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第10.5話 パーティ結成秘話 1

※この回は後から追加しております。


 リオナは魔王の転生体だった。誰も彼ものステータスを見ることに慣れて、ゲームのようにこの世界を俯瞰するようになってしまうことをどこかで踏みとどまりたくて、俺は子供のステータスは見ないと勝手にルールを決めていた。しかしそれが、結果的には裏目に出てしまった。


 いかにこの異世界を甘く見ていたか。何が起きてもおかしくはないのだ。何も知らなければ備えることも出来ない。父さんが魔剣なんてものを持っている時点で、俺は想定しうる全ての可能性を考慮するべきだった。


 リオナのことを知ったその日の夜は思い悩んだが、一夜明けて、立ち直ってから今後の行動の指針を決めるまでは早かった。


 俺は歩けるようになったし、少しだが話せるようになった。ミゼールの町に出て情報収集し、来たるべき時のために準備を始めようと思ったのだが、すぐに問題にぶち当たった。


(一歳だと、外に出るのは許してもらえない……保護者同伴じゃないと、普通に怒られるんだよな)


 俺の身長は現在、80センタ・メーティアくらいだ。長さの単位は「メーティア」といって、「センチ」は「センタ」、「ミリ」は「ミリス」と、異世界では微妙に言い方が異なる。他の単位も異世界では違う表記になっている。

 ゲーム時代は長さの単位を目にする機会はあまりなかったが、言い方がちょっと違うだけで、前世の感覚がそのまま通用しそうだった。


 つまり、80センティアしかない俺は、まだとても小さい。手足のリーチだって伸びてないし、装備品はつけると多少サイズが身体に合わせて変化するものの、さすがに子どもと大人の装備は兼用ではなく、布製の弱い装備しか選べない。父さんが炭に使う以外にも資材としての原木を切ってくるので、それを加工して武具を作ることも視野に入れなくてはならない。木防具は火に弱く、防御力も最低ランクだが、布装備だけよりはマシだし、重量のある装備をすることで恵体スキルが上がりやすくもなる。


 ステータスの数値上、大人に匹敵するライフなどを持つ俺は、もしろくに装備もせず外に出ても、そこらの雑魚モンスターには負けないはずだ。「はず」のままではちょっと怖いので、早く試してみたいという気持ちはある。パメラとの戦闘みたいに条件が噛みあえばいいが、そうでない場合は、物理的な戦闘力がどうしても必要になってくる。


 そんなわけなので、俺はレミリア母さんに、外に出てもいいかと夕食の席でお願いしてみた。


「だめに決まってるじゃない、そんな危ないことさせられないわ」

「ご、ごめんなさい……や、やっぱり、ダメかな……」


 流暢にはまだしゃべれないが、その拙い口調が、少し母さんの同情を誘ったようだった。いや、泣きそうになってたどたどしくなってるわけではないのだが。


「お母さんか、他の大人の人に連れていってもらいなさい。お父さんがいるときは、お父さんに頼むとか……」

「はっはっはっ、ヒロト坊、探検でもしたくなったのか? やんちゃなのはいいが、町に出入りする連中もみんながみんないい奴だとは限らないからな……と言っても、そういうことはまだ難しいか。とにかく、悪いやつにさらわれたら困るから、一人で出歩いちゃだめだぞ」

「う、うん……わかった。ごめんなさい」

「そんなに謝ることないのよ、外に出たいっていう気持ちはわかるし……私も日中は機織りをしてるから、なかなか遊んであげられないものね。サラサさんは今でも良く来てくれてるし、これ以上お願いするのは悪いわね……」


 サラサさんは相変わらずうちに来ては、一歳でもまだ小さいからといって、俺がお腹をすかせていると見るやいなや、ぽろんと胸を出してくれる。まさに慈母からの無償の恵みなのだが、どうも俺が大きくなってからというもの、彼女の反応が少し変わってきている気がして――というのは、今は置いておこう。


 母さんがいるときは遠慮するのだが、リオナがさみしそうにするので、結局俺も一緒に吸わせてもらっていた。おかげで俺の魔術素養スキルは、魔術を使わなくても少しずつ成長を続けている。


「サラサさんといえば、うちに出入りするようになってから、何か色っぽさが増したというか……いや、気のせいだな。父さんは母さん以外は女性として見てないからな、他の女性に目移りはしないぞ」

「あなたったら、ヒロトの前で……そういうことは後にして、恥ずかしいわ」

「そんな本格的に照れられると、俺も……な、なんだヒロト、笑ってるのか? 俺たちのやりとりの意味がわかってるなら、結構すごいんじゃないのか。やはり俺の息子は天才だな」

「え、えと……お父さんとお母さんが……仲良くて、うれしいから……」


 言葉が思うように出てこなくてもどかしい。けれどそんな俺を見て、隣に座っているレミリア母さんは嬉しそうに微笑み、頭を撫でてくれた。


「ありがとう、ヒロト。お母さんとお父さんはね、ヒロトとも仲良くしたいのよ。今でも十分、仲良しだと思ってるけれどね」

「おう、もちろんそうだぞ。遠慮せずにいっぱい話しなさい。父さんはヒロトの話を聞くの、好きだからな」

「う、うん……ありがとう……でもおれ、しゃべるの苦手だから……」


 本当にそう思って言ったのだが、父さんと母さんは顔を見合わせる。そして、同時に俺の方を見て笑った。


「それだけ話せたら、他の子のお母さんたちがびっくりするくらいよ。リオナちゃんも、まだほとんど喋れてないのに。最近、ヒロトの名前を呼べるようになったくらいでしょう?」

「おっ、そうなのか。そいつは隅におけんな。モテモテじゃないか」

「あなた、あんまり軽いことばかり言ってると、軽いお父さんだと思われるわよ? もっと威厳のあるお父さんを目指してくださいね」

「ぐう……い、いいじゃないか。俺はフランクな父親でありたいんだよ。なあヒロト、堅物の父さんより、陽気な父さんの方がいいよな?」

「あはは……うん」


 父さんは底なしに明るいと思う。そういう陽気さが、母さんの心を開いたのだろう。

 前世の父さんは寡黙で、母さんはよく話すほうだった。俺は二人とも同じように尊敬していた。死ぬまでに恩を返せなかったことが、今でも悔やまれてならない。


(RMTで作ったお金を渡せてたら、俺はその後どうしてただろう)


 今となっては、結局ひきこもりを終わらせることだけが、家族のためになる行為だったんだとわかっている。でも、生前の俺にはどうしてもそれが出来ないままだった。

 今度こそは、間違えたくない。今の父さんと母さんのことが、俺は本当に好きだから。二人が俺を産んでよかったと思ってもらえるような人間になりたい。


「な、なんだ……ヒロト坊が笑うのって珍しくないか? びっくりするほど子供らしい笑い方だな」

「あたりまえじゃない、子供なんだから。ヒロトはいつでも可愛いわよ。だから、近所のお母さんにも気に入られてるのよ。ね、ヒロト」

「そ、そうかな……」

「しゃべるようになってから、その小ささとは思えないほど大人びて感じたからな。それはそれでいいんだが、そうやって無邪気に笑ってくれると、何というか……感動だな」

「ええ……そうね。男の子はすぐ大きくなるっていうけど、ゆっくりでいいのよ」


 レミリア母さんはまた頭を撫でてくれる。ゆっくりでいい、そう言ってくれる彼女の優しさは十分に伝わっている……だけど。


(歩けるようになった今は、少しでもいい……前に進みたい。家の中に居るだけじゃ、出来ないこともあるんだ)


 和気あいあいと話している父さんと母さんに申し訳なく思いながら、俺は、明日から行動を開始しようと決めていた。

 母さんに心配をかけない。そのために一番いいのは、一人で外に出ないことだが……「心配させない」という条件を満たして外に出ることはできる。



 食事が終わり、母さんに風呂に入れてもらったあと、俺は父さん母さんと一緒に寝ることになった。

 歩けるようになってから、俺のために用意されていた部屋を与えてもらったが、母さんはまだ一人では心配だからといって、俺を一緒に寝かせることが多かった。

 風呂から上がったあとは母さんはポニーテールを解いている。父さんは俺たちより先に風呂から上がってきて、早くも深い眠りに落ちていた。いびきなどはかかず、静かに寝入っている。


