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第三十九話 公国の守護騎士

 王城の門をくぐるとき、俺たちは衛兵たちの敬礼を受けた。赤、青、白、黒の四色の鎧を身につけた兵士たちが、全て勢揃いしている――どうやらヴィクトリアは表立って離反したわけではなく、グールドに協力した黒騎士団員も咎めを受けなかったようだ。後で問題になるのかもしれないが、俺としては今のところはどちらでもいい。ヴィクトリアは俺たちに協力すると約束してくれたので、特に悪感情はないし、十分すぎるほどお仕置きもしたのだから。


 ジュネガン公国の王城の前庭は、『回』の字を描くように石造りの回廊で囲まれている。その中央に、演説を行うために使われるのか、円形の舞台がある。あの上に立てば、集まった人々全ての視線を集めることになる――おそらく、二千人は軽く観覧できるだろうか。大人しく、少し引っ込み思案にも見えたルシエが、どんな演説をするのか。今から自分のことのように緊張してしまう。


 演説の観覧客には料理や酒が振る舞われるようで、城で働く人々があくせくと動き回っていた。大勢の客に給仕を行うために、侍女も数が多く、見目麗しい女性たちが額に汗して働いている。中には、スーさんと同じようなメイド服を着ている女性もいる。城にもメイドさんは勤めているようだ。それを見て一番興味をそそられている様子なのは麻呂眉さんだった。


「ヴィクトリアン・メイドのクラシックなスタイルが、異世界でも採用されている。ヒロト君、興味深いと思わないかい? メイドというものは、どのような文化形態においても、同じ進化を遂げるものなのかもしれない。服装も含めてね」

「それは確かにな。メイドの仕事の内容が一緒なら、似たような経緯で発展するってこともあるんじゃないか」


 普通に受け答えをしたつもりだが、麻呂眉さんは何やら嬉しそうにしている。仮面から覗いた艶やかな唇――その口角が、ほんの少し上がっていた。


「成長したことで、口調も子供っぽさが抜けたようだね。私は、それが君の自然な姿だと感じるよ」

「ま、まあ……身体が大きくなっても子供っぽい口調じゃ、その方が違和感あるしな」

「君の寿命が奪われてしまったかもしれない、という危惧はある。しかし、それもこの世界でならば、解決できない問題ではないだろう。今は成長したことのメリットを、前向きに捉えていきたいね」

「ああ、そのとおりだな。ありがとう、心配してくれて」


 饒舌になった麻呂眉さんを見ていると、彼女も色々我慢していたんだなと思う。何だかはしゃいでいるみたいに見えて、こちらまで嬉しくなってしまった。



 ◇◆◇



 回廊の屋根は尖頭アーチ構造になっており、中世のゴシック建築に近いものを感じさせる。回廊を抜けた先にある王宮の外見も同じで、高い尖塔が幾つも立ち並んでいて、見るからに荘厳な姿をしていた。


 王宮に入ると、赤い絨毯の敷かれた長い通路の脇に、何百人という兵士が並んでいた。マールさんとアレッタさんは慣れたもので落ち着いているが、それはフィリアネスさんのお付きをしているから、こうした出迎えには慣れているということだろう。フィリアネスさんは功績を上げて、グールドの計略の一環として利用されてしまったとはいえ、領地を与えられるほどなのだから。


 玉座の間に向かう階段を上がる前に、案内役のスーさんが立ち止まる。そして、俺とマールさん、そしてアレッタさんだけを呼んだ。


「私のお役目はここまでです。これより、観覧席に他の皆様をご案内します。坊っちゃん……いえ、ヒロト様と騎士団の方々のみ、公女殿下の演説をご観覧になる前に、玉座の間に招聘されております。公王陛下による直接の申し入れです」


 命令ではなく、申し入れ――つまり、俺のしたことが、公王陛下の耳に入っているということだ。

 俺たちは南王家の人間で、公爵であるグールドを討った。おそらくフィリアネスさんが、グールドは以前からリリムによってアンデッドに変えられていたと説明してくれているだろう。


