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第十七話 覚醒

 新しい家族の命が母さんに宿っていることがわかってから、四ヶ月。妊娠七ヶ月に入った頃、母さんは自宅で家事をしている時に倒れてしまい、町の診療所に入院することになった。


「心配かけてごめんね、ヒロト。リカルド、私のことは気にしないで、仕事に行ってきて。助産師さんもついていてくれるし、何も心配はないわ」

「いや……今日は、ついていさせてくれ。ヒロト、母さんには父さんがついてるから、おまえは遊んできてもいいからな。リオナちゃんや友達も、お前がいないと寂しいだろう」

「ううん、母さんのそばにいるよ」


 いつもなら、俺は家の外で日中のほとんどを過ごしていたけど、母さんが倒れた時には幸いにも家にいたから、母体に大事がないように支えてあげられた。母さんは気を失ってしまっていたから、俺が子供にあるまじき力を見せたことには、今も気がついていないはずだ。


 診療所の先生から診断の結果を聞いてから、父さんは俺を見るときに笑顔でいるけれど、その笑顔にいつもの心の底から来るような覇気はなくなっていた。


(……母さんが心配だ。でも、それは父さんも同じだ)


 レミリア母さんはこれまでも風邪を引いたりすることはあったが、俺にはいつも『大丈夫』とだけ言っていた。父さんもそんな母さんの気持ちを汲み取って、俺に心配させるようなことは言わなかった。


 ――まだ自分が子供であることが、歯がゆくてならない。その気持ちを口に出来ない俺は、ベッドの上の母さんの手を取って、握ることしかできなかった。


「ありがとう……優しい子ね。父さんに似たのかしら」

「レミリアに似たんだよ。ヒロトはこの歳で、もう俺よりも落ち着いてる」

「ふふっ……そうね、ヒロトがお兄ちゃんなら、この子もきっと頼りがいがあるでしょうね。リカルドも、頼りがいはあるけれど」

「ははは……俺はついでか? まあ、ヒロト坊の前じゃ、そこらの大人じゃ形無しだけどな」


 父さんは笑って、俺の頭を撫でてくれる。けれどその手さえ、いつもの気兼ねのない触れ方ではなかった。

 少しだけ、震えている。俺は父さんのことも、子供ながらに支えなければならないと強く思った。



 母さんが眠りについたあと、俺は少し外に出て遊んでくるようにと言われて、町に出てきた。

 向かう先は、バルデス爺の工房だ。赤ん坊の時に知り合ってから、二歳のときに初めて小さな斧を贈られた。木こりの息子の誕生祝いという意味で、最初はおもちゃのような斧だったが、今では手斧くらいの大きさとはいえ、戦闘に使えるものを作ってもらえるようになった。モニカさんと狩りの練習をするためという名目だ。


 しかしバルデス爺は斧を修理してくれるとき、俺の斧が薪を割るためでも、狩りのためでもなく、モンスターとの戦いで消耗していることに気づいていた。父さんにそう聞かされてから、俺はバルデス爺に正直に事情を話し、それからは斧の本格的な強化を頼むようになった。


「じっちゃん、いる?」

「おお、よくぞ来たな、ヒロト坊。預かっておった斧じゃがな……」

「出来た? それとも、失敗しちゃったかな……」


 武器の強化は確率で成功と失敗が分かれ、成功すると+1の数字がつき、成功するたびに+2、+3とランクアップしていく。武器の性能は+1でも大きな差があり、+3で元の武器の2倍、+5で3倍、+7で4倍となる。しかし、一回の強化を依頼するたびに相応の資金と素材が必要で、+5以上ともなると、入手が困難な素材が必要となる。メルオーネさんやエレナさんを介してミゼールの商店全ての情報を得ることができ、町で流通する全てのアイテムを把握している俺でも、今回の強化が失敗すれば、次の機会は相当先になると思われた。


 俺が今回バルデス爺にやってもらった強化は、『ドヴェルグの小型斧』の+7強化である。ドヴェルグとはバルデス爺の種族、ドワーフの古い呼び方だ。ドワーフに伝わる積層鍛造技術によって作られた斧をベースに、希少金属を使って加工を施すことで、さらなる強化を試みてもらった。斧はプラスが無い状態でも既に完成しているものなので、それ以上鍛えることは難しく、鍛冶師スキルが70もあるバルデス爺でもほぼ失敗する。成功率は10%以下といったところだ……しかし。


 バルデス爺は好々爺らしい微笑みを絶やさないまま、前よりもさらに輝きを増した俺の斧を差し出してきた。


「うわっ……す、すっげえ! じっちゃん、ありがとう!」

「うむ、儂も久しぶりに精魂尽き果てたぞ。しかしこれはもう、子供向けの斧とは言えぬ……使った素材といい、かけた時間といい、それこそ英雄の持つ武器となんら変わらんものじゃ。ヒロト坊、あれだけの素材をよく集めたのう」


 武器の素材として使われる希少な金属を作るには、まず鉱石を集めて、錬金術師の力を借りるか、錬金スキルで精錬する必要がある。しかし、錬金術を産業のひとつとする魔術都市ファ・ジールからときどき金属のインゴットが流出することがあり、それが首都の貴重品市場に出たところで、首都の商人にも顔の利くエレナさんに運良く押さえてもらった。俺が堂々と大金を支払うわけにもいかないので、支払いはモニカさんに代わりにやってもらった――彼女には本当に頭が上がらない。


「リカルドですら、それより数段落ちる武器しか持っておらぬ。それほどの武器を子供のお主に渡すことなど、本当はしてはならんことなのじゃがな」

「……うん。ごめんじっちゃん、無理言って。でも、俺……」

「ほっほっ……いや、説教を垂れるつもりではない。儂はヒロト坊がどのような子か、これまで見てきて十分に知っておるつもりじゃ。お主には何か、高く遠い目標があるのじゃろう……その志、老い先の短いこの爺にとっても眩しいものじゃ」


 ドワーフの寿命は250歳で、バルデス爺は、既にそのほとんどを終えている。若い頃は冒険者として、仲間の武器のメンテナンスをしながら、諸国を見て回って武勇伝を残した歴戦の戦士が、俺を眩しいと言ってくれる。それを光栄に思うと同時に、身が引き締まる緊張を覚えた。


「じっちゃん……ありがとう。俺、絶対に悪いことには使わないよ」


 バルデス爺から斧を受け取る。俺がプレイしていたエターナル・マギアにおいて、+7までの強化に成功したプレイヤーはほとんどいなかった。+10までの実装が予定されていたのに、全く追加されなかったのは、+7ですら神器と呼ばれる希少さだったからだ。それを今の時点で手に入れられたことは、今までやってきたことの積み重ねによるものだ。


 少しでも、強く。モンスター討伐以外で自分を鍛えているうちにも、ずっと望み続けていた。恵体は70になり、他のスキルも鍛え続けた今、俺は大げさではなく、町で一番の強さを手に入れていた。

 そしてこの斧を手に入れたとき、俺はもう一段階、今までの自分を超える。


 ――人間の子供。魔王では、ない……。


 少女の姿をした皇竜の残した言葉、あの時の恐怖に打ち勝つため。

 本当の意味で、限界を超えるため。今の俺はまだ、そのための資格を手にした段階ですらない。



◆ログ◆


・あなたは「ドヴェルグの小型斧+7」を手に入れた。



「ヒロト坊、出来るだけお母さんの傍についていてやりなさい。強くなろうとするのも良いことじゃが、それだけが全てではない。家族を元気づけるのも、お主の役目じゃぞ」

「うん……分かった。バルデス爺、しばらく来られないけど、俺、また必ず来るから」

「困ったことがあったらいつでも訪ねて来い、儂に出来ることは少ないが、伊達に長くは生きてはおらん。ミゼールの魔女ほど博識ではないが、教えられることも多かろう」


 そう言ってバルデス爺は、最後に俺に手を差し出した。ドワーフにとって、職人の命ともいえる利き手で握手をするのは、最大の親愛を示す行為だ。

 岩のように硬くなった手を握ると、バルデス爺は何度か頷いたあと、俺を送り出してくれた。



◇◆◇



 俺と父さんは母さんを看るために診療所に泊まらせてもらっていたが、母さんはほとんどベッドを離れることが出来なくなっていた。


 子供を産むときには、それだけの覚悟が必要になる。前世でも、母さんは弟が産まれるまで、ずっと元気なままじゃなかった。体調を崩したりもしていたし、最後は病院に一ヶ月ほど入院して、弟が生まれたあとも、すぐに退院することは出来なかった。


 この世界には発達した医療技術の代わりに、治癒術が存在する――しかし、それも万能ではない。サラサさんが治癒術で少しでも母さんのために出来ることはないかと尽力してくれたが、効果は思わしくはなかった。


「ヒロトちゃん、心配することはありませんよ。レミリアさんは、きっと大丈夫です」

「女神様は、レミリア様を必ず守ってくださいます……生まれてくる赤ちゃんのことも」


 俺が一時的に家に帰ったとき、サラサさんとセーラさんが様子を見に来てくれた。リオナとみんなも何度か母さんの見舞いに来てくれて、すごく心配してくれていた。そのたびに母さんは、元気だった頃と同じように微笑んで、リオナやみんなにお礼を言っていた。


 ――少しずつ、不安が膨らんでいく。大丈夫だと言う母さんの面影が、日に日に儚く俺の目に映る。

 そして、周りの大人から核心を言われなくても分かってしまう。母さんの容態が、本当は思わしくないっていうことが。あの強い父さんが隠せないことを、他の大人が隠しきれるわけもない。


「ヒロちゃん……」

「……大丈夫。リオナは、何も心配することないよ」

「うん……でも……」


 リオナもまた、レミリア母さんがいない家に寂しさを感じている。こんなとき、俺の元気が無かったら、きっとリオナの心にも負担をかけてしまう。


「サラサさん……おれは、大丈夫だから。家の片付けをしたら、また母さんのところに行くよ」

「私も手伝います。私にも、何かをさせてください」

「……ヒロトさん、私たち大人にもっと甘えてください。私たちは、いつもそれを待っているんですから」


 サラサさんとセーラさん、そしてターニャさんたちも、俺が寂しがっているだろうと思ってよく顔を見に来てくれた。

 みんなだって、信じてくれている。母さんが、無事に元気な赤ちゃんを産むことを。

 だから、何も不安に思うことなんてない。



 数日後の夜までは、俺は、そう思い込もうとしていた。自分に言い聞かせて、ただ、盲目に信じた。

 この世界は優しい世界だ。絶対にそうなんだと。



◇◆◇



 ――けれど、その出来事は起こってしまった。

 母さんが出産する予定の、二ヶ月前。母さんが昏睡に陥り、意識が戻らなくなった。

 俺は診療所の外で待っているように言われたが、耐えられずに、気配を隠して診療所に入り、母さんの容態を伝える診療所の先生と、父さんの話を聞いた。


「このままでは、母子ともに危険な状態です。レミリアさんか、お腹のお子さんのどちらかに、重大な後遺症が起こる可能性があります」

「そんな……何とかならないんですか! 妻は、レミリアは、何もっ……!」


 父さんが抑えきれずに先生に詰め寄る。髪に半分ほど白髪の混じった男性の医者……その傍らには、助産師さんの姿がある。彼女は沈痛な面持ちで、父さんと医者のやりとりを見ていた。


 この世界の医療技術は中世ほどにしか進んでおらず、母さんに何が起きているのかすらも分かっていない。

 生まれ変わってから初めて、俺は前世に未練を感じずにはいられなかった。

 高度に進んだ医療があれば、母さんと、お腹の中の子供のことを、苦しませずに助けてあげられる方法があるかもしれないのに。

 前世の世界の先端医療ですら、万能ではないことは知っている。しかし生まれてくる子供の性別や、母体の状態を知る機器などの技術は、異世界よりも遥かに先を行っていた。


「レミリアさんの体力がまだ残っているうちに、出来ることがあります。しかし、どのみち母体に負担がかかることは否めません」

「……何でもいい……助けてもらえるのなら何でもする。妻を助けてくれ……っ、頼む……!」

「リカルドさん、落ち着いてくださいっ!」


 父さんは先生の肩を掴んで揺さぶろうとして、助産師の女性に止められる。我を失う寸前だった父さんは、目を見開いて、震えながら先生を放した。


 先生は、母さんのお腹の中の子供を生かすための手術をすると父さんに告げる。母さんは助かっても、子供は命を落とす可能性が高いと、そう告げていた。

 しかし父さんは、それに頷きながらも、もう自分を保つことは出来ていなかった。



 診療所から出てきた父さんは、俺の姿を見つける。その眼は真っ赤になっていたが、力を振り絞るように笑ってみせると、俺に手を差し出した。


「ヒロト、今日は家に戻ろう。俺はまた母さんのところに戻るが、おまえは少し休んだほうがいい」

「ううん、おれも、一緒に……」


 一緒にいる。そう言いかけたところで、父さんの顔が崩れた。

 けれど、父さんは泣きはしなかった。全ての感情を押し殺して、ただ真っすぐな眼差しを俺に向けた。


「……わかった。明日の朝になったら、ここに来るんだ……できるな?」

「……うん、わかった」


 俺を最初から一緒に連れていかない理由が、痛いほどにわかっていた。

 父さんは、母さんと二人で話すつもりだった。母さんに何が起きているのか、これから何が起きようとしているのかを。



 父さんに休むように言われても、少しも寝付けないでいた俺は、数時間してようやく短い眠りに落ちた。


 母さんの夢を見た。生まれてから今までのことを思い返していた。


 ――あらあら、ヒロト、びっくりしちゃったみたいね……それとも、お腹がすいた?


 ――はい。この子はヒロト……私とリカルドが授かった子です。


 ――悪いことなんてあるわけないじゃない。お母さんは、ヒロトのお母さんなんだから。


 レミリア母さんは、いつも優しかった。困らせることがあっても、仕方ないことをしても、最後には笑ってくれた。


 リカルド父さんは、母さんが笑うところを見るといつも嬉しそうだった。そんな二人を見ていると、俺も同じだけ嬉しくなった。


 こんな幸せが、いつまでも続くと思っていた。


 こうなってしまう前に、俺には何かが出来たはずだった。


「……俺には、何も……」


 前世でも同じだ。俺は最後まで母さんに孝行のひとつもできなかった。

 子供の頃に、幼稚園で描いた母の日の似顔絵と、小学生の頃に、誕生日に贈った肩たたき券。そんなつまらないものでも、母さんは喜んでくれていた。俺が引きこもったあとも、決して見捨てたりしなかった。


 俺には、信じることしか出来ない。母さんが、無事でいることを。

 もう一度笑ってくれることを、ただ馬鹿みたいに信じることしか出来ない。それ以外に、何も出来ないから。


 真っ暗な部屋の中で目覚め、幸福な夢が終わったあとも、俺は空っぽの心をどうすることも出来ずに、ただ目を開けて息をしているだけだった。


 泣くことも出来ず、ただ喉に痛みを感じたまま、吐き出す想いもない。


 ――そのうちに、猛烈な怒りが湧き上がってくる。


 何のために、力を貰って生まれ変わったのか。俺に出来ることは、本当に何もないのか。


 そうして考えた末に、俺は、今までの歩みの中で見つけていた希望に気がつく。



 ――お主の抜いたマンドラゴラじゃがな、実は秘薬の材料にも使われるのじゃ。万病に効き、死地にある人間すらも完全に回復させる、薬師の秘中の秘……エリクシールと呼ばれる薬じゃ――



「エリク……シール……」


 上級精霊魔術を得るために進めていた、ネリスおばば様に与えられたクエスト。

 エリクシールの素材は、残りひとつを残して集められていた。しかしおばば様は、最後の一つだけ、俺にはまだ早いと言って教えてくれなかった。


「そうだ……エリクシールなら、きっと……!」



 俺は電撃に打たれたように、ベッドの上で跳ね起きた。外に出る支度をし、おばば様の元に行こうとする。

 そして自分の部屋がある二階から一階に駆け下りたとき――俺は気づいた。


 ひんやりとした空気が、どこからか流れ込んでいる。地下室の扉が、開いている――!


(っ……誰が……父さん……!?)


 一刻も早くおばば様の所に行かなければならない。しかし目の前の事態を放っておくこともできず、俺は「忍び足」を発動して地下室に入った。奥に居るのが、必ずしも父さんとは限らない……もし、魔剣の存在に気づき、悪用するような輩だったら、戦わなくてはならなくなる。


 赤ん坊の時に一度だけ通った地下道。そこを進んでいくと、教会の地下に通じている。


 そこには、魔剣を手にして、振りかざした父さんの姿があった。


(っ……!?)


 止めなければならない、声を出さなければ。そう思う前に、父さんは魔剣を、鞘に入ったままで床に叩きつけようとする。


「……くそぉぉぉっ……!」


 しかし父さんは、剣を叩きつけることはなかった。床に落とし、膝を突き、力なく天を仰ぐ。


「災厄の魔剣……こんなものさえなければ……こんなものさえっ……!」


 魔剣と母さんの容態に関係があるのかは分からない。しかし父さんは、もう耐えることが出来なかったのだ。

 愛した人が生死の境にいる。その現実に対する憤りを、何かにぶつけずには居られなかった。


 もし、母さんに何かがあれば……父さんは、もう、元の父さんには戻ってくれないだろう。


 大人になってから、育ててくれた恩を返すつもりだった。そうでなければ、二人も受け取ってはくれないと思っていた。


 ――それではもう、遅すぎる。



 ◇◆◇



 早朝の町外れ。森に少し入ったところにあるおばば様の家を尋ねると、ミルテが目をこすりながら起きてきて、ドアを開けてくれた。


 そして俺の顔を見るなり、おばば様は首を振り、俺に背を向けようとした。


「……わしは、何も教えられん。ヒロトよ、お主がどれだけ強くとも、出来ぬことはある」

「エリクシールがどうしても必要なんだ……母さんを助けたいんだっ!」

「ヒロト……」


 ミルテは俺の剣幕に押されて、瞳を潤ませている。怖がらせてしまっているとわかっていても、俺は引き下がるわけにはいかなかった。


「材料の、最後の一つ……どんなに難しい材料でもいい、教えてください! お願いしますっ!」


 そんなことをしてもどれだけの意味もないと知りながら、俺は跪き、地面に頭を擦り付けた。


「……っ、だめ、ヒロト……!」


 ミルテが駆け寄ってきて、俺に頭を上げさせようとする。彼女の優しさが伝わっても、俺は頭を上げられない。


「おれは……おれは、自分はなんでも出来ると思ってた。出来ないことなんてない……大切なものを守る力だってある。これからもずっとそうだと思ってた……」


 おばば様は何も言わない。けれど、そこに居てくれる……それがどれだけ見苦しくても、俺は、どれだけ拙い言葉であっても、全てを吐き出すしかなかった。


 包み隠すことも何もない。自分の心をありのままに、言葉にする……皮肉にも、こんなときにならなければ、俺はそうやって話すことができなかった。


「でも実際は違った……俺はまだ子供だ。何も出来ない……このままじゃ、母さんを助けてあげられない……そんなのは嫌なんだ。絶対に嫌なんだ……!」


 このまま何もしなければ、俺はきっと、生まれてきたことを後悔する。

 これまで重ねてきた幸福も何も、失ってしまう。父さんも、母さんも……。


「祈るだけで母さんが助かるのなら、どれだけでも祈る……でも、それ以外にも出来ることがあるなら、俺はそれをやらずにいたくない。何もしなかったら、俺は死ぬよりも後悔する……だから……っ!」


 喉の痛みが限界を超える。声を枯らした叫びが、それ以上続けられなくなる。 


 どれだけも気持ちを伝えられた気がしない。子供の泣き言を、おばば様が聞き入れる道理なんてない。


 ――道理なんて、ないのに。


「おばば様……」


 ミルテが驚いたように言う。俺の頭の上に、おばば様の、温かい手が乗せられていた。

 顔を上げると、おばば様はいつもミルテを見るときに見せていた優しい瞳で俺を見つめていた。


「……無理を言うでない。材料を言えば、それは、お主を殺すことになるかもしれん……それこそ、レミリアとリカルドがどれほど悲しむか。ミルテも、子供らも、ヒロトを思う町の人々の気持ちを、踏みにじることになるのじゃぞ」

「でも……でも、俺はっ……」


 縋り付こうとしたとき、俺は、おばば様に抱きしめられていた。どこまでも優しく、包み込むように。


「ミルテの両親は死んだと聞かせていたが、事実はそうではない。それを言わずにおいたのも、教えればミルテを殺すことになるやもしれぬからじゃ。肉親を、親愛を抱いた人物を守るために、人は命を捨てることができる。残される人々の気持ちも、考えもせずにのう」

「……おばば様」


 ミルテは俺の傍らで話を聞いている……しかし、意外なことに、驚いてはいなかった。

 両親のことを知っていたのか、そうでないのか。今はそれよりも、ミルテは、ただ俺のことを想ってくれていた。彼女にとって、大切なことであるはずなのに。


「……ちがう。ヒロトは、そんなことしない……お母さんを助けたいだけ」

「……分かっておるよ。だから、罪深いと言うのじゃ。お主はあまりにも早く大人に近づきすぎた……いつかは、こんな日が来ると思っておったよ」


 おばば様は俺の肩に手を置く。そして、しばらくの逡巡のあと、『最後のひとつ』を告げた。


「エリクシールの材料……不死鳥の羽、バジリスクの逆鱗、千年亀の尾、神酒アムリタ。残りの一つは……『竜の涙石』。高位の竜の流す涙が、結晶に変わったものじゃ」


 あの日から、決まっていたことなのかもしれない。


 皇竜の少女に出会った時から、俺は彼女にもう一度会わなければ、進むことが出来なくなっていた。避けることなど、初めから出来なかった……。


 最初に会ってから、二年半以上の時が過ぎた。俺と同じだけ皇竜が成長しているとしたら、どれだけ強くなったつもりでも、少しも追いつけてなどいないかもしれない。


 エターナル・マギアでは、死に戻りは存在しても、蘇生する方法は存在しなかった。

 この世界で死ねば、復活する方法はおそらく存在しない。


(死ぬ……もう一度死んだら、俺は……)


 二度も女神が新しい命を与えてくれるなんて、生易しいことは考えられない。

 それが可能だとしても、ヒロト・ジークリッドのままで蘇らせてくれるなんて、都合のいいことはないだろう。女神の気まぐれが無ければ、死は他の人々と同じように、厳然として俺にも存在している。


「ミゼールの森の奥にある洞窟、そのさらに奥深くに、竜の巣があるという……しかしそこまでには、外とは比較にならぬほど強力な魔物が群れを成しておる。リザードマン、ドレイクの類じゃ。ドラゴンはそれらのモンスターを眷属として、宝を守るための門番として使役しておる。うまく洞窟に入っても、ドラゴンの姿を見ることすら難しいじゃろう」


 リザードマン、ドレイク……両方が、高レベルになると、雑魚モブとは言えない強さになる。高レベルでもソロで狩るのは酔狂とされていて、俺もギルドのメンバーと一緒に戦っていた。


 ボスでもないのに、操作を少し間違えただけで死ぬような相手。MMOにおいてはそんなモンスターがごろごろしていたし、パーティーメンバーが特定の役割を守り、決まった順番で動かなければ倒せないような奴もいた。エターナル・マギアの難易度は、そういう意味では、ぎりぎりソロプレイが出来なくもないというバランスだ。


 ――俺の仲間なら、リザードマン、ドレイクと戦うときの戦力になる。しかしドラゴンの存在を考えれば、みんなを連れて行くわけにはいかない。


 行くなら、俺一人……連れていけるとしたらスライムだけだ。スキルを駆使して洞窟の奥に辿り着いても、必ずドラゴンが居るとも限らない。前のように外に出ていたら、ただいたずらに危険を冒すだけだ。


 しかしドラゴンは、特別な要因がなければ、決まった場所を動くことはない。そのことを、ユィシアの残した数少ない言葉が教えてくれていた。


(宝を守るだけと言ってた……普段は、きっと同じ場所にいる。ユィシアは、竜の巣に……)


「ヒロト……私も……」

「……おばば様。俺は、何も聞かなかった……もし俺が竜の涙石を手に入れても、それは偶然ということにしてください」

「……そう言うじゃろうと思っておったよ。本当に……お主は子供らしくない」


 おばば様に教えてもらった通りに竜の巣に向かったわけじゃない。俺は、自分の意志だけで竜の巣に向かう。それを事実にしなければいけない。


 絶対に生きて帰る。そう思いたくても、俺が一番良くわかっている。

 高位の竜、ユィシアに、今持てる手段の全てを尽くしたとしても、勝てる保証はない。

 ――それでも。


「ミルテ……ごめん、心配かけて。でも、ミルテはついてきちゃだめだ」

「やだっ……私もいく! ヒロトっ……!」

「だめだ。俺は……今まではそんなに見せてこなかったけど。本当は……」

「……ほんとうは?」


 本当は、いつも怯えていたんだ。どれだけ満たされていても、前世と同じことになりはしないかと。

 そんな気持ちを明かすことが出来るとしたら……それは、俺が生きて帰れたときの話だろう。

 だから、俺は笑った。ミルテが不安にならずに済むように。


「……おれは、臆病だから。竜の巣になんて、行かないよ」

「……あぶないところには、いかない?」

「うん、行かないよ」


 強がって嘘をついたことは何度もあった。人を傷つける嘘をついたことも。

 誰かを安心させるためにつく嘘は、数えるほどもない。

 ミルテが、絶対についてこないように。ミルテだけじゃない、他の誰も、俺が何をしようとしているかに気付いてはならない。

 おばば様はもう何も言わなかった。そのことに感謝しながら、俺は最後にミルテに微笑みかけて、庵を出た。



 次に向かったのは、母さんのところだった。

 未明の診療所。盗賊スキルを上げて入手していた鍵開けで、内心で詫びながら中に入っていく。


「……母さん……」


 ベッドの上でずっと眠っていたはずの母さんは、俺が来ることを予期していたかのように、身体を起こしていた。


「……ヒロト。こんな朝早くに、来てくれたのね。嬉しいわ」


 どうやって入ってきたのか。そんなことも何も尋ねず、母さんが微笑みかけてくれる。

 泣きついて、縋りたいという衝動に駆られた。今までそうしてくれていたように、抱きしめて欲しかった。

 ――けれど、今はできない。俺はこれから、父さんの言いつけに背く……モンスターと戦うなと言われた、禁を破る。


「ごめんなさい、お母さん、ちょっとだけ具合が良くなかったの。すぐに良くなるからね」

「……うん。あやまることないよ、母さん。おれは、全部……」


 全部、わかっている。そう言葉にしそうになって、飲み込んだ。

 俺は何も知らない。母さんに、気取られてはならない……絶対に。


「そうだ……ヒロト。この子の名前、考えてくれた?」

「……おれは、父さんと母さんにつけてほしい。おれは、父さんたちがつけてくれた名前が好きだから」

「そう……分かったわ。父さんもね、ひとつ思いついたって言ってたのよ。まだ、教えてもらってなくて……あの人も、ちょっと抜けてるところがあるのよね」


 元気だった頃のように母さんが冗談を言う。それがどうしようもなく懐かしく思えた。


 ――違う。遠い昔のことなんかじゃない……母さんはまた、元気になるんだから。


「……ヒロト」

「……なに?」


 母さんが俺の名前を呼ぶ。母さんは微笑んだまま、続きの言葉を口にした。


「母さんにもしものことがあったら……父さんと、この子を……」

「……っ」


 嫌だ、そんなこと言わないでくれ。

 もう終わりみたいな言い方をしないでくれ。これからもずっと、俺と父さんと、みんなで一緒にいるんだ。

 それがどれだけ幸せなことか、ようやくわかったのに。

 生まれ変わってようやく、生きることの意味を見つけられたのに。


「……ううん、なんでもない。お母さんがしっかりしなきゃね……ヒロトも頑張ってくれてるんだから」


 母さんが言葉を飲み込む。一番つらいのは母さんなのに……俺は、自分の辛さを隠すこともうまくできない。


「ヒロト……ごめんね、そばにいてあげられなくて。危ないところに行っちゃだめよ……」


 母さんの意識が再び薄れてしまう。俺は母さんの背中を支えて、そっとベッドの上に横たえる。


「……うん、行かない。どこにも行かないよ。だから……おやすみ、お母さん」

「……ありがとう……ヒロト。お母さん……ヒロトのこと、大好きよ……」


 俺は母さんの意識が眠りに沈むまで、その手を握っていた。

 母さんが眠りに落ちたあとで、そっと手を離す。そして俺は、病室を出る前に、母さんの状態を確かめた。



◆ステータス◆


名前 レミリア・ジークリッド

人間 女性 22歳 レベル12


ジョブ:令嬢

ライフ:10/76



 ずっと怖くて確かめられなかった。

 けれど母さんの命の灯がもう長くもたないことを、残酷な数字が示していた。

 どれだけの苦しみに耐えてきたのか。どれだけ気丈に、俺と父さんの前で笑っていたのか。


 

 ――この子に手を出したら許さないからっ!



 母さんがアントンたちから俺を守ってくれたあのとき、全身の血が炎のように燃え上がったことを今でも覚えている。


 誓いは今も変わっていない。そして、これからも変わらずに同じであり続ける。


「……俺が母さんを守るよ。絶対に」



 病院を出たあと、俺は走り始めていた。バルデス爺に鍛えられた斧を携え、森へ――その途中で、聞き慣れた声が俺を呼び止める。


「ヒロト! どこに行くの、待ちなさいっ!」

「――ついてきちゃだめだ、モニカ姉ちゃんっ!」



◆ログ◆


・あなたは《モニカ》に命令を下した。

・《モニカ》は一時的に、町を出ることが出来なくなった。



「っ……どうして……ヒロト、待って! 何をするつもりなのっ!」


 俺とずっと一緒に居てくれたモニカさん……彼女を、最後に裏切ってしまった。好感度が最大のとき、パーティを組んでいる相手には、いつでも命令をすることができる。


 彼女が中級以上の狩人でも、もしドラゴンに遭遇して狙われれば、一撃で殺される。他の誰も、命の危険を負わせるわけにはいかない……死んでしまえば、それまでなのだから。


 俺も今の自分の力だけで、切り抜けられるとは思っていない……それは、手段を選んでいればの話だ。


(……結局、自力では上げきれなかったな……でも、十分だ)


 この先も使わずにおくつもりだった、ボーナスポイント。レベルアップボーナスも含めて合計245ポイントを、俺は戦闘に関わるスキルに振っていった。



◆ログ◆


・あなたは恵体スキルにポイントを30割り振った。スキルが100になり、「無敵」を習得した!

・あなたは魔術素養スキルにポイントを50割り振った。スキルが100になり、「マジックブースト」「二重詠唱」を習得した!

・あなたは【神聖】剣技スキルにポイントを10割り振った。スキルが50になり、「ダブル魔法剣」を習得した!

・あなたは斧マスタリーにポイントを50割り振った。いくつかのアクション・パッシブスキルを習得した!

・あなたは幸運スキルにポイントを70割り振った。いくつかのアクション・パッシブスキルを習得した!



 神聖剣技、精霊魔術は、スキルを一定以上に上げるためには、クエストで上限を解放しなければならない。しかしそれ以外の、戦闘に寄与するスキルは全て最大にできた。残りは35ポイントあるが、これを残りのスキルのいずれかに振っても、斧使いにとって有用なスキルを得ることは出来ない。


 恵体100で覚えるアクションスキル「無敵」は、マナ半分を消費して、どれだけ強力な攻撃でも一回だけ無効にできる。二重詠唱は魔術を連発できるが、それよりは、ダブル魔法剣を使う方が威力は高いだろう。魔術素養を上げたのは、マナの最大値を少しでも上げておきたいからだ。


 残りのスキルは、全て30で育成が止まっている。狩人、戦士、衛生兵、法術師……職業系スキルはどれも上限解放クエストがあるので、該当する職業についていなければ、30を超えて上げることはできない。


 つまり、これが現状での俺の限界だ。ゲームにかけた時間よりも既にこの世界で生きた時間の方が遥かに長く、女神にもらったボーナスポイントと+7武器のことも考慮すれば、俺は前世よりも強くなっている。


 データだけの強さではなく、本物の強さを手に入れ、一つしかない命を賭して戦う。

 皇竜の涙石……それを手に入れなくてはならない以上、この段階で戦闘スキルにボーナスを振りきったことに後悔はない。ドラゴンに会い、涙石を手に入れるまでに、万が一にも死ぬわけにはいかないからだ。前世で千匹単位で狩ったリザードマン、ドレイクだからこそ、侮れないことは身にしみている。


 まずは洞窟の奥まで潜ることだ。みんなを巻き込まないと決めた以上、一人で駆け抜けるしかない……!


「――うぉぉぉぉぁぁぁぁぁっ!」



◆ログ◆


・あなたは「ウォークライ」を発動させた!

・パーティの闘志が昂揚する! あなたの攻撃力が一時的に上昇した!



 森を駆け抜けながら、俺は叫ぶ。ウェンディにもらった戦士スキル30で取れる「ウォークライ」……本来はパーティ全体に攻撃上昇アタックバフをもたらす有用スキルだ。


 自分を鼓舞するため、そして爆発しそうな闘志を表に出すため。叫び終えたあとは頭の中が落ち着き、自分でも驚くほどに思考がクリアになっていた。



◇◆◇



 洞窟のある場所の見当はついていた。父さんがフィリアネスさんに洞窟のモンスターに気をつけろと言っていたから、俺はモニカさんたちとクエストを受けていたころ、森に出向いたときについでに洞窟の場所を探したことがあった。もし外に強いモンスターが出てきたらモニカさんたちを危険に遭わせることになるので、あまり近づきはしなかったが、それらしい場所までは見つけていた。


 ――記憶通りに、ミゼール西部の山麓の岩肌に、その洞窟はあった。松明が必要な暗さだが、炎霊召喚サモンウィスプを使える俺には暗さは関係ない。


「炎の精霊よ……我が下に来たりて、闇を照らす明かりとなれ! 『炎霊召喚サモンウィスプ』!」


 入り口から差し込む日の光が届かなくなると、真の闇に近かった洞窟の中が、俺の呼び出した炎霊の明かりで照らされる。一時間でマナ1を消耗するのみなので、その気になれば一日中照らしていることもできる。


 ――しかし、すぐにウィスプの明かりは必要がなくなった。少しずつ下り坂になっている洞窟の先に、赤熱した溶岩が見える……その明かりに、十数体のモンスターの姿が浮かび上がっていた。



◆ログ◆


・「魅了」が発動! 《ソードリザード》が3体抵抗に失敗、魅了状態になった。

・「魅了」が発動! 《ファイアドレイク》が2体抵抗に失敗、魅了状態になった。



(よし……幸運スキルが乗れば、魅了が決まりやすい。これなら相手にする敵が……っ)


 減らせる。そう思った瞬間、俺は剣を持ったリザードマンたちが立ちふさがる向こうに、さらに数十体のモンスターの姿を目にした。



◆ログ◆


・「魅了」が発動! 《ソードリザード》は1体抵抗に失敗、魅了状態になった。

・「魅了」が発動! 《ファイアドレイク》は全て抵抗に成功した。



 魅了はまとめて発動するほど、成功率が減衰していく。いくら幸運100でブーストしても、高レベルのモンスター相手では最初の五体でほとんど限界だった。


(まずい……このままじゃ、ソードリザードを倒している間にファイアドレイクのブレスが飛んでくる……!)


 ゲーム時代の悪夢のような記憶がよみがえる。火山帯に登場するこの二種のモンスターは、非常に相性がいい……ソードリザードはファイアドレイクの炎に耐性があるため、ブレスに巻き込まれてもダメージを受けない。そのため、ソードリザードが足止めしているうちに、ファイアドレイクが後ろから容赦なくブレスを撃ってくるのだ。


 俺は炎耐性のある装備なんてしていない。ライフがある限り、焼かれて死ぬことはない――しかしこんなところで、少しも時間をかけているわけにはいかないのに。


 ――狼狽えるな。こんなときのために、俺は強さを養ってきた……ボーナス振りも済ませた今、こんな雑魚が幾ら集まろうと、俺は止められない。


「――どけぇぇぇっ!」



◆ログ◆


・あなたは「ダブル魔法剣」を放った!

・あなたは「アイシクルスパイク」を武器にエンチャントした!

・あなたは「フリーズブラスト」を武器にエンチャントした!

・あなたは「ブレードスピン」を放った! 「回転氷刃乱舞!」

・クリティカルヒット! 《ソードリザード》三体に1085ダメージ!

・《ファイアドレイク》二体に843ダメージ!

・モンスターたちを倒した。



「グギャァァァァッ!」

「ガァァァァッ!」


 氷属性の精霊魔術――炎ほど得意じゃないが、覚えていた甲斐があった。俺の斧は凍気をまとい、炎属性に強いモンスターたちの動きを鈍らせ、+7まで鍛えられた刃が鱗を切り裂く。


(弱点は読み通り……しかし、オーバーキルにならない。やっぱり、こいつら……こんなところに居ていいレベルのモンスターじゃない……!)


「うぉぉぉぉっ!」


 俺は続けざまに魔術を付加した斧を振るう。斧スキル50で習得できる「ブレードスピン」で、最高効率で敵を倒し続ければ、いずれ道は開ける……!


 そうして斧を振るった俺の眼前に、ソードリザードが立つ。


 ――その個体だけは、剣だけではなく、盾を持っていた。


(なっ……!?)



◆ログ◆


・《ソードリザード》の「シールドパリィ」が発動した!



「グギャギャギャギャッ!」


 ガキン、と俺の斧がソードリザードの持っていたバックラーで弾かれる。バックラーは壊れて弾け飛んだが、技を中断された俺は、為す術もなく大きな隙を作った。


(くっ……『無敵』を使うか……でもっ……!)



◆ログ◆


・《ファイアドレイク》は炎ブレスを吐いた! 燃え盛る炎が襲いかかる!



 ――いくつも、いくつも。ログが流れて、見えなかったファイアドレイク十数体が、一斉に炎を吐きかけてくる。もはや、選択の余地などありは……、


「ヒロトっ、そこに伏せよっ! 氷耐術レジストアイスを使えっ!」


 無敵を発動させようとした瞬間、背後から聞いたことのない女性の声が響き渡る。俺は考える前に、声の言うとおりにして精霊魔術レベル2の『レジストアイス』を発動させた。



◆ログ◆


・《ネリス》は「アイスストーム」を詠唱した!

・《ネリス》のマジックブースト! 魔術の威力が倍加した!

・《ソードリザード》たちに476ダメージ! モンスターたちは凍結した。

・《ファイアドレイク》たちに352ダメージ! モンスターたちは凍結した。

・あなたは氷属性に強くなっている! 魔術を無効化した。



(ネリス……おばば様? でも、あの声は……)


 明らかに若い女性のものだった……ログとの齟齬に、俺は一瞬だけ困惑する。

 俺の技を防いでカウンターを繰りだそうとしていたソードリザードは、凍りついて氷の彫像のようになっていた。アイスストームによる凍結効果は15秒は続くし、このまま打撃を加えれば簡単に倒すことができる。


 しかし、まだモンスターは湧き続けている――いずれ打ち止めになるとしても、倒した数はまだごく一部だ。


「……本当は、助け舟を出す気は無かったのじゃがな。わしのこの姿も、見せるつもりはなかった」

「おばば様……じゃない……?」

「何を言っておるか。同じ服を着ておるじゃろうが……わしはネリスじゃ。知らんかったのか? 高位の魔術師は、魔力が活性化することで全盛期の姿を取り戻すことができるのじゃよ」


 完全に初耳だ……言っていることが本当なら、このとんがり帽子をかぶり、黒いローブを身にまとった、十七歳くらいにしか見えない強気そうな少女が、ネリスおばば様本人ということになる。


「ヒロト、無事だったか……まったく、無茶をする。ソードリザードとファイアドレイクなど、騎士団の人間でも臆するほどの相手だというのに」

「良かった~、間に合って! ヒロトちゃん、一人で危ないことしちゃだめでしょ! めっ!」

「フィリアネスさん、マールさんっ……どうして……!」


 ネリスおばば様だけじゃない、フィリアネスさん、マールさん、アレッタさん、ウェンディ、名無しさん……俺がパーティを組んだことのある人たちが、次々に姿を見せる。アレッタさんは、少し申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんなさい、ヒロトちゃん……つい先刻ミゼールに到着して、レミリアさんのお見舞いに行く途中で、モニカさんに声をかけられたんです。ヒロトちゃんが、森に向かったって……」

「私と名無しさんも、モニカさんに頼まれて来たんです。お師匠様が危ないって……す、すみません! 未熟な私が、こんなところまで出てきて……」

「水臭いじゃないか……ヒロト君。小生とあれだけ一緒に冒険してくれたのに、本当の危険を冒すときには置いていくなんて。胸が引き裂かれる思いがしたよ」


 ウェンディと名無しさんとは、しばらく一緒にクエストに出られてなかったのに……来てくれたのか、こんな危険なところにまで。

 ネリスおばば様……いや、ネリスさんは、もう一度アイスストームを放って奥の敵を足止めしたあと、俺に近づいてきた。あまりに姿が違いすぎて、まだ実感が湧いてこない……若い頃は、こんなに溌剌とした美人だったのか。腰が曲がってしまい、いつも地面を擦っていたローブが、今の姿ではロングスカートに見える。スタイルも容姿も、何もかもが違いすぎていた。


「お主だけを行かせて結果を待つというのも、あまりに酷じゃと思ってな。娘たちが騒ぎ立てておるから、わしが連れてきてやったというわけじゃ。この洞窟の場所は知っておったからな」

「……ありがとう。本当に……」

「ヒロト、おまえは確かに強い……だが、一人では難しいこともある。お前がこれまでの間に築いてきた繋がりを、こんなときこそ頼るべきだ。私だけではなく、皆がそう思っているのだぞ」


 フィリアネスさんの言葉を、心から嬉しく思う……それでも。

 俺は、彼女たちに言わなければならない。皇竜と対面するときは、俺一人でなければならないのだと。


「……うん、俺が間違ってた。俺だけじゃ、ここで時間を食って進めなかったと思う……だからこそ、お願いがあるんだ。フィリアネスさん、ネリスさん、みんな……おれに、先に行かせてほしい。はじめにおれが道を開く、それを援護してもらいたいんだ」

「ひ、ヒロトちゃん、一人で奥まで行くの? ドラゴンがいるかもしれないのに……っ!」

「……待て、マール。今のヒロトを止められる者など、ここにはいない……ヒロトは肌でわかっているのだろう。ドラゴンと、ここにいる敵とでは、次元が違うのだと」


 全てを言わなくても、分かってくれる。エターナル・マギアでも背中を任せられる人はいた……そんな得難い相手を、この異世界でも得ることできた。それも、何人も。


 ――俺も一緒に戦いたい。けれど、母さんにはもう時間がない……一刻でも早くユィシアの所に行かなくてはならない。


「……ヒロト。一つだけ聞いておく……勝算はあるのじゃな? でなければわしは、ここでお主を止める。フリージング・コフィンという魔術でな」


 凍結氷棺フリージング・コフィン。レベル7の氷属性精霊魔術で、相手の動きを止めることに特化している。まともに受ければ凍りつき、動けないうちに、四歳の俺なら女性の手でも運びだされてしまうだろう――しかし。


「……ネリスさん、心配してくれてありがとう。でも、俺には効かないよ」

「……氷耐術レジストアイスで防ぐのは無理じゃな。それだけは教えておこう。その顔を見れば、死に急いでいるわけではないことはわかった。ヒロトよ、お主には精霊魔術の極意を教えてやる……これはそのための過程に過ぎぬ。無事に成し遂げ、帰ってくるがよい」

「はいっ!」


 返事をする俺を見て、皆が久しぶりに笑う。俺が生きて帰ると、迷いなく返事をしたことを嬉しく思ってくれたんだろうか。


 母さんを助けるために、俺はここに来た。無くしかけたものを全て取り戻すためには、どれだけ難しくとも、生きなければならない。


「必ず生きて戻るよ。みんなも、絶対無理はしないで……っ!」


『了解っ!』



◆ログ◆


・あなたの存在によって、パーティーメンバーは鼓舞された!

・パーティ全体のステータスが上昇した!



 フィリアネスさんとマールさんが前衛でソードリザードを相手にし、ネリスさんと名無しさんがウェンディに護衛されながら、ファイアドレイクの群れを魔術で確実に減らしていく。アレッタさんはダメージを受けたみんなに全体回復をかけ続ける……初めて組む人たちとは思えないほど、完成形に近い連携だ。


(みんな……無事でいてくれ。俺も必ず無事に帰る……!)


 眼前に立ちはだかるソードリザードに、俺は斧を振りかざす。ターゲットが分散して数も減った敵ならば、今の俺にとっては障害物にすらなりえなかった。


 ――目指すは、洞窟の奥にある竜の巣……宝を守っているだろう、皇竜。


 竜の涙石を手に入れるための手段は、三つ考えられる。一つは、皇竜を倒すこと。


 二つ目は、皇竜を味方に引き入れる――条件を整え、調教テイムする。


 三つ目は、皇竜の出す条件によって、涙石と何かを「交換」する――。


 どんな手段を使ってもエリクシールを手に入れ、母さんを救ってみせる。

 それができる可能性がある人間は、俺しかいないのだから。


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