表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/104

第三十二話 白と黒/二人目の刻印/忍びの本懐

 ヴィクトリアはしばらく迷っていたが、意を決したように口を開いた。


「……と、ところで……ヒロト。今さら、装備を返せなどと言うつもりはないが……あ、あれだけは、私の手元に戻してくれ。吸魔の鎧はお前に預ける、あれは私を狂わせる魔性の鎧だ」

「え……あれって? 俺、吸魔の鎧しか……ああ、クロースアーマーのことか?」

「ち、違う……それも返してもらえればありがたいが……まさか、回収してこなかったのか? それなら、監視をつけてもらってもいい、私が自分で探しに行く。あれを他人に見られたら、私はやはり舌を噛まなければならない」


(……あれって何のことだ? 俺、何か別に拾ってきたっけ?)


 そういえば、ミコトさんが何か言ってたな。吸魔の鎧の他に、何か変わったものが無いかとか。

 最近取得したアイテムは、新規アイテム欄で確認することができる。俺は何もないだろうと思いつつ、もう一度確認してみることにした。



 ◆新規取得アイテム◆


両手剣:黒曜石の大剣+3

頭装備:悪の鉄仮面

肩装備:【肩】吸魔の鎧

胸装備:【胸】吸魔の鎧

腰装備:【腰】吸魔の鎧

腕装備:【腕】吸魔の鎧

脚装備:【脚】吸魔の鎧

補助装備:黒のクロースアーマー

補助装備:黒のスキャンティ



(……スキャンティ?)


 クロースアーマーと一緒くたに回収してしまったのだろうか。ジョゼフィーヌは一個ずつ脱がせる淑女だというのに。

 ……スキャンティってなんだろう。これは、フィリアネスさんに聞いてみるしかないか。俺は部屋の隅で恥じらっているフィリアネスさんに近づき、驚かせないようにそっと肩を叩いた。


「……ヒロト……私が、恥知らずな女だと気がついてしまったのか……? いたいけな少年に、な、何度も、聖騎士らしからぬ行為を……っ」 

「ち、違うよ、そうじゃなくて。フィリアネスさんは全然悪くないよ、ね?」

「……うむ。おまえがそう言ってくれるなら、気が楽になる」


 フィリアネスさんはぺちぺちと頬を叩くと、気を取り直してすっくと立ち上がった。その立ち直りの早さに、ヴィクトリアがちっ、と舌打ちをする。


「少し慰められたくらいで、私とフィル、お前の差は埋められない。私は心身共に、ヒロトに捧げ尽くしているのだからな」

「そんなことはもう気にしない。おまえと私では、ヒロトと積み重ねた時間が違う」

「なっ……じ、時間など関係ない! いかなる接触をしたかが問題なのだ! こら、む、無視をするなっ!」


 フィリアネスさんは耳を貸さない。つーん、という彼女の仕草は珍しいくらいに子供っぽい……こんな一面もあるんだな。ヴィクトリアと話していると、フィリアネスさんは俺の知らない一面を見せてくれる。


「あ、あの、フィリアネスさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「ん? ああ、すまない。ヴィクトリアには、しっかりと言っておきたかったのでな……それで、どうしたのだ?」


 俺は例のごとくフィリアネスさんにかがんでもらい、彼女に小声で質問した。


「――フィリアネスさんは、スキャンティって何のことか知ってる?」


 聞いた途端に、フィリアネスさんがびくっと跳ねた。そして慌てふためき、俺の両肩に手を置いて、ずいっと迫ってくる。


「っ……す、す……な、なぜ今それを……っ?」

「あ、え、えーと……貴重なものなのかなと思って。それって、大事なものだったりするのかな?」


 フィリアネスさんが凄くあせってる……そんなにレアなアイテムなんだろうか?

