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第三十五話 新たな魔王/生と死の狭間

 黒い翼――リオナが一度魔王の力に目覚めかけたとき、彼女の背中に生えたものと酷似していた。


 「不死の女王」ですら、一度は敗北を意識するほどの強敵だった。

 しかし流れてくるログが、現在のメディアが、今までよりもさらに強くなっていることを示す。



 ◆ログ◆


・《メディア》は正体を現した!

・魔王の力が目覚める……《メディア》は《魔王リリム》に変身した!



「魔王……リリム……」


 俺の呟きが、メディア――リリムの耳に届く。真っ白だった髪が薄く赤みを帯びて、その頭部に音もなく、曲がりくねった悪魔の角が現れる。


「死者の女王っていう呼び名は、正しくないのよ。だって、それは私の力の一部にすぎないのだから」



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》は「装備再生」を発動した!

・《魔王リリム》は「悪魔のビスチェ」を装備した。

・《魔王リリム》は「悪魔のヒール」を装備した。

・《魔王リリム》は「招魂の杖+8」を召喚し、装備した。



(+8装備……あっさり出さないでくれよ、そんな人間の手の届かないシロモノを)


 白い肌が黒い革のような素材の、まるでボンデージのような装備で覆われる。胸元を隠す気がないかのように大きく開いていて、その背にはよく見ると、細く長い尻尾が生えている――先端が矢印のような形状になり、俺の方を指し示していた。


 正体を隠していて、変身するボスなんていうのは良くある話だが――紛れもなく、最強クラスの敵だ。この世界では女しか最強になれないと言っていたが、この姿を見せられれば、彼女もその一人だということを納得せざるを得ない。


「魔王……かつて勇者と戦い、女神がもたらした武器で、封じられたはずではなかったのか……?」

「それはただの言い伝え……くだらないお伽話よ。実際はどうだったかなんて、誰も知りはしない。魔王が封じられたままかどうか、あなたたち人間は確かめていたわけでもない。それに私は封じられたことなんて、一度も無いわ。勇者は人間にしては強いけれど、負けてあげる道理はないものね」

「女神の武器……まさか、魔剣……本当に、存在するのですか……!?」


 ミコトさんが驚くことも無理はない。ゲーム時代は伝説上の存在で、入手不可能だったものが、本当にあるというのだから。


 エターナル・マギアをプレイしていたなら、欲しくならないわけがない。どんな方法を使ってでも、手に入れたくなる――しかし魔剣に触れるということは、ただ強い武器を手に入れられるわけじゃなく、魔剣に魅入られるという危険性が伴う。それを克服する手段は、手がかりは見えていても、まだはっきり確定してはいない。


「私は姉さまとは違う。人間に味方をして、わざと勇者に殺されるなんて……そんなことをして何になるの? 残された私の退屈を、誰が埋めてくれるというの……?」



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》は「形態変化」を行った。身体のすべてが霧に変化していく……!



「っ……フィリアネスさん、ミコトさん、来るぞっ!」


 魔王リリムの黒い翼も、その蠱惑的としか言いようのない肢体も、全てが一瞬にして霧に変わる。

 ――初めから、容赦などない。分かっていたのに、その攻撃を避ける術は俺にはなかった。



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》の正体不明の攻撃!

・あなたは234のダメージ! エナジードレインが発生した! あなたは生命力を失った。



「うぁぁぁぁぁっ……!」

「ヒロトッ……なぜ、私たちを狙わずに、ヒロトだけをっ……!」



 ――言ったでしょう? 欲しい物をあげるわ。けれどその前に、代償として命を貰わなくてはね。



 どこから声が聞こえてくるのかも分からない。部屋中を満たした黒い霧全てが敵――魔王リリムそのもの。

 何をされているか分からない――首筋が強く痛む。触れてみると、実際に牙の痕がつけられていた。


 エナジードレインなんて、食らった時の絶望感が半端じゃない攻撃だ。想定はしていたが、本当にやられると、文字通り直接命を削られている気分になる。エナジードレインがレベルを下げる効果になっているとき、それを持つ敵がゲームに登場した時は、真っ先に倒さなければならないとされていたものだ。俺だってそうする、誰だってそうする。

 もし、レベルが下がっていたら――それを恐れながらも、確認せずにはいられない。



 ◆簡易ステータス◆


名前 ヒロト・ジークリッド


レベル:58

ライフ:735/1360



(レベルは……下がってない。ライフが減ったのは、純粋にダメージを受けたからだ。生命エネルギーって、何のことなんだ……?)


