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第四十話 母と娘/王女の誓い

 ディアストラさんがその鎧の下に隠した、守護騎士として鍛え上げた身体は、俺を容易に冷静でなくさせるほど魅力的なものであることは間違いなかった。


 しかし俺は、母親とはいえ、フィリアネスさんの頬を打ったディアストラさんに、簡単に流されるわけにはいかなかった。


(俺にとって彼女が特別な存在だってことは、今さら確かめるまでもない。あの時、フィリアネスさんを追いかけるべきじゃなかったのか?)


 今更思っても遅い。けれど俺は、ディアストラさんが言葉通りに娘を嫌っているとはどうしても思えなかった。


 その違和感を確かめるために、俺はここに来た。男として求められていることに気付いていたが、もしそれを叶えるとしても、彼女には絶対にしてもらわなければならないことがある。


「あなたが夫を亡くして、自暴自棄になってる……とは言わない。魔王を倒さないと、この国が脅かされる。あなたは守護騎士として、役目を果たそうとしてるんだ」

「……私の心を見透かしたつもりか?」


 静かに俺を見る彼女の双眸には、冷たい輝きが宿っている。俺の言葉を否定せずに、ただ耳を傾けている。


「だからあなたは、俺が魔王と戦ったからって、こんなことを……」

「……おまえの強さを認めるには、それだけでも十分だが。フィルからは、おまえが皇竜を御したという報告も受けている。それも、今よりずっと幼い頃にな」

「そこまで話してくれるのに、フィリアネスさんを不用品だなんて言うのか……?」


 そのことに触れれば、きっと彼女を怒らせるだろうと思った。俺も頬を打たれてもおかしくはない。

 しかしディアストラさんは、何も言わずに俺から身体を離すと、ベッドに腰掛ける。長い金色の髪がさらりと流れて、彼女はそれを後ろに流しながら、どこか遠いところを見るように、視線を中空に向ける。


「……そうだ。聖騎士といえど、私にとっては、駒のひとつに過ぎないのだからな。私の言うことに従わないのなら、あんな娘など……」

「その先は言わないでください。フィリアネスさんが居ない場所でも、絶対に言って欲しくない」

「そんなことを決める権利が、おまえにあるとでもいうのか? つまらぬことを言うな。ここまで来たのならば、おまえも望んでいるはずだ。子供だから何も分からぬと、そんな目をして言うつもりもあるまい」


 見ぬかれている――俺が外見通りの十四歳相当ですらなく、それ以上に人生経験を積んでいることを。


 男女のことだってよくわかっている。しかしディアストラさんにとっては、俺なんてまだまだ、身体だけは大きい子供の扱いだろう。


「魔王に対抗するために、強い子供を残す。ディアストラさんはいわば、そのための道具として、俺を利用しようとしてるわけですか」

「……何も隠すつもりはない、そのとおりだ。おまえほど強ければ、私を前にして畏縮することも、無条件に従属することもあるまい。そのことは、想定の範囲内だ」


 ――駆け引きは、この部屋に入った時から始まっている。

 女の武器を使うだけで俺を籠絡出来るとは思っていなかったということなら、内心では安堵せざるを得ない。こんな綺麗な人に本気で迫られて、その気になるなというのは酷な話だ――定期的にフィリアネスさんや仲間たちの顔を思い出さなければ、欲望を律することが難しい。


「……ファーガスから改めて伝えられるだろうが、おまえに与えられる褒賞は、おまえが思っているよりも遥かに大きなものだ。言ってしまえば、おまえは領地を与えられる」

「領地……お、俺に? まだ、どこの馬の骨ともわからないのに……?」


 良いものが貰えるのかもしれないとは思っていたし、領地をもらえる可能性も考えてはいた。しかし現実にそうだと言われると、実感が湧いてこない。


「貴族の母の血を引き、父は公国にとって重要な任務を果たしている。血筋という意味では、おまえは領主を務めるには十分な器だ……そして。領主を経て、ゆくゆくは、この国の統治の一翼を担ってもらう」

