第四十二話 二人の朝/六面楚歌
空が白み、朝の光が部屋を満たす中で、俺はフィリアネスさんの横で、いつまでも飽きずに彼女の寝顔を見ていた。
初めて会った時のことを、昨日から何度も思い出している。俺と母さんを助けてくれた彼女の凛とした姿、そして一緒に過ごしてきた時間と、彼女が輝くような笑顔を見せ、涙を流した瞬間の全てを、俺は覚えている。
「ん……」
「あ……起こしちゃったかな。まだ寝ててもいいよ」
長い睫毛が震えて、フィリアネスさんの目が薄く開く。俺の姿を認めると、その頬が赤く染まっていく。
「……夢ではなかったのだな。私は、ヒロトと一緒に休んで……」
「夢じゃないよ。夢だったら俺の方が立ち直れない」
彼女の頬にかかる髪に触れると、白い手が重ねられる。その手は温かくて、触れているうちに守りたいという気持ちが強くなる。
「……大切な相手と眠りにつくというのは、これほど深く眠れるものなのだな。久しぶりに、夢も見なかった……とても、心地よかった」
「俺もよく寝られたよ。もともと起きるのは早いほうだから、フィリアネスさんの寝顔を見てたんだ」
「……ばか。恥ずかしいから、あまりそういうところは観察するな」
こうして幸せを噛み締めていると、生きているということがどれだけ恵まれたことなのかと実感する。
それは、俺がリリムに死の恐怖を実感させられたからということでもある。
克服するには、リリムを超える――倒すしかない。しかし、リリスの妹である彼女を、何が何でも殺さなければならないとは、どうしても思うことができない。
(その甘さで死にかけたのは分かってるけど……何か、自棄になっている気がしたんだよな)
リオナを見たリリムの反応を見る限りでは、人間に害を成すことはただの余興にすぎず、リリムが最も拘泥しているものは別にあるように思える。魔王同士の繋がり、もしくは――いや、まだ推察するにも、材料が足りなさすぎる。
気が付くと、フィリアネスさんが俺の頬に手を伸ばしていた。その目が少し潤んでいる。
「……何か、つらいことを思い出してしまったか?」
「大丈夫。俺、絶対に死にたくないなって……ごめん、こんなときに、リリムのことなんて考えてて。でも、俺はあいつを倒さなきゃ……」
「……大きくなったおまえが、見違えるほど強くなったことは分かる。私が、誰よりも知っているつもりでいる……しかし、おまえは大きくなった代わりに、残りの生命を……」
寿命を失ったのではないか。しかしそれも、リリムを倒すことで、取り戻せる可能性はある。
「俺は、それがどうしようもなく辛いことだとは思ってない。諦めてるわけでもないから、心配いらないよ」
「……私が耐えられない。私の生命を代わりに差し出すことができたら、どれほど……」
フィリアネスさんが本気で言ってくれてることはわかっている。だから俺は答えの代わりに、腕を伸ばして、彼女の身体を抱き寄せた。
「失ったものがあるなら、俺はこの手で取り戻すよ。俺が成長したことは、リリムの想定の範囲内かもしれないけど……だからといって、二度負けていい理由は何もない」
「……おまえは、何故そうも強くいられる? 魔王リリムは、皇竜の力がなければ退けられなかった。また、皇竜に任せるべきだとは思わないのか……?」
「それで終わったら、俺はいつか前に進めなくなる気がする。俺はユィシアに頼りきりじゃなくて、主人として認められるような存在になりたいんだ」
魔王リリムを圧倒したユィシア。もちろん次に戦うとき、彼女を連れて行かないという選択はない。
巻き込みたくない、できるなら危険から遠ざけたい。パーティメンバーに対してそんなことを思う自体が、彼女たちからすれば冗談ではないというところだろう。
一人では限界がある。俺は激増した『恵体』などの値を見て自分の力を過信しかけていたが、それでは駄目だと思い直す。
考えうる最強のメンバーで勝ちに行く。容姿は少女のようでも、魔王はそれが当たり前の相手だ。
