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第四十六話 故郷へ/夕焼けの湖

 御前試合を終えたあと、修練場を出る。空は雲一つない晴天で、屋内から出てきたからか目が眩むように感じた。


「あっ、マール! マールぅー!」


 マールギットさんとアレッタさんがちょうど様子を見に来ていて、彼女の姿を見たクリスさんが、はしゃいだ声を出して走っていく。


「あ、クリスちゃん! 聞いたよー、ヒロトちゃんと試合してたって。どうだった?」

「もー、強かった! フィル姉さん直伝の技とか見せつけられちゃった! 一撃必殺で大変見苦しいところを見せちゃうとこだったよー」

「だ、大丈夫だった? ヒロトちゃんはねえ、雷神様直伝の技を使うから、私もどうやって戦えばいいのかなあ、って思ってるところなんだよねー」

「マールと私とジェシカさんが一緒になっても勝てないよね、あの子には。そのくせ可愛いとかもう、もうっ」

「えっ……か、可愛い? クリスちゃん、私の知らないヒロトちゃんの可愛いところを見たの? いつどこで?」

「その話は今は置いといて……ねえマール、おっぱい大きくなった? フィル姉さん抜いた?」

「あ、あとちょっとで勝てそうな気もしなくもないけど~……あっ、ちょ、ちょっと待って、ヒロトちゃんも見てるから、こんなところで……」


(な、なんて大胆な……鎧の中に手を入れるなんて、そんなことが可能なのか)


 マールさんのブレストプレートの下に手を滑り込ませて、クリスさんが胸の大きさを測っている。恥じらうマールさんの姿が、こう言ってはなんだけどとても新鮮に感じる。


「も、もう……ヒロトちゃん、見てないふりして見てるでしょ?」

「そ、そんなことは……なきにしもあらずというかだな……ご、ごめんなさい」

「いいんですよ、マールさんはいつも大胆なのに、ときどき恥ずかしがってみせてるだけなんですから」

「アレッタちゃんが黒いオーラを……クリスちゃんだめ、この話題を続けたら世界が崩壊しちゃう!」

「あ、そっか……ごめんアレッタさん、私、無神経だったね」

「本気で気を使われても困るんですが……そ、それに、今からでも成長しないわけでは……」


 ちら、とアレッタさんに見られる俺。彼女の成長は俺にかかっているということか。物理的に大きくする方法は、民間伝承として聞き及んでいるが――って、揉んだら大きくなるとは限らないよな。


「え、えーと……クリスさん、そろそろマールさんを放してあげてください」

「マールと会ったら、これをやらないと始まらないんだよねえ。ヒロト君も測ってみる? あ、ヒロト君のことだから、日常的に測ってあげてるよね~。マメな性格って感じするもんねえ。んふふ」

「っ……い、いや、日常的には……というか、測ったこと自体がないですよ」


 俺は至極まじめに答えたが、クリスさんは『本当に?』という顔でマールさんを見る。マールさんの顔が、普段見ないくらいにかぁぁっと赤く染まった。


「ま、まだ、ヒロトちゃんとはそういう……背が伸びたりしたのは最近だし、いろいろ約束したのも、ついさっきっていうか……」

「約束……? そっかー、ふーん、ほーお。ヒロト君、やることはしっかりやってるんだね」

「ま、まあ……って、その言い方は誤解を招きますよ。やるとかやらないとか」

「ふぁぁ……ヒロトちゃんったら、そんな言い方したらクリスちゃんが乙女の妄想力を全開にしちゃって、大変なことになっちゃうでしょ? いけません、めっ」

「私ももういい年だから、そこまで乙女ってわけでもないけどねえ。ヒロト君はどう思った?」


(とても乙女だったな……いや、血の繋がった叔母さんも、紛れも無く女性だというか……いいのかそれで)


 いいのかも何もやることをやってしまっているので、どう答えていいものか。

 しかしクリスさんは秘密にすると言ったとおり、思わせぶりにしつつも、それ以上は踏み込まなかった。


「アレッタちゃん、マールと一緒だと大変でしょ? 寝相悪いし」

「い、いえ……一緒に寝ているわけではありませんから。そうでしたね、お二人は騎士学校時代、同じ寮の部屋で暮らされていたんでしたね」

「二段ベッドだから、寝相とか関係ないのにー。私が勝手に落ちたりはしてたけどね。クリスちゃん、あの時は『敵襲だー!』て慌ててたよね」

「まあ若気の至りっていうかね。マールも落ちたわりにそのまま寝てるから、その方が恐ろしかったよね」


 マールさんとクリスさんにそんな関係があったとは……二人は騎士学校の寮で、同室だったのか。寮で相部屋とか、何か青春という感じがするな。


「あ……雷神さま! あの、私たちこれからどうすればいいんでしょう?」


 観覧席にいた人たちに挨拶してから、フィリアネスさんが修練場から遅れて出てきた。彼女は金色の髪をかきあげつつ、こちらに颯爽と歩いてくる。


「陛下からは、ミゼールに向かう許可を得た。軍師のメアリー殿も、作戦顧問として同行することになった……彼女は首都に残るべきか考えていたようだが、ヒロトの戦いぶりを見て、思うところがあったようだ。首都周りの守備について指示を出したのち、共にミゼールに向かう」


 『ストラテジスト』というジョブは、軍師のことだったようだ。俺の戦いぶりを見て……か。もし俺が弱かったら、ミゼールに同行することはなかったんだろうか。その辺りの判断理由は、後で聞いてみたい。


 フィリアネスさんと一緒にやってきたジェシカさんは、少し残念そうな顔をしていた。


「ミゼールには、先発隊としてクリスと赤騎士団の選抜部隊が同行します。私は後からミゼールに向かわせていただきます。あまり急に首都の守備を減らすのは、得策ではありませんから」

「そうなのか……それじゃジェシカさん、また後で会おう。俺たちはミゼールで待ってるから」

「っ……は、はい。かしこまりました、ヒロト様……っ」


 黒い髪をかきあげ、耳に触れながら、ジェシカさんは端正な顔を赤らめている。その姿を見てフィリアネスさんは腕を組み、ふう、と息をついた。


「『ホーリーライト』を使ったあと、何があったのか……陛下や同席した方々も心配していたというのに。更衣室から出てくるまでに、これほど二人の態度が変わる出来事があったというのか?」

「んぁっ……ふぃ、フィル姉、それには海より深いわけがあってね? 私は実は、この少年と、少なからず血が繋がっていて、急に見えるかもしれないけど、仲良くなる下地ができていたというか何というかっ」

「む……そ、そうか。ハウルヴィッツ……クリスティーナの家名は、レミリア殿の旧姓と同じだったな。私も昔引っかかってはいたのだが、クリスに尋ねる機会がないままここまで来てしまった。私としたことが迂闊だったな」


 フィリアネスさんが俺と騎士団長二人がしていたことではなく、クリスさんの誘導に乗ってくれた。叔母さんと甥が初めて出会ったら、それは積もる話があったりするものだ。そんな話はまだ全くしていないが。


