第四十一話 前編 救国の英雄/宴の始まり
王宮の中庭に集まった二千人近くの人々は、もはやルシエの言葉の一言一句に、緊張しながら聞き入っている。咳払いすらも躊躇われるような静寂の中、ルシエの隣に控えた侍女たちは、照りつける日差しを和らげるために魔術を唱え始めた。
◆ログ◆
・《リアンナ》、《ミアンナ》の合体詠唱! 「安らぎの天蓋!」
・二人での詠唱に成功! 魔術の効果、効果時間が強化された。
「お姉さま方……ああ、私も魔術をもっと修練していれば、あの場でお仕えできましたのに……」
名前からそうではないかと思ったが、侍女二人はイアンナさんのお姉さんたちらしい。合体詠唱を使うとは、どうやら二人は優秀な術師のようだ。
(おっと……つい見入ってしまった。今はルシエの話を聞くときだ)
安らぎの天蓋に包まれたルシエは、着ている衣装の壮麗さも相まって、見る人を魅了する。赤い髪を結い上げ、洗礼の儀式でつけていたものと同じ宝石を散りばめたティアラを身につけたその姿は、十歳という幼さを忘れさせるほどに、紛うことなき貴人の気をまとっている。
「そして、私はこの場で申し上げておきたいのです。魔王リリムの呪縛からグールド公を解き放ち、私に洗礼の儀式を受けさせ、ここに導いてくれた方が、今この場で見てくれています」
ルシエの言葉が指しているのは、フィリアネスさんのことだろうと俺は思った。しかし彼女の方を見やっても、フィリアネスさんは俺と目を合わせてはくれるものの、すぐにルシエの方に視線を戻す。
彼女がそうした意味は、すぐに分かった。ルシエは、後方にいる俺たちの観覧席を振り返ると――フィリアネスさんではなく、間違いなく俺を見て、そして言った。
「……我が公国の誇りである、聖騎士フィリアネス様。そして、彼女の従騎士であるマールギット様、アレッタ様……彼女たちと、そして他の仲間を率いて戦った、類まれなる勇気と、武勇を併せ持つお方……」
ここで、皆の前に存在を示すことになるとは思っていなかった。
しかし、別の観覧席に居るファーガス陛下も、その近くに姿を見せたディアストラさんも、事前に知っていたようだった。距離があってはっきり見えなくても、二人が動揺していないことくらいはわかる。
まだ、俺が特異な力を持っていることは皆には伏せておくべきだ――特にユィシアを味方につけていることは、知れば彼女にとって、厄介事を招く可能性がある。人に従う雌皇竜という、ともすれば国を牛耳ることが出来るほどの力を持つ存在を、出来るものなら利用したいと思う者はいるだろう。
――しかし俺は、領地を与えられることになっている。余りある褒賞だという思いもあったが、絶対に固辞しようとも思っていない。領主になることで、出来ることは飛躍的に増えるのだから。
それなら俺の素性の全てを明かすことはなくても、ヒロト・ジークリッドの旗を上げるというなら、人々に名前を知ってもらうのは早い方がいい。
ルシエは俺に、意志を問うように視線を向けてくる。俺はこの距離からでも、彼女に「依頼」することができる――俺の名前を、皆に告げるようにと。
その名を口にすることすら、彼女は緊張しているように見えた。震えるような呼吸をしてから、そして、どうしてもそうせずにはいられないというように、祈るように胸の前で両手を重ねる。
(まるで、崇められてでもいるみたいだ……いや。俺に『授印』を託した女神への祈りか)
俺に対する畏敬を感じさせるルシエの姿に、見ている人々も影響されている。しかし、十四歳相当の俺を見ると、少なからず驚いている人が多かった。
「あの少年が、聖騎士殿を率いて戦った……? そ、そんなことがありえるのか……?」
「王女様は、それを私たちに信じろとおっしゃるの……?」
ずっと静まり返っていた貴族の男女が、驚きを口に出す。無理もない、ある程度かしこまった格好をしているとはいえ、十分準備が出来てなかったから、俺の服装は庶民の域を出ていない。
