第二十五話 イシュア神殿への道
朝食の席の空気は何とも言えないくらいにそわそわしていて落ち着かなかった。
昨夜のことを振り返ればそうなるのも無理はないが、こうして冷静になってみると、色々とやりすぎてしまったような気がしなくもない。
一線を超えなければセーフということでもないのだ。心の中で一定の節度を持たなければ。
(しかし……みんな、何だか満足そうだから、いいんだろうか?)
「雷神さま~、ちょっとそこのバター取ってください」
「おまえの方が近いだろう、マール……それに何個食べているのだ。徐々に納入されるパンの数が増えていて申し訳ないぞ。領主になったからこそ、率先して粗食を心がけてだな……」
「マールさんは身長がありますし、代謝も人より並外れていいんですよね、きっと。羨ましいです」
普通に食事しているだけなのだが、みんなチラチラと俺の方を見ては、すごく嬉しそうに微笑むものだから、ルシエとイアンナさんも空気を察して、少し頬を赤らめている。
「ヒロトは遠慮せずに、沢山食べるがいい。まだまだ伸び盛りなのだからな」
「あ……う、うん、ありがとうフィリアネスさん」
「このパンにハムを乗せて食べると、なかなか美味しい。試してみるか?」
隣に座っているフィリアネスさんが手づから、スライスしたパンにハムと野菜を乗せて出してくれる。こ、これは……「あーん」というやつか。こんなにあっさり、人生の達成目標のひとつを通過できるなんて。
「……あ、あーん……として食べるのだぞ」
フィリアネスさんが初々しく頬を染めながら、俺の口に入れて食べさせてくれる。自分の手で食べるよりもずっと美味しく感じるあたり、脳と味覚は直結しているのだと実感する。今の俺は幸福物質が惜しみなく出まくっているだろう。フィーバータイムというやつだ。
「ん……美味しい。ありがとう、フィリアネスさん」
「はーい、雷神さまの抜け駆けタイムはここまででーす。ヒロトちゃん、ミルク飲む?」
「あ、朝から何を言ってるんですか……マールさんったら、本当に欲求不満なんですから」
「ち、違いますぅ~! なんでもかんでもそっちに結びつけないでよね! ぷんぷん!」
俺もちょっと想像してしまうあたり、完全に習慣化しているな。触れると落ち着くという意味では、毎日というか、気づいたら常にしていてもいいくらいだけど。マナの消費を考えつつということにはなるが。
「ヒロト、どうしたのだ? そんなに優しい目をされると、その……何か、気になってしまうのだが」
「あ、いや……何でもないよ。俺もいつまでも甘えてばかりじゃいけないなと思うけど、もう少し甘えたいかなって」
「誰だって、大人になったって甘えたいときはあると思うよ~。ヒロトちゃんはまだ八歳だし、ゆっくり甘えていけばいいと思うよ。私で良かったら、いつでも甘やかしてあげるからね~」
「大人になったって甘えたい……ふふっ、それは本当にそうですね。大人といえど、気を張ってばかりではいられませんし」
親友らしいマールさんとアレッタさんのやりとりを、フィリアネスさんも微笑みながら見つめている。この三人の関係性は、昔から見ていて羨ましいなと思う。
そう思っているのは、どうやらルシエも同じようだった。三人を、少し遠いものを見るような目で見つめている。
「皆さん、とても仲が良いのですね。こうして見ていると、羨ましいです」
「ルシエも遠慮することはない。ヒロトは最初は少し人見知りだが、話していればすぐにわかる」
「ヒロトちゃんとお話出来るようになったときは、すっごく感激しましたよね。最初はばぶー、って言ってた赤ちゃんだったのに、言葉を覚えたてのときから、私より頭がよかったりして」
「それはマールさんが……いえ、言わないでおきます」
「どうせ私は脳みそまで筋肉で出来てますよ~だ。ヒロトちゃんはそんな私でも見捨てずにいてくれるんだから、これはもう、めろめろになってもしょうがないというかですよ」
「め、めろめろ……そうだったのですね……それは、具体的にどういった気持ちになるものなのですか?」
ルシエがそっちの方面に興味を……俺のせいで、公女殿下が俗世に近づいてしまわれたのか。いや、王族の日常が庶民と比べてどのように異なるかは分からないが。
そう考えると、気になってきたな……好奇心だけで人の生活を見てみたいと思うのは良くないことだけど。
「めろめろって言うのはですね、もうそれは何と言っていいものやら……そう、そのどうしていいのか分からない感じで、居てもたっても居られない気持ちがめろめろなんです」
「こ、こほん……わたくしから申し上げることではございませんが、クレイトン様、姫様はまだ十歳であらせられますので。そのような話題は、まだ早いかと存じます」
「そ、そうですよマールさん。何を説明しようとしてるんですか、恐れ多いです」
「いえ……私も、知らないことばかりで清らかに生きていくより、大切なことがあると感じました。人と人との関係はきっと、自分の心に素直になることから豊かになっていくのです。そうですよね、フィル姉さま」
「こほっ……る、ルシエ、何のことを言っているのだ? 心に素直になるとは、どういう……」
(ルシエはイアンナさんと違って、直接覗いてはなかったみたいだけど……あの感じだと、イアンナさんが実況してたみたいだからな)
イアンナビッチさんというニックネームをつけたくなるほど、彼女は真性のビッチだった。それが悪いと言っているわけではないが、ルシエはまだ知らなくてよかったんじゃないか、と思う面もあるわけで。
逆に言えばそういう人が侍女でも、ルシエは聖母のごとき心で許してきたんだろうな、という気はする。まだ十歳でも物事が分からない歳じゃないし、イアンナさんの行動に釘を刺すこともしていた。
人の上に立つ資質というものは、普段の言動に表れる。ルシエはやんごとなき身分にふさわしい、高潔な人物だ。西王家の血を引いているかどうかを別にしても、このまま成長して女王になったとして、何もおかしいとは思わない。
(ルシエは将来の女王になるかもしれない……いや、俺たちが守り通したら、その可能性が凄く高くなる。ルシエが、自分から継承権を放棄しない限りは)
ルシエは自分が女王になることについては、どう考えているんだろう――と、ふと思った。
「……ヒロト様、先ほどからじっと私の顔を見て……何か、気になるところでもあるでしょうか?」
「あ、い、いや……何でもない。なんとなく、見てただけだよ」
「なんとなく……か。ルシエの服が変わったことが新鮮で、見とれていたのではないのか?」
「私たちはこれから一日中鎧をつけてないとですからね~。よーし、気合いを入れて行きまっしょい!」
マールさんたち騎士団の三人が食事を終えて席を立つ。ルシエとイアンナさんはそれがいつも通りのペースなのか、騎士団のみんなよりはゆっくり食べていた。
「……ヒロト様、フィル姉様のおっしゃっておられたことは……その……」
ルシエが恥じらいながら尋ねてくる。こ、こういう時に上手いこと言えてこそだよな……と思うが。
選択肢の高度な使い方を試してみるか……こんな時に最も適切な言葉を教えてくれ……!