「ふむ……そういうことか。しかし、ジェシカ殿がこれほど早く、男性に対して警戒を解かれるとは。やはり、ヒロトの武人としての力を認められたからですか?」

「は、はい……フィリアネス殿。ヒロト殿の力量には、まことに感服いたしました。未だにこの胸に、ヒロト様の技巧を受けたときのうずきが残っております」

「む……そ、そうか。私もあれほどまでとは思っていなかった。やはり今のヒロトは、私よりも遥か高みに上っている……そう言わざるをえない。同席した皆も、魔王と戦う者の力量に心服していました」

「はい、ヒロト様の手にかかれば、あっという間に高みに上らせていただけるといいますか……まだ腰がふわふわとして、夢見心地といいますか……」

「え、えーと、その……俺の技が意外に凄かったってことで、それ以上の意味はないよ」


 ジェシカさんとフィリアネスさんの会話が噛み合わないうちに、なんとか致命傷を回避しようとする俺。フィリアネスさんは何も言わずに俺を見やる。腕を組んだままだとちょっと怖い……乳袋が腕に乗っかっているけど、そんなことを気にしている場合ではない。


「……腰砕けになるほどの大技だったということか? 二人とも鎧が変わっているのは、試合で破壊されてしまったからということか。つまり、ホーリーライトを使って二人を更衣室に連れていったのは……」


(め、めちゃくちゃ鋭い……今のフィリアネスさんは、名探偵並みの推理力だ……!)


 順序立てて考えれば分かることなのだが、もう真相にたどり着きそうで気が気ではない。『俺が勝ったら何でも言うこと聞くって言ったよね?』『くっ、殺せ!』 みたいなやり取りがあったと思われたら……!


 背中に冷たい汗が流れ落ちる。しかしフィリアネスさんは組んだ腕をほどくと、ジェシカさんの肩に手を置き、親しげに微笑みかけた。


「正直を言うと、あなたとクリスが羨ましい。私の方が先に、あのヒロトの技を受けてみたかった。彼が大きく力量を伸ばしてからは、手合わせをしていなかったのでな……」

「はっ……も、申し訳ありません、我らの勝手で、大切なヒロト殿に勝負など挑んでしまい……自分の力量の未熟さを思い知らされました。ミゼールに発つまで、寝食を惜しんで鍛錬いたします!」


 ジェシカさんはフィリアネスさんより年上だけど、すごく畏まっている。フィリアネスさんは若い頃から、騎士としてジェシカさんの常に先を歩いていたからだろう。


 なんて感心しながら見ていると、後ろから首に腕をかけられる。


「ヒロト君、あぶなかったね。これからも秘密にしておこうね」

「っ……は、はい……と言っていいのか……」

「んふふ……まあねえ、ヒロト君中途半端に真面目そうだもんねえ。でも遊びで終わったりしたら、それこそ私の立つ瀬がないっていうかねえ……放っておいたら病んじゃうかもよ? 欲求不満で」

「よっ……く、クリスさん……っ」


 分かってはいたけどはっきり言われると、責任を感じてしまう。しかしレミリア母さんにそっくりな彼女に、これ以上何をしてあげられるというのか。俺にはスキルを上げることしかできない。


(とりあえず、母さんと再会した時には問題が山積みだからな……叔母さんと会って、試合をして、意気投合しました、でとどめておくべきだ)


「……クリス、それは少し距離感を誤っているのではないか? ヒロトが嫌がっているだろう」

「そんなこと言ってー、姉さんったら。あ、ほんとの意味で姉さんだよね、今のところは。んふふふ」

「ん……? 何を言っているのだ。クリスティーナの姉君は、ミゼールにいるレミリア殿だろう」


 女の勘が働いたり働かなかったりすると、俺としてはとてもハラハラする。良かった……これ以上話がこじれたら、フィリアネスさんが拗ねてしまう。というか、怒られてしまう。


「とにかく、これから忙しくなるのだからな。ヒロトは大切な身体なのだから、気遣ってもらいたいものだ」

「ほんとにね。ヒロト君、私は赤騎士団のみんなに話をしてから行くから、先に出発してて。それじゃーねー」

「クリスちゃん、前見て走って! あとヒロトちゃんとの距離感をもう少し広げて!」

「ん、善処しとくー」


 絶対善処する気などなさそうなので、俺が適切な距離感を保たなければ。

 しかしクリスさんの胸の感触が今も手に残って……い、いや、気のせいだ。そんなものは幻想だ。


「ヒロトちゃん、少し放っておいたらこうなんですから……ほどほどにしておいてくださいね。私もマールさんも、順番待ちをしてるんですから」

「……善処します」


 アレッタさんが疲れた顔をしているので、俺は非常に申し訳ない気持ちになった。彼女にも後で心のケアが必要だ。というか全体的に必要な気もする。順番待ち、そんな言葉を女の人に言わせてはいけない。



◆◇◆



 昨夜フィリアネスさんの別邸で過ごし、そして御前試合をしていた時も、俺はずっと気にしていることがあった。ユィシアに呼びかけてみても、返事が返ってこない。しかし神経を研ぎ澄ますと、気配は感じる。俺に念話が届く範囲にいるが、返事ができない状態のようだ。


 俺はユィシアのことを案じつつ、実家へ挨拶に行ったウェンディを迎えに行ったあと、ルシエとイアンナさん、ジェシカさんとクリスさんたちに首都の門で見送ってもらい、ミゼールへの帰途についた。


 俺は公王陛下から、新しい馬を賜った。なんでもコーネリアス公の治める北方領は馬の産地であり、首都に来るときに百匹の馬を陛下に納めに来たそうだった。そのうちの一頭、フィリアネスさんの愛馬の直系にあたる、若い馬を選んでもらった。名前はメアといい、つぶらな瞳をした雌馬だが、魔物を見かけても動じない落ち着きのある馬だということだ。


(馬まで牡より牝の方が強いってことは……まあ、偶然か)


 白いたてがみに銀色の毛が混じっている、すごくきれいな馬だ。俺が鐙を装着してまたがっても、すぐに言うことを聞いてくれた。どうやら竜騎兵スキルを取ったので、騎乗技術にも多少なりと好影響があるらしい。


 アッシュの商隊から馬車を借りて、馬に乗ったことのないパーティメンバーは馬車に乗っている。フィリアネスさん、マールさん、アレッタさん、意外なことにスーさんも騎乗経験があって、彼女も馬に跨っていた。メイド服姿で乗っていると、何か不思議な風格がある。


 そんな俺の視線に気づいて、スーさんは手綱を引き、俺と轡を並べて馬を歩かせ、話しかけてきた。


「坊っちゃん、乗馬の訓練をされたのですか? 馬が手足のように言うことを聞いておりますね」

「ああ、いや。専門の人にはかなわないけど、乗ることはできるよ。この馬がいい馬なんだ」

「本当に良い馬ですね。先ほどの武器は、騎乗したままでもお使いになれると思うのですが……」

「そのままでは使えないな、重いから。もし騎馬戦なんてことになったら、もっと軽い斧槍を使うよ」


 巨人のバルディッシュの利点でもあり、弱点でもあるのは重いことだ。馬の耐荷重がいかに大きいとはいえ、あまり負担はかけたくない。

 そう考えると、竜騎兵スキルを取ったのだから、銃系の武器を手に入れるのも良いかもしれないと思う。色々手を出しすぎてもいけないが、新スキルを取ると夢が広がるものだ。敵陣に騎乗して突っ込み、『猛将』スキルで敵兵を威圧し、そのまま無双するなんてことも考えられる。