「……おまえは、いくら強い相手であっても、自分のルールを決めて戦うところがある。その信念を感じるからこそ、私は子供であっても関係なく、おまえを……」
「俺もどれだけ長く生きたかなんて関係なく、フィリアネスさんに憧れてたんだよ。生まれた時なんて十四歳も差があったのに、その時から惹かれてたんだ」
「……う、うむ。それは私も、何となく気づいてはいたのだが……赤ん坊には好かれるほうではなかったし、元々そういう趣味があったわけではない。おまえだから、初めて興味を持ったのだ」
フィリアネスさんが何を真剣に伝えようとしているのか、こんな言い方もなんだが、彼女はショタコンではない、と主張しているのだ。
「俺はフィリアネスさんに好かれて、本当に幸せだよ」
「……私もそうだ。私は、おまえのことが誰よりも大切だ……おまえを傷つける者は絶対許さないし、おまえを奪おうとした母には今でも文句を言ってやりたい。他の娘たちにも、本当は渡したくはないのだからな……わかっているか?」
フィリアネスさんが手を伸ばして、俺の胸を指でなぞる。彼女は指先で、俺がくすぐったがる部分を触れたそうにしていた――けれど、触れない。そんな奥ゆかしさも、どうしようもなく愛おしい。
俺は何度目か、フィリアネスさんの肩に手を回して抱き寄せた。間近で見る彼女のはにかんだ笑顔を、いつまでも見ていたい。こうやってずっと一緒にいられるように、出来る限りのことをする――もう、彼女に心配をかけないように。
◆◇◆
しかし、いつまでも浸っていたい幸せな時間は、自分で終わりにしなければならない。そろそろ、宿に戻らなければ皆が心配するだろう。
「……もう、帰ってしまうのだな。皆には、どのように知らせるつもりだ?」
「できるだけ、驚かせないようにしたいんだけど……知らせたら、今まで通りでいられないのかな」
「それは……確かに、皆の気持ちを考えれば、どのように伝えれば良いものだろうな。私にも、おまえを独り占めにしたいという気持ちはある。昔から、マールとアレッタがおまえと仲良くしているのを見ていて、何も思うところがなかったといえば嘘になる」
三人にお風呂に入れてもらったとき、俺は遠慮なく二人の厚意に甘え、さんざんスキル上げをさせてもらった。夜、みんなが寝静まってから採乳させてくれていたフィリアネスさんは、いわば見せつけられる側だった。そう考えると今更に、皆の優しさに甘え過ぎだと痛感させられる。
「……お、俺って……やっぱり、わりと男としてどうしようもないっていうか、節操がないというか……」
「これは、あまり女の方から言うべきではないのかもしれないが。ゆくゆくは領主になるおまえが、何人の妻を持つかなどは、おまえの心ひとつで決まることだ」
フィリアネスさんは真っ直ぐな瞳で俺を見ている。それで俺も、浮ついた気持ちを捨てて、心を引き締めることができた。
「……私は、おまえが大きくなって嬉しかった。リリムに奪われたものを取り戻したとき、おまえはもう一度若返るのかもしれない。そうなったときは……」
「……俺がもう一度大きくなるまで、待っててくれるかな。俺が十五歳になったら、結婚しよう」
「っ……!」
結婚という言葉が自然に出てきた。一夜を共にしたのに、そうしないという選択は俺にはなかった。
「記録上は、俺はまだ八歳だけど。これだけ大きくなったら、手続きさえすれば、大人として認められるのかな? それなら、あまり待たせなくて済むと思う……フィリアネスさん?」
勝手に話を進めてしまって、怒らせてしまったんだろうか。フィリアネスさんは顔を覆ったまま、そのまま小さく肩を震わせている。
「ご、ごめん。俺、フィリアネスさんの気持ちも考えないで、自分のことばかり……」
「……ふぅっ……んっ、く……うぅっ……」
どうして泣いてるんだろう。俺が結婚しようなんて言ったから、泣かせてしまったのか。あまりに急すぎたのか、今の俺にそんな資格なんてないのか。
考えに考えて、ぐるぐると自分を責める気持ちが生まれて。俺はやっぱり、人の気持ちが分からないんだと思いかけたところで――。