「ギルマスっ、敵が元に戻りますわっ!」


 黒い霧がもう一度一つに集まり、リリムが実体を取り戻す。長い髪を掻き上げ、唇の端に伝った血を拭っている――やはり、俺から血を吸ったのだ。


「ああ……甘くて美味しい。野蛮なことはしたくないのだけど、この誘惑には勝てないわね……」

「形態変化は、常に続けることは出来ないってことか……?」

「……いいえ。あなたの想像通りのことなんて、私には何一つ……」


(その余裕が命取りだ……っ!)



 ◆ログ◆


・あなたは「看破」を試みた!

・《魔王リリム》が嘘をついていることがわかった。



「……何一つないわ。それがどうしたというの? あなたが死ぬことには変わりないわよ」


(女神は看破を妨害した。魔王リリムは、それほど万能じゃない……女神よりは、下位の存在なのか)


 おそらくリリムは、霧の形態変化を見せることで、自分を倒せないと印象づけようとした。

 魔王が圧倒的な強者であることは間違いない。しかし、フィリアネスさんの攻撃でダメージを通され、焦りが生じた――そういうことだ。


「……ははっ……」

「っ……何を笑っているの? あなたは生命を吸われたのよ? 私がもう少し深く吸っていたら、もう心臓は止まって……」

「な、何が起きているんですの……? ギルマス、その余裕はどこから……」

「気がついたということだな……どうすれば、リリムを倒せるのかに」


 そんなことはまだ分からない。しかし攻略法を見つけたとき、喜ばないやつはいない。

 例え血を吸われた後であっても、楽しむ時は楽しむ。リリムに対する怒りは別として、それはそれだ。


(霧の形態変化から、元に戻った瞬間……いや。その前に……)


 フィリアネスさんの大技は、連発が出来ない。しかしクールタイムが終わり、破邪聖光陣をもう一度撃つことが出来る状態になっている。


「ギルマス、私も敵が悪魔族と分かっていれば、それなりの対応策を取ることが出来ますわ……この刀には、悪魔に対する特攻がありますの。耐久力が低いので、数撃しか持ちませんが」


 ミコトさんが忍刀を抜くと、その刃は青い光に覆われていた。『清刀三日月丸+4』、鍛え方は物足りないが、魔族に対する二倍特攻がついている。


 ――二倍特攻で、相手が実体化した時にバックスタッブを決める。三人それぞれが大ダメージを叩き出す奥の手を持ってはいるが、ミコトさんにも十分期待できる。


 口に出して敵の弱点を言ってしまえば、敵も対策が出来る――だが、二人を鼓舞するためにも必要なことだ。


「二人とも……リリムは、ずっと霧のままじゃいられない。一定の時間で元に戻る、そこを狙うんだ!」

『――了解っ!』

「そう……それで笑っていたのね……私の心を覗いたの……?」


 リリムは微笑んでいる――しかし、その目の奥には、こちらを燃やし尽くそうとする熱が宿っている。


 フィリアネスさんは真っ先に切り込み、細剣を切り払いながら叫ぶ――その身体が、再び聖なる光を纏う。



 ◆ログ◆


・《フィリアネス》は神に祈りを捧げた。不死者を浄化する光が広がっていく!

・《魔王リリム》は結界を展開した!



「――けれど残念ね。魔王と不死者は違う。今の形態に変わった私は、その光で燃やすことはできない……!」



 ◆ログ◆


・《フィリアネス》は「破邪聖光陣」を放った!

・《魔王リリム》は破邪の光の効果を軽減した!

・《魔王リリム》は56のダメージ!



「ふふふっ……それで私を倒すには、五十回以上撃たなければならないわね。そんなにもつかしら?」

「くっ……!」


 「メディア」は不死者の上位存在であり、魔王として正体を現したリリムは、また別の存在となっている。

 不死者に対する必殺の攻撃である破邪聖光陣だが、それ自体にも聖属性のダメージがある――リリムはそれを無効化出来ずに、ダメージを受けたということになる。


「――ミコトさんっ!」


 彼女がどこに居るか、俺には感じ取れない――ログを辿れば、フィリアネスさんが動くと同時に「木の葉隠れ」を発動していることが見て取れる。

 隠密状態からの、致命攻撃バックスタッブ。彼女はそれを狙っている――ならば、俺はそれを補佐する……!