(人間同士の大規模戦闘か……ギルドバトルを思い出すな)


「坊っちゃん……首都に滞在しているときは、機会がありませんでしたが。やはり、私は……」

「俺も手合わせしたいと思ってたよ。ミゼールに居るうちに、機会を作ろうか」

「っ……は、はい。騎士団長二人を破られた坊っちゃんに相手をしていただくなど、本来は恐れ多いのですが……」

「俺と戦うために、腕を磨いててくれたんだもんな。それに、スーさんは騎士団長二人とくらべて、力が及ばないとは言い切れない。そんな気がしてるよ」


 お世辞のつもりはない。六年前、その当時の俺が目を見張るほどの強さを持っていた彼女が、あれからたゆまない修練を積み、今に至ったのなら――そのステータスは、おそらく騎士団長二人どころか、ミコトさんにも手が届くだろう。


「……本当を言えば、自信がないと言えば嘘になります。私は個人戦闘に特化しておりますから」

「そんな気はしてたよ。俺の仲間のミコトさんも、同じ方向性の高い実力を持ってるんだけど……会ってみて、どうだった?」

「肌がざわめくような、とはこのことです。とても淑やかな女性なのに、首筋に刃を突きつけられるような気配を感じ取りました。敵意を向けられたわけではありませんが、強者を前にしたときに見えてしまうのです。そのような幻影ビジョンが」

「そうか。彼女は戦うこと、強さを追求することに、突き抜けたこだわりを持ってる。俺とスーさんが手合わせするって言ったら、彼女もそうしたがるかもしれないな」


 ミコトさんは馬に乗れるそうだが、今は馬車に乗り込んでいる。まだ皆と親睦を深めきれていないので、大勢で同乗して話がしたいということだった。ミゼールに着くころには、打ち解けられているといいのだが。


「……坊っちゃんのパーティに入れていただくには、関門を突破しなければならないということですね」

「えっ……い、いや、そういうわけじゃなくて……スーさん、そういえばギルドの方は……」

「退職しました。十年勤めたあとは、あるクエストを受けることでいつでも退職が可能なのです。ですので……できるならば、これからは坊っちゃん個人のメイドとしてお仕えさせていただければと……」

「ま、待って……いや嫌なわけじゃなくて、俺、スーさんと別れたときすごく小さかったんだけど、いいの? いくら将来性があるかもしれなくても、わりとろくでなしに成長してる可能性だって……」

「そのような可能性は、初めから存在しません。思い込みが激しいと言われても、私は自分の目を信じます。そして現実に、坊っちゃんは英雄となって私の前に現れた……どれほど感激したか、お分かりになりますか?」


 ――それは。


 そこまで期待し続けていたのなら、それこそ、嬉しいなんて言葉じゃ表せないだろう。今のスーさんの顔を見れば、それがわかる。

 いつも冷静な彼女の目がうるんで、頬がかすかに赤くなっている。その表情が意味するものに気づかないほど、俺は鈍くはない。


「……これはますます、スーさんに負けるわけにはいかなくなったな。俺、勝ったら欲しいものがあるんだ」

「ふふっ……坊っちゃんが勝った時には、なんなりとお申し付けください。どのようなご要望にもお答えいたします。入手が困難な秘宝でも、行方の知れない賢人でも、見つけ出してご覧にいれます」


 スーさんは俺が欲しいものが何か、全く想像がつかないようだった。そういう人に対して、いざ勝負を終えたとき、俺が何を求めるかを考えたら、申し訳ないという気持ちが先に立つ。


 子供の頃に見て、ずっと忘れることのなかったあのスキル――『執行者』。

 俺はスーさんにその極意を戦いの中で見せられるだろう。それを受けきり、勝たなければ、手に入れられない。


「坊っちゃん……どうなされたのですか? も、申し訳ありません、つい気分が高まってしまって、私、何か余計なことを……」

「ははは……いや、俺が黙ってても、特に怒ってたりすることないよ。そんな仏頂面に見えるかな」

「ぶっちょう……?」

「あ……え、えーと。機嫌が悪い感じに見えるなら、もっと愛想よくしないとな。こんな感じだと、自然に笑えてるかな?」


 俺はガラにも無いと思いつつ、スーさんに笑いかけた。出来るだけ自然にと心がけるが、正直自信はない。


「……坊っちゃんは昔から可愛らしかったですよ。時折私をじっと見て、何か考えていらしたお顔が、今も忘れられません」


(それはおそらく、スキルのことを考えてた時の顔だな……くっ、またカルマが……)


 あの頃は本当に手当たり次第で、珍しいスキルを見るたびになんとか授乳してほしいとそればかり考えていた。手に入らないスキルも多かったが、それで良かったと思っている。コンプリート欲を満たそうとし始めたら、それこそ俺は授乳のために生きているような人生を送らねばならない。


「あっ……そ、そうです、そのお顔です。やはり坊っちゃんは大きくなっても、面影が残っておられますね」

「い、いやあの……ご、ごめん。今後は気をつけるよ」

「……? いえ、気をつけられるようなことはないのですが……いかがなされましたか?」


 どうやら採乳について考えている時の俺の顔は、さほど軽蔑されるような顔ではないようだ……良かった。



◆◇◆



 首都からミゼールに辿り着くまでは三日かかる。俺たちは夜になるとキャンプを張って休みつつ進んだ。

 冒険者スキルの『野営』がこんなときに役に立つ。俺はみんなにいつの間に覚えたのかと感心されつつ、野営の準備を仕切って喜ばれた。


 ――そして、二日野営して、三日目の朝に出発し、昼ごろにミゼールの町の門が見えてきた。


「……久しぶり、という顔をしているな。ヒロト」

「うん、本当に……何年も戻ってなかったような気がするよ」


 実際は十日も経っていない。けれど何もかもが変化しすぎて、目まぐるしくて――それ以上に充実していた。


 門番の人と話して町に入る手続きをしたあと、まずアッシュをパドゥール商会に送っていった。エレナさんが出迎えて、アッシュとステラを抱きしめる。


「ああ、良かった……二人とも、無事に帰ってきて。大丈夫だった?」

「うん、ヒロトと皆さんがいてくれたから、何も危ないことはなかったよ。商隊のみんなも、そうだよね?」


 アッシュに言われて、商隊の面々は一も二もなく頷く。こういうところは、彼の人柄の成せる部分もあるだろう。まだ少年ながら、その清廉な人柄は皆に慕われている。山賊が公女の馬車を襲っているところに出くわしたというのは、エレナさんを心配させないために伏せておくということで、商隊の皆の意見が一致していた。


「お母さん、泣かないで。私もお兄ちゃんも、ヒロトのおかげで、お祭りを見てこられたわ」

「良かったねえ、二人とも。それでヒロト坊は……?」


 ついにこの瞬間が来てしまった。俺は長い髪をどうにかしたいと思いつつ、エレナさんの前に出る。

 こうして見ると、エレナさんまで俺と身長が逆転してしまった。気恥ずかしさを感じつつ、俺は驚かれることを覚悟して、改めて名乗る。


「え、エレナさん……俺、ヒロトです。こんなになっちゃって、わからないかもしれないけど……」

「……え、ええっ……? 一体何がどうしたら、そんなに……ひ、ヒロト坊、何か魔術でもかけられたのかい?」


(そうか、その説明の仕方があったか……!)


