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第四十一話 中編 ひとときの祝宴/魂の天秤

 結論から言うと、宴で出た食事はとても美味しかった。しかし今はどうにも、レミリア母さんの料理の味が懐かしい。


 リオナたち年少組は、今は自分たちの食事に夢中になっている。リオナとミルテのお行儀を、ステラ姉が見て指導していたりするが、楽しそうなので良しとしよう。


 そして俺は、パーティのメンバーと一緒に話していた。モニカさんはお酒を口にしていて、ほんのり顔が赤らんでいる。


「まあ、そんなに心配することないんじゃない? 聖騎士様でも、気疲れすることくらいはあるわよ。ヒロトが心配するのもわかるけどね」

「それよりお師匠様、とってもとっても、とーっても、立派な挨拶だったのでありますぅっ!」

「ウェンディ、いつもより前のめりだね……今のうちにヒロト君にアプローチしておいた方がいいと思ったのかな? 心配しなくても、彼なら十分過ぎるほど甲斐性はあると思うよ」

「うんうん……って、何でそんな話になってるんだ。甲斐性って、ウェンディもそこまでのつもりじゃ……うぉっ!?」


 名無しさんの冗談に多少動揺しつつ答えると、顔を真っ赤にしたウェンディがうるうると目を潤ませていた。


「はぅぅっ、うっ、ひぐっ……ら、らめれすか……? そういうつもりで夢を見てちゃ、らめなんれすかぁ……?」

「おおっ……ちょ、ちょっと待った! ウェンディ、お酒はまだ早い……わっ、ま、マールさんっ……!?」


 ウェンディのろれつがいきなり回らなくなったことにも驚いたが、後ろからいきなり抱きつかれるみたいにされて、さらに驚く。この弾力と、メロンみたいな大きさ……って、胸で判別するのもどうかと思うが、マールさんで間違いない。


「なーに言ってるの、ヒロトちゃん。ウェンディちゃんはもう20歳なんだから、大丈夫に決まってるじゃない。公国法では15歳から大丈夫だけどね。ヒロトちゃんは年齢不詳になっちゃったから、思い切って飲んじゃう?」

「うっ……ふ、不詳って言わないでくれ、マールさん。いちおう14歳って扱いで頼む」

「14歳……それなら、あと1歳で成人ですね。あの、私、成人同士なら、大人のお付き合いも何ら問題ないって思っていてですね、ヒロトちゃんとぜひ、夜通し語り合いたいというかですね……?」


 アレッタさんもお酒を飲んでいて頬が赤くなっているし、とても必死に俺を誘ってくる。責任を取ると言ったのは嘘ではないので、成人した後にお誘いを受けたら、俺は誠実に受けたいと思っている――が、ただ夜通し語り明かすだけでは済まないだろうともわかっている。


「ギルマス、何を想像しているのか、お顔を見ればだいたい分かりますわよ? 鼻の下をこんなに伸ばして、だらしないですわね」


 ミコトさんがやってきて、俺の鼻の下に指を当てる。彼女は飲んではいないけど、雰囲気で酔っているというのか、いつもより上機嫌だった。


 そして俺だけでなく、ミコトさんは、俺と同じテーブルを囲み、椅子に座って飲んでいる名無しさんに目を向けた――名無しさんはまだ名乗っていないし、顔も見せていないのに、ミコトさんはそれでも気づいたようだった。


「……仮面で声がくぐもっているので、初めは分かりませんでしたが。声で分かりましたわ……あなたは……」

「おっと……今は言わないで。小生の本当の名前は、まだヒロト君にも言っていないからね」

「え……名無しさんの本当の名前を、ミコトさんは知ってるのでありますか?」


 泣いていたと思いきや、けろっと落ち着いたウェンディがミコトさんに聞く。酔ってるので、ちょっと不安定になってるようだ……大丈夫だろうか。適当な頃合で、部屋で休ませてやった方がよさそうだ。


