっと見つめているメアリーさんを見返すと、彼女は少し不満そうな顔をした。


『恥ずかしいので、顔はあまり見ないでください』


(どうしろと……いや、俺が悪いんだけどな)


 俺はスキル上げを終えたあと、メアリーさんのコートをかぶせ直してあげた。少し汗をかいたので、自分の胸のボタンを一つ外す。

 それを見てセディが息を飲む気配がする。か、勘違いさせたか……俺がこのまま脱ぐと思わせてしまったかな。


「え、ええと……その。単刀直入に言って、セディは今してたみたいなこと、絶対嫌だったりするか?」

「っ……そ、それは……初めて会ったばかりだから……」


 ――そのとき俺は、領主会談で役に立つかもしれないと思っていた数ある交渉スキルの中から、よりにもよってというものを選択していた。



◆ログ◆


・あなたは《セディ》に『口説く』を使用した。



「人と人との出会いっていうのは、一期一会だから。その時の感情に素直になることが、一番大切なことだよ」


(歯が浮くセリフがさらりと……そして勝手に爽やかな微笑みが。こんなので落ちる女性がいるのか……?)


「……ヒロトくんがそう言ってくれるなら、ボクは……今の気持ちに素直になりたい」


(落ちた……のか……?)


 魅了をかけて口説いたら成功率が高いに決まっている。もはや俺には、そんな当たり前のことすら判断する理性が残っていなかった。


 メアリーさんは何かを書こうとするのをやめて、俺と領主の交流を観察している。締め付けたサラシのあとは、柔らかな丘陵の魅力をまったく損なうことはない。


 恥じらいの限界を迎えながらも、セディが胸を覆っていた手をそろそろと外す。この瞬間の感動は、何人目でも色あせない。


 俺はクリスさんのくしゃみに感謝しそうになり、それは彼女に責任を押し付けてるだけのような気がして、結局堂々めぐりして自分が悪いという結論に落ちつく。


「メアリーさんは落ち着いていたけど、ボクは大丈夫かな……ヒロトくん、任せてもいいよね……?」

「ああ、じっとしてるだけでいいんだ。ほんの少し、触れるだけで……」



 ◆ログ◆


・あなたは《セディ》から『採乳』した。

・あなたは『統治』を獲得した! 為政者としての意識が芽生えた。



 メアリーさんといい勝負というか、成長を考えるともっと大きくなるんじゃないかという、可能性に満ち満ちた胸。そこからエネルギーを採り入れた俺は、一度でスキルを獲得することができた。


「あ……ご、ごめん、ヒロトくん、ひとりでに……」


 触るとこういう反応が起こることはままある。自然にあふれてきて伝っていきそうになる乳のしずくを、俺は手で受けて集め、残さず飲んだ。


「ん……あっさりしてるけど、美味しいな」

「す、すごいね……出るっていうのもすごいけど、飲んじゃうなんて……」

「い、いや……もったいないなと思って。捨てるなんてとんでもないよ」


 セディは恥じらいつつも微笑んでくれる。メアリーさんの方を見やると、今度は彼女がうらやましそうに俺たちを見ていた――見ることに意識が向いていたのか、感想を書くための紙には、まだ何も書かれていなかった。


 ◆◇◆



 フィリアネスさんとクリスさんが戻ってきたあと、セディと魔鉱石の採掘、そして砦の建築についての打ち合わせをして、俺たちは領主の館を後にした。


 メアリーさんには『魅了』が切れたあとに『軍規』を解除してもらうようお願いしてみたが、今のところ返事は芳しくない。俺に対して怒っているわけでもないようだけど、どうしたものか。


(凄まじいスキルだな……ボーナスを振ることを考えるか。スキルポイントを増やすアイテムが、切実に欲しくてしょうがないな)


「ヒロト、私たちは駐留している騎士団に今後の方針を伝えてくるが、おまえはどうする?」

「俺も一緒に行きたいけど、他にもすることが沢山あるからな……あとでどんな話をしたか教えてくれるかな」

「うんうん、ヒロト君の補佐は私たちがするから、頼ってくれていいよ。ヒロト君は、ミゼール駐留軍の総大将なんだから」


 俺とクリスさんのやりとりを見て、メアリーさんが、領主の館で書いておいた紙を渡してくる。そこには『ミゼール騎士団規律』と書かれていた。どうやら読んでおけということらしい。