「っ……そ、それは……」


 領主というだけで真偽を疑うほどなのに、ディアストラさんはこともなげに、それ以上のことを口にする。


「統治の一翼……つまり、ルシエが女王となった暁に、おまえには副王の座を用意する。そのことについて、円卓の誰もが疑義を持っていない。聖騎士であるフィルを従え、国を転覆しようとする魔王を撃退した。そのようなことが出来る者は、おまえ以外には居ないのだよ」

「お、俺は……フィリアネスさんを、従えてるわけじゃ……」

「私の目は誤魔化せない。フィルはおまえに従い、魔王と戦った……話を聞くだけで、そう断定できる」


 グールドの屋敷に潜入するとき、俺はパーティのリーダーとして振る舞った――つまり、フィリアネスさんも俺のパーティの一員だったということだ。

 ディアストラさんは長年の経験で、その事実を感じ取ることができるのだとしたら。彼女の言うとおり、フィリアネスさんが俺に従っていたと見られても無理はない。


「……しかしおまえほどの男に、領地に縛り付け、公国を守る盾となれと言っても、従わせることは難しいだろう。ならば私たちは、おまえに伏して乞わなければならない。いかなる要求にも応じよう」


 俺に迫っておいて、今度は、何でもするから力を貸してくれなんて。

 そして俺は、今になって気がつく――彼女も、俺という存在が急に頭角を現して、驚いているのだと。


「いかなる要求でも……本当に、いいんですか? 俺はわりと、強欲ですよ」

「……フィルが欲しいとでも言うつもりか? それなら私に許可を得る必要はない」

「い、いや……まだ、そこまでは考えてませんでしたが。俺が欲しいのは、あなたのほうです」

「っ……な、何を言い出すのだ。先ほどまで、心ここにあらずという顔をしていたのに、急に……」


 もちろんディアストラさんを抱きたいって意味で言ったわけじゃない。けど動揺するところを見ると、やはり本来の彼女は、烈女などではないと確信できた。


「……私を試しているのか? ならば、それ以上はやめておいたほうがいいな。それ以上続ければ、私はおまえの強さなど必要ないと切り捨てることもできる」

「試してなんてないですよ。俺は、確かめたいだけなんです」

「確かめる……?」


 ディアストラさんが怪訝な顔をする。俺はやはり、フィリアネスさんとよく似た彼女を憎むことはできない。


 ――そして、出来ることならば。フィリアネスさんのことを、安心させてあげたい。


 ディアストラさんが自分を憎んでいると思っているのなら、それは間違いだと教えたい。俺の手で、その事実を確かめる……!


「あなたは本当に、フィリアネスさんが嫌いなんですか……?」

「……嫌い、などという感情ではない。私の言うことを聞かないのなら、あのような娘など、初めから居なかったほうが……」



◆ログ◆


・あなたは「看破ディテクト」を試みた!

・《ディアストラ》は嘘をついていると分かった。



(ああ……やっぱり、そうだ。この違和感は……)


 ディアストラさんの振る舞いの端々に、隠しきれずにいたもの。


「……俺は、フィリアネスさんは、あなたのことを憎んでないと思いますよ。彼女は俺より強いのに、あなたの平手を避けなかった」

「……フィルが、おまえにそう言ったのか?」

「いえ。でも、それが分かるくらいには、彼女の近くにいたつもりです」


 俺もフィリアネスさんの全てが分かるとはいえない。俺にもまだ、彼女に言っていないことがある。 


 俺という存在が、どうやってこの異世界に転生したのか。


 そして初めて彼女と会った時に、何を考えていたのか……。


「私がおまえのことを初めて報告されたのは、4年ほど前……その時はまだ、おまえは小さな子供だったはずだ。しかし娘は、おまえに一目置いていた。年齢の報告が間違っていたのか……それとも、『成長せざるを得ないような出来事があった』のか……」