「私は名無しさんとは、古い友人なのですわ」

「彼女とは、相当に長い付き合いなんだ。意外に思うかもしれないけれどね」

「そうなのでありますか……人に歴史ありでありますねっ。また、いつか詳しいお話をうかがってみたいのでありますっ」


 ウェンディが笑顔で言う。そうだな……しかし前世のことは、やはり基本的には言うべきじゃないだろう。

 全てを明かさないことの不義理もあるが、ここではない世界があるなんて言っても、いたずらに混乱させてしまうだけだ。


「ヒロト君の判断に任せるよ。小生は、彼とも秘密を共有しているからね」

「……やはり、パーティを長く組んでいるということは、それなりに回数も……ということですわよね……」

「み、ミコトさん。めでたい場とはいえ、ちょっとそれは無礼講すぎやしないか?」

「無礼講なのはどちらですの? かなりの数値になっていましたわよね、法術……」

「ま、待った。ミコト殿、そういったことについては、皆の前では控えたほうが……ね? 小生は、逃げも隠れもしないから」


 名無しさんはいつも通り『小生』と言っているけど、少し女性らしい柔らかい口調に感じる。


「あ、あれ? もしかして……ミコトさんって、名無しさんのこと、元から……」


 元から女性だと知っていたのか。みなまで言わなくても、ミコトさんはふぅ、と息をつき、苦笑して頷く。


「お察しのとおりですわ。私はマユさん……いえ、名無しさんとは、個人的に会ったことがありますもの」

「マユ……えっ、いや、それはハンドルだよな? 麻呂眉、っていう」


 ウェンディ、マールさん、アレッタさんが話を始めたので、俺はミコトさん、名無しさんと声のトーンを落として話し始める。


「いや……もう、言ってしまった方がいいのかな。麻呂眉っていうのは、私の本名をもじって付けたんだよ」

「本名は、栗田繭希まゆきさんですわ。栗はマロン、そしてマユで最初はマロン☆まゆと名乗っていらしたのですが……」

「若気の至りというやつだね。それで、何だか声をかけられることが多かったものだから、ハンドルは変えることにしたんだ。出会いを求めるというより、世界観に癒やしを求めていただけだったからね」


 そんな話を聞くのは初めてで、何か不思議な気分になる。ゲーム時代はキャラクターと文字が俺にとっての麻呂眉さんのイメージだったので、今の彼女とは、口調以外は結びつかない。仮面もつけていなかったし、ドット絵の男性キャラは、悪く言えばそこまで個性が出ていない汎用的なデザインだった。

 それが、中の人は女性で、キャラ立ちせざるを得ない姿で目の前にいる。そして、この場は祝いの宴なわけで。高校生だった俺には縁遠かった、飲みありのオフ会というか、それと等しいものなんじゃないだろうか。


「ふふっ……ぼーっとして、どうしたんですの? 雰囲気に酔ってしまったというなら、私もそうですけれど」

「あ……いや、ちょっとな。俺が名無しさんに会ったときは、もう新しいキャラに変わってたってことか」

「そういうことになる。麻呂眉でアカウントを作り直して、男性キャラに変えることにしたんだ。ヒロト君と会ったのは、それからのことだよ」


(なるほどな……ギルドでも、中の人は男なのに、女性アバターでモテてるって人もいたしな)


 それにしても、マロンスターまゆとは、なかなか意外なネーミングだ。何か名無しさんの年齢が、俺が思っていたより全然若そうな感じが……いや、名前だけじゃ判断できないよな。


「それにしても、その仮面……無表情でちょっと怖いですわ。口元で表情が分かるのが救いですけれど」

「それはそうだね。こんな格好の私がこれまでやってこれたのも、ヒロト君と早いうちに会えたという幸運があってこそだ。彼の名前を聞いた時は、女神も悪戯好きなだけじゃないのかと、少しだけ感謝したものだよ」


 そう――二人も、女神との邂逅を経て、ここに来ている。

 俺の生前は、女神の独断といえる評価で『不幸』ということになったが、二人はどうだったんだろう。


「……ちなみに、女神と何を話したかは、他の方には明かせないことになっていますの。マユさんもそうなのではないですか?」

「うん……それはね。小生は他にも色々事情があって、全部は言えないんだよ。秘密を小出しにしてるわけじゃなくて、これは本当に、ずっと明かせないのかもしれない」

「なるほどな……」


 女神なら、会話に制限を掛けることも可能だろう。しかし俺は、どうやらそういうことはされてないらしい。

 特別扱いなのか、俺の前世なんて、特に隠すことでもないと思ってるのか――それよりも、一つ、これまでのことから想像できることがある。


(自分から望んで転生した場合は、女神の査定は厳しくなる。多分それは、間違いないことだ)