「……ちがう……ヒロトは悪くない……私が、ただ……ひぐっ……そんなこと、言ってもらえると、思わなっ……私……私は、年上で……十四歳も上で……リオナとステラの方が、近くてっ……わ、私なんかで……いいのか、わからなくてっ……」
――そうか。
俺が不安である以上に、ずっと気丈に振舞っていたフィリアネスさんの方が、不安だったんだ。
俺が大きくなったら、離れていく。それをずっと恐れていて、ゆうべを迎えても、結婚するなんて未来は考えていなかった。
やがて別の道を歩む時が来る。そんな考えを持ち続けて――それでも、全てを捧げてくれた。
ずっと本当のことを言わずにいた俺を許して、受け入れてくれた。
「……もう、泣かなくていい。俺はフィリアネスさんが好きだよ。それは、ずっと一緒にいるってことなんだ」
俺はシーツにくるまったフィリアネスさんを、その上から抱きしめた。そうせずにはいられなかった。
「ヒロト……本当に、私で……」
「俺はそんなに、演技が上手いように見えるかな? 俺はフィルの前では、いつも正直だよ。欲しい時は欲しいって言うし、好きな時は好きだって言う。愛してるって言葉は、似合わないかもしれないけど」
「……そんなことは……私のほうだって……」
彼女が顔を上げて、俺を見やる。真っ赤になってしまった目を見て、胸が痛む。
もうそんな顔はさせたくない。俺はもっと、自分が考えていることをはっきり言うべきなんだろう。
「……愛している。おまえが小さかった頃からずっと。それを不思議に思うこともなかった」
「俺はそれをわかってて、甘えてたんだと思う。そうじゃなかったら、俺は強くはなれなかったよ。竜の洞窟を攻略することさえ、できなかったかもしれない」
「だとしたら……私は、おまえが赤ん坊のころから、甘やかしてよかったと思う」
少しだけ冗談めかせて言う。そんなフィリアネスさんを見られるのも、俺だけの特権だ。
「おまえが生きることこそが、私の生きる意味なのだから」
それは俺も同じだ。答えの代わりに、何度目かのキスをした。
フィリアネスさんの白い頬に、輝く雫が伝い落ちる。俺も目を閉じて、時間の流れも忘れて、朝の光の中で、彼女をいつまでも抱きしめ続けた。
フィリアネスさんと一度別れて、俺はみんなの居る宿に戻った。貴族が住む区画を離れ、一般の民の住む区画に戻り、市場通りを歩いて宿に向かう。まだ早朝だからか閑散としていたが、一部の食事の屋台などは、おそらく近隣住民の食事を提供するためにもう営業を始めていて、食欲をそそる香ばしい匂いがしていた。
フィリアネスさんも今ごろは朝食を取っているころだろう。かなり声が出てしまっていたので、メイドさんたちと顔を合わせるのが恥ずかしいと言っていたが、従者が主人の生活に口を出すことはまずないとも言っていた。しかしその気恥ずかしさは、想像するに余りある。
(俺もみんなに聞かれるだろうな……でも、まだ寝てるか。みんなが起きてからが正念場だな……)
そんなふうに問題を少し先送りにしようとした俺だが、その考えは全くもって甘かった。
宿の一階に入ったところで、年長組のみんなは既に起きて待っていた――マールさんと、アレッタさんまで。マールさんは騎士団の寮に、アレッタさんは首都にある実家に一度戻っていたはずなのに。
入ってきた俺に気づいて、席を立って歩いてきたのはモニカ姉ちゃんだった。ちょっとその目が赤くなっている――そして。
彼女の両手が伸びてきて、おもむろに頬をつままれた。
「おはよう、ヒロト。お早いお帰りだったわね。ある意味では、すごく遅かったともいうけど」
――これはもしや、世に言う修羅場というか、俺を弾劾する裁判のために、みんなが待ち構えていたということなのか。
モニカ姉ちゃんの他に、ウェンディ、ミコトさん、名無しさん、マールさんにアレッタさん。彼女たちはどうやら、かなり前から同じテーブルを囲んでいたようだった。
(ちょっ、待っ……い、いや、そうなるかもしれないとは思っていたものの、みんな勘が良すぎるっ……!)
