第二十四話 ささやきの貝殻/ふたりの本音/聖なる泉
※前日の23:00から、続けてこの最新話をアップしています。
順にご覧いただければ幸いです。
ユィシアはリオナ、ミルテ、ステラとは知り合いで、モニカさん、ウェンディ、名無しさんとも面識がある。年少組はユィシアの正体がエンプレスドラゴンとは知らないが、ミルテは匂いで人間以外の種族だと分かるらしく、初めは少し警戒していた。森の中で引きあわせたところ、クールで大人しい性格のふたりは通じるものがあったらしく、何となく打ち解けた雰囲気だった。
そんなわけで、ユィシアが俺の護衛獣としてお使いに行っても、みんなは特に疑問に思うことなく受け入れてくれた。
「これに、ヒロト様の友人の声を吹き込んでもらった」
「うん、ありがとう。みんな元気そうだったなら、それでひとまずは安心なんだけどな」
◆ログ◆
・あなたは《ユィシア》から「ささやきの貝殻」を受け取った。
この「ささやきの貝殻」は、ミゼールに来ていた行商から手に入れたものだ。音の精霊の力が宿っていて、音を伝えることができる。
アイテム名からこれがウィスパー機能と同じ役割を果たしてくれるのかと期待したが、そうではない。ほら貝のような形をしたこれの穴に向かって話しかけると、声を吹き込むことが出来る。六つの魔石がはめ込まれていて、ひとつにつき一回分の録音に対応している。ICレコーダーのように使えて、わりと便利な魔道具だ。
「男の子供たちはもう寝てたから、ちょうど録音回数が間に合った」
「はは……アッシュもディーンも、寝るの早いらしいからな」
俺も十歳くらいの時は、遅くても十時半くらいには寝てたしな。次第に夜起きていられるようになって、最終的にはゲームで完徹し、黄色い朝日を拝むレベルになってしまった。それくらいでないと、トッププレイヤーなどと呼ばれるようにはなれないのだが。
ユィシアはさっきまでの余韻が残っているようで、ふぅ、と吐息をつくとベッドに座る。彼女にしては珍しく、横向きに寝そべって、俺の方をじっと見つめていた。
俺を幾ら見ていても飽きない、と言っていたことがあるが、本当に彼女は全く目をそらさない。慣れるまでに時間がかかったが、今となっては慣れてしまった。
「じゃあ、早速再生してみるか」
◆ログ◆
・あなたは「ささやきの貝殻」に宿る力を使った!
・貝殻に宿る音が、あなたの耳に届いた。
『ヒロちゃん、元気にしてますか? 私は元気です。首都はにぎやかで、ミルテちゃんが人が多いからって隠れちゃってます。ステラお姉ちゃんははぐれないようにって、私たちの手を繋いでいてくれます。早くヒロちゃんに会いたいな。リオナより』
『……そんなに隠れたりしてない。でも、人が多いのは苦手。お祭りは楽しみだけど、ヒロトがいなかったら、別に見なくてもいい。早く来てほしい。リオナとステラ姉のことは、私が獣魔術で守るからだいじょうぶ。ヒロトにも見せてない新しく覚えた魔術があるから、またミゼールに戻ったらみせたい。ミルテ』
『ヒロト、一つ言っておきます。公女殿下を送っていくとき、くれぐれも、失礼なことを言ったりしないようにね。それと、公女殿下はとてもお綺麗だけど、ぽーっと見とれたりしないこと。そんなことをしてたら、不敬罪で捕まってしまうわよ。しばらく話せてなかったけど、また町に戻ったら、私と一緒に勉強しましょう。あなたが驚くくらい難しい本も読めるようになったのよ。期待して待っていて。ステラより』
どちらかといえば、心配しているというより、俺と遊びたいと言ってくれてる感じだな。ステラ姉、しばらくつれない態度だったけど、声が凄く優しい。こういうときだからこそ本音だと思っていいのか……ちょっと照れてしまう。
俺が密かに熱い期待を寄せているのが、ステラ姉の学習能力の高さだ。だんだん読ませてくれる本のレベルが上がっていると思っていたが、気がついたら俺が読めない言語の本まで読めるようになり始めている。『古代語』の本の読解に取り組んだことで、解読スキルを習得することに成功したのだ。
(俺が全てのスキルを取らなくても、みんなが持っていてくれれば、出来ないことは減る。将来のことを見据えて、チームプレイを考えていかないとな)
さすがにステラ姉が学者に転職した後に固有スキルをもらおう、なんてことは考えていない。もしかしたらそんなこともあるかもしれないが、最初から期待しているのは良くない。時間がかかっても、違う方法でスキルを習得すべきだ。と、きれいな俺が言っている。
もしかしてそんな葛藤を察して、ステラ姉に距離を置かれたんじゃ……と心配していたが、そんなことはなかった。これで開き直ってしまったら、彼女の優しさに甘えているだけだから、決して調子に乗ってはいけない。
「みんな、ご主人様のことばかり気にしていた。あと、聖騎士によろしくと言っていた」
ついでじゃなくて、フィリアネスさんの領地に来るのがメインイベントなんだけど……まあ、みんなが俺を大事にしてくれてることに関して、苦言を呈するほど頭は固くもない。俺がみんなの分まで、フィリアネスさんに会えたことを喜べばいいだけだ。
次は年長組か……この表現だと、何だか前世における幼稚園のようだな。大人組、子供組の方がわかりやすいか。
『ヒロト、無事にフィリアネスさんの所に着いたと思うけど、また敵が来るかもしれないからくれぐれも気をつけてね。そうは言っても、ヒロトが居ればそうそう公女殿下が危険な目に遭うこともないでしょうけど、心配なのは心配だから。最後の手段として、ユィシアをヒロトが仲間にしたっていうことを公にするっていう手もあるけど……そうすると、ヒロトもユィシアも、穏やかに暮らすことが難しくなっちゃうしね。とにかく無事で戻って来るのよ。モニカ』
皇竜を仲間にした俺が、公女の護衛になったと分かれば、敵対する勇気のあるやつはいないだろうな。しかしモニカさんの言うとおり、ユィシアの存在を明かすと、皇竜を何としても倒そうと戦力を向けてくる可能性もある。そのとき、ユィシアは問題なく撃退出来るだろうが、少なくない人死にが出てしまう。
ユィシアの力を借りるのは最後の最後の手段だ。ルシエをいつでも、安全なところに逃がすことはできる……しかし今のところは、彼女が王族として認められ、安全に公国内で暮らせる道を模索したい。