準備して、鎧か礼服でも着てくるべきだったか。髪だって伸びきっているし、今の俺は、人々がイメージする『救国の英雄』とは程遠い姿であることは間違いない。
しかしこんな時こそ、みんなを安心させるためにも、使えるスキルは使うべきだろう。方法は問わず、皆の信頼を得ることが、マイナスに働くことはまずないのだから。
(本来は、こういうときのために使うスキルなんだよな……若いってことが、マイナスにならないために)
「彼の名は、ヒロト・ジークリッド――」
ルシエが俺の名を口にした瞬間、俺はあのスキルを発動させる――赤ん坊の頃から数えきれないほど世話になった「カリスマ」を。
◆ログ◆
・あなたは「カリスマ」をアクティブにした。
・周囲にいる人物の全てが、あなたに注目した! リストを確認しますか? YES/NO
軽い気持ちで使ったわけではなかったが、その変化は凄まじかった。俺に対する半信半疑の視線は消えて、若造である俺を低く見る人は一人も居なくなっていた。
その空気の変化にルシエも気がついているようだった――いや、俺ならばそうなってもおかしくないと信じてくれているのか。どちらにしても、彼女は微笑み、安堵しているように見えた。
「ヒロト様は、かつて騎士団で将来を嘱望された斧騎士・リカルド殿のご子息であり、我がジュネガン公国を支える貴族家のひとつ、クーゼルバーグ伯爵家の血を引く方でもあります」
まず父さんの名前が出たところで、警備に当たっている騎士たち全員が俺を見る目も変化する。
そしてクーゼルバーグという単語は、決定的なものとなった。
「クーゼルバーグ……」
「伯爵家の……あの方が……」
「リカルド殿のご子息が、公国のために……なんと勇敢な……!」
老若男女を問わず、この場にいる誰もが驚きを隠せないでいる。俺の両親の素性を詳しく知らなかった仲間たちも、驚きの視線を向けてくる。
そしてルシエがそこまで話したところで、ファーガス王が動いていた。彼は俺たちと別の、王族のための特別な観覧席にいて、厳かに席を立つ。するとディアストラさんが横に控えて、注目するよう皆に呼びかけた。
「ルシエ殿下、ここからは陛下がお話を引き継がれます。皆も、陛下のお言葉に耳を傾け、清聴するように」
ディアストラさんの言葉に頷き、ルシエがファーガス陛下の方を向く。ファーガス陛下は眼下の中庭を埋め尽くした人々を睥睨し、何度か頷いたあと、俺に視線を向ける。
その目は鋭く、何かを俺に訴えかけているように見えた――それとも、覚悟を問うているのか。
俺はただ、その場で頭を下げる。それが、この国に生まれた人間としての当然の礼儀だからだ。
「皆の者、今日は我が娘ルシエの姿を見届けてもらい、まずは礼を言わせてもらう。公国の未来を担う若き貴族よ、騎士たちよ。その才と力を、どうか次代の女王のために振るってもらいたい」
――公王じきじきに、後継者が指名された。
ファーガス陛下は至極当然で、議論すべきことですらないかのように、それを口にした。
「ルシエは公国の祖である西王家の血を引いている。私は東王家の出身で、ルシエが王族として認められるまで王座を守っていたに過ぎない。魔王に対抗する力を持つ西王家こそが、ジュネガンの統治者であるべきなのだ。我が娘には、必ずそれができると信じている」
低く威厳のある声が響く。ファーガス陛下は壮年に差し掛かっているが、その巨躯から放たれる気迫には、見る者を圧倒する力がある――ディアストラさんの話から受けたイメージと、実際に見る王の姿は、必ずしも一致してはいなかった。
(こんな立派な王様が、王位を迷いなく娘に譲る気でいるっていうのか……)
口の周りを覆う白い髭。ルシエがまだ十歳ということは、ファーガス王にとっては、かなり遅くに生まれた子供ということになる。
「我が嫡子である王子には、もとより私の直轄領でもある公国東部を与えることになる。これは王妃とも話し合い、決めたことだ」
ざわめきが一瞬広がりかけ、すぐに静まる。一部の貴族が王の言葉に反応していたが、王の傍らにいる王妃の表情を見るだけで、王の言葉に偽るところがないことを悟る。