 それを、公王陛下がどう思うのか――どんな理由があっても、アンデッドになっていても、グールドと戦ったことを罪と見なすか、それとも。


「ヒロトちゃん……あのね、一つ言ってなかったことがあるんだけど。今、雷神様の……」

「……玉座の間には、フィリアネス様の母君がいらっしゃいます。公王陛下の守護騎士ガーディアンとして」

守護騎士ガーディアン……フィリアネスさんの、お母さんが……?」


 新しい職業――ナイト系の上位職だろうか。パラディンとも違う派生があるというのか……この世界には。

 そして聖騎士フィリアネスに母親がいるなんて話も聞いたことがない。


 しかし、考えてみれば、彼女の家族のことを俺はほとんど聞いていないし、母親がいて公国の要職に就いていてもなんら不思議はない。


(でも……二人とも、どうして浮かない顔をしてるんだ?)


「……ううん、ここで迷ってても仕方ないよね。ヒロトちゃんなら、きっと……」

「はい。ヒロトちゃん、行きましょう。公王陛下によるじきじきのお招きです。公国の臣民にとって、これに勝る栄光はありません」


 臣民か……そういう感覚は、あまり無かったが。このジュネガン公国が、俺の祖国であることは間違いない事実だ。父さんと母さんの国――ここに生まれたことを、俺は誇らしく思う。


「褒めてもらうようなことをした覚えは、ないんだけどな」

「そ、そんなわけないじゃない! ヒロトちゃん、自分のしたことがどれだけ凄いかおわかりでない!?」

「すごい……でも、それくらい落ち着いていたほうが、公王陛下も一目置かれると思います。そんなことになったら、ヒロトちゃんは……」


 公王に一目置かれると、どんなことになるのだろう……まさか、領土をもらえたりしてな。いや、それはさすがに話が上手く行きすぎか。


 ――どのみち、行ってみるしかない。正直なところ、俺は公王陛下――もとい、公王と話すことに、大して緊張などしていないのだ。


 交渉スキル100に達すると、ゲーム時代は公王と普通に、他のNPCと同じように交渉をしたり、会話をすることが出来たのだから。「交換」で公王の装備を剥ぎ取ることだって出来たのである。公王が欲しいものと交換しているのだから、チートと言われるほどの行為でもない。


「とりあえず、陛下のお話を伺ってみないと、どう評価されてるか分からないしな。行ってみようか」

「この頼もしさだったら、私でもヒロトちゃんの腕にぶらさがれそうな感じするよね。やってみていい?」

「マールさん、こんなときに無邪気に遊ばないでください。ほら、襟が曲がってますよ、ちゃんとしないと」

「そうだ、おめかししてたんだった。いっけない、髪とかだいじょうぶ? ぴょこって出てない?」


 実を言うとマールさんはよくアホ毛が出ているのだが、今日はしっかり整えられていた。こうして見れば彼女も、落ち着いたお嬢さんに見えなくもない。そんな彼女がメイスを持たせれば鬼神というのも、本当に異世界の奥深いところだ。



 ◇◆◇



 ――しかし、マールさんとアレッタさんが明るかったのは玉座の間に入るまでのことだった。

 玉座に座っている人物を目にした瞬間、二人が目に見えて緊張する。

 ファーガス陛下ではない――男性ですらない、玉座に座っているのは女性だった。


(どういうことだ……ファーガス陛下は、どこに居るんだ?)


