第10.5話 パーティ結成秘話 4
※第10.5話の最終パートになります。
かなり長いので、お時間のある時にご覧いただければと思います。
ギルドに行き、戦利品のいくつかをコボルトリーダー討伐証明として提出すると、俺たちと名無しさんたちのパーティは両方ともEランクになった。
しかし、男二人が途中でクエストを離脱したことがギルドに報告されており、彼らはFランクのままで留まることになった。つまり名無しさん、ヒルメルダさんは個人でEランクの資格を得たということになる。こうなれば、よほどの理由がない限り、ランク違いの冒険者が組むメリットは少ないので、解散は必至というところだろう。
モニカ姉ちゃんが、名無しさんとヒルメルダさんの行く予定の酒場について聞いてくれたので、店名を覚えておいた。『紅のバラ亭』というそうだ。
ウェンディを宿に送り、モニカ姉ちゃんに家まで送ってもらったあと、夕方になってエレナさんが子供二人を連れて家にやってきた。
「ごめんねレミリア、大変だったでしょ。でも、これでお得意さまに顔が立つわ」
エレナさんはレミリア母さんの織った布を確かめ、代金を支払う。金貨二枚、これだけあれば一ヶ月の生活に何ら支障がないという金額だ。ミゼールには他にも機織り職人はいるが、エレナさんは母さんの腕を信頼していて、大事な仕事を優先して回してくれていた。
「いつもありがとうございます、エレナさん。お子さんも元気そうで何よりです」
「こんにちは、レミリアさん」
「こんにちは」
エレナさんの息子さんと娘さん……会うのは初めてだ。アッシュとステラという名前は聞いていたが。アッシュの方は母親譲りの黒髪をしているおとなしそうな少年で、ステラの方は明るい栗色の髪を綺麗に結ってもらっている。まだ三歳だが、のちの美貌の完成を予感させるような、品のある容姿をしていた。子供服のスカートの裾をちょこんとつまんでお辞儀をする姿を見て、母さんが顔を綻ばせる。
「二人とも、あいかわらずしっかりしてるわね。あ、こらヒロト。あの子ったら、恥ずかしがりでごめんなさいね」
「いえ、ぼくもそうでしたから。最初はしかたないと思います。でも、少しずつ仲良くなれたらうれしいです」
「わたしは、男の子とは、あんまり……」
(兄のほうはなんという出来た少年だろう。妹の方は、すぐ仲良くなるにはハードルが高そうだ……き、緊張してきた……)
俺は物陰から見ていたが、ずっと隠れているわけにもいかないので、気合いを入れて出てきた。アッシュはふわっと世のお姉さま方を魅了しそうな笑顔を見せ、ステラはぷい、とそっぽを向いてしまう。
「この子、男の子と話すのは苦手なのよ。ご近所にディーン君って子がいるんだけど、ちょっとその子がぶっきらぼうでね。悪い子じゃないんだけど」
「男の子は、お人形を大事にしないからきらいなの」
ディーンというのは、やはり俺より年上だろうか。うーむ、性格が合わなさそうなイメージが……と、先入観を持ってしまうのは悪いくせだ。話してみれば、意外にいいやつかもしれないしな。
「ねえ、あなたはお人形に乱暴したりしない?」
「う、うん……しないよ。ひとの大事なものは、大事にしなきゃって思う」
「ヒロトくんはそんなに小さいのに、すごくしゃべれるんだね。おどろいたなぁ」
「アッシュも喋れたけど、ここまでじゃなかったわよね。ステラも覚えが早いけど」
「わたしの方が早いもの。あなたはまだ小さいから、そんなに話さなくてもいいの。わかった?」
(おしゃまさんというか、何というか。プライドが高いお嬢様は嫌いじゃないぜ、とか言ってる場合じゃないな)
「うん、おれ、ステラお姉ちゃんにいろいろ教えてほしいな」
「……いや。男の子はおままごとなんてしてくれないもの。外で走り回ったりとか、そんなのばかり」
「ままごと? おれ、ままごとってしたことないや。やってみたいな」
「ほんと? ままごともしらないの?」
「ステラ、一度教えておあげよ。ここの近所にも、小さい女の子がいるのよねえ。三人で遊べるといいんだけどね」
(リオナとステラとままごと……それはリア充と言えるのだろうか。というか、俺にままごとが出来るのだろうか)
まじめに悩んでしまう俺。アッシュはそんな俺を見て何を思ったか、近づいてきて手を差し出した。
「ヒロトくん、ぼくと友達になろう。ディーンもぼくの友達だけど、二人で遊んでるとステラがすねちゃうんだ。でも、ヒロトくんがいたら、二人ずつで遊べるしね」
「……男の子はきらい。でも、ヒロトはちょっとだけ、他の子とはちがうかも。まだちいさいし。よしよし」
(ままごとがしたいです、ステラ先生……! とか言ったら、一瞬で好感度を失いそうだな)
子供の心をつかむのは、そこまで難しくないのかもしれないなと思ったりもする。その計算が伝わってしまったら上手く行かないのだろうから、子どもに対しては子どもとして接する、それを徹底すべきだろう。
しかし……二歳年上なだけなのに、ちゃんと『お姉さん』に感じるな。大人の女性と接してきてもそう思うのだから、ステラは相当しっかりしている。
「ねえ、ご本は好き? わたし、字がよめるのよ」
「ステラは絵本が好きなのよ。簡単な字なら読めるから……」
「お母さん、言っちゃだめ! ステラはむずかしいご本もよめるの! おにいちゃんより読めるんだから!」
「そうだよね、ステラはすごいね。ぼくが今読んでる本だって読めるし」
アッシュはお兄さんらしく妹をうまくなだめている。俺はどうだったかな……小さい時は弟が構ってくれってよく言ってたな。男兄弟だったから、妹っていうのは新鮮で少しうらやましい気もする。陽菜は一人っ子だったから、お兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しかったとよく言っていたが――俺の弟は、どう思っていたんだろう。
考えているうちに、ステラが俺の方を見ていた。恥ずかしそうで、それでも何か言いたそうで、こっちまでそわそわしてくる。
「わたしはヒロトよりとしうえだから、いろいろおしえてあげる。わかった?」
「う、うん。わかった」
「よしよし。いい子はなでてあげる。お母さんもよくそうしてくれるの」
「ステラ、お姉さんみたいなことができて嬉しいみたい。レミリア、少し遊ばせてあげてもいい?」
「ええ、もちろん。アッシュ君も一緒に遊んであげてね」
「はい、レミリアさん。ヒロト君、よろしくね」
◇◆◇
最初はアッシュの性格があまりに良すぎて、逆に裏があるんじゃないかと思ってしまったりもしたが、結論から言うとアッシュは本当にいいやつだった。
妹がどんなことを言っても怒らないし、勉強も出来るのに年下の俺たちのしていることに合わせてくれる。ステラが簡単な絵本を読むのをニコニコしながら聞いていて、面白いね、ステラはすごいねと笑顔で言うのだ。
「ヒロト君じゃなくて、ヒロトって呼んでもいいかな。ぼくも、アッシュって呼んでいいよ」
「ううん。アッシュ兄って呼ぶよ」
「あはは……それはちょっと照れるなぁ。ステラ、ヒロトがアッシュ兄って呼んでくれたよ」
「……わたしは? 私もとしうえだから、お姉ちゃんって呼んでくれなきゃ嫌」
「うん、じゃあステラ姉って呼んでいい?」
「いいわよ」
ステラはお澄ましして答えたけれど、部屋の隅っこに行ってしまう。そして、何か小声で言っているのが聞こえてきた。
◆ログ◆
・《ステラ》はつぶやいた。「ステラ姉……えへへ。ヒロト、おとうとみたいでかわいい」
(なんか照れるな……隠れて言ってるつもりなんだろうけど、ログで見えてしまうしな)
「おや、ヒロト、顔が赤いみたいだけど……大丈夫? レミリアさんを呼んでこようか?」
「う、ううん、大丈夫。ちょっとあついだけだから」
「あついの? ヒロト。おみず持ってきてあげる」
ステラは俺が何も言わなくても、部屋を出て行ってしまった。ステラ姉って呼び方が、それだけ嬉しかったんだな……。
「ステラはやさしいから、ヒロトもお姉ちゃんみたいに甘えていいよ。きっとその方が、ステラもうれしいと思うんだ」
「うん。ありがとう、アッシュ兄」
子供同士で上手くやれるか心配だったけど、この二人なら何も心配要らなさそうだ。連れてきてくれたエレナさんにも、良くしてくれた二人にも感謝しなければな。
生まれてからずっと気がかりだったことの一つが、これで無くなった。前世では人と話が噛み合うことが奇跡のように感じていたけど、交渉術のおかげで、俺は人並みの会話をすることができている。何を話せばいいか、何が駄目なのかが分かるというのは、本当に心が休まる。スキル頼みはどうかとも思うが、いたずらに人を遠ざけたり、嫌われたりするよりはずっといい。
「さっきディーンのことをお母さんが言ってたけど、本当は悪い子じゃないんだよ。ちょっといろいろあって、今はいらいらしちゃってることが多いけど、ぼくも一緒なら遊べると思う」
「うん。おれもできるだけ、仲良くするようにするよ」
そう言いつつも、難しいんだろうな……という予感めいたものはあった。その「いろいろあって」というのが分からない限り、見えてこないこともあるからだ。
しかしアッシュ兄の手前、致命的に仲が悪くなるようなことは避けたい。戻ってきたステラ姉に水を飲ませてもらいながら、何としても彼らと仲良くやっていこうと思っていた。
◇◆◇
その日の夜、エレナさんは旦那さんが留守だということで、うちの客室に泊まっていくことになった。夕食の時間は父さんも加わって、果実酒を飲みながらの賑やかな食卓となった。
「レミリアがいてくれて本当に助かるわ。他の職人さんに委託もしてるけど、レミリアの布の評判が一番いいのよねえ……ミゼールだけじゃなくて、首都でも人気なのよ。決め打ちで依頼が来るくらい」
「そうだったの? それで報酬がだんだん増えてるのね。こんなに多くていいのかしらと思ってたんだけど」
「レミリアが一日働くと、俺の十日分の給料を稼ぐからな……まあ俺は、木を切ることに誇りを持ってるけどな」
「本当はヒモになりたいと思ってるんじゃないの? でもダメよ、あんたはちゃんと働いて、ヒロト坊に立派な父親の背中を見せてあげなさい」
「言われなくても分かってござぁすよ。それにしてもエレナさん、飲み過ぎじゃないか?」
「いいの。おかあさんはお酒を飲んでるときげんが良くて、にこにこしてるから」
「こら、ふだんのお母さんのことは言うんじゃありません。この子ったら父親に似て真面目なのよねぇ、アッシュもだけど」
エレナさんは両隣に座っている子供二人の肩に手を置いて笑う。そんなお母さんに、アッシュもステラもとても良くなついていた。
そしてエレナさんは、俺に時々おっぱいをくれていることを絶対に俺の両親には言わない。その辺りは彼女も気にしていて、言わない方がいいと思ってくれているのだろう。
「スーちゃんも飲まない? 今日は泊まり込みなんでしょ」
「私はメイドですので、お酒は嗜みません。お気になさらず、皆様でお楽しみください」