「うぉぉぉぉっ……!」



 ◆ログ◆


・あなたは「ウォークライ」を発動させた!

・パーティの闘志が昂揚する! パーティの攻撃力が一時的に上昇した!



(――まだだっ!)



 ◆ログ◆


・あなたは「マジックブースト」を発動させた!

・あなたは「ホーリーライト」を詠唱した!



「くっ……!」


 聖光陣と違い、不死者を浄化するほどの力はない――「ホーリーライト」は、ただ敵を怯ませるための光だ。


 だがその瞬間、ほんの一瞬、魔王であっても硬直時間が生じる。


 そこを見逃すことは、彼女ならば絶対にない――「闇影」と呼ばれた彼女ならば。


「その首、貰い受けますわっ……!」

「甘く見られたものね……っ!」



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》は「シャドウシックル」を詠唱した!

・《魔王リリム》が攻撃した対象は《ミコト》の影だった。



「っ……!?」


 詠唱を飛ばしてリリムの身体を守るように発生した黒い刃は、ミコトさんを攻撃した――実体ではない影を。


 影分身――シノビがシノビたる所以であるスキルの一つ。ミコトさんはそれを発動させ、リリムの隙をさらに大きなものにしたのだ。


 ――つまり、ミコトさんの本体はすでに、リリムの後ろに回っている……!



 ◆ログ◆


・《ミコト》は「バックスタッブ」の発動条件を満たした! 攻撃力が倍加する!

・《ミコト》の攻撃!



「お覚悟っ!」

「ぐぅっ……!」


 忍刀の刃がリリムの身体に突き立てられる。その刃を抜き放った瞬間、溢れだした血が雨のように降り注ぐ。


「ぐぅぅぅっ……あぁっ……!」



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》に453のダメージ! 《魔王リリム》は出血状態になった。

・《魔王リリム》は再生の呪詛を唱えた。

・呪詛の効果が阻害されている!



「忌々しいっ……そんな、玩具のような武器で……っ!」

「玩具ではありませんわ……これでも、東の国で妖魔の血を数千も吸っていますのよ……!」


 この好機を逃すことはできない。形態変化の後の隙を狙うつもりだったが、実際には「形態が変化する前」に攻撃を通すことが出来た――何も言わずとも、その場の連携で。


「これで終わりだ……っ、リリム!」



 ◆ログ◆


・あなたは「ダブル魔法剣」を放った!

・あなたは「フリージングコフィン」を武器にエンチャントした!

・あなたは「サンダーストライク」を武器にエンチャントした!

・あなたは「メテオクラッシュ」を放った! 「氷棺雷星撃!」



 ミコトさんの攻撃を受けたリリムは、立ち直れないままに、俺の攻撃を受けるしかない。


(――いけぇぇぇっ!)


「――あぁぁぁぁっ……!」



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》に556のダメージ!

・《魔王リリム》は「凍結」状態になった。



 雷鳴と共に斧を叩きつけた瞬間、リリムの足元から氷の柱が立ち上がり、天井まで貫き通す。

 リリムは氷の棺に囚えられていた。その身体の一部が、黒い霧に変わりかけている――最後の瞬間、形態変化で逃げようとしたのだ。


「はぁっ、はぁっ……」

「……終わった……のか……?」


 フィリアネスさんの声が聞こえる。俺もまだ、勝ったなんて笑って言うことは出来ない。


 ――しかし、最大の危機は乗り切った。リリムはもう動くことが出来ないのだから。


 リオナたちの護衛からユィシアを外すことはしたくなかった――それが甘い判断だったと、今は後悔してもいる。ここに彼女を連れてくれば、窮地には陥らなかった。


 ユィシアは、魔王と対等かそれ以上の力を持っている。その意味が、今になって骨身に染みた。俺はユィシアに勝ったわけではなく、偶然が味方して、彼女を仲間にすることが出来ただけなのだ。


 リリムは凍りついたままで動かない、悪魔の翼ごと凍りづけになって、俺を見下ろしている。


(……っ!?)


