第二十六話 神官の姉妹/星空の下
俺たちは夕暮れ前にイシュア神殿に隣接した村に辿りつき、そこで宿を取った。ヴェレニスより少し規模の大きい村で、人口は五百人ほどだという。村長は公王家に仕えていた神官で、この村の住民のほとんどが、イシュア神殿で神に仕えているそうだった。
村長が手配してくれた宿の部屋に入ると、ミコトさんは改めて皆に挨拶をした。このアスルトルム大陸では珍しい職業の忍者を見て、フィリアネスさんたちは少し驚くかもしれないと思っていたが、それは予想通りだった。
「その装備があると、あれほど速く走ることができるのか? それとも、異国の武術のなせる技だろうか」
フィリアネスさんはミコトさんの体術に関心を持ったようだった。強者に敬意を払い、常に自分を磨き上げるということについては、二人には通じるものがあるようで、意気投合は早かった。
「そういった装備品もありますけれど、私はシノビの技術で高速移動することが可能ですの。馬と並走するくらいは、どうということはありませんわ」
「シノビ……そういった者たちがいるのだな。やはり、世界は広い……」
「雷神さま、強い人を見ると目がキラキラしちゃいますよね~。私は正直に言って、ヒロトちゃんとの関係の方が気になって、それどころじゃないんですけど……チラッ、チラッ」
やっぱり気になるよな、それも。前世で同じギルドだったとか、幾つもの修羅場――主にギルド対抗試合のことだが――を共に切り抜けてきたとか、言われても呆然としてしまうだろう。
「私は各地のギルドを転々として、強い人を探していますの。この大陸に渡ってきてから、噂に伝え聞いた聖騎士さまと手合わせをしてみたいと思い、馳せ参じました。その方と一緒に、こんなに強い少年がいると分かってとても驚いたのですわ。それで、一時休戦して、あなたたちの強さの秘密を見せてもらうことにしましたのよ」
淀みなくそれらしい理由を説明するミコトさん。ちょっと強引なところはあるけど、でも納得できなくもないというか、そういう範囲内の内容だと思う。
彼女は俺と違って、こういうときの喋りは非常になめらかだ。ギルド同士で行われる会議の席では、俺が事前にプランを立てて、彼女が議場での進行を務めることが多かった。
(まさか合流できると思ってなかったからな……彼女がずっと居てくれると、かなり助かるんだけどな)
しばらく同行してくれると思うけど、彼女の『際限なく強くなろうとする』という性格上、レアな武器防具を集めるためにパーティを離れてしまうということは普通にありうる。彼女を引き止めるためには、『ここに居れば強くなれる』『強者と戦える』という環境を用意することが必要になる。
「強さの秘密か……ヒロトは私の技を見るだけで覚えてしまったが、ミコト殿、あなたも同じようにして上手くいくかは分からない。この子は天賦の才を持っているからな」
「ふふっ……それは見ていれば分かりますわ。けれど私は、確信を持って言い切れます。ギルマス……いえ、ヒロト君がこれほど強いのは、あなたのような強者から学ぶことが多かったからですわ。マールギットさん、アレッタさん、あなた方の存在が寄与するものも大きいですわね」
「えっ……わ、私、そんなにヒロトちゃんに教えられたりは出来てないんですけど……やっぱり、私がいるからヒロトちゃんが強くなれる的な部分が……?」
「私はヒロトちゃんの成長を、驚いて見ているだけですけど……す、少しだけ、練習のあとのお手当てなどはさせてもらっていますし……貢献出来ていると思っていいんでしょうか」
マールさんとアレッタさんは顔を赤くして照れている。それを見てミコトさんは俺の方をイタズラな目をして見やった。
◆ログ◆
・《ミコト》はつぶやいた。「すみにおけませんわね、ギルマス。もちろん責任は取るおつもりですわよね?」
(つ、つぶやきがログに出ることを知ってて……わざとか、わざとなのか……!)
「む……どうしたのだヒロト、そんな、歯の奥にベーコンがはさまったような顔をして」
「ぶほっ……ら、雷神さま、その例えはちょっと庶民的すぎますよ~。雷神さまはもっとこう、武人らしいっていうんですか? そういうたとえをしてもらわないと。ミコトさんもそう思いません?」
「先ほどから申し上げようと思っていたのですけれど、私はおそらくマールギットさんたちよりは一回り年下ですから、どうぞ敬語は使わないでください。私は今年で、十七歳になりますわ」
「えっ、そうだったの? すごく大人っぽいから、年上なのかと思っちゃった。なんだー、じゃあ私の方がお姉さんってこと? ミコちゃんって呼んでもいい?」
「ええ、どんな呼び方でもご自由にどうぞ。私もマールさんと呼ばせていただいた方がいいのかしら……ギルマスはどう呼んでいるんですの?」
「えっ……お、俺? 俺は、マールさんって呼ばせてもらってるよ」
まずギルマス呼びを躊躇しなくなったことに驚いてしまったのだが、それはみんなも同じだった。一様に頭に疑問符を浮かべている。
「ミコト殿、そのギルマスというのはなんなのだ?」
「ヒロトちゃんの異名……? 『ギル』って、冒険者ギルドじゅうに轟いちゃってるとか? とっても強い超美形少年として」
「ぶっ……ぜ、全然美形じゃないから。マールさん、無理に褒めなくていいよ」
「私にとっては、一番……というのは、ミコトさんの前で言うのは恥ずかしいですね……」
アレッタさんは恥ずかしがってはっきり言わなかったが、「一番」の続きを想像すると……ぐう恥ずかしい。
「ヒロト様は、別の大陸にもお知り合いがいらっしゃるのですね……と思っていましたが、出会ったばかりだったのですね」
「公女殿下に同じです。わたくしも、一定以上に深い関係でいらっしゃるものだとばかり……いえ、そういった意味では、このイアンナも同等に……」
(――それは言っちゃだめだよ、イアンナさん。あれだけきつく言っておいたろう?)