「スーは今日でお勤めが終わりなのよ。来週からは、違う人が来てくれることになってるわ」
「それなら、なおさら楽しく飲んで欲しいのにね……ヒロト坊もそう思わない?」
「う、うん……でも、スーさんはあまりお酒は好きじゃないんだって」
「恐れいります、坊っちゃん」
そう――ギルドから派遣されたスーさんは、一定の派遣期間が終わるとギルドに戻ってしまう。それを聞かされたのは、今日クエストを終えて帰ってきたあとだった。
「スーが来てくれてる時はすごく助かってたのよ。ヒロトのこともしっかり見てくれてたし」
「ああ、日中に仕事してるとなかなかね。レミリア、仕事してる時は集中力がすごいから」
「……まあ、そういうところに惚れたというか何というかだな」
「リカルド、後でお仕置きね。ちょっと飲み過ぎて、頭のねじがゆるんじゃってるのよ。困ったお父さんね」
「そ、そりゃないだろ……って、そうか。エレナさんとこのお子さんたちもいたんだった。ヒロト、不甲斐ない父さんですまん」
「……ヒロトのお父さんはお家にいてくれて、うらやましい」
「うちのお父さんは、首都とミゼールを一日ずつ行ったりきたりしてるんです。それで……」
「パドゥール商会を率いる人物だからな、エレナさんの旦那さんは。今でも陣頭指揮を取っていらっしゃるというのはすごいことだよ。人は、偉くなると外に出ることをしなくなるものだからな」
父さんが言うと、エレナさんは微笑みつつも、少し寂しそうな顔をする。しかし俺と目が合うと、彼女の顔から少しだけ寂しさが薄らいだ。
もしかしたら俺を構ってくれてることが、彼女にとっての心の慰めになっていたりしないか――と思ったりもするが。まだ一歳の俺に、そんな役割が果たせるわけもなくて。
「ヒロト坊、お父さんとお母さんを大切にしなさい。あたしが言うのもなんだけど、若いのに出来た人たちだから」
「そ、そんな……エレナさん、そんなに年は変わらないじゃないですか」
レミリア母さんが照れながら言うと、エレナさんは果実酒を口に運んでから言う。
「ふぅ……あんたたちはまだ若いわよ、うらやましくなるくらい。私にとっての潤いは、日常のちょっとしたことくらいだけど、あんたたちは……ねえ?」
「い、いやあの、まだヒロトも小さいし、俺たちはその……」
「あなた、動揺しすぎ。もう、ちょっとカマをかけられたくらいでそんなに動揺しないで。ヒロト、何でもないのよ。アッシュ君たちも……まあ、まだ意味はわからないわよね」
「なぁに? レミリアお姉さん」
「ふふっ……まだおばさんって言われないって、少しほっとするわね。お母さんになると、問答無用で言われるものだと思っていたから」
(19歳だしな……エレナさんも全然、おばさんという感じはしない。お姉さんだ)
エレナさんの肌はうっすらと上気して、酔いがほどよく回ってきている。母さんも珍しく飲んでいるので、白い肌が真っ赤になってきていた。父さんと一緒に飲んでることもあるけど、飲むと母さんは眠りが深くなって、なかなか翌日は目がさめない。
そんなとき、スーさんに朝食を作ってもらったりしたこともあった。母さんも息抜きは必要だし、お手伝いさんが来てくれているのは本当に助かる……それに、彼女にはとても世話になった。
「奥様、お食事の後のご入浴の順番はどうされますか?」
「ええと、そうねえ……エレナさんは一家で入った方がいいわよね。ヒロトはスーに入れてもらう?」
「えっ……? あ、あの、それって……」
今までそんなことは一度もなかったというか、スーさんが泊まりこむのは母さんが仕事で忙しく、朝食の準備が出来ないときくらいだった。その時も彼女は一人で入浴していたし……。
(い、いいのか……そんな。スーさんは俺の毒牙にかからずに終わるところだったのに)
自分で言うのもなんだが、もはや俺は吸乳鬼であり、俺と知り合った女性はほぼ全員毒牙にかかってきたのである。そうならなかった唯一の女性がスーさんだ。ある意味それは、俺のカルマを下げることに寄与していると言えなくもない――と思っていたのだが。
(……風呂だけなら、いいのかな?)
前世からすればありえないことなのに、俺はもう赤ん坊から続く女性のプロポーションとの戦いに慣れきっていた。そう、これは戦いだ。俺は女体を前にしても心静かに、賢者になることを強いられているのだ。一歳児がいやらしい笑みを浮かべようものなら、悪魔の子扱いされてしまう。すでにパメラに言われたけど。
「あたしが入れてあげてもいいけど、ステラが恥ずかしがりそうね」
「わ、わたしは……は、はずかしい……」
「おう、そうか。でもお兄ちゃんとは一緒に入るんだよな?」
「ぼくは一人で入れますから大丈夫です。三歳から、いつもそうしていますから」
どこまで出来てるんだお前は、と突っ込みたくなる。アッシュ・ザ・セイントという二つ名を与えたいくらいだ。灰色の聖人、なんだかすごそうではないか。
「俺は最後に風呂掃除がてら入るとしよう。湯を沸かしてくるから、少し待っててくれ」
「あなた、お願いね。私はお酒が回ってるから、今日は身体を拭くだけにして明日に入らせてもらうわね」
「たまには女同士で入らない? うちの子も一緒だけど。ステラ、レミリアと一緒ならいいでしょう?」
「うん、わかった。レミリアさん、よろしくお願いします」
「あら……そう言われると、入らないわけにもいかないわね」
エレナさんは仕事を頑張ってくれた母さんを労りたいようだ。風呂の中で大人の女性が仲良くしているというのも、なかなか風情のある光景なのではないか。
◇◆◇
アッシュはリカルド父さんの前に入るというので、俺とスーさん、レミリア母さんとエレナさんとステラ、アッシュ、父さんの順番になった。
脱衣所で、いつもおさげをしているスーさんが、丸い宝珠の飾りを外す。髪にくせはついておらず、さらりとした黒髪のストレートヘアに変わる。今まで一度も見たことがなかったので、正直見とれてしまった。
彼女は無表情のままでエプロンを外し、その下に着ている黒いワンピースドレスを脱ぎ始める。背中が露わになると、彼女はコルセットを身につけていて、それも外してしまう。どうやって着ているのか一見して分からなかったが、紐を緩めて外す瞬間、半分ほどカバーされていた胸があらわになる。それも全然躊躇しないので、俺は見ていいのか悪いのか分からず、あさっての方向を向いていた。
「坊っちゃん、恥ずかしがっているんですか?」
「あ……う、ううん。スーさん、着るのが大変そうな服を着てるなと思って……」
「毎日着ていると慣れるものです。外すと開放感があって良いですね」
スーさんは布を巻いて胸と腰の部分を隠し、俺の服を脱がせ始める。素っ裸にされた時はもう好きにしてください、と言いたくなったが、彼女は変わらず落ち着いているので、俺も冷静になろうと思った。
彼女に身体を洗ってもらったあと、ぬるま湯で流してもらう。そして振り返ると、彼女は珍しく微笑んでいた。
「スーさん、笑ってる……どうしたの?」
「すみません、坊っちゃん。弟のことを思い出したのです。弟はまだ幼く、私がお風呂に入れてあげることもあったのですが、頭を洗うのがいやで逃げ回っていました。坊っちゃんより年上なのですが、甘えん坊が抜けなくて困ったものです」
「そうなんだ……ねえスーさん、おれも背中を流してもいい?」
「そんな……坊っちゃんにそんなことをしていただくわけにはまいりません」
「今日が最後なら、お礼がしたいんだ。スーさんは、おれのお願いを聞いてくれたし……うちのことだって色々やってくれて、お母さんもすごく助かってるって言ってた。だから……」
スーさんはしばらく迷っているようだったが、やがて俺に微笑みかけると、胸を覆っているタオルに手をかけた。そして、俺の目の前で外してしまう。
ふるん、とまろび出てきた乳房は、雪のように白かった。ピンク色の部分が鮮やかな色彩を持って俺の目に映る――俺を洗っているあいだ、少し肌寒かったのか、その部分は柔らかくはなくなっているように俺には見えた。
「では……お言葉に甘えさせていただきます」
「う、うん……くすぐったかったら言ってね」
俺はタオルを泡立てると、繊細そうなスーさんの肌を痛くさせないように、ゆっくり丁寧に彼女の背中を流した。リーチが短くても、彼女が座っていてくれれば、なんとか全面に手が届く。
風呂の椅子は木の板に足をつけてあるようなものだが、その天板にお尻を乗せるとどうなるか……というのは、母さんの背中を流したときにすでにこの目で確かめている。むっちりしているものは、むにゅっと変形するのだ。それを見た時にいつも俺は思う、バストにばかり目がいきがちだが、他に大切なものがあるんじゃないのかと。
「んっ……坊っちゃん、少しくすぐったいです」
「あっ、ご、ごめんなさい……スーさん、背中は全部洗えたよ」
腰のあたりが弱かったみたいで、普通に洗っただけでもスーさんは敏感に反応する。彼女がそんな反応をすることはまずないと思っていたので、かなりドキドキしてしまう。
コルセットをつけているからなのか、彼女の腰のくびれは凄いことになっていた。けれどお尻にはしっかりボリュームがあるものだから、スーパーモデルにでもなれるんじゃないかと思ってしまう。エターナル・マギアにそんな職業はないのだが。
タオルを渡すと、彼女は胸などを自分で洗い始める。俺は見ていていいものかどうか分からず、とりあえず天井を見たりして時間を潰そうとする――すると。
「……坊っちゃんに、一つお伝えしておきたいことがあります」
「え……?」
そう言ってから、しばらくスーさんは続きを言わなかった。彼女が身体を洗い終えて、今度は俺が桶にお湯を汲んで、彼女の肩からかけて流す。すると、スーさんは俺の方を振り返り、今までにないくらい真摯な瞳で見つめてきた。
「私は……本当は、ただのメイドではないのです。ギルドから来たというのは本当ですが」
「そ、それって……母さんのことを、騙してたってこと……じゃないよね。スーさんはそんな人じゃない」
「そう言っていただけると、気持ちが楽になります。しかし、メイドとしてお勤めする以外に、この家に来なければならない理由があったというのは……やはり、奥様に対しても、ヒロト坊っちゃんに対しても、決して良いことをしているとは言えないでしょう」
「……おれたちに、悪いことをしようとしてるわけじゃないのなら。おれは、気にしないよ」
短い間ではあったが、俺もスーさんの働きぶりを見てきて知っている。彼女が真面目に仕事をして、母さんの信頼を得たことを。
けれど同時に、気になってもいた。彼女は俺の「カリスマ」を無効化する装備をしている。名無しさんがつけている仮面のように。ただのメイドさんが、そんな装備をしているわけもない――と思ったのだが。
◆ログ◆
・「カリスマ」が発動! 《スー》があなたに注目した。
(そうか……フィリアネスさんの時と同じ、風呂で装備が外れたから……!)