 インベントリーから出してみればいいのだが……そうしてみるか。いや、フィリアネスさんが教えてくれれば……。


「……ヒロトは、そんなものが欲しいのか?」

「え、えーと……貴重なものなら欲しいかなって」

「そ、そうか……わかった。お前がそこまで言うのなら……す、すぐに必要なのか?」

「う、うん。すぐに教えてもらえるとありがたいかな」


 何か噛み合ってない感じが……あ、あれ? フィリアネスさんが部屋から出て行ってしまった。

 ヴィクトリアは縛られて赤くなった手首を見つつ、こちらを微妙にじっとりとした目で見てくる。


「なぜフィルに相談する必要があるのだ……それにあの女、何か勘違いしているのではないか?」

「勘違いって、何を?」

「わ、私が知ったことではない……どうなっても知らんぞ」


 ヴィクトリアはそっぽを向いてしまう。そして、フィリアネスさんがドアを開けて戻ってきた。右手は背中の方に回っている……何か隠してるみたいだ。


 彼女は無言で俺を部屋の隅に連れていくと、かなり迷ってから、後ろ手に持っていたそれを、ヴィクトリアに見えないようにして渡してきた。


「……必要ならば仕方がない。わ、私には一枚しか持ち合わせがないので、今脱いできたのだが……」


(……脱ぐって、なにを? 俺はスキャンティのことを聞こうとしたはずでは……?)


「あ、ありがとう……」


 渡されたものは、白くてやわらかい布みたいなものだった。

 ぴら、と広げると、フィリアネスさんは顔を覆ってしまう。耳まで真っ赤になって……な、なんだ。この布が、そんなに恥ずかしいものなのか……?


「……そんなに急に欲しいと言われても、困ってしまうからな……今度からは、事前に心の準備をさせてくれ。まったく何を言い出すのかと思ったぞ」


 フィリアネスさんは腰のあたりが落ち着かなさそうにする。彼女が今着ている服は、鎧を外したあとなのでラフな服装だ。簡素なワンピースのような感じで、ひざ上くらいまでしか丈がないのだが、太ももまで靴下でカバーされている。恥ずかしがるような服装ではないのだが……。


 それは、しっかり下着を装備していればの話だ。


(……す、スキャンティって、パンツのことか……!)


「……女性の下着など、欲しがるべきではないぞ。分かっていて聞いたのではないのか?」

「え、えっと……何ていうか、その……」


(違うと言ったら、フィリアネスさんに恥をかかせることになる……でも、今のやりとりでまさか脱いでくれるなんてありえないだろ! あ、温かいんですけど……!)


 脱ぎたてのパンティおくれ、というニュアンスのことを言った覚えは全くない。しかし振り返ってみると、そんなふうにとれなくもない。スキャンティが、女性の下着のことだったとしたら――単に俺が、無知を晒していただけなのだとしたら。


(……へ、変態だぁぁぁぁ! 俺が!)


「そ、そんなにしっかりと掴むな……生地が繊細にできているから、伸びてしまうぞ」

「ヒロト、フィル、何をしている。私はそれほど、大それた要求をしているわけではないつもりだが……?」

「ヴィ、ヴィクトリアさん、その話はまたあとで! 絶対後で返すから!」

「……ま、まあ、それならばいいのだが。一応聞いてみただけなのだから、そこまで気に病むことはないぞ」


 逆にヴィクトリアに心配されてしまった。毒舌がなくなると、フィリアネスさんと口調が似て、騎士らしさが出てくるな……などと思いつつ。



◆ログ◆


・あなたは「白のスキャンティ」を手に入れた。



(っ……い、いらなくは決して無いけど……むしろ欲しいけど、正式にログで表示されても……!)


「……と、とにかく……ヴィクトリア、お前の今後については決定した。グールドには協力せず、ここで待機していてもらう。表立ってグールドが黒騎士団に接触できない以上、それで問題あるまい」

「いいだろう。先ほどの尋常ならざる気配もあることだ……私も一度拾った命を、簡単に捨てることはするまい」


 ミコトさんが常に監視してるわけじゃないけど、一度あの殺気を向けられたら、それは生きた心地がしないだろう。これ以上裏切らないように念を押す必要はなさそうだ。


「では、私たちは準備を終え次第出発する。ヒロト、行くぞ」


 フィリアネスさんに手を引かれて部屋を出る。しかし彼女は宿を出ずに、俺を別の部屋に連れて行った。

 何か、彼女が急いでるというか……俺はこれから、やっぱり怒られるのでは……?


「あ、あまり動くとやはり……ヒロト、あとで返してもらうぞ。ことが済んだあとにな」


(……ことって何のことなんだろう。俺は子供だから全然わからない……なんてわけにいくか……!)