◆ログ◆
・あなたは「選択肢」スキルを使用した。
・選択肢の内容を「発言内容」に設定した。
◆選択肢ダイアログ◆
1:「すごく似合っているから、見とれてたんだ」
2:「今日の服は季節感が出ていてイイね」
3:「ねえ、今日の下着は何色?」
(地雷っぽい選択肢が混ざってるのはなんなんだ……トラップか)
まあ地雷が正解だったりするのはゲームの中だけだけどな。こうして見るとまるでギャルゲーのようだ。そうは言ってもギャルゲーの類はそんなにやったことがないので、何だか楽しくなったりもする。
こういうとき、あえて地雷を選んでみるプレイヤーに俺は敬意を表したい。時間制限の間、ずっと1から3番を往復したあと、俺は思う。
――守りに入った人生でいいのか?
(いや、服を褒める場面で下着っておかしいだろ……だがそれがいい)
落雷に打たれたような体験だった。人はわりと簡単に、刹那的な感情でゲスになることができるのだ。
「ねえ、今日の下着は何色?」
「っ……ひ、ヒロト様……そのようなことっ、王女様に突然、忌憚なくお伺いになるなんて……!?」
とてつもなく嬉しそうなイアンナさん。すまない、俺もあなたの同類だったようだ――とか、人を言い訳に使ってはいけないな。
「……ヒロト様がどうしても気になるのでしたら……し、白ですっ……!」
「白……白か……それはイイね。よく似合ってるよ」
何がイイねだ、と自分に全力でツッコミたくなる。しかし……答えてくれるなんて。選択肢って、実は人生を面白くする効果もあるんじゃないだろうか。
なにげにマナポーションを飲みつつ、俺はできるだけ爽やかに笑った。ルシエはしきりに照れていたが、なぜだかとても嬉しそうだ。
「……も、申し訳ありません。こんなはしたないことを、あけすけに言ってしまって……」
しかも俺の方が謝られている。そうか、こういうコミュニケーションもあるのか。いや無い。
「ご、ごめん。服が似合うって言おうとしたのに、つい変なこと言っちゃって」
「……そんなに気にしていただいていたのですね。フィル姉さまみたいに、胸が大きい方にしかご興味がないのかと……安心しました」
王女様を山賊から助けるイベントの破壊力は凄いな……中身は山賊ではなかったが。
俺がもし女性で、通りがかりの人に命を助けられたらどうだろう。まあ、好感は抱くかもしれないけど、それくらいで心まで持っていかれると思わないでよね、となりそうだ。
やはり交渉術の効果なんだろうか。ポイントが高いほど会話がスムーズに進むという効果もあるのだが……俺がコミュ難を発動しさえしなければ、間が持たなくて苦労することはまず無さそうだ。
「ヒロト様は場を和ませるために、突然そんなことをお尋ねになったのですね……常人には真似のできない発想です。このイアンナ、感銘を受けました」
何をしても全肯定されてしまう気がしてきた。もうスキルはもらってしまったので、イアンナさんにはむしろ感謝しているというか、申し訳ないターンになっているのだが。
「……ヒロト様、いつもそんなことを聞いていたら、それは良いことではありませんが、私は大丈夫ですから、何度でも聞いてください」
「あ、ありがとう……って、本当にいいのかな」
「はい、私は……ヒロト様に喜んでいただけることがあれば、率先してしたいと思っていますから……」
昨日の夜は怒って逃げてしまったと思ったのに、一晩明けたらこの変わりようは……いや、嬉しいといえば嬉しいけど、あまりに都合がよすぎて逆に不安になる。
だがルシエが「何度でも聞いていい」と言ったことに対して、「看破」をかける気にはならなかった。相手が不本意なことを言ってるかどうかくらい、人の顔を見られるようになれば、感じ取るのはさほど難しくはない。
(……しかし、こうして見ると本当に綺麗な子だな)
ルシエは見ていて安心できるようなほんわかした感じがするが、しばらく見ていると美少女すぎて緊張もしてくる。そんなバランスが魅力的に……って、気が多すぎるのはダメだっていうのに。
「ヒロト様もルシエ様の美しさには、やはり見とれずにはいられないようですね……洗礼を受ける際の衣装をまとった姿を見たら、きっと恋に落ちてしまいますよ」
「い、イアンナ……そんなことを今から言わないでください、洗礼の衣装は、ヒロト様に褒めていただくためのものではないのですから」
今からそんなことを言われると期待せずにはいられない……と、気を緩めっぱなしじゃダメだ。
神殿までの道中で、また敵が襲ってこないとも限らない。公道の南に進むということは、敵と目されているグールド公爵の領土の深くに入り込むということなのだから。
◇◆◇
フィリアネスさんの部下たちに見送られ、俺たちは朝のうちにヴェレニスを発った。
ルシエを狙っていた輩はどう出てくるか。シグムトが捕まったことが伝わっていれば、黒騎士団は表立って襲撃をかけて来ないと、常識的に考えるところなのだが――。
(残念、常識が通じませんでした……ってな)
ミゼールから首都ジュヌーヴまでは、道が途中で枝分かれしている。イシュア神殿に向かう道に差し掛かり、少し進んだところで、前方に何騎かの騎兵の姿が現れる。
「俺たちはポイズンローズだ! その馬車を止めろ、積み荷を渡せ!」
(……もしかして敵は、俺が思ったよりも馬鹿なのでは?)
ポイズンローズを俺が抱き込んだことを敵が知らないだけで、こんなに楽な展開になるとは……パメラが略奪をしていたことは悪事ではあるが、その悪名のおかげで、敵が墓穴を掘りまくってくれている。
それもこれも、情報の伝達が遅い異世界ならではだ。前世だったら、ネットの掲示板とかツ◯ッターで一瞬で情報が拡散され、共有されていただろう。「ポイズンローズ、山賊やめるってよ」と誰かが言おうものなら、日本の端っこどころか海外の好事家まで広まっている、それがネットの力の凄さであり、恐ろしさである。
俺はフィリアネスさんの馬に乗せてもらっていたのだが、彼女のほうを振り返ると、恥ずかしげもなく名乗る敵に対して怒っているのか、ビキビキとこめかみを引きつらせていた。
「……ここまで愚かだとは思わなかった。そんな輩が、ルシエをさらおうとしただと……? ふざけているのか? ふざけているのだな?」
「いいよフィリアネスさん、やっちゃおうよ」
わりとノリノリの俺。彼女と一緒に馬に乗っていると、怖いもの知らずに拍車がかかってしまう。
「うむ。こんな輩など、剣を抜くまでもない……雷の精霊よ、大気に轟き、駆け抜け、我が敵を薙ぎ払え!」
「なっ……せ、精霊魔術を使う騎士だと……」
「せ、聖騎士がなぜここにっ……!?」
テンプレートにもならない定型的な驚き方をして、山賊の格好をした黒騎士団の人々は、フィリアネスさんのかざした手の前方に発生した雷光が飛んでくるのを、為す術もなく見ていた。
◆ログ◆
・《フィリアネス》は「ボルトストリーム」を詠唱した!
・《ラゴス》、《ゼーム》、《ドビオ》に平均162ダメージ!
・「麻痺」の追加効果が発動! 全員が抵抗に失敗し、麻痺状態になった。
(範囲魔法に麻痺つきか……耐性防具を持ってない敵なら、何匹来ても怖くないな。これはいい魔術だ)
◆ログ◆
・あなたは「ボルトストリーム」を習得する条件を満たしている。
・「ボルトストリーム」をラーニングした!
魔術には実は個人差があって、同じスキル値でも特定の魔術を覚えたり覚えなかったりということがある。フィリアネスさんの魔術を見たことで、俺は未習得だったボルトストリームを習得することが出来た。フィリアネスさんと一緒に行動していれば、レベル8までの雷魔術はコンプリート出来るかもしれないな……俺からも提供出来るといいんだけど。
「ふぉぉ、さすが雷神様……私たち、馬車から出て行くタイミングがないよ~」
「いえ、この場合だと出番はありそうですよ。あくまで、お手伝いですけどね」
馬車の御者をしているマールさんと、中にいるアレッタさんがこちらの様子を見ながら言う。フィリアネスさんは馬の手綱を引き、麻痺して馬に突っ伏している賊に近づいた。魔術の対象は限られているので、ターゲットしなかった馬は麻痺しない。これも魔術の器用なところである。
「麻痺は数時間で解ける。私たちの質問に答えれば、一人だけは私の部下の手で麻痺を解いてやろう。そうしなければ、麻痺している間、モンスターに襲われないことを祈ることになるが……どうする?」
「くっ……殺せ……!」
「私が何のために麻痺の魔法を使ったと思っているのだ……殺すつもりはない。お前たちの素性を知らないと思っているのか? 今さら、隠すべきことなど無いというのに」
「な、なんだと……!?」
そんな反応をしたら、自分たちの正体がポイズンローズじゃないと言ってるようなものだ。
駆け引きも何もないので、交渉術を発揮するタイミングがない。できれば、交渉のテーブルにつきたいな。下っ端じゃなく、ボスを交渉の席に着かせないと意味がないか。
結局、山賊を装った黒騎士団から引き出せる新しい情報はなかったが、これだけ黒騎士団が揃って敵に回っているということは、やはり黒騎士団長が怪しいということになる。
敵はあれからも断続的に襲撃してきて、グールドの領地に入った途端にあからさまに妨害が激しくなった。苦戦することもなく、フィリアネスさんが魔術で撃退しても自然回復で全快するので、何の障害もないに等しい旅だった。
「はぁ~……黒騎士団のほとんどが敵に回ってるなんて。気づかないって怖いですよね、雷神さま」
「ルシエが洗礼を受ける段になって、表面に出てきただけなのだろうな。前々から、黒騎士団はルシエに害を成そうとする者に加担していたのだろう」
「南ジュネガンに入ってから、襲撃がすでに七回です。もう、事実を公王陛下に報告して、黒騎士団はお取り潰しにするべきなのではないでしょうか」
「アレッタがそう言いたくなる気持ちも分かるが……そうだな。黒騎士団は一度解体し、もう一度編成し直した方が良いのかもしれない。ルシエに危害を加えることに加担した者たちを、そのまま残すわけにもいかないからな」
そう言いはするものの、四つの色が一つになってこその騎士団と言っていただけに、フィリアネスさんの失望は大きかった。
「フィリアネスさん、大丈夫……?」
「ああ……すまない、心配させてしまったな。黒騎士団の再生については、今はまだ考えることではない。全てはファーガス陛下と、他の騎士団長の判断を仰ぐべきことだ」
「うん……でも、ちょっと疲れてるみたいだから、俺が護衛を代わるよ。あれくらいの敵なら、一人でも問題ないよ」
「……分かった。私も少し、ルシエたちと話しておきたい」
フィリアネスさんが俺を信頼して任せてくれる。ずっと張り詰めているままじゃ、どんな人間だって疲れてしまう。だから、彼女には安心して心を休めてほしい。
フィリアネスさんが馬車に入ったあと、入れ替わりでマールさんが出てきた。何か言っておきたいことがあるらしい。
「ヒロトちゃん、雷神さまの馬って『オラシオン』って言うんだけど、雷神さまが認めた人しか乗せないんだよ~。特に男の人なんて、仔馬の頃から絶対乗せないくらいだったんだよ」
「そうなのか……俺は、全然嫌がられてないみたいだ」
「うんうん、私もいちおう乗せてもらえるけど、どうしよっか。二人乗りしていく?」
「いや、休んでもらってていいよ。俺は全然疲れてないし」
「むぅ~……そんなこと言ってたら、おしりが大変なことになっちゃうよ? あ、アレッタちゃんに優しく治してもらおうと思ってたり?」
「あはは……俺のお尻はそんなにやわじゃないよ」
普通は八歳で、乗馬用のズボンも履かなかったら股ずれが大変なことになるだろうな。しかし俺はライフが高く、比例して自然回復量が大きいので、股ずれのダメージが表面化することはない。それもまた異世界のいいところだ。
マールさんは何か思うところがあったのか、すぐ馬車に戻らず俺を見ている。その目は、いつになく真剣だった。
「ヒロトちゃん……祝祭が終わったあと、私と一回手合わせしてくれる?」
「えっ……い、いいけど。マールさん、急にどうしたの?」
「ううん、そういえば一度もヒロトちゃんと本気で試合をしたことってなかったから」
いつも朗らかに笑っていて、闘争心とは無縁に見えるマールさんだけど、フィリアネスさんの側近であり、今では騎士団でも随一の強者でもある。四年に一度開催されるジュネガン公国の御前試合では上位四傑に入り、他の騎士団長と実力が拮抗しているとも、フィリアネスさんと対戦することを避けなければ二位にまで上がっていたとも言われている。
「私は雷神さまには勝てない。でも、それ以外の人には、本当は絶対負けたくなかったりするんだよ。それが、たとえヒロトちゃんでも……」
「……そうか。マールさんは優しいけど、やっぱり戦いにおいては、いつでも真剣なんだ。普段を見てると、忘れそうになるけど」
「あはは~、本当は雷神さまみたいな、キリッとした騎士さまを目指してたこともあったんだよ。でも私ね、雷神さまの部下にしてもらえて本当に良かったと思ってる。自分にないものを持ってる人を見ながら、自分らしくいられるって、すごく素敵なことなんだよ。わっかるかな~?」
(……それは)
自分にないものを持っている人と接しながら、自分らしくいる。
それはまさに、俺が前世のリアルで出来なかったことだった。
リアルに向き合って生きている人たちと共存することを諦めて、違う世界に生きようとした――。
「なーんて、私だって結構真面目に考えてたりするんだけど、そういうこと言うとアレッタちゃんが凄く感心してくれるのが恥ずかしくって……」
「俺もその気持ちはわかるよ。マールさんはフィリアネスさんも認める、誇り高い騎士なんだ……俺も小さい頃、騎士になりたいと思ったことがあったから、尊敬してるよ」
「え、ええ~っ、そんな、私のことなんて尊敬しちゃっていいの? 基本的に何も考えてないよ?」
「いつも真面目なことを考えてると、アレッタさんもつっこめなくて寂しそうだからいいと思うよ。俺も普段のマールさんが好きだしね」
「……は、8歳から22歳に言う場合でも、『好き』は一回に数えてもいいと思う?」
「い、いや……えっと……」
そういう意味じゃなくて、と誤魔化すのはラクで。
それは結構前世における、難聴主人公、ハーレム主人公のベタなテンプレの振る舞いであって。
――じゃあ、俺はどうしたい? 俺はそんな類型にハマりたくて生まれ変わったのか?
多分、それは違う。俺が思い描いていた『ジークリッド』は、もっと自由で――もっと大胆で、もっと馬鹿をやって生きているやつだった。俺はチャットで会話を打ち込む自分と、異世界で生きているジークリッドを、違うものだと捉えていた。
キーボードを使わないとうまく喋れない俺は、もうどこにも居ない。ヒロト・ジークリッド、そんな名前で転生した意味がようやく分かった気がする。2つの自分は等価で、混ざり合って、新しい存在に変わる。ヒロトでもジークリッドでもあって、どちらか一つではありえない一個の人間になる。
「もちろん、数えてもいいよ。俺だってもう、その言葉の意味はわかってるから」
「……はぁ~。やっぱりこんな子と……ううん、こんな人と出会っちゃったら、それはね~。なかなか、他の人に目移りしたり出来ないよね」
マールさんは馬の上の俺に手を伸ばすが、さすがにこの高さでは頭に手が届かない。なんだか可笑しくなって、俺はマールさんと笑いあった。
独占欲みたいなものを発揮するなら、それは徹底するべきだろう。「ジークリッド」はストイックだったが、今の俺はとても無欲だとは言えない。
「……マールさんは、赤ん坊の俺と会った時のこと……変だとは、思わなかった?」
「あ……それ、今話しちゃう? うん、それは思ってたよ~」
彼女の答えはあっさりしていた。それこそ、拍子抜けしてしまうくらいに。
俺が魅了スキルを使って、みんなから……そして、それからの行為を経て、俺への好感が上がっていった。その過程で、一度も俺のことを変だと疑わなかったのかどうか――。
尋ねることが怖くもあり、いつかは殴られることも覚悟して聞くべきだと思っていたこと。
それに、マールさんはとても簡単な答えをくれた。
「もとから、下にいっぱいきょうだいがいるから赤ちゃんとか小さい子の面倒を見るのには慣れてたけど、ヒロトちゃんだけだよ。でも、赤ちゃんだもん。おっぱい欲しいって泣いちゃっても、それは自然なことだよね」
「い、いや……俺が言いたいのは、そういうことじゃ……」
「私はもとから、そんなに男の人に関心があったりしなくて、強くなりたいな~っていつも思ってて。ヒロトちゃんと一緒に練習したりするようになって、その時に気づいちゃったの。あ、私今、すっごく充実してるって。ヒロトちゃんが強くて、雷神様に認められてることが、自分のことみたいに嬉しいって気づいたんだよ。じゃあ、この人が大きくなるまで見てるだけでいいかなって……ヒロトちゃんこそ、そういうの、変だと思うでしょ?」
魅了されている間に好感度が上がって、いつか魅了は切れて、それが普通になった。けれど一ヶ月に一度ミゼールに来てくれる彼女たちとの交流は、途絶えることなく続いた。
言葉が話せるようになったばかりの頃は、口下手だった俺の話を、彼女たちは嫌な顔ひとつせず聞いてくれた。
俺が癒しをくれたと彼女たちは言う。しかし、本当に癒されていたのは俺のほうだ。
「……何も変だと思わない。ありがとう、しか思わないよ」
「本当に? 今のうちだよ~、今のうちにダメって言っておかないと、私はずっと望みを持っちゃうからね。けっこう、夢見がちだから」
「俺もそうだよ。わりと、大きい夢を幾つも見る方なんだ」
世界の全てを知ること。自分のギルドを作ること。魔剣が永久に悪用されないように対処すること。陽菜を魔王としての宿命から解放すること。
どれも達成出来ると思っている。どれかが無理だったなんて、いつか弱音を吐くビジョンすら見えない。
「ヒロトちゃんならきっと出来るよ~。雷神さまも、みんなもそう思ってると思う。大きくなったら、すごいところまで行っちゃいそうな気がするよ~。追いていかれないように、私も頑張らなきゃね」
マールさんはそう言って、オラシオンの首もとを撫でる。そして、馬車を引く馬に跨って、指で輪を作った。それが彼女の、出発進行のサインだ。
イシュア神殿まではもう少し。俺は再び、周囲に気を配りながら馬を歩かせ始める。
(久しぶりに魅了をセットしておくか……ルシエとイアンナさんをパーティに入れれば、効果が及ばなくなるし)
◆ログ◆
・《ルシエ》をパーティに参加させた。
・《イアンナ》をパーティに参加させた。
・あなたは「魅了」スキルをアクティブにした。
・「カリスマ」が発動! 《ミコト》があなたに注目した。
(ちょっ……い、いつの間に……!?)