これが最後のチャンスだと思うと、躊躇してはいられなかった。ずっと分からなかったスーさんのステータスが閲覧可能になっていることを確認し、表示を選択する――すると。
◆ステータス◆
名前 スザンヌ・スー・アーデルハイド
人間 女 16歳 レベル38
ジョブ:エージェント
ライフ:628/628
マナ :336/336
スキル:
ナイフマスタリー 55
格闘 45
軽装備マスタリー 28
執行者 32
恵体 49
魔術素養 26
母性 22
料理 36
メイド 21
アクションスキル:
投げナイフ(ナイフマスタリー10)
牽制攻撃(ナイフマスタリー30)
ブレイドストーム(ナイフマスタリー50)
パンチ(格闘10)
キック(格闘20)
投げる(格闘30)
サブミッション(格闘40)
スニーキング(執行者20)
暗殺術レベル3(執行者30)
授乳(母性20)
簡易料理(料理10)
料理(料理20)
パッシブスキル:
ナイフ装備(ナイフマスタリー10)
毒ナイフ(ナイフマスタリー20)
睡眠ナイフ(ナイフマスタリー30)
麻痺ナイフ(ナイフマスタリー40)
回避上昇(格闘術30)
軽装備(軽装備マスタリー10)
氷の心(執行者10)
育成(母性10)
料理効果上昇(料理30)
マナー(メイド10)
ベビーシッター(メイド20)
(エージェント……メイドはうちに潜入するためのフェイクで、そっちが本業……執行者って、これじゃまるで暗殺者じゃないか……!)
ナイフマスタリー50――これは相当な修練を積まないと取れない数値だ。ナイフは射程が短く、ダメージも低いので序盤は苦労するが、ブレイドストームを取得したところで世界が変わると言われていた。範囲内の敵にランダムに7回~12回攻撃するというこのスキルは、範囲をうまく調節すると単体の敵に12回攻撃を叩き込める可能性のある、ロマンと実用性を兼ね備えた強力なスキルだ。
こういう例があるので、俺は序盤に苦労するスキルほど後半にどんでん返しが待っているものだと思っていた。交渉術にしても、60から80までスキルが取れないという苦しみを超えたあと、一気に挽回する形になっている。
スキルを見てつい考察に耽ってしまったが、そんな場合ではない。こんなスキルを持っている人が俺の家に来た――その目的が、スキルから想像出来る行為、暗殺であるとしたら。父さんと母さんが……!
しかし、俺には何か事情があるように思えてならなかった。もし暗殺が目的なら、何の警戒もさせずに家に入り込んでいた時点で、彼女は行動を起こしていただろうからだ。それが、今日までメイドとしての仕事をして、それを終えてギルドに戻ろうとしている。
「……私は、ギルドの監視員なのです。ギルドに登録している冒険者の法に触れる行為や、ルール違反を監視して罰則を与える役割をしています。それだけではなく、『私たち』にはもうひとつ重要な任務があるのです。ここまでは、お分かりになりますか?」
「うん。そんなスーさんが、どうしてメイドなんて……」
彼女は何も言わずに立ち上がると、腰に巻いていた布を外す。その流れが全く読めずに、全裸を前にして頭が真っ白になった俺を抱き上げると、一緒に湯に浸かる。どうやら俺が風邪を引くと心配してくれたようだ。
スーさんは俺を後ろから抱きしめるようにしてくれる。肩のところにちょうど二つのうくらみが当たるが、彼女は全然気にしていないようだった――母性20でこの大きさは、補正抜きで大きいということになる。
「メイドは世を忍ぶ仮の姿です。ギルドの監視員は、色々な職業を経験し、それになりきって任務を果たします」
「……スーさんは、メイドの演技をしてたっていうこと?」
「……そのつもりだったのですが。この家では、想定外の事象がありました。それはあなたです、坊っちゃん」
「お、おれ……?」
身体を動かすと背中に触れている感触が鮮明になるので、俺は後ろを振り返ってスーさんの表情を見ることは出来ない。想定外というが、その声を聞く限りでは悪い意味には取れなかった。
「今日は坊っちゃんがモニカさんと外に出られたため、私も外に出る時間を取ることができました。申し訳ありませんが坊っちゃん、今日あったことの一部始終は見届けさせていただきました」
「っ……スーさん、ずっと見てたの……?」
「ええ。あなたが年の離れた女性たちと一緒に森に向かった時は、あらぬ胸騒ぎを覚えたものですが、それはまったくの杞憂でした。しかし魔物が出てきたときは、よほど私も戦いに加わるべきかと迷ったものです。けれど、坊っちゃんは自分たちのパーティを率いるだけでなく、他のパーティまで救ってみせた。何が起きているのか自分でもわかりませんでしたが、坊っちゃんは斧をお使いになる。まだ斧に『使われている』ようにも見えますが、魔物を倒せることに違いはありません」
スーさんは淡々と見てきた事実を話している。魔物と戦った俺を叱るわけでもなく、むしろ感心してくれているようだった。
「私も子供の頃から訓練を積みましたが、初めて魔物を倒したのは五歳の時です。坊っちゃんはまだ一歳……お父様が斧騎士として名を馳せたリカルド様であることを踏まえても、あまりにも成長が早過ぎる……」
「お、おれのことが変だって思ってるんだよね……ごめん、でもそれは、おれが……」
「坊っちゃんにはなにか秘密がおありになるのでしょう。それほど心と身体が、早く成長するほどの秘密が。このまま良い方向にその力を育て、お使いになれば、これから訪れるだろう出来事も、きっと乗り越えられます。私は、そう信じたいと思いました」
意外な方向に話が向かう。『これから訪れるだろう出来事』が、良くないことだろうというのは想像がつく――そして俺は、彼女が何のためにこの家に来たのかに思い当たった。
おそらく彼女は、父さんが魔剣の護り手であると知っている。フィリアネスさんとは別の経路で、父さんの様子を見るために派遣されてきたんだろう。
もしくは、もう一つ可能性がある。それを聞くこと自体に問題はないと思ったので、尋ねることにした。
「スーさんは、おれの父さんのことで家に来たの? それとも、母さんのほうかな」
「両方……と言っておきます。ご存知かもしれませんが、奥様はさる貴族の血筋の方なのです。奥様のご両親に会われたことはないと思いますが、おふたりとも、奥様をいつも案じていらっしゃいます。そのことはいつか、奥様に直接お伝えする機会があればと思っております」
「いまは、まだ言っちゃだめなんだね……」
「はい。坊っちゃんは、おじいさまとおばあさまにお会いになりたいですか?」
「ううん、お母さんがそうしたいなら会いたい。そうしないなら、まだ会わなくていいんだと思う」
「……坊っちゃんは、やはりお優しい。しかしお母さまにご心配をかけることだけは、もう少し慎まれた方が良いかと存じます。過ぎたことを申し上げますが、どうかお許しください」
過ぎたことなんて全然思わないし、俺はスーさんと話しているうちに、彼女を一瞬でも疑ったことを後悔していた。正体がギルドの監視者でも、そんなことは関係ない。彼女は本気で俺たち家族のことを考えてくれている。
俺が無茶をしているのも、本当は止めたいのだろう。しかしそうしないでくれた彼女に対して、俺はさらに無茶なお願いをしなきゃならない。
ジェスタとフューゴが、名無しさんも一緒にお酒を飲むと言ったときに見せた顔。それに気付いていて、何もせずに一晩過ごすというのは、少々気持ちが落ち着かない。
「あ、あの……スーさん」
「……坊っちゃん、何かお願いしたいことがあるのですね? お声のようすでわかるようになりました」
「え、えっと……ごめんなさい」
「いえ、謝ることはないのですよ。坊っちゃん、いかがなさいましたか。私にご遠慮なく申し付けてくださいませ」
エージェントなのに完全にメイドさんになっているスーさん。プロ意識がすごいというか、男はえてしてメイドに弱い生き物なので、俺も心をつかまれてしまう。
「スーさんも見ててくれたなら、知ってると思うんだけど、きょう、一緒に戦った人たちがいたよね」
「はい。そのうち一人は、坊っちゃんを物陰に引き込み、誘惑しようとしていましたね。あの時出ていくかどうか非常に迷いましたが、ウェンディさんが来てくれたので踏みとどまりました」
「ご、ごめん、ヒルメルダさんは何も悪いことしてないんだ。最初は仲良くなれそうになかったけど、本当はいい人なんだよ」
「……坊っちゃんはだまされているのです。あのような女は男性をたぶらかすだけがとりえなのです。まだ一歳の坊っちゃんを、あんないやらしい目で見て……許せません。奥様に代わって、やはりお仕置きを……」
「わぁっ、そ、それはいいから! スーさん、そうじゃなくて……」
ヒルメルダさんがよっぽど気に食わなかったらしく、スーさんの口調に珍しく熱がこもる。俺があわてて振り返ると、彼女はハッとして口を押さえていた。
「……申し訳ありません、さしでがましいことを申し上げました。今となっては、坊っちゃんのご友人と言ってもよい方でしたね。私は認めたくありませんが……」
「え、えっと……ヒルメルダさんもそうだけど、もう一人の名無しさんが心配なんだ。一緒にパーティを組んでた人たちと、お酒を飲んでると思うんだけど、あんまりいい人じゃないみたいなんだ」
「やはり……ジェスタとフューゴですね。彼らの行動はギルドにも苦情が寄せられていました。女性冒険者で、それなりの実力を持つ相手に寄生し、あわよくば強引に関係を持とうとする。それが原因でミゼールを離れざるを得なくなった女性冒険者もいます。今は、首都で新しいパーティに入って頑張っているようですが」
(や、やっぱり……あいつら、前からそんなことを……!)