フィリアネスさんの所に行った件については悟られてもおかしくないし、行く途中で会ったスーさんはまだしも、パメラは口に戸を立てられるタイプじゃないので、目撃したことをみんなに報告した可能性はある。否、どっちにしても、みんな気づいてるに違いない。
つまり俺は、生きるか死ぬかという状態にある――ここで捕まったということは、そういうことだ。
「どうしたの? そんなにうろたえちゃって。私はなんとなく早起きして、みんなと一緒にヒロトの帰りを待って、なんとなくほっぺたを触ってるだけなんだけど?」
「っ……お、俺はあの、えーと……」
何も言い訳が思いつかない。俺には恋の修羅場においての経験がまったくない。交渉術に恋の一文字が含まれたスキルはひとつもない。いや、この期に及んでスキルのせいにしてどうする。
俺の人間力が問われている。フィリアネスさんの部屋に泊まる関係になってもなお、みんなを繋ぎ止められるかどうかは――嘘はよくない。彼女とは清い関係が続いているなんてことを言って一時しのぎをしても、何の解決にもならない。
「も、モニカさんっ、お師匠様が固まってるのでありますっ、私は全然気にしていないどころか、聖騎士さまがうらやまもがっ……むーっ、むーっ!」
「ウェンディちゃん、今はちょーっと大人しくしててね。わらひもヒロトちゃんをいじめるつもりは全然ないけど、これっぽっちもないんだけど、いろいろと一晩我慢した気持ちの行きどころがね? ひっく」
「マールさん、いっぱい飲まれてましたしね……今もお酒が抜けてないんじゃないですか?」
「わらひがしらふじゃないってのら~! アレッタちゃんのばかぁ~!」
ゆうべ何が起きていたのか、俺はようやく察した。宿屋の一階のラウンジで、みんなお酒を飲んでいたのだ。たぶん、年少組のリオナ、ミルテ、ステラ姉が寝入ったあとで。
「……それで、どうなの? ヒロト、私の聞いてることはわかるでしょ? 正直に答えて」
モニカ姉ちゃんが俺を見ている――不安げで、けれど、ある種の決意を感じさせる。
俺の答え方次第で、今後の運命が決まる。冗談なんて言おうものなら、そこで終了だ。
(自分で選ぶことはできる。いや、そうするべきだ。でも、少しでもいい。誰かにアドバイスをもらいたい)
情けない考えだが、こんな時に父さんに相談できたら。父さんなら笑い飛ばしてくれるか、それとも至極真面目に、一人の女性を選べと言うかのどちらかか。いや、父さんならじゃない。俺が考えて、俺が決めるべきだ。
――しかし俺には、自分で選ぶ道を最良にする方法がある。俺はやはり、交渉術を信じる……!
(頼む……教えてくれ。俺に、人生の修羅場を乗り切らせてくれ……!)
◆ログ◆
・あなたは「選択肢」スキルを使用した。
・選択肢の内容を「発言内容」に設定した。
◆選択肢ダイアログ◆
1:「ゆうべあったことは、みんなの想像通りだ」
2:「十五歳になったら、みんなと結婚したい」
3:「待っててくれてありがとう。ごめん、何も言わずに出かけて」
◆◇◆
――全部俺が言いそうな言葉で、その先の展開が読めない。二番目だけ現実離れしているようにも見えるが、そう感じるのは、俺が前世においての常識にまだ縛られているからだ。
この異世界マギアハイムなら、二番目を選択できる。しかしそれを今選ぶことはできない。
俺はリオナとステラ姉、ミルテもまた、ずっと一緒にいて欲しいと思っている。例え強欲と言われようが、その気持ちに嘘はつけない。
成長した俺が、肉体の年齢である十四歳と正式に認められたとしても、一年経って成人した時にはまだ、年の近かったみんなは幼いままだ。
だがそもそも、俺がフィリアネスさんを選んでもなお、モニカ姉ちゃんや、ここにいるみんなも離したくないという自体が、受け入れられない可能性もあって。
――だったら俺は、まず謝るべきだろう。気持ちと、スキルと、その両方が一致した選択があるのだから。
「待っててくれてありがとう。ごめん、何も言わずに出かけて」
俺はモニカ姉ちゃんの目を見て言った。昔なら目をそらしたくなるほど、真っ直ぐな澄んだ瞳だった。