 鈍い俺でもわかる。フィリアネスさんがしようとしている「こと」が何なのか。



 ◇◆◇



 空き部屋に入ると、フィリアネスさんは鍵をかける。そして、俺のことをまっすぐな目で見つめて言った。


「……先ほど席を外したとき、宿の主人に言って、少しだけ部屋を借りてきた」

「ご、ごめん、俺、何のことかわかってなくて……」


 下着をもらったことを怒られるとか、返せと言われるのかと思ったが――違っていた。


「……ヴィクトリアに、彼女が言っていたようなことを、したのだな?」

「っ……そ、それも本当にごめん、でも……」

「でも、ではない。ヴィクトリアに勝ったままだと思われているのは、気分がよくない……」


(……それって……フィリアネスさん、もしかして……)


 改めて怒られるとばかり思っていた俺だが、その一言でスイッチが切り替わった。

 フィリアネスさんは木で作られた窓の隙間から入り込む光の中で、俺の方をまともに見られずに俯いている。その手は服の胸のところをきゅっと掴んでいた。


「私の気持ちは、分かってもらえるだろうか……そう、悠長にしている時間がないとは分かっている。しかし、あそこまで言われては、私も……黙っているわけには、いかないのだ……っ」

「……あ、あの。ずっと、言ってなかったことがあるんだけど……」


(今しかない。はっきり言っておくには、今しか……その流れならきっと、フィリアネスさんは、俺から『限界突破』を受け取ってくれる)


 母性が一定の数値を超えている人から、俺はスキルを与えてもらうことが出来る。

 そして今の俺は、持っているスキルを一つ与えることができる。

 限界突破にこだわりすぎることはないが、俺はフィリアネスさんの「今のままではいけない」という思いに応えたい。出来るなら、俺の手でそのきっかけを作ってあげたい。


(ユィシアに頼むのが申し訳ない……というか。ドラゴンミルクは、代価が必要だからな)


 金貨でスキルを手に入れるのも、それは悪くないのかもしれない――しかし。俺は自分の独占欲に正直で、ユィシアとの繋がりを唯一のものにしていたいと思ってしまった。


 そんな俺の胸中を知らず、フィリアネスさんは緊張した面持ちで歩み寄ってくる。まだ見上げるような身長差があるけれど――小柄な彼女には、今のまま成長し続けられたら、いつか追いついてしまうだろう。


「……言っていなかったこととは。私の……その、吸ったことで、神聖剣技を身につけたということか?」


 見ているだけで習得した――そんなふうにフィリアネスさんは言ってくれていたけど。それは二番目の予想であって、彼女の中では、一番目の答えは違っていたのだろう。


(知っていて、させてくれたのか……いや。俺が魔法剣を使ったときに気付いたのかな)


 それまで剣の修業などしてなかった俺が、斧に魔法をエンチャントできる――それに理由を見出すなら、魔法剣を使えるフィリアネスさんと、幼い頃から一緒にいたことが挙げられるのは、自然ななりゆきだ。


「おまえが最初に魔法剣を見せてくれたときは、目を疑った……信じられないと思っていた。しかし同時に、私が何らかの影響を与えたのかもしれないと思った。聖騎士でなければ習得できない剣技のはずなのだから、私が傍にいたことが一因なのではないかと……私がお前に与えたものといえば、やはり……最も先に思いつくのは、それしかないからな」

「……うん。俺はフィリアネスさんのおかげで、魔法剣が使えるようになった。ずっと言わずにいてごめん」

「いや、いいのだ。赤ん坊はお腹がすくのが当たり前……レミリア殿は、もともとそれほど乳が出るほうではなかったと伺っている。それでもヒロトがお腹をすかせているなら、私はしてよかったと思っている。もちろん、あの年齢で出るとは思っていなかったのだがな」


 恥ずかしそうにしながらフィリアネスさんは言う。もちろん、大きければ出るものじゃなく、自分の子供に与えるために出るものだから――多少例外はあっても、普通はないことだ。異世界だと、どうもその辺りがスキルに依存しているというか、母性が20であるというだけで出ると決まってしまっている。


(そのおかげで、俺は今まで生き残ってきた……っていうのは大げさじゃないんだよな)


 ユィシアと戦うときにあそこまでスキルを上げておけたのは、授乳の恩恵を限界まで受けたからだ。あの時使用したスキルが一つでも欠けていたらと思うと、文字通り生きた心地がしない。


「……俺、フィリアネスさんにお礼がしたいってずっと思ってたんだ。赤ん坊のとき、初めて魔法剣を見たときのことは、今でも覚えてる。フィリアネスさんは、俺を助けてくれた。竜の巣の時も、駆けつけてくれた」

「そんなことを考えていたのか……そうか。ならば私は、何も不安に思うことなどなかったのだな。ヴィクトリアのことも、子供ならではのおいたと思うべきなのだろう……しかし」