 正確には魔術ではないが、リリムにエナジードレインを食らったというのは、魔術的な攻撃をされたと言えなくもない。生命力を吸われ、超回復したら年を取ったというより、心配をかけずに済むのではないだろうか。


「……事情は、概ねエレナさんが想像した通りです。俺がこの姿になったことは、改めてみんなに説明します」

「そうかい……大変だったね。おいで、ヒロト」

「え……エレナさん……はぶっ……!」


 エレナさんはあれよという間に俺を抱きしめる。大きく開いた胸元から、褐色の豊かな谷間が覗いている――そこに顔を押し付けられて、鼻が谷間に挟まって……な、なんていう大胆な……。


「うちの子たちを守ってくれてありがとう。もう、坊やなんて言えなくなっちゃったわね。ヒロト、って呼んだ方がいいのかしらね」

「……エレナさん」

「ふふっ……何だかねえ。あんた、リカルドさんやレミリアに似るのかと思ったら、思った以上に……」


 胸に埋まった顔を上げると、エレナさんと目が合う。彼女はじっと俺を見つめたあと、何も言わずに離してくれた。


「またお礼をしに行くわね。まだ、家には戻ってないんでしょ? こってり怒られといで」

「ははは……ですよね」

「子供がそんなになったら、親は当然心配するからね。まあ、愛情だと思って受け取っときな。それじゃあね、ヒロト坊」


 やっぱり『坊』は取れなかったが、そのうち無くなるのかもしれないと思う。しかし今のエレナさんの目を見ると、何度も会っていると、何かが起きてしまいそうな……。


「ヒロト……これから大変になるかもしれないけど、また、勉強を教えてあげてもいい?」

「ああ、もちろんだよ。ステラ姉もゆっくり休んで」

「うん……ありがとう。またね、ヒロト」

「本当にありがとう、ヒロト。あ、ディーンも帰るのかい?」

「俺んちすぐそこだから! ヒロトー、またなー! 父ちゃんにヒロトがすごかったって言っとくからな!」


 ディーンは止める間もなく走っていってしまった。親子で仲がいいから、お父さんに会いたくてしょうがなくなったのだろう。

 食料品店のメルオーネさん、工房のバルデス爺にも会いたいけど、まずは皆を家に送っていかないといけない。考えていると、フィリアネスさんが声をかけてきた。


「ヒロト、私たちは宿の手配をしておこうと思う。陛下からミゼール領主への書状を預かっているから、それを見せれば滞在する場所は確保できるだろう。今日は町で宿を取り、明日領主の館を訪問して会談の時間を持とうと思うが、どうだろうか」

「うん、俺もできるだけ早い方がいいと思う。今日は着いたばかりだから、明日にしよう」


 領主か……見たことがないが、どんな人なんだろう。

 会談を行う際は、交渉術が交渉術として、大いに役に立つかもしれない。いや、俺にミゼールをくれと今の段階で言うつもりはないけれど。


(何事も過程を踏むのは大事だな。今の領主と話すことは、俺の今後に大きく関わりそうだ)



 ◆◇◆



 フィリアネスさんたちは気を遣って宿を取りに行ってしまったが、考えてみればうちには幾らでも部屋があるので、全員が宿泊することも可能だ。しかし入浴などを考えると、分散した方が気が楽だったりするだろうか。


 ゆくゆくはみんなで一つの家に住めないだろうか、と考える。そうなると、先立つものが必要なわけだが――お金でどうこうするのではなく、領主との交渉で、拠点を提供してもらうことはできるだろう。赤騎士団とメアリーさんが遅れて来るので、彼女たちの駐留する場所も必要だ。


 町外れの森に少し入ったところに、ネリスおばばの庵がある。そこに向かう途中でモニカさんは自分の家に帰っていった。リオナはまだついてくると言うので、俺とリオナ、ミルテの三人となった。


 久しぶりの森に入ると、ミルテは深呼吸をして、懐かしい空気を吸い込んでいた。俺もそれに倣うと、帰ってきたという思いが強くなる。

 リオナも俺も、自分の家の近くを通ってここに来ている。ミルテはそんな俺達の心情を悟ってか、少し遠慮がちにしていた。


「……送ってもらっても、いいの?」

「ああ、もちろん。おばば様のところまで一緒に行こう」

「おばばさま、ヒロちゃんのこと見たらびっくりしないかな……? だいじょうぶかな? おばばさまも、おばあちゃんだったり、お姉さんだったりするもんね」


(まだまだおばば様は若いからな……27歳に若返って、今は31歳まで戻ってるはずだけど)


 ミゼール最強の精霊魔術師は、若くなって町で男性に声をかけられることが増えたそうだが、実年齢を口にするだけで男避けができると笑っていた。


 ――そして。庵が近づいてくると、とんがり帽子をかぶり、栗色の髪を後ろで結んだ女性――いや、少女が、庵の近くを箒で掃いている姿が見えた。


「あ、あれ……? あれは、おばば様か?」

「……おばば様が、また若くなってる」

「ふぁぁ……おばばさまがミルテちゃんのおばあちゃんじゃなくて、お姉ちゃんになっちゃった……!」


 若返りの薬の味を知ったミゼールの賢者は、その甘露が癖になってしまった――なんていう筋書きを想像する。そして、どうやらその通りのようだった。


「む……おお、ミルテ! よくぞ帰った、帰りを待ちわびておったぞ……おお、おお……」

「……おばば様、またおくすり飲んだの?」

「ひ、人聞きの悪い言い方をせんどくれ。と言いたいところじゃが……うむ、どうにも誘惑に勝つことができなんだ。もう飲むつもりはないがのう、これが限界のようじゃからな」


(お、おばば様……限界っていっても、まさか16歳まで若くなるとは……)


 今のおばば様は、明晰そうな少女魔法使い――もとい、少女魔術師にしか見えない。常に不敵な微笑みを浮かべていて、ローブからのぞく肌は水を弾きそうなほどに若々しい。若返ったのだから当然だが。


「お、おばば様……ただいま帰りました。俺、ヒロトです」

「……むう……わしが若返ったことを先読みして、お主は年を取っておったか……ふふ、丁度良い年頃じゃな」


 何がちょうど良いのか聞くまでもないあたり、俺も何と言っていいのか……フラグの関係ない訪問先はないのか、俺には。


「おばばさま、ヒロちゃんってわかるの? こんなにおっきくなったのに」

「な、何を言っておるのじゃ、おっきくなったなどと。ヒロトの前で言ってはならぬぞ」

「お、おばば様……って呼んでいいのかわからないけど。子供の前で言うことじゃないですよ」

「……むぅー」

「……ヒロトも子供。おっきくなったけど、おっきくなっただけ」


 リオナとミルテが訴えてくる。二人の前では八歳のままでいろと、そういうことか……難度が高いな。


「二人にはまだ早い話じゃからのう。じきに教えてもらえるから、待っておいで」

「はーい……ヒロちゃん、何をおしえてくれるの? 今おしえて?」

「私もおしえてほしい……おしえてくれなかったら……」

「うわっ、じゅ、獣人化はちょっと……うぁぁ……!」



 ◆ログ◆


・《ミルテ》は呪文を詠唱している……。

・《ミルテ》の獣魔術が発動! 《ミルテ》は一時的に山猫の力を宿した!