そのまま見つめ合う。しばらくそうしていると、モニカ姉ちゃんの頬が赤らんで、彼女はつい、と目をそらした。
「……それは、言わないでいたい気持ちも分かるわよ。でも、今のヒロトが、内緒で出かけて……それがきっと、好きな人の所だっていう意味は、私たちだって気付かずにはいられないのよ」
「うん……反省してる。俺はフィリアネスさんのところに行く前に、みんなにちゃんと言うべきだった」
「……そう思ってくれるの? 私たちは関係ないって、言ったりしないの?」
(……そうか。それがみんな心配だったのか)
安心した、なんて簡単には言えない。俺が将来領主になって、何人もの奥さんを迎えられる立場になっても、みんなはそれだけで未来のことが決まったとは思わない人たちだ。だから、不安だったんだ。
「正直に言ったら、呆れられるだろうけど……俺はゆうべ、フィリアネスさんが心配で、それ以外のことは全然考えてなかった。ごめん、いい加減で」
「……いい加減なんかじゃないわよ。好きな人を本気で心配したとき、行動を起こさない人だったら、あたしは初めからヒロトについてきたりしてない。それに……」
怒ってるような顔をしたモニカ姉ちゃんが、そのまま距離を詰めてくる。俺の胸に、サラシでも押さえきれてない彼女の胸が当たっている――こんな時なのに、すごく柔らかいと思ってしまう。
「あの人のところで夜を明かしたってことは……そういうことでしょう? ヒロト、顔つきが変わってるわよ」
「い、いやその……何ていうか……」
「……本当は、あたしもヒロトと一緒に朝を迎えたいわよ。でも、けっこう順番が後になりそうだから、拗ねてただけ。ごめんね、ほっぺた痛かった?」
全然痛くなんてない。モニカ姉ちゃんはそれでも俺の頬を労るように撫でて、今までも見せたことがないような、優しい微笑みを見せてくれた。
「私たちがこうして集まって待ってたのは……おめでとう、って言いたかったのよ。ヒロトは信じられないかもしれないけど、私たちはそうしようって決めてたの。マールさんだって、ゆうべはヒロトとフィリアネスさんが幸せになってくれたなら、自分のことみたいにうれしいって言ってたのよ」
「はぅっ……そ、それは言ったけど、複雑な乙女心がなんというか……かわいいヒロトちゃんが、私の知らないところで雷神さまといちゃいちゃしているかと思うと、いても立っても居られないそわそわ感が……」
「……そう言いますけど、ヒロトちゃんは私たちとも、同じくらい……い、いちゃいちゃしてくれるかもしれませんし……た、試させてもらってもいいですか……?」
フィリアネスさんといちゃいちゃしただけでも幸せで仕方なかったのに、みんなとも――と言われると、自分がだめになりそうな気がすごくする。
俺は自分を律することができる男だ――と思いながら、待っていてくれたみんなを改めて見やる。
「ど、どうしたの? ヒロト……そんな、急に真顔になって」
「ぎ、ギルマス……私も待っていましたけれど、モニカさんの言うとおり、私も皆さんと同じ意見ですのよ。そんなに真剣になって、ただ一人を選ぶようなことはなさらなくても……」
「え……い、いや、ミコトさん、いいの? だって、ミコトさんは……」
前世においては、ミコトさんは一夫一妻の国で過ごしていたわけで。
マギアハイムは一夫多妻が許されるといっても、いいんだろうかと思ってしまう。
「そ、それは……遠慮していたら、ギルマスが困ってしまいますし……私は、奥さんが多くて賑やかな暮らしというのも、良いのではないかと思いますわ……な、名無しさんはどうなんですの?」
「小生はモニカさんとウェンディに会ったときから、視野に入れていたよ。ヒロト君が良ければ、みんなで一緒がいいとね」
「そ、そうだったのでありますか……!? 名無しさんの友情が、胸にしみるのでありますっ……これからも三人で、お師匠様と仲良くするのであります!」
「まあ、確かにそうしたいとは思ってたけど……ヒロトも大きくなったし、全部が今まで通りとはいかないわよね……」
思わせぶりなモニカ姉ちゃんの言葉に、いろいろと想像してしまう。今三人と一緒に一晩を明かしたら、健全な夜を過ごせるだろうか……?