 フィリアネスさんはそこまで言うと、俺を見やる。そこにある感情は――考えるまでもない。


 俺にだってあるもの。彼女にだって、他の誰にでもきっとある、独占欲。


「いつでも女は、確認しておきたいと思うものだ。私がおまえの心の、どれだけを占められているのかを」

「……いっぱいだったよ。俺は、いつでも……」

「うむ……そうなのだろうな。それは、見ていれば分かることだ」

「や、やっぱり分かりやすいかな……」

「そうでなければ、私もこうしてはいないだろうな。もしおまえが嫌がっていたら、こんなことはできない……」


 いつから始まるのか、それとも、この部屋に入った時からなのか。

 フィリアネスさんは服の前を開いていく。ゆったりと広く作られた服ですら張り詰めさせていた、まだ成長を続けている胸が露わになる。

 少し前までは重力に引かれることなくツンと逆らい続けていたけれど、成長しすぎて臨界に達し、ほんの少しだけ下に引っ張られている。鎖骨の下から始まる稜線はすぐに最大の標高に達する――こんな形状を保つことが出来るのは、彼女が身体を鍛えているからだろう。胸を支えるにも筋肉の支えが必要だ。


(何度見ても綺麗だな……胸がやっぱりすごく大きいけど、奇跡的なバランスで均整がとれてる……)


「……いつも、そうやって真面目な顔になって考えているのは……私を、女として意識しているからか……?」

「……まだ早いって思うかもしれないけど……そう言ったら、ませてるって思われるかな」

「そんなことはない。お前は子供らしいところもあるが、人を導き、引っ張っていくという点においては、大人でも真似のできないものを持っている。私がさっき言ったこと……お前に飼われているようなものだというのは、大げさな例えではない。ミゼールに通うのは魔剣を見守るため……そして、お前の元に帰るためだ」


 そんな気持ちで居てくれたのか。俺の方こそ、母さんに犬みたいって言われるほど、彼女が来るたびにはしゃいでいたのに。


(……もし彼女を魅了せずに、純粋に一緒にいる時間を重ねてたら。いや……それは、ありえない可能性だ)


「赤ん坊のとき、お前を愛でる気持ちを自覚したとき、私にも母親になりたいという願望があるのだと思った。しかし……違っていたようだ。私はおまえの成長を心待ちにしている。マールや、アレッタのことを全く笑うことはできない。私たちは揃って、同じことを望んでいるのだから……そう認めてからは、彼女たちともより対等に付き合えるようになった。気付いていたか?」


 長い付き合いがそうさせたのではなく、俺への思いが同じだから……ということか。マールさんとアレッタさんが時折口にすることへも、俺はいつか必ず答えなければいけないと思う。男が女を待たせていいのは、必ず気持ちに応じられる場合だけだ。


「おまえになら、私たちは安心してついていける。そんな言い方をしては、重荷になるかもしれないが……そのために出来ることは全てしよう。いや……させてほしい。私の力が、いずれお前に届かなくなっても……」

「……そんなことないよ。そんなことは、絶対にない」

「……自分のことは、私が一番よく分かっている。私はもう、ヒロトには及ばない」


 彼女が今も公国最強であることは間違いない。しかし、それは俺を入れなければの話だ。

 ユィシアをテイムして戻ったときには、フィリアネスさんは分かっていたのだろう。俺がボーナスを使い、戦闘スキルの幾つかをカンストさせたことに。ステータスが見えなくても、彼女ほどの武人ならば感じ取れる。


 俺のために焦っているなら、その気持ちをとても嬉しく思う。

 そして、もう焦ることはないんだと教えてあげたい。今、これから、この場所で。


「……俺は神殿で、ルシエの洗礼に立ち会った。そのとき、神様に新しい力をもらったんだ」

「神に……力を……ヒロト、おまえはやはり……」

「女神……様は、直接、自分ではルシエに王族の印を与えなかった。俺が代わりにするように言われたんだ。そのための力は、きっと、フィリアネスさんのためにも使える。限界をなくす力をわけてあげられるよ」