 その口の端が、笑みの形に変わった。


 動くことなど出来ないはずのリリムが、笑った。氷棺の放つ冷気よりも、その顔に俺はよほど寒気を覚える。


(――魔王は女神の武器でなければ殺すことは出来ない。幾ら血を流しても、死にはしないのよ)



「ヒロトッ……!」



 身体が揺れた。何が起きたのか分からなかった。


 見下ろすと、胸から刃が突き出ていた。身につけていた防具の全てを、貫通していた。


 ――その刃に、俺は見覚えがあった。ミコトさんが持っていた刀……リリムを貫いたはずの、その刀。



 ◆ログ◆


・《ミコト》は《魔王リリム》の血の呪いによって乗っ取られている。

・《ミコト》の「戦闘狂」状態が引き出された。

・《ミコト》の攻撃! あなたに492のダメージ! あなたは「出血」状態になった。



「……うぁぁぁぁぁっ……!」


 刃が抜かれた。遅れて凄まじい激痛が訪れて、叫ばずにいられなくなる。


 ――そして、身体から急速に力が抜けていく。倒れた俺の目の前で、氷棺が砕け、捕らえたはずのリリムが自由を取り戻す。


「ミコト殿っ……何故だ……何故、ヒロトをっ……!」


 フィリアネスさんとミコトさんがどうしているかは見えない。出血によるダメージが、俺のライフをゼロに近づけていく。


 リリムの血を浴びたミコトさんは、「血の呪い」を受け、身体を操られ……俺を刺した。そうであっても、ミコトさんを責められるわけもない。


 俺は身体を起こされ、抱き上げられていた。リリムが俺の頬に触れている。


「……まだ身体が温かいうちに、もらっておくわね。死んでしまうと、あまり血は美味しくないのよ」


 ――やめろ。やめてくれ。


 俺は何も奪われたくない。俺の命を、奪わないでくれ――。


「うぅっ……ぁぁ……」



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》は「吸血」した!

・エナジードレインが発生した! あなたは生命力を失った。



「ヒロトっ、ヒロトっ! ……貴様ぁぁっ……絶対に許さない……絶対にっ……!」


 フィリアネスさんの悲痛な声が聞こえる。おそらく操られたミコトさんに、行く手を阻まれている……。


 かすんだ視界の向こうで、リリムが微笑む。心から満たされているというその顔を見て、俺は思う。


 恐怖よりも何よりも――魔王とは、何なのか。


 リオナと同じように「破滅の子」から魔王になったのか。それとも、リリムは元から魔王なのか――。


「…………」

「……なあに? あなたはこれから、試されようとしている。一度死んでから、私の眷属として蘇るのよ。何も恐れることは……」


「……死にたく……ない……」


 そう言っても、リリムの表情は変わらないままだった。

 ――まるで母親のように優しい目をして、俺を見ていた。これから生まれ変わる俺の母だとでも言うように。


「生まれ変わったら、あなたの欲しいものをあげる。あの女なんかより、もっと素敵なものを。だから、安心して死になさい」


(……嫌だ。俺は、人間として……人間のままで……)


 意識が闇に飲み込まれようとする。俺の渇望はどこに届くこともなく、ライフは100を切り、流れだす血とともに失われていく。



 こんなことが、前にもあった。


 同じように助けられてしまったら、俺は――きっと、後悔する。


 それでも願ってしまった。薄れゆく意識の中で、俺は――。



 ◆ログ◆


・あなたは護衛獣ユィシアを呼び寄せた。



(――ヒロトは私の主人マスター。それを奪おうとする者は全て――滅ぼす)


 轟音が鳴り響いた。ほとんど見えないおぼろげな視界でも、何が起きたのかは確かめられた。


 部屋の壁の一面が吹き飛んでいる。そして、そこには――。


 青みがかった銀色の髪を持つ、皇竜の少女と――幼い二人の、懐かしい姿がそこにあった。


「ヒロちゃんっ……!」

「ヒロト……!」


 リオナとミルテ。なぜ、連れてきてしまったのか――そう思う以上に。


 その声を聞くだけで、死に瀕していた身体に、わずかな熱が戻るように感じた。


 そして、ユィシア……彼女が居てくれれば。リリムから、皆を守ってくれる……。


(……ごめん。俺だけじゃ、どうにもならなかった……)