「ヒロト君の葛藤はよくわかるよ。やはり、慣れるまでは悩むところだろうね」
「分かり合っているふうですけれど、マ……いえ、名無しさんも、ヒロトさんと聖騎士さんのことには思う所があるとおっしゃっていましたわよね。ゆうべはお酒の量も多かったですし」
麻呂眉さんの表情は仮面をつけてるから分からない。しかしルージュを引いた端正な口元を見るだけで、彼女が恥じらっていることが何となく分かる。
「……そんなことはないよ? 私がやけ酒をするなんて、そんなことはないよ」
大事なことだから二回言いました、というフレーズをとても久しぶりに思い浮かべた。彼女は慌てても、あまり声とかには出ないんだな。その分だけ、二回言ったことに重みを感じる。
「え、えっと……名無しさんも、みんなもごめん。俺、ちゃんと一人ひとりに言ってから出かけた方が良かったな。反省してる」
「……言われたら言われたで、こうして会議を開いていたでしょうから、どちらにしても同じですわ。きれいに物事をおさめようとして、変にまじめぶらないでくださいませ」
(ぐっ……い、痛いところを……ミコトさん、結構ツンだな……)
「で、ですから、お師匠様をいじめないでくださいでありますっ! それ以上お師匠様をちくちくすると、私が相手になるでありますよ!」
「い、いじめているわけではありませんわよ……これからも離れられないと分かっているからこそ、少しは言ってあげたくもなるのですわ。それに……後になったら、いじめられるのは私たちではありませんの?」
「そ、その話は……勝手にイメージを作っているけど、ヒロト君は優しいと思うよ。小さな頃から、女性に対する気遣いを感じたからね」
ソフトタッチを心がけているので、それはちゃんとみんなに伝わっているようだ。エネルギーが流れ込む感覚は、それなりに激しかったりするのだが。
「マ……ではなくて、名無しさん、今は宿の女将さんしかいませんからいいですけれど、あまりそういったことは、オープンに話すことではありませんわよ」
「ミコトは少し静かにしていた方がいいんじゃないかな? 冷静じゃなくなっているみたいだし」
「なっ……年長者だからといって、落ち着いて対応したら、ギルマスからの評価を上げてもらえると思っているんですの?」
「い、いや……小生はそんなつもりはない。もし嫉妬をするとしても、それは胸の中にとどめておくべきだと思うだけだよ」
嫉妬という言葉が出てきて、やっぱりそうだよな、と俺は思う。そればかりは避けられることじゃない。
でも、みんなには仲良くして欲しい。無茶苦茶だと思うけど、俺はそうできたらベストだと思っている。
そうしたいなら、何を言うべきか。俺に考えつくことは、一つしかなかった。
「公王陛下も仰ってくれてたけど、俺、魔王と戦った功績で、領地を賜ることになると思うんだ。それで、ミゼールを含めた、ジュネガン西部の領地をもらおうと思ってる」
今、しっかり言うべきだと思った。俺がこれからどうしたいのか、みんなとのこれからを、どのように考えているのかを。
みんな俺が何を話そうとしているのかまだ分からないという様子で、ミコトさんも名無しさんも言い争うのをやめて、俺に注目してくれていた。
「自分が生まれた町が好きだってこともある。もちろん領地をもらえば、俺には領民を幸せにする義務が生じる。でもそれも、俺は全部上手く行くと思ってる。今の領主とも話すことになるだろうけど、ミゼールは田舎で、油断すると周辺に魔物が増えやすい危険な土地だ。そういう問題を解決することや、ミゼールっていう町をもっと発展させることも含めて、俺には色々やりたいことがあるんだ。小さい頃から、ずっとあの町を見てきたからさ」
一人の村人に過ぎなかった俺が、町の発展を考える。それは普通なら滑稽だと言われそうな話だが、みんなは笑ったりはしないでいてくれた。
「……それに、俺は自分が貴族の血を引いてるとか、詳しく知らずに育ったけど。血筋がどうとかじゃなくて、貴族には、普通の人にはできないことが許されてる。そのために偉くなりたいわけじゃないけど……俺は、これからもずっとみんなと一緒にいたいと思ってる。それを、誰からも認められるようになりたい」
庶民でも、多くの奥さんを持っている人も探せばいるだろう。しかし妻を複数人持つことを制度として公認されているのは、爵位を持つ貴族、そして王族だけだ。
「こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、俺は、みんなのことが好きなんだ。それぞれに違うところが好きで、比べられるものじゃない。だから、みんなと一緒に……」