 そんな説明で納得してもらえるのか――分からなくても、俺は言葉を尽くすしかない。

 今、ここであげることになるとは思っていなかった。しかしできるだけ早いに越したことはない。今すぐにでも、彼女がじきに行き着くだろう限界をなくしてあげたい。


 フィリアネスさんはしばらく、そのつぶらな碧眼で俺を捉え続けていた。やがて瞳が細められ、長い睫毛の向こうの瞳が、戸惑いを隠さずに揺らぐ。


「神の力で、限界を超える……私に、それだけの資格があるのだろうか……?」

「あるよ。本当なら、俺よりフィリアネスさんの方がふさわしいと思う。フィリアネスさんには、いつでも誰より強い存在でいてほしいんだ」

「……お前を超えることがどれほど難しいか。私は、それが分かるほどの力量はあるつもりだ。だが、成さねばならぬのだろうな。超えられなくとも、並ばなくてはならない。私は、お前に追いつきたい」


 彼女が心を決めてくれた。迷いのなくなったフィリアネスさんは、ここ数年で一番、眩しい笑顔を見せてくれた。


「……ヴィクトリアの挑発に乗って、小さなことを考えている場合ではなかったな。ヒロトのほうが、よほど真面目に私のことを考えてくれているというのに……私は自分が恥ずかしい」

「い、いや……しまわないで欲しいっていうか、あ、あのっ……」


 服を元に戻して胸をしまおうとするフィリアネスさんを止める。さっきからずっと見せられ続けて、それで元に戻されると、半分泣きそうになってしまう。そんなにまで欲しがる自分を恥じ入りながら、欲しいものはしょうがないだろうと開き直りたくなる。

 とどのつまりは……俺は、もうスキルなんて関係なく求めてるってことだ。フィリアネスさんとの触れ合いを。


 そんな俺をきょとんとして見ていたフィリアネスさんは、くすっと笑うと、俺を抱っこして運び、ベッドに降ろす。頭の後ろに手を回され、ベッドに寝かされた俺は、彼女に迫られている姿勢になる。ヴェレニスでのことを思い出し、期待に鼓動が早まり始める。


「……日を追うごとにお前は愛らしくなっていく。そのうち、立派な男になっていくのだとしても、この気持ちは変わらないのだろうな」


 ◆ログ◆


・あなたの「艶姿」が発動した! あなたの振る舞いに、《フィリアネス》は釘付けになった。



(こ、こういう時に発動するのか……魅了にも近いものがあるな)


 フィリアネスさんは俺のことを熱っぽく潤んだ目で見つめている。こうして俺に迫っている自分の姿を恥じらい、けれど俺が愛しくてしょうがない。彼女がそんな葛藤と戦っているのは、瞳を見ればわかる。


 ――そんないっぱいいっぱいのフィリアネスさんを見て、逆に俺は、自分が落ち着かなければと思うことが出来た。

 俺がフィリアネスさんの髪を撫でると、彼女はふっと笑って、胸を隠していた手を外す。重力に引かれ、ふるんと残像を残して胸が揺れるのを見て、俺はこくんと息を飲む。どれだけ成長しても、変わることのない衝動――もしかしなくても、一生変わらないだろう。


 俺はフィリアネスさんの髪を代わりにかきあげてあげる。すると、俺の視界を遮るものは何もなくなり、新雪に覆われたように真っ白な二つの丘陵が目に飛び込んでくる。


「……すごく綺麗だよ、フィリアネスさん」

「……ありがとう。おまえにそう言ってもらうたびに、私は生きていてよかったと思える。それほどに嬉しい……」


 見つめ合いながら、俺はフィリアネスさんの胸の谷間に手を置いた。とくんとくん、と激しい鼓動が伝わってくる。


「……ドキドキしてる。すごいね」

「……それは、仕方がない。昔より、今の方が緊張している……おまえが、少しずつ大人になってゆくから」

「そっか……じゃあ。あんまり、フィリアネスさんのことを待たせるわけにはいかないね……」

「……戒めがあるのでな。それがなくても、まだお前は幼すぎる。道を外れるようなことは、させられない」


 俺たちはそういう出会い方をしてしまったのだから仕方がない。そう思いながら、俺は彼女が驚かないように、下から支えるように双子の山に手を添えた。


 ◆ログ◆


・あなたは《フィリアネス》から「採乳」した。

・聖剣マスタリースキルが上がりそうな気がした。


「……温かい。何も、不安に思うことはなかったのだな……ヴィクトリアがどれだけおまえを誘惑しても、私は負けてはやれない」

「うん……大丈夫だよ、フィリアネスさん」


 触れているうちに、今度は俺の心臓が早まってくる。やはり落ち着こうとしても、抑えられるものではない。

 その変化にフィリアネスさんが気づくことはない。短い触れ合いでも彼女は満たされたように微笑み、薄く汗ばんだ肌に張り付いた数条の髪をそのままに、俺に次のエネルギーを与えてくれる。


 ◆ログ◆


・あなたは《フィリアネス》から「採乳」した。

・聖剣マスタリースキルが上昇した!