『お師匠様、お元気にしていらっしゃいますか? 私たちは無事に首都に着いて、隠れ家的なお宿でゆっくりしています。男の子たちは疲れてたみたいですぐ寝ちゃいましたが、女の子たちはすごく元気で、今でもお部屋でお話したりしてるみたいですよ。私もさっきまで混ざってきたんですけど、お師匠様との関係を聞かれちゃいました……これって改めて聞かれると、とっても説明が難しいというかですねっ、またお師匠様と、そのあたりについてもご相談したいなと思いまして。早く戻ってきてくださいね。ウェンディでした』
ウェンディは森でコボルドにやられて悲惨なことになりかけていたところを、俺が二歳になる前に助けてあげて、弟子入りされたという関係だ。人型モンスターは例外なく人間の女性を襲うと分かった出来事でもあった。実力がついてくればレベル上げのために倒しまくることになるわけだが、全ての人が戦う力を持ってるわけじゃないし、魔物はやはり危険な存在だ。
『これで音が録れているのかな? こんなマジックアイテムは、小生の知識には……いや、何でもない。それはそれとして、伝えておきたいことがある。遭遇することはないと思うけれど、ジュネガン公国に最近入国してきた人物で、強者を見つけると手当たり次第に挑んでくる者がいると聞いた。冒険者ギルドによく姿を見せるらしく、有名になりつつある。もし出会ったら、ヒロト君の強さを教えてやって欲しいところだけどね。ジュヌーヴのギルドにも姿を見せて、公道を南に行くと言っていたらしい。聖騎士殿にも、気をつけるように言っておいてくれ。名無し、と名乗るのも違和感があるね……これは考えものだ』
名無し、は名前じゃなくて通り名みたいなものだしな。しかし、道場破りみたいなやつがこっちの方面に行ったっていうのは気になる。どれくらい強いのか見てみたくもあるし。
そして、名無しさんがそろそろ名前を教えてくれそうな感じが……フラグが立ったというのかな。彼女の話しぶりだと、どうしても俺に名前を教えたくないわけじゃないようにも思える。教える時を待っていた、というか。
「ヒロト様、こちらからも録音を上書きして、また私が届けに行く。届けたあとは、皆に危険が及ばないように、姿を隠して見守る」
「ああ、よろしく頼む」
俺が貝殻に全員分のメッセージを吹き込んで渡すと、ユィシアは少し名残惜しそうにしながら、バルコニーに出て空中に踊り出る。そしてその身体が光に包まれ、巨大な銀竜の姿に変わったと思うと、ゆるやかに上昇したあと、急加速して飛び去った。急にスピードを出すと突風が発生するため、彼女は人の暮らしに影響を与えないよう細心の注意を払っているのだ。
エンプレスドラゴンでなければ竜魔術が使えないし、人化ができる竜種も限られている。ユィシアは普通に人に紛れて暮らすことができる、ドラゴンの中でもとても貴重な存在だ。そんな彼女を早い時期に仲間に出来たことが、どれほどの幸運か……。
(私も同じことを思っている。いつでも心は、マスターとともにある)
マスター……懐かしい呼び名だな。ギルドマスターをしてたとき、一部のメンバーがそう呼んでくれたことがあった。ギルマスと呼ばれることが多かったが。
ご主人様、ヒロト様より、マスターのほうがしっくりくる気がする……というのは、俺が少なからず中二病を患っているからだろうか。
(ありがとう。そっちも気をつけてな、ユィシア)
離れていても念話出来るとはいえ、一定の距離が離れると通じなくなる。ユィシアの気配が薄れる前に、最後に彼女が小さく返事をしたように感じた。
◇◆◇
今日のところは、明日に備えて早く休まなければいけないので、あとは風呂に入って寝るだけだ。
フィリアネスさんの部屋に行っても、明日のことを少し話すくらいだろう。彼女は公王家に忠誠を誓っている騎士なのだから、ルシエが滞在している日に、俺と仲良くしようとも思ってないだろう……というのは、建前なのだが。
(一晩泊まるだけで、そんなに期待しちゃいけないな)
一時は聖剣マスタリーという言葉に我を失いかけたが、俺もパラディンに転職してスキルを取るのが正式な手順になるわけだから、飛び級ばかりしていてはいけない。しかしパラディンになるには、それなりに時間もかかりそうだし……悩ましい。
「ヒロト様、お風呂の準備が出来ました。着替えは用意してありますので、何も持たずに浴室にお越しください」
メイドさんに呼ばれ、俺は言われた通りに手ぶらで浴室に向かった。
フィリアネスさんたちと風呂に入ったこともあったな……と懐かしく思い出す。数年経っただけで、もう遠い昔の出来事のようだ。
(大人になるって悲しいことだな。女の人と風呂に入ってはいけなくなる……当然だけど)
人生は厳しい、だが誰もがそうして大人になっていくのだ。悟ったような顔で俺はひとり浴室の扉を開く。
前世の中世では、風呂はぜいたくなものだとされていたが、同じような文明レベルのこの異世界においては多くの家に普及している。風呂を沸かすための薪の需要量が多いが、木の生育が早いので、森林破壊が深刻だったりはしない。
フィリアネスさんの屋敷においても、領主の屋敷にふさわしく、大浴場が設けられていた。七、八人くらい一緒に入ることが出来るくらい広い。俺の家の風呂も相当だが、ここまで天井が高い浴室は初めてだった。
家ではリオナと一緒にソニアを風呂に入れてやったり、時々母さんが息子へのサプライズとしていきなり入ってきたり、風呂嫌いのミルテに風呂に入る習慣をつけさせてくれと頼まれ、おばば様も含めて三人で入ったりと、とにかく一人で入ることは少なかった。そんなわけで、久しぶりに一人だと、けっこう寂しかったりする。
「ま、甘えてられる歳でもないよな……」
そう独りごちて身体を洗い始める。この辺りでは身体を洗うためのハーブ水も、違う調合になっているな……これはフィリアネスさんたちと同じ香りだ。花の成分でも抽出して入れてるんだろうか。
何事もなく身体を洗い終え、汲んでおいた湯を頭からかぶってハーブも流した。まだ身長が足りないから、風呂桶に入るときによじ登らないといけないのが大変なんだよな。
――そして風呂のへりに手をかけた瞬間だった。浴槽が一気に波打ち、すわ奇襲か、と俺は身構える。
「ざっぱーん! 人魚があらわれた!」
「……え、えっと……ずっと風呂の中で隠れてたの? 全身真っ赤になってるよ、マールさん」
「ほぁぁっ、なぜ驚いてくれないの! 身体を張った私の『人魚の計』を台無しにしてくれちゃって!」
「あはは……久し振りだね、マールさんと一緒に風呂に入るの。俺はもう、浸かったらすぐ上がるけどさ」
「……なんですと?」
マールさんがぴくっ、と反応する。見上げると、深い峡谷の向こう側で、マールさんの長い髪に隠れた顔に、実に不穏な感じに影が落ちている。
「あっ……い、いや、あの、俺ももう八歳になったし、女の人と一緒に風呂に入ったりするのは……っ」
「やっぱりそういうことだったんだ……まだそんなにちっちゃいのに、しなくてもいい遠慮なんてして……」
ひ、ひどい。俺は当たり前の社会通念に従っているだけなのに、全否定とは。
(マールさんからはもうスキルが取れないからな……とか本当のことを言ったら、もっと怒られるけどな)
「雷神様のお屋敷に来た以上は、ただで帰れると思わないでよね! 甘えてられる歳じゃない? ノーです! 私たちはまだ甘やかし足りないのです!」
「おわっ……ちょ、ちょっと待っ……か、隠させてくれないとっ……」
全裸のマールさんに持ち上げられる真っ裸の俺。マールさんの視線が徐々に下に降りていく。
「……え、えっと、私、何て言っていいのか……何か言ったら、公国法に触れちゃいそうな感じが……」
「ち、力持ちなのは分かったから、持ち上げないでくれないかな……」
「ううん、私はただ、子供の頃から知り合いの男の子をお風呂に入れてあげてるだけ……こういうことは、そんなに悪いことじゃないはず!」
「マールさん、そこまで無理をしなくても……ヒロトちゃんだって戸惑ってます」
この二人、なんだかんだで仲がいいな……アレッタさんが当然のように入ってくる。だから、タオルで隠してるからといって、嫁入り前の女性が簡単に見せてはいけないというのに。
「そんなこと言って、しっかり見てるくせに! アレッタちゃんのむっつりさん!」
「み、見てません! いえ、医学的な見地では見ていますけど、異性として意識はしていませんから、セーフです。お医者さんが男の子の身体の変化を調べるのは、どうみても合法です」
そ、そんなに俺の二次性徴を心待ちにしているのか……俺の中身が結構いい年だからといって、そんな関心をもたれたら、いたいけな少年としては戸惑ってしまうわけで。
(……しかし、何だかもう、セーブしてるのが馬鹿らしくなってきた……マールさんのせいだ)
マールさんに持ち上げられ、男のプラウディアを保つこともできない状態で、大きくなったら女性と風呂に入ってはいけないとか、そんなルールを守り通す必要があるのだろうか。
――また一つ俺は大人に近づいた。女性から一緒に風呂に入りたいと言われたら、恥をかかせてはいけない。
「マールさん、今までごめん。俺、本当はマールさんや、みんなと一緒に入りたかったんだ」
「よ、良かったぁ~……ヒロトちゃん、実はすごく嫌がってて、それで入ってくれなくなっちゃったんだと思ってたよ~」
「フィリアネス様も心配していましたからね……本当に良かったです」
アレッタさんは目元を押さえている。な、泣くほど嬉しいことなのか……何だかいい話みたいな雰囲気になってきてしまった。
「……私もアレッタちゃんも、ヒロトちゃんとお風呂に入るのが、ずっと心の癒やしになってたんだよ。騎士団の任務で疲れちゃっても、それだけですぐ元気になれてたのに……なのになのに……」
「ヒロトちゃんが、すごく大人びているのは分かっているんですけど……まだ、気にしないで一緒に入って欲しいとマールさんと話していたんです。ごめんなさい、いつもは私がマールさんを止めているのに、子供っぽいですよね、いつまでも一緒にお風呂に入りたいなんて」
「……ううん。俺こそごめん、二人の気持ちも知らないで」
一緒に入るだけなら問題ないんだけど……俺だって男だからな。赤ん坊の頃から精神的には、女性の裸を見て反応してしまう部分はあったわけで。それが申し訳ないことだとずっと思い続けてきた。
――何より、リオナのことが頭に思い浮かんでしまうわけだけど。どうしても、一夫多妻制の世界に頭が切り替わらないし、基本的に浮気がいけないことなのは異世界も同じだからな。
が、そのリオナが無邪気に言うのである。
『ミルテちゃんもステラお姉ちゃんも、リオナと一緒にヒロちゃんのお嫁さんになるんだよね?』
子供の頃ならまあいいかと思って流していたが、マールさんもアレッタさんも、今の状況を見るとガチで一夫多妻を容認しているような、そんな感じが……俺が大きくなるまで待ち続けられたら、さすがに責任を取らないといけない。アレッタさんなんて、あと二年で三十路になってしまうのだ。仮に俺が15歳で成人するまで待ってもらっても35歳である。
(しかし頭で考えるのと、実行するのはわけが違うからな……)
「……ヒロトちゃんは、やっぱり、若い人の方がいいんでしょうか? 幼なじみの女の子たちの方が……」
「ううん、絶対そんなことない。だってヒロトちゃんは、私が抱っこしてあげてるとき、あんなに嬉しそうだったもん。お風呂でぎゅーってしてあげてる時だって……」
「い、言わないでください……そういうこと、あんまりはっきりっ。意識しちゃうじゃないですか……もう、いけないことなのに……」
「……いけなくないよ? 無理やりじゃなかったら、悪いことなんてあるわけないもん。そうだよね?」
俺が普通の子供だったらアウトだろうな。が、俺は前世から引き継いだ性的な知識があるわけで。何も分からずに、マールさんたちに無理やり貞操をおびやかされているわけでもなく、むしろおあずけしている方だ。おあずけって言い方もあんまりだが、それ以上に適切な表現が見当たらない。
「ヒロトちゃんは、女の子の胸は好きだよね? 私の胸が筋肉だとか、そんなこと思ってないよね……?」
「お、思ってないよ。思ってないけど……胸が好きって、甘えん坊みたいじゃないかな」
「そ、そんなことはありません。好きなものは好きでいいんです。我慢する方が、すこやかな成長にとって良くないですから」
このまま健やかに成長していったら、俺は……どうなるんだろう。年頃の健康な身体を持て余しながら我慢していた彼女たちに、報いてあげられるんだろうか。
「ちょっとだけ……フィリアネス様の所に行くまでは、私たちと一緒に……ね? お願い……」
「……のぼせてしまわないように、いつまでも引き止めたりしませんから。ヒロトちゃん……」
さっきからマールさんは惜しみなく裸を見せてくれている。長い髪が、決して筋肉なんかじゃない胸の膨らみを覆い隠し、引き締まったお腹と腰のラインが目を見張るほどきれいで、健康的な肉体美だと素直に思う。
そしてアレッタさんも、マールさんに倣うようにタオルを外して、とても久しぶりに素肌を見せてくれた。彼女はいつもマールさんと一緒に行動しているのに、彼女と比べてすごく肌が白い。筋肉はついていないけど、控えめだった胸の膨らみが出会った頃より一回り大きくなって、腰回りが充実してきていた。この人が俺に操を立てて嫁に行かないのは、騎士団の男性たちにとっては滂沱の涙を流す事態だろう。
「三人で一緒に入っても大丈夫だから、ヒロトちゃんが私たちの間にきて……ねえ、どっちがいい?」
「そんなに押し付けたりしないでください、マールさんはデリカシーがないんですから……ヒロトちゃんを見習ってください、こんなに紳士的な触れ方ですよ」
「ひ、久しぶりだから、ちょっと……緊張するっていうか……あ、ヒロトちゃんったら。ぼよんぼよん、って遊んじゃだめだよ~」
(相変わらずのダイナマイトボディに、敬意を表したい……そしてアレッタさんの控えめさも、俺は好きだ)
採乳でほとんどスキルが上がらなくなっても、ふたりの胸のエネルギーの流れが良くなるし、友好度も上がる。スキルだけが全ての行為ではないのだ。
「ん……でも、大人になったほうが、なんだか満足する感じがするよ」
「そうですか……? 私も、ヒロトちゃんの手が大きくなって……恥ずかしいですね、私の胸は小さいままで……」
「あはは、大きくても恥ずかしいけどね~。ヒロトちゃんの手がすっぽり間にはさまっちゃうし」
触れながら普通に話をしているが、この後、フィリアネスさんの部屋に行こうというのである。罪深い感じがものすごい。
ルシエが王族の洗礼を受ける前日に、こんなことしてるやつが護衛でいいのか……という思いもあるが。一度始めてしまうと、マールさんもアレッタさんも、飽きることなく俺との触れ合いを求めてくるのだった。
(……あれ? なんか、外から音が聞こえたような……)
「ヒロトちゃん、どうしたの……? こっち向いてくれなきゃだーめっ」
「あ、いや……何でもないよ。次はどっちがいい?」
「そんなの、自分の方がいいって言うに決まってるじゃないですか……ヒロトちゃん、こっちをどうぞ」
競うように左右から差し出されながら、俺は思う。俺がもうちょっと早く大人になってたら、二人が求めることに全て応えてあげられたのにと。
今までは幼いことを言い訳にしていたが、今度は俺自身が、早く大きくなりたいと思うようになった。もちろん、そっちのことだけで頭をいっぱいにしてるわけじゃないが、異性に関心を持つのは恥ずかしいことじゃないと思えるようになってきた。
◇◆◇
風呂から上がったあと、マールさんもアレッタさんも地に足がつかないみたいにふらふらしている。そんな状態にしたのは、もちろん俺なわけで……照れくさいというか、何というかだ。
「……アレッタちゃん、天国ってああいうことを言うのかな? 腰がふわふわして落ち着かないよ~」
「わ、私もですけど……あまり大きな声で言わないでください、公女殿下も一つ屋根の下にいらっしゃるんですから」
風呂場から出ると、やはりアレッタさんは真面目だった。そんな彼女が、同僚のマールさんと俺の前だけでは、乱れた姿を見せる。そのギャップも、今となってはとても魅力的に感じてしまう。
(気が多いのかな、俺……って、明らかに多いか)
「ヒロトちゃん、ごめんね、最初は驚かせたりして。私、もう少し女らしくした方がいいかなって、自分でも少しだけ思ってるんだけどね~……」
「マールさんはすごく女らしいと思うよ。もちろん、アレッタさんも」
「ヒロトちゃん……ありがとうございます。今日はマールさんより、私の方を気に入ってくれたみたいでしたね……すごく嬉しかったです」
二人とも公平にしてたはずなんだけど、そうでもなかったのか。マールさんは確かに、少し恥じらいを持ったらぐっと魅力が増しそうだ。豪快なのが彼女らしいとも思うんだけど、男はチラリズムに魅力を感じる動物でもあるので、フルオープンより徐々に開示していく方が……って、ガチで考えすぎだ。
「次は私の方がいっぱい触れてもらえるように頑張るね。おやすみ、ヒロトちゃん……ちゅっ」
「……いいんですか? いいんですよね、マールさんがするのなら私も……おやすみなさい。ん……」
二人が俺の頬にキスをして、自分の部屋に帰っていく。時間をかけて採乳ができたので、騎士道と衛生兵のスキルは久しぶりに上昇した。スキル経験値効率の良さが変わっていないと確認できて、俺の方もとても満足だった。
一度部屋に戻ったあと、俺は具体的にフィリアネスさんの部屋に行く時間を決めてもらってなかったな……と気づく。
しかしあまり遅くなると、彼女が休んでしまう可能性がある。俺は意を決して部屋を出ると、フィリアネスさんの部屋に向かった。
屋敷は三階建てになっていて、俺が泊まる客室やマールさんたちの居室は二階、三階にフィリアネスさんの部屋がある。廊下の突き当たりの扉に、豪奢な装飾を施された札がかかっていた。フィリアネス・シュレーゼと名前が入っているが、領主が変わるたびに、この札は入れ替えられるのだろう。
緊張しつつドアをノックする。コンコン、と叩くと、中で人の動く気配がした。
「……来たか。入ってくれ」
フィリアネスさんがドアを開けてくれて、俺を中に迎え入れてくれる。
彼女は風呂あがりから、寝るための格好に着替えている。白い薄手の布で作られた、上下が分かれたノースリーブの寝間着だった。長い髪は後ろでまとめてアップにしている……こんな髪型にしているところを見るのは初めてで、すごく新鮮だ。
フィリアネスさんの執務用の部屋は別にあるようで、仕事に使う机などは置かれておらず、丸いテーブルを囲んで三つの椅子が置かれている。もう一つの部屋と繋がっており、その部屋が彼女の寝室のようだった。床には上質な絨毯が敷かれており、壁には貴婦人の絵と風景画が飾られている。
窓はガラス張りで、薄いカーテンを通して月明かりが差し込んでいる。部屋の中は間接照明になっていて薄暗いが、その淡い明かりが、ますますフィリアネスさんの美貌を引き立てていた。昼間とは違う彼女の顔を見せられた気分で、心臓の鼓動がひとりでに早まり始める。
「ヒロトは育ち盛りだから、本当は長く睡眠を取るべきだが……すまないな。どうしても二人で話がしたくて、呼び出してしまった」
「俺は嬉しかったよ、フィリアネスさんが呼んでくれて。舞い上がっちゃいそうなくらいで……ごめん、真面目な話をするために呼ばれたのに」
「……真面目といえば真面目だが。私は、それだけで済ませるつもりはないぞ?」
フィリアネスさんはくすっと笑う。そんな悪戯っぽい仕草も、彼女は今までほとんど見せることはなかった。
――そして、思い当たる。フィリアネスさんは公女の前では騎士として厳格に振る舞っていたが……本当は。
(マールさんやアレッタさんと同じくらい、俺と会えたことを喜んでくれてたのか……もしそうだったら……)
気持ちに衝き動かされそうになる。彼女の胸に飛び込みたい、そんな狂おしい衝動が生まれてしまう。
子供じゃないのに、子供みたいに甘えてみたい。母さんに対してそうするときは、俺は子供であろうとしている……しかし。
子供として以上に、一人の人間として全てを許して預けられる。フィリアネスさんは、俺にとってそんな存在だった。
「まず、ルシエたちと出会った経緯を聞かせてもらおう。ヒロトは、なぜルシエたちが襲われたときに、その場に立ち会ったのだ?」
「友達が商人見習いになったから、仕事の手伝いで首都に向かってたんだ。手伝いっていっても、山賊から護衛するって役割だけど」
「そうか……それで、公道を移動していたのだな。ヒロトたちが通りがからなければ、今頃ルシエは……」
フィリアネスさんは立ったままの俺を椅子に座らせる。後ろから肩に手を置かれた――そう思った次の瞬間には、彼女は屈みこんで、俺のことを抱きしめてくれていた。
「……礼を言う。私にとって、ルシエは命に代えても守るべき存在だ。それを守ってくれたのが、ヒロトであったということ……そのことを嬉しく思う。同時に、これからは私がルシエを守らなくてはならないとも思っている」
「フィリアネスさんが領主になったのは……もしかして、ルシエを助けるために動くことができないようにするため、ってことは考えられるかな?」
ふと浮かんだ推論を口にする。もし俺の思った通りなら、フィリアネスさんに領土を与えるよう取り計らった人物こそが、ルシエ襲撃に深く関わっていることになる。全ての黒幕かどうかは、まだ分からないが。
「領地はファーガス陛下から賜ったものだ……しかし、そうするように王に進言したのは別の王族の方だ」
「その、王族っていうのは……?」
「王族とは本来、東西南北の四つの王家の方々を指す。そのうち一つの家の当主が、公王の位を継承する……今の王、ファーガス陛下は東王家の出身だ。陛下に対し、私に領土を与えるよう進言した人物はグールド公爵という。このヴェレニスを含む、南ジュネガン地方を支配している……」
グールド公爵……か。ゲーム時代は四王家の中で最も苛烈な性格とされ、東西南北の四王家の中では、ファーガス王とともに名前が出ていた唯一の人物だ。
他の王家は存在はしていても、プレイヤーが関わるところには出てこなかった。ファーガス王の没後、四王家が争いを始め、最後にどうなったかさえも分からないまま、『これからジュネガン公国に戦乱が訪れるだろう』というだけで終わってしまっていた。
もしゲームでグールド公爵の名前が出ていたのは、最後まで生き残るからだったとしたら……ルシエに害を成そうとしたのは、彼であるという疑いが強くなる。フィリアネスさんに自国の領地を与えた理由も、ルシエと親しいフィリアネスさんを領地に縛り付けようとしたからだったとしたら、辻褄が合ってしまう。
(次第に、何が起きてるのか見えてきたな……グールドが黒騎士団をそそのかすか、抱き込むかして、ルシエを襲わせた。それは、ルシエが洗礼を受けると、王位継承権を持つことになるからだ)
「……ルシエ公女殿下は、洗礼を受けるとどうなるの? 王族として認められるっていうのは分かったけど、それって具体的にどういうことなんだろう」
「ルシエは西王家の血を引く方を母に持つ。これは今の王家の始まりに起因するのだが、西王家の血を引く者が王の嫡子……実の子供として生まれた場合、その者を次の王とすると決められている。今の状況では、ルシエは次の女王と目されて……」
フィリアネスさんは説明する途中で気がついたようだった。そう……それこそが、ルシエが狙われた理由そのものだ。
ファーガス王が没した後、西王家の血を引く者が、正当な王位継承者として立つことを妨害しようとした。
「もし、ルシエがいなかったら、誰が王になるか……あくまで例えだけど、教えてくれないかな」
「……グールド公爵だ。もはや、疑惑は濃い灰色ではなく、黒に変わりつつある。グールド公爵はファーガス陛下の体調が思わしくないことを察し、次の王となるために動き始めた。その一端が、ルシエの襲撃だった……何も裏付けを取れていない以上、まだ断定することは出来ないが……」
フィリアネスさんも困惑している。ルシエが襲われたことが、王家を揺るがす内乱の発端になるかもしれないからだ。
「私に出来ることは、ルシエに無事に洗礼を受けさせ、彼女の身の安全を保証することだ……しかし、私は公国に仕える騎士でもある。仮にルシエを王族の人間が害しようとしたとしても、私が剣を振るうことは大罪になる……」
彼女は胸元に手を当て、ぎゅっと拳を握りしめる。騎士であることが誇りであり、王族を守ることが義務である彼女の苦悩は、察するにあまりあった。
(誰がルシエに害意を持っているのか、シグムトたちに働きかけたのは誰なのか。それを公にしなければ、ルシエは安全にならない……)
難しい問題だ……しかし、それを成し遂げなければならない。これからは、敵に足元をすくわれないように留意しながら動くことが必要になる。敵が王族なら、立場を利用してくる可能性はある。フィリアネスさんにとっての唯一の弱点は、彼女が聖騎士であり、公国に仕えているという事実だ。ファーガス陛下ではなく、グールドが一番恐れたのは、フィリアネスさんが公国の管理下に置かれない立場になることだった。そこまで考えていたのなら、敵はかなりの策士だというように思える。
(まあ……本当にグールドが敵だったら。現時点で計略を見ぬいたこちらに分がある)
「フィリアネスさん、今はルシエを守り抜こう。王族として認められれば、敵がルシエに表立って手を出すことはできなくなる。そうだ、ファーガス陛下にルシエの保護を求めるのは……」
「……ルシエの母君はファーガス陛下の側室なのだ。ルシエは公女として認められてはいるが、王族として認められる前の彼女は、母君の身分である貴族相当となる。王族である陛下から、直接の庇護を受けることは出来ない……正室の妃殿下は、ルシエの存在を快く思っていないということもある」
つまりルシエは王族として認められれば、側室の娘から、女王候補に一気に立場が変わるということだ。ミゼールでルシエの名前を聞くことがなかったのは、そういった事情があってのことだろう。護衛が少なく、精鋭をつけることが出来なかったのは、ルシエを良く思わない勢力の圧力と考えられる。
(こんな状況じゃ、ルシエは遅かれ早かれ……そんな状態なのに、俺も、国民も、何も知らずにいるなんて……)
「私はルシエのことをもっと案じているべきだった……おまえがルシエを守ってくれなかったらと思うと、自分に対して憤りを覚える。私は、領主などという立場を与えられ、何をしていたのだろうな……こんな所で、安穏とした日々を送っている場合ではなかったのに……っ」
「……フィリアネスさんは、何も悪くない。だから、そんなに自分を責めないで」
「……ヒロト……」
彼女の前では、俺は今より少し幼い時の言葉遣いに戻ることがある。いつまでも彼女は憧れの存在のままだからだ。
俺はフィリアネスさんの固く握りしめられていた手を取り、その手をほどいた。フィリアネスさんの頬に、涙が一筋伝っていた。
「おれがいるよ、フィリアネスさん。おれも、みんなも、ルシエのことを守りたいと思ってる。一人じゃないんだ」
「……おまえは……本当に、いつも……」
フィリアネスさんは俺の手を優しくはずすと、頬に伝った涙を拭う。そして赤らんだ目を恥じらいながら、俺の頭を撫でてくれた。
「……おまえがいれば、どんな困難も乗り越えられる。心から、そう思える……ありがとう、私の可愛いヒロト」
「あ、ありがとう……でもおれ、もう可愛いとか、そういう歳じゃ……」
「なにを言うか。私の方がいくつ年上だと思っている……? 私にとっては、お前はいつまでも可愛いままだ」
(……そうか。そうだよな……俺がゼロ歳のとき、彼女は14歳。その差は、これからも埋まらないんだ)
どこか勘違いしていたように思う。スキルを上げれば、人のためになることをすれば、ひとかどの人物になれば、年齢なんて関係なくなるんだと。
俺はいつまでも、フィリアネスさんにとって、子供のままだ。俺に早く大きくなって欲しいと言ってくれて、名前で呼んでくれとまで言ってくれても……子供は、子供だ。
可愛いと言ってもらえることが嬉しくないわけじゃなかった。けれど俺は、フィリアネスさんに、「八歳にしては精悍になった」と褒めてもらえて、男として認められたような気がしていた。
(俺は……フィリアネスさんに大人として認められるまで、待てないのか。ユィシアやマールさんたちを待たせておいて、なんて勝手なんだ)
リオナやみんなと一緒に大人になっていくのが、本当なら望ましいと思っていた。
しかし心はもう二十四年も生きているのに、子供であるということが枷に感じることも増えた。
時間の流れは誰にも平等に存在する。今の時間に自分が大人ではないということが、ときどき、もどかしくて仕方がなくなる……焦っても仕方ないと、いつも自分に言い聞かせながら、いつもどこかで急いでいた。
「……明日は早いから、そろそろ部屋に戻って休むよ。呼んでくれてありがとう、フィリアネスさん。ルシエのこと、絶対に守ろう」
「……ヒロト?」
勝手だと思いながら、俺はフィリアネスさんの部屋を出ようとする。俺の本質は、今でもコミュ障のままだ。少し思い通りにならなかったくらいで、自分の気持ちをうまく伝えられなくなってしまう。
こんな俺じゃ、大きくなる前に、フィリアネスさんに愛想を尽かされてしまう。そうなってほしくないのに、一度部屋を出ると決めた足は止まらない。
――止まらない、はずだった。
「……行くな」
右肩に、手が置かれている。俺はフィリアネスさんに引き止められていた。
振り返ると、急に動いたからなのか、フィリアネスさんの髪がほどけている。結いあげてもなお癖のつかない髪が、薄暗い部屋の中で音もなく広がる。
「……行かないでくれ。私のそばに居てくれ……」
「フィリアネス……さん」
名前を呼んだ途端に、フィリアネスさんが動いた。俺のことを抱き上げると、ベッドに降ろして――俺の身体を仰向けに横たえると、俺の頬に手を当てて、間近で見つめてくる。
――押し倒されている。そこまで大胆なことを、あの真面目なフィリアネスさんがするなんて。
「おまえは……私のことを、誤解している。マールやアレッタが風呂に行っていることも、私は知っていた。知っていて、自分は一人で入浴した……おまえがあとでこの部屋に来てくれると分かっていたからだ。なぜ、そんなことすらも分かってくれないのだ……っ!」
フィリアネスさんの目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
そうだ……彼女は昔からそうだった。俺の前では、何度となく涙を見せた。一人の弱い人間であることを、隠さずに見せてくれていた。
俺はなぜ、簡単に彼女の部屋を出て行くことができたんだろう。スキルに惹かれて、甘やかな行為を期待している自分を、格好をつけたいがために否定しようとしていたのか……。
もう何年だろう、フィリアネスさんと一緒に寝ることをしなくなってから。
本当は焦がれるほど、待ち望んでいたのに。そうしないことが自然だというだけの理由で、避けてきた……。
一度やめてしまえば、彼女から俺と一緒に寝たいと言い出せるわけがなかったのに。
「……俺は……いいのかな。フィリアネスさんが、子供の頃に言ってくれたこと、覚えてても……」
「いいに決まっている……おまえが忘れたいのでなければ、覚えていて欲しいに決まっている。私は……私は、お前の成長を見るためにミゼールに通っているようなものだった。魔剣のことを案じながら、本当に気にしていたのは、ヒロト……おまえのことだった。他の相手と仲良くしているおまえを見て、嫉妬もした……私はそれくらいの人間でしかない。完璧にはなれない……おまえを諦めるくらいなら、なれなくてもかまわない」
ゲーム時代の彼女よりも、今の彼女の方が成長が早く、強くなっているのはなぜなのか……それは。
俺に出会って、彼女が変わったからなのだとしたら。
領主になんてならなかった彼女が、パラディンという職についたことも、そうして生まれた変化の一端だとしたら。
――完璧でなくなった聖騎士は、それと同じだけ強くもなった。誤解を恐れずに言うのなら、人を愛することで。
その人というのは俺だと、自信を持っていいのだろうか。そんな迷いの全てを超えて、フィリアネスさんはいつかのように服をはだけ始める。しかし、突然全ての装備を解除するということはなく、上の服をはだけ、きれいにサラシを巻かれて支えられた胸を見せてくれる。
「……ヒロトに外してもらおうと思って……ま、巻いておいたのだが……一度、モニカ殿にそうしてやったことがあると聞いた。私も、何も知らないわけではないのだぞ……?」
「……みんな、俺のことを怒ったりしないのが、不思議でしょうがないよ」
「ばかもの。怒りはしても、それがおまえを嫌いになるということにはならない。惚れた女の弱みと言うものだな……」
言葉では俺をたしなめながら、フィリアネスさんはベッドの端に腰掛ける。俺は彼女の後ろに回って、サラシの結び目をほどき、しゅるしゅると外し始める。
◆ログ◆
・あなたは《フィリアネス》のアクセサリの装備を解除した。
サラシはアクセサリ扱いだったりする。アクセサリーは物理的に可能な限り、何個でも装備出来るのだ――と豆知識を思い浮かべつつ、俺は晒されていくフィリアネスさんのきれいな背中に息を呑む。
「……慣れた手つきだな。こんなふうに、何人のサラシを外してきたのだ……?」
「モニカ姉ちゃん以外は、フィリアネスさんが初めてだよ」
「む……そ、そうか。すまないな、いつもヒロトの周りには女性が増えているから、他にもサラシを巻く女性がいてもおかしくないと思えてしまって……疑い深いのだろうか、私は」
(全面的に謝るべきは俺の方だな……フィリアネスさんがそう思うのも、当然だ)
彼女が嫉妬をしないなんて、そんなのはやはり、俺の甘えだった。マールさんやアレッタさんとのことも黙認してくれていて、それでも我慢していたんだ……。
持て余してるなんてマールさんは言ってたけど……フィリアネスさんも、そうだったんだ。彼女は言わないだけで、俺への気持ちは変わっていないんだから。
「……慣れたつもりではいるが、やはり、凝ってしまうな……ヒロト、お願いしてもいいだろうか」
「お、お願いって……」
「赤ん坊の頃から、いつもしているようなことだ……みなまで言わせるな。私もこう見えて女なのだから、それなりに恥ずかしいと思っているのだぞ……?」
長い髪をかきあげて後ろに流しながら、フィリアネスさんは両腕を上げる。それが何を意味するかが分かっても、俺はものすごく緊張してしまって、なかなか動くことができない。
「……後ろからではやりにくいのなら……そうだな……」
フィリアネスさんは俺が緊張しているとわかったのか、自分から動き始める。そして、ベッドの上に仰向けに寝そべる――胸を両手で隠しながら。
(か、隠された方が……想像力が総動員されて、大変なことに……)
俺は今日、大人になってしまうんじゃないか――そんなことを思う。
しかし俺の想像以上に現実は魅惑的で、目がくらむほどの光景が、目の前で展開される……。
ふわり、とフィリアネスさんの両手が胸から外される。そして、彼女は身体を起こし、両手を俺の方に広げて伸ばしてきた。
「……こんなとき、どんなことを言えば、喜んでもらえるのだろうか……あまり、作法が分からない。まだ少年のおまえに、何を言っているのかと思うかもしれないが……」
「だ、大丈夫だよ。俺だって、よくわかってないし……いつもみたいに、触ってもいい?」
「う、うむ……良いというのも、恥ずかしくて仕方ないのだが。触れるだけなら、少年でも問題はあるまい……」
フィリアネスさんに手を引かれ、その豊かな膨らみに手を添えさせられる。まだ、俺の手にはおさまりきらない。おさまる日が来るのかも分からない、俺が成長しても、彼女の発育はそれを上回っているのだ。
スキルを発動すると、フィリアネスさんの胸が光り輝く。それを、彼女は静かに微笑んで見ていた。
「こうしていると、楽になる……こんな言い方もなんだが、凝りがほぐれるようだ」
「いつでも言ってくれたら、俺が凝りをとってあげるよ」
「……そう言われると、毎日でも頼みたくなる。あまり、私を甘やかしてくれるな。私の方が甘やかしたいのだからな」
フィリアネスさん……なんて可愛い人なんだ……もうだめだ。
(――もう我慢できない、と言わせていただく)
軟着陸を心がけ、俺はフィリアネスさんの胸に飛び込んでいく。もう採乳でもなんでもない、ただのスキンシップだった。
「きゃっ……そ、そんなに大胆に飛び込んでくるとは……さんざん遠慮していたのに、ヒロトも我慢してくれていたのだな……っ」
(こんなに優しくされたら、俺も素直になりたくなるんですよ)
「きゃっ」なんて可愛い声を出されたら、それなりのことをせざるを得ない。パラディンの胸で思うがままに甘える、こんな貴重な経験が出来る男は、後にも先にも俺くらいだろう。
「……ヒロトとこうしていると、安心する……私が抱っこしているのか、ヒロトに抱っこされているのか。どちらだろうな」
「フィリアネスさん……ちょっとひんやりしてるよ。湯冷めしちゃったんだね……」
「う、うむ……ヒロトが来るのが、少し遅かったのでな……責任を取ってもらえると、ありがたいのだが……」
身体を温めるためには、やはりエネルギーを巡らせるのが一番だ。俺はもう一度スキルを発動して、自らの手と、フィリアネスさんの胸が温かな輝きを放つ。
「……やはり、いつ見ても不思議なものだな。おまえに触れられると、確かなつながりを感じる」
「うん。俺もだよ、フィリアネスさん……」
スキルが上がるまでがっつかなくても、今夜はずっと触れていられる。
こんなふうに穏やかな気持ちで採乳ができたのは初めてだった。俺はフィリアネスさんの胸に身を預けたまま、夢うつつで流れてきたログを確かめた。
◆ログ◆
・あなたは《フィリアネス》から「採乳」した。
・あなたは「聖剣マスタリー」を獲得した!
・《フィリアネス》はつぶやいた。「……このままずっと、こうしていたいな」
◇◆◇
深夜になり、フィリアネスさんはベッドの上で、しどけない姿で眠っている。
「ん……ヒロト……」
寝顔には、まだあどけなさが残っている。俺は微笑んで、彼女の肩まで布団をかけてあげて、そっと部屋をあとにした。
――そして、ドアを開いた瞬間、ごん、と鈍い音がした。
「いたっ……ひ、ひひ、ヒロト様……っ」
そこに居たのは、寝間着に着替えたイアンナさん――と、よりによって、公女ルシエその人だった。
「ち、違うんですっ、私が公女殿下をお連れして……ヒロト様がマール様やアレッタ様と、浴室でされていることも拝見してしまい、フィリアネス様とも深い関係になられているのではないかと、ルシエ公女殿下に進言せずにはいられず……っ、公女殿下がヒロト様にご興味を示されているようでしたので、私はっ、私はっ、侍女として、ヒロト様がどのようなことをしているか、素行調査をっ……!」
「……つまり、覗いてたんだよね」
「ひぃっ……!」
そんなに悪い人じゃないし、最初の悪印象はあったけど、すべて水に流そうと思っていた……しかしちょっと、俺の堪忍袋の緒が大変なことに……。
「ひ、ヒロト様……不潔ですっ……!」
「る、ルシエ……違うんだ、これはっ……!」
走り去るルシエを引き留めようとする俺。しかしこの期に及んで立ちはだかるのは、言う前でもなくイアンナさんだ。
「いいえ、違いませんっ……やはりヒロト様は私が見込んだ通りのお方。そのお年で、年上の女性をなんなく籠絡し、意のままに操っておられるのですね……っ、フィリアネス様までも、聖騎士の姿からは想像もつかない、あられもない姿を見せられてっ……」
「おい」
「ひっ……!?」
自分の声とは思えない声が出た。フィリアネスさんと仲良くしていた時とも違う……八歳の本気の怒りも、捨てたものではないと思える、ドスが利いた声だった。
「俺は、そんなに気が短いわけじゃない……でも、こんなことまでされて黙ってられるほど優しくもない。人のことを覗いたら、お仕置きをされる。そうやって、教えてもらわなかったのか……?」
「わ、わたくしはただっ、ルシエ様も、ヒロト様のような方がお相手であれば、初夜を迎えるに何の差支えもないと申し上げたかっただけでっ……」
そういうのを余計なお世話という。が、もはや言って分かるという期待はするべきじゃない。
「……どういうつもりだったのかは分かった。でもイアンナさん、俺はちょっと怒ってるんだ。今までは見逃してあげようと思ったけど、ちょっとそういうつもりになれなくなった。ごめん、もう限界だ」
「っ……な、何を……わたくし、房中術は得意だと申し上げましたが、ま、まだ初歩中の初歩しか……」
「そんなことはしてもらわなくていいよ。ちょっと、反省してもらうだけだから」
「あっ……こ、子供だからといって甘い顔をしていれば、つけあげるのもいい加減になさいっ! 年上の女性の怖さを教えてさしあげますっ! ええいっ!」
ここで俺に襲いかかってくるとは、けっこういい度胸だなと思った。
――が、俺は容赦しなかった。
「う、動かない……わたくし、シーガル流体術の練習をしてきましたのにっ……」
「反省しないんだね……それじゃ、しょうがない」
「ひっ……ひ、ひどいことをなさるおつもりですか……?」
そんなことはないだろう、という期待を込めてイアンナさんが聞いてくる。しかし俺は、笑顔で返事をした。
「うん。かなりひどいことをするよ」
「……ひぃぃっ……ぁっ……!」
◇◆◇
俺はあるスキルをオンにして、一晩の間、イアンナさんにおいたをしたことを反省してもらった――翌朝、俺のスキル欄に「房中術」が10ポイント追加されていたが、何があったかは俺とイアンナさんの間だけの秘密だ。
「ふぁぁ……よく寝た」
充実感とともに着替えて部屋を出る。すると、そこにはルシエが立っていた。
「あっ……る、ルシエ、おはよう。昨日のことは、あのっ……」
弁解しようとするが、なかなか言葉が出てこない。しかし俺より先に、ルシエが顔を真っ赤にしながら言った。
「わ、私……ヒロト様にあのようなことをしていただいても、大丈夫ですからっ……!」
「えっ……る、ルシエ、あのようなことってっ……」
ルシエはぱたぱたと走り去って、階下に降りていってしまう。公女殿下が廊下を走るなんて、と言っている場合でもない。
「……お、怒ってないなら……いいのか……?」
彼女に軽蔑されてしまったとばかり思っていたが、一晩明けた結果、ルシエの意見が変わってしまったようだ。
まだ、会って二日目なのに……い、いや。今は吊り橋効果であんなことを言ってしまっただけだ。
(し、しかし……王統スキルを取る足がかりができちゃった、のか……?)
急展開に驚きつつ、俺はルシエと朝食の席で会ったときにどんな顔をすればいいのか、と頭を悩ませるのだった。