急に心臓が高鳴り始める。『強引に』という言葉を聞いた途端に、居ても立ってもいられなくなった。レベルやスキルは弱くても、彼らも男だ。酔わされてしまったら、名無しさんやヒルメルダさんが危ない……!
「坊っちゃんには、あまり聞かせたくないお話ですが。年頃の女性をパーティメンバーに持つということは、彼女たちを守る必要があるということです。それは坊っちゃんが幼くとも、できるだけ意識するべきことです」
「うん、わかってる。小さくてもパーティなんだから、関係ないよね。関係ないって思ってくれる人じゃないと、仲間にはなってもらえないし……」
「良い仲間を見つけられましたね。ウェンディさんは真面目ですし、将来は良い戦士になるでしょう。モニカさんはすでに弓使いとして、ある程度完成されています。これからも彼女を頼りにすると良いと思います」
パーティメンバーを褒めてもらうのは、自分のことのように嬉しい。
しかし今はそれよりも、名無しさんたちのことだ。スーさんもそれは分かっているようで、俺を抱きかかえて風呂から上がった。
「私も彼女たちのことは気にかかっておりましたし、ジェスタとフューゴがこれ以上問題を起こすようなら、処罰を執行する許可も出ております。彼らは今日、すでに重大なギルド規約違反を犯しています。ひとつは、パーティメンバーを残して逃走したこと。そしてもし、パーティメンバーに自分の利益のために危害を加えるようなことがある場合は、即日冒険者資格の剥奪処分と、行為に準じた処罰を行わなくてはなりません」
「うん……何もないといいんだけど。スーさん、ついてきてくれる?」
スーさんに尋ねると、彼女はふっと笑う。人間らしいと言っては語弊があるけど、歳相応の少女らしい、自然な笑い方だった。
「坊っちゃんと、夜のお散歩に出かけたいと旦那様と奥様にお願いいたします。問題はございますか?」
「ううん、何もないよ。そうと決まったら急ごう、スザンヌさん!」
「……どこかでお伺いになったのですか? フルネームではなく、スーとお呼びください。奥様には、スザンヌという名前は申し上げておりませんので」
「あ……ご、ごめん、何か勘違いしてたのかな、あはは……」
「坊っちゃん……あなどれないお方。もう少し近くで、ご成長を見ていたかったところではありますが。私がジュネガン冒険者ギルドに所属している以上、いずれまたお会いすることになるでしょう。大きくなられたら、私のことなど覚えていないかもしれませんが」
そんなことはない、と俺は思う。彼女が俺の家を離れたら、次に会えるのはいつか分からないが――会った時は、必ず思い出す。なぜなら俺は、スキルをもらった人のことも、もらえなかった人のことも、決して忘れることはないからだ。
◇◆◇
スーさんが俺と夜の散歩をしたいと申し出ると、父さんと母さんは最後の思い出作りにと、あまり遠出をしないことを条件に許してくれた。それを守るわけにはいかないのだが、仕方がない。スーさんは実は父さんより強いから心配ない、と言うわけにもいかないし。
名無しさんたちが飲んでいるという『紅のバラ亭』は、ミゼールの市場通りから裏路地に入ったところに看板を出していた。しかしその看板が見えたところで、スーさんは俺を抱えたまま、物陰に隠れて息を潜める。
「やはり……ジェスタとフューゴは、罪を犯すつもりですね」
「っ……お姉ちゃんたちが危ない、スーさんっ……!」
紅のバラ亭から出てきたジェスタとフューゴは、それぞれに人を担いで運んでいた。ジェスタが運んでいるのがヒルメルダさん、フューゴは名無しさんをそれぞれ運んでいて、彼女たち二人は意識がないようだった。酒に強いと言っていた名無しさんが、簡単に潰れるとは思えない――つまり。
「あの脱力のしかたは……坊っちゃん、彼女たちは薬を飲まされたようです」
「……スーさん、絶対に見失っちゃだめだ。気づかれないように追いかけよう」
「ええ……参りましょうか。坊っちゃん、あなたの正義感に、私は深い敬意を表します。そしてあの男性二人に対しては……」
スーさんははっきり口にしなかったが、氷のように視線の温度が下がっている。
もし俺が居なかったら、彼女は男たちを殺してしまうんじゃないかと思う。それくらい、今彼らがしている行為は彼女にとって許しがたいことのようだった。
「スーさんはそんなことしちゃだめだよ。ああいう奴らには、それなりのおしおきがあると思うんだ」
「……申し訳ありません、坊っちゃんの前で……絶対に、お見せしたくはなかったのに」
「ちょっと怖かったけど、それだけ怒れるスーさんのこと、おれは好きだよ。おれも怒ってるから」
あっさりと言ったつもりだが、スーさんは俺を見て目を見開いていた。
暗闇に近い裏路地。淡い月明かりが照らす中で、彼女の頬が少し赤くなっているのが分かる。
「……私には身に余るお言葉です。だからこそ、大事にしまっておきましょう。行きますよ、坊っちゃん」
◆ログ◆
・《スー》は「スニーキング」を発動した!
・《スー》とあなたの気配が消えた。
(同行者の気配も消せるスキル……忍び足の上位互換じゃないか。これは便利だな)
スーさんのスキルのおかげで、俺たちは誰にも気付かれず、ジェスタとフューゴが向かった宿に入り込むことができた。
宿の主人に気づかれないように、ジェスタとフューゴの部屋のある二階に向かう。スーさんはドアから入らず、窓から外に出て壁伝いに屋根にするすると登り、屋根にある窓を音もなく開けて、中を覗きこんだ――すると。
「死んだみてえに寝てるな……こりゃ、朝まで目が覚めねえな」
「そうじゃなきゃ困るだろ。途中で目でも覚まされたら、ギルドに駆け込まれて面倒なことになるしな」
「その時はミゼールを離れりゃいいだけだろ。いざとなりゃ、隣の国に移ったっていいしな」
「別の国の女ってのもいいよなぁ。せっかく冒険者になったんだ、やれることはやって楽しまねえとな」
ふたつのベッドに、それぞれヒルメルダさんと名無しさんが寝かされている。男たちはそれぞれ服を脱ぎ始めて、まさに女性ふたりの服を脱がせにかかろうとするところだった。
(……ここまで下衆だと、殺されても文句は言えないんじゃないかと思えてくるな)
「やはりここで殺した方がいいかと思いますが、坊っちゃんに血を見せるのは、教育上よくありませんね」
「え、えっと……殺すの殺さないのっていってるだけで、けっこう良くないんじゃないかな」
「も、申し訳ありません。しかし、事態は一刻を争います。彼らが女性たちの身体に触れたら、その時は行動を開始します。方針はなにかおありになりますか?」
殺伐とした会話をしながらも落ち着いているのは、スーさんの実力ゆえだろう。彼女なら目を閉じ、手を縛られた状態でもキックだけで男二人を倒せるどころか、オーバーキルしかねない。
「とりあえず、おれに任せてみてくれないかな。考えがあるんだ」
「かしこまりました」
部屋の中では、ヒルメルダさんが革鎧の留め具を剥がされ、布鎧を短剣で引き裂かれようとしている――が、悪事もそこまでだ。
◆ログ◆
・あなたは「魅了」をアクティブにした。
・「魅了」が発動! 《ジェスタ》《フューゴ》は抵抗に成功した。
(運良くかわしたか……仕方ない。他にも手はある)
◆ログ◆
・あなたは《ジョゼフィーヌ》を呼び寄せた!