「っ……はっ……こ、このイアンナッ、今の発言については全面的に撤回させていただきますぅぅっ……!」
ちら、と見ただけでイアンナさんが俺の意図を察してくれる。口は災いのもと、そう二時間に渡って教えてあげたのだから、少しは身にしみてくれたようだ。
……って、完全に鬼畜化してるな、俺の思考は。敵に女性が出てきたときの対応は、もう少し紳士的にするよう心がけたほうが良さそうだ。イアンナさんは敵ではないが。
「……ギルマス、なかなか破天荒な日々を送っているようですわね。ますます興味深いですわ」
「今日の朝から、イアンナ殿の態度が変化しているのは……ヒロトの度量を認め、受け入れたということなのだな」
「は、はいっ、まさにその通りでございまして、わたくしヒロト様の、血筋に関係のないというか、内側から出てくる高貴さに、深く心酔しておりましてっ」
「……イアンナ、もうあんなことをしてはいけませんよ? 私も反省していますから」
ルシエはイアンナさんに何があったか、薄々と察しているようだ……それでもなお、俺に対して好意を持ってくれたというのは、ある意味なんというか……。
(まさかルシエはM……10歳でそんな。って、何を考えてるんだ俺は)
「ヒロト様、私はこれから洗礼の儀式の衣装合わせをさせていただきます。また、夕食の席でお会いしましょう」
「そ、そうでございましたね。このイアンナ、すっかり失念しておりました。それでは皆様、ごきげんよう」
ルシエとイアンナさんが退室したあとも、ミコトさんは胸の下で腕を組んで、にやにやと俺を見ている。な、なんだ……胸を強調して俺を誘惑しているのか。
(……あれ? 何か、見落としてるような……なんだ、この違和感は)
ミコトさんの胸がけっこう大きいことは黒装束を脱いだ時に、一瞬でスカウターが発動したので判別している。母性20であの大きさということは、補正がかかる前の大きさがかなりのものだということだ。しかしフィリアネスさん、マールさんクラスと比べると、一回りほどコンパクトだ。それでも十分……って、俺は何をおっぱいについて延々と終わらないほど熟考しているのだ。
そうじゃない、何か違和感があるんだ。ミコトさんのステータスを見せてもらって、話してるうちに、何か引っかかっている……うーん、ダメだ、今は分からない。
頭を悩ませていると、部屋のドアがノックされた。マールさんが出ると、そこには一人の男性の姿があった。
「失礼します、村長の……いえ、神官長の使いで参りました。お話があるとのことで、公女殿下の護衛を指揮している方に来て欲しいとのことです」
「指揮は私が執っているが……この子も連れていっていいだろうか? 事情は聞かずにおいて欲しいのだが」
「はい、問題ありません。聖騎士殿が選ばれた方であれば、ぜひ同席していただければと思います。それでは、ご案内いたします」
俺はフィリアネスさんと共に行くことになった。彼女は一も二もなく俺を同行させてくれたが、それだけ信頼してくれているということだ。
「それじゃ、夕食は雷神さまたちが帰ってくるまで待ってもらいます。早めに帰ってきてくださいね、私もうお腹を背中がくっつきそうで……」
「マールさん、大事なお話なんですから、そこは非常食だけでこらえてください。私のおやつをあげますから」
「いいの!? アレッタちゃん大好きー! もぐもぐもぐもぐ」
「ギルマス、私は村の中を見回ってきますわね。新しい場所に来ると、いつもそうするのが習慣ですから」
俺もゲームだったら全ての町を隅々まで探索したものだが、まだミゼールしか知り尽くしたといえる町はない。実際に自分の足で歩いて見て回ると、かなり労力が必要なのだ。
しかしゲーム時代と変わらないスタンスを守っているミコトさんを見ていると、見習わなければという気持ちになる。だが今は神官長の話を聞かなければならないので、そちらを優先することにした。
◇◆◇
イシュア神殿に仕えるものの暮らす村は、その名もイシュアラル村である。『ラル』は『仕える』という意味で、イシュアラルというわけだ。
村長でもある神官長の家は、他の家より明らかに大きいということはなく、俺たちの滞在している宿の方が大きかった。どうやら、暮らしぶりに大きな差をつけないようにしているらしい。
神官長の家に入り、居間に入ると、褐色の肌を持つ女性が二人待っていた。二人とも背中に届くくらい髪を伸ばしていて、それぞれ赤と青の髪をしている。二人とも容姿がよく似ているが、青い髪の女性の方が少し身長が小さく、容貌もあどけなく見えた。
「イシュアラルによくぞ参られました。聖騎士フィリアネス殿……公女殿下をお連れいただき、神と公王家に仕える者として、あらためてお礼を申し上げます」
二人の女性が揃って頭を下げる。俺もフィリアネスさんに倣い、彼女と並んで頭を下げた。お辞儀をする文化はジュネガン公国にもあるのだ。
俺たちは席を勧められ、二人の女性とテーブルを挟んで向き合った。すると、一拍の間を置いてから左向かいの赤髪の女性が口を開く。
「私はファム・ファレーナ、こちらは妹のアイラと申します。明日、洗礼の儀式において、神に捧げる歌の歌唱と、舞いの奉納を行わせていただきます」
「神官長殿が歌われるのですか。神歌を奉じる歌姫は、他にいたと聞き及んでおりますが……」
「彼女は布教のために、この地を離れております。本来なら、彼女……セーラ・シフォンこそが、神殿の歴史上でも最高の歌姫なのですが。彼女はゆえあって、歌声を失ってしまい……」
「っ……セーラって……あの、セーラさんのことですか?」
ファムさんは話していてもあまり表情を動かさないが、俺の質問に、かすかに目を見開いた。隣のレダさんも同じような反応を見せる。
「……もしや、あなたはミゼールからいらしたのでは?」
「は、はい……俺はミゼールの生まれです」
「そうでしたか……セーラからは、ミゼールの教会で布教に尽力すると手紙が届いておりました。彼女は、元気にしていましたか?」
「セーラ殿なら、この子……ヒロトの家にも出入りして、親しくしていた。彼女は敬虔な女神の信仰者であり、私も教えられるところがあった。そうか、イシュア神殿の歌姫だったのだな……」
フィリアネスさんは公王、そして女神に剣を捧げたという意味で聖騎士の名を与えられた。そのため、ミゼールでセーラさんと会った時にも、セーラさんの語る女神についての話に耳を傾けていたことがあった。
「歌の実力では私たちはセーラには遠く及びませんが、洗礼の儀式を行えるだけの修行は積んでおります……しかし、ひとつ、気がかりなことがあるのです」
ファムさんは髪の色を濃くしたような深い緋色の瞳で、フィリアネスさん、そして俺を見やる。その隣で、アイラさんが少し身をこわばらせるのがわかった。
その反応だけで、彼女が何を言おうとしているのかは分かる……そして、敵の卑劣さも知っていれば、先読みをするのはさほど難しくはなかった。
「ルシエの洗礼を行わないように、圧力をかけられている……ってことですね」
「っ……な、なぜそれを……っ」
ファムさんが驚きを声に出す。フィリアネスさんも俺の発言に驚いているようだったが、すぐに落ち着いて受けとめてくれた。彼女の理解と判断の速さは、いつも見ていてよくわかっていた。
「私たちはここに来る前、何度も襲撃を受けている。彼らの裏で手を引く者の目的が、ルシエの洗礼を阻止することにあるのは明らかだ……ならば、この村で洗礼を執り行う者達に働きかけるのも、可能性としてありえなくはない……」
「……そうだったのですね。やはり、公女殿下を疎んじている者がいる……私たちも、そうは思いたくなかったのですが。少し前に、脅迫の手紙が届いたのです。『これから一ヶ月の間、神殿で洗礼の儀式を行うな。そうしなければ、イシュアラルは地図から消えることになる』と」
(ルシエを名指しにしなければ、自分にたどり着かれないとでも思ったのか……どこまで卑劣なんだ)
もしグールドの命令で脅迫の手紙が送られたなら、グールドは自分の領民の命を人質に取ってまで、ルシエの洗礼を妨害しようとしていることになる。
しかし、まだ確証がない。状況証拠だけで、グールドを弾劾することは不可能だ……無理にそうしようとすれば、かなりの力技を使うことになる。
「……それでも私たちは、ルシエの洗礼を引き伸ばすわけにはいかない。引き伸ばすということは、その間にルシエは絶え間なく命を狙われるということでもある。そして、もし一月洗礼を行わなかったとしても、ルシエの存命を知れば、敵はイシュアラル村を……あなたがたを、脅迫し続けるだろう」
「……はい。私たちは、覚悟を決めています。ルシエ公女殿下が無事に洗礼を終えたあと、私たちがどのような道を辿ろうとも、それを甘んじて受け入れるつもりです。女神様は、きっと、争いを望んでは……」
(……そんなこと、させられるわけがない。許されるはずがない……!)