「……それなんですけど、実は魔王を追い払ったのは、俺じゃないんです。俺の仲間ではあるんですが」

「つまり……魔王との戦いで、何かが起きたということか? リリムは人間の生気を奪う力を持つというが……それを受けて生き長らえるなど……」


 さすがは経験が豊富なだけはある。リリムの力についても、彼女はある程度知っているようだ。


 ディアストラさんはきっとそれ以外にも、俺の知らないことを多く知っている。そんな人とは、簡単には上手くいかなくても、何としても仲良くしておきたい。


 それはもちろん俺だけじゃなくて、フィリアネスさんとも。


「俺は確かに、急に今の姿まで成長しました。それについては、また機会があれば話します」

「……いいだろう。しかしフィルが私を憎んでいないというのは、勘違いだ。私の娘に対する態度も、変えるつもりはない。そればかりは、おまえが何と言おうと……」

「俺があなたに求める見返りが、フィリアネスさんに優しくすることだって言ったら、どうします?」

「なっ……!?」


 常に落ち着いていた彼女が、似つかわしくない声を上げて立ち上がる。その拍子に大きく胸が弾む……こんな時になんだけど、本当に常識はずれな大きさだ。


「これはまた、俺の推測なんですが。あなたが魔王を倒すことにそこまでこだわるのは、あなたの大事な人が、魔王との戦いで……」

「…………」


 ディアストラさんは何も言わず、唇を噛み、自分の身体を抱くようにする。

 やはり、彼女の夫――フィリアネスさんのお父さんは、魔王との戦いで命を落としている。


「……そして。フィリアネスさんは、その人の遺志を継いで、魔王と戦おうとしている」

「……そうだとして、何が言いたい?」

「止めたいんじゃないですか、彼女を」


 思わず、声に力が籠もった。彼女ほど聡明な女性なら、俺が言わんとしていることを悟れないわけがないからだ。


 しかしディアストラさんはくだらないことを、と言うように肩をすくめて笑った。


「馬鹿なことを言うな。あの娘が勝手にしていることを、なぜ私が止める必要がある?」

「あなたが、フィリアネスさんのことを大事に思ってるからですよ」

「……分かったようなことを……っ!」



◆ログ◆


・《ディアストラ》は平手打ちを放った!

・あなたには効果がなかった。



「っ……は、放せっ……!」

「あなたが見込んだだけあって、俺は強いですよ。って言い方も変ですけどね」


 俺の恵体は153ポイント――306ポイントまでのダメージを無効化できる。

 そして今の俺には、ディアストラさんがいかに鍛えあげられた騎士であろうと、華奢な女性としか映らない。


「……いつでもこうすることができるというのに、私を泳がせたのか……悪趣味なっ……!」

「い、いや……違います。別に、力の差を見せつけたいわけじゃありません」

「くっ……そ、そんな馬鹿力で握っておきながら、何をいうっ……!」

「あっ……す、すみません……うわっ!」


 ディアストラさんの手を離すと、彼女は顔を真っ赤にして、俺の腹に当て身を打ち込もうとする――しかし。



◆ログ◆


・《ディアストラ》の攻撃!

・あなたには効果がなかった。



「くぅっ……ど、どういう腹筋をして……っ」


 今まで余裕だったディアストラさんが、顔を真っ赤にしてムキになっている。

 やっぱりフィリアネスさんのお母さんだな……と、微笑ましい気分になる。怒ったときの表情まで似ているのだから。


「……徒手空拳でも、その辺りの男など相手にならぬほど訓練してきた。だのに、おまえは……」

「もしディアストラさんがまだ強くなりたいのなら、俺にできることがあります。フィリアネスさんにも、してあげたんですが……」

「っ……まさか……フィリアネスが、さらなる力を得て戻ってきたのは……っ」


 俺はうなずきを返す。フィリアネスさんが『限界突破』を手に入れたこと、それを武人であるディアストラさんは、肌で感じていた――つくづく超人的だが、彼女の強さを見れば納得もいく。


「でも、それは……フィリアネスさんに謝ってもらうまでは、あげられません」

「……そんなことが出来るものか。娘は私の言うことなどまったく聞かず……」


 これから、長い間の確執について聞かせてもらえるのか――と思いきや。


「剣の練習は危ないからしてはいけないと言ったのに、あまりせがむから仕方なく騎士学校に入れてやった……あの子は、誰もが目を疑うような成績を残して……私は、それを一度も褒めてやらなかった……っ!」


 ディアストラさんの言葉は、俺が想像した以上に、母が娘を想う気持ちにあふれていた。

 フィリアネスさんたち母娘おやこは、ごくごく些細なすれ違いをしていただけなのだ。それを打ち明けられてしまえば、あとは、二人で歩み寄るだけだ。まだ、少し時間がかかるとしても。