正室との間に生まれた王子と、側室との間に生まれたルシエならば、王子の方が継承権は上だろう――しかし、どうやら公国においては、そうでなくなる例外があるということだ。
「公国を統治する者は、西王家の血を引いていなくてはならない。それもまた、魔王に対抗するために必ず必要とされることなのだ。ルシエが王族として認められた今、彼女を女王とする以外に、公国にとっての正しき選択は存在しない。王子はまだルシエよりも幼く、身体もさほど強くはない。そして魔王と戦うための、選ばれた力も持ってはいない。魔王との戦いに求められるものは、資質と強さなのだ」
それは王子を突き放しているようにも聞こえるが、重要なのは「幼い」ということ、そして身体が強くないということだ。親としては、例え王族の果たすべき義務があるとしても、子供に無理を強いることはしたくないだろう。
ディアストラさんも同じだ。フィリアネスさんを案じる余りに、すれ違ってしまった。その溝を埋めるために、俺に何ができるだろうかと、今もずっと考え続けている。
「グールド公を闇の道へと引きずりこんだ魔王リリムの脅威は、公国が百年の繁栄を得るためには、何としても根絶しなければならない。リリムだけではない、他の魔王たちも、復活の時を今か今かと待ち望んでいる。奴らの中には既に目覚めており、魔界からこちらの世界を窺っている者もいるという」
(魔界……魔王は、そこから来た……そうか。魔物は、魔界に通じる『巣』を通じてこちらの世界にやってくる。俺は魔界が、行けない場所だと思い込んでただけだ)
魔物の世界は存在している。ゲーム時代には実装すら仄めかされていなかった部分が、次々と開けていく。その感覚に鳥肌が立つ。
恐れているわけじゃない。知らないことを知ることが嬉しくもあり、これから始まる戦いの壮絶さを思うと、武者震いがくるというだけだ。
「公国は、魔王と戦う勇士に、最大限に報いていく。聖騎士フィリアネスの功績に報いて領地を与えたように、私は王として、ヒロト・ジークリッドに、相応の褒賞を持って報いたいと思っている。成人となる前にこのような待遇を与えるのは前例に無いが、彼の功績自体が前例を見ないほどに大きいのだから、それは問題にはなるまい。既に領主である聖騎士を率いて戦ったことでも、彼に統治者の資質があることは明らかだ」
――そこまで言うのか。
俺という存在を、ジュネガン全土に知らしめようという王の気持ちには、恐らく裏などないだろう。俺が、魔王と戦わざるを得ないこと、それを望むだろうことを確信しているだけだ。
しかし俺は、魔王を全て倒さなければならないと考えることは出来ない。リリムにしても、未だに交渉の余地はあると思っている――リオナを前にして見せた人間らしい心の機微を見ただけで、対話できると期待するのは、あまりに甘いのかもしれないが。
気づくと、俺の手に、リオナが小さな手を重ねていた。彼女は大きな瞳に俺を捉えている。
そうやって勇気づけられた遠い記憶が蘇りかけて、薄れていく。
大切なのは今だ、という思いが湧く。今俺を案じてくれているのは、陽菜ではなく、目の前に居るリオナなのだから。
逆側から袖を引かれて、ミルテも傍に来ていることに気づく。彼女の猫を思わせる瞳には、不安の色が隠せなかった。
「ヒロちゃん、私知ってたよ。ヒロちゃんが、すごいんだっていうこと、王様よりずっとまえに、分かってたよ」
「……私も、分かってた。でも王様は、こわいことも言ってる。魔王と戦うって……」
リオナとミルテは王の話の内容を理解している。これから何が起きて、俺の周囲がどう変化していくのかも。
彼女たちからは、俺についてきてくれるという強い気持ちを感じる。しかし身体が大きくなって思うことは、ふたりを肉親から離れさせるには、まだ早いのではないかということだった。
「……大丈夫だ。何も、心配しなくていい」