最後まで言葉にできなかった。
――それは俺の声が震えていたからじゃなくて。六人が全員、俺の前にやってきたからだ。
誰ひとりとして怒ってはいない。けれど俺は、泣きたいような気持ちになった。
俺が嫌われてもおかしくないと覚悟して言ったことを、みんながありのままに受け入れてくれたから。
「ヒロトちゃん、私もその中に入れてもらってもいいの……? 私、こんなにがさつで、戦うことしかできなくて、女の人らしいことなんて、なんにもできないよ……?」
マールさんはそう言うけど、俺は彼女がとても優しくて、すごく器の大きい人だと知っている。昔から真面目なフィリアネスさんとアレッタさんが笑顔になるのは、いつもこの人がきっかけだった。
「わ、私は……皆さんと比べると、女性としての魅力には欠けていると思います。戦う力も強くありませんし……こんなつまらない私でも、傍にいていいんですか……?」
つまらないなんて、そんなことは絶対にない。生真面目に見えるアレッタさんだけど、いつもフィリアネスさんとマールさんのことを考えて、二人が存分に戦えるように、元気でいられるように心を配っている。
俺も彼女がいてくれて安堵したことが何度もあった。いつも遠慮しながら、それでも俺を可愛がってくれる彼女に、紛れもなく好意を抱いている。
「お師匠様……私は、まだ未熟で、女性としてもまだまだであります……でも、いつかお師匠様に女の人として見てもらえるように、頑張るのであります。ですから、これからもお傍にいさせてください……!」
ウェンディは初めて俺の仲間になってくれて、それからずっとパーティの一員で居てくれた。騎士団に入れなかったっていうけど、その才能は遅咲きなんだと思う。今も少しずつだけど成長を続けている彼女は、数年後には要となる戦力になっているはずだ。
「……こんなことしてたら、奥さんが増えすぎて大変なことになるってわかってる? ヒロト、あたしなんかと一生一緒にいてくれるとか、簡単に決めちゃっていいの?」
初めて会った頃はまだ赤ん坊で、狩人スキルを持っているのに、魅了に抵抗力があって強敵だなんて思ってしまっていた。でもそれは、俺が喋れなかったから、対等な関係を築けていなかったからだ。
一緒にパーティを組んで、長い時間を一緒に過ごすうちに、俺は彼女の魅力をどんどん見つけていった。さっぱりとしていながらも、時々見せるたおやかな一面に惹かれずにはいられなかった。
そして、前世から知っているふたり……ミコトさんと、マユさん。一人は男性だと思い込んでいたから、その言葉遣いで気づくべきだったのに、いつまでも別人だと思い込もうとしていた。
会ってみて分かったことは、言葉遣いなんて関係なく、名無しさんが魅力的な女性だったということ。そして、ミコトさんが想像していたより情熱的で、徹底的に強さを求めるストイックな女の子だったということだ。
「……ギルマス……いえ、ヒロトさん。私は当面の間は、あなたの仲間として戦うこと、あなたの役に立つことを第一に考えていますわ。けれどもし、もう一度、私のことを……一人の女として見るときが来たら……」
その時は、俺は気持ちを抑えることなく、ミコトさんを求めたいと思う。時計塔の屋上で彼女との約束を果たしたときに、異性を意識するほど成長したことに気付かせてもらえた。
そんなことばかり考えていたら軽蔑されるだろうけど、貴重な機会がもう一度訪れることがあったら、俺は逃すことはしない。スキルが欲しいと思う以上に、彼女の全てを手に入れたいと思っているから。
「小生は法術士としてもまだ未熟だ。当面は自己を研鑽し、少しでも早く戦力になれるよう努力しよう。女として見てもらえなくてもかまわない……君と共に戦うことさえできれば、それでいい」
仮面の下の口元を見るだけで、俺は彼女の感情が分かるようになっていた。だから、本当は『それでいい』なんて思ってないことは分かっている。
俺が彼女の本音を聞けるとしたら、それは仮面を外したときだ。俺の人生の目的に、それも重要な一つとして含まれている。
六人は告白を終えて、言葉を待っている。そう、これは告白だ……今さら気づく俺も、鈍感にも程がある。
だけど、その答えは間違えない。スキル無しでも、迷いなく正しい選択をする自信がある。
「ありがとう。マールさん、アレッタさん、ウェンディ、モニカ姉ちゃん、ミコトさん、名無しさん。俺で良かったら、これからもずっと一緒に……」
そう言ったところでピクッ、とみんなが反応して、何やら不穏な空気になる。
(ま、間違えたのか? この期に及んで、俺というやつは……!)