「……夫の無謀なところばかりを引き継いで、私の言うことを聞かない。あんな娘は要らない……生まなければ、こんな思いをすることはなかったのに……」

「……その気持ちを全部言わずに、傷つけるようなことだけを切り取って言っても、二人とも、悲しいだけじゃないですか」


 触れていいものかどうなのか迷った。拒否されてもおかしくはない、そう思った――しかし。

 俺がディアストラさんの肩に手を置いても、彼女は振りほどいたりはしなかった。


「私は決して謝らない。謝れば、私は娘が仇討ちのために魔王と戦うことを、肯定しなければならなくなる。戦うのは、あの子でなくていい……私や、それ以外の人間でかまわないはずだ」

「……そうかもしれない。俺も、彼女が危険な目に遭うのは嫌だ。でも同じだけ、フィリアネスさんの強さを信頼してるし、尊敬してる。もし戦わなきゃならないなら、そうしなきゃ守れないものがあるのなら、俺は彼女と一緒に戦いたい。彼女自身も含めて、大事なものを守るために」


 気持ちをそのまま言葉にして、真正面からぶつかる。ここからは、彼女に俺を信じてもらえるかどうかだ。

 俺を見つめる碧眼は、フィリアネスさんと同じ色をしている。彼女の手が、俺の胸元に縋りつくように服をつかむ。


「……まだ青いといったが、訂正しよう。おまえはもう、一人前の男のようだ」


 気持ちが通じたのか――そう戸惑う俺を見て、ディアストラさんは、驚くほどに柔らかい笑顔を見せた。


「おまえの子が欲しいと言ったことは、忘れてほしい。おまえが私の娘をどう思っているのかは分かった……それでもおまえに迫れば、私は年甲斐のない色情魔になってしまうからな」

「……ディアストラさん」


 顔を赤らめて言う彼女を見ていると、少し前までの態度が信じられなくて戸惑ってしまう。フィリアネスさんの魅力的に感じる部分のいくつかは、母親譲りなのだ――そう確認させられて。

 何より俺の意識をとらえてやまないのは、母性92なんていう、最強クラスと言うしかない慈悲の象徴だ。


「ふふっ……おまえは分かりやすいな。そんなに気になるのなら、触れさせたときにもう少し意識してほしいものだが」

「っ……す、すみません。どうしても、大きいなと思って……あまり見られたら嫌ですよね」

「何を言うか……見られるのが嫌ならば、こんなところには連れてこない。何か勘違いしているかもしれないが、私は先程まで、本気でおまえを抱こうとしていたのだからな」


(だ、抱く……女の人の方から、そう言われる日が来るとは……)


 本当に、女傑もいいところだ。しかし彼女が良いと言ってくれるからといって、胸ばかり見ていてはいけない。


 いけない……んだけど。


 いけないはずなのだが……!


(ガーディアン……守護スキル……ガーディアン……みんなを守るミルクが欲しい……!)


「……あ、あの。怒らないで聞いてくれますか」

「怒る? 私が何を怒るというのだ。もう、怒りなど通り越してしまった……おまえの遠慮のなさは腹立たしくもあるが、それ以上に、好ましく思うところでもあるからな」


 ディアストラさんは清々しい顔をして、鎧を身につけ直そうとする。いや、胸のところに装甲がないので、身につけてもらっても構わないのだが……だがしかし……!


「お、俺は……ディアストラさんも、その、今以上に強くなれた方が良いと思うんです」

「……フィリアネスの得た力を、私にも与えてくれるというのか?」

「は、はい。でも、何ていうかその、俺もそういう意味では、交換に欲しいものがあるというか……っ」

「ふふっ……交換条件ということか。いいだろう、何が欲しい?」


 ディアストラさんは微笑むと、立ち上がって俺のほうにやってきた。


「何か迷っているのならば、こちらに来い。ずっと立っていて疲れただろう」


(な、なんかめちゃくちゃ優しい……もしかして好感度が上がってたりするのか……?)



◆情報◆


名称:ディアストラ・シュレーゼ

関係:あなたに運命を感じている



(えぇぇぇぇ!?)