 病気で若くして命を落としたミコトさん。トラックに轢かれた俺。共通することは、向こうで命を落とした後に転生しているということだ。


「名無しさんは、向こうで何かあって……いや、それは話せないんだな」

「そういうことになるね。けれど、想像はつくと思う。ここに来るとき、どんな経緯を辿ったのか。私がここに来たきっかけは、きっとミコト殿やヒロト君とは大きく違っていると思う」


 やはり、そうだ。名無しさんは生きているままで、この世界に転生することを選んだ。

 その仮面は、生きているままで転生を望むことのペナルティだとも考えられる。しかし外すことができるだけ、まだ、破滅の子なんてものを背負わされたリオナよりは――。


(……いや、何を弱気になってるんだ。『隠者の仮面』を外す方法はあるって、名無しさんは言った。それなら、一時しのぎじゃなく、リオナと魔王を分離することだって……)


「……ギルマス。私から言うのはおせっかいかもしれませんけれど、聖騎士さんをそのままにしておいて良いんですの?」

「何か、様子が違って見えたね。王座の間で何かがあったということかなと思っていたけど……」


 二人がそう言ったところで、モニカさんがこちらにやってくる。その手には果実酒の入った、木で作られたさかずきを持っていた。ガラスが貴重な異世界ならではの光景だ。


「ヒロト、こういう席だから気を使ってるのかもしれないけど、小さい子たちはちゃんと私達が様子を見てるから。フィリアネスさんの所に、行ってあげたら?」

「い、いいのかな……こんな時に席を外したら、逆に、フィリアネスさんに怒られそうだ」


 本当は、彼女の所に行きたい。ディアストラさんが思っていることの一端を教えて、安心させてあげたい。


 しかし同時に、フィリアネスさんの背中を追うことで、拒絶されることを恐れてもいた。ディアストラさんに彼女が頬を打たれたとき、俺は怒っていながらも、ディアストラさんの誘いを断らなかったのだから。


 決して、フィリアネスさんは俺たちのことを勘違いしたりはしないだろう。そう分かっているからこそ、安易に後を追いかけることが、彼女の心に土足で入り込むような行為に思えた。


「……あのね、一つ言っておくけど。マールさんとアレッタさんが、どうしてここで飲んでるか分かる?」

「えっ……そ、それは……ルシエが国民のみんなに認められた、めでたい時だから……」


 真面目に答えたつもりが、モニカさんだけでなく、ミコトさんと名無しさんにも同時にため息をつかれた。け、結構傷つくな……いや、なぜみんなが呆れてるのか、自分でも分かってはいるけど。


「本当は、フィリアネスさんのことが心配だと思う。でも、自分たちより行ってあげるべきだと思う人がいるから、あえて明るく飲んでるんじゃない」

「ギルマスは、もう十分宴会には顔を出しましたわ。下にいる貴族や騎士の方々にも、先ほど挨拶は済ませてきたのですから、十分に義理は果たしています」

「義理というのも世知辛い言葉だけどね。じゃあ、最後に景気付けに、ジュースでも飲んでいくかい?」


 名無しさんが杯に飲み物を注いでくれる。するとウェンディがふらふらとやってきて、俺の方に寄りかかってきた。


「うわっ……の、飲み過ぎだぞウェンディ。足にきてるじゃないか」

「お師匠様にとっては、ジュースよりも、ずーっと美味しい飲み物があるのであります……それれしたらぁ、私が一番槍を務めさせていただくのでありますぅ……えいやっ!」

「え、えいやって、待ってウェンディちゃん! 嫁入り前の娘が、外でそんなことしちゃらめぇ!」

「は、離してでありますぅ! お師匠様と他の女の人がいちゃいちゃしてると、胸がずきずきするのでありますぅぅ!」


 大暴れのウェンディを、戦士として一枚上手のマールさんが見事に押さえ込んでいる。ウェンディは一生懸命こっちに来ようとするが、最後にはマールさんに担ぎあげられてしまった。