 疑問に思いながら、俺は長い絨毯の上を歩く。途中で立ち止まると、玉座に座る女性が手をこちらに伸ばし、しなやかな指を内側に曲げる。


「マールギット、アレッタ。お前たちは、そこで控えているがいい」

「は、はいっ……!」

「……かしこまりました」


 マールさんとアレッタさんが完全に畏縮している。それほどの相手っていうことか……おそらく、彼女は……。

 考えているうちに、俺は彼女の視界に捉えられていた。この距離でも分かる、興味と好奇心を隠さない視線が、俺の全身をすべっていく。

 その無遠慮な視線を、傍らで見て表情を陰らせているのは――フィリアネスさん。彼女はまるで貴族の令嬢のように白いドレスを着て、金色の髪を編みあげて、輝くような美しさを俺に見せてくれていた。豊かな胸から腰に至るまでの芸術的な曲線は、ふわりと身体を包むような上品な風合いのドレスでもまるで隠しきれていない――本当に、なんてスタイルなんだろう。

 そんな彼女が辛そうな顔をしていることが、俺には耐え難い苦痛に感じられてならない。


「ヒロト・ジークリッド。そのまま前に出ろ」


 フィリアネスさんに良く似ているが、聞く人間を常に挑発し続けるような声だった。しかし、耳に入ってくるときの艶やかな響きが、同時に男としての本能までを誘惑する。


(この人が、フィリアネスさんの……大変な不敬にあたることを、なぜみんな許してるんだ……?)


 玉座の間にいる侍女と、騎士は全てが女性だった。出入口を槍を持った女騎士が塞ぎ、外からは人が入って来られなくなる。


 俺は久しぶりに「カリスマ」をアクティブにする。玉座に座る人物のステータスを確かめるために。



 ◆ログ◆


・あなたは「カリスマ」をアクティブにした。

・「カリスマ」が発動! 《ディアストラ》があなたに注目した。



 目的の人物以外にもカリスマが発動して、無数のログが流れていく。総計17人にカリスマがかかったが、今はそれよりも、「彼女」のステータスが気になる。



 ◆ステータス◆


名前 ディアストラ・シュレーゼ

人間 女性 38歳 レベル62


ジョブ:ガーディアン

ライフ:1060/1060

マナ :816/816


スキル:

 剣マスタリー 84

 盾マスタリー 72

 鎧マスタリー 100

 白魔術 55

 守護 93

 指揮 83

 恵体 85

 魔術素養 66

 気品 88

 母性 92

 房中術 35


アクションスキル:

 薙ぎ払い パリィ 連続斬り

 烈風剣 切り返し 斬鉄剣

 閃空破 壊音剣

 大盾 シールドバッシュ

 キャストオフ

 治癒魔術レベル5

 かばう 肉盾

 号令 布陣 鼓舞 突撃

 演説

 授乳 子守唄レベル2 搾乳 説得 童心

 魅惑の指先


パッシブスキル:

 剣装備 剣攻撃力上昇 両手持ち

 盾装備 盾効果上昇レベル4

 鎧装備 重鎧装備 鎧効果上昇レベル5

 回復上昇レベル2

 防御強化レベル5 パーティ物理防御上昇

 パーティ魔術防御上昇

 指導 指揮レベル3

 マナー 儀礼 風格 威風

 育成レベル2 慈母 子宝

 艷姿 芳香



(強い……でも、フィリアネスさんの方が攻撃力は高い。守護騎士は、守備に特化しているのか)


 守護スキルは非常に魅力的だ……味方を守り、ダメージを軽減するスキルが充実している。どれくらい軽減出来るのか分からないが、パーティの物理と魔法防御に対して常時支援効果があるとは……。


「聞こえなかったのか? 遠慮することはない、私の目の前まで来たまえ」


 男性のような口調は、どこかヴィクトリアにも影響を与えたのではないかと思わせる。しかし、ヴィクトリアとは違う性質――傲岸不遜というのか。そんなふうに感じさせる話し方だった。


 そう、言うなれば、公王ではないはずなのに玉座に座る彼女を、俺は『暴君』のようだと思っていた。


「ふふっ……なかなか精悍な顔つきをしている。しかし、身体は成熟していても、まだ青さは残っているようだ」

「っ……母上、今はそのようなことはっ……」

「フィル、お前には話していない。黙ってそこで見ているがいい」

「っ……!」


 フィリアネスさんの母親……この人が。シュレーゼという名前を見た時に感じていたが、まさか、公王の代わりに玉座に座っているとは思いもよらなかった。


 フィリアネスさんと同じ、長くさらりとした金色の髪を持ち、頭にはサークレットをつけている。傍らに二人の女騎士がいて、それぞれに盾と剣を持っている――盾の方は、大人の全身を覆うほどの大きさを持つカイト・シールドだった。表面には、ジュネガン公国の紋章が刻み込まれている。


 俺がある程度近づくと、ディアストラさんは席を立ち、俺の目の前にやってきた。

 薄く常に微笑んでいるが、眼の奥は全く笑っていない。身につけた鎧は娘であるフィリアネスさんと同じように、胸の大きさゆえか、胸回りが布で作られている。あまりに目につきすぎる――しかしそこを見ないようにする俺の反応を、彼女は楽しんでいるように見えた。

 フィリアネスさんからは凛としていながらも、包み込むような優しさを感じる。しかし母であるディアストラさんは、力のある瞳をしているのに、気を抜けば向こうのペースに引き込まれ、飲み込まれてしまいそうな危険さを感じた。


(これが大人の余裕ってやつか……どうやら、期せずして正念場みたいだな)


 ここで弱さを見せれば、食われる。それくらいの気持ちで臨まなくてはならないと、俺の勘が警告している。


 何より、フィリアネスさんに辛辣な言葉を浴びせるのなら、例え母親であっても、簡単に気を許してはやれない――それどころか、敵視してしまいそうになる。


「ふふっ……フィル、上手く手なづけているようだな。ジークリッドの目を見たか? お前のことをよほど気にかけていなければ、こんな苛立たしい目はするまい」

「も、申し訳ありません。失礼をお詫びします……ディアストラ様」


 敬称をつけるべきか迷ったが、あえてつけることを選んだ。名乗っていないのに名前を呼ばれた彼女は、かすかに目を見開いたが、艶やかな唇に人差し指を運ぶ。それは見たことがある――昔、爪を噛む癖があった人が見せる仕草だ。


「どうやら、一筋縄ではいかぬらしい。私の名は公にはしていないはずだ……どこで聞いた? 娘が軽々しく話でもしたか。ならば、後で罰してやらなければならん」

「……いや。簡単な推理ですよ。フィリアネスさんに聞いたわけじゃない、それは断言します」

「ほう……推理か。煙に巻くような言い方は気に入らんが、許そう。私は骨のある男が嫌いではないからな」


 彼女のことをどう表現していいのか、適切な言葉が見つからなかったが――今、ようやく見つかった。

 そう……彼女のような人こそ、「女傑」と呼ぶにふさわしい。


「ジークリッド、お前の功績については娘から報告を受けている。私の言うことに逆らってばかりの不用品だと思っていたが、今回のことばかりは良くやったと褒めてやりたい。魔王リリムを撃退し、不死者と化していたグールドを討った……そのことについては、この国の誰もが賞賛以外の言葉を持たぬだろう。私も、ファーガスも例外ではない」


 「不用品」という言葉を耳にしたとき、フィリアネスさんが見せた反応を俺は見逃さなかった。怒りが炎のように揺らぐが、今はまだ、感情に身を任せてはいけない。


「……その玉座は、ファーガス陛下のものであるはずだ。なぜ、貴女が座ってるんです?」


 ずっと気になっていたことを尋ねると、玉座の間に緊張が走る。控えている侍女の中には、何て恐ろしいことを、という顔をする人もいた。


 しかし当のディアストラさんは微笑んだままだった。腕組みをして俺を見やると、フィリアネスさんよりも一回り大きな乳房が腕に乗り、柔らかく形を変える。一つ一つの仕草に、彼女の女としての自信が満ち溢れているようにも見えた。


「ファーガスは公王を名乗ってはいるが、その実は、王家というものの象徴でしかない。ジュネガン王族の頂点に立つ西王家、その中では男が極端に生まれにくい。ファーガスはそれゆえに王位に就いた……もちろん、王として何の力も持たぬわけではないがな」

「……実質は、あなたが王のようなものだということですか?」


 そういうのを僭主と言うんじゃないのか――なんて、攻撃的に切り込んでいくばかりでも意味がない。

 ジュネガン公国の統治のあり方は、俺が思っていた形とは違っていた。王は象徴であり、実権を握っているのは、俺の目の前にいる人物――フィリアネスさんの母親だったということになる。


「この国の王座そのものに意味はない。私も、公国を守るための戦力の一部であることに変わりはないのだからな。ファーガスも同じ志を持つひとりとして、この国の意思を決定する円卓の一端を担っているのだ……ファーガスがどこに居るかは話しておこう。今は、娘であるルシエと面会している。今のファーガスは王であることよりも、一人の娘の父親であることを選んだのだよ」

「そうですか……それは、良かった。ルシエのことを陛下がどうお思いなのか、気にかかっていたんです」


 なぜ、フィリアネスさんがルシエと親しかったのかが、今このときに分かった。

 フィリアネスさんは生まれながら、王族の一部と言ってもいい存在だった――母親が王家の守護騎士ガーディアンなのだから。

 そして、フィリアネスさんが家族のことを口にしなかった理由も分かった。母親との間に確執があることは、ここに来てからの短いやりとりを見るだけでも、十分に理解できた。


「……ここから先は、フィル……お前に聞かせる話ではない。衛兵を残し、侍女は賓客を迎える準備をせよ。この部屋には私と、ジークリッドしか要らぬ」

「っ……母上、それはっ……!」

「お前の意見は聞いていない。これまでも、自分の好きなようにやってきたのではないのか? ならば私がそうしたとして、お前に何が言えるというのだ」

「……ヒロトは……ヒロトは、私の……っ」


 ――その時、信じがたいことが起こった。

 ディアストラさんに食ってかかろうとしたフィリアネスさんが、頬を張られ、乾いた音が響く。 


「雷神さまっ……!」

「っ……ディアストラ様、なぜこのようなっ……!」


 フィリアネスさんは頬を押さえ、母親を見つめる。怒っているのに、同時に泣いているようにも見えた。


「私に歯向かうなと言ったはずだ。これ以上、その不快な声を私に聞かせるな」

「……母上……」


 ――どうしてなんだ。

 どうして、そこまで実の娘に憎しみを向けられる?


 俺の大事な人を、この世に生まれさせてくれた人なのに、なぜ憤りをぶつけなければならないんだ。


「っ……!」


 フィリアネスさんは駆け出し、玉座の間を出ていってしまう。横を通り過ぎたマールさんとアレッタさんも、彼女を止めることはできなかった。


「雷神さまっ……ディアストラ様、ひどすぎますっ!」

「マールギット、アレッタ、追うことは許さん」

「っ……なぜ、そこまでするんですか。フィリアネス様の、お母さまなのに……っ」

「……血を分けてもいない人間に、私の気持ちなど分かってなるものか。二人も退室せよ、すぐにだ」


 吐き捨てるようにディアストラさんが言う。俺はその言葉に、わずかな違和感を感じていた。

 血を分けた人間。フィリアネスさんをそう呼ぶのは――親子だということ自体を、否定しているわけじゃない。

 ならば、なぜフィリアネスさんの頬を打ったのか。それを怒る前に、俺は真実を知りたいと思った。


 ――本当は、怒りで目の前が揺らぐくらいだったけれど。それでもこの人は、フィリアネスさんの母親なんだ。


 フィリアネスさんがなぜ、やり返さずに出ていったのか。その気持ちが、俺には分かる気がする。


 お母さんに、簡単に手を上げることはできない。俺はフィリアネスさんのそんな優しさを、ずっと見てきて知っていた。


 俺と二人だけになったあと、ディアストラさんは玉座の間の奥にある扉に近づく。


「……この先に、部屋がある。そこで、お前の質問に答えてやろう。来るがいい」


 その声は初めて聞いた時と同じように挑発的で――同時に。

 今なお衰えることのなく美しさを保ち続ける彼女の、「女」そのものを感じさせた。


 彼女が何を考えているのか想像がつかないほど、俺はすでに子供ではなくなっていた――しかし。

 どんなことがあっても、心に決めていることがひとつある。

 ディアストラさんに、フィリアネスさんにしたことを謝ってもらう。それだけは、絶対にしてもらわなければならない。



◇◆◇



 玉座の間の奥の扉を抜け、通路を抜けた先は、おそらく外から見た尖塔の一つに繋がっていた。

 螺旋状の階段を登って行き、塔の上にある部屋に辿り着く――そこはおそらく、趣向を凝らしているが、ただひとつの用途に用いられる部屋だった。


「……あの高い位置にある窓を開くと、この褥に月光が降り注ぐ。王族のみが、その愉しみを知っている……」


 そう、そこは寝室だった。ディアストラさんの言葉通りなら、王族が夜の褥として用いる場所だ。



 ◆ログ◆


・《ディアストラ》は防具の装備を解除した。



 ディアストラさんは無言で鎧を外し始める。そして布鎧だけの姿になると、俺を見てにっこりと微笑んだ。

 ――悔しいほどにフィリアネスさんに似ている。ヴィクトリアも少し似ていたが、ディアストラさんともまた姉妹のように似ていた。


 この部屋に来た途端、彼女から惹きつけられるような香りがするのは……異性を意識させるフェロモンでも出てるっていうんだろうか。その美貌もあいまって、恐ろしいくらいに理性を揺らしてくる。


「……俺を、誘惑するつもりですか? どうしてそんなことをしようと思うんですか」

「戦士としてきわめて優秀な、お前の血統を残すためだ。それ以外に、何の理由があるというのだ?」

「お、俺の血統って……全くわかりません、話が飛びすぎてます」


 どうしても冷静で居られない俺を見て、ディアストラさんはここが付け目だとでも思ったのか、俺に近づいてくる。早くもなく、遅くもなく、けれど逃げられない、そんな歩き方で。


「リカルド・ジークリッド……お前の父親は、優秀な血の持ち主だった。元々は、西王家の血を引く人間と結婚する予定があったのだがな。あの男は王族になる権利を放棄して、クーゼルバーグ伯爵家の娘を選んだ。なぜそれが許されたのか……それは、リカルドが『護り手』になることを希望したからだ」


 俺の素性を、ディアストラさんがそこまで知っていたのか――それは考えてみれば、当たり前のことだ。

 父さんは昔、騎士団にいた。ならばディアストラさんが、父さんのことを知らないはずがない。まして、玉座に座ることを許されるほどの権力を握るに至る人物なら、父さんが騎士団に居たころも、それなりの地位にいたことは想像に難くない。


「西王家って、一体何なんだ……なぜ、王になる優先権を持ってるんだ……?」


 思わず言葉に気を使うことを忘れても、ディアストラさんは気分を害する様子はなく、俺の質問に応じる。


「西王家は、かつて魔王を倒した勇者の血筋なのだ。女神の与えた八つの武器で、それぞれに魔王を封じた者たち……そのうち三人が、西王家のファーガス一世による公国の統一に大きく貢献した。彼らは魔剣カラミティ、魔穿クルーエル、魔杖カタストロフの三つを残していったが、魔剣の行方についてはお前の知るとおりだ」


 ――魔剣のことも、知っている。それ以外の「魔」を冠する武器も、この国に二つもあるというのか……!


「……残りの二つは、どこに行ったんだ」

「それについては、今はまだ知る必要はない……しかし、なぜ魔王リリムがルシエを狙ったのかは教えてやろう。ルシエは魔杖カタストロフの使い手であった勇者の血を引いている。彼女の血統のみが使うことの出来る魔杖カタストロフだけが、リリムを封印する力を持っているからだ」

「……そのために、ルシエを……それを、彼女は知ってるのか?」


 ルシエが自分に課せられた宿命を知っているのか。その問いにも、ディアストラさんは事もなげに答えた。


「ルシエは全てを知っている。この後に行われる演説で、グールドを討ったこと、なぜ討たなければならなかったのかを話すことになっている……ジュネガン公国は、今も魔王の脅威に晒されている。魔王と徹底的に抗っていくのだと宣言する。あのままグールドが操られていれば、南王家は不死者の王国と化していただろう……その危機を知らず、のうのうと生きていくことは、もはや誰にも許されはしない」

「っ……そんなことをすれば、いたずらに恐怖を煽るだけだ!」

「……違うな。何も知らずに生きていくことの方が、よほど恐ろしいことだ。それを知った人間の方が、強く、したたかになる。私は臣民の力になどさほど期待はしていない。だが、戦う意思だけは持っておいてもらう。そうでなければ、突然に行われる魔王の侵略に対し、ただ不幸だ、理不尽だと嘆くばかりだからだ」


 ディアストラさんのいうことは分かる。しかし俺は、何も知らず平和に暮らしている人に、魔王の脅威を知らせることが本当にいいことか、すぐに答えを出すことが出来なかった。


 ――その迷いに付け入るかのように。ディアストラさんは俺の襟に手を添えて、鼻先が触れ合うほどの距離にまで迫ってくる。


「な、何を……っ」

「魔王は何度でも復活する。一人でも多く、強き者の血を後の代に残さなくてはならない。斧を使い、攻撃に長けているお前と、守備に秀でた私の血を掛けあわせれば、その子がどれほど強くなるか……」

「……そんなことのために生まれる子供が、可哀想じゃないか。本当に強くなるかどうかだって、わからない」

「いや……おまえを見ればわかる。女とはそういうものなのだ。自分に足りないものを補える男を、見極めるという本能を持っている……」


 ディアストラさんは俺の手を取り、自分の胸に導く。しかし俺は重ねるだけで、決して手を動かすことはなかった。

 誘惑に心を揺らされても、籠絡はされない。これは男と女の「交渉」だ――交渉と名のつくものにおいて、俺は決して負けられない。


「俺が、ディアストラさんの足りないものを補える……どうしてそう思うんだ?」

「……分かっているのだろう? 私やフィリアネスより強い男など、他にはいない」


 そこでフィリアネスさんの名前を出すのは、娘の強さを認めているからだ。表に出てこず、陰で実権を握っているディアストラさんではなく、聖騎士として名を馳せているフィリアネスさんが「公国最強」と呼ばれているのを、母親の彼女も認めているということになる。


 ならば、なぜあれほど辛辣にするのか。その答えも、既に俺には見えかけていた。


 確かめる方法が一つある。ディアストラさんが、フィリアネスさんのことを、本当はどう思っているのか。


 俺は意識下のウインドウを開き、あるスキルを発動させる準備をする。そして、ディアストラさんに語りかけた。


「……強い男がいないっていうのは、嘘だ。フィリアネスさんのお父さんがいる」


 唇を俺の鎖骨に触れさせていたディアストラさんが、ゆっくりと顔を上げる。その瞳は今までにないほど真摯に、俺を真っ直ぐに捉えていた。


「……私の夫は、娘を産んだすぐあとに死んだ」

「その人は、強かったんじゃないのか? 貴女よりも」


 核心に近いことを聞いたつもりだった。けれどディアストラさんは、冷めた笑顔で俺を見やる。


「あの男は、ただの愚か者だ。私の言うことを聞かずに、いたずらに死を選んだ。あの男の血を継いでいるフィリアネスも同じだ。何一つ利用価値のない、不用品でしかない」


 ――それは、本音じゃないはずだ。


 本当の心を隠して、強がろうとして、娘を遠ざけようとする。そんな彼女の心を、俺はどうしても理解したかった。


 限界突破を経て、交渉術110にしてようやく手に入れた、あのスキルで。


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