脅迫の内容が実行されれば、戦いを望まない村の人々が死ぬことになる。それを、宗教上の理由で、ファムさんたちは受け入れると言っている……。
そんなことをして洗礼を受けても、ルシエの心には傷が残る。何より、死ぬ必要のない人々が死ぬ。
――なぜ、そんなふうに死を受け入れられるのか。俺には、理由は一つしか考えられなかった。
「……抵抗しても、抗えるような力じゃない。ファムさんたちは、敵がそういう相手だと思ってる……そういうことなんですね」
「……はい」
「もし心当たりがあるのなら、名前を教えてください。俺たちは、誰にも言ったりしない。それを言わないで、死を受け入れて……それで村の人全員が納得できるわけない。俺がそう思うのは、間違ってますか……?」
「ヒロト……」
まだ8歳の俺がこんなことを言っても、不相応で生意気に映るだろう。しかし、言わずにはいられなかった。
黙っているためにここに呼ばれたんじゃない。何よりも、俺は……。
「それに……アイラさんは、ずっと震えてる」
「っ……!」
ファムさんの隣に居ながら、アイラさんが今まで一度も言葉を発しなかったのは……恐怖で青ざめていたからだ。神官としての務めを果たそうとしながら、それでも、恐怖を押し殺しきれなかった。無理もない、まだ俺よりいくらか年を重ねただけの、まだ少女といえる年齢なのだから。
「ファムさんだって、本当は死にたくなんてないはずだ。その脅迫の主がどれだけの力を持っていたって、立場の問題があったって、何の罪もなく殺されていい人なんていない。もしファムさんがそうしたいと言っても、俺は絶対にそうはさせられない……例えそれを、あなたたちが過干渉だと思ったとしても」
人を説得するには、考えていた以上のエネルギーが必要だった。
これは、生前の俺が最も忌避していた行為――「説教」だ。
まっとうに生きることを諦めた俺が、生きろと言う。それは滑稽なことだと、自分が一番良くわかっている。
「……敵は、グールド公爵だ。この村も、公爵の領地だ……もし脅迫に耳を貸さず、このまま洗礼の儀式を行えば、ただではすまない。それでも、あなたたちはルシエのために命を捨てようとしている。そういうことなんですね……?」
「……グールド公爵は……素晴らしい方です。イシュア神殿の維持のためにも、寄付を……」
言いかけたファムさんの言葉を、フィリアネスさんが遮る。彼女の横顔は厳しく、その眼光は、一目見て肌がぞくりと粟立つほどに鋭かった。
「それは、グールドの息子が王族として認められる際にも儀式が必要になるからだ。彼は、一年後にルシエと同じ年になる……」
ファムさんは言葉を失う。アイラさんは耐えかねたように俯き、顔を覆った。
「公王家を作った西王家の血筋の方が、ずっとこの国の王になってきたのに……どうして血を流してまで、自分が王になりたいの……っ!?」
アイラさんが言う。彼女たちも、もう自分たちを脅かしている者が誰なのか、気付いていたのだろう。
フィリアネスさんの膝の上に置かれた手が、きつく握りしめられている。彼女は一度は抑えようとしたのだろうが、耐えかねたように口を開いた。
「自らの欲望のために、領民の命を……それが、王族の……人の上に立つ者のすることか……!」
(……敵がそこまでして王になりたいなら。俺は、超えちゃならない一線を超えたとみなす)
俺は静かに決意を固める。俺がここまで何のために来たのか、これから、何をするべきなのか。
どうしても王になりたい、そう思う気持ちは分からないでもない。野心を持って、上に立ちたいと思う……それは、ほとんどの人が持っている考えだ。俺だって、ギルド対抗戦で負けた時は本気で悔しかったし、頂点に立ったときは全能感を覚えたりもした。
――しかし、敵がファムさんたちの命を、脅しの材料にすることは許せない。
俺はルシエを守り、そしてファムさんたちを……この村を守る。そのためにしなくてはならないことは、普通に考えれば途方もなく規模が大きく、普通は『少人数では無理だ』と諦めるところだろうが――。
(最初は仕方ないか。ゴリ押しにはなるけど……ミコトさんを仲間に出来たのは、きっと巡りあわせだったんだ)
「ファムさん……いや、神官長。ルシエの儀式が終わっても、この村を守り通すよ。だから、諦めないで」
「……いいえ。あなた方は洗礼の儀式が終わったあと、すみやかに公女殿下を首都にお連れしてください」
「さっき、気がかりなことがあるってファムさんは言った……本当は、死ぬ覚悟をしてたっていうのに。だったら俺が、『気がかりなこと』のままで終わらせてやる。イシュアラルは、これからも平和な村であり続ける。俺みたいな子供は信じられなくても、聖騎士のフィリアネスさんなら信じられるはずだ」
ファムさん、そしてアイラさんが顔を上げてフィリアネスさんを見やる。アイラさんの頬には幾筋も涙が伝って、その目は赤く腫れてしまっていた……こちらの胸も締め付けられる思いだ。
「……この子は、ただの子供ではない。ミゼールの近くの洞窟に住む……ヒロト、話してもいいだろうか」
「うん、いいよ。フィリアネスさんから言ってもらった方が、ファムさんたちも信じられると思うから」
フィリアネスさんは俺の意志を確認すると、少し間を置いてから話し始めた。
「……ヒロトは、私でもどうやったのか分からないが、ミゼール近くの竜の巣に住むドラゴンを御した。この子はただの子供ではない。私は聖騎士を名乗っているが、そのゆえんたる神聖剣技を、ヒロトはこの歳にして使いこなす……大人の騎士も顔負けの力で斧を振るい、精霊魔術を使いこなし、さらには……そ、その、大きなスライムを従えてもいる。そのスライムはヒロトの意のままに動き、凄まじい戦闘能力を持っている。私と部下のふたり、そしてヒロトだけでも、ひとつの騎士団を相手にすることも可能なのだ」
フィリアネスさんは大まじめに言うが、ファムさんもアイラさんもすぐには信じられず、俺とフィリアネスさんの顔を交互に見る。