 旦那さんが亡くなって、娘さんがその意志を継いでいるという真剣極まりない話をしていたのに、その間にガンガン好感度が上昇し、こんなことになっているとは……。


 必死で説得した甲斐があったのだろうか。この状態なら、だいたいのお願いは聞いてもらえてしまいそうだ。


 そして、俺が見た情報ログが事実を示していることは、すぐに彼女の行動で確認できた。彼女に手を引かれてベッドに座ると、隣に座ったディアストラさんは、こともあろうに、俺の肩に頭を寄せてきたのだ。


「……少し、疲れてしまってな。こうして誰かの肩を借りるのは、久しぶりだ」


(……そうか。ディアストラさんほどの女傑でも、男性の肩を借りたいことはあるんだな)


 もうその気はないはずなのに、ディアストラさんは俺に寄りかかったままで胸元を緩める。するとこの角度からは、谷間の始まりのカーブがばっちりと見えてしまう。


 全体が見えるより、少しだけ見えた方が想像力をかき立てられるのは俺だけではないだろう。しかし、よこしまなことは考えてはいけない。この人は、俺が大切に思っている人の母親なのだから。


「……それで、私が怒るかもしれないこととは、なんだ?」

「っ……え、えっと……その……す、少しでいいので、胸に触らせてもらいたいというか……」


 ぴくっ、とディアストラさんが身じろぎする。まずい、怒らせてしまった……!


「……ひとつ言っておくが、フィルのことが大事なのだろう。娘も、おまえのことを憎からず思っているどころか、信頼しきっている様子だ。それで私に、そのようなことを頼むというのは、あまり褒められた行為ではないぞ?」

「は、はいっ……すみません、出来心でした、フィリアネスさんには言わないでください……!」


 いきなりとことん弱くなる俺。そうだ、こんなことお願いしちゃいけないに決まっている。いくら触れるだけとはいっても、好感度が高くても、お願いしてはいけない相手もいるのだ。


 フィリアネスさんが大事だという気持ちを、ディアストラさんも理解してくれたので、俺に好意を持ってくれているのに……それを裏切るようなことをしたら、怒られるに決まってる。


「しかし……私はフィルに対して優しくしてやることはまだできないが、おまえになら任せられる。つまりそれは、私とおまえは、秘密を共有する関係ということだ」

「は、はい……でも俺、フィリアネスさんには言いますよ。お母さんが、本当はどう思ってるのか」

「……そうか。娘も言うことを聞かなければ、その相手も……ということか。似たもの同士なのかもな、おまえたちは」


 ディアストラさんは苦笑しつつも、絶対に俺の告げ口を止めるとまではいかなかった。

 言うのならば、言えばいい。そう開き直った彼女は――今までで一番、母親らしい顔をしていた。


「どちらにせよ、私はおまえに力を与えてもらいたい。そんなことが出来るのは、もはや神のみわざと言わざるを得ないが……この身体を鍛えあげても辿り着くことが出来ぬとあきらめた境地に行けるというのならば、私も武を志した者として、一も二もなくそれを求める。どんな代償を払おうとも」


 ――それは、フィリアネスさんが考えていたことと同じだ。成長に限界を感じれば、誰もが思う、この殻をどうしたら破れるのかと。


「……分かりました。俺も同じ理由で、自分にない力を求めてるんです」

「それを、私からおまえに与えられるとでもいうのか?」

「はい。あることをしてもらえば……」


 躊躇すれば、逆に不信感を与えてしまう。俺は本当に久しぶりに、交渉術スキルを一つずつ使っていく。



 ◆ログ◆


・あなたは《ディアストラ》に「依頼」をした。

・《ディアストラ》は頬を赤らめた。



「……それは、怒らせるかもしれないと思うわけだ。しかし、それでおまえは、何かを得ることができるのだな」

「す、すみません……」

「私がまだ母親として現役だと思っているわけではあるまいが……しかし、おまえができるというなら、できるのだろうな。私の母としての力を、お前に与えることが」


 俺が根拠にしているのは、あくまで「母性」の数値だ。20を超えた瞬間、世界が変わる――俺にとって。


「……いいだろう。しっかりとした意味があるのならば、私もむげに断りはしない」

「っ……い、いや、俺がスキルをあげるだけでもいいです。交換なんて、ほんとはおこがましいっていうか……普通ダメだって分かってますから」

「何を言うか、これはおまえにとって必要なことなのだろう? 遠慮することはない。先ほどはああいったが、あれは私もいちおうフィルの母なのだから、諭しておくのが筋だと思っただけだ」