「……謝らなくてもいい。人間の男の子は、強がるもの。雄の強がりを許すのは、雌である私のつとめ」


 月光を浴びたユィシアは、リオナとミルテを置いて、こちらに歩いてくる。リリムを全く恐れることなく。


 いつもそうだった――ユィシアは、絶対的だった。だからこそ俺は、彼女に頼り切ることが出来なかった。

 本当の意味での主人になるために、彼女と同じだけ強くなりたいと思ったから。

 ――それを雄の強がりと言われれば、そのまま受け入れるしかない。彼女の言うとおりなのだから。


「マスターを傷つける者は許さない。例えリリスの妹であっても、関係ない」

「ふふっ……ふふふっ……ねえ、それはそこにいる子の前で言っていいことなのかしら? 私の姉さんなら、そこにいるじゃない」

「っ……やめろ……リオナには、言うなっ……」


 俺はリリムの身体に縋って、止めようとする。その手を受け止めて、リリムは俺をその場に横たえると、立ち上がってユィシアと対峙した。


「連れてきたことにはお礼を言わなくてはね……血を分けた姉さんだもの。会えて嬉しいわ」

「この子は、マスターを心配して来ただけ。リリムには関係ない。気にする必要もない」



 ◆ログ◆


・《ユィシア》の「ドラゴンハウル」!

・《ユィシア》の攻撃力、防御力が上昇した!

・《ユィシア》は一時的に状態異常耐性を獲得した!



 竜形態での咆哮を必要とするスキルだと思っていた――しかし、そうではなかった。

 人間形態でも、ユィシアを強化する効果自体は変わらない。竜形態で使えば、おそらく金縛りバインドなどの効果が付随するのだろう。


 竜の気に包まれたユィシアは、金色の瞳でリリムを睨みつける。奇しくも二人の強者は、同じ色の瞳をしていた。


「マスター、待っていて欲しい。すぐに終わらせる」

「終わるのはそちらよ、雌皇竜エンプレスドラゴンッ!」



 ◆ログ◆


・《魔王リリム》は「アビスグラビティ」を詠唱した!

・冥府の扉が開き、《ユィシア》の生気を奪おうとする!



「――遅い」

「っ……!」



 ◆ログ◆


・《ユィシア》は「テールスライド」を放った!

・《魔王リリム》に253のダメージ! 《魔王リリム》を宙に浮かせた!



「――あぁぁっ……!」


 ユィシアのテールスライドが、物理攻撃を無効化するはずのリリムの反応を上回る。次の瞬間、常に冷静沈着なユィシアが、初めて声を荒らげた。


「リオナ、ミルテ、ヒロトのことを任せる! 私は空でリリムを倒す……!」



 ◆ログ◆


・《ユィシア》は竜形態に変化した。



 リリムをこの場から遠ざけるためだけの一撃だった。ユィシアは竜の姿に変化すると、破壊された部屋の壁から、漆黒の空に飛び出していく。


「ミコト殿っ……目を覚ませっ! ヒロトはまだ生きている、戦いはまだ終わっていないっ!」


 フィリアネスさんの声と、剣戟の音が聞こえてくる。操られたミコトさんと、フィリアネスさんが剣を合わせている――ユィシアがリリムを倒すまで、あるいは無力化するまでは、時間を稼ぐしかない。



 ◆ログ◆


・あなたの出血状態が続いている。

・あなたのライフが36減少した。


 ――あと一度出血ダメージを受ければ、俺のライフはゼロになる。


「ヒロちゃん……すぐに助けてあげるね。ミルテちゃんは、さっき言ってたおくすりをさがして!」

「っ……わかった。ヒロト、おばば様に作ってもらった薬を……っ!」


(エリク……シール……そうだ……あれなら、今の俺でも……)


 治せるかもしれない。自分の命を繋ぐために使おうとは思っていなかったが――そんなことは言っていられない。



 ◆【薬】イ ベント ー◆


・【  質】ポーシ ン × 3

 解 のポー ョン ×17

・ 痺  の ー    ×

  リ シ



 インベントリーの中身がウインドウに表示される速度が遅くなり、表示が壊れている。ユィシアのテールスライドを受けた時と同じ、ウィンドウの状態は俺の生命活動に左右される。


 次に出血ダメージのログが出たら終わりだ。俺はエリクシールだと思われるアイテムを選び、それを使って、今までに何度も使ってきた交渉スキルの一つを選び、実行に移した。


(頼む……頼むから……まだ、生きていたい……だから……)