事実ではあるのだが、フィリアネスさんの口から武勇伝のように語られると無性に照れくさくなる。俺たちだけでひとつの騎士団を相手にできるという評価は初めて聞いたが、あながち誇張でもないだろう。フィリアネスさんたった一人でもこれまで襲ってきた賊を装った騎士を全て無傷で倒してきたのだから。
そして俺とフィリアネスさん、マールさん、ミコトさんの実力は、戦闘においていい勝負ができる水準にある。俺が最強だと断言はしないが、能力値としては俺がトップにいる。体格の補正を考えるとマールさんは異常なほど強いのだが、彼女は魔術が使えないだけ、俺とフィリアネスさん、忍術が使えるミコトさんには一歩譲る。
さらにアレッタさんという強力な回復役もいる。彼女はフィリアネスさんたちの強さに引っ張られ、衛生兵スキルが70を超え、治癒魔術も習得しているのだ。
騎士団千人が押し寄せても、それを跳ね返すことは決して不可能ではない。言葉だけではファムさんたちも信じられずにいたが、絶望に沈んでいたアイラさんの目には、希望の光が宿り始めていた。
「……ファム殿、アイラ殿。私たちの力を信じてほしい。敵が力に任せてこの村を呑み込もうとしても、思うままにはさせない。私たちはルシエを守るためにここまで同行してきた……それは、洗礼の儀式さえ行えば、他のことはどうでもいいということではないのだ。目に映る者全てを守ってこその聖騎士なのだから」
「……あぁ……こんな……こんなことって……」
「ファムお姉さま……っ、私たちの村は……滅びずに済むかもしれない……っ!」
アイラさんがファムさんに縋りつく。妹の背中をあやすように撫でながら、ファムさんもまた涙をこぼし、それを拭いながら俺たちを見た。疑いは一片もなく、望みを託す重みのこもった目だった。
「……私たちの村に、神殿を守るための護衛兵以外、戦う力を持つ者はいません。しかし、私と妹も治癒の魔術を使うことは出来ます。聖歌によって、相手の士気を削ぐことなどもできると思います」
「いや、戦うことは私たちに任せた方が良い……おそらく敵は神殿を破壊するわけにはいかないから、村を包囲するだろう。そして、混乱に乗じてルシエを攫うか、亡き者にしようとする……考えたくはないが、村を消すというのは、証人を残さないためだろう。だが事前に敵の狙いが分かっていれば、幾らでも対策はできる。儀式の際は、神殿に村の全員を集めておく。私たちは村の外で敵を迎え撃つ。敵はおそらく、ルシエがこの近くに移動してきたことを知って、明日の未明までに奇襲をかけてくるだろう」
そのとき、既に神殿に村の全員が移動していれば、戦う力のない人に危害が及ぶことはない。ファムさんとアイラさんは揃って頷いた。
「見張り台から、村に入る道を監視することができます。何かの助けになるでしょうか……?」
「ああ、助かるよ。あとで見せてもらっていいかな?」
ファムさんの提案に返事をすると、彼女は頷きを返す。そして、アイラさんも続けて質問してきた。
「ルシエ公女殿下については、どこにいていただくのが最も安全なのでしょうか」
「マールとアレッタについていてもらうのがいいだろう。マールは魔術は使えないが、武器を使った戦闘の純粋な実力では、私も及ばないほどの強者だ。アレッタはもしもの時、傷を治癒する技術に長けている」
「分かりました。私たちは神殿におります。いざというときのため、護衛兵と共に戦う備えはしておきます」
戦わずして死を受け入れると、一度はあきらめていたファムさんだが、妹の涙を見て気持ちが変わったようだった。姉は強し、ということか。
「……もし脅迫に従わなければ、私たちはここで暮らすことが出来なくなります。神殿を離れることになれば、神官の務めを果たせなくなるということ……それは、私たちにとって死と同意義でした。しかし、もしこの村で暮らし続けるすべがあるのなら、私はそれに縋りたい……聖騎士様、ヒロト様、どうかお願いします。私たちをお護りください」
「ああ。そう言ってもらえば、こっちとしても迷いはなくなる……みんなのことは絶対に守る。俺は言ったことを曲げたりは絶対しないから、安心してくれ」
「はい……それにしても、不躾を承知で申し上げますが、とても驚きました。フィリアネス様が男の子を連れていらっしゃったときは、だだをこねてついてきてしまったのかと……失礼なことを考えて申し訳ありません」
アイラさんが頭を下げる。ファムさんも一緒に頭を下げるが、俺は手を振って、そんなことはする必要はないと示した。
「い、いや、それは仕方ないよ。誰だって俺を見たら、強そうだなんて思わないのが普通だから」
「正直なことを申し上げると、まだ、この目で見るまでは信じられないところがあります……ヒロト様は、殺生をされたことがおありなのですか……?」
「神聖剣技には、人を殺さずに剣を振るうことができるようになる極意があるのだ。ヒロトはそれを早い段階で得ているから、人の命を奪ったことはない。もっとも、これだけの戦いになれば、敵もこちらの命を本気で取りに来るだろう。そうなれば……」
この手で人を殺すことになるかもしれない……しかし。
「……難しいとわかってるけど。俺はファムさんとアイラさんたちに、自分たちを守るために、俺たちが人を殺したとは思って欲しくない。よっぽどの相手が出てこない限りは、俺は『手加減』できると思ってるよ。だから、何も心配しなくてもいい。この村の人たちは、これまでも、これからも、平和に暮らしていけるよ」
「……お優しいのですね、ヒロト様は……」
「アイラ……?」
アイラさんが俺を見る目が変わっている……や、やってしまったか……ちょっと熱弁を振るいすぎたかな。
格好をつけているつもりはないのだが、八歳の俺でも、男気を見せれば初対面の女性に好感を持ってもらえるということか。いや、そうと限ったわけじゃないし、自意識過剰はよくないな。
「よろしければ、お名前を、改めてお聞かせ願えないでしょうか……?」
「え、えっと……俺は、ヒロト・ジークリッドっていうんだ」
「……ジークリッド様……こんなにお小さいのに、とても勇敢で……きっと、お父様とお母様も、とても勇気のある方なのでしょうね」