 軍規を自由にいじれるメアリーさんだが、基礎の部分は変えないということだろう。俺もそれは賛成だ。というか、メアリーさんの欲求を俺が満たすという軍規は、今後どこまで続くのだろう……スキル上げができるのは嬉しいが、とんでもないことを頼まれないかと少々不安だった。



 フィリアネスさんたちと別れ、俺は町に向かった。バルデス爺のところに行って、装備について相談したい。

 ――しかしその途中で、スーさんが向こうから歩いてきた。俺を見ると、遠くからでも会釈をしてくれる。


「坊っちゃん、聖騎士様方はどうされたのですか?」

「ミゼールの砦に騎士団が来てるから、今後の指示を出しに行ったよ。スーさんは……」


 尋ねるまでもなかった。スーさんが俺の答えを聞き終える前に、明らかに空気を変えたからだ。


「……そうか。これから、手合わせをしてくれるんだな」

「はい……お時間がありましたら、訓練場にて、約束を果たしたく思っております」

「分かった。俺も血が騒ぐよ……スーさんは、昔の時点でものすごく強かったからな。もしあの時手合わせしてもらったら、俺は何もさせてもらえなかったよ」

「……あの頃の愛らしい坊っちゃんに手をあげるなど、私にはできません。腕を封鎖し、足だけですべて回避するなどの方法でお相手することになったでしょう。しかし、今は……」


 スーさんは俺を強者だと断じている。瑠璃色の瞳にかすかに宿るのは、俺に対するかすかな恐れ――そして、早く戦いたいという、こちらまで奮い立たせられるほどの戦意。


「今は全身全霊を尽くしても、あなたを喰らい尽くせる気がしない」


 ぞわ、と肌が粟立つ感覚があった。これから始まるのは殺し合いではない、なのにスーさんは、命のやりとりをする者に特有の、全身を鋼に変えたような硬質な気を放っている。


(スーさんは俺が英雄になるかもしれないと言った。その期待に答えれば、彼女の本当の心を、もう少し見せてもらえるかもしれない)


 ギルドから派遣されたメイド。その実体は、陽の目を見ない任務を行う執行者。

 まるで氷の花のようだ。スーさんは震えがくるほどの美貌を持っているのに、その心の奥には冷たく研ぎ澄まされた刃がある。


「喰らい尽くすか……それくらいの気持ちで戦うってことだな。分かったよ、スーさん」

「はい。この時を、どれほど待ち望んだことか……参りましょう、坊っちゃん」


 柔らかい呼び方――しかし、もう甘えは許されない。これから戦っている間は、俺とスーさんは主従関係ではなく、二人の武人だ。


 彼女がどれほどの研鑽を積み、俺を待っていてくれたのか。その答えが彼女のステータスに示されていた。



 ◆ステータス◆


名前 スザンヌ・スー・アーデルハイド

人間 女 22歳 レベル56


ジョブ:ゴッドハンド

ライフ:1012/1012

マナ :436/436


スキル:

 ナイフマスタリー 63

 格闘 93

 気功術 48

 軽装備マスタリー 52

 執行者 100

 恵体 81

 魔術素養 36

 母性 44

 料理 53

 メイド 22



アクションスキル:

 投げナイフ(ナイフマスタリー10)

 牽制攻撃(ナイフマスタリー30)

 ブレイドストーム(ナイフマスタリー50)

 パンチ(格闘10)

 キック(格闘20)

 投げる(格闘30)

 サブミッション(格闘40)

 踵落とし(格闘50)

 正拳突き(格闘60)

 烈風脚(格闘80)

 堅体功(気功術20)

 回復功(気功術30)

 発勁(気功術40)

 暗殺術レベル10(執行者100)

 授乳(母性20)

 子守唄(母性30)

 搾乳(母性40)

 簡易料理(料理10)

 料理(料理20)

 野営(料理50)


パッシブスキル:

 ナイフ装備(ナイフマスタリー10)

 毒ナイフ(ナイフマスタリー20)

 睡眠ナイフ(ナイフマスタリー30)

 麻痺ナイフ(ナイフマスタリー40)

 クリティカル確率上昇(ナイフマスタリー60)

 回避上昇(格闘術30)

 カウンター(格闘術70)

 回し受け(格闘術90)

 練気(気功術10)

 軽装備(軽装備マスタリー10)

 軽装備効果上昇(軽装備マスタリー50)

 氷の心(執行者10)

 ブラッドラスト(執行者80)

 マジックブースト(魔術素養30)

 育成(母性10)

 料理効果上昇(料理30)

 マナー(メイド10)

 ベビーシッター(メイド20)

 料理効果上昇(料理30)

 毒味(料理40)



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