「ヒロト、お母さんさっきはああ言ったけど、ヒロトがどうしてもって言うなら、少しだけなら外に出てもいいわよ。あまり遠くには行かないようにね」

「い、いいの? さっきは、あんなにダメって言ったのに」

「父さんはああ言ってたけど、ヒロトを連れて町を歩いてるうちに、たくさん知り合いが出来たでしょう? その人たちも、お母さんが一人で町に行ったりすると、すごくヒロトのことを気にしてくれてるの。ほら、バルデスお爺さんなんて、お孫さんも独り立ちされてるから、ヒロトのことをすごく可愛がってくれてるのよ」


(バルデスさん……そうだったのか。俺たちのことを助けてくれてから、まだ会ってなかったな……)


「でも、やっぱり町にひとりで行くのは危ないわね。ヒロト、もう少しだけ待ちなさい。そうしたら、エレナさんの家のアッシュ君とステラちゃんとも遊べるようになるわ。お兄さんお姉さんと一緒なら、私も安心して行かせてあげられるから」

「え……お、おれ、あんまり、子供は……」

「ヒロトも子供なんだから、子供どうしで遊ぶことだって大事よ。大人のお姉さんばかりに甘やかしてもらってると、だめな大人になってしまうわよ? リオナちゃんが歩けるようになったら、遊んであげなさい」


(リオナ……そうだよな。歩けるようになって、しゃべり始めたら、話さないわけには……)


 俺はうまくやれるだろうか、という思いが先に立つ。それよりも、どんなことを話すべきか、リオナと話せば、彼女のことがもっと分かるんじゃないのかということに、興味を持つべきなのに。


「どうしたの? 考え込んじゃって」

「あ……う、ううん。分かった、できたらリオナと遊ぶよ」

「できたら、なんてことないわよ。あんなに大人しくて良い子なんだから、きっと仲良くなれるわ。あ、もしかして恥ずかしがってるの?」

「ち、ちが……」

「ふふっ……照れちゃって。いいのよ、お母さんにはひみつにしなくても。でも、お父さんの言ってたとおりね……ヒロトは心の成長も、私が子供のときよりずっと早いみたい」


 恥ずかしいといえば恥ずかしい。しかし、それ以上に俺がリオナに素直に接することができない理由がある。

 リオナの笑顔は、陽菜に似ている。彼女が俺の名前を呼んだときのことが、まだ昨日のことのように頭から離れない。


「ふぁぁ……そろそろ寝ましょうか。ヒロトはいっぱい寝て、大きくならないとね。お父さんみたいに」

「う、うん……おやすみ、お母さん」

「おやすみ、ヒロト」


 母さんは俺の額にキスをする。そして、肩まで毛布をかけてくれた。異世界には布団はないが、マットはある。スプリングベッドではないが、羽毛や穀物の殻などを詰めた袋をマットの代わりに使うので、マットというよりどちらかといえば布団のような寝心地だ。母さんはそれを週に何度も天日で干すので、寝る時はいつもお日様のいい匂いがした。


 その香りと身体を洗うためのハーブの香りとが、俺にとって母さんを象徴するものだった。一緒にベッドに入るとすぐに安心して眠くなってしまう。


「……ヒロト、もう離乳食に完全に変えちゃったけど、大丈夫?」

「うん……お母さんが作ってくれるなら、何でもおいしい」

「そう……良かった。食べられるものが増えて、そのうち、私たちと同じものを食べられるようになったら……美味しいものを作ってあげるわね……」


 母さんも眠そうにしている。彼女も毎日一日中働いているので、俺より早く寝入ることもある。まだ俺も夜九時を回ると活動限界なので、寝るのが早い生活は苦ではなかった。


「……すぅ。すぅ……」


 まだ十九歳の母さんの寝顔は、俺から言うのも何だが、少女のようなあどけなさが残っている。

 一度授乳期を終えてしまうと、戻ることはもうない。普通はそういうもので、俺も気品が上がるからという理由で、母さんにいつまでもせがみ続けるつもりもなかった。

 けど、スキルのためにいろんな人にミルクをもらって、母さんからもらわなくても済んでいたと思うと、今さらに反省する気持ちもある。

 母さんに守られていることの安心感と、何もかもを与えてもらう幸福。でも俺は、そこから少しでも早く自立しなくてはならない。


「……んん。もう少しこっちに来なさい、ヒロト。寒いでしょう」

「あ……う、うん。ありがとう、お母さん」


 寝入っていたかに見えた母さんに引き寄せられ、胸に顔をうずめられる。顔を上げてみると、母さんの目は閉じられ、長い睫毛が少し震えている。しかし眠りが次第に深くなると、その動きもごく小さくなる。


(……おっぱいが目の前にあると、地獄なんですけど……)


 そして俺の心は安らかになるわけでもなく、とても言えない葛藤で満たされるのだった。早めに俺は両親と離れ、ひとり部屋で寝るべきだと、なんとなく気を使ってしまう。まだ若いふたりなので、特にリカルド父さんはいろいろ我慢していることだろう。聞こえてくる寝息を聞く限りでは、睡眠欲が何にも勝っているようだが。



 ◇◆◇



 母さんの胸による圧迫で葛藤していたはずが、気づくと深く眠っていた。母さんは目が覚めるとまず、朝食の準備を始める前に俺を着替えさせてくれる。父さんもムクッと起きて、料理のために使う釜に火を入れたりする。


 朝食を終えると父さんは出かける支度をして、斧をかついで森に向かう。木こりの父さんは、木材を扱う商人に定められた木材を納品する他に、近所に薪を売ったりもする。

 今度町に新しい建物が建つそうで、そのための木材の需要が大変なことになっているそうだった。サラサさんの旦那さんのハインツさんは、父さんと組んで森に出ては、父さんが条件に合う木を探す途中で遭遇した獣を一緒に狩っている。ハインツさんは罠の名手で、ナイフ一つでも大型の獣を狩ることが出来る技術の持ち主だそうで、一度見せて欲しいと思うものの、なかなか機会に恵まれずにいる。


 父さんが出かけたあと、母さんは洗濯物を干し、家事をひと通り終える。俺も手伝っているうちに、既に昼になっていた。広い家なので、掃除するだけでも結構大変だ。

 昼食の席で、母さんは俺に焼きたてパンをちぎって食べさせてくれながら言った。自分でやってもいいのだが、母さんは白いところを俺に、外の硬い部分を自分で食べる。まだ歯が生えそろってない俺にはありがたい限りだ。とにかく柔らかいものしか今は食べられない。


「お昼をとったら、お母さん機織りをしてくるわね。エレナさんに急ぎでって頼まれてる仕事があるから、今日中に終わらせないと」

「あ……う、うん。いってらっしゃい」

「そうは言っても、仕事部屋に居るだけよ。集中してて、声をかけても聞こえないかもしれないから、その時はベルを鳴らしてね。お手伝いさんのスーが居るときは、彼女に用事を頼んでもいいけど、あまりわがままは言っちゃだめよ」

「うん、わかった」


 スーさんはギルドから派遣されたメイドで、元々は首都で働いていたという人だ。年齢は母さんの一つ下で、言葉は少ないが真面目な人で、申し付けられた仕事以上のことをしてくれるので、母さんの全幅の信頼を得ている。見た目は華奢だが恵体値が高いので、重労働になりそうなマット干しも難なくこなしてしまう。体型に比例せずに力を発揮する姿には、いつも圧倒されるものがあった。

 彼女については俺もまだ良く知らないというか、コミュニケーションがうまくいっていない。「カリスマ」にもかからないし、最近は魅了をオフにしているので、普通に話して好感度を上げるしかないのだが、まだ口下手の俺には、寡黙な彼女とフランクに話すのはハードルが高かった。


(でも……今日は、そういうわけにもいかないな。彼女の協力を得られれば……)


 俺の言うことを聞いてくれるかは分からないが、試してみないことには始まらない。

 もう俺は、家の中や、保護者の視線のある範囲を行動するだけでは満足できなくなっていた。生前、毎日慣れ親しんだ異世界を、自分の足で歩きまわりたくて仕方がなかったのだ。