リカルド父さんもレミリア母さんも、アイラさんの言うとおりすごく勇気がある。両親を誇りにしている俺は、ふたりを褒められて自分のことのように嬉しく思った。
◇◆◇
宿に戻ってきたあと、夕食を取って、みんなで順番に風呂に入る。俺は最後に入ることにさせてもらって、一人で外に出てきた。
宿から少し歩くと見張り台がある。そこに一度登ってみようと思ったわけだが……なかなか高いな。
特に苦もなく登っていく。見張り台には屋根がなく、頭上には満天の星々がある。この高さなら、確かに村の周囲に敵が来てもすぐに分かりそうだ――村に通じる開けた道は二つあるが、そのうちどちらもここから見通せる。
「……戦闘の下調べですか? さすが、ギルマスは準備に余念がありませんわね」
「うわっ……み、ミコトさん……!?」
見張り台の上の足場は、人が二人上がれば密着しなければならないほどの広さしかない――つまり後から上がってきたミコトさんは、ほとんど俺を抱きしめるような形になっていた。
(せ、背中に……黒装束の下に鎖帷子を着てるけど、や、柔らかい感触が……)
なんとも言えない弾力をふたつ感じる。それに構うことなく、ミコトさんは俺を後ろから抱きすくめるようにすると、そのまま話しかけてくる。声が響いてきてくすぐったいが、俺はそれを表に出さないように耐えることに意識を集中させる。
「村を守ると聞いたときは、やっぱりって思いましたわ。あれくらいの敵なら、何人来てもたいして苦労せずに全滅させられますわよね……ゲームだと能力の差がありますから当たり前なのですけれど、こうして自分の手で敵を倒すのですから、やはり一般人からは常軌を逸している光景になってしまいそうですわ」
「そ、そうだな……あ、あの、ミコトさん。あんまりくっつくと、その……」
ミコトさんは真面目な話をしてるのに、しどろもどろになってしまう。彼女が少し動くたびに、意識が触れ合った部分に向いてしまう……女性に触れたことがないわけじゃないのに。
(直接会ったのは初めてだからな……そんな人と、こんなふうにくっついてるなんて……)
全然現実味がなくて、でも現実で。こんなことしてもいいんですか、と申し訳なくなってしまう。
「どちらにせよ、私はギルマスの指示に従うだけなので、その話は置いておいて……実は、一つ聞きたいことがあって、こうしてあなたを追いかけてきたのです」
「き、聞きたいことって?」
「ふふっ……そんなに動揺しないでも大丈夫ですわ。ここで取って食べたりするつもりはありませんから」
ミコトさんが楽しそうに笑う。その品の良い声が間近で響くと、神経の芯が溶かされそうになる。
◆ログ◆
・《ミコト》はつぶやいた。「……私の方が、緊張していますのに」
ログと、ミコトさんの実際の声が同調する。思わずドキッとさせられたところに、続けて彼女は言った。
「……ギルマスは、生前、何歳だったのですか? 結局、最後まで聞けませんでしたけれど」
「俺は……十六歳だよ。ミコトさんは……」
何歳だったのか、と言いかけて、俺はようやく、ずっと感じていた違和感――引っ掛かりの正体に気がついた。
(ミコトさんは年齢を引き継いだって言ってた……そして、この世界で五年過ごしてる。そ、それって……)
ミコトさんは現在十七歳。つまり、転生前から引き継いだ年齢は……。
「……ようやく気が付きましたわね。そうですわ……『闇影』は十二歳。βテストからずっと、エターナル・マギアを廃人プレイしていましたの。ゲームを始めた年齢は一桁でしたわ」
「じゅ、十二歳……あのプレイヤースキルと、知識量で……!?」
「そこまで驚くことはありませんわ。MMOは、費やした時間と研究がものを言うゲーム……私は大人に負けないほどプレイしていましたもの」
天国への階段の幹部のうち二人が、ここまで若年だったとは……話し方ではまったく分からなかった。それを狙ってのロールプレイだったということか。
「全然気づかなかった……こっちで会ったときは、俺より全然年上だし。綺麗なお姉さんだとしか思わなかったよ」
「……いけませんわね、ギルマス。天国への階段は、異性への口説き文句は厳禁だったはずですわよ?」
生前の俺はよくリア充爆発しろ、と言っていたしな。ギルド内恋愛はある程度黙認していたものの、表向きは、男女関係でこじれないように禁止ということにしていた。まあ、私たちリアルで結婚しましたと言われたときは素直に祝福したものだが。あの時撮った記念のスクリーンショットはどうなっただろうな……。
「なんて……元は十二歳だった私が、背伸びをしても滑稽ですわね。今だって、私は十七歳になりましたが、まだ子供のままですわ。身体は、すくすくと育ってしまったのですけれど」
「い、いや……かなり大人っぽいし、全然違和感も無かったよ。俺なんかよりずっとしっかりしてる」
「……ありがとうございます。私、ゲームをしていた頃は、ギルマスに年齢を知られることがずっと怖かったのですわ。こんな子供が、と思われてしまったらと思うと……」
「俺こそ、同じこと考えてたよ。大人っぽく振る舞うのに必死で……でも、意外に自然にしてもみんな受け入れてくれて。ゲームの中でだけ、俺は、俺がしたいような振る舞いができたんだ……」
元は十六歳で、今は八歳の俺と、元は十二歳で、今は十七歳のミコトさん……思えば、年齢的にはまったく真逆の境遇だ。転生後に若返った俺、そして転生後からも引き継いで年齢を重ねた彼女。
「……でも、良かったですわ。こうして小さいギルマスに会うことができて……このまま、大きくなっていくギルマスを見ることもできるのですから。私が一番恐れていたのは、ギルマスが私よりずっと年上だったら、ということでしたのよ」
「え……俺は、仲間だったら、年齢なんて気にしないけど……」
自己申告ではあったけど、最高で50歳近いギルドメンバーもいた。その人は俺を若造だなんて言ったりしなかったし、俺も年齢の差を過剰に意識せず、他のメンバーと同じように接していた。
――だから、当たり前のことだと思っていた、はずなのに。
「わっ……!?」