猛烈な後悔が襲いかかる。みんな顔を赤くして怒っている――だめだ、ここで俺の人生は終わってしまった。
「俺で良かったら、じゃなーいっ! ヒロトちゃん『が』いいって言ってるの! そこは間違えたら許しません! もう怒った、抱きしめてやる!」
「マールさんの言うとおりですっ、これからいっぱい待つことになるんですからっ! あんまり待たされると、フィリアネス様に苦情を言いますからね!」
「ちょっ、待っ……!」
待ってくれと言い切る前に、私服姿のマールさんにつかまり、胸に思い切り顔を押し付けられる。そして自由になった腕を、ミコトさんとウェンディにとられてしまった。
「マールさん、そのまま窒息させてあげてくださいませ。この人は一度、痛い目にあったほうがいいのですわ」
「だ、だめですっ、お師匠様は私の胸で窒息……ではなくて、気持ち良くさせてあげたいのでありますっ!」
厳しいことを言いつつも、ミコトさんも胸を忍者装束越しに俺の腕に押し当ててくる――相変わらず、天使のほっぺたと表現したいような、何ともいえない柔らかさだ。ウェンディの方はちょっと見ないうちにまた成長したみたいで、ぽよんぽよんと心地よい弾力が伝わってくる。気持ちいいといえば気持ちいいが、三方を胸に囲まれたこの状況、後ろからも来られたら完全に四面楚歌だ。この場合は四面、もとい六面が乳に囲まれている。アレッタさんの兵力が比較的薄いが、それはこの際問題にならない。
「ふぅ……これは協定を結んだ方がいいみたいね。こんなふうに取り合いしてたら、ヒロトがもたないわ」
「それは名案だね。他のみんなも異議はないだろう。まあヒロト君なら、みんな一緒に相手をすることも不可能ではないのだろうけどね」
モニカさんと名無しさんは騒ぎから距離を置いて話し合っている。協定って、どんな内容なんだろう……俺が言うのもなんだけど、すごく知りたい。
「な、名無しさんっ……私はまだ、他の人たちと一緒はその、恥ずかしいのでありますっ……!」
「わ、私もですわっ! マユさん、勝手なことを言わないでくださいませっ!」
(マユって言っちゃってるし……ミコトさん、相当麻呂眉さんと親しかったんだな)
「はぅぅ……ヒロトちゃん、あったかい。こうしてると思い出すよね~、いろんなこと。ヒロトちゃんとお風呂に入ったとき、まだちっちゃくて……」
マールさんが感慨に耽っている。小さかった頃を思い出されると、さすがに俺も恥ずかしさがマックスだ。
成長した姿を見せたら、マールさんは何というのだろう。想像するだに恥ずかしいので、俺はもはやなるようにしかならないと、されるがままに身を任せていた。
◆ステータス成長◆
ヒロト:房中術 10→12 聖剣マスタリー 1→2
フィリアネス:房中術 1→5