「や、やめっ、耳はちょっと……お、教える! 絶対教えるからっ!」

「ぺろぺろ……ちゅっ。ヒロトの耳、美味しい……ぺろっ、ぺろっ」

「……リオナもなめたい。おばばさま、なめてもいい?」

「ああ、存分になめておあげ。わしは後でいいからのう。ヒロト、逃げたら承知せぬぞ」

「ちょっ、そこは止める役になってもらわないと……っ、あぁ~……」


 なぜ俺は二人に耳を舐められているのだろう……耳って美味しそうに見えるんだろうか。


「れろれろ……はむっ。ヒロちゃんのお耳、とってもおいひい……」

「……リオナのほうが美味しそうにしてる」

「らっておいひいんらもん……あ、ヒロちゃん逃げちゃだめ……じっとしてて」

「た、助けてくれ……おばば様、助けてください。この状況はいかんとも……っ」


 おばば様はにやにやと微笑んで俺を見ている。こ、これは……何か交換条件を出される予感が……!


「……ヒロトが、わしのことを『おばば様』ではなく、今後を通して『ネリスさん』と呼んでくれたら助けてやろう。どうじゃ?」

「っ……」


 それくらいなら、と言いかけたが、呼び方は重要な意味を持っているのだとすぐ気づいた。

 俺が初めて彼女をネリスさんと呼んだとき、何をしたか――ミルテに見られつつ、スキルの授受を行ってしまった。薄暗い庵の中でのことを、今でも鮮明に覚えている。間接照明の中で浮かび上がった、当時27歳まで若返ったネリスさんの姿態。ローブの上からではわからない、母性63という数値を表すような、大きくて豊かな恵みの象徴。重力への抵抗をやめるにはまだ数年ほどあると感じさせる張り。どれだけ鮮明に覚えているのか。


 だがそれを思い出して、俺は普通踏みとどまるべきなのだろうが――むしろ前に進んでしまう。


「ね、ネリスさん……俺ももう、くすぐったくて……」

「ふふっ……少し思い切りが足りぬが、良いじゃろう。ミルテ、リオナ、おいたはそこまでにしておきなさい」

「んっ……はーい。ヒロちゃんありがとう、おいしかったよ」


 リオナの顔がつやつやしている……夢魔だけに、耳を舐めて俺の精気とかを吸ってないだろうか。そんなことはないと思いたい。


「……私も、おばば様じゃなくて、ちがう方がいい?」

「ヒロトだけは特別なのじゃよ。なにせ、わしの一番弟子じゃからな。ミルテもリオナも特別じゃが、それはまた別の『特別』なのじゃ。わかるかのう」

「うん、わかった! おばばさま、リオナちょっとかしこくなった?」

「……私も、かしこくなった気がする」

「うむうむ、そうじゃそうじゃ。いろんなことがあって、人は大きくなるものじゃからな」


(うわー、適当だー)


 でも、さすがはおばば様――いや、ネリスさんだ。二人に寂しい思いをさせずに場をおさめてしまった。


「ふふ……わしより背が高くなってしまったのう。リカルドにも、もう少しで追いつくのではないか?」

「まだ父さんの方が、かなり大きいんじゃないかな?」

「会ってみればわかることじゃな。実を言うと、後でお主の家に呼ばれておる。今朝レミリアが来て、何か感じるものがあったのか、『ヒロトが戻ってくる』と言っておった。その通りになったのう」


(母さん……俺が帰ってきたときのために、みんなを集めて……)


 普通ならありえないことだ。でも、母さんは俺が帰ってくることを感じ取った。

 ――何か理由があるんだろうかということよりも、俺は純粋に、そのことを嬉しいと思った。



 ◆◇◆



 ミルテと一旦別れ、最後に残ったリオナを、サラサさんの家まで連れていく。もう、俺の家が見えている――だけど、まだ帰れない。


 途中で母さんや知り合いと会わないかと思ったが、誰にも会わずに、サラサさんの家まで来た。


「……あれ? お母さん、いないみたい。お買い物に行ってるのかな?」

「ん……そうか。ハインツさんもいないのか?」

「お父さん、いつもこの時間はお仕事してるから、今日もそうみたい。ちょっと見てくるねっ」


 リオナは言って走っていく。扉の鍵は持たされていたようで、ドアを開けて中に入っていく――そして。

 しばらく待っていると、リオナが紙を持って外に出てきた。羊皮紙ではなく、植物性の繊維を使って作った、荒いつくりの紙だ。ちょっとしたメモ書きには、こちらの紙が使われることが多い。


「少し、教会に行ってきますって。私も行ってこようかな? セーラさんにあいさつしなきゃ」

「そうか。じゃあ、俺も……」

「ううん、ひとりでだいじょうぶ。ヒロちゃん、ありがとう! それじゃ、またね!」


 リオナは手を振って走っていく。俺は過保護になってたんだと気がつく――少し離れるだけで、心配でしょうがない。魔王の転生体で戦闘力が高いとか、そんなことを考えてたのに。


(……何か、胸騒ぎがする……サラサさん、早めに会えるといいんだけど……)


 リオナがサラサさんに会うことができれば、夜に俺の家に連れてきてくれるだろう。そう期待して、俺はついに自分の家に足を向けた。



 家の扉を前にして、自分でも思った以上の感慨が湧いた。

 それだけでなく、同時に緊張し始める。誰か一緒にいてくれたら良かったが――と思って、そんな情けないことを考えてはだめだと思い直す。


「……っ」


 決意してドアをノックしようとする。その時、内側から扉が開き――出てきたのは、母さんだった。


 ただいま、と言わなければならない。なのに俺は言葉がすぐ出てこない。

 誰ですか、と言われることが怖かった。そう言われたら、俺はうまく説明できる自信がなかった。

 父さんと母さんの前では、俺はまだ子供だった。身体だけ大きくなっただけで、精神は何も――、


「なんだ、ヒロトじゃない。おかえりなさい、どうしたの、そんな顔して」

「っ……!」


 母さんは俺の顔を見るなり、ひと目で分かってくれた。


(ああ、そうだ……俺は、何を心配してたんだろう。エレナさんも、ネリスさんも気づいてくれた。それなら、母さんがわからないわけない)


 そう思いながらも、本当は死ぬほど不安だった。家に帰れなかったら、そんな可能性を何度も考えた。


「……っ、母さん、俺……俺……いろいろあって……」

「きゃっ……ど、どうしたの? 母さん、何か変なこと言った? ヒロト、どうして大きくなったのって初めに聞いたほうがよかった?」

「ご、ごめん。こんな大きくなったのに……ああ、だめだ。俺は全然だめだ……」


 自分でもこんなになるとは思わなかった。母さんが気づいてくれた瞬間、感情の堰が切れた。

 戦いを身を投じたことも、ルシエを助けたいと思ったことも、全部自分で決めた。だから何も後悔しない、そう決めた。

 成長したメリットを確認し、強くなって、大人として認められたことを喜びながら、不安は消せなかった。

 ――なのに、母さんは。問いただすこともなく、ただ俺のことを、俺だと理解して。

 いつものように、家に迎え入れようとしてくれた。それが、嬉しくてならなかった。


「ああ……もう、しょうがないわね。お父さんが焼き餅焼くから、ちょっとだけ……おいで、ヒロト」

「……っ」


 母さんは両腕を広げて、俺を正面から抱きしめてくれた。背中に回った手が、ぽんぽんと優しく叩いてくれる。

 まだ遠い昔でもない、自分が赤ん坊だった頃のことを思い出した。

 もう俺は、母さんより大きくなってしまった。なのに母さんの中では、俺は小さな子供のままだった。


「何があったのかは、あとで教えてくれたらいいわ……でもね、一つ言っておくけど。母さんはヒロトがどんな姿になっても、ヒロトだって分かるから。親って、そういうものなのよ」