(着実に上がってる……いずれ10ポイントになったら、何が起こるんだろう)


 満足感を覚えるが、これで終わりではない。今からフィリアネスさんに「授印」しなければ。


「フィリアネスさん……」

「……お前が言葉を話すようになり、名前で呼んでくれるようになって、とても嬉しかった。しかし……今では、それだけでは足りないと思ってしまう」

「……フィル、って呼んでもいいかな? 二人でいるときは」

「っ……」


 なんとなく思っていたことだった。俺が『さん』をつけなくなったら、彼女がどう思うのか……。

 それはまさに、彼女が「足りない」と思っていたことの答えだった。


「……なぜ、わかったのだ? 私が敬称をつけられることに、距離を感じていると……」

「いや……ルシエたちがフィルって呼んでるのを見て、いい呼び方だなと思ってただけだよ」

「そうか……そうだな。私にとっては幼名のようなもので、恥ずかしくもあるのだが……他に私をそう呼ぶのは両親だけだ。おまえにもそうしてもらえると嬉しい」


 幼名と聞くと、やはりリオナの『ヒロちゃん』という呼び名が浮かぶ。彼女は大人になっても、ずっとそのまま呼び続けるのかもしれないが。


「……誰か、別の人のことを考えているだろう。わかるのだぞ、顔を見れば」

「そんなに分かりやすいかな?」

「うむ。赤ん坊の頃からそうだ……おまえはとても分かりやすい。それでも全部を知ることはまだできていないのだから、興味が尽きない。お前についていくことで、新しいものを見つけられる……いつでも、そんな気がしている」


 ネリスおばば様が言っていた。フィルにもまた、ミルテの親を連れ戻すために力を借りたいと。

 公国に仕える聖騎士の務め。彼女が俺についてくるということは、その務めと両立が出来ないかもしれない。


(……いや。フィルがそうしたいと思う生き方を、俺は全て肯定する。その上で彼女が欲しいんだ)


 理想を追い求めすぎて、破綻することへの恐れがないわけじゃない。しかし転生してまで夢を見ないというなら、いつになったら理想を思い描き、それを目指して生きることが出来るのか。

 俺は全てを手に入れる。本当に何もかも、自分の望む全てを。


「……しかし、嫉妬してばかりでも良くない。そんなことにかまけていたら、私は停滞してしまうからな」

「いや……気持ちは飲み込まないで、言ってくれた方がいいよ」

「問題ない。私はおまえと訓練をすることで、行き場のない気持ちを昇華することができる。それだけの時間は、これからも作ってもらうぞ」


 限界突破を手に入れたあと、俺やユィシアと訓練することでスキル上げができる。俺にしてもフィルとの手合わせは楽しくて実りがあるし、これからも続けていきたい。


「これからも、一緒に強くなっていこう……って、俺から言うのは、やっぱりまだ恐れ多いな」

「堂々としていればいい。身体の大きさや年齢が人間の本質を決めるわけではないのだから」

「うん。ありがとう、フィル。じゃあ……そろそろ、始めようか。俺の力を、フィルにあげる」


 授印の手順はもう覚えている。スキルを発動させ、着印点に唇を触れさせ、完了まで待つ……今度も、問題なく成功するはずだ。


 ◆ログ◆


・あなたは「授印」を発動した!

・《フィリアネス》の身体の一部が発光した。キスしますか? YES/NO


「っ……な、なんだ……この、あたたかい光は……」


(着印点……フィルの身体の、どこに……)


「こ、ここに印が出てくるのか……?」


 フィルはベッドの上で膝立ちになる。光は彼女の下半身――左足の太ももの、内側に発せられていた。

 俺はそれを見た瞬間から、無心になろうと決めた。邪念など一切なく、ただ印をつけるだけ――そうでないと、許されない。


「……ヒロト、頼む。私はじっとしているからな……少しくすぐったくても、耐えてみせる」

「う、うん。いくよ、フィリアネスさん」


 ◆ログ◆


・あなたは《フィリアネス》に刻印を与えた!