「よいしょっと……おいたする子は、おねんねしましょうね~。あんまり暴れてると、お姉さんがしまっちゃうぞ~」

「は、離してであります! 私ももう大人なのであります、分別はつくのでありますぅぅ!」

「酔いざましにいいポーションがありますから……あ、小さい子たちも、もう眠くなってきちゃったみたいですね」


 アレッタさんが言うとおり、年少組の5人は寝入ってしまっていた。宿で寝かせてやった方が良さそうだな。

 そんなことを考えていると、どこかから声が聞こえてくる――ユィシアだ。


(ご主人様、こんなこともあろうかと、迎えに行こうと思っていた。子供たちのことは、任せてもらっていい)


 なんという思いやりといたわりだろう……と思ったが、ユィシアの声が、何だか上機嫌に聞こえる。


(……人間の姿で少しだけ宴に混じって、食事をした。お腹がすいては戦ができない)


(それは良かった。ユィシアにも、楽しんで欲しかったからな)


(成長したご主人様に、酌をするというのも悪くないと思った。いつか二人で、ゆっくり夜を明かしたい)


(ゆ、ゆっくりって……ユィシア……?)


 ユィシアはもう返事を返さなかった。俺はひとまずアッシュとディーンを連れて行かないとな……間違えて酒を飲んだからか、ディーンの方はよだれを垂らして寝入っていた。



◇◆◇


 夜になっても祝祭の熱気は続き、町には煌々と明かりが灯って、酒場や食事を出す店の多くが繁盛していた。


 王宮を出るときにリオナたちをユィシアに任せたが、彼女は徒歩の俺たちより先に宿に着いていた。俺はアッシュとディーンの二人を担いで、男子部屋とされている部屋のベッドに寝かせた。


「……もう食べられないよ……むにゃむにゃ」

「……母ちゃん……母ちゃんにも、こんな……美味しい、食べ物……」


 アッシュ兄は平和な夢を見ているが、ディーンの方の寝言を聞いて、思わず胸に迫るものがあった。


「お母さんも、喜んでると思うよ。ディーン兄ちゃんが、そんなこと言ってるって知ったら」

「……すー……すー……」


 たぶん、これがディーンを年上として呼ぶ最後だろう。変わっていくこともあるが、変わらないで居てほしいことの方が多い。


 友達の少なかった俺が作ることが出来た、数少ない友人。もっと子供のままで話したいことがあったとも思うが、彼らも大人になれば、互いに遠慮することは無くなるだろう。


 俺が大きくなっても気にしないと言ってくれて、嬉しかった。そのことを、これからもずっと覚えていようと思う。



◇◆◇



 再び町に出て、大通りの喧騒を離れて、フィリアネスさんのもとに向かう。

 この時間だ、彼女ももう休んでるかもしれない。けれど、引き返す気にはなれなかった。


 そんな俺の前に姿を現したのは――スーさんと、パメラだった。


「坊っちゃん、お疲れ様でした……と申し上げたいところですが。また、お出かけになるのですね」

「何か忘れ物でもしたのかい? 浮かない顔してるけど」

「忘れ物……っていう言い方も違うけど。行かなきゃいけないところがあるんだ」


 答えると、パメラは肩をすくめる。今日の彼女はラフな服装で、襟を立てていたり、へそを出していたりと、盗賊らしさこそ消しているが彼女らしいファッションだった。


 スーさんは相変わらずのメイド服だ。青みがかった長い髪は、昔よりは少し短めになっているが、ツーテールの髪型は変わっていない。


「まあ聞かれないだろうから勝手にしゃべるけどさ、あたしはお固い席になんて出られないから、町を適当にぶらつこうと思ってたんだけど。スーが、一緒に飲んでくれるっていうからさ」