「……ごめん……俺、色々無茶して……母さんに内緒のことも、いっぱいあって……」

「それも全部、いいのよ。だってヒロトは小さな頃から、元気に自分のしたいことをしてたもの。母さんのことを助けてくれて、ソニアのことも助けてくれた。お父さんだっていつも、ヒロトはうちの誇りだって言ってるわ。あなたが戻ってきてくれただけで、この家は明るくなるの。もちろん、いないうちも頑張って明るくしてたけどね。そうよね、ソニア」

「おにいたん、そにあもだっこして!」


 母さんが玄関にいるのを見て、ソニアもやってきていた。ドアの隙間から出てくると、ソニアは俺の膝にしがみついてくる。


「あれ……おにいたん、おっきい! どうしておっきくなったの? ねえどうして?」

「ふふっ……ソニアも分かるのね、ヒロトのこと。そうよね、妹だものね」


 レミリア母さんが楽しそうに微笑む。俺は彼女の腕から離れて、目をこすりつつ、ソニアを抱き上げた。


「きゃー! たかーい! おにいたん、もっとぎゅーんってして!」

「ははは……よし、こんな感じでどうだ。ぎゅーん」

「きゃははは! わーい、ぎゅーんぎゅーん!」


 八歳の身体では、こんなふうにはできなかった。父さんがソニアを抱き上げ、遊んであげてるのを見ていたが……こんなふうだったんだな。


 俺はしばらく遊んであげてから、ソニアを下に降ろす。しかしすぐによじ登ってきて、俺の腕に収まった。片腕で支えられるので、抱っこしたままにする。


「ヒロト、ありがとう。ヒロトがいないうちは、この子も退屈そうでね……私も機織りをしながら遊んであげてたんだけど、お兄ちゃんと遊びたいっていつも言ってたのよ」

「ごめんな、ソニア。お兄ちゃんと、これからはもっと一緒に遊ぼうな」

「んーん、だいじょうぶ。そにあ、いい子にしてるから」

「おおっ……そ、そうか。ソニアは普段、何をして遊んでるんだ?」

「ひみつ! えへへ……うそ。おにいたんにも後で教えてあげる!」


 天真爛漫だけど、我が妹ながらソニアの笑顔はとても愛らしい。いつかお嫁に行く日が来るのか……父さんと一緒になって悩む日が来そうだな。


「おにいたん、おにいたん」

「ん? どうした、ソニア」

「おかえりなさい。ちぅー」

「っ……そ、ソニア……」


 抱っこしたままでいたら、ソニアが俺の頬にキスをしてきた。くすぐったいような、照れくさいような、何とも言えない感じだ。


「ふふっ……ヒロトったら照れちゃって。ソニア、良かったわね。お兄ちゃん、とっても嬉しいって」

「ほんとー!? おにいたんすきー! だいすきー! ちうー♪」

「か、母さん……ソニアをたきつけるのは、ほどほどに……く、くすぐったい。ソニア、お兄ちゃん嬉しいけど、あんまりしてるとほっぺたふやけちゃうからな」

「お父さんよりお兄ちゃんの方がなつかれてるわね。ねえ、リカルド」


 ――父さん。まさかすでに後ろに立っているとは、誰が思うだろうか。


「そ、ソニア……そうなのか? 父さん今日も早く帰ってきたのに、お兄ちゃんに夢中なのか……?」

「ソニア、おとーさんすき! おにいたんはもっとすきー♪」


 『お父さん』は言えるのに、『お兄たん』なのはこれいかに。いや、単にくせになってるんだろうけど。


「ん、んん……!? ヒロト、そんなに背が高かったか!? いつの間にか、父さんに良く似てきてないか!?」

「あら、私の方もちゃんと入ってるわよ。ねえヒロト、目元なんて私にそっくりよね」

「い、いや……あの父さん、本当にそれだけでいいの? 普通こんなに大きくなったら、同一人物と疑ったりとかしないかな」


 父さんは手を顎に当てつつ、俺の姿を眺める。そして目を細めたり、唸ったりしたあと、ニカッと笑った。


「どこからどう見てもヒロトじゃないか。まあ、その長い髪は若い頃の父さんみたいでいただけないがな」

「あなた、あの頃はやんちゃだったものね。騎士団長さまにも、よく切れって言われていて」

「そ、その頃の話はなかったことにしてくれ。あれは若気の至りだ。父さんも色々あったんだぞ、ヒロト」

「う、うん……いや、驚かないでくれたら、すごく嬉しいんだけど……」


 父さんの順応力が想像以上に高すぎる。今日も木を切って――いや、今日は魔物を討伐してたようだ。少しだけど、浅いケガをしてる。

 ミゼールの危険度が最近上がってきてるということか。父さんにダメージを与える魔物が出るなんて……。


「父さん、これ……」

「おお、傷薬か? いや、ちょうど切らしててな。悪いなヒロト」


 父さんは俺がポーションを持ってたりすることにも疑問を持たず、ぐいっと飲み干してしまった。ライフが完全に回復して、傷が急速に消えていく。


「ふう……それで、どうして成長したのかは、聞かせてもらえるのか?」

「あ……う、うん。後で話すよ。父さんさえよければ」

「よければじゃない、良いに決まってる。息子の武勇伝を聞くのも、父親の楽しみだからな。なあソニア」

「そにあもききたい! おにいたん、そにあもいれて!」

「ソニアはだめよ、これからお母さんとお風呂に入るんだから」

「おにーたんも一緒にはいらないの?」

「むっ……ということは、お父さんも一緒に入っていいということか?」


 父さんのノリがいいのは、俺が帰ってきてテンションが上がっているからだろうか。だとしたら嬉しいけど、俺がいきなり成長して、変なテンションになっている気がしなくもない。


「おとーさんはだめー! おとーさんとははずかしいの! はいっちゃやー!」

「そ、そうかぁ……お父さんはだめか。ヒロト、じゃあ父さんと一緒に入ろうな」

「う、うん……まあ、たまにはいいかな」

「いろいろ積もる話もあるからな。ヒロトが父さんと、男同士の話ができるようになったかどうかも見たいし」

「あなた……あまり過干渉にしてると、ヒロトに呆れられるわよ」

「いいや違うぞレミリア。男親はな、ちゃんと教えなきゃならないんだ。大人とはなんたるものかをな……」


 父さんは語りたくて仕方ないようだ。まあ、昔から母さんと入る方が多くて、父さんは寂しそうにしていたからな。


「じゃあおにいたん、またこんどそにあと、おかあたんとはいろ?」

「え、えーと……じゃあ母さん、ソニアを俺が風呂に入れてあげてもいいかな? 二人で入るからさ」


 さすがに今の俺と一緒に風呂なんて、母さんも普通入りたがらないだろう。俺とソニアが入るなら普通というか、どこのご家庭でもありそうな光景だ。


「あら、お母さんも一緒に入ってあげるわよ。ヒロト、何遠慮してるの? まだ八歳なんだからいいじゃない」


(は、母上……!)