スライムを呼び出し、部屋に侵入させる。屋根から落下したスライムは、今まさに、名無しさんの胸に手を伸ばそうとしたジェスタの手前に落ちた。
ぼよんっ。
「う、うわぁぁぁぁっ! な、なんだこいつ、どこから出てきたっ!?」
「落ち着けジェスタ、騒ぐんじゃねえよ! 外に聞こえたらどうする!」
「――すでに聞こえておりますが。一歩も動かないでください。あなた方の全ての動きを、これより敵対行動とみなします」
「なっ……!?」
スライムに気を取られてジェスタが悲鳴を上げる直後、部屋の窓からスーさんが音もなく入って、両手にナイフを持って男たちに刃を突きつけていた。まさかスカートの中にナイフを忍ばせていたとは、俺も予想していなかった。
「お、俺たちはこいつらに頼まれて宿に運んだだけだぜ? これから何をしようが、私的な行動ってやつだろう。他人にとやかく言われる筋合いはねえよ」
「そ、そうだ……俺たちは何もしてねえ。『まだ』何もしてない俺たちに、ナイフを突きつける方がおかしかねえか? なあ、姉ちゃんよ」
「ふたりにどんな薬を飲ませたか、お医者さんが見ればすぐわかるよ。おじさんたち、観念しなよ」
天井から声をかけるが、男たち二人は上を向くことすらできない。
「が、ガキだと……まさか、あの女とつるんでたガキが……!」
「――坊っちゃんを卑しい声で呼ぶな、下郎が」
「うぐぁぁぁっ……!」
(あ、あれはサブミッション……片手ずつで、二人同時に見事に極めてる。痛そうだが、自業自得だ)
ナイフを持ったままの手でスーさんはジェスタとフューゴの腕をひねり、二人を行動不能にする。彼らが倒れてのたうち回っているうちに、俺も天井から飛び降りて、スーさんにキャッチしてもらった。
「坊っちゃん、いかがいたしましょうか? 彼らには、念入りな再教育が必要になるかと存じますが……」
「ひぃっ……わ、悪かった! もう女たちには何もしねえ、この町からも出て行く!」
「頼む、見逃してくれ! 俺には腹を空かせた子供が三人と、故郷に残してきた年寄りの母親がいるんだ!」
ジェスタの発言はともかくとして、フューゴの発言については、スーさんをいたく不機嫌にさせたようだった。
「フューゴ・ミゲストロ。ジュネガン南部の出身。結婚歴はなし。冒険者ギルドに登録してから8年、Fランクより昇格せず。家族構成は父、そして兄。何か反論はありますか?」
「ぐっ……な、何で俺のことを……て、てめえ、じゃねえっ、あなた様は、まさかギルドの……!」
「そんなことを告げる必要はありません。パーティメンバーの死の危険を知りながら敵前逃亡した罪、パーティメンバーに眠り薬を盛って略取した罪。私はいずれもこの目で見て確かめています。あなた方には、これより処罰が執行されます」
「お、女一人に何ができるっ……うぎゃっ!」
ジェスタが逆上してスーさんに掴みかかろうとしたので、スライムを足元に設置して足を絡め、転ばせる。
「っけんなぁぁっうぼぁっ!」
フューゴもスーさんに挑みかかるが、彼女はその攻撃をかわすと、手刀で沈める。ボディを攻撃しないのは、彼らが酒を飲んでいるからだろう。狙う場所によっては、悲惨なことになりかねない。
「坊っちゃん、あとのことはお任せください。彼らは女性を辱めようとしましたので、同じだけ辱めを受けてもらいます。それが、私の処罰の方針なのです」
「うん。本当にありがとう」
「……恐れながら、どういたしまして、と言わせていただきます。坊っちゃんはどうされますか?」
「おれは、二人のどちらかが起きるまで待ってようと思う。あとでスーさんと一緒に家に帰るよ」
「かしこまりました。それでは、広場の近くにおりますので。坊っちゃんを見つけたら、すぐに迎えに上がります。二人が起きたら、これを飲ませてあげてください」
スーさんは俺に水筒を渡し、恭しく頭を下げると、男たち二人の襟首をむんずとつかんで、荷物でも運ぶかのように軽々と運んでいった。彼らがどうなったかは、あとでスーさんに聞かせてもらうとしよう。
◇◆◇
名無しさんたちの目覚めを待っているうちに、俺は座ったままでまどろんでいた。
◆ログ◆
・――――――――になった。
(ん……なんだ……?)
何かログが出たような気がしたか、しばらく意識がはっきりしなくて流れてしまった。
「う……ん……」
そのとき、ちょうど名無しさんが目を覚ました。ベッドの上で身じろぎをして、起き上がる。俺は水筒から水を注いで、起き上がった名無しさんに差し出した。
「ヒロト君……なぜ、ここに? というか、小生は……痛っ……」
「ムリしないほうがいいよ。あの男の人たちに、眠り薬を飲まされちゃったんだ。でも、大丈夫だよ。頼りになる人が助けてくれたから」
「……君が助けてくれた、と考えるところだけどね。けれど、夜中に小さな男の子が出歩いていることも、心配ではある。それより何より、小生はこう言うべきなのだろう……ありがとう、と」
少し混乱しているみたいだったけど、名無しさんは口元に微笑みを浮かべて、俺の頭を撫でてくれる。そして水を受け取って、喉をうるおした。
――けれど次の瞬間、仮面の下で、名無しさんが涙をこぼす。それはまだ赤みを残した頬を伝って、ぽたぽたと彼女の膝の上に落ちた。
「ほ、本当に大丈夫だよ。おれ、二人が酒場から出てくるところからついてきたから。名無しさんは、何もされてないよ」
「……いや。そのことを心配したわけじゃない。自分は何をしているのかと思ってしまってね……ヒロト君は、そんなことを言われても困ってしまうだろうけれど。仕方ない大人で、すまない」
「ううん。大人だって、泣きたいって思うことはあるよ。うちの父さんと母さんは、泣かないけどね……わっ……」
一瞬、冗談を言って怒られたのかと思った。けれど違っていた。
名無しさんは床に膝をついて、俺を抱きしめていた。その肩が震えていて、胸が締め付けられる。
「小生は、自分が女として見られることはないと思っていたんだよ。男に対して興味もないし、襲われるだなんて想像してもいなかった。そうすることで、小生は自分を保とうとしていたんだ」
「……名無しさんは、何かつらいことがあったの?」
「……なぜだろう。誰にも言うつもりがなかったのに、ヒロト君には……君がまだ、小さいからだろうか。そう言い訳をさせてもらっても、いいんだろうか」
「いいよ。おれで良かったら、どんなことでも聞くから」
しばらく抱きしめられているうちに、背中をぽんぽんと撫でられる。いつの間にか俺の方があやされてるみたいになって照れてしまった。
名無しさんは身体を起こすと、乱れてしまっていた髪を整える。するといつもの彼女に近い姿に戻るが、涙のあとが頬に残ったままだった。それを苦笑しながら拭うと、彼女は俺を抱え上げてベッドに座り、膝の上に乗せてくれた。
「つらいことといえば、そうかもしれない。小生は、約束をしていたんだよ」
「……約束?」
「友人との約束さ。けれど、それはどうやら果たせなくなってしまったみたいでね。それでも、あきらめきれなかった。小生はそのために、こうして冒険者をしているんだ」
「そうだったんだ……その友達は、名無しさんの大事な人だったの?」
「大事だといえばそうだね。けれど、君のお父さんとお母さんのように惹かれ合っていたわけじゃない。そんな関係にはなりえなかったけれど、彼のことを尊敬していたんだ。とても遠くて、会うことなんて出来ない存在だったけれど、小生にとっては大事な友人だった。彼がそう思っていたかは、今となっては分からないが」
彼女の話はあいまいなところがあって、うまく掴みきれないけれど、その約束がとても大事なものなのだということは十分に伝わってきた。
俺にも果たせなくなった約束がある。前世で、ギルドの仲間と共に、世界が終わるまで一緒にいようと誓った。アカウントハックは、俺にそれを望む権利すらも奪っていった。ずっとみんなを引っ張っていた俺には、自分が引っ張られる立場になることが耐えられなかった――それを狭量と言われても否定は出来ないが、当時の俺には、人を殺す理不尽が世間に溢れすぎているように思えてならなかった。
「性格が合わなくても、仮面をつけた小生を迎えてくれるパーティは、ジェスタたちだけだった。一人で進めることも考えたけれど、いずれは行き詰まるような気がしてね。彼らに女として見られているのも分かっていたけど……小生がそうしなければ、何も起こらないと思っていた。結果は、見ての通りさ」
「……それで、名無しさんは泣いたの? 仲間が、ひどいことをしたから」
「そうじゃない。こうなって初めて、小生は自分のことが大事だと思った。それが遅すぎると思って、自分のふがいなさに泣いたんだ。ヒロト君には、やっぱり少し難しいだろうか……」
「そんなことないよ。それなら、これから自分を大切にすればいいんだよ。おれも、名無しさんが大事だから、そうしてくれるとうれしいよ」
ジェスタとフューゴと一緒に酒を飲むことが危険だとわかっていながら、名無しさんは義理立てを優先した。けれど本当は、女性として身を守ることを再優先すべきだったと、今は気がついたということだろう。薬さえ飲まされていなければ、彼らより強い名無しさんは身を守ることが出来たはずだし、名無しさんが無茶をしたとばかり責めることはできない。まして、ヒルメルダさんもいたのだから。
仲間に薬を盛るなんてことはありえない、そう名無しさんとヒルメルダさんは信じた。しかしあの二人は、その信頼を最悪の形で裏切ったのだ。スーさんのお仕置きは苛烈になりそうだが、そこは甘んじて受けてもらいたい。
「……大事だという言葉を、小生のような変わり者にもかけてくれる。ヒロト君が慕われている理由がわかるよ。小生も、羨ましいと思っていた……けれど子どもと冒険をする彼女たちに、反感に近い気持ちもあった。それも、うらやましいと思っていたからなのかもしれない」
「う、うらやましいって……どうして?」
「女性は男性に守ってもらいたくなるものみたいだね。小生も、今気づいたことだけど……起きてそばにヒロト君がいたとき、とても安心したんだ。君はこんなに小さいのにね……」
後ろから包み込むように抱きしめられる。胸の鼓動が背中にとくとくと伝わってきて、それが少しずつ落ち着いていく。俺が安らぎになるなら、ずっと抱きしめてもらっていて構わないと思った。それくらい、俺は彼女たちを助けられたことに安堵していた。
「……どうやって、抜けだしてきたのか分からないけれど。早く帰らないと、お母さんを心配させてしまうね」
「うん……そうだね。名無しさんは、自分の宿に戻るの?」
「そうしなくてはね。けれどその前に、伝えておきたいことがあるんだ。小生を、ヒロト君たちのパーティに入れてもらえないか? 小生に出来る限りのことをして、役に立つように心がけるつもりだ。だから……」
◆ログ◆
・《名無し》があなたのパーティに参加申請を出しています。許可しますか? YES/NO
法術士の彼女が加わってくれればとても助かる。けれどそれ以上に、俺は彼女の人となりを気に入っていた。
「おれの方こそ、お願いしようと思ってたんだ。よろしく、名無しのお姉ちゃん」
「……すまない、名乗ることができなくて。冒険を続ければ、いずれこの仮面を外せる日も来るかもしれない。そのときは、すべてを話すことができると思う」
「うん。おれのパーティに一回入ると、なかなか出してあげられないよ。それは覚悟しておいてね」
「ふふっ……それは恐ろしい。役に立たない術士と言われないように、精進しなければね」
名無しさんは久しぶりに笑うと、しばらく黙って、俺を後ろから抱きしめ、頭を撫でてくれていた。
心地良いけれど、母さんやサラサさんのような、そばに居て眠たくなる感じとは違う。フィリアネスさんのように胸が少し高鳴るけれど、それとも違う。
名無しさんに対しては、俺は他の誰とも違う安らぎを感じた。出会ったばかりの彼女に対して、どうしてそう思うのか、自分でも不思議だった。
「……ヒロト君は、フルネームは何と言うのかな。そういえば、聞いていなかったね」
「おれは、ヒロト・ジークリッドっていうんだ」
「ジーク……リッド……」
名無しさんはその音を確かめるように繰り返す。頭を撫でる手の動きも止まって、何かを考えているみたいだった。
「……いい名前だ。勇敢なヒロト君によく似合う、勇気を感じる響きだ」
「そ、そうかな……父さんや母さんも照れると思うよ、そんなにほめてもらったら」
「そうか、父君と母君もジークリッドなのか。なるほど……それは興味深いね……」
その言葉に込められた感情は複雑で、嬉しいようで、それとも違うようで、俺には判別できなかった。
彼女は何も言わず、俺を持ち上げてベッドに座らせる。そして身を乗り出し、俺の頬に触れてきた。
「っ……な、名無しさん……?」
「私は君に、女である自分を守ってもらった。それならば、女として君に何かお礼をするべきだと思っている。変だと思うかもしれないが……そうしたい、と今話していて思った。急だと思うかもしれないが、君はそれだけのことを私にしたんだ。そういうことだと思って欲しい」
「お、おれは、そこまで言ってもらうようなことは……何も……」
「……本当は、小生は理由が欲しかったのかもしれない。君にこれだけのことをしてあげようと思う理由を……んっ……」
(な、なんだかおかしいぞ……これって、まるで魅了状態のときみたいな……あっ!?)