ぎゅっ、と今までより強く抱きしめられた。思わず声を出してしまうが、それでもミコトさんは離そうとしない。俺の首の後ろ辺りに、そっと頬を寄せてくる。
「私は、何を怖がっていたのでしょう……ギルマスがそういう人だと思ったからこそ、ずっと……どんな人なのかを想像していたのに。私は、自分の信じるあなたを、もっと信じるべきだったのですわ……」
「……俺は、そんなに大層な人間じゃないよ。本当はギルマスなんてしていい資格は……」
「どんな境遇だったとしても、あなたは最高のギルマスでしたわ。私たちというチームに、必死で頂点を見せてくれようとした。誰よりも長くログインしていても、誰もあなたのことを異常だとは思わなかった。それは、何のためにゲームをしているのか、みんな理解していたからですわ」
――そんな、殊勝なものじゃない。
俺の、唯一の居場所だったから。それを必死で守ろうとしていただけだ。
だけどそんな俺の格好悪さも、何もかも、ミコトさんは許容してくれている。全てを、肯定してくれる……。
「そして、今も……あなたは、これまで積み上げてきた力を、惜しみなく使おうとしている。それこそ、使い方によっては何でもできる力を手に入れていながら、人のために使うことを考えられる。それを確認出来た今、もうこれ以上確かめる必要はありませんわ。あなたは間違いなく、私が所属していたギルドのマスターであり……私が尊敬したトッププレイヤー、ジークリッドですわ」
「……俺は……みんなに支えられてただけだ。ミコトさんや、麻呂眉さん……他の、みんなにも」
「ええ。だからこそ、天国の階段は、その名前を残したままで解散しました。あなたがいないギルドを、残った皆で続ける意味はなかった……エターナル・マギアを引退した人も多くいます。わかっていますか? あなたがログインしなくなり、アカウントの課金が切れて停止されたことが確認されたあと、それほどに惜しまれたのだということを」
――そうだったのか。
俺の全てだった天国の階段が、解散した。俺が居なくなっても、続いているものだと思っていた……俺の存在は、代わりが利くものだと思っていたのに。
「……森岡、弘人さん。私の名前は、山川深琴という名前でしたの。カンナヅキというのは、私が生まれた月……10月ですわ」
「そういうことだったのか……けっこう考えたな。俺なんて、明らかに中二っぽい名前つけちゃってさ」
「いいと思いますわ。私は最初、自分で考えた名前をつける発想もありませんでしたから……ミコトと呼ばれていると、すごく気恥ずかしくなることもあって、後悔することもありましたのよ」
「そうか……? 俺はいい名前だと思うけどな」
「弘人さんこそ……いえ、もうあまり前世にこだわるべきではありませんわね。あなたはヒロト・ジークリッド、私はミコト・カンナヅキ……それ以外の何者でもないのですから」
それでも俺は、彼女が教えてくれた名前を忘れることはないだろうと思った。俺が、森岡弘人――そして、宮村陽菜という名前を忘れることがないように。
ミコトさんは俺からそっと離れると、狭い足場の上に立ち、周囲を見回した。見上げると、彼女は星空を背にしてくるりと回る――長いおさげが追従して、流れるような軌跡を描く。
「軽業師のスキルを取っていたら、ここで宙返りの一つも出来るのですが。こうして回るだけでも、けっこうスリルがありますわね」
「ははっ……ミコトさんはやっぱり、スリルを楽しむほうなんだな」
「ええ。特に戦闘のスリルと……今はもうひとつ。どんなタイミングで、ギルマスに授乳をしてさしあげることになるのか、という……」
「ぶっ……げほっ、げほっ。い、いや、俺はその……仮にも前世で知り合いだった相手に、スキルのことも分かってて、吸いたいっていう度胸は……」
無い、と言い切れない俺。ましてミコトさんは、生前は十二歳だったわけで。
けれど今は俺より年上だ……ああ、混乱してくる。前世から合計してみれば、俺の方が精神年齢は上なのだが。
「……そうですわ。この戦いで生き残ったら、というのはいかがですか?」
「っ……い、いや、俺は生き残ることしか考えてないんだけど……」
「ふふっ……私もそうですわ。そうなると、当然、してさしあげることになりますわね……スキルをあげることについては、やぶさかではないのですが。男の人に見られるのは初めてですし……」
(勿体付けられると、俺の目が鷹の目になってしまうんだけど……)
いけないと思いながら、ロックオンしてしまう俺。それに気付いたミコトさんは、顔を赤らめつつ胸をかばうように腕で隠した。
「す、スリルとスキルって似ていますわね……と、ごまかしておきますわ」
「くっ……悔しい。じゃなくて、大事なものだから、確かに簡単にあげちゃダメだと思うよ。いや本当に」
「……簡単ではないですから、良いのではないですか? これから、村ひとつを守り抜くのですから」
普通なら死亡フラグになるようなやりとりだが、俺は死ぬつもりなんて毛頭ない。
ミコトさんもそれは同じだろう。だから俺たちの間には、悲壮感なんてかけらもない……ずっと、笑顔のままだ。
「では、私は先に戻っていますわね。一緒に戻ると、聖騎士さんたちがヤキモチを焼きそうですから」
「お、お手柔らかに頼む……俺もまだ、人に好かれるのは慣れてないんだ」
「すっかり慣れているように見えましたけれど……初心なところを残してくれているなら、それは嬉しいですわね……」
ミコトさんは言って、見張り台の梯子を降りる前に、俺の頬に唇を寄せ――触れ合うかどうかという距離まで近づいて、そっと離れていく。
「み、ミコトさん……?」
◆ログ◆
・《ミコト》はつぶやいた。「……気付かれなくてよかったですわ。まだ、どきどきして……」
彼女はログが流れてることに気付いてないのか――それどころじゃないんだろう。急ぎ足で宿に帰っていく。
その背中を見ながら俺は思った。生き残ったあと忍術スキルを手に入れられるとして、俺はたぶん、据え膳を差し出されてもがっついたりは出来ないんだろうなと。
(だって、十二歳だったんだもんな……)