 もはや言葉が出てこない。母さんの中では俺はまだ八歳……今度は別の意味で泣きそうになる。


「ヒロト、久しぶりなんだから母さんにうーんと甘えてきていいんだぞ。まあ、卒業の時も近いというか、もう迎えている気はするけれどもな」

「う、うん……いや、まだ入ると決まったわけじゃないから」

「父さんは何も言わないぞ。父さんもソニアが絶対に入ってくれなくなるまでは、諦めてないからな。父さんのパンツと一緒に洗濯するのが嫌だと言われ始めてる件には、多少傷ついているけどな」

「と、父さん……いろいろ、大変なんだね……」


 心中をお察ししますとしか言えない。父さん……まだ若いのに。ソニアの思春期を迎える速さも恐ろしいな。


 クリスさんの話をいつしようかと思ったけど、彼女がミゼールに来るまでならいつでもいいか。とりあえず母さんたちは風呂に入るみたいなので、俺はいったん自分の部屋に行かせてもらうことにした。



 ◆◇◆



 ベッドは元から大きかったので、俺が寝るには支障はない。お手伝いさんがベッドメイクを毎日してくれていて、寝心地はふかふかだった。


「……と、寝てる場合じゃない」


 ずっと気になっていたことがある。夕食まで時間があるので、俺はなんとかユィシアに会おうと考えた。

 助けてもらったお礼も、まだしっかりできていない。俺はしばらくの間、ユィシアに向けて念じ続ける。


(ユィシア……近くにいてくれてるか? ミゼールまで、一緒に戻ってきてくれたか……?)


 気配は感じている、だが応答がない。もしかしてリリムとの戦いで傷を負っていて、それを俺に隠していたのか――そう考えた瞬間だった。


(……ご主人様……いまは……あ、熱い……身体が、熱くて……)


「っ……ユィシア、大丈夫か!? ユィシアッ!」


 念話で伝わった声は苦しそうで、一気に脈が跳ね上がる。俺は立ち上がって、ユィシアに強く呼びかけた。


(……だい……じょうぶ……森の……湖……昔、会った……ご主人様と……くぅっ……!)


 途切れ途切れの声が俺の不安を煽る。最後の声は悲鳴のようで、けれど艶めかしくもある。

 ――何を考えてるんだ、と自分を律する。ユィシアは呼んでる……ちゃんと、場所を教えてくれてる。


「ユィシア、今行くからな! 待っててくれ……!」


 もう、ユィシアの声は聞こえない。部屋を出て、一階に降りたところで、父さんとすれ違う。


「おっ……ヒロト、どこか出かけるのか!?」

「ごめん、みんなが来るまでには戻るから!」

「おう、気をつけて行ってこいよ!」


 父さんに断っておけば、家を空けたことは説明してくれるだろう。俺は外に飛び出し、森に向かって走っていった。



 幼い頃の記憶を辿って、湖に向かう。夕闇の気配が近づいた薄暗い森には何体かの魔物がいたが、今の俺にとっては相手にならない――魅了したあと、森の奥に退散してもらう。危険度を上げそうな凶悪な魔物は、魔術を使って倒しながら進む。


「はぁっ、はぁっ……」


 一度も止まらずに走って、俺はそこに辿り着いた。沈みゆく夕日に、湖が煌々ときらめいている。

 澄んだ水面に、今まで誰かがいたことを示すように、波紋が残っていた。

 その波紋をたどって、俺は『それ』を見つけ、目を見開く。そして、全身の血が凍りつくような感覚を覚えた。


 そこには、透明な、ユィシアの姿を象った彫像のようなものがあった。


「――ユィシアッ……!」


 そうではないと思いたかった。何の関係もない彫像オブジェクトだと信じたかった。

 しかしそれは、あまりにも、ユィシアそのままの姿をしていた。近づいて見てみても、彼女をそのままガラス細工に変えたようにしか見えなかった。


「ユィ……シア……嘘だろ……?」


 その彫像は、湖の浅瀬にあった。触れてみるととても重く、簡単に動かせるようなものではない。


 その角も、なめらかに伸びる長い尾も、涼やかな瞳も。全てがユィシアそのものだった。


 彼女がなぜこんな姿になったのか。絶望が心を蝕み、なぜ彼女が苦しんでいるとすぐに気付けなかったのかという後悔で、全身から力が抜ける。


 身体が濡れることなどどうでも良かった。目に映る全てのものが、意味をなくしたように思えた。


「ユィシア……っ、うぁぁぁぁぁっ……!」



 耐えられなくなって叫んだ、その時だった。

 ちゃぷん、と音が聞こえた。後ろに誰かがいる、そう気がついて、俺はゆっくりと振り返った。


 ――そこには、一糸まとわぬ姿で、雌皇竜の少女が立っていた。


 無事だったのか。その安堵が胸に広がり始めたとき、少女は恥じらうように頬を染め、目を伏せて唇を動かした。


「……待っているつもりだった。ご主人様が、私を受け入れてくれるときまで」


「……ユィシア……無事なのか? 生きてる……生きてるんだよな……?」


 こくん、とユィシアは頷く。前に見た時よりもずっと可憐で、無機質だった表情に、今までよりも感情の機微が表れている。


 ひたすらに、愛らしい。その姿を見て、そう思わずにはいられなかった。


 いつでも服装を魔力で作れるはずのユィシアが、肌を隠そうとしない。いつもよりも髪が長く伸び、身長がわずかに伸びて――髪で隠された乳房の膨らみが、前よりも大きくなっているように見える。ただでさえ成長していると言っていたのに、今の変化は見てすぐに分かるほどだった。


「そ、そこにある、透明なユィシアは……いったい……」

「……恥ずかしい……あまり、見ないでほしい」

「っ……ご、ごめん。って、恥ずかしいって、その透明なやつのことか……?」


 ユィシアは両手で顔を隠しながらこくりと頷く。隠すべき場所が他にあるのに、彼女にとっては、裸を見せるよりずっと、『それ』を見られるのが恥ずかしいようだった。


「……触ってみればわかる。『それ』の背中は、割れてる……さっき私が、脱いだから……」

「脱いだ……って……も、もしかして……」


(脱皮……そ、そうか。ドラゴンって、脱皮する生き物なのか……!)


 そうわかれば話は早かった。俺は透明なユイシアの彫像のようなそれに、『鑑定』を試みる。



 ◆アイテム◆


名前:雌皇竜の水晶殻

種類:素材

レアリティ:レジェンドユニーク


・雌皇竜が脱皮したときに生成されるアイテム。

・高度な鍛冶技術で溶融させると、さまざまな金属との合金を作ることができる。

・武器を研磨するために使うことができる。



(雌皇竜の素材……こ、これって、物凄く良い素材なんじゃないか……?)