何者かが、俺のスキルの効果範囲に入っていたらしい――気配を消してでもいたのか。そう思った次の瞬間だった。
◆ログ◆
・「魅了」が発動! 《ミコト》は抵抗に成功した。
「……素直に暗殺されてくだされば、楽に終わりましたのに。ままなりませんわね」
(この声、どこから……気配を消す系統のスキルを使ってるのか……!)
◆ログ◆
・あなたは「看破」を試みた!
・《ミコト》の隠密状態を見破った!
判断すると同時にスキルを発動させる。すると、今まで感じなかった気配が突如として左の前方に生じた。
姿を見せたのは、これまで転生してからは見たことのなかった職業――忍者の女性だった。黒く長い髪を高い位置で縛り、装備一式を黒で統一して、まさにくノ一といった風体をしている。
エターナル・マギアにおいて和風の職は侍、忍者、巫女などがある。東の大陸にまるで戦国時代の日本のような国があり、そこでは独自の文化が築かれているという設定があった。出身を東大陸に設定しないと職につけないので、おそらく彼女は海を渡ってきたのだろう。
「ヒロトちゃんっ、一人で大丈夫!?」
「マールさん、ここは俺に任せて! なんなら、先に行ってくれてもいい! 後で追いつくから!」
俺は女忍者から馬車を守るように立ち回り、無事に行かせたあと、オラシオンから降りる。忍者はそれを律儀に待ってくれている――どうやら、変身モノヒーローのワビサビが分かる人物のようだ。
(というか……《ミコト》で、あのしゃべり方は……間違いないんじゃないのか?)
「幼い子供だけを残して行かせるなんて……面白い判断ですわね。先程から見ていましたが、聖騎士しか戦っていなかったのではなくて?」
「俺は手を出す必要がなかっただけだよ……戦うっていうなら相手になろう。でも、その前に聞きたいことがある」
「……まず、武器を見せていただけますか? それであなたが強いかどうか、判断できますから」
俺はくノ一に斧を見せる。すると、彼女が目を見開き、その瞳はきらきらと輝き始めた。
「ま、マジですのっ……!? それ、+7まで強化されていますわよね!? どうやってそんな武器を……どこの職人に頼んだのか、教えてくださいませっ!」
普通の人は、「+7」なんて言葉は絶対に使わない。どれだけ強化しても、「強くなった」「輝きが違う」などという表現しかしない――つまり。
「……転生者……っていうか、もしかしてミコトさん……?」
「っ……ま、まさか、あなた……いいえ、ヒロトなんて人は知りませんし……まさか八歳ということはないはずですわ。私は年齢を引き継いでいますし……」
「俺の名前はヒロト・ジークリッド……ジークリッドだよ、ミコトさん。俺が知ってるミコトさんなら、覚えててくれるはずだ」
名乗った瞬間、彼女は何度か目を瞬いた。そして、持っていたクナイを地面に落とす。
長い、長い間を置いたあと。彼女は漆黒の瞳を潤ませ、震えるような呼吸をしたあと……俺に向かって駆け寄ってきた。
そして――俺が身構えるより早く。彼女は俺を抱きしめていた。
「ジークリッドっ……『天国の階段』の……そうですわよね……っ!?」
「うわっ……そ、そうだけど……だ、抱きつかなくてもっ……」
柔らかくて、いい匂いがする……じゃなくて。彼女の腕をぽんぽんと叩いてなだめると、両肩に手を置かれ、間近で見つめられる。
整った顔……長い睫毛に、大きな瞳。その瞳に涙が浮かんで、ぽろぽろと頬にこぼれていく。
「ギルマス……会いたかったですわ……っ!」
「……こっちに来ても『ですわ』口調なんだな、ミコトさんは」
手巾を出して涙を拭いてあげると、彼女はそれを受け取って、顔を赤らめる。
「ええ……私のロールプレイは徹底していますもの。ずっとこの口調で通していますわ」
「凄いな……俺はもう、キャラがブレブレだよ。もともと、コミュ障だったし」
「言ってましたわね、そんなことも……でも、全然問題があるように見えませんわよ」
ミコトさんとはかなり身長差がある。彼女は立ち上がると、落ちている自分のクナイを見やった。
「落としたアイテムは、二分で消滅する……ゲーム上のルールはそうでしたけれど、異世界ではそんなことはない。それは、なかなかいいシステムだと思いませんこと?」
「確かに。そういう話が通じるってだけで、もう、疑う余地はないみたいだな……久しぶり、ミコトさん」
「ええ、お久しぶりですわ……ヒロトというのは、ギルマスのリアルネームだったんですの?」
「はは……ずっと名乗ってなかったから、ちょっと恥ずかしいな。そうだよ、森岡弘人って名前だったんだ」
過去形で言うと、ミコトさんの表情が陰る。
「元気そうで何よりですわ……と言うのも、少し複雑ですわね」
「……こっちに来る経緯だけでも、歩きながら話そうか。俺は、フィリアネスさんたちと一緒に大事な仕事の途中なんだ」
「フィリアネス……最強クラスの騎士NPC。彼女が絡むイベントの最中ということですか?」
「そう……未実装だったクエストだ。というより、ミコトさんも気付いてると思うけど、この世界はエターナル・マギアそのままじゃない。実装されてたクエストの、さらに過去から始まってるんだ」
「それは詳しく聞かせていただきたいですわ。ここまでレベルとスキルを上げるだけで精一杯で、クエストの類はキャラクエしか見ていませんの」
キャラクエとは、ネリスおばば様に精霊魔術を教えてもらうクエストのようなものである。人から依頼される本筋に関係のないサブクエストは、全てキャラクエだ。
「……せっかくですから、私もしばらくギルマスに同行しますわ。話したいことは尽きませんが、大事な仕事を遅らせるわけにも行かないのでしょう? 敵が来ても、私が撃退してあげますわ……といっても、あのニセ山賊たちのレベルでは、『渇き』は癒やせませんけれど」
「ああ、よろしく頼む……って、口調が全く子供っぽくできなくなるな、ミコトさんと話してると。見た目と合わなくて変じゃないか?」
「ふふっ……そんなことを気にしていたのですか? それこそ、少女のアバターでたまにおじさんの素が出ていることなんて日常茶飯事だったではないですか。もっとも、私は元から中の人も女性でしたが」
ミコトさんはつり目がちで少し気の強そうな美人だが、俺の正体が分かってからは、ずっと朗らかに話している。生前――いや、陽菜の例もあるので死んで転生したとは限らないが、前の世界でもこういう人だったのかな。
しかし、レベルとスキルを上げるだけで精一杯と言っていたが、彼女のプレイスタイルが変わっていないなら――強い相手を探していたというのもうなずける。
サーバーの中でも屈指の廃人で、対人戦(PVP)の最強プレイヤー。『闇影』という二つ名で呼ばれたくノ一。おそらく名無しさんが言っていた人物は、彼女のことだ――彼女は強い相手を見つけると、戦いを挑まずにはいられない戦闘狂だから。
「相変わらずの戦闘中毒みたいだね、ミコトさんは」
「ええ。どんなゲームも、戦闘こそが華であり、全てだと考えていますわ……といっても、異世界では簡単に致命攻撃を繰り出せないのが痛いですわね。まさか、シノビの死にスキルと呼ばれていた『手刀』が、最も使えるスキルになるとは思いませんでしたわ」
「手刀で首を飛ばせるようになるのがシノビだけどね」
「ふふっ……そこは心配ご無用ですわ。『当て身』を取っていますから」
『当て身』スキルを取ってオンにしていると、格闘属性の攻撃でライフがゼロになるダメージを与えても、一桁残る。手加減に似ているが、当て身はダメージが少なくても相手を気絶させる可能性がある。
「ゲームの中とは違って、腹パンにリアルな手応えがあって良いですわ。もちろん、首に一撃で気絶させるのもいいですわね」
そう――『闇影』は丁寧な物腰だが、戦闘スタイルはガチの攻撃一辺倒で、言動もナチュラルにサディストだったりするのだった。そんな人だが、強さとプレイヤースキルは随一だったので、ギルドのサブマスターとしては優秀で、人望も厚かった。彼女に一度は倒されたい、と願ってギルドに入る人が複数人いたくらいだ。
「俺でなきゃ見落としちゃうね、今の一撃は……ってやつだね」
「ええ。懐かしいですわね……こっちに来て五年ですから」
女神が言っていた通り、エターナル・マギアのプレイヤーは異世界に転生する可能性がある。
初めて出会った元プレイヤーは、かつて俺を補佐してくれたサブマスだった――そして、かなりの美女だった。
それより何より、彼女は転生後の人生をフルにエンジョイしているとすぐに分かった。それが、自分のことのように嬉しかった。
「ああ、後で話したらしんみりしてしまうでしょうから、言っておきますわね。私、あなたがいなくなった数ヶ月後に死んでしまいましたの」
「……死んで……ど、どうして……?」
「病気だったんですの。私は死ぬまでの最後の一年を、ゲームに費やすことを選んだのですわ。どうせなら一番面白いと思ったゲームを、全力でやって終わろうと思いましたのよ。おかげさまで、ゲーマーの本懐を果たすことが出来ましたわ」
そんなふうに、本当に満足そうに笑ってみせる彼女。それが事実なのか、確かめるすべはなくても……そんなにあっけらかんと言われてしまうと、疑うことが無粋だと思える。
「とても満足していたのですが……心残りがあるとしたら。あなたと決着をつけられなかったことです、ギルマス。だから、転生せずに居られませんでしたわ……女神には、一縷の望みを込めてジークリッドの近くに転生するようにと頼んだのですが。そのときはあなたが先に転生していたことは教えてもらえませんでしたわ」
やはり……女神は転生者の望みのままにしてくれているようで、そうではない。何か、楽しんでいるような節がある。
「ギルマス、私のステータスを見ますか? あなたが実質上のパーティリーダーであれば、メンバーである私の能力を知っておいても良いと思うのですが」
「ぜひ見せてほしい。俺のステータスも見ていいから」
「……緊張しますわね……ギルマスのステータス、前世では一度も見せてもらいませんでしたもの」
俺もそうだ、ミコトさんのステータスを見たことはなかった。自己申告で所持スキルや装備を聞けば、それだけで事足りたからだ。ギルメン全員のステータスを把握してるようなギルマスも中にはいただろうが、俺はそこまではしていなかった。
けれど改めてミコトさんが今ステータスを見せたいというのは、意思表示でもあるのだろう。自分がこれまでどんなふうに異世界で生きていたのか、俺に教えたいという。
◆ダイアログ◆
・《ミコト》がステータスの閲覧を申請しています。許可しますか? YES/NO
ミコトさんからの申請に応じて、俺のステータスを開示する。俺の方はカリスマの効果で彼女のステータスを見られるので、心中で念じてステータスを開いた。
◆ステータス◆
名前 ミコト・カンナヅキ
人間 女性 17歳 レベル57
ジョブ:シノビ
ライフ:1240/1240
マナ :204/204
スキル:
忍術 100
忍装備マスタリー 100
恵体 100
魔術素養 15
母性 20
アクションスキル:
投擲 当て身 五行遁術
木の葉隠れ 韋駄天の術 変わり身
ムササビの術 忍犬調教
影分身 バックスタッブ
無敵
パッシブスキル:
クナイ装備 忍防具装備 二刀流
鎖鎌装備 忍刀装備 手裏剣装備 貫手
戦闘狂 夢遊病 育成 授乳
可愛いものに弱い
残りスキルポイント:171
(忍術100、忍装備マスタリー100……恵体まで。さすがだ……魔術素養は、忍術を使うために上げ始めたのか。戦闘狂と夢遊病ってネガティブなパッシブなのか……? 可愛いものに弱い、はラビット系モンスターに攻撃できないんだよな。これはまあ問題ないか)
ボーナスポイントを利用したのか、そうでないのかは分からないが、見事な育成だ。レベルアップボーナスが手付かずで残っているのは、俺と同じ志向に基づくものだろう。
「やっぱりすごいな、ミコトさんは……って」
「……ギルマス……何ですの? このステータスは。変態的なレベル上げをしたんですの?」
(ぐっ……へ、変態的なレベル上げって、授乳のことか……って違うよな)
ミコトさんは開いた口が塞がらない、という顔をしている。それはそうだな……彼女は俺がもらったボーナスのことも、それをカンストに使ったことも知らないわけだから。
「いろいろあって、こうなったんだ。強くならないとダメだっていう出来事があったから」
「それにしても……限界突破。こんなスキルがあるなんて……」
ミコトさんもウィンドウを心中に展開しているのだろう、胸に手を当てて宙を見つめているように見えるが、彼女は俺のステータスを一つ一つ確認しているのだ。
確認がなかなか終わらないのも仕方がない。俺が持っているスキルの数は、我ながらかなりの多さになっている――収集癖のある俺としては、これでも全然足りないのだが。
◆ステータス◆
名前 ヒロト・ジークリッド
人間 男性 8歳 レベル58
ジョブ:村人
ライフ:1360/1360
マナ:1084/1084
スキル:
斧マスタリー 10→110
剣マスタリー 0→10
聖剣マスタリー 0→1
【神聖】剣技 12→50
精霊魔術 0→75
薬師 20→30 商人 10→30
盗賊 10→30 狩人 10→30
戦士 0→30 法術士 0→30
衛生兵 5→30 騎士道 3→30
聖職者 3→30 冒険者 1→30
鍛冶師 0→30 歌唱 1→10
恵体 12→110 魔術素養 20→105
気品 22→30 限界突破 0→21
房中術 0→10
交渉術 100→110 幸運 30→110
アクションスキル:
薪割り 兜割り 大切断 パワースラッシュ
スマッシュ ブレードスピン ブーメラントマホーク
ギガントスラッシュ トルネードブレイク
ドラゴンデストロイ メテオクラッシュ
加護の祈り 魔法剣 ダブル魔法剣
精霊魔術レベル7 法術レベル3
ポーション作成
値踏み 鑑定
忍び足 鍵開け 隠形
狩猟 狙う 罠作成
ウォークライ
応急手当 包帯作成 毒抜き
野営 メンテナンス 鍛冶レベル3
祈る 浄化
無敵 マジックブースト 艶姿
値切る 口説く 依頼
交換 隷属化 看破
パッシブスキル:
斧装備 弓装備 杖装備 軽装備
聖職者装備
薬草学 回復薬効果上昇
商才 マナー 儀礼
勇敢 攻撃力上昇 気配察知
カリスマ 手加減 【対異性】魅了 【対同性】魅了
【対魔物】魅了 選択肢
×ピックゴールド ×ピックアイテム ×豪運 ×天運
恩恵
残りスキルポイント:35→89
先に行った馬車を追って歩きながら、俺のスキルを確認していたミコトさんが、不意に立ち止まる。
「……こんなに沢山のスキルを、どうやって習得したんですの? あらかじめ1ずつ振っておいてから育てたとしても、未知のスキルはそれが出来ないはず……限界突破については、特に詳しく知りたいですわね」
「それは、話せば長くなるんだけど……」
「構いませんわ。そうしてもらえれば、私が忍術を伝授しますし、キャップ解放クエストのクリアにも協力します。これから継続してパーティに加入してもいいですわよ」
(そう来たか……向こうから交渉してくるとはな……)
交換条件自体は問題はないのだが――ゲーム時代に一緒だった仲間に、俺のスキル取得方法を教えるのはハードルが高い。
「……言えないような方法で手に入れたんですの? 異世界ではチートは出来ないですわよね……ギルマスが手を出すとは思えませんし」
「ミコトさんは、転生するときのボーナスは……?」
「ええ……私もいただきましたわ。そんなに不幸なつもりはなかったのですが……やはり、病気の分は換算されましたわね」
彼女のレベルアップによるスキルポイントは全て残っていたが、ボーナスポイントは無かった。ということは、ボーナスによる初期ブーストを行ったということだ。
しかし……なぜ、年齢が違うんだろう。リオナもゼロ歳になっていたし、年齢は希望通りになるんだろうか。
「ミコトさんは、女神に年齢の希望を出したのか?」
「ええ。元の年齢を引き継いでスタートしたかったので、そうお願いしましたわ。ボーナスポイントは使いましたけれど……」
「そんなことも出来るのか……」
一度命を落としたんだから、赤ん坊からの転生になるのだとばかり思っていたが……それに限ったわけでもなかったのか。ということは、他に転生した人がもしいたとして、俺と同じ歳とは限らない。転生した時期の違いも影響してくるかもしれないし。
しかしここまで8年経って、出会ったのは一人だけだ。女神は他にも転生する人がいると言ってたけど、異世界で巡り合う可能性はかなり低いってことになるか……他のプレイヤー全てに女神が転生するかどうかを聞いているわけではないということか。
「私は強い人を探していれば、いつか知り合いに辿りつくかもしれないと思っていました。女神が言っていたのですわ……知り合いが先に転生していると。ギルマスのことだとは思っていませんでしたが」
「死んだりしなきゃ、転生なんてさせてもらえないと思うよな……あの感じだと」
苦笑して言うと、ミコトさんも同意して頷く。
「やはり、私の狙いは間違っていませんでした……まさか、聖騎士の一行にあなたがいるとは思いませんでしたが。けれど、改めて会うと緊張してしまいますわね。初めてオフで会った気分ですわ」
言われてみればまさにそうだ。一度もしたことがないオフ会を、期せずして転生後に実行してしまったわけだ。
「さて……私は移動速度が速いですから、馬にもついていけますわ。馬車を追う前に、限界突破の取得方法を教えてくださいませ」
「……一つ、お願いがあるんだ。できれば、軽蔑しないでほしい……んだけど……」
「軽蔑……そんなえげつない方法で取得したんですの? しかし、それだけの価値はありそうですわね……スキル100超えが出来るなら、私も手段は問わないと言いたくなりますもの……いえ、身体は張りませんが」
ふと思うのは、ユィシアに授乳してもらわなくても、ドラゴンミルクを飲めばいいのではないかということだった――そうしてごまかそうかとも一瞬思った。
が、どのみち「搾乳してもらって飲めばスキルが取れる」と言っても、HENTAI的な感じがすることに変わりはない。やばい、猛烈に恥ずかしくなってきた……が、ミコトさんを仲間にするには、告白するしかない……!
「……俺が生まれた町の近くに皇竜というドラゴンがいて、テイムして、授乳してもらったんだ」
ざっくりと端折ったが、ありのままの事実を言った。ミコトさんは大きな目を瞬いていたが、やがて頬をゆっくりと染めていく。
「……それは、簡単に実行できませんわね。ギルマスも男の子ですわね……そんな大胆な……」
そういう方法があると分かっても、普通は選ばないよね、というニュアンスで言われてしまった。ま、まずい……この反応じゃ、仲間になってくれないんじゃ……。
「しかし、あえて探求してその方法を見つけたのは素晴らしいことですわ。教えてくれてありがとうございます……そうですか、授乳ですか。私も身につけたのですが、そんな使い方があったんですのね……」
「あ、ああ……俺も赤ん坊だったころに、偶然発見しただけなんだ。いや本当に」
とりあえず、そろそろ話を切り上げて、早くフィリアネスさんに追いつかなければ。
そう、思っていたよりも時間が経っていたわけで――。
◆ログ◆
・「魅了」が発動! 《ミコト》は抵抗に失敗、魅了状態になった。
――それは、一度発動したパッシブスキルが再発動するには十分な時間だった。
(し、しまった……ミコトさんをパーティに入れる前だから、魅了の対象になるんだ……!)
「み、ミコトさん、俺から離れて! しばらくすれば落ち着くから!」
「……な、なるほど……良くわかりましたわ。なぜ、授乳でスキルを取れたのか……凄いですわね、これは……」
ミコトさんの目がとろんとして、俺を見る目が変わって……だ、ダメだ。このパターンは……!
◆ダイアログ◆
・《ミコト》はあなたの命令を待っている。命令しますか? YES/NO
(アィエエエ!)
思わず今までにない心の叫びが出てしまう。魅了が成功する率はかなり下がっているはずなのに……!
「……ここで授乳を指示されたら、私の……忍術あたりを、ギルマスに継承出来るんですのね……なるほど、それは効率的ですわ。私が交渉術を取っていたら……確実に……んっ……か、身体が熱いですわ……」
◆ログ◆
・《ミコト》は身体の異変に戸惑っている。
・《ミコト》は「黒装束」の装備を解除した。
「ふ、服を脱ぐのはまずいっ……ここは外だよミコトさん!」
「っ……い、いけませんわ、こんな……私、正気を保つことさえ……恐るべしですわ、魅了の力……っ」
(落ち着け……忍者なら魅了耐性くらいあるはず。すぐに治るはずだ……!)
じっと指示を待っているミコトさん。忍術……影分身スキルが欲しいし、忍犬調教もいい。犬を調教して忍犬にすると、かなり優秀なのだ。ミコトさんは忍犬を連れてないが、それは犬が一部の地域にしか居ないからなので、見つければすぐ忍びの術を仕込むだろう。
じゃなくて、今回ばかりは絶対にダメだ。せっかく会えたのに、スキルのために全てを台無しにするつもりか……!
◆ログ◆
・《ミコト》の魅了状態が解除された。
・《ミコト》は「黒装束」を装備した。
「あっ……な、治りましたわ。一時はどうなることかと思いました……」
「ご、ごめん……」
「……このスキルで、赤ん坊の頃から無双していましたのね? ギルマスのこと、もっと真面目な人だと思っていましたが……案外、誘惑に弱いんですのね」
(好きなだけ罵ってくれ……俺はミルクに魂を売った男だ)
ウィンドウのログで何が起きたかを正確に把握できるミコトさんには、隠し事などできない。まして、ゲーム時代の知識を踏まえれば、俺がここまで強くなるためにどんな立ち回りをしたか想像がつきそうなものだ。
がっくりとしていた俺だが、ミコトさんはそれ以上責めたりはせず、俺をじっと見ている。肩にかかったおさげの先に触れながら、何を言われるのかと戦々恐々としていると……。
「……心配しなくても、軽蔑したりはしませんわ。それくらい、ゲームでは長くお世話になってきましたものね。ちょっとくらいのおいたは大目に見ましょう……もっとも、ちょっとどころではないと言い切れますけれど」
「あ、ありがとう……ミコトさん。俺、ギルド時代の知り合いにもし会っても、確実に嫌われると思ってたよ」
「ふふっ……そんなことはありませんわ。マユさんが今のあなたに会ったら、『男らしい』と評価すると思いますわよ。そういう人でしたもの」
確かにな、と三人で会話していた頃のことを懐かしく思い出す。互いの年齢も何も分からないのに、いろいろ他愛もないことを話したもんだな……。
「約束通り、私はギルマスのパーティに入ります。できれば、強敵は私にも回してくださいませね。最近熱いバトルがなくて、身体が鈍っていますの。なんなら、聖騎士さんとお手合わせしてみたいくらいですわ」
「はは……フィリアネスさんもものすごく強いからな。怪我しない範囲で頑張ってくれ」
「言いましたわね? そう言われてくると燃えてきますわ……これから楽しくなりそうですわね、ギルマス」
◆ログ◆
・《ミコト》をパーティに参加させた。
・《ミコト》はつぶやいた。「もう一度組める日が来るなんて……望みは持つものですわね」
イシュア神殿に着く前に、思いがけない出会いがあった。しかし今は何より、ルシエの護衛だ。その本分を忘れてはいけない。
俺は「韋駄天の術」を使って馬と並走できるミコトさんと共に、かなり先で待っている馬車を追いかけた。