・刻印の力で、《フィリアネス》は「限界突破」スキルを取得した! さらに上の世界への扉が開いた。



(よし……っ!)


 そっと唇を離すと、フィルの太ももにキスマーク――じゃなくて、小さな刻印がついている。俺のイメージで、月光花を模した模様にした。


「ふぅ……終わったよ、フィル。身体の感じは……」

「……何か、とても満たされた感じがする……今までにない感覚が……あって……しかし……すーすーとして、落ち着かないのだが……」


(スースーする……? さっきは、熱いって言ってたのに)


 気づかなければ良いことが、この世にはたくさんある。

 というか、今まで気づかない方がおかしいのだが、それはもう、俺が迂闊だったというか――注意力が散漫だったというか。


(何が起こったのか分からねえと思うが――じゃなくて。お、俺は……俺はなんてことを……!)



 ◆新規取得アイテム◆


補助装備:白のスキャンティ



(持ってたぁぁぁぁぁ!)


「……きゃぁっ!?」


 そして今さら気がつくフィル。自分で脱いで俺にプレゼントしてくれたのに。こうなる前に気付いていたら、俺はさなぎから蝶にならずに済んだのに。責任回避もはなはだしい。


「み、見たのか……ヒロト……」

「み、見てないよ! 全然見てない!」

「そ、その反応は確実に見ているではないか……! わ、私は、露出狂ではないぞ! 忘れていただけなのだっ、ほ、本当にそうなのだからな! 今見たものは忘れ……い、いや、忘れなくてもいいが、誰にも言うなっ! 特にマールとアレッタには内緒にしろ!」


 がばっと起き上がったフィルに揺さぶられつつ、俺は半泣きのフィルを落ちつかせようと、「見てない」「見えたけど見てないことにする」「きれいだった」「もう一度見ないとわからない」と証言を変遷させた。


「あ、あれを返せとは言わない……しかし、責任は取ってもらう。母上と乳母にしか見せたことがないのだからな……っ」

「う、うん……大丈夫、前向きに検討するよ」

「ば、馬鹿ものぉっ! そこは約束すると言うべきところだろう!」


 枕を投げられる俺。頭にぼふっと当たって跳ねたそれをキャッチしつつ、俺はフィルが子供みたいに怒っているところが見られて嬉しく思っていた。本当に困ったやつだ、と自分のことを評価しながら。



 ◇◆◇



 フィル――いや、二人のとき以外はフィリアネスさんだ。それは言葉にしない時でも意識しておかないと、あっさり間違えてみんなの前でフィルと呼んでしまうので、そこは留意しておく。


 宿屋から出たあと、フィリアネスさんは鎧を着て、ルシエも準備を済ませて馬車に乗り込んだ。俺が御者をしようと馬に跨ったとき――村の門から、芦毛の馬に乗って駆け込んでくる人の姿を見つけた。


(あの水色の髪……パメラ……!?)


「ヒロト、ここにいるのかい!? いたら返事しておくれっ! あたしだよっ!」

「俺ならここにいる! どうしたんだっ!?」


 門のところで護衛兵に止められかけていたパメラだが、俺が呼んだことで護衛兵が空気を読んで通してくれた。パメラは馬の速度を緩め、手綱を引いて静止させる。


「ヒロト……ろくでもないことになっちまった。この南ジュネガンの公爵が兵を動かして、山賊狩りを始めたんだ……ポイズンローズや他の山賊に全てなすりつけて、山賊討伐の名目で首都の近くの砦に兵を集めさせてる。あたしらも散り散りになって逃げてるけど、このままじゃ皆殺しにされちまう……っ!」


 ――そこまでするとは思いたくなかった。そんな自分の甘さが、この事態を招いた。


 ルシエの洗礼を妨害した、あるいはルシエの身柄を確保したという知らせが届かなければ、敵は次の手を打つ。何がなんでも、ルシエが王族になったと民衆に公表させないために動く……。

 黒騎士団が罪をなすりつけようとした山賊たちに、累が及んでいる。パメラも腕に傷を負い、包帯を巻いていた。それに気付いたアレッタさんが馬車から出て、パメラを馬から降ろし、手当てを始める。


 馬で先行して馬車を護衛する役目を担っていたフィリアネスさんが、馬を歩かせてこちらにやってくる。


「……もはや、一刻の猶予もない。しかしグールドが兵を動かしたとなれば……今、ルシエを連れて首都に向かうのはまずい。奴らは移動中の公女が山賊討伐に巻き込まれたとでも理由を付け、ルシエを狙う。たとえ、筋が通らなくとも」