二人の肩に手を置き、俺は陛下の視線に応じる。そうすることで、自分が果たすべき義務があると分かっていた――前世の俺なら、きっとその重みから、尻尾を巻いて逃げ出しただろう。
でも、今は違う。ここにいる全ての人の迷いも、期待も、全て受け止める――それでも俺は俺らしく、自分のしたいようにやっていく。重圧に潰されたりもしないし、責任から逃げることもない。
「では……ヒロト・ジークリッド殿。この国を救った英雄よ。その声を、皆に聞かせてもらいたい」
「はい。承りました、陛下」
席を立ち、俺は前に出て、中庭に向けてせり出した半円状のバルコニーに進み出た。
そこから見える景色は、壮観としか言いようがなかった。会食のために使われるだろう、中庭に出された無数の小さな円卓の周りに、正装した貴族と騎士たちが立って、こちらを見上げている。
(落ち着け……っていうこともないか。ゲームでは、むしろ目立つことが日常だったんだ)
エターナル・マギアにおけるトップギルドのマスターとして、GVG世界大会の選手宣誓をしたときの方が、よほど緊張した。世界中の数十万のプレイヤーが、俺の発言に注目していたのだ。
そう開き直ると、不思議と、言葉はすらすらと頭に浮かんできた。もし失敗したらなんてことは、まったく考えなくなる――プレッシャーが、俺の中から影も形もなく消えていく。
◆ログ◆
・あなたの交渉スキルレベルを元に、演説の成功判定が行われた。
・あなたの演説は、『約束された成功』を手にした!
「皆様におきましては、初めてお目にかかります。私の名はヒロト・ジークリッド、西部のミゼールという町の生まれでございます。此度は友人の商隊の護衛のため、この首都に参じました」
始まりは、アッシュの商隊を護衛するためだった。ルシエに出会い、彼女を洗礼の神殿に送り届け、黒騎士団と戦い――そして、魔王と戦った。
長い旅ですらない、数日の出来事だ。しかし、ユィシアと戦って以来の、凝縮された時間だった。
思えば遠くに来てしまった。そう言えば、きっと皆は笑うだろう。何を大げさなことを言っているのかと。
俺は父さんと母さん、町の人達の顔を思い出していた。ただ、無性に懐かしいと思った。
「しかし首都に来る途中で縁あってルシエ殿下の一行と出会い、護衛を務めさせていただくことになりました。聖騎士殿、ならびに彼女の部下の方々の助力もあり、無事に殿下をお連れすることができました。それは公国の民として果たすべき当然の義務であり、陛下のお言葉は、本来ならば身に余るものです」
誰もが俺が何を言うのか、言葉のひとつひとつに意識を傾けている。聞いてもらえているだけで俺がどれだけ安堵しているかなんて、誰も気づきはしないだろう――仲間たちを除いては。
「ですが、グールド公爵を影から操り、この国を脅かそうとした魔王と対峙することで、魔王をこのままにしておくことは決してできないと感じました。それは父から戦士としての誇りを受け継いだ私が、生まれた時から与えられた義務なのだと思ってもいます」
それは勿論、後付けの理由でしかない。しかしただの村人の俺が世界を救おうとしているのだと言うよりも、公国騎士の血を引く人間だと言うほうが、人々は安心することが出来る。
誰も知らないままに魔王と戦い、世界を救うということも考えられる。だが俺はこの世界に来て、領土を与えられると言われた時、こう思わずにいられなかった。
(俺は自分にやれるだけのことをやりたい。良い領地を作るっていうことも、その一つだ。ミゼールのみんなが、もっと良い暮らしが出来るように、領主になることで出来ることが多くあるはずだ)
そう――俺がまず欲しいと思う領地は、それは自分が生まれたあの町を含む、公国西部だ。
そのためにするべきことはやる。全てはまず、公国が平和になってからだ。
「魔王リリムは、グールド公爵を不死の呪縛から解き放ったあと、姿を消しました。皆さんに不安を与えるようですが、リリムの脅威は終わっていない。魔王の存在による憂いを完全に無くさねばなりません。それまで私は、これまでと同じように動き続けるつもりです。どうか、その我がままを、許していただきたいのです」
俺はそこまで言って深く頭を下げた。仲間たちも、そうしてくれていることが感じ取れた。
観衆の囁く声が聞こえてくる。それは俺を非難するものではなく、驚嘆を呆れ混じりに口にしたものばかりだった。
「魔王を撃退した功績だけで、もはや他に並ぶ者はないというのに……」
「それでも戦い続けるというのか。それを、我がままとは……」
「信じられぬ。無謀……いや。これこそを、勇敢と言うのか」
地方を治めている領主だろう貴族たちが、口々に言う。信じられないのも無理は無いだろうと、顔を上げたあと、俺は思わず苦笑してしまう。
最後までかしこまったままでは居られなかったが、仕方がない。今日は何より、ルシエの晴れ舞台――祝うべき時なのだから。
「……とまあ、格式張った言い方をしてきましたが、つまり、俺たちはこれまで通りやりたいようにやります。本当は誰のためでもない、自分たちの大事な場所を守るために、魔王のことを何とかしなきゃならない。皆さんには、魔王に対する心構えこそしていてもらいたいですが、戦うことを強いることはありません。でも、協力してくれるなら、それはそれで助かります。公国は広く、俺たちがまだ知らないこともいっぱいある。もし、魔王に対する情報に心当たりがあったら、こっそり教えてください。俺が信用出来なければ、フィリアネス殿に言ってもらっても構わない。彼女を信用できないなんて人は、この国にはいないはずです」
出来る限り明るく、何でもないことのように俺は言った。しかし誰も笑いも、呆れもしなかった。
フィリアネスさんを見やると、彼女は頷いて、俺の隣に来てくれた。麗しい金色の髪が、陽光を浴びて煌めく。
こんな時でも綺麗だと思わずにいられない。先ほどの涙が嘘のように、彼女は凛として、まっすぐ目の前の人々を見つめていた。
「私はヒロト殿と、これまで共に戦ってきた。彼の言うことは全て真実だ――ディアストラ卿、そして円卓会議の出席者にも、彼がルシエ殿下を守る上でどのような功績を挙げたのかは報告している」
フィリアネスさんはディアストラさんの方を見はしない。しかし、ディアストラさんは、よく通る声を響かせる娘の姿を見ている。そこにある感情は、容易に推し量ることの出来ないものだと思えた。
「公国に捧げた剣に誓おう。私はヒロト殿と、そしてその仲間たちと共に、この国に平和をもたらすために尽力する。魔王の脅威は、確かに存在する――国を守る騎士、そして領主の方々には、備えはしていてもらいたい。しかし、民が何も知らぬままに全てを終わらせることも理想だと考えている。くれぐれも、不安を民の間にいたずらに広げることのないように。ここに集まった方々は、皆それが出来る度量の持ち主だと思っている」
どこまでも軍人らしく、力強い言葉だった。式典のための衣装を着た彼女は、貴族の女性と並んでも比肩しうるものがないほど可憐だというのに、男性も女性も、その姿と言葉に鼓舞されていた。
聖騎士が、公国にとってどのような存在か。俺はそれを確認させられ、どれだけ凄い人が、ミゼールという田舎町に足繁く通ってくれていたのかと、自分の幸運を自覚する。
父さんが魔剣の護り手にならなかったら、この運命は訪れなかった。ゲームとは違う本物の異世界の運命で、この立ち位置を与えられたことに、俺は一時は感じていた怒りも忘れ、女神に感謝してもいいと思えた。
――どこかで、誰かが笑っているような気配がする。あの女神はいつでも、俺を見ているのだと思える。
「しかし今は、魔王を撃退し、こうして無事に祝祭の日を迎えられたことを喜びたい。ルシエ殿下に、改めて祝いの言葉を述べさせていただく。これより始まる殿下の前途が輝かしいものであるよう、常にお祈りしています」
フィリアネスさんはそう言って、ルシエに向けて頭を下げる。ルシエは涙を抑えきれずに、目元を拭っていた。
そしてルシエの様子を気遣ったファーガス王が、代わりに話し始める。それだけで、彼が娘をどれだけ想っているのかは十分に伝わってきた。
「皆にはふたりの言葉を胸に留めておいてもらいたい。そしてフィリアネス殿が言うとおり、今日はどうか、ルシエの明るき日を祝ってもらいたい」
王が言い終えると、聴衆は誰とも言わず頭を下げる――俺たちも、それに倣う。
顔を上げたとき、ファーガス王、王妃、そしてディアストラさんたちは、観覧席から姿を消していた。人々の緊張が解け、侍女たちが忙しく動きまわり始める。宴が始まったのだ。
「はぁ~、緊張した~……でもヒロトちゃんも、フィリアネス様も、かっこよすぎました! 私の中では百二十点満点です!」
「さ、採点するとか、なぜ上から目線なんですか……」
「ふふっ……二人とも、いつもの調子で何よりだ」
フィリアネスさんは笑っているが、少し元気がないように見えた。俺は声をかけずには居られなくなる。
「フィリアネスさん……」
「……ヒロト。陛下とルシエが、どんな話をするかは、母から聞いていたのだろう?」
「あ……う、うん。でもそれは、今はいいんだ。俺は、フィリアネスさんと話が……」
話がしたい。フィリアネスさんは、それを最後まで言わせてはくれなかった。
「済まない。恥ずかしいことだが、人の前に立つことには慣れていないのでな……少し疲れてしまったようだ。ヒロト、せっかくの宴だ。おまえは、存分に楽しむといい」
「あっ……ら、雷神さまっ、どこ行くんですか~っ! 美味しいお酒も、食事も、いっぱい出てきてますよ!」
「マール、アレッタ、今日は存分に羽根を伸ばしてくれ。祝祭の間は、従騎士としての務めは休みとする」
「フィリアネス様っ……!」
マールさんとアレッタさんが止めるのも聞かず、彼女は観覧席から出ていってしまう。
本当は、この場に出てくることすらもしたくないほど、彼女は傷ついていた。そしてまた、俺に後を追わせてはくれない。そっとしておいてほしいという心境を悟れないほど、俺も子供ではなかった。
「……フィリアネスのお姉ちゃん、どうしたのかな?」
「ヒロト……行ってあげなくていいの?」
「聖騎士様が、楽しむようにとおっしゃったのなら、そうした方がいいと思うのだけど……」
リオナ、ミルテ、ステラ。それぞれに、いつもよりもお洒落をした少女たちが言う。俺が気落ちして見えるってことなら、彼女たちに心配はかけられない。
「ステラ姉の言うとおりだ。せっかくの祝いの席だ、楽しまないとな」
そう答えると、三人はすごく嬉しそうな顔をする。それを見ると、俺も微笑まずにはいられなかった。
三人には、心配ばかりかけてる。ステラ姉だって、いつも俺のことを案じてくれている。今は俺の方が、ずっと背は高くなってしまったけれど。
「うぉぉっ、なんかすげえ肉! こんなの、うちで食べたことないぜ!」
「ディーン、慌てなくてもびっくりするくらいいっぱいあるから大丈夫だよ。あ、間違えてお酒を飲まないようにね」
「何言ってんだよアッシュ兄、間違えるわけないって。うげえ苦い! なんじゃこりゃあ!」
浮かれまくっている少年チーム。俺も目覚めてから何も食べてなかったので、料理の香りを嗅ぐと、思い出したように空腹を自覚する。
◆ログ◆
・あなたは空腹で倒れそうだ……これから1時間ごとに、ライフが1減少します。
このログが出たのは、文字通り生まれて初めてだった。満腹度なんて、確認する必要もないほど、定期的に栄養を摂取することが出来ていたから。
「ヒロちゃん、お肉とってきたよ! お腹ぎゅーって鳴ってるから、いっぱい食べて?」
「……わたしは、お魚を持ってきた。ヒロト、食べれる?」
「のどに詰まらせないように、ゆっくり食べるのよ。飲み物なら、いつでも持ってきてあげるから」
リオナとミルテは皿に料理を取ってきてくれて、ステラ姉は飲み物を準備してくれる。このいたれりつくせりな状況を見て、他のメンバーは楽しそうに笑っていた。
※次回は明日0:00更新です。