「……それなりに、功労はありましたので。あなたの手引きがなければ、私は坊っちゃんと再会することも出来ませんでしたし」


 スーさんは淡々と言うが、パメラは何を思ったか、俺の肩に手を回してくる。そして、耳元でささやいてきた。


「赤ん坊の時は無愛想だと思ってたけど、今となっちゃ立派な男になっちまったね。他の子らもそうだろうけど、

あんた大きくなった方が絶対いいよ。それくらいになってくれたら、言うことを聞かされても、まあ情けないってこともないしね」

「はは……まだ、パメラより年上じゃないけどな」

「あたしはそっちの方がいいよ。坊やが年上になっちまったら、やりにくいったらありゃしないしね」


 パメラは少し頬を赤らめて、俺から離れる。こうして見下ろす身長になると、カーリーヘアの分を差し引いたら、彼女は結構小柄だった――これも、こうなってみて分かる発見だ。


「まあ、あたしはもう十分楽しんだし、アジトに帰って休むよ。ヒロトも夜更かしはほどほどにしなよ」

「ああ。そっちも、足元気をつけてな」

「あはは、こんなくらいの酒じゃ飲まれたりしないよ。あたしを誰だと思ってんのさ」


 パメラは気持ちの良い笑顔を見せると、少しふらつきながらも、しっかり歩いていく。


「……坊っちゃん、また日を改めて、改めてお話をさせていただけませんか。坊っちゃんがそのように、急に成長された件についても、まだ驚いておりますので……」

「ああ。それにスーさんとは、手合わせをする約束をしてるしな」

「っ……」


 スーさんはかすかに目を見開く。そして、正面に立つ俺の頭の上を見上げるようにする――身長が伸びた、ということを言いたいのだろう。


「……昔の坊っちゃんでも、ただならぬ気を感じたというのに、今の坊っちゃんは、その時とは比較にならない強者の気を発しておいでです。ご自分で、お分かりでないのですか?」

「そ、それは困るな……そういうのは隠せた方がいいんだけど」

「い、いえ。武術の修練を積んだ者だけが感じ取れることだと思いますので、問題は無いと思います」


 スーさんが凄く恐縮してる……彼女は間違いなく手練れだし、手合わせはしてみたいんだけど、遠慮されてしまっているな。


「昔、お手合わせをと申し上げたのは……正直を言うと、自分も十分に修行をして、強くなっているだろうという自負があったからです。しかし、今の坊っちゃんを見ると、自分の修行の足りなさを恥じ入ることしか出来ません……わ、私は本当に、この七年間、何をしていたのか……」

「手合わせっていっても、勝ち負けをはっきりするものばかりじゃないしな。昔はありえなかったことだけど、今の俺なら、スーさんと鍛錬してもおかしくないし……ぜひ、相手をしてもらいたいな」


 そう言いつつも俺は、決して忘れてはいなかったのである――彼女のスキル『執行者』を手に入れられていないことを。


 かつての恩人であるスーさんに授乳してくれとは言えないが、『育成』スキルを持っているスーさんと訓練すれば、ごく低確率で『執行者』を取得できる可能性がある。


 それを度外視しても、執行者という職業の戦闘力がどれくらいなのか見てみたい気持ちがある。未実装だった職業は、俺にとっては夢のかたまりみたいなものなのだ。


「坊っちゃんが、そこまでおっしゃるのなら。失望させないよう、身体を仕上げて臨みます」


(十分すぎるほどに仕上がってると思うんだけど……エプロンの下のふくらみが、昔の1.5倍くらいに……)


「……坊っちゃん?」

「あ、い、いや、何でもない。スーさん、じゃあ約束したからな。首都にいるうちに、絶対手合わせしよう」

「……そのことなのですが。パメラのことを、勧誘されたと聞きました」

「ああ、パメラはもう行くとこないから、仲間になってもらったんだ。常に一緒に行動するわけじゃないけどな」


 スーさんは瑠璃色の大きな瞳で、俺をじっと見つめてくる。な、何だろう……?