(一度気を許してもらうと、すごく優しい……や、やばい。身体が大きくなったのに、甘えたい気持ちが……)


 成長したフィリアネスさんというほどそっくりではないけれど、想像はしてしまう。お母さんになったフィリアネスさんは、今のディアストラさんと同じかそれ以上に、慈愛に満ちているのだろうと。


「……し、しかし、私も夫を亡くしてから、それなりに時間が経っているのでな……こう、改めて頼まれると、それなりの心構えが必要になる……触れるだけといっても、ふだんすることのない関わりなのでな」

「す、すみません。じゃあ、日を改めても大丈夫です。俺、三顧の礼は得意ですから」

「い、いや。日を改めれば、それこそ次の機会がいつになるか分からない。私も立場があるので、簡単におまえに会いに行くわけにもいかぬのでな……決行するならば、今がいいだろう」

「あっ……い、今からで、ホントに……っ」


 本当にいいんですかと言う前に、ディアストラさんは俺に背を向け――そして、最後の装備を外していった。



◆ログ◆


・《ディアストラ》は防具の装備を解除した。



 布鎧を上から脱いでいくと、白い肩があらわになる。背中を向けているから見えないだけで、振り返れば、上半身を覆うものは何もない。


 彼女が言っていた通り、この部屋の高い位置にある窓を開いたならば、それは幻想的な光景になるのだろう。昼の光の下でも、その金色の髪に見事に天使の輪ができて、髪の先までさらりと煌めきが流れていく。


 ゆっくりと胸を押さえたままで振り返った彼女を見て、俺は、迫られていた時に感じなかった感情を覚えていた。


「……本当なら、何もせずに行かせるべきなのだろうが。私は元から、できた母親ではないからな」

「っ……!」


 手を外した途端に、金色の髪がさらりと流れて、白い坂を滑り落ちていく。

 金色の髪の間からわずかに顔を出したその部分は、桃のように色づいている。俺は思わず喉を鳴らし、それを見たディアストラさんは、こともあろうに、最後の覆いとなっていた金色の髪を、自ら後ろに流してしまった。


 それを見た俺は、大きいということが正義なのだと悟った。小さくてもいいところが確かにある、存在するだけで幸せな気持ちになる、そんな理想論を圧倒的な質量が押しつぶす。


「……鍛えればふつう小さくなるものらしいのに、なぜか大きくなってしまう。泣き言は言いたくないが、戦うにはあまりにも邪魔だ。娘も私によく似てしまった……さぞ、私のことを恨んだだろう」

「フィリアネスさんは、一度もお母さんの話はしませんでしたよ。好きだとも、嫌いだとも言ってませんでした」

「そうか。そうだろうな……あの子は、そういう子だ」


 優しく微笑みながら、ディアストラさんは視線で俺に触れることを許してくれる。俺は手に意識を集中し、光輝き始めたディアストラさんの胸にそっと触れた。


 ◆ログ◆


・あなたは《ディアストラ》から「採乳」した。

・「守護」スキルが獲得できそうな気がした。


 一度目ではスキルは上がらない。俺が少し物足りなさそうにしているのを察したのか、ディアストラさんも少し申し訳なさそうにする。


「……大きな子供をあやしているようで、少し照れるな……そういう趣味はないと思っていたのだが……」


 ディアストラさんは俺をベッドに連れていくと、俺を先に寝かせて、彼女も向き合うように寝そべる。


「しかし、おまえならば、息子と同じ……いや、まだ娘に何も言っていないのに、そんなことを言う資格はないか……しかし今は秘密で、愛でてやろう」


 ディアストラさんは自分から、胸に手を添える――そして。


 ◆ログ◆


・《ディアストラ》は「搾乳」をした。


 まさか、自分から搾りだしてくれるなんて――俺はそれを手で受けて、ありがたく飲ませてもらう。


 ◆ログ◆


・あなたは「守護」スキルを獲得した! あなたは目に映る全てを守ると誓った。


(やった……!)