◇◆◇


 母さんはスーさんが来ると、彼女に仕事と俺のことを頼んで、機織りをしに行った。見せてもらうこともできるのだが、俺はなるべく邪魔をしないようにしていた。機織りは機械的な作業に見えるが、実際は繊細な技術と高い集中力が必要な作業だからだ。


「……坊っちゃん、どうしましたか?」


 スーさんは俺を「坊っちゃん」と呼ぶ。何か前世の国民的な文学を思い出すが、あの作中では「下女」が出てきたけど、メイドさんはポジションとして近いのかなと思う。

 彼女は背中まで届く青みがかった黒い髪を、丸い宝珠のようなものがついたリボンで二つのおさげにまとめている。身長は俺が知っている女性の中では平均的な高さで、華奢な体型に丈の長いスカートのメイド服がよく似合っていた。

 彼女はいつも淡々としていて、感情の起伏が少ない。最初はあまり好かれていないのかなと思ったものだが、彼女は誰に対しても同じ態度だった。


「え、えっと……あの、その……」


 そして、何を言おうとしてたか忘れる俺。そのメイド服は売ってるのかとか、スーさんの故郷はどこかとか、今聞きたかったわけでもないことが浮かんできてしまう。


「……ごゆっくり、どうぞ」


 何を話したいのかゆっくり考えて欲しい、ということらしい。彼女は律儀に、俺の前にしゃがみこんで待ってくれている。

 感情の色を宿していないけれど、冷たくもない、そんな不思議な瞳。端正な面立ちの彼女と向き合っていると、何か無性に恥ずかしくなってくる。


(れ、冷静にならないと……えーと、なんだっけ、俺が彼女に頼みたかったことは……そ、そうだ)


「スーさん、あ、あの、おれ、おねがいが……」

「お手洗いですね。かしこまりました」

「わっ……」


 スーさんは俺を抱え上げて、トイレまで連れて行こうとする。下の世話をお願いしたことはないが、もじもじしているので勘違いされたようだ。

 そしてあれよという間に、俺は抵抗することもできずに小用を済ませられてしまった。は、恥ずかしい……もう婿にいけなくなりそうなほど、しっかりと見られてしまった。

 そう、一歳なのでそれくらいさせてもらっても、まあおかしくはないのである。それこそ全裸で町を疾走しても、一歳ならそれほど怒られないが、母さんと父さんは恥ずかしい思いをするだろう。ストリーキングはダメ、絶対。

 そんな非常にどうでもいいことを考えていると、スーさんは居間の家具の上に置かれた花瓶を拭きながら、頬をほんのりと赤らめていた。


「……すみません、坊っちゃん。私、少し早とちりをした気がしてきました」

「う、うん。おれ、別にそれでもじもじしてたわけじゃないよ」

「しかし、溜めるのは良くありませんから」

「え、えーと……そ、それはありがとう。またお願いするよ」

「はい。いつでもお申し付けになってください」


 一歳だとトイレの穴にハマる可能性がある、という実にわかりやすい理由で、俺はまだ一人でトイレに行くのは危ないと思われているのだった。危険の少ない洋式のトイレが懐かしい。


「あ、あの……こんなこと言ったら、スーさん、おこらない?」

「……なんでしょうか? 私は坊っちゃんのお願いであれば、まず怒ることなどありませんが」


 そこまで言ってくれているのに、心臓がばくばくと脈を打ち始める。震えるぞハート、燃え尽きるほどヒート! とか言ってる場合じゃない。余裕に見えるかもしれないが、その実は全く反対だ。話したいことがあっても、関係ないことを考えずにいられないのだ。


 なんだって、俺はこんなに人と話すのが苦手なんだ……わかってる、顔を合わせて言葉を交わしても、誤解されることを避けられなかったからだ。


 けれどろくに目も合わせられない俺が、恐る恐る彼女のほうを窺うと、スーさんはずっと微動だにもせずに俺を見ていた。焦れもせず、呆れることもなく。


「……坊っちゃんは、よく外を見ていらっしゃいますね。お庭に出ても、外に行きたいと思っていらっしゃるように見えますが……いかがですか?」

「……う、うん……おれ、外にいきたいんだ。だ、だから……スーさんに……」

「……奥様に、秘密にしておいてほしいということですね。しかし私は、坊っちゃんを見守ることを申し付けられた身です。坊っちゃんのお願いとはいえ、簡単にはいと言うことはできません」


 それはそうだよな……うーん。やっぱりスキルを使うしか……成功率が低すぎるけど、「依頼」するしかない。



◆ログ◆


・あなたは《スー》に「依頼」をした。



 喋れるようになってから「依頼」をするのは初めてだった。すると、俺の意識に赤ん坊の時とは違う変化が訪れる。


(この感覚……頭の中に、言うべき言葉が浮かんでくる。「依頼」は、こういう使い方も出来るのか)


 魅了した時に無条件で「依頼」を聞いてもらえるケースが最も強力だと思っていたが、それが全てではなかった。こんなことがあるなら、今持っているスキルもまた一つ一つ、効果を検証していくべきだろう。


「スーさん、お母さんが仕事をしてるあいだの、少しだけでいいんだ。もしおれが居ない時にお母さんが仕事部屋から出てきたら、おれは……えーと、友達のところにいるって言っておいてくれないかな」

「お友達……サラサさんと言いましたか。彼女の娘さんの、リオナちゃんのことですか?」

「え、えーと……もし、サラサさんが俺の家に来ちゃうと、そのうそは通じないんだよな……」

「……坊っちゃん、いつもよりお言葉がなめらかでいらっしゃいますね……やはり、他のお子様とくらべて、成長がとてもお早いと見受けられます。早熟の天才とはこのことですね」


 そういう反応になるのは無理もない。まだ歯が生えそろってもない子供が、流暢に喋ってるわけだから。

 スーさんはしばらく俺を見て考えていたが、やがて母さんがいる仕事部屋のある方を見やって言った。


「奥様は、ヒロト坊っちゃんが不在だとわかれば心配されます……ですがひとつ、方法がございます。それは、セーラさん、サラサさんといった、坊っちゃんのお知り合いにもご協力いただくことになります。私が言っていることの意味は、おわかりになりますか?」

「う、うん……スーさん、遠慮しなくていいよ。おれは、だいたい大人の人たちの言ってることはわかるんだ」

「かしこまりました。では、私にお任せください。他のお子様であれば、一歳で外に出すなど絶対にしないのですが……ヒロト様は、私の言うことがわかっていて、それでも外に出たいとおっしゃる。そのお気持ちを尊重したい、私はそう思っております。できれば私が坊っちゃんをお連れできればと思いますが、そうすれば奥様に説明ができなくなります。ご容赦ください」


 こんなに話す人だと思ってなかった。カリスマがなくても、一生懸命伝えれば、俺の気持ちは無視されることはなかった。

 それが嬉しくて、俺はスーさんをただ見ていた。彼女は表情を変えないまま、俺を抱えあげると、ぽんぽんと背中を優しく叩いてあやしてくれた。


「危ないことはなさらないでくださいね。坊っちゃんなら、きっとご心配はないのだと信じております」

「……ありがとう。おれ、絶対聞いてもらえないと思ってた」

「はい、本当は坊っちゃんをお外に行かせるべきではないのですよ。坊っちゃん、できるだけ早くお帰りください。外に出て学ぶのは、もう少し先でも遅くはありませんから」


(……心配してくれてるのは、痛いくらいわかる。でも、立ち止まっていられないんだ)



◇◆◇


 俺はスーさんに下に降ろしてもらい、彼女に見送られて、ついに一人で屋敷の外に出た。


「うわ……ぁ……」


 思わず声が出てしまった。この小さな身体で見る世界は、途方もなく広く思えた。

 天高く、雲は静かに流れて、庭の木の葉を微風が揺らしている。

 俺は初めて、エターナル・マギアを起動した時のことを思い出していた。あの斜め見下ろし型の奥行きの少ない世界は、今は無限の広がりを持って俺の目の前にある。


 歩き始めの頃は頭が重く感じて少しふらついたが、今はそんなことはない。しかし歩幅は狭く、この身長では、俺はちょこちょこと歩いてるように見えるんだろう。普通に人に見つかれば、その場で連れ戻されてしまうところだが――俺には、赤ん坊の時に習得したスキルがある。



◆ログ◆


・あなたは「忍び足」を使用した。あなたの気配が消えた。



 盗賊スキル10で取得できるアクションスキル、忍び足。これを使えば隠密状態になり、自分から攻撃したりして見破られない限りは、他人から認識されなくなる。これを使えば、普通に道を歩いていても、気付かれて連れ戻されることはないはず――と考えたところで。


(あ……サラサさん……うわっ!)