 ◆ログ◆


・あなたは《   》に依頼をした。

・あなたのインベントリーから、「      」が取り出された。



 もう、意識が続かない。抜けだらけのログも黒く塗りつぶされて――次のログを確認することも出来ずに。


 最後に思ったことは一つ。


 みんなが、無事であってほしい。フィリアネスさんも、ミコトさんも、ユィシアも――そして、ミルテとリオナも。


 ミルテの両親のことを伝えられなかった。その無念が、闇の中をよぎった。



 ◇◆◇



 雨が降っている。


 叩きつける冷たい雨の中で、俺は誰かに抱きしめられている。


 頭の下にあるのは、柔らかい膝だ。


 こんなに女らしくなってたんだな、と俺はとてもどうでもいいことを考えて……その膝が心地よいと感じた。


 なぜ、こんな時に思い出すんだろう。


 俺は今、どうなっているんだろう。


 走馬灯というには、その感覚は現実に近くて。


 目の前に居る陽菜が、泣いていて。


 その顔が、少しずつ近づいてくる。


 俺は一度もキスなんてしたことがないと思っていた。


 ――それはただ、忘れていただけだ。冷たくなっていく俺の身体を抱いて、彼女が別れのキスをしたことを。



「――私も行けたらいいのに。そうしたら、今度は……」



 肝心なことばかりが思い出せない。いつもそうだ、記憶というものは、言うことをきかない。

 俺はもう、その時には死んでいたのかもしれない。

 そう理解していてもなお、思う。陽菜の言葉を、終わりまで聞かせて欲しかったと。



 ◇◆◇



 何もなくなる前に、唇に何かが触れた気がした。


 何もなくなったあと、始まったものは、恐ろしいほどの熱だった。


 熱が生まれ、全身に広がっていく。凄まじい痛みに、俺は呻き声を上げる。だが、それは音にならない。


 全身の骨が軋んでいる。絶えることなく痛みは続き、俺はいっそ殺してくれと思い、すぐに否定する。


 痛みを感じるということは、生きているということだ。


 死ねば女神のもとにもう一度行けるのかもしれない。それも一つのゴールかもしれないが――それは、ただの甘えでしかない。


 生きたい。


 生き続けて、手に入れたいものが沢山ある。知らないことが、まだ山ほど残されている。


 そのためなら、痛みを受け入れる。死にたいと思うことも、もうない――ひたすらに耐えぬく。


 苦しみは終わることなく続く。やがてそれが終わる時、俺は死ぬのか――それとも。


 分からない。


 分からないが――。


 遠くに、光が見え始めている。薄ぼんやりとしていたそれは、少しずつ近づいて、輪郭をはっきりとさせる。


 ――現実が、そこにある。異世界マギアハイムという名の、俺にとって唯一の現実が。






「っ……!」


 がばっ、と飛び起きた。身体の感覚はまるでないのに、がむしゃらに身体を起こしていた。


「ひ、ヒロちゃん……?」

「ヒロト……」


 すぐ近くで声が聴こえる――というか、密着している。

 腕の感覚が少しだけ戻ってくる。この、懐かしい匂いは……匂いで気づくのもどうかと思うが……。


「ゴホッ、ゴホッ……!」

「ヒロちゃん……無理しちゃだめ、まだ、身体が……」

「……私たちは、ずっとついてる。心配しないで」


 喋ろうとして、うまく声が出なかった。

 ――そして辛うじて声を出したとき。

 それが自分の声だとは、俺には到底信じられなかった。


「リオナ……ミルテ……」


 もっと高い声をしていたはずだ。それなのに、低くなっているように思う。

 耳がおかしくなっているのかもしれない。おかしいといえば、何もかもがおかしかった。


 ――俺の腕では、リオナとミルテの二人を抱きしめて、背中に手を回すなんて無理だったはずなのに。


 ベッドの両脇で俺を見守っていてくれたのだろう彼女たちを、俺は、難なく二人同時に抱き寄せていた。


「っ……ご、ごめん……っ」


 リオナとミルテを離したあと、俺は自分の手を見た。


 まだ八歳の俺の手は、斧を握るのがやっとだったはずだ――しかし。


 そこには、大人といってもおかしくない大きさになった、俺の手があった。


「お、俺……なんで……リリムに殺されかけて……二人に、エリクシールを、頼んで……」

「っ……ヒロちゃんっ……!」

「ヒロト……ッ」


 リオナとミルテが感極まったように抱きついてくる。二人の姿は幼いまま――つまり、時間はそれほど経っていない。


 俺の身体だけが、大きくなっている。髪は伸び放題に伸びている――それが指し示すことは一つ。


(エナジードレインを受けて、死にかけた……それで、エリクシールを使った俺は……)


 エターナル・マギアにはエナジードレインは存在しなかった――リリムが使ったことで、初めて見た。

 他のゲームにおいて「エナジードレイン」と呼ばれる攻撃の効果には、いくつかの種類があった。

 ひとつは、レベルや能力を下げる。

 そしてもうひとつは――キャラクターを老化させる。


「良かった……ヒロちゃん、死んじゃうかと思ったっ……良かったよぉ……」


 リオナが泣きじゃくりながら抱きついてくる。その頭を撫でながら、俺はただ繰り返し感謝していた。

 リオナとミルテがエリクシールを使ってくれたから、俺はこうして生きることが出来た――そういうことだと、状況が示しているからだ。


「……その人は、本当に、ヒロトなの?」

「……そう。ステラ姉、こわがらないであげて。私たちの知ってる、ヒロトだから」


 部屋には他にステラ姉の姿があった。彼女の身長に並びかけてはいたが、まだ追いついてはいなかった――。


「っ……リオナ、ミルテ、ちょっといいか……?」


 うまく言うことを聞かない身体を動かして、俺はベッドを降りる。すると、立ってこちらを見ていたステラ姉を、簡単に見下ろすことが出来るほど視線が高かった。


「……ヒロト……ヒロトが……わたしより、お兄さんになったの……? どうして……?」

「……俺にも、まだ良く分からないけど。ごめんステラ姉、心配かけて」

「っ……ヒロト……っ!」


 ステラ姉と呼んだ瞬間に、彼女は弾かれたようにこちらに走ってきて、抱きついてきた。


「……ヒロト……もう、心配させないで。どこにも行かないで……っ」

「うん……ごめん。こんなになって、驚くよね……心配してくれてありがとう、ステラ姉」


 子供のような言葉遣いは、もう今の姿では似つかわしくない。けれど俺はステラ姉が落ち着くまで、彼女の弟分のようなヒロトでいたかった。


 元の姿に戻れるのかは分からない――あの痛みは、エナジードレインによって引き上げられた年齢に、身体が無理やり作り変えられていく過程のものだった。ネリスおばば様の若返りの薬があるが、それを使っても、一時的に元に戻ることしか出来ないだろう。


「ヒロちゃん、もうすぐお祭りが始まるんだって……公女さま、間に合ったんだよ」

「……ヒロトと、聖騎士さまたちのおかげ」

「ヒロトには、ゆっくりしていて欲しいけど……でも、一緒に……」


 リオナとミルテも抱きついてくる。ステラ姉は俺を誘ってくれている――控えめに、頬を赤らめながら。


 姿が変わってしまっても、みんな変わらずにいてくれる。けれど、他のみんなはどう思うだろう。


「そうだ……フィリアネスさんやミコトさん、みんなは……」

「みことさん……? あの、黒い服のお姉ちゃん?」

「……ユィシアがリリムをやっつけてから、いなくなった」

「っ……!」


 まだ目覚めたばかりだが、確かめなければならないことが山ほどある。それより何より、真っ先にしなければならないことが出来た。


(ミコトさん……ミコトさんのせいじゃない。まだだ……まだ間に合うっ……!)


「みんな、心配かけてごめん……俺は祝祭が始まる前に、ミコトさんを探してくる!」

「うんっ、フィリアネスさんたちもさがしてるの。ヒロちゃんもいけば、きっとみつかるよ」

「私たちも一緒にさがす。ユィシアが、ついててくれるから」


(……私は無事だから、心配ない。ミコトのことは、空からも探す。見つけたら教える)


 ユィシア……この場にはいないけど、声だけは心に響いてくる。彼女にも、どれだけお礼をしてもし尽くせない。


 ジョゼフィーヌだって頑張ってくれた。状態を確認すると、ダメージはもう回復している――あとで、ちゃんと姿を見てお礼を言いたい。


 俺は用意されていた、大きくなった身体に合った服を身につけ、宿を走り出た。


(まだ、遠くには行ってない……そうだよな、ミコトさん……!)


 ユィシアだって探してくれている。フィリアネスさんたちだって……それならきっと見つけられる。


 俺はまだ朝方の町を走りながら、ステータスを確認する。今の自分が何歳かを確かめるために。





 

 ◆ステータス◆


名前 ヒロト・ジークリッド

人間 男性 14歳 レベル58


ジョブ:村人

 ライフ:1840/1840

 マナ:1524/1524



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