ミコトさんをさんざん頼りにしていたゲーム時代を思い出すと、思わず赤面してしまう。あの頃から頼りがいのある人だったな……と。
◇◆◇
今日は一人で風呂に入る。洗礼の前には入浴が欠かせないとのことで、宿の浴室は立派なものだった。
風呂に入ったあとは見張り台に戻り、敵の襲撃に備えなければならない。いちおう眠気覚ましのポーションを作ってインベントリーに入れてあるので、それを飲めば特に苦もなく徹夜は可能だ。
「ここが正念場だな……」
敵はどれくらいの兵力で来るだろう。神官長姉妹の指示で、もう村人は神殿に移動している――不安そうではあったが、村に居るほうが危険だ。神殿のある小山に向かう前に、村を通る必要があるからだ。
戦闘スキルをフルに使って敵全員を薙ぎ倒すか、それとも、ふだん使わない魅了スキルを発動させて……いや、幸運スキルがほぼ無効の今、敵の数が多いとあまり役に立たないしな。
そういえば俺、さっきミコトさんに会ったあと、魅了をオフにしてたっけ……と考えたところで。
――キィ、と背後で浴室の木戸が開いた。
「マールさん? それとも、アレッタさんかな。ああ、二人ともか。さっきも入ってたのに、何度も風呂に浸かったら湯冷めするよ?」
俺は髪を洗い始めていたので、後ろを振り向くことが出来ない――が。
(……あ、あれ? 二人とも、何も言わない……)
◆ログ◆
・「カリスマ」が発動! 《ファム》《アイラ》はあなたに注目した。
(……み、見たことのある名前だ)
さっき会ったばかりの神官長姉妹が、俺のスキル効果範囲に入っている。その事実は分かったが、なぜ? という思いが先行して、俺はぴくりとも動けなくなる。
そしてその迷いこそが、命取りであった。俺にとってというより、姉妹にとっての。
◆ログ◆
・「魅了」が発動! 《ファム》は抵抗に失敗、魅了状態になった。
・「魅了」が発動! 《アイラ》は抵抗に失敗、魅了状態になった。
(アッ――!?)
やばい、これじゃ俺がアリジゴクのごとく、彼女たち姉妹を待ち構えてたみたいじゃないか。違うんだ、ちょっとスキルをオフにし忘れてたんだ、今オフにするつもりだったんだ……!
(し、しかしノープロブレムだ。俺さえ鋼鉄の自制心を持っていれば、魅了しようがしまいが関係ない! 俺は絶対になにもしないぞ!)
「ヒロト様、夜分に失礼いたします……先ほどは、大変失礼しました。最初は、あなたのことを普通の子供だとばかり思っていて……」
「お姉さまと、相談したのですが……イシュア神殿は、十歳以上の男子は入ってはならないのです。ですが、ヒロト様はまだ八歳……それであれば、前夜のうちに『穢れ』を十分に落とし、身を清めてからであれば、神殿に入ることが許されるのです」
姉妹の声はおよそ、八歳の男の子に向けられるものではない。カリスマが発動しているので、一人前の男として見られてしまうのだ。
「け、穢れって……一人で洗えるから、大丈夫っていうか、あの……ちょ、ちょっ……!」
「失礼いたします……髪を洗っておられたのですよね。私にお任せください、ヒロト様は私たちをお救いくださる勇敢なお方……少しでも、その献身に報いたいと存じます」
「お姉さまは、髪を洗うのがとても上手なんです……私も小さい頃には、よくしてもらいました……」
(ファムさんが俺の髪を……じゃ、じゃあ、背中に触ってるこの手は……アイラさん……?)
「……殿方の肌を見るのは初めてですが、すべすべしているのですね……お姉さま、ほら、こんなに……」
「まあ……アイラ、そんなに嬉しそうにしては駄目ですよ。私たちはあくまで、ヒロト様に奉仕するために来たのですから……」
(め、目を開けたら死ぬ……死んでしまう。主に俺の理性が死ぬ……!)
こんな至近距離で甘い声で交わされる会話を聞きつつ、泡だらけの手で身体の穢れを清められる。ファムさんの髪の洗い方がまた気持ちよくて、ぼーっとしてくる……こ、この二人、どこでこんなテクニックを……?
――そんな疑問に答えてくれるかはわからないと知りつつ、心の中にステータスを展開する。
◆ステータス◆
名前 ファム・ファレーナ
人間 女性 19歳 レベル17
ジョブ:司祭
ライフ:100/100
マナ :216/216
スキル:
歌唱 53 聖職者 42
布教 23 白魔術 33
恵体 5 魔術素養 16
母性 32 料理 42
手芸 23
アクションスキル:
祈る 浄化 説教
治癒魔術レベル3
授乳 子守唄 簡易料理 料理
手縫い 機織り
パッシブスキル:
聖職者装備 司祭装備
神の慈悲 回復上昇 料理効果上昇
毒味 育成
(……司祭……ビショップ? あ、あれー? こんな職業はじめてだー)
思わず思考が棒読みになる。歌唱の値が高いだけに、いい声をしてるのか……いや、フィリアネスさんたちの声も俺は好きなんだけど。
セーラさんも声が凄く色っぽいというか、そんな感じだったんだよな……声を出させたなんてそんな、俺は慈悲を受けていただけだ。ミルクは慈悲である。俺は迷える子羊なので導いてもらったのだ。言い訳にすらなっていない。
そして、アイラさんだが……この人の身体の洗い方の技巧が半端じゃない。手つきが何か……それは、スキルによるものなのだろうか。
◆ステータス◆
名前 アイラ・ファレーナ
人間 女性 16歳 レベル13
ジョブ:シャーマン
ライフ:88/88
マナ :192/192
スキル:
歌唱 53 聖職者 42
舞踏 43 白魔術 27
恵体 4 魔術素養 14
母性 43 手芸 33
房中術 32
アクションスキル:
祈る 浄化
舞う 戦いの舞踏
治癒魔術レベル2
授乳 子守唄
簡易料理 料理
手縫い 機織り
艶姿 魅惑の指先 囁き
パッシブスキル:
聖職者装備 司祭装備 踊り子装備
神の慈悲 トランス
回復上昇 料理効果上昇
毒味 育成
手芸品質上昇
(……ぼっ……!?)
イアンナさんの専売特許だと思っていたはずの房中術が、姉妹のうちの大人しい印象のあるアイラさんに……あ、あれ、妹のほうだよな? 母性もかなり高い……こ、これはどうなってるんだ……?
「あ、あの……アイラさんって、シャーマンっていうか……踊り子なの?」
「そうです、妹のアイラは、神に捧げる舞いの踊り手です。先ほど歌と舞いを奉納すると言ったのを、覚えておられたのですね。私が歌い手、妹は踊り手です」
シャーマン……固有スキルは「舞踏」か。この姉妹、なんてレアな職業に……いや、俺が今までの道中で会うことがなかっただけだが。ミゼールの教会の司祭は「司祭」じゃなく、セーラさんと同じシスター扱いだったからな。
しかしそれだけでは、房中術の説明がつかない……まさかアイラさんは、清楚ビッチというやつだったのだろうか……いや、まだ決め付けるには早い。
「アイラさん、洗い方が……その、上手だけど……」
「……女神様に舞いを捧げる踊り手は、その……女神様に心を近付ける必要があると言われています。女神様は、性別にかかわらず、人々に分け隔てなく慈悲を与える存在ですから……ジュヌーヴ国教においては、踊り手は男性に対する触れ方を、教本で学ぶことになっているのです……もちろん、実際に触れてはいけないのですが」
(女神に仕える聖職者は、乙女でなくてはならないってことか……テクニシャンの乙女。なんというアンビバレンツ……!)
分かっている、分かっているんだ。こんなに何でも赤裸々に答えてくれて、底なしに優しいのは、俺のスキルが発動してしまったからなのだと。
「……それでは、泡を流します」
ざばぁ、と頭から適温の湯をかけられる――が、身体のほうにはかけてもらえない。
「え、えっと……身体もかけてもらわないと、風呂に入れないんだけど……」
当たり前のことを聞いてみようとして顔を上げ――そこで俺は固まった。
湯帷子というのか、薄い半袖の無地の服を二人とも身につけている。しかし、その生地が薄すぎて――跳ねた水と湿気で、ぴったりと肌に張り付いていた。
(……褐色の肌でも、そこは……日本の春を感じさせる色彩なんだな)
日焼けしたのではなく、地肌からこの色なのだろう。二人とも、褐色のふたつの丘が大きく前にせり出している……白い肌の場合よりコントラストがくっきりして、形がまったく隠せていなかった。
「……こんなときに、申し上げることではありませんが……先ほどのヒロト様は、とても凛々しく……魅力的な男性は、年齢に左右されないものなのだと感じてしまいました」
「私もです……この方になら、すべてを任せることができる。フィリアネス様も、全身でそうおっしゃっていました」
「ぜ、全身って、そこまで……あ、あの、見えてるから、隠したほうが……」
ふたりは自分の状況に気付いてないんじゃないか――そう思ったが、もちろんそんなことはなかった。
「穢れを落とすときは……落とす側も、肌に何もつけていてはならないのです」
「……お見苦しいものをお見せすることを、どうかご容赦ください……っ、ぁ……」
(あ、ってなんなんだ……俺をどうする気なんだ……!)
アイラさんは悩ましい吐息を漏らしつつ、濡れて張り付いた湯帷子の前をはだける。ファムさんは妹より恥じらっていて、俺に背を向けるようにして肌を露わにした。
(……俺は明日、結構な戦いに挑むはずなのだが……ルシエも大事な儀式が……あ、あるぇー?)
いったい何をしてるんだろう感が強まりすぎた上に、風呂場の熱気にあてられて、風呂に入る前からのぼせそうになる。
司祭とシャーマンの姉妹。姉のファムさんの方が清楚で、アイラさんは大人しいわりにひとまわり胸が大きく実っており、「艶姿」によるブーストつきだった。俺の鼻血もブーストしかねない。
当たり前なのだが、二人ともぱんつはいてない状態だ。しかし、大人だ……何がどうとは言わない、とても言えない。あえて言うなら、髪の色と同じだ。
「……それでは、残りの穢れを落とさせていただきます。お姉さま、一緒に……」
「い、いえ……その部分は、アイラに任せます。私は神に一生を捧げる身ですから……でも……」
二人の姉妹が並んで俺を見る。俺はまだ男として目覚めていないことを、こんなタイミングで後悔するとは思わなかった。節操というスキルがあるなら、最優先でステータス欄に追加したい。
そんな俺の葛藤を、姉妹は敏感に読み取ってしまう。素肌をあますところなく晒したまま、潤んだ目で俺を見つめてくる……だ、だめだ。一番弱い感じの見つめられ方だ。
「……ヒロト様に、もし望んでいただけるのなら……私は、何でも……」
「……お姉さまの仰るとおりです。私たちが女神様の次に奉仕するべきは……ヒロト様、あなた様なのですから……」
究極の質問でも何でもなかった。俺はいつか、司祭とシャーマンの固有スキルを使うことになるんだろうか……しかし必要のないスキルなど、この世界には存在しない。どんなスキルにもいいところがあるはずだ。
司祭の「布教」スキルで取れる「説教」は、俺はあまりいいことだと思わないが、ファムさんのする説教なら、それは人を教え諭すという意味にとれる。交渉において、人を説得する技術は大きなアドバンテージを得られるのではないか――「舞踏」はきっと、社交の場に出たときに役に立つような気がする。
(……絶対にこの村を救わないといけなくなったな。いや、初めから救うと決めてたけど)
◆ログ◆
・《ファム》、《アイラ》が「採乳」を許可しています。実行しますか? YES/NO
もう風呂に一人で入らないほうがいいのかもしれないと改めて痛感する。彼女たちは風呂に入る前は魅了されてなかったんだから、それまでは正気だったわけだが……神殿に入る前夜に身を清める必要がある、その慣習がこんな事態を引き起こしてしまった。慣習万歳――いや、こんなことは今夜限りにしなければ。
俺は本格的に「穢れ」を落としてもらう前に、二人に並んで立ってもらい、背伸びをして順番に胸に触れた。輝く手のひらから、司祭とシャーマンのスキルが、それぞれ俺に吸収される――新しいスキルをもらうと、なぜこうも満たされた気持ちになるのだろう。
「ここまでの交流なのですね……お姉さま、この先は……」
「ええ、ヒロト様が大きくなられたときに……そのとき、私たちのことを覚えていてくださったらですが……」
彼女たちは自分たちの方が満足したような顔をして、俺の頬に右、左と姉妹で逆側からキスをすると、感謝の気持ちを述べて退出していった。
そして彼女たちが立ち去ったあと、一人になってから、俺はふと思った。
彼女たちが信仰している女神が、俺を転生させた女神なのだとしたら――思ったよりもずっと早く、会える時が来るのかもしれないと。