さっき起きる前に、何かログが出た気がした。あれって、状態変化のログだったんじゃ……そうだ、ジェスタとフューゴを無力化出来るかと思って、魅了をオンにしたままだった……!
気が付くと名無しさんは、ブレザータイプの服のボタンを外して前を開けていた。その下にはキャミソールのような肌着を身につけている。母さんも持っているが、この類のアイテムはかなり貴重だ。
唇にルージュを引いてる件といい、名無しさんは女性らしい気遣いをしている。女として見られると思ってない、なんていうのは本心じゃない。
(何か理由があって、強がってたのか……い、いや、そんなことを考えてる場合じゃ……っ、うわっ……!)
その境界を超えるのは、とても難しいことのはずなのに。おそらく魅了状態にある彼女には、そんなことはまるで関係がない。
肌着の裾を摘んでそろそろとめくり上げると、その下にある、ウェンディより大きくて、釣り鐘みたいな形をした、ワガママな姿をした丘陵が姿をあらわした。
その仮面をつけて肌をさらしている姿がやたらと扇情的に感じる――彼女は他の全てを脱いでも仮面だけはつけたままなのだろうけれど、その姿はどんだけフェチズムに満ち溢れているのだ、と驚嘆せざるを得ない。変わった口調や、体型を隠す服装でカムフラージュしているが、名無しさんはとても女性らしい人だった。
名無しさんは一度俺の目に見せたあとで、あらためて手で胸を隠す。ふにゅっ、と隠し切れない部分がはみだすさまを見て、俺の理性は一瞬飛んでしまった。
(なんてことだ……パーティに三種類の美乳が揃ってしまった。これぞまさに三種の神器……!)
そんな理由でパーティメンバーを選んでいたわけではないのに、くやしい……むしろ嬉しい。いや、そうじゃなくて。おっぱいは全てじゃなくてほとんどだけど、そうじゃないんだ。違うんだ。
しかし魅了をオフにしておけばこうはなっていないわけで。計算通りと言われても否定出来ない。俺は携帯ゲーム機をスリープ状態にして放置するタイプだったが、それと同じじゃないだろうか。こまめに電源をオフして、エコロジーに生きるべきだった。まるで進歩していない。
しかしカリスマがかかっていないので、一歳の俺は歳相応に見られるはずなのに……な、なぜ女性の武器というか、身体で俺にお礼をしてくれようとしているのだろう。今の会話でそう思ったと言われたけど、どこにその要素があったのか見当もつかない。俺のデータテニスは完璧なはずなのに。いや、テニスは関係ない。
「ヒルメルダもいるけれど、彼女はすでにヒロト君にぞっこんだったからね……森で何があったのか聞いたけれど、そうしたら教えてくれたよ」
「そ、それは、その……お、おれ、お腹がすいてて……ってことじゃだめかな?」
「だめじゃないさ。一度は試してみたかったということもある……いや、それは言わない約束だね。ヒルメルダに先にされるのは、少し引っかかるところがある……ということにしておこうか」
◆ダイアログ◆
・《名無し》が「採乳」を許可しています。実行しますか? YES/NO
こ、こんなことしに来たんじゃないのに。パーティに入ったら採乳させてもらおうなんて思ってたわけじゃない。
じゃあNOを選べばいいじゃない、と天使の俺が言う。
どうせこれからもチャンスがあったらお願いしたいんだろ? YES一択だと悪魔の俺が言う。
法術スキル10になるまで採乳させてもらわないと、自分でスキルを使ってレベルを上げることが出来ない。しかし彼女から教えてもらうことは可能なのである。絶対採乳しないといけないわけじゃない。
(あ……ダイアログが消えた。貴重なチャンスが……!)
迷っているうちに選択ダイアログの表示時間が切れてしまった。名無しさんは胸を手で隠したまま、少し切なそうな顔をしている……これだと、俺がおあずけをしたみたいになっているような……。
「……ヒルメルダが先の方がいいということかい? 小生は……いや。私には、そういう方向の関心は持てないということかな」
「そ、そうじゃなくて、あのっ……お、おっぱいは、大事なものだから……!」
俺は一度断りましたよ、という体にするのか、考えたなと悪魔の俺が言う。
おっぱいは大事にしなきゃね、敬うべきものだねと天使の俺が言う。
ここに天使と悪魔の意見が、間接的ながらも一致してしまった。天使と悪魔が一体化し、最強に見える。欲望に正直になったともいう。
(ずっと小生って言ってた名無しさんが、恥ずかしそうに『私』って言ってるんだぞ……ここまでされて、何もせずにおくのか? そっちの方が残酷じゃないか……彼女が魅了状態なんてことは、この際度外視するべきだ)
自分を納得させるのは簡単である。なぜなら自分だからである。本当はどう思っているのかなんて、俺が一番良くわかっている。新しいおっぱい、もといバストを目の前にしたとき、考えることはひとつだ。どんな形でもいい、指先だけでもいいので触れて、彼女のスキルエネルギーの恩恵に預かるべきだ。
彼女がヒルメルダに対抗して採乳させてくれようというのは、何か女心につけこんでいる気もしなくもない。いや、前世なら異性の心を射止めるために採乳するという選択はまず出てこないのだが――異世界は業が深い。
「……やはり『私』と言うと恥ずかしくて、死にたいくらいだ。しかし小生というと、それは女らしくない。今さら女らしくしたところで、ヒロト君の心を動かせるわけでもないのに……すまない。浅はかだった」
(み、魅了されてなお、胸をしまう……だと……!?)
初めての経験だった。差し出されたものが下げられようとしているのだ。俺は別に「この胸を出したのは誰だぁっ!」と言ったわけでもなんでもないのに。むしろ、これから触らせてもらいたいと思っていたのに。
頭の中がおかしくなりそうだ。モニカ姉ちゃんに寸止めを食らい、ヒルメルダさんの魔物使いスキルをもらうこともできず、そして今なお、魅了にかかった名無しさんが、俺の気持ちを勘違いして胸をしまおうとしている。
(一歳だろうがもう関係ない……俺は俺にできることをする……ベストを尽くす!)
「な、名無しのお姉ちゃんっ……!」
「っ……ヒロト君……?」
俺が取った行動――それは土下座だった。ベッドの上で小さな身体を折り曲げ、シーツの上に額をつけての、美しいまでの土下座である。DOGEZA、それはまごころを伝えるためのストロングスタイル――俺は謝罪したいのではない、ただ伝えたいのだ。
「……お、おれ、お姉ちゃんの、お、お……おっぱいにさわりたい……!」
もはや交渉でも何でもない、泣き落としである。俺はもう耐えられない。これ以上寸止めされたら気が狂ってしまう。
赤ん坊のとき、いかに恵まれていたのか。ウェンディがいつでも触れさせてくれる、それはとてもありがたいことだが、それとこれとは話が別なのだ。ハーレム願望とかそういうことじゃない、少しでも多くのおっぱいに触れたい。きっと誰もがそう思っていて、幼い頃に抱いた夢を忘れて大人になってしまう。それってとてもさびしいことだと思う。色々頑張ったのに小学生並みの感想になってしまった。
「……ヒルメルダより、私の胸に触りたいのかい?」
「う、うん……触りたい。見せてもらって、すごくきれいだと思ってた」
「そうか……まだ幼い君を相手に、こんなことを思うのも何だけれど。こんなに嬉しいと思ったのは、生まれて初めてかもしれない」
しまわれかけた乳房が帰ってくる。桜の季節が舞い戻り、俺の心に花吹雪が吹き荒れる。どんだけ喜んでいるんだと思うが、嬉しいものは嬉しいのだからしょうがない。
ベッドに座った俺の前に、名無しさんが触りやすいように胸を差し出してくれる。恥じらいながらも見せてくれているその姿には、俺の胸を打つものがあった。
「……初めは、そっと触るんだよ。そう、そっと……」
震える手が、輝きを放ち始める。真っ暗な部屋の中で、俺の手のひらが放つ光に照らしだされた名無しさんの胸に、俺は壊れ物を扱うように優しく触れた。
◆ログ◆
・あなたは《名無し》から「採乳」した。
・「法術士」スキルが獲得できそうな気がした。
(名無しさんのエネルギーが、俺の中に……何だろう。この、懐かしい感じは……)
ビリビリと手のひらがしびれるような感覚。それすらも心地よくて、俺は名無しさんの胸に触ったまま、なかなか手を離せなかった。
すると白いしずくが溢れてきて、胸の丘陵を滴り落ちる。それを手のひらで受けて舐めると、乾いていた喉が潤されて、もっと飲みたいと思ってしまう。
「……ヒロト君は不思議な力を持っているね。選ばれし者……やはり、君は私が思っていた通り……」
名無しさんは夢見るように言いながら、再び俺の手を取る。そして、乳房の下側にふにゅ、ともう一度触らせてくれた。
◆ログ◆
・あなたは《名無し》から「採乳」した。
・あなたは「法術士」スキルを獲得した! 世界の理を秩序立てて理解し始めた。
(よし! ありがとう、名無しさん……!)
「好きなだけ触れていいんだよ……夜は、まだ長いからね」
まだスキルを上げていい――そう言われて、応じない俺ではなかった。術士である名無しさんのマナは高く、まだ全く枯渇しそうにない。
「……優しく触るんだね。そんなに小さいのに、もう女性の扱いを分かっている……君っていう子は……」
名無しさんの声は、響きが凄く心地良い。この声を聞きながら、いつまでもこうしていたいと思わされる……スーさんが待っているから、もう行かなくてはいけないのに。
「……まさか、起きたらこんなことになっているなんて。人生ってわからないわね」
「っ……ヒルメルダさん、こ、これは……っ」
ヒルメルダさんも起きてきて、腕を組んでこちらを見ていた。彼女は少し頭が痛そうにしていたが、置いてある水筒を見て、何も聞かずに水を飲み、口元を拭ってこちらにやってくる。
「……小生のことを、軽蔑するかな? 一歳の男の子と、こんなことをしていていいのかと」
「ひとつ勘違いしているかもしれないけど、私はあの男たち二人より、あなたの方を信頼してパーティに残ってたのよ。そうじゃなかったら、今日まで続けてはいなかったわ」
「だから……見逃してくれるっていうのかい?」
「ええ。だって、これから共犯になるんだもの……坊やはまだ物足りないって顔をしてるわよ」
シリアスなやりとりのように見えて、そうでもなかった。二人ともふふっと笑い合うと、それで和解してしまう。もしかしなくても、二人の仲は悪くなかったということだろう。
彼女は布鎧をはだけて上半身をあらわにする。名無しさんより一回り以上大きくて、外向きに垂れてしまいそうなところを、張りで保っている、何とも言えない艶美さを持つ胸だった。
「……坊やは、大きいことはいい方だと思うのかしら? それとも、名無しくらいの方がお好みかしら」
「今のいままで、夢中になってくれていたからね。小生の方だと思いたいけれど……どうかな?」
(どっちも甲乙つけがたい……僅差で名無しさんかな。いや、ヒルメルダさんも……)
本気で悩んでしまい、答えが出ない。女性の胸に優劣をつけるなんて、俺には考えられないことなのだ――ということにしておこう。僅差で名無しさんが上、とスカウターは示しているのだが。
「ねえ名無し、この宿ってあの人たちが借りてた部屋? たぶん私たち、お酒に何か入れられたのよね。でも、いつも安宿に泊まってたはずなのに、今日は違う宿じゃない」
「そうみたいだね。まあ、何のためかは想像がつくけれど……残念だったね、としか彼らには言ってあげられない」
「こんなことしたら、冒険者の資格停止か、剥奪になるっていうのにね……馬鹿な人たち。私たちに、そこまでする価値があったっていうことでしょうけど。あまり嬉しくはないわね」
ヒルメルダさんは苦笑しながら、名無しさんから俺を取り上げ、ベッドに寝かせて寄り添うように寝そべる。
「せっかくいい宿を借りたのに、こんなふうに使われるなんて、思ってもみなかったんじゃない? ねえ坊や、そう思うでしょう」
「ヒロト君には、そういう話は早い……と言いたいところだけれど。大人の話が分かっているのなら、そういった男女の機微も理解できているだろうね。まったく、気が抜けない」
「あら、女として初めて意識したのが、こんな小さい男の子でいいっていうこと? すごい趣味ね」
「あ、あまり言われたくないな。ヒルメルダこそ、何をしようとしているのかな? 添い寝してそんなふうにだらしない胸を強調して、ヒロト君を誘惑しているのかい?」
「そうなのよね……そろそろ、胸を支える肌着を買わないと。知ってる? 革新的な下着が、他の大陸から輸入されてきたらしいわよ」
(ま、まさか……ブラジャーが他の大陸で発明されたのか……!)
エターナル・マギアにもちろんブラなんて装備はない。水着のビキニ装備はあったので、ブラがあっても何らおかしくはないのだが。水着は恥ずかしくないもん、と胸を張ることができても、ブラジャーを見せるのは恥ずかしいのだ。何の話をしているのだろう。
「……小生もそれは聞いたことがあるけれど、白金貨5枚もすると聞いている。ヒルメルダは入手する前に、垂れぎみになってしまうんじゃないかな」
「まあ、それでもいいんだけど。垂れるとか言わないで、そんな歳じゃないわよ。ねえ坊や」
おっぱいをさらけ出したままの女性二人と、世間話に混ぜられる俺。前世での子供の頃、母親と一緒に女子更衣室で着替えていたときのような……いや、それとはまた違うか。
「ふふっ……眠たくなってきちゃった? ぽーっとしてるわね、坊や」
「あ……う、ううん。おれ、まだ眠くないよ」
「そうよね……でも、そろそろお家に帰らなきゃ。その前に一度だけ……お昼はあげそびれちゃったしね」
「っ……そ、そんなことをしていたのかい? 小生たちは、コボルトリーダーのドロップ品を集めていたのに……ヒルメルダに誘惑されてしまったんだね。かわいそうに、ヒロト君」
「どうして可哀想なのよ。この子のほうから……いえ、それは言わないお約束ね」
つん、とほっぺたをつつかれる。この人もやっぱり悪い人じゃないよな……ちょっと不真面目なところがあるだけで。まあそんな彼女に胸を触りたいとせがんだ俺は、まったく人のことは言えない。
◆ダイアログ◆
・《ヒルメルダ》が「採乳」を許可しています。実行しますか? YES/NO
・あなたは《ヒルメルダ》から「採乳」した。
・あなたの「恵体」スキルが1上昇した!
(くっ……そっちじゃない……!)
添い寝したままでふくらみを差し出してもらい、触れさせてもらったというのに、職業固有スキルじゃなくて、種族の固有スキルが上がってしまった。
「坊やの光る手で触られると、気持ちが穏やかになるわね……」
「小生も驚いたけれどね。ヒロト君には特別な力があって、そうすることが出来るのかもしれない。仮説にはなるけれど」
「採乳」の神秘が、ついに他の人にも知られてしまった……しかし二人が言いふらしたりもしないだろうし、たぶん問題ないだろう。今はそれより、俺には抜き差しならない問題がある……!
「あ、あの……ヒルメルダさん……」
「もう一回さわりたい? ふふっ……でも、名無しが見てるからだめよ」
「っ……そ、そんな……」
「そんなさみしそうな顔しないの。坊やが私の顔を覚えてたら、また会ったときに触ってもいいわ。その時は、立派な男性になっていると思うしね」
「……そこまで触りたいと言っているなら、触らせてあげてもいいんじゃないかな? 小生は、そこまでヒロト君を束縛はしないよ」
(名無しさん……ありがとう。俺の気持ちを代弁してくれて……でも……)
採乳は一期一会である。一回でスキルを得られなければ、それが運命ということもあるのだ。
魅了されてもなお、胸をしまってしまう人たち……そういう場合もあると教えられた。まったく、異世界は奥が深い。いや、異世界とかは関係ないかもしれないが。
ヒルメルダさんは服を着直してもなお、落ち着かなさそうにしている。自分で言っておいて、名残惜しそうな顔をするなんて……くっ、俺の気持ちをどこまで弄べば気が済むんだ……(逆ギレ)。
「……こんな気持ちになるなんてね。坊や、ひとつ勉強になったわ」
「っ……あ、ありがとう」
「そこはお礼を言うところなのかな……まあいいけれど。ヒルメルダに美味しいところを持っていかれてしまったけれど、小生に興味をなくしたりはしていないかい?」
「う、ううん、全然そんなことないよ。名無しさんには、これからもお願いしたいし……」
「名無しはいいわね、この子と一緒にいられて。この子は見込みがある子だから、育ててあげなさいな。甲斐甲斐しく尽くしたら、大人になった後の見返りも大きそうだしね」
「小生はそこまで役得づくで動いたりはしないけれどね。これから、できるだけ一緒に冒険したいと思っているよ」
ヒルメルダさんと名無しさんは朗らかに話しつつ、乱れた服を整える。ようやく視界の肌色が減り、落ち着いて話せる状態になった。
「この子は私がいなくても、他の人たちに支えられて大成していくだろう。私はそのうちの一人になれればいい」
「……私、なんて。普通に言えるんじゃない。どうして、変な言い方してたの?」
「言ってしまえば、女として自信がなかったからだよ。でも、ヒロト君が自信を与えてくれた……これからもお願いするなんて、私の方から言おうとしていたのにね。君は本当に、人の心をつかむのが上手だ」
「そ、そんなことないよ。みんなが、いい人だから……おれは、我がまま言ってるだけだし……」
そう言ったところで、二人がベッドに座った俺に左右から近づいてくる。何をされるかと思うと……。
「……んっ」
「ちゅっ……ふふっ。キスマークはさすがにまだ早いわね」
「えっ……な、なんで……?」
二人同時に頬にキスされて、俺は一気に混乱する。けれどそんな俺を見て、二人は悪戯っぽく微笑むばかりだった。
「さあ……なぜだろうね。その答えは、おいおい明らかになると思うよ」
「名無しに同じ、っていうことにしておくわね。また会いましょう、坊や」
俺は名無しさんに抱っこされて部屋を出て行く。ヒルメルダさんは出て行く前に、『貸したお金は返さなくていいわ』と書いた紙をベッドの上に残していった。
(どんだけ甲斐性がないんだ、あの男たちは……)
そんな人たちの面倒を見ていた、という形になるんだろうか。本当に良かった……取り返しのつかないことになる前に、色々と解決できて。
◇◆◇
名無しさんは俺を町の広場まで連れて行くと、ヒルメルダさんと一緒に自分の宿に帰っていった。二人に手を振ってその姿が見えなくなるまで見ていると、振り返ってビクッとしてしまう。そこには、いつの間にかスーさんが立っていたからだ。
「す、スーさん……びっくりした。あのふたりは、どうしたの?」
「吊るしておきました」
「つ、吊るす……? どこに、どうやって?」
スーさんは両腕を広げる。なるほど、十字架にはり付ける感じで……って。
「ギルドの目の前に、二人を裸にしてはりつけにしておきました。『私たちはパーティメンバーに危害を加えました。敵前逃亡もしました』と、貼り紙をしておきました」
「……やりすぎ……でもないかな?」
「強姦魔は、切断される国もあるのですよ。何がとは言いませんが。未遂ですので許しました」
「スーさん……」
1歳の俺にそんな過激な話をしてくれるのは、対等の存在と認めてくれているからだろうか。それにしても、スーさん……クールな顔をして、やるときはやるな。
「お疲れ様、スーさん」
「……さすがは坊ちゃまです。やりすぎとお叱りを受けることも想定しておりましたので、安心しました」
スーさんは恭しく頭を下げる。前世なら『GJ』とチャットに打ち込んでいるくらいの、痛快なことをしてくれたと俺は思う。しかし、引っかかることがひとつ。
(魅了して女性の大事なものを吸う俺と、酒を飲ませて貞操を脅かす男たち……悪魔なのは俺の方か……?)
「坊っちゃんは……その、昼間の続きをされたのでしょうか。あのヒルメルダという女性は、坊っちゃんに助けられたと知れば、一も二もなく誘惑するのではないかと案じておりましたが」
「え、えっと……それは……」
「……主人のおいたは、不問に付すといたしましょう。その言い方も違いますが、私は坊っちゃんの教育係でもありましたから」
『ありました』というのは、やはり今日で最後だというのは変わらないということだ。
スーさんとはもっと話したいことがあった。彼女の強さの理由、ギルドでの仕事について……そして、俺の家に、本当は何をしに来たのか。
だけど、それより何より、今は伝えたいことがあった。
「ありがとう、スーさん。今まで、楽しかった。スーさんがいなかったら、おれはまだ家の中にいたと思う」
「……私はメイド失格です。一歳のあなたを信じて、外に行かせた。本当はしてはならないことなのに……私の胸は、はずんでいたのです。自分は、普通でない存在を目にしている。将来の英雄に出会うことが出来たのかもしれないと」
「え……そ、そんなこと考えてたの? おれは、全然そんな……」
「その才覚は、この世界で何か大きなことを成し遂げるために、神に与えられたものだと私は思います。あなたに出会うまで、神などはいない、この世界は救いようのないものだとばかり思っていた。あなたはそんな私に、時として『ありえないこと』が起こりうるのだと教えてくれた。こうして話していることさえ、そうなのです。常識に縛られていたら、起こりえない出来事です」
スーさんは心から思っていることを言っている。広場を照らす月明かりの中で、彼女の輝く目を見れば、疑うことなんて出来はしない。
俺は自分の我がままを通しただけだ。常識外の存在である俺を、スーさんが好意的に受け止めてくれるとは思っていなかった。いつもびくびくと怯えて、彼女が手のひらを返しはしないかと疑いさえもした――その全部が杞憂で、彼女を見誤っていたのだと痛感する。
「私があなたたち家族の元を訪れたこと。家事を勤めたこと……それがなぜなのか、いつか話す時がくると思います。私はギルドの人間です……坊っちゃんが冒険者を続ければ、いずれまた会う日が来るでしょう」
「……うん。ひとつだけ、お願いするよ。危ないことは、しちゃだめだよ」
俺にもう一度会うと言うのなら。一度死んでしまえば終わりのこの世界で、彼女が『執行者』という役割を果たすために、命を落とすようなことがあってはいけない。
ゲームの中ではリスポーン出来るからといって、あっさりと生と死が繰り返されていた。俺は、この世界もそんな危険を孕んでいると思っている――エターナル・マギアは、この世界を模して作られたのだから。
「……坊っちゃんにそう命じていただけるなら。私は、どんなことをしても生き残ります」
「ありがとう、スーさん。おれも、絶対死なない。みんなと一緒に、もう一度スーさんに会うよ」
「はい。その時は……私もギルドの任を離れ、一人の冒険者になるのも良いかもしれませんね。もし成長したあなたが、私よりも強くなっていたのなら……」
「……そのときは……スーさん、ちょっといいかな?」
「……?」
スーさんに抱えてもらって、俺は彼女に耳打ちをする。ずっと頭の中にあって、言えなかったこと。
すると彼女の顔が、ほんのりと赤く染まる。いつも冷静に物事を見ていた瞳が、ひととき冷静さをなくして、年頃の少女らしさを取り戻す。
「……大きくなったら、意味が変わってしまいます。その時に、また改めてお考えくださいませ」
「あはは……ごめん、変なこと言って。おれのこと、嫌いになった?」
「……奔放な方なのだな、と思いはしますが。そういった生き方も、私はいいのではないかと思います。ヒロト坊っちゃんに限ってのことですが」
スーさんは少しだけ咎めるニュアンスを含ませて言う。そして、仕方ない子だ、というように笑った。
「さて……坊っちゃん、お家に帰りましょう。今日は、私が添い寝をしてさしあげますね」
「い、いいの? 今まで、そんなこと……」
昼寝をする時でも、彼女が寝かしつけてくれるなんてことはなかった。
スーさんは黒髪のおさげを撫でつけると、今までで一番優しい顔をして笑った。
「今日は、そうさせていただきたい気持ちなのです」
スーさんは言葉通り、俺の部屋で一緒に眠ってくれた。眠るまでに歌ってくれた歌は、彼女が母親に聞かされた子守唄だと教えてくれた。
成長したときの目標が、ひとつ増えた。立派な冒険者になってスーさんに再会し、俺の強さを認めてもらう。その時は、今よりもっと強くなっているだろう彼女に。
◇◆◇
明くる日、スーさんは早朝のうちに、荷物を持って俺の家をあとにした。
朝食のあと、父さんを送り出したあとで、スーさんの代わりのメイドさんがやってきた。彼女はカリスマを防ぐこともなくて、俺は魅了が発動する前にオフにした。
そばかすのあるキャロルさんというその若いメイドさんも、俺の面倒をよく見てくれたし、とても働き者だった。レミリア母さんは彼女に俺を任せることもあったが、俺は出来るだけモニカ姉ちゃんに連れられて外に出るようにして、冒険者としての実績を積むことにした。キャロルさんはいい人だったが、俺の事情を説明することは考えなかった。スーさんが特別だったのだと理解していたから。
そして今日も、モニカ姉ちゃんに抱かれてギルドの前に行くと、ウェンディと名無しさんが待っていた。
「お師匠様、モニカさん、おはようございます! 今日はどんな依頼を受けるでありますか?」
「そうねえ、たまには採集依頼なんていいんじゃない? モンスター討伐もいいけど、あまり立て続けだと心がささくれ立っちゃうでしょ」
「ささくれてしまっても、ヒロト君に癒してもらえば問題はないのだけどね」
「あはは……えっと、おれで良かったら、みんなのしてほしいことはなんでもするよ」
幼児の俺とパーティを組んでくれて、本当に感謝しているから。
けれど彼女たちは、俺の答えを聞いた途端に顔を見合わせたあと、異口同音に言ってくるのだった。
「お師匠様、あ、あのっ、今日のお仕事が終わったら、私の宿に来て欲しいのでありますっ!」
「ヒロトの家に近いから、あたしの家の方が寄りやすいわよ。レミリアとは付き合いも長いし、変に疑われたりもしないしね」
「小生の取っている宿は路地裏にあるから、目につきにくくていいと思うよ。それにヒロト君は、きっと法術の才能もある。小生が手とり足とり、本を読み聞かせながら教えてあげよう」
三人に言われて俺はサイズの比較……じゃない、スキルの比較を始める。まだ一番育ってないのは名無しさんだ。発育具合では名無しさんは二位になるが。だからそうじゃなくて。
「え、えーと……じゃあ、今日は名無しさんにお願いしようかな」
「ふぁぁっ、そ、それはないのでありますっ……どうしてでありますかっ、味が薄くなったのでありますか!?」
「ちょっとウェンディ、こんなところで大声で……ねえヒロト、どうして名無しなの? あたしのこと嫌いになったの? ふーん、そう。一番つきあいが長いのに、ご近所さんなのに」
「……こうなると、三人一緒にするという覚悟を決めた方がいいのかな? ヒロト君、どうだろう」
「あ、あはは……おれ、小さいからよく分かんないや」
究極の問いかけをしてくる名無しさんに、俺は久々に曖昧な言葉でごまかす。怒られるかと思ったが、三人とも言い争うのをやめて照れ笑いしていた。小さいから良くわからない、これは当分使える言い訳かもしれない。
「まあ、冒険に出る前から帰ってきた時の話をするのも変よね。みんな、気を引き締めていくわよ!」
「おー、であります! コボルトが出てきたら、めためたにするのであります!」
「戦闘は避けたほうがいいと思うけれど、経験は重要だしね。法術を使う心の準備はしておこう」
まだ出来たばかりのパーティなのに、結束の強さはもうベテランなみだ。
このパーティなら、行きたいところに行ける。俺はゲーム時代のパーティのことを思い出すが、その記憶は、目の前にいる人たちによって塗り替えられていく……。
(俺は、この世界で生きてる。みんなと一緒に冒険して、そして……)
世界の謎を解き、守りたいものを守り通し、女神のもとに辿り着く。
スーさんは俺が英雄になるかもしれないと言った。
その通りにしてやろうじゃないか、と思う自分がいる。みんなが居れば、俺が自分を見失わなければ、決して不可能なんてことはないんだと心から信じられていた。
※次回の更新は、第三十三話になります。
週末更新を目標にしたいと思っております。