「ポイズンローズに罪をかぶせようとした時点で、筋なんて通ってなかったさ。最初から、奴らは手段なんて選んでなかった……そういうことなんだ」

「祝祭の期日を延ばせば、敵の思うつぼだ。ヒロト……」


 祝祭を諦めるべきなのか。ルシエの無事を最優先にするなら、それも選択肢に入れられる。

 ――しかし。俺はもう、これ以上決着を先延ばしにするつもりはなかった。


「交渉はパワー……あまり言いたくはありませんが。そうするしかないですわね」

「……ミコトさん」


 いつの間にか俺が乗っている馬の後ろに、ミコトさんが座っていた。馬車を引くために立派な体格をした馬は、子供の俺とミコトさんが乗ったくらいではびくともしない。

 彼女は俺の背中にそっと近づき、そしてささやくような声で、恐るべきことを口にする。


「――殲滅してさしあげましょうか? 公爵の軍勢を」


 殲滅。それは、ミコトさんの力を発揮して行われる殺戮――敵を倒すための、最も分かりやすい方法だ。

 ゲームでは、そんな力押しを選択することもあった。それが正しい答えとされるクエストもあった。


「敵は弱い者を追い詰め、自分たちの思うがままに国を動かそうとしている。もう、平和的な解決など考えられません。今の公爵に脅威を与えることが出来るとしたら……それは」

「力でねじ伏せるしかない。俺も、それは分かってる……敵がここまでしてくるとは思わなかった。山賊は確かに悪いことをしてるかもしれない。でも、やってもいない罪を着せられていいかどうかは別の問題だ」

「あ、あたしらは……逃げおおせられればそれでいい。ヒロト、あんたの近くにいれば、あたしは……」

「ああ、それは問題ない。パメラはこれから、俺たちと一緒に行動してくれ。公爵は、自分で兵を率いてるのか?」

「公爵には親衛隊みたいなのがいるから、それの隊長が兵隊を指揮してる……公爵は、祝祭に出席するために首都にいるはずだよ。四王家の公爵は、出ることが義務になってるからね」


 首都にいれば、ルシエが来ない状況を公爵は自分の目で確かめられる。

 ルシエの王族入りを祝う立場のはずの人間が、実は裏切り者である――誰もそんなこと、夢にも思わないだろう。真実を知っている俺たち以外は。


「……ギルマス。私はあなたのためになら、どんな行為も厭いませんわ。命じてくださいませ」


 ギルド時代に対抗勢力とやり合ったことがあるが、そんなレベルの問題じゃない。甘いことを言っていれば、敵の思い通りになってしまう。

 ――傷ついたパメラを見たときに、俺はもう決めている。公爵を、ただではおかないと。


(ミコトさんなら……きっと、一人でもやれる。俺の命令ひとつで、彼女は……)


 冷徹な殺戮者になり、血の雨を降らせることができる。もしそうしたとしても、彼女が俺の仲間であることに変わりはない。

 しかし、本気を出すにもやり方は一つじゃない。俺は振り返ると、ミコトさんに笑いかけた。


「敵の首領の首を取るのが本懐……それが、ミコトさんの主義だよな」

「……はい。しかし、敵はそれだけで止まるのですか?」

「止められるかどうか、まずはやってみようじゃないか。俺がミコトさんに命じることは、こうだ。『俺と一緒に、グールドを倒してほしい』」

「……ギルマス……」


 彼女を一人で行かせることも俺は考えていない。安全なところで待っているだけのギルドマスターなんて、誰の人望も得られやしない。


「ヒロト……公爵のもとに潜入するなら、私も同行させてほしい」

「聖騎士さん……敵は仮にも公爵であり、王族です。剣を向けられるのですか?」

「……グールドをこの手で斬れるのかはわからない。しかし、私もこの目で見届けたいのだ」

「分かった。フィリアネスさん、俺、ミコトさん。この三人なら、全く問題ない」


 グールドの凶行を止める。交渉はパワーだとミコトさんは言ったが、それは公爵に俺たちの力を見せ、敵に回すべきでないと理解してもらうということだ。後手に回ってしまったが、今はそれしか切れるカードがない。


「目指すは首都……みんな、行くぞっ!」

『了解っ!』


 フィリアネスさんが馬を駆けさせる。ミコトさんは俺と目を合わせると、ただ頷きを返し、馬車に乗り込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