「ふぅ……うまくいったようだな。わかっていると思うが、フィルの他には、おまえが初めてだ」

「考えてみればそうですよね……俺、やっぱり酷い奴かもしれません」

「そんなことはない。いくつになっても、気に入った男に求められるというのは嬉しいものだ。私は少なくともそう思うがな」


(何を言っても、絶対に許してくれる気がしてきた……こんな人がフィリアネスさんをぶったなんて、今にしてみると信じられないぞ)


「あ、あの。もしかしてフィリアネスさんを叩いたこと、後悔してたりしませんか」

「……それは、娘が私の気持ちを理解しようとしないからだ。魔王を撃退したことも褒めてやりたくはあったが、同時に、なぜそんな危険を冒すのかという気持ちもあった。娘に対しては……私は、どうしていいのか分からなくなる。私ではなく、今はもういない夫ばかりを思慕しているようで……」

「そんなことないですよ。ほんの少し歩み寄るだけでいいんです。次は、考えてることを少しでも素直に言ってあげてください」


 遥かに年上の相手に教え諭すというのも、本来は遠慮すべきことだが、言わずには居られなかった。

 彼女はしばらく考えているようだったが、俺の胸に手を置くと、撫でながらつぶやく。


「……いつの間にか、立場が逆転している。私が、おまえに説教をされるとは……しかし、悪い気はしないな」

「ありがとうございます。本当は、怒られないかビクビクしてますからね」


 冗談めかせて言うと、彼女も楽しそうに笑う。もはや、完全に打ち解けたと言っていいだろう。

 一刻も早くフィリアネスさんの後を追いたい気持ちはあるが、スキルをくれたディアストラさんには、俺からもお礼をしなければいけない。


「今度は、俺の方ですね……」

「……いや。今は、まだいいだろう」

「え……でもさっきは……」


 立場上、簡単に会うことはできないから……と言っていたのに。心境の変化があったんだろうか。


「これ以上、引き止めるのも娘に悪い。ただでさえ、当て付けのような形でおまえを連れてきてしまったからな。あまり趣味の悪いことをするものではないと、自分に言い聞かせておかねばな……」

「……分かりました。やっぱり、あなたはフィリアネスさんのお母さんだ」

「……性格が悪い母親、の間違いではないのか? 初めはそう思っただろう。自分でもそう思うのだから、無理もない」


 全部自覚していて、あんな振る舞いをしてたのか……そこまでして、演じる必要はないのに。


 俺が『円卓』に加わることが出来れば、この国を守る役割の一端を担えれば。ファーガス王と並んで、この国を背負ってきた彼女の重責を、軽くすることができるだろうか。きっとそうすれば、ディアストラさんとフィリアネスさんが和解する日も遠くはない。


(俺が仲を取り持つことが出来ればな……そう、簡単にもいかないか)


「俺がフィリアネスさんに本当のことを言っても、ディアストラさんは、今まで通りでいるつもりですか?」

「……ここでおまえと話したことで、もう変わっている。おまえが居なければ、私は今まで通り、魔王と戦おうとするフィルに怒りをぶつけることしか出来なかった。しかし……これからは……」

「……一緒に、お父さんの遺志を継ごうと言ってあげてください」


 ディアストラさんはベッドの上で身体を起こす。そして、頬に伝った涙を拭った。


「もう、行くといい。私も後から行く……ルシエの一行が首都を周り終えて、そろそろ王宮に戻ってくる。彼女の晴れ姿を、見てやってくれ」

「はい。ありがとうございました、ディアストラさん」

「……そんな挨拶で別れることになるとは、ここに来るときは思ってもみなかった。おまえは、不思議だな」


 布鎧を着直しながら、ディアストラさんが言う。全ては交渉術の力だとサムズアップしたいところだが、今はただ一礼して部屋をあとにした。



◇◆◇



 中庭が見えるバルコニーに向かうと、皆が観覧席に座り、既にルシエが演壇に立ったところだった。

 観覧席にいるのは、ウェンディ、麻呂眉さん、モニカさん、リオナ、ミルテ、ステラ、アッシュとディーン、そしてミコトさんとフィリアネスさんの姿もあった。ユィシアは上空から見るとのことで、遥か高高度の空から見下ろしている。