「……もう一度、私を雇用していただくというわけには、まいりませんか? 今度はジークリッド家ではなく、ヒロト坊っちゃんに……」

「えっ……い、いいのか? スーさん、ギルドに所属してるんだよな?」

「はい。しかし、抜けられないものでもありませんので……状況次第では、執行者の任を外れることは難しくなるのですが、そうならないように立ち回ってきたので、問題はありません」


 ――つまり、それは。


 スーさんはあらかじめ、俺と再会したときにギルドを抜けることを考えて、行動していたということだ。


「……まだ幼かった坊っちゃんですが、私は必ず、ご立派になられると感じておりました。先ほど、皆様の前でお話された姿を、リカルド様と奥様がご覧になったら、さぞ喜ばれたことでしょう」

「そ、そう言われると照れるな……いや、それ以前に、いきなり大きくなったことを受け入れてもらうっていう、難関が待ってるんだけど」

「私に受け入れられたことを、両親であるお二方が理解されないことなどありましょうか。旦那様と奥様の度量の大きさ、心優しさは、短いお付き合いではございましたが、十分に見せていただいたつもりです」


 いつも落ち着いているスーさんが、言葉に力を込めて熱弁する。

 それだけ本気で、俺を励まそうとしてくれてる。それが嬉しくて、俺は笑った。


「……何もご心配されることは、ございません。そのことは誰より、坊っちゃんがよくお分かりのはずです」

「ああ。そうだな……ありがとう、スーさん」


 スーさんは少しだけ目を見開く。そのわずかな変化で、俺は彼女の感情が汲み取れるようになってきた。

 ――そして、彼女はふっと笑った。それは俺にとって、最も嬉しい答えだった。


「……大きくなられても、坊っちゃんは、坊っちゃんだと分かりました」

「はは……根っこの部分は変わってないと思うよ。子供の頃から、臆病なままだ」

「臆病な方が、あんなに雄弁に語ることができましょうか。素晴らしい覇気でございました」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。あれでも結構、必死だったんだ」


 懐かしさもあって、どれだけでも話していられる。しかしスーさんは、俺がどこかに向かう途中だということを忘れてはいなかった。


「では……積もる話もございますが、それはまたの機会といたしましょう」

「うん。連絡先とか、聞いておいていいかな?」

「はい。ジュヌーヴには、3つ冒険者ギルドの窓口がございますが……」


 スーさんが紙に書いて、場所を教えてくれる。近づいて教えてくれる彼女から、ふわりと甘い香りがする。


 赤ん坊だった頃と同じ。俺はふと、彼女に抱っこしてもらった時のことを思い出す。長い時を経て、こうしてもう一度会えたことに対する感謝が、俺の胸を静かに満たしていった。



◇◆◇



 スーさんと別れたあと、俺は再び歩き始めた。

 フィリアネスさんがどこに居るのかは分かる。パーティメンバーの現在地は、ログで確認することができるからだ。



◆情報◆


名前:フィリアネス・シュレーゼ

現在地:首都ジュヌーヴ シュレーゼ侯爵家別邸



(侯爵家……そうか。グールドの別邸と同じで、彼女の家が持っている屋敷もあるんだ)


 家ではディアストラさんと顔を合わせたのだろうか。今の時点では状況を察することはできないし、もう時刻も遅い。こんな時間に家を訪ねるのは……。



 ――本当は、フィリアネスさんのことが心配だと思う。でも、自分たちより行ってあげるべきだと思う人がいるから、あえて明るく飲んでるんじゃない。



 モニカさんの言葉を思い出す。


 フィリアネスさんに会うことなく、そのまま今夜を通り過ぎることを、俺は想像する。


 彼女はきっと、何でもないと笑うだろう。そんな嘘をつかせたら、俺は――。


(会ってくれるかどうか……そんなこと、考えていられない)


 時折すれ違う警備の騎士は、貴族の邸宅の集まる区域を、夜通しで警備しているのだろう。俺のことを知ってるみたいで、誰も不審に思って声をかけてきたりはしない。


 長く伸びた髪が、急に気になってくる。俺は、今の彼女の前に出ても、恥ずかしくないような姿をしているだろうか。


 しかし、引き返すことは考えられない。ユィシアも眠っているのか、気配を感じない――今は本当に個人の行動だ。

※次回は明日0:00更新です。

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