「ゆ、ユィシア……ごめん、恥ずかしがってるところ、本当に申し訳ないんだけど……」

「……その殻なら、持って帰っていい。武具を作るのに有用ということは、知ってる」

「あ、ありがとう……こんな貴重なものを……」


 俺はインベントリーに入るかどうか試してみたが、意外に簡単にしまえた。雌皇竜の水晶殻――これを使えば、巨人のバルディッシュの錆を取れるだろうし、さらに強化できる。


「……ご主人様に貰ってもらえるなら、一番いい。貰ってもらえなかったら、宝物庫に入れておくしかなくなる……でも恥ずかしいから、あまり置いておきたくない」

「ありがたく貰っておくよ。でも、本当に良かった……ユィシアが、」


 無事でと言いかけたところで、ばしゃ、と水が跳ねて、水面を銀色の少女の影が流れた。


 俺は、ユィシアに抱きしめられていた。


 正面から俺に抱きついて、ユィシアは背中に手を回している。胸に顔をうずめて、彼女はこすりつけるように顔を動かし、そして俺を見上げた。


「……ご主人様が成長してから、ずっと、胸が痛かった。こんな気持ちになるなら、ご主人様のところを、離れようかとも思った」

「っ……そ、それは……俺が、他のみんなと仲良くしてたからか?」


 ユィシアは赤い顔のままで、こくりと頷く。そして、言葉を続けた。


「私は……竜だから。ご主人様は、私の力を借りずに魔王を倒せたほうが良かった。そう思っているんじゃないかと思ったら、怖くなった……私は、人間じゃないから……」

「……そんなこと、気にしないって顔してたじゃないか。ユィシア……そんなに俺が信用できないか?」

「っ……ご主人様は悪くない……私が、竜だから……フィリアネスとは、違うから……だから……」


 ユィシアの気配が薄れたのは、俺とフィリアネスさんが一夜を過ごしたあとからだった。


 ――あの時のことを、ユィシアが見ていたら。俺は彼女の気配がないことを理由にして、見られていないと安心しようとしていた。


 念話が届く距離にいれば、俺がフィリアネスさんをどう思っているか、伝わらないわけがなかったのに。


「……ごめん。ユィシア……俺、無神経で……何も、ユィシアのことを考えてなかった」

「……ご主人様は悪くない。悪いのは私……竜なのに、あなたとずっと一緒にいることを夢見た私が……」


 どうしてここまで、ユィシアの情緒が急に成長したのか。

 それも、俺とフィリアネスさんのことを見ていたからなら……俺は、なんて残酷なことをしていたんだろう。


「俺と一緒にいることは、夢なんかじゃない。もう、現実になってるじゃないか。これからもずっと変わらないよ」

「……でも、私は竜で……ご主人様は……」


 そんなこと、俺は初めから気にしていなかったんだ。


 そう言葉にする代わりに、俺はユィシアの頬に触れた。彼女は俺が何をするのか分からず、見つめている。


 そんな無垢な少女に、子供を作ることの意味を教える。そこに少なからず背徳を覚えながら、俺はユィシアの唇を奪った。


 唇を触れ合わせると、かすかにユィシアの身体が震えた。俺は彼女を抱き寄せて、そのまま唇を重ね続ける。


「……ご主人様……」


 ユィシアは恍惚として、けれど本当にいいのか、と不安そうに俺を見る。


「……魔王から助けてくれて、ありがとう。ユィシアがいなかったら、俺たちは……」


 もっと早く伝えるべきだった。なのに俺はつまらない意地で、素直に言えなかった。

 ユィシアの瞳から涙がこぼれた。それは涙石に変わり、彼女の頬を拭おうとした俺の手の中にこぼれ落ちる。


 キスしたばかりの唇にそっと触れて、ユィシアが微笑む。俺の胸にまで、幸せが広がるような笑顔で。


「……ご主人様に、みんなで口移しをして薬を飲ませた。だから、今のは、二度目」

「そうだったのか……俺はてっきり、ユィシアとするのは初めてだと思ったよ」

「……二度目のほうが、鼓動が早くなった」


 ――やはり俺は、ユィシアのことが大切だ。そのはにかんだ笑顔を見て、心から思った。

 ユィシアの涙を見た時には、心に決めていた。

 ずっと答えを出さずに、苦しめてきた。俺はユィシアがいなくなったらと思うと、本当に怖かった。

 そう思うくらいなら、もう、待たせることをするべきじゃない。


「ユィシアは竜で、俺は人間だ。それでも、俺は構わない……後悔したりもしないよ」

「……はい、ヒロト様……信じます。私は、ヒロト様のもの……竜と人間でも、一緒にいられる」


 ユィシアはときどき、俺に対してすごく丁寧な言葉を使う。いつも訥々と話す彼女がそうするのは、本心から俺のことを想ってくれているからだ。

 俺は湖の中で、もう一度ユィシアを抱きしめる。これからも一緒にいたい、絶対に裏切らないという気持ちを、言葉以上に伝えたかった。


 ◆◇◆


 俺とユィシアが湖を離れたのは、日が沈みかけた頃だった。

 今は、ユィシアはいつもの薄衣をまとっている。心なしか胸や、下半身を覆う部分の生地が透けにくくなっている――前より彼女が淑女になった証拠だ。


「……少し、ご主人様に見られるのが、前よりも恥ずかしくなった」

「やっぱりそうか……ユィシアも大人になったってことかな」


 ユィシアとの関係が変化したことを、みんなにも伝えなければと思う。彼女だって、俺の奥さんになる人の一人になったのだから。


「……大丈夫。私は人間じゃないから、まだ何も言わなくていい。ご主人様に従属する竜というだけ」

「い、いや……それはしっかりしないと。竜だからっていうのは、さっき無しにしようって言っただろ?」

「……はじめて、ご主人様以外の人間で一目置いたのが、聖騎士だから。反応が、少し怖い」


 ユィシアは冗談を言っているようには見えない。本気で雌皇竜を恐れさせるなんて……フィリアネスさん……いや、確かに物凄く強いからな。


「……できれば、敵対せずにおきたい。難しいと思うけど……友好的な関係にしたい」

「そうだな……それは間違いないな。俺もしっかり話すから、大丈夫だ。いつまでも、なあなあにしておくことはないからな」

「……一緒にいることさえできれば、私は別に、妻でなくてもいい」


 ユィシアは楽しそうに――そう、俺をからかうことを楽しんでいるとわかる、悪戯な笑顔で言った。


「そういうと、人間の男性は喜ぶらしい」

「そ、その中に俺も含まれてるわけか……これはしてやられたな。でも俺はユィシアが本当に大事だから、正式に奥さんにしたいんだ」


 そう言うと、ユィシアは宝石のような目を潤ませる。彼女は嬉しいという感情が、素直にその表情に表せるようになってきていた。


「……私の抜け殻を見つけて、大きな声を出してた。ご主人様はあのとき、泣いてた……?」

「そ、それは……恥ずかしいから、ほどほどにしておいてくれ」


 初めは無感情で、人間のことなど感心のない、そんな姿を遠く、そして美しいものだと思った。


 けれど今は違う。こうして触れられる距離にいて、人の心を知って変わっていくユィシアを、これからも大切にしたいと思っていた。


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