 フィリアネスさんの頬の赤みはもう引いていた。マールさんとアレッタさんが傍にいるから、きっとアレッタさんが手当てしてくれたんだろう。


 式典に出るためのドレスを着て髪を結い上げた彼女は、その横顔に見とれるほど綺麗だった。その視線に気付いても、彼女は少しさびしそうに微笑むばかりで、俺のところに来てはくれない。


「王女さま、きれい……」


 隣に座ったリオナが、憧れるようにつぶやく。ルシエはリオナより2歳上だが、王家のティアラを身につけ、光沢のあるビロードのドレスを身にまとったルシエは、歳よりも一回り大人びて見えた。


 彼女は話し始める前に俺の方を見やると、微笑んでくれたように見えた。その度胸には驚かされる……中庭に集まった貴族、騎士団の重鎮といった人々の視線を一身に浴びて、それでも落ち着いているのだから。


「ルシエ殿下……ああ……」


 自分のことのように緊張しているイアンナさん。ルシエはひとつ息をつくと、よく通る声で話し始めた。


「このたびは、お集まりいただきありがとうございます。イシュア神殿において洗礼を受け、王族としての名を与えられました、ルシエ・リシエンセス・ジュネガンと申します」


 俺たちとは違う、もう一つの観覧席――王族が座る席に、ファーガス王の姿がある。威厳を感じさせる風貌はさすがというところだが、彼はルシエの姿を見て、その瞳を潤ませているようだった。


「私は現在に続くジュネガン公国の祖である、西王家の出身です。西王家の開祖、ファーガス一世に助力した勇者たちのうち、ひとりの血を引いております」


 ただ、ルシエが王族として認められたことを祝う場である――そう思っていただけの人々が多いことは、見ればわかった。


 何の話が始まるのか――それを予測できているのはおそらく、ファーガス陛下やディアストラさんと一緒に円卓を囲んだ人間と、そして俺……あとは、フィリアネスさんだけだった。


「……皆さんに、悲しいお知らせをしなくてはなりません。公国南部を統治されていたグールド公は、魔王リリムに操られ、私の身を脅かそうとしました。彼は、リリムによって命を奪われ、その亡骸を操られていたのです」


 集まった人々の誰もが驚愕を顔に出す。祝い事の場に似つかわしくない、人々にとって恐怖の意味しか持たない『魔王』という言葉、そしてグールドが没していたという事実が、会場の空気を凍りつかせる。


 ルシエにはまだ、こんなことを話させるのは重すぎるのではないか――なぜ、ファーガス陛下はこんな話をさせるのか。


 そんな俺の考えは、ルシエ自身の言葉で杞憂に変えられた。


「この国はこれまでも、これからも、魔王に決して屈することはありません。私は成人した暁には、ファーガス陛下のあとを継ぎ、王の冠を戴きます。私の治世で、魔王との戦いが終わるのかは分かりません。しかし、いつかそうなるよう、私を救ってくれた方々の力をお借りして、戦ってゆきたいと思っています」


 大人しく、奥ゆかしくて、そんな大胆なことは言えない女の子だと思っていた。

 ――それは、俺の思い込みだった。ルシエは女王になるにふさわしい器の持ち主だった。

 演壇の上から、集まっている人々と一人ひとり目を合わせ、怖気づくことなく、決意を口にする――それも、彼女が臣民を本気で案じているからこそできることだ。


 ディアストラさんは、そんな彼女を支える副王となれと言った。

 ルシエ自身も、魔王と戦う力を持っている――魔杖を持つことが出来るのだから。三つの武器を使うことが出来れば、きっと、魔王との戦いは終わらせられる。例え何度復活するとしても、一時の安寧は得られるはずだ。


(……リオナの魔王化は進んでない。それに、リオナは俺を守るために力を使った……だから、大丈夫だ)


「ヒロちゃん……?」 

「……少しだけ、こうさせてくれ」

「うん……わかった。ヒロちゃんの手、あったかい……」


 俺は隣に座るリオナの手を握っていた。目に映る全てを守ると誓う――「守護」を手に入れたときの文言が、もう一度俺の脳裏によぎっていた。


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