 俺の家の前を通りすぎて教会に行こうとしたサラサさんが、俺の存在に気づかず、すぐ横を通り過ぎて行く。膝丈のスカートがふわりと揺れて、白い脚が思いきり見えた。

 どうやらリオナを教会に連れていくみたいだ。リオナも俺の存在には気づかず、お母さんに抱きかかえられておとなしくしていた。


(ピンク色か……ピンクの染料は、この世界では貴重だ……と、感慨にふけってる場合じゃない)


 俺は気持ちを切り替え、サラサさんたちについていきたい気持ちを抑えて町の方に向かった。

 やりたいことが幾つもある。そのうちひとつでも多く、今日のうちに成し遂げておきたかった。



◇◆◇



 俺は市場に向かい、そこでバルデスさんの姿を探した。一度助けてもらってから、バルデスさんは市場で俺と母さんを見ると、声をかけてくれるようになった。そのとき、昼は市場に出ている屋台で肉の串焼きをよく買って食べると言っていたのだが……昼下がりだし、さすがに居ないだろうか。


 そう思っていた矢先、運良くバルデスさんの姿を見つけた。屋台の店先に出された簡易テーブル席につき、キノコと肉の刺さった串焼きを食べながら、仲間らしい中年の男性と話をしている。


「最近、森で魔物が増えてきちまってな。バルデスさん、あんたんとこも武具の注文が増えたんじゃないか?」

「ああ、確かに増えておるが、儂も料金を安くするわけにはいかんからのう。今まで通りの値段でのみ請けておれば、さほど忙しくはならんよ」

「ははは、稼ぎどきでもマイペースだな。うちは弟子まで駆り出して、武具と防具の数を揃えてるよ。中程度の質でも飛ぶように売れるからな」

「鋼を鍛える槌に魂を込めよ、といつも言っておるじゃろう。逆に言えば、それさえ出来ておれば十分な品質ともいえる。『粗悪な』ものだけは作らんことじゃな、あれは使い手を殺すかもしれんしのう」

「げっ……」

「なんじゃ? まさか、『粗悪な』武器を売りよったのか……馬鹿もん! 責任持って回収せい!」

「わ、わかった、売った相手が言ってきたら、無償で普通の武器に取り替えてやることにするよ。バルデスさんにはかなわねえなあ」

「当たり前じゃ。ミゼールの鍛冶師が安く見られれば、冒険者も寄り付かなくなる。そうすれば商売上がったりじゃからのう」


 どうやらバルデスさんは、この町の鍛冶師たちから尊敬される立場のようだ。ステータスを見た時、鍛冶スキルがかなり高かったから、俺は最初に武具を作ってもらうならバルデスさんがいいと思っていた。




 しばらくしてバルデスさんは食事を終え、仲間と別れて自分の工房に戻った。バルデスさんの工房は市場のある通りから5分ほど歩いたところにあり、ひっそりとした裏路地でもしっかり目立つ、立派な金属製の看板を出していた。『バルデス・ソリューダス鍛冶工房』とある。開店中の時間は、自由に入って良いとも書かれていた。


(お邪魔します……おお、暗いな)


 工房は扉を開けたところから地下に下っていた。石壁に取り付けられたカンテラの明かりを頼りに、俺はおっかなびっくり階段を降りていく。

 すると、帰ってきたばかりのバルデスさんが、金属のインゴットを炉に入れ、叩いているところだった。深いシワが刻まれ、白く豊かな顎鬚あごひげを蓄えたドワーフの老人の横顔が、炉の赤い光に照らされている。

 バルデス爺は金属を炉から取り出すと、ハンマーで叩き始める。金属が見る間に形を変えて、荒かった形が細やかに整えられていく。


(……なんて技術だ。鍛冶師って、こんなことやってたのか……)


 ゲームでは鍛冶師のスキルを使っても、武具をどうやって作っているか、武器をどうやって鍛えているかなんて描写されなかった。異世界では鍛冶師の仕事が、実際の労力を伴う行為として存在している。


 赤熱していた金属を叩き、水で冷やし、少しずつ伸ばしていく。どうやらバルデス爺が作っているのは肉切り包丁のようだ。普通の料理に使うものではなく、肉屋で骨ごと叩き切るために使う大包丁……そのまま武器として使えそうだが、さすがに1歳児が持つと絵面がホラー以外の何物でもない。


(まあ、どんな武器を持っても合うわけないんだよな、一歳じゃ)


 今の段階では、物々しい武器が欲しいわけではない。斧スキルを発動することが出来ればそれでいい――そうすれば、斧スキルを毎日マナ切れまで使うことで、斧マスタリーを習熟できるからだ。


 とりあえず、気づいてもらうには隠密を解かないといけない。俺はウィンドウを脳裏に呼び出し、スキルを解除する。



◆ログ◆


・あなたは「忍び足」をやめた。「隠密」状態が解除された!



「ふぅ……ん?」


 バルデスさんはいつの間にか、包丁の刃に木製の柄をつけて完成させていた。それを布の敷かれた木箱に入れたところで、ふと俺の方を見やる。


「おお……おお、おお……!」

「あ、あの、ば、バルデスのおじいさん……おひさしぶり、です」

「おおお……なんということじゃ……!」


 バルデスさんは感嘆の声を何度も上げたあと、俺に歩み寄ってくる。そして、わっしと両手で抱き上げた。


「ヒロト坊、お父さんとお母さんからすこやかに成長していると話は聞いておったが、まさかここまで一人で来てしまったのか? それは、少々心配じゃの。こんな小さな子供がふらふらしていたら、さらわれてしまってもおかしくないんじゃぞ」

「ご、ごめんなさい……でも、おれ、バルデスじっちゃんのところに来たかったんだ」

「むぅ……まだ一歳の誕生日を迎えたばかりと聞いておったが。もう、そこまで喋れるようになったのか? 人間の子供は、これほど成長が早かったかのう……」


 バルデスさんの種族であるドワーフは長命であるために成長が遅く、人間の方が成長は早い。そうは言っても、俺みたいに一歳で流暢にしゃべれば、違和感を持たれても仕方ないところだ。


「まあ、来てしまったものはしかたないのう。この爺のところに来たいとは、うれしいことを言ってくれるものじゃ。しかし、あの炉には近づくでないぞ。炉の光を直接見るのもいかん、目に悪いからのう」

「う、うん……わかった。じっちゃんの言うとおりにして、気をつけるよ」

「うむ、うむ。とりあえず、何か飲み物でも用意するかのう。うちの孫に言って作ってきてもらうとしよう」



◇◆◇



 バルデス爺さんのお孫さんは三十代らしいが、見た目は半分の歳にしか見えないくらいの女性だった。彼女は果実のジュースを持ってきてくれたあと、俺を一度抱っこしてくれてから工房の外に出て行った。お爺さんの仕事を邪魔してはいけない、というのがバルデス爺の家――ソリューダス家の決まりらしい。


「誕生日の祝いに何か作ってやろうと思っておったが、やろうやろうと思っておると忘れてしまうものじゃ。それに、ヒロト坊にどんなものが喜ばれるかもまだ分からんからのう」

「あ、あの……お、おもちゃみたいなやつでいいから、斧っていうのは……」

「斧? おお、おお。お父さんが使うような斧は作ってやれんが、確かに、おもちゃなら作れんこともないぞ」

「ほんと!?」

「もちろんじゃ。どれ、ヒロト坊、手を見せてみよ……むう、これだけ小さければ、持ち手はかなり細くなるのう。刃の部分は切れるようにはできんが、形だけはブロード・アックスを模して作ってみるかのう」

「うん! ありがとう、じっちゃん!」

「では、少し待っておれ。それくらいのものなら、少しもかからずに作れるからのう」

「おれも見てていいかな?」

「見ておられると落ち着かんがのう、まあ良かろう。絶対に手は出さんことじゃ、やけどでは済まん」


 バルデス爺は俺の頭にごつい手を置いて言い聞かせたあと、銀色に鈍く光る金属を選んで、金鋏で挟んで炉に入れ、熱し始めた。そして赤熱したところで取り出し、さっきより小さな金槌で叩き始める。


「少しずつじゃが、形が出来ていくじゃろう。叩き間違えがあれば、ただの鉄の固まりにしかならん。頭の中にある形からずれてはならぬ。お主の手に合うだけの、玩具の斧……そういうものを全力で作るのも、時に悪くないものじゃな」


 バルデス爺は話しながらも、何度か炉に金属を入れ、出しては叩き、冷やし、また火を入れることを繰り返す。そこまで強度を持たせる必要はないと思うのに、もはや刃がなく、サイズが小さいというだけで、本物の斧を作るときの意気込みと変わらないように思えた。



 ◆ログ◆


・あなたは鍛冶師の作業を見つめている……。

・「鍛冶師」スキルが習得できそうな気がした。



 鍛冶師スキルの習得条件は、鍛冶屋に何度も武器を持ち込んで武具を修理してもらったり、作ってもらったりすることだ。そのとき作業が終わるまで工房にいることで、習得条件を満たすことができる。バルデス爺がいれば俺はスキルを取る必要はないと思うが、取得できればそれに越したことはない。鍛冶師スキル20で取得できる修理スキル「メンテナンス」は、自分で持っていると非常に便利だからだ。


 そうこうしているうちに、バルデス爺はあっという間におもちゃの斧を作ってしまった。熱を冷まし終えると、バルデス爺は布を敷いた小さな木箱に斧を入れて、工房のテーブルに置いて見せてくれた。俺の小さな手の平に乗る程度の、本当に小さな斧だ。


「おもちゃの斧といえど、思い切り叩けばそれは痛いからのう。気をつけるのじゃぞ」

「うん……わかった。じっちゃん、持ってみてもいい?」

「もちろんじゃ。重かったら、もう少し軽くしてみようかのう」


 どうしても武器職人としての感覚があるみたいで、実用性も考えてしまうみたいだ。



◆ログ◆


・あなたは「銀の玩具斧」を手に入れた。

・あなたは「銀の玩具斧」を装備した。


 俺は斧を持ってみるが、小さいとはいえ金属製で、普通ならこの小さな手では重く感じるところだろうが、全く負担に感じない。斧マスタリーが10まで上がっているし、斧装備スキルがある以上、大きな斧でも装備できるはずだが――これくらいが体格的には限界だし、そこまで大きいものは必要としていない。


(薪割りスキルが発動できれば、刃があるか無いかは関係ない。おもちゃの斧でも、薪が割れればスキル上げが出来るようになるはずだ)


 そして薪割りは家事の手伝いにもなる。木細工加工のために木材を切り出すためにも使えるスキルなので、一石三鳥にもなるわけだ。


 しかし、スキルを実際に発動したらどうなるか――それこそ、魔術でも使ってるような光景に見えるのかもしれない。スキル上げは、あまり人に見られずにする必要がありそうだ。父さんには、早めに理解を得ておきたいが、自分の息子が天才というより、異常であると思わせるのは気が引ける。


 もしかしたら、正直に事情を話せば理解してもらえるかもしれないが、俺が転生したというのは、それこそ両親には最後まで明かすつもりもないし、そうするべきじゃないと思っていた。


「ほっほっ、おもちゃとはいえ、なかなかどうしてサマになっておるのう。さすがはきこりの息子じゃな」


 バルデス爺は上機嫌になり、俺の頭を撫でる。ゴツゴツした岩のような手だが、撫でられると悪い気はしなかった。


「振り回したりしてはならんぞ。もし、もしじゃが、ヒロト坊が危ない目に合うようなことがあれば使ってもよい。小さいとはいえ、思い切り振り回せば、それなりに怖いからのう」

「うん、わかった」


 俺はもう、最弱ランクのモンスターと戦ってみて、スキルがあれば1歳でも戦えるのかを試すつもりでいるわけだが――何もかも正直に言うことが、必ずしも正しいことではないと思う。


「もし壊れてしまったら、儂のところに持ってくれば直してやろう。普通なら金を取るところじゃが、ヒロト坊は成人するまで無料にしてやろう。次からは、リカルドの手伝いが出来るような斧も使えれば良いのう。しかしそこまで大きくなるには、あと数年はかかるかの」


(ありがとう、じっちゃん。でも俺、『薪割り』はもう使えるはずなんだ)


 バルデス爺は俺を持ち上げてあやしてくれる。歩けるようになっても、まだほとんど赤ん坊の扱いだ。

 その優しい目を見ていると、俺は生き急いでるんだろうかと思えてくる。

 それでも一度外に出てしまえば、俺は大人しくしていられない。次から次へと、したいことが頭に思い浮かんで止まらなくなっていた。



◇◆◇



 外に出て、裏路地から出たとき、一人の女性が俺の目の前を通り過ぎようとして立ち止まった。


「……ん?」


(し、しまった。忍び足をかけなおすのを忘れてた……!)


「な、なんでこんなとこに……ヒロト坊じゃないか。もしかして、迷子になっちゃったのかい?」


 俺を発見したのはエレナさんだった。そういえば、彼女とメルオーネさんの店も、この近くにあるからな。


「あ……う、ううん。今日は、え、えっと……」

「ははぁ、家にいるのが退屈で遊びに来ちまったのかい。うちのアッシュもそういうことが一度あったっけねえ……あの子は家の近くで猫と遊んでたくらいだけどね。ヒロト坊の家からここまで来るなんて、けっこうな冒険じゃないか。あんたもやんちゃだねぇ、見かけによらず」

「わっ……」


 エレナさんは俺を抱き上げると、笑顔で覗きこんでくる。相変わらず、綺麗な人だ……この町では珍しいエキゾチックな風貌で、少しつり目がちな目をしていて、眼力が強い。そして彼女の服はいつも胸が大きく開いていて、抱き上げられると谷間がすぐ近くに迫っている状態となる。


「せっかくだから、うちの子に紹介しようか」

「あ、う、ううん……おれ、もうそろそろ帰らないと」

「そうかい? ああ、レミリアが近くにいるんだね。それじゃ、また今度うちの子たちを連れて遊びに行くって伝えておいとくれ。頼んでる仕事もあるから、明日行くことにしようか」

「う、うん、わかった。ありがとう、エレナさん」

「ふふっ……あんた、喋れるようになると結構かわいい声なんだねえ。せっかくだから、ぼそぼそってしゃべるのはやめた方がいいわね。おどおどしない、人の目を見る。わかったかい?」

「……うん。これでいい? エレナさん」


 俺はじっとエレナさんを見る。彼女は初めは笑っていたが、その表情に微妙な変化があらわれる。

 彼女の頬が染まっているのを、俺は見逃さなかった。胸元を見下ろして気にしながら、俺をそっと地面に降ろす。普通なら、彼女はレミリア母さんが近くにいると思っているし、そこまで連れていこうとしそうなものだが――俺が、そうはさせなかった。



◆ログ◆


・《エレナ》の魅了状態が続いている。

・《エレナ》はあなたの命令を待っている。命令しますか? YES/NO



「おれがここにいたのは、お母さんにはないしょにしておいてね」

「……ああ。ちょっと不義理ではあるけどね。まあ、ヒロト坊がそう言うなら、あたしは言うことを聞くよ」

「ありがとう。エレナさんには、まだこれからもお世話になると思うんだ」

「お世話になるとか……一歳で、なんてこと覚えてるんだい。まったく、ませてるんだから……」


 俺が何を言ってるのか、彼女はすぐに気づいて、胸の下で腕を組み、持ち上げるようにする。服の襟元がさらに開いて、血色のいい肌があらわになり、山脈のふもとが少し見えてしまう。


「……ついでだし、少しだけここで……ちょうど、人もいないからね」


 彼女に完全にスイッチが入ってしまう。というか、魅了が続いている時点で、こうなることは避けられないのだが……。


(一歳になってもふつうに吸わせてもらえるとは……しかし、助かるな)


 一歳だと、15分ほど活動しているだけでライフが1減る。疲労もライフに影響を与えるというわけだ。そのうち歩行などでは疲労を感じなくなるのだろうが、今はまだ定期的に食事を取ったり、休憩をしてライフを回復する必要がある。


 裏路地の物陰で、エレナさんは見られないように死角を作り、俺を抱えたままで器用に片方の胸を出す。モニカさんほどの小麦色ではないが、彼女の肌には日焼けあとがうっすらできており、ふだん露出していない両の乳房の白さが際立って映った。


 赤ん坊の頃よりは大きくなった手だが、まだエレナさんの胸は手に余る。俺の手が輝き始め、エレナさんの胸を支えるようにあてがわれると、彼女の商人スキルの経験値が流れ込んできた。


「ふふ……重たいから、そうやって持ち上げてくれると楽になるよ」

「じゃあ、みんながいないときはいつでも持ち上げるよ」

「……可愛い顔して、すごいこと言うねえ。いい? ほんとは、おっぱいを持ち上げるのは、結構大胆なことなんだよ」

「わ、わかった……もうちょっと大きくなったら、もうしないようにする」

「……なんて、冗談よ。あんたなら、いくつになっても……」



 ◆ログ◆


・あなたは《エレナ》から「採乳」した。ライフが回復した。

・「商人」スキルが上がりそうな気がした。



 触れるだけでスキルが得られる――そのログが表示されるとどうしても嬉しくなってしまうのは、元ゲーマーの性だ。


(スキル上げをもっと徹底的にやりたい……って、さすがに攻略脳になりすぎだ。エレナさんの負担も考えないとな)


「……ねえ、これって、直接触らないとだめなのかい? あたしはそっちの方がいいんだけど」

「う、うん。服の上からでも大丈夫かもしれないけど、お乳が出ちゃうかもしれないから」

「なるほど、そういうことかい。ふふっ……あんたも子どもなりに、気を使ってるんだねえ」


 俺は自分からエレナさんの胸をしまってあげた。彼女が名残惜しそうな顔をしてるのは、気のせいだと思おうとしないと自重できない。マナに余裕があるなら、いくらでも採りたいのが俺の真理だからだ。


「……あんたがしゃべれるようになると、なんだか駆け引きされてるみたいだねぇ……そのうち、沢山女の子を泣かせるようになりそうな気がするんだけど。レミリアにはとても言えないわね、こんなこと」


 豪快なお母さんだとばかり思っていたエレナさんだが、ときおり口調が柔らかくなることがあって、俺はそれが何とも言えず好きだった。いや、好きといっても恋慕まではいってないが。

 ――って、そういう考え自体が「ませてる」とか、「駆け引きしてる」とかいうことになるんだろうか。


「アッシュとステラと遊んでるときに、あたしも一緒に遊んでもらえるといいんだけどねえ……」

「う、うん……それはもちろん」

「ふふっ、なんだ、ヒロト坊もけっこう乗り気だったんだねぇ。あたしが無理やりしてるみたいで、ちょっと気にしてたんだよ。じゃあ、何も気にすることないわねえ」


 エレナさんは嬉しそうに言うと、しばらく俺をあやすようにして抱きしめ、背中を撫でてくれる。

 そしてひとしきり俺を愛でて満足すると、彼女は先に帰っていった。一人になった俺は「忍び足」を発動し、今日の最後の目的地に向かった。



◇◆◇



 家を出てから一時間ほどだが、かなり密度の高い時間を過ごせている。母さんは夕方まで仕事部屋から出られないと言っていたので、まだ時間の余裕があった。


 俺が向かった先は冒険者ギルドだ。アンナマリーさんからもらった冒険者スキルのおかげで、俺は初級のクエストを受注する資格を持っている。しかし、この年齢ではまず相手にされず、ギルド長によってつまみ出されるか、家に戻されてしまうだろう。


(そこで今回ばかりは、魅了スキルに頼るわけだが……)


 魅了スキルで冒険者の人を魅了し、仲間になってもらう。そして俺とパーティを組んでもらって、代わりにクエストを受けてもらう。報酬は分配制にできるといいが、今はそんなにお金やアイテムが欲しいわけじゃなくて、クエストを攻略することで得られる情報のほうが優先だ。

 しかし一歳の俺が、パーティに貢献出来る要素があるのかどうか……やはり、戦闘に参加出来ると証明しないと足手まといになってしまう。


(……あれ?)


 ギルドの入り口が見えるところまで来たところで、出入りする人に声をかけている一人の若い女戦士の姿が目に入る。


「あ、あのうっ、自分はウェンディ・ベルであります! よろしければ、私とパーティを組んで、一緒に冒険をっ……」


 男女二人ずつ、前衛と後衛のバランスが整ったパーティに、ウェンディという女戦士――少女戦士と言えるような年齢だが――が、必死に声をかけている。


「ギルドカードを見せてごらんよ。話はそれからだ」

「は、はいっ……あの、まだ作ったばかりで……」

「はっ、見ろよこいつの冒険者ランク、Gだってよ! いきなりFランクパーティに入って楽しようなんざ、考えが甘いってぇの!」

「だははっ、あんまり言ってやんなよ。新人ルーキーってことだろ? お嬢ちゃん、お茶汲みからなら入れてやってもいいぜ。仕事の分前はナシのタダ働きだがな」

「気が向いたらクエストに連れていってあげてもいいわよ。気が向くのは何ヶ月後かもしれないけどね」

「そ、そんな……が、頑張りますから! 騎士学校で剣を学びましたし、こう見えても……っ」

「ああわかったわかった、ランクFになったら考えてやるよ。俺らは忙しいんだ、それじゃあな」


 四人パーティはウェンディに取り合わず、ギルドに入っていく。


(というか、新人がGなのは仕方ないとして、Fランクで偉そうにしてるのは……イラッとするな)


 ああいうパーティに限って、Eランク以上のパーティには媚を売ったりするんだろうな。Gランクでも、あのウェンディって女の子のほうが、よっぽど見込みがありそうだ。真っ直ぐな目をしているし、持っている装備だって粒ぞろいだ。ツノのついた目立つ兜は、ちょっと似合ってない感じがするが。


「…………」


(……あれ?)


 さっきのパーティのうちひとり、最後までウェンディを悪く言わなかった人が、ギルドに入らずに立ち止まっていた。仮面をつけているのでわからないが、どうやら女性のようだ――体型のラインで判断するのもどうかと思うが。


「すまなかったね。仲間の非礼を、代わりに詫びさせてもらおう」

「え……あ、い、いいえっ、そんなこと!」

「Fランクに上がる事自体は、そう難しくはない。できれば無茶はせず、ゆっくり地盤を固めることだ。小生も、陰ながら応援しているよ」


(……小生、って言ったか? あの人、女の人なのに)


 その呼び方が引っかかって、思わず彼女を呼び止めたくなる。仮面をつけていた彼女は、おそらく法術士――ソーサラーだ。


「……はぁ。やっぱり、だめなんでしょうか……でも、ここであきらめるわけにはいかないであります……!」


 肩を落としていたウェンディは、しばらくしてギルドの中に入っていく。そして、しばらくしてから勇んで外に出てきた。


(Fランクに上がるために、クエストを受注したのか……大丈夫か? 何か、危なっかしいぞ)


 一歳の俺がうろうろしているほうがよっぽど危なっかしいのだが、俺はひとつ思ったことがあって、ウェンディについていくことにした。


 魅了を使わなくても、頼み込んで俺とパーティを組んでくれ、とお願いすることは出来るかもしれない。森なら他の人に見られる心配も少ないので、モンスターを見つけたら、今の俺の戦闘力がスキルの数値に即しているかを確かめることができるはずだ。


(今の森って、どれくらいのモンスターがいるんだ……弱いやつだといいんだけど……)


「おいっ、ちょっと待てっ! そこのお前、パーティを組んでると申告したはずだろうっ! 一人で行くなっ!」

「っ……だ、大丈夫であります! 仲間とは森で合流するでありまーすっ!」

「コラァ! くそっ、近頃の若いやつはこれだから……おい、森に行けるやつは居ないか!?」


 禿頭のギルド長が出てきてウェンディを呼び止めようとするが、ウェンディは聞かずに行ってしまった。仲間と合流するなんて、はったりもいいところだ。

 そしてギルドからは、新たな冒険者が派遣される様子もない……何か、嫌な予感がする。


(まさか、モンスターのことをよく知らずに、危険な依頼を請けたんじゃ……パーティ必須ってことは、ボスモンスターが登場する依頼っていうことになる……!)


 俺はウェンディを見失わないうちに走り出す。今の体格では周囲を驚かせる速さだろう――俺は前世で飼っていた子犬のことを思い出していた。あの身体で、驚くほどすばしこかったものだ。まさか自分がそれと似た動きをするようになるとは――客観的に見るとちょっと笑えてしまう。


(やばい敵には手を出すなよ、ウェンディさん……!)



◇◆◇



 ミゼールの西の外れからは草原が広がり、さらに先に森がある。草原に出てからは、ウェンディの後ろ姿は遠かったが、なんとか見失うことはなかった。


 彼女は森に入ると、まずラビットと交戦した。


「はぁぁっ……でありますっ!」



◆ログ◆


・《ウェンディ》は「薙ぎ払い」を放った!

・《フェイクラビット》に32のダメージ! フェイクラビットを倒した!



 鉄の長剣を抜き、剣術スキルの「薙ぎ払い」を放つ。ダメージ量からすると、彼女のレベルはまだ低い――恵体によるボーナスダメージも、15くらいしか認められない。つまり、恵体5――ライフ100くらいということだ。


(この実力じゃ、少し強いモンスターが出てきたらまずい……大丈夫か……?)


 さすがに最初から手を出すわけにはいかず、俺は緊張しながらウェンディの戦闘を見守る。


「まだまだ楽勝でありますね……コボルトリーダーが出るまで、突き進むでありますっ!」


(なっ……!?)


 ラビットを倒し、次に出てきたゴブリンに斬りかかるウェンディの言葉に、俺は凍りついた。

 ゴブリンリーダーですら今のレベルでは倒せるか怪しいところなのに、コボルトリーダー……リーダーのステータスは、群れに属する雑魚の「コボルトクラン」より遥かに高い。


(それにコボルトは「遠吠え」で仲間を呼ぶ性質がある……ほ、本当に大丈夫か……?)


「せいぁぁっ!」



◆ログ◆


・《ウェンディ》は「薙ぎ払い」を放った!

・《ゴブリン》に32のダメージ!

・《ゴブリンアーチャー》に30のダメージ!



 しかし、後衛を狙いつつ他の敵を巻き込んで倒す立ち回りには、目を見張るものがある。

 武器スキルが薙ぎ払いしかなければ、決め手に欠ける――だがこのタイミングで手を出せば、俺の異常さが際立って映ってしまう。


(モニカ姉ちゃんや、リカルド父さんを呼ぶべきだったか……でも、もう……)


 俺が迷っているうちに、最初のコボルトが姿をあらわす。おそらく、ウェンディが受けたクエストのメインターゲットは、このコボルトたちを統べるコボルトリーダーだ。


 コボルトは犬の顔をした獣人で、皮の鎧を身につけ、右手にゴツゴツとした石棒ストーン・クラブを携えて、左手にはぼろぼろの木の盾を装備している。そいつはウェンディの姿を見つけると、舌なめずりをしてから、すかさず襲いかかってきた。


「アォォンッ!」

「くぅっ……!」



◆ログ◆


・《コボルトA》の攻撃!

・《ウェンディ》は武器で受け止めた。武器の耐久値が下がった!



 コボルトが石棒を叩きつける。鈍器攻撃はうまく防がないと装備の耐久値が削られるため、序盤での初心者殺しと言われていた。


「何の……これしきでありますっ!」



◆ログ◆


・《ウェンディ》は「薙ぎ払い」を放った!



 反撃を入れようとするウェンディ。しかしコボルトの目がギラつき、左手の盾が動く。


「ガルルゥッ!」

「きゃぁっ……!」



◆ログ◆


・《コボルトA》の「シールドパリィ」が発動した!

・《ウェンディ》に致命的な隙が生じた!



(まさか……コボルトがパリィを成功させるなんて、ありえないぞ……!)


 あれだけボロボロだった盾は、このコボルトがパリィを何度も発動させたことを暗に示していた――それに、俺もウェンディも気づいていなかった。



◆ログ◆


・《コボルトA》の攻撃!

・クリティカルヒット! ウェンディに35のダメージ!

・クリティカルエフェクト! ウェンディは混迷状態になった。



「あ……かはっ……!」


(まずい……!)


 石棒で鎧の上から突かれたウェンディは、打撃のショックで吹き飛び、木の幹にぶち当たる。かぶっていた兜が外れて、中に収まっていた長い髪が広がる。


「はぁっ、はぁっ……迂闊……でありました……しかし……っ」


 ウェンディは剣を突いて立ち上がろうとする――だが、その目が絶望に凍りついた。



◆ログ◆


・「ロングソード+1」は耐久値がゼロになり、破壊された。

・《ウェンディ》は「?壊れた剣」を手に入れた。



「あ……あぁ……っ」


 ウェンディが地面に剣を突いた瞬間、ヒビの入っていた剣は半ばから折れてしまう。壊れた剣は修理に出せば元に戻るし、装備としても使えるが、攻撃力は最低で、武器スキルも使うことができない。


 薙ぎ払いに頼り続けていたウェンディは、これ以上戦闘を続けるすべを失う。混迷状態のために立ち上がることも出来ず、石棒を携えて歩いてくるコボルトを見ていることしかできない。


「――アォォーーーンッ!」



◆ログ◆


・《コボルトA》は「遠吠え」をした。仲間に声が届いた。

・《コボルトリーダー》が現れた!

・《コボルトB》が現れた!

・《コボルトC》が現れた!



「や……い、いや……嫌でありますっ、私は、こんなところで……っ」


 コボルトリーダーは他の個体よりも大きく、片目に傷が入っている。それは、先に討伐にやってきた冒険者か、同格の相手と戦ったという証でもあった。そして、おそらくは勝利している。


 狼のような風貌で、灰色の体毛を持つコボルトリーダーは、他のコボルト三匹をウェンディに差し向ける。


「ガルルッ……!」

「きゃぁぁっ、嫌っ、嫌ぁぁっ……!」


 ウェンディがつけている鎧の接合部を器用に爪と牙で壊していく。コボルトが何をしようとしているのかは明らかだった――コボルトリーダーは長い舌を出し、まるでご馳走でも前にしたかのように、獣欲に満ちた血走った目でウェンディを見つめる。


「……こないで……っ、お願い、こないでっ……!」


 どれだけ訴えても、獣の耳には届かない。コボルトリーダーがウェンディに触れられる距離まで近づこうとしたところで、俺の中で何かが切れた――とうの昔に切れていたが、もう限界だった。


(……自分の立場なんて、もうどうでもいい。ウェンディを助ける……それ以外にない……!)


 少しでも戦闘を有利にするために、使えるスキルは使う。一度心を決めてしまえば、俺は何も迷うことはなかった。



◆ログ◆


・あなたは「魅了」スキルをアクティブにした。

・あなたは「忍び足」を終えた。隠密状態が解除された。



「バケモノどもっ! おれはここにいるぞ!」

「え……っ!?」



◆ログ◆


・「カリスマ」が発動! 《ウェンディ》があなたに注目した。

・「魅了」が発動! コボルト2体が抵抗に失敗、魅了状態になった。



「ガルルッ……グガァァァッ!」


 邪魔をされたことに激昂し、コボルトリーダーが吼える。見上げるような巨体を目にして、全く圧倒されないというわけにはいかなかった。


(勝てるのか……いや、勝つしかない。俺に使える武器スキルはひとつ……それでも……!)


「ガァゥッ!」


 最初の相手がコボルトになるとは――生前なら雑魚だったが、転生後に最初に相手にするとなると、なかなかの迫力だ。


 しかし俺の手には、バルデス爺が作ってくれた斧がある。玩具のような斧でも、スキルの力を借りれば、俺に十分な戦闘力を与えてくれる……!


(――行くぞ……行ける。絶対にうまくいく……!)



◆ログ◆


・あなたは「薪割り」を繰り出した!



 本来は薪を割るためのスキルだが、攻撃に使うこともでき、植物系モンスターに特攻を持つ「薪割り」。通常の敵には等倍のダメージしか出ないが――今の俺のスキル値に基いて計算するならば。


 恵体12に3をかけ、さらに武器倍率を最低値の1.1倍とすれば――。


 スキルを発動した瞬間、何も考えなくても身体が動いた。

 小さな身体を利用して懐に入り、振り上げた小さな斧、コボルトの胴めがけて叩きつける。



◆ログ◆


・《コボルトA》に45ダメージ! コボルトを倒した!



「ギャォォンッ!」


(戦える……これなら……!)


「……すごい……あんなに、小さいのに……」


 ウェンディは信じられない、といった顔で見ている。嫌悪を抱かれても仕方ないと思っていたが……少しだけ、安心した。


 しかしまだ、敵は残っている――コボルトリーダー。今の俺で、倒しきれる相手なのかどうか。


(やるしかない……ゴブリンリーダーより少し強いくらいの雑魚ボスだ。コボルトを倒せれば、絶対に倒せないわけじゃない……!)


「ガォォォンッ!」


 コボルトリーダーは仲間を倒した俺に、怒りとともに石棒を叩きつけてくる。


(恵体でダメージを軽減出来るはず……しかし、試すにはあまりにも怖いぞ、これは……っ)


「――『神よ、加護を与えたまえ』!」



◆ログ◆


・あなたは「加護の祈り」を使った! 祈りが届き、あなたの防御力が上昇した!



 神聖剣技スキルで取得できる「加護の祈り」。一時的に物理ダメージを15ポイント軽減するスキル――これと恵体の防御効果を合わせれば、俺は39ダメージまでは無効化できる。



◆ログ◆


・コボルトリーダーの攻撃!

・あなたは5のダメージを受けた。



「くっ……!」


 石棒を斧で受け止めたが、手がしびれて衝撃が伝わった――しかし、ダメージはたかが知れている。この攻撃を30発受けても俺は死なない、そう確認できた。


「ガ……ガルッ……」


 コボルトは好戦的な魔物なのに、戦意を挫かれることもあるらしい。コボルトリーダーは一歩、二歩と後ずさる。


「……さっきまで元気だったのに、どうしたの? こないなら、おれから行くよ」

「――ギシャァァァッ!」


 そして魔物にも、挑発は通じるらしい。その大ぶりの攻撃が、コボルトリーダーにとっての敗着の一手になるのは明確だった。


 しかし俺の一撃のダメージも、まだ決して高くはない。薪割りをあと3回入れる――最後まで、気を抜かずに倒しきらなければ。



◇◆◇



 戦闘はおよそ5分ほどに渡った。コボルトリーダーが隙を見せるのを待って、着実にダメージを入れていく。



◆ログ◆


・あなたは「薪割り」を放った!

・《コボルトリーダー》に37ダメージ! コボルトリーダーを倒した!



「ガァッ……ァ……」


 コボルトリーダーは膝をつき、石棒を落とすと、全身から光を放つようにして消滅した。


「はぁっ、はぁっ……お姉ちゃん、大丈夫……?」

「……私は……夢でも、見てるのでありますか……?」


 倒れているウェンディの近くに行くと、彼女は目に涙をいっぱいためて、俺に手を伸ばしてくる。そして現実の存在か確かめるように頭を撫で、頬に触れてきた。


「あはは……くすぐったいよ、お姉ちゃん」

「……お姉ちゃんだなんて、おこがましいであります……私は、命を助けられたのでありますから」


 ウェンディは微笑むが、目の端から涙がぽろぽろと伝う。よほど怖かったんだな……それはそうだ。あの状況で仲間を呼ばれて、鎧まで剥ぎ取られかけたんだから。


「あっ……ご、ごめんなさい、おれ、何も見てないからっ!」

「ふぇ……?」


 彼女は鎧の胸甲を剥がされてしまい、その下の服も破かれている。すごく大きいというわけじゃないが、バランスの取れた形のいい美乳だ。


(戦士としては半人前だが、ここは一流だ……って、それはセクハラだ)


「はぁぁっ……み、見たでありますかっ? い、いえ、まだお小さいですから、見られてもそんなに気にしないでありますがっ……それでも、人に見られたのは初めてであります……っ」


 あわてふためくウェンディ。そして彼女が動いた拍子に、ぴちゃ、と水っぽい音がした。


「……あっ」

「あ……」


 そして、二人して気がつく。座り込んでいるウェンディの下に、水たまりができていた。



◇◆◇



「ぐすっ……ひっく。な、なさけないであります……っ、私はもう、故郷に帰ったほうが……っ」

「だ、だいじょうぶだよ、お姉ちゃん。おれがちゃんと洗っておいたから」

「それがさらになさけないのでありますぅっ……うぇぇ~んっ!」


 ウェンディはコボルトリーダーの身体の大きさと迫力を見て、座り込んだままで、聖水というかなんというかを大地に水撒きしてしまったのだった。


「え、えーと……おれもちょっと前は赤ん坊だったから、お母さんにおしめを替えてもらってたよ。だから、おあいこじゃないかな」

「い、今でもほとんど赤ちゃんに見えるのです……そんなちっちゃな男の子に助けられて、お、おもらしした下着まで洗ってもらうなんて……し、死にたいでありますぅぅっ……!」


 近くの小川でウェンディのパンツなどを洗って干しているあいだ、彼女は下半身を隠すこともできずに、茂みに隠れて俺と話していた。


 年上なので「ウェンディさん」と呼んでいたが、非常に頼りないので、ウェンディと呼び捨てにする。勇敢な戦士ではあるので、俺は彼女に好感を持っていた。


「あ、あの……そんな、気にすることないよ。それより、おれの方が変じゃなかった?」

「……変というか……私の剣と同じくらいか、それ以上の威力を、ちっちゃな斧で出していたでありますね。盾で受けられてしまった私より、あなたのほうが……」


 そう言ってから、ウェンディは何かに気づいたように言葉を切る。そして、改めて尋ねてきた。


「……あの、お名前を聞いてなかったのであります。私はウェンディ・ベルであります」

「おれは、ヒロト・ジークリッドっていうんだ」

「ヒロトちゃん……いえ、ヒロトさんでありますね。助けてくれて、本当にありがとうございます……であります!」


 あります、って言わないと落ち着かないみたいだな……まあ、それはいいか。

 ウェンディはかなりの童顔で、溌剌とした活力を感じさせる目をしている。その真っ直ぐな瞳を見ていると、こちらも感化されるものがあった。俺もこれくらい、真っ直ぐに生きたいものだと思う。


「え、えっと。ウェンディさんは……」

「さ、さんなんてつけなくていいであります、私はただのウェンディでありますから」

「うん、じゃあお言葉に甘えて……ウェンディは、どうして一人で戦おうと思ったの?」

「うぅ……仲間を見つけるつもりだったでありますが、なかなか、私の実力では入れてくれるパーティが無かったのであります。騎士学校を出ても騎士団に入れなかった私ですから、しかたないのでありますが」


 落ち込んでいるウェンディの話を聞いているうちに、俺は何のためにギルドに行こうと思っていたかを思い出す。そう、俺はパーティを組んでくれる相手を探していた。


「あ、あの……おれ、まだ小さいし、こんなこと言われてもって思うかもしれないけど。よ、よかったら、おれと……」

「……ヒロトさんと?」


 ウェンディは俺が何を言いたいのか予想がつかないようで、不思議そうな声を出す。

 また緊張してきた……いや、克服しないと。こんなところでコミュ障を発揮してたら、いつまでも前に進めない。


「お、おれと……パーティを組んでくれないかな?」

「……ぱ、パンティでありますか? パンティでしたら、干してあるものでなくて、宿に帰れば新品が……」

「ぱ、パンティじゃなくて、パーティを組んでほしいんだ。おれの仲間になってくれないかな……?」


 パンティと言われたときは面食らったが、なんとか食い下がる。ウェンディは最初は目をぱちくりしていたが、しばらくして意味が伝わったかと思うと――。


「ほぇぇぇっ!? わ、私とパンