第三十五話 新たな魔王/生と死の狭間
黒い翼――リオナが一度魔王の力に目覚めかけたとき、彼女の背中に生えたものと酷似していた。
「不死の女王」ですら、一度は敗北を意識するほどの強敵だった。
しかし流れてくるログが、現在のメディアが、今までよりもさらに強くなっていることを示す。
◆ログ◆
・《メディア》は正体を現した!
・魔王の力が目覚める……《メディア》は《魔王リリム》に変身した!
「魔王……リリム……」
俺の呟きが、メディア――リリムの耳に届く。真っ白だった髪が薄く赤みを帯びて、その頭部に音もなく、曲がりくねった悪魔の角が現れる。
「死者の女王っていう呼び名は、正しくないのよ。だって、それは私の力の一部にすぎないのだから」
◆ログ◆
・《魔王リリム》は「装備再生」を発動した!
・《魔王リリム》は「悪魔のビスチェ」を装備した。
・《魔王リリム》は「悪魔のヒール」を装備した。
・《魔王リリム》は「招魂の杖+8」を召喚し、装備した。
(+8装備……あっさり出さないでくれよ、そんな人間の手の届かないシロモノを)
白い肌が黒い革のような素材の、まるでボンデージのような装備で覆われる。胸元を隠す気がないかのように大きく開いていて、その背にはよく見ると、細く長い尻尾が生えている――先端が矢印のような形状になり、俺の方を指し示していた。
正体を隠していて、変身するボスなんていうのは良くある話だが――紛れもなく、最強クラスの敵だ。この世界では女しか最強になれないと言っていたが、この姿を見せられれば、彼女もその一人だということを納得せざるを得ない。
「魔王……かつて勇者と戦い、女神がもたらした武器で、封じられたはずではなかったのか……?」
「それはただの言い伝え……くだらないお伽話よ。実際はどうだったかなんて、誰も知りはしない。魔王が封じられたままかどうか、あなたたち人間は確かめていたわけでもない。それに私は封じられたことなんて、一度も無いわ。勇者は人間にしては強いけれど、負けてあげる道理はないものね」
「女神の武器……まさか、魔剣……本当に、存在するのですか……!?」
ミコトさんが驚くことも無理はない。ゲーム時代は伝説上の存在で、入手不可能だったものが、本当にあるというのだから。
エターナル・マギアをプレイしていたなら、欲しくならないわけがない。どんな方法を使ってでも、手に入れたくなる――しかし魔剣に触れるということは、ただ強い武器を手に入れられるわけじゃなく、魔剣に魅入られるという危険性が伴う。それを克服する手段は、手がかりは見えていても、まだはっきり確定してはいない。
「私は姉さまとは違う。人間に味方をして、わざと勇者に殺されるなんて……そんなことをして何になるの? 残された私の退屈を、誰が埋めてくれるというの……?」
◆ログ◆
・《魔王リリム》は「形態変化」を行った。身体のすべてが霧に変化していく……!
「っ……フィリアネスさん、ミコトさん、来るぞっ!」
魔王リリムの黒い翼も、その蠱惑的としか言いようのない肢体も、全てが一瞬にして霧に変わる。
――初めから、容赦などない。分かっていたのに、その攻撃を避ける術は俺にはなかった。
◆ログ◆
・《魔王リリム》の正体不明の攻撃!
・あなたは234のダメージ! エナジードレインが発生した! あなたは生命力を失った。
「うぁぁぁぁぁっ……!」
「ヒロトッ……なぜ、私たちを狙わずに、ヒロトだけをっ……!」
――言ったでしょう? 欲しい物をあげるわ。けれどその前に、代償として命を貰わなくてはね。
どこから声が聞こえてくるのかも分からない。部屋中を満たした黒い霧全てが敵――魔王リリムそのもの。
何をされているか分からない――首筋が強く痛む。触れてみると、実際に牙の痕がつけられていた。
エナジードレインなんて、食らった時の絶望感が半端じゃない攻撃だ。想定はしていたが、本当にやられると、文字通り直接命を削られている気分になる。エナジードレインがレベルを下げる効果になっているとき、それを持つ敵がゲームに登場した時は、真っ先に倒さなければならないとされていたものだ。俺だってそうする、誰だってそうする。
もし、レベルが下がっていたら――それを恐れながらも、確認せずにはいられない。
◆簡易ステータス◆
名前 ヒロト・ジークリッド
レベル:58
ライフ:735/1360
(レベルは……下がってない。ライフが減ったのは、純粋にダメージを受けたからだ。生命エネルギーって、何のことなんだ……?)
「ギルマスっ、敵が元に戻りますわっ!」
黒い霧がもう一度一つに集まり、リリムが実体を取り戻す。長い髪を掻き上げ、唇の端に伝った血を拭っている――やはり、俺から血を吸ったのだ。
「ああ……甘くて美味しい。野蛮なことはしたくないのだけど、この誘惑には勝てないわね……」
「形態変化は、常に続けることは出来ないってことか……?」
「……いいえ。あなたの想像通りのことなんて、私には何一つ……」
(その余裕が命取りだ……っ!)
◆ログ◆
・あなたは「看破」を試みた!
・《魔王リリム》が嘘をついていることがわかった。
「……何一つないわ。それがどうしたというの? あなたが死ぬことには変わりないわよ」
(女神は看破を妨害した。魔王リリムは、それほど万能じゃない……女神よりは、下位の存在なのか)
おそらくリリムは、霧の形態変化を見せることで、自分を倒せないと印象づけようとした。
魔王が圧倒的な強者であることは間違いない。しかし、フィリアネスさんの攻撃でダメージを通され、焦りが生じた――そういうことだ。
「……ははっ……」
「っ……何を笑っているの? あなたは生命を吸われたのよ? 私がもう少し深く吸っていたら、もう心臓は止まって……」
「な、何が起きているんですの……? ギルマス、その余裕はどこから……」
「気がついたということだな……どうすれば、リリムを倒せるのかに」
そんなことはまだ分からない。しかし攻略法を見つけたとき、喜ばないやつはいない。
例え血を吸われた後であっても、楽しむ時は楽しむ。リリムに対する怒りは別として、それはそれだ。
(霧の形態変化から、元に戻った瞬間……いや。その前に……)
フィリアネスさんの大技は、連発が出来ない。しかしクールタイムが終わり、破邪聖光陣をもう一度撃つことが出来る状態になっている。
「ギルマス、私も敵が悪魔族と分かっていれば、それなりの対応策を取ることが出来ますわ……この刀には、悪魔に対する特攻がありますの。耐久力が低いので、数撃しか持ちませんが」
ミコトさんが忍刀を抜くと、その刃は青い光に覆われていた。『清刀三日月丸+4』、鍛え方は物足りないが、魔族に対する二倍特攻がついている。
――二倍特攻で、相手が実体化した時にバックスタッブを決める。三人それぞれが大ダメージを叩き出す奥の手を持ってはいるが、ミコトさんにも十分期待できる。
口に出して敵の弱点を言ってしまえば、敵も対策が出来る――だが、二人を鼓舞するためにも必要なことだ。
「二人とも……リリムは、ずっと霧のままじゃいられない。一定の時間で元に戻る、そこを狙うんだ!」
『――了解っ!』
「そう……それで笑っていたのね……私の心を覗いたの……?」
リリムは微笑んでいる――しかし、その目の奥には、こちらを燃やし尽くそうとする熱が宿っている。
フィリアネスさんは真っ先に切り込み、細剣を切り払いながら叫ぶ――その身体が、再び聖なる光を纏う。
◆ログ◆
・《フィリアネス》は神に祈りを捧げた。不死者を浄化する光が広がっていく!
・《魔王リリム》は結界を展開した!
「――けれど残念ね。魔王と不死者は違う。今の形態に変わった私は、その光で燃やすことはできない……!」
◆ログ◆
・《フィリアネス》は「破邪聖光陣」を放った!
・《魔王リリム》は破邪の光の効果を軽減した!
・《魔王リリム》は56のダメージ!
「ふふふっ……それで私を倒すには、五十回以上撃たなければならないわね。そんなにもつかしら?」
「くっ……!」
「メディア」は不死者の上位存在であり、魔王として正体を現したリリムは、また別の存在となっている。
不死者に対する必殺の攻撃である破邪聖光陣だが、それ自体にも聖属性のダメージがある――リリムはそれを無効化出来ずに、ダメージを受けたということになる。
「――ミコトさんっ!」
彼女がどこに居るか、俺には感じ取れない――ログを辿れば、フィリアネスさんが動くと同時に「木の葉隠れ」を発動していることが見て取れる。
隠密状態からの、致命攻撃。彼女はそれを狙っている――ならば、俺はそれを補佐する……!
「うぉぉぉぉっ……!」
◆ログ◆
・あなたは「ウォークライ」を発動させた!
・パーティの闘志が昂揚する! パーティの攻撃力が一時的に上昇した!
(――まだだっ!)
◆ログ◆
・あなたは「マジックブースト」を発動させた!
・あなたは「ホーリーライト」を詠唱した!
「くっ……!」
聖光陣と違い、不死者を浄化するほどの力はない――「ホーリーライト」は、ただ敵を怯ませるための光だ。
だがその瞬間、ほんの一瞬、魔王であっても硬直時間が生じる。
そこを見逃すことは、彼女ならば絶対にない――「闇影」と呼ばれた彼女ならば。
「その首、貰い受けますわっ……!」
「甘く見られたものね……っ!」
◆ログ◆
・《魔王リリム》は「シャドウシックル」を詠唱した!
・《魔王リリム》が攻撃した対象は《ミコト》の影だった。
「っ……!?」
詠唱を飛ばしてリリムの身体を守るように発生した黒い刃は、ミコトさんを攻撃した――実体ではない影を。
影分身――シノビがシノビたる所以であるスキルの一つ。ミコトさんはそれを発動させ、リリムの隙をさらに大きなものにしたのだ。
――つまり、ミコトさんの本体はすでに、リリムの後ろに回っている……!
◆ログ◆
・《ミコト》は「バックスタッブ」の発動条件を満たした! 攻撃力が倍加する!
・《ミコト》の攻撃!
「お覚悟っ!」
「ぐぅっ……!」
忍刀の刃がリリムの身体に突き立てられる。その刃を抜き放った瞬間、溢れだした血が雨のように降り注ぐ。
「ぐぅぅぅっ……あぁっ……!」
◆ログ◆
・《魔王リリム》に453のダメージ! 《魔王リリム》は出血状態になった。
・《魔王リリム》は再生の呪詛を唱えた。
・呪詛の効果が阻害されている!
「忌々しいっ……そんな、玩具のような武器で……っ!」
「玩具ではありませんわ……これでも、東の国で妖魔の血を数千も吸っていますのよ……!」
この好機を逃すことはできない。形態変化の後の隙を狙うつもりだったが、実際には「形態が変化する前」に攻撃を通すことが出来た――何も言わずとも、その場の連携で。
「これで終わりだ……っ、リリム!」
◆ログ◆
・あなたは「ダブル魔法剣」を放った!
・あなたは「フリージングコフィン」を武器にエンチャントした!
・あなたは「サンダーストライク」を武器にエンチャントした!
・あなたは「メテオクラッシュ」を放った! 「氷棺雷星撃!」
ミコトさんの攻撃を受けたリリムは、立ち直れないままに、俺の攻撃を受けるしかない。
(――いけぇぇぇっ!)
「――あぁぁぁぁっ……!」
◆ログ◆
・《魔王リリム》に556のダメージ!
・《魔王リリム》は「凍結」状態になった。
雷鳴と共に斧を叩きつけた瞬間、リリムの足元から氷の柱が立ち上がり、天井まで貫き通す。
リリムは氷の棺に囚えられていた。その身体の一部が、黒い霧に変わりかけている――最後の瞬間、形態変化で逃げようとしたのだ。
「はぁっ、はぁっ……」
「……終わった……のか……?」
フィリアネスさんの声が聞こえる。俺もまだ、勝ったなんて笑って言うことは出来ない。
――しかし、最大の危機は乗り切った。リリムはもう動くことが出来ないのだから。
リオナたちの護衛からユィシアを外すことはしたくなかった――それが甘い判断だったと、今は後悔してもいる。ここに彼女を連れてくれば、窮地には陥らなかった。
ユィシアは、魔王と対等かそれ以上の力を持っている。その意味が、今になって骨身に染みた。俺はユィシアに勝ったわけではなく、偶然が味方して、彼女を仲間にすることが出来ただけなのだ。
リリムは凍りついたままで動かない、悪魔の翼ごと凍りづけになって、俺を見下ろしている。
(……っ!?)
その口の端が、笑みの形に変わった。
動くことなど出来ないはずのリリムが、笑った。氷棺の放つ冷気よりも、その顔に俺はよほど寒気を覚える。
(――魔王は女神の武器でなければ殺すことは出来ない。幾ら血を流しても、死にはしないのよ)
「ヒロトッ……!」
身体が揺れた。何が起きたのか分からなかった。
見下ろすと、胸から刃が突き出ていた。身につけていた防具の全てを、貫通していた。
――その刃に、俺は見覚えがあった。ミコトさんが持っていた刀……リリムを貫いたはずの、その刀。
◆ログ◆
・《ミコト》は《魔王リリム》の血の呪いによって乗っ取られている。
・《ミコト》の「戦闘狂」状態が引き出された。
・《ミコト》の攻撃! あなたに492のダメージ! あなたは「出血」状態になった。
「……うぁぁぁぁぁっ……!」
刃が抜かれた。遅れて凄まじい激痛が訪れて、叫ばずにいられなくなる。
――そして、身体から急速に力が抜けていく。倒れた俺の目の前で、氷棺が砕け、捕らえたはずのリリムが自由を取り戻す。
「ミコト殿っ……何故だ……何故、ヒロトをっ……!」
フィリアネスさんとミコトさんがどうしているかは見えない。出血によるダメージが、俺のライフをゼロに近づけていく。
リリムの血を浴びたミコトさんは、「血の呪い」を受け、身体を操られ……俺を刺した。そうであっても、ミコトさんを責められるわけもない。
俺は身体を起こされ、抱き上げられていた。リリムが俺の頬に触れている。
「……まだ身体が温かいうちに、もらっておくわね。死んでしまうと、あまり血は美味しくないのよ」
――やめろ。やめてくれ。
俺は何も奪われたくない。俺の命を、奪わないでくれ――。
「うぅっ……ぁぁ……」
◆ログ◆
・《魔王リリム》は「吸血」した!
・エナジードレインが発生した! あなたは生命力を失った。
「ヒロトっ、ヒロトっ! ……貴様ぁぁっ……絶対に許さない……絶対にっ……!」
フィリアネスさんの悲痛な声が聞こえる。おそらく操られたミコトさんに、行く手を阻まれている……。
かすんだ視界の向こうで、リリムが微笑む。心から満たされているというその顔を見て、俺は思う。
恐怖よりも何よりも――魔王とは、何なのか。
リオナと同じように「破滅の子」から魔王になったのか。それとも、リリムは元から魔王なのか――。
「…………」
「……なあに? あなたはこれから、試されようとしている。一度死んでから、私の眷属として蘇るのよ。何も恐れることは……」
「……死にたく……ない……」
そう言っても、リリムの表情は変わらないままだった。
――まるで母親のように優しい目をして、俺を見ていた。これから生まれ変わる俺の母だとでも言うように。
「生まれ変わったら、あなたの欲しいものをあげる。あの女なんかより、もっと素敵なものを。だから、安心して死になさい」
(……嫌だ。俺は、人間として……人間のままで……)
意識が闇に飲み込まれようとする。俺の渇望はどこに届くこともなく、ライフは100を切り、流れだす血とともに失われていく。
こんなことが、前にもあった。
同じように助けられてしまったら、俺は――きっと、後悔する。
それでも願ってしまった。薄れゆく意識の中で、俺は――。
◆ログ◆
・あなたは護衛獣を呼び寄せた。
(――ヒロトは私の主人。それを奪おうとする者は全て――滅ぼす)
轟音が鳴り響いた。ほとんど見えないおぼろげな視界でも、何が起きたのかは確かめられた。
部屋の壁の一面が吹き飛んでいる。そして、そこには――。
青みがかった銀色の髪を持つ、皇竜の少女と――幼い二人の、懐かしい姿がそこにあった。
「ヒロちゃんっ……!」
「ヒロト……!」
リオナとミルテ。なぜ、連れてきてしまったのか――そう思う以上に。
その声を聞くだけで、死に瀕していた身体に、わずかな熱が戻るように感じた。
そして、ユィシア……彼女が居てくれれば。リリムから、皆を守ってくれる……。
(……ごめん。俺だけじゃ、どうにもならなかった……)
「……謝らなくてもいい。人間の男の子は、強がるもの。雄の強がりを許すのは、雌である私のつとめ」
月光を浴びたユィシアは、リオナとミルテを置いて、こちらに歩いてくる。リリムを全く恐れることなく。
いつもそうだった――ユィシアは、絶対的だった。だからこそ俺は、彼女に頼り切ることが出来なかった。
本当の意味での主人になるために、彼女と同じだけ強くなりたいと思ったから。
――それを雄の強がりと言われれば、そのまま受け入れるしかない。彼女の言うとおりなのだから。
「マスターを傷つける者は許さない。例えリリスの妹であっても、関係ない」
「ふふっ……ふふふっ……ねえ、それはそこにいる子の前で言っていいことなのかしら? 私の姉さんなら、そこにいるじゃない」
「っ……やめろ……リオナには、言うなっ……」
俺はリリムの身体に縋って、止めようとする。その手を受け止めて、リリムは俺をその場に横たえると、立ち上がってユィシアと対峙した。
「連れてきたことにはお礼を言わなくてはね……血を分けた姉さんだもの。会えて嬉しいわ」
「この子は、マスターを心配して来ただけ。リリムには関係ない。気にする必要もない」
◆ログ◆
・《ユィシア》の「ドラゴンハウル」!
・《ユィシア》の攻撃力、防御力が上昇した!
・《ユィシア》は一時的に状態異常耐性を獲得した!
竜形態での咆哮を必要とするスキルだと思っていた――しかし、そうではなかった。
人間形態でも、ユィシアを強化する効果自体は変わらない。竜形態で使えば、おそらく金縛りなどの効果が付随するのだろう。
竜の気に包まれたユィシアは、金色の瞳でリリムを睨みつける。奇しくも二人の強者は、同じ色の瞳をしていた。
「マスター、待っていて欲しい。すぐに終わらせる」
「終わるのはそちらよ、雌皇竜ッ!」
◆ログ◆
・《魔王リリム》は「アビスグラビティ」を詠唱した!
・冥府の扉が開き、《ユィシア》の生気を奪おうとする!
「――遅い」
「っ……!」
◆ログ◆
・《ユィシア》は「テールスライド」を放った!
・《魔王リリム》に253のダメージ! 《魔王リリム》を宙に浮かせた!
「――あぁぁっ……!」
ユィシアのテールスライドが、物理攻撃を無効化するはずのリリムの反応を上回る。次の瞬間、常に冷静沈着なユィシアが、初めて声を荒らげた。
「リオナ、ミルテ、ヒロトのことを任せる! 私は空でリリムを倒す……!」
◆ログ◆
・《ユィシア》は竜形態に変化した。
リリムをこの場から遠ざけるためだけの一撃だった。ユィシアは竜の姿に変化すると、破壊された部屋の壁から、漆黒の空に飛び出していく。
「ミコト殿っ……目を覚ませっ! ヒロトはまだ生きている、戦いはまだ終わっていないっ!」
フィリアネスさんの声と、剣戟の音が聞こえてくる。操られたミコトさんと、フィリアネスさんが剣を合わせている――ユィシアがリリムを倒すまで、あるいは無力化するまでは、時間を稼ぐしかない。
◆ログ◆
・あなたの出血状態が続いている。
・あなたのライフが36減少した。
――あと一度出血ダメージを受ければ、俺のライフはゼロになる。
「ヒロちゃん……すぐに助けてあげるね。ミルテちゃんは、さっき言ってたおくすりをさがして!」
「っ……わかった。ヒロト、おばば様に作ってもらった薬を……っ!」
(エリク……シール……そうだ……あれなら、今の俺でも……)
治せるかもしれない。自分の命を繋ぐために使おうとは思っていなかったが――そんなことは言っていられない。
◆【薬】イ ベント ー◆
・【 質】ポーシ ン × 3
解 のポー ョン ×17
・ 痺 の ー ×
リ シ
インベントリーの中身がウインドウに表示される速度が遅くなり、表示が壊れている。ユィシアのテールスライドを受けた時と同じ、ウィンドウの状態は俺の生命活動に左右される。
次に出血ダメージのログが出たら終わりだ。俺はエリクシールだと思われるアイテムを選び、それを使って、今までに何度も使ってきた交渉スキルの一つを選び、実行に移した。
(頼む……頼むから……まだ、生きていたい……だから……)
◆ログ◆
・あなたは《 》に依頼をした。
・あなたのインベントリーから、「 」が取り出された。
もう、意識が続かない。抜けだらけのログも黒く塗りつぶされて――次のログを確認することも出来ずに。
最後に思ったことは一つ。
みんなが、無事であってほしい。フィリアネスさんも、ミコトさんも、ユィシアも――そして、ミルテとリオナも。
ミルテの両親のことを伝えられなかった。その無念が、闇の中をよぎった。
◇◆◇
雨が降っている。
叩きつける冷たい雨の中で、俺は誰かに抱きしめられている。
頭の下にあるのは、柔らかい膝だ。
こんなに女らしくなってたんだな、と俺はとてもどうでもいいことを考えて……その膝が心地よいと感じた。
なぜ、こんな時に思い出すんだろう。
俺は今、どうなっているんだろう。
走馬灯というには、その感覚は現実に近くて。
目の前に居る陽菜が、泣いていて。
その顔が、少しずつ近づいてくる。
俺は一度もキスなんてしたことがないと思っていた。
――それはただ、忘れていただけだ。冷たくなっていく俺の身体を抱いて、彼女が別れのキスをしたことを。
「――私も行けたらいいのに。そうしたら、今度は……」
肝心なことばかりが思い出せない。いつもそうだ、記憶というものは、言うことをきかない。
俺はもう、その時には死んでいたのかもしれない。
そう理解していてもなお、思う。陽菜の言葉を、終わりまで聞かせて欲しかったと。
◇◆◇
何もなくなる前に、唇に何かが触れた気がした。
何もなくなったあと、始まったものは、恐ろしいほどの熱だった。
熱が生まれ、全身に広がっていく。凄まじい痛みに、俺は呻き声を上げる。だが、それは音にならない。
全身の骨が軋んでいる。絶えることなく痛みは続き、俺はいっそ殺してくれと思い、すぐに否定する。
痛みを感じるということは、生きているということだ。
死ねば女神のもとにもう一度行けるのかもしれない。それも一つのゴールかもしれないが――それは、ただの甘えでしかない。
生きたい。
生き続けて、手に入れたいものが沢山ある。知らないことが、まだ山ほど残されている。
そのためなら、痛みを受け入れる。死にたいと思うことも、もうない――ひたすらに耐えぬく。
苦しみは終わることなく続く。やがてそれが終わる時、俺は死ぬのか――それとも。
分からない。
分からないが――。
遠くに、光が見え始めている。薄ぼんやりとしていたそれは、少しずつ近づいて、輪郭をはっきりとさせる。
――現実が、そこにある。異世界マギアハイムという名の、俺にとって唯一の現実が。
「っ……!」
がばっ、と飛び起きた。身体の感覚はまるでないのに、がむしゃらに身体を起こしていた。
「ひ、ヒロちゃん……?」
「ヒロト……」
すぐ近くで声が聴こえる――というか、密着している。
腕の感覚が少しだけ戻ってくる。この、懐かしい匂いは……匂いで気づくのもどうかと思うが……。
「ゴホッ、ゴホッ……!」
「ヒロちゃん……無理しちゃだめ、まだ、身体が……」
「……私たちは、ずっとついてる。心配しないで」
喋ろうとして、うまく声が出なかった。
――そして辛うじて声を出したとき。
それが自分の声だとは、俺には到底信じられなかった。
「リオナ……ミルテ……」
もっと高い声をしていたはずだ。それなのに、低くなっているように思う。
耳がおかしくなっているのかもしれない。おかしいといえば、何もかもがおかしかった。
――俺の腕では、リオナとミルテの二人を抱きしめて、背中に手を回すなんて無理だったはずなのに。
ベッドの両脇で俺を見守っていてくれたのだろう彼女たちを、俺は、難なく二人同時に抱き寄せていた。
「っ……ご、ごめん……っ」
リオナとミルテを離したあと、俺は自分の手を見た。
まだ八歳の俺の手は、斧を握るのがやっとだったはずだ――しかし。
そこには、大人といってもおかしくない大きさになった、俺の手があった。
「お、俺……なんで……リリムに殺されかけて……二人に、エリクシールを、頼んで……」
「っ……ヒロちゃんっ……!」
「ヒロト……ッ」
リオナとミルテが感極まったように抱きついてくる。二人の姿は幼いまま――つまり、時間はそれほど経っていない。
俺の身体だけが、大きくなっている。髪は伸び放題に伸びている――それが指し示すことは一つ。
(エナジードレインを受けて、死にかけた……それで、エリクシールを使った俺は……)
エターナル・マギアにはエナジードレインは存在しなかった――リリムが使ったことで、初めて見た。
他のゲームにおいて「エナジードレイン」と呼ばれる攻撃の効果には、いくつかの種類があった。
ひとつは、レベルや能力を下げる。
そしてもうひとつは――キャラクターを老化させる。
「良かった……ヒロちゃん、死んじゃうかと思ったっ……良かったよぉ……」
リオナが泣きじゃくりながら抱きついてくる。その頭を撫でながら、俺はただ繰り返し感謝していた。
リオナとミルテがエリクシールを使ってくれたから、俺はこうして生きることが出来た――そういうことだと、状況が示しているからだ。
「……その人は、本当に、ヒロトなの?」
「……そう。ステラ姉、こわがらないであげて。私たちの知ってる、ヒロトだから」
部屋には他にステラ姉の姿があった。彼女の身長に並びかけてはいたが、まだ追いついてはいなかった――。
「っ……リオナ、ミルテ、ちょっといいか……?」
うまく言うことを聞かない身体を動かして、俺はベッドを降りる。すると、立ってこちらを見ていたステラ姉を、簡単に見下ろすことが出来るほど視線が高かった。
「……ヒロト……ヒロトが……わたしより、お兄さんになったの……? どうして……?」
「……俺にも、まだ良く分からないけど。ごめんステラ姉、心配かけて」
「っ……ヒロト……っ!」
ステラ姉と呼んだ瞬間に、彼女は弾かれたようにこちらに走ってきて、抱きついてきた。
「……ヒロト……もう、心配させないで。どこにも行かないで……っ」
「うん……ごめん。こんなになって、驚くよね……心配してくれてありがとう、ステラ姉」
子供のような言葉遣いは、もう今の姿では似つかわしくない。けれど俺はステラ姉が落ち着くまで、彼女の弟分のようなヒロトでいたかった。
元の姿に戻れるのかは分からない――あの痛みは、エナジードレインによって引き上げられた年齢に、身体が無理やり作り変えられていく過程のものだった。ネリスおばば様の若返りの薬があるが、それを使っても、一時的に元に戻ることしか出来ないだろう。
「ヒロちゃん、もうすぐお祭りが始まるんだって……公女さま、間に合ったんだよ」
「……ヒロトと、聖騎士さまたちのおかげ」
「ヒロトには、ゆっくりしていて欲しいけど……でも、一緒に……」
リオナとミルテも抱きついてくる。ステラ姉は俺を誘ってくれている――控えめに、頬を赤らめながら。
姿が変わってしまっても、みんな変わらずにいてくれる。けれど、他のみんなはどう思うだろう。
「そうだ……フィリアネスさんやミコトさん、みんなは……」
「みことさん……? あの、黒い服のお姉ちゃん?」
「……ユィシアがリリムをやっつけてから、いなくなった」
「っ……!」
まだ目覚めたばかりだが、確かめなければならないことが山ほどある。それより何より、真っ先にしなければならないことが出来た。
(ミコトさん……ミコトさんのせいじゃない。まだだ……まだ間に合うっ……!)
「みんな、心配かけてごめん……俺は祝祭が始まる前に、ミコトさんを探してくる!」
「うんっ、フィリアネスさんたちもさがしてるの。ヒロちゃんもいけば、きっとみつかるよ」
「私たちも一緒にさがす。ユィシアが、ついててくれるから」
(……私は無事だから、心配ない。ミコトのことは、空からも探す。見つけたら教える)
ユィシア……この場にはいないけど、声だけは心に響いてくる。彼女にも、どれだけお礼をしてもし尽くせない。
ジョゼフィーヌだって頑張ってくれた。状態を確認すると、ダメージはもう回復している――あとで、ちゃんと姿を見てお礼を言いたい。
俺は用意されていた、大きくなった身体に合った服を身につけ、宿を走り出た。
(まだ、遠くには行ってない……そうだよな、ミコトさん……!)
ユィシアだって探してくれている。フィリアネスさんたちだって……それならきっと見つけられる。
俺はまだ朝方の町を走りながら、ステータスを確認する。今の自分が何歳かを確かめるために。
◆ステータス◆
名前 ヒロト・ジークリッド
人間 男性 14歳 レベル58
ジョブ:村人
ライフ:1840/1840
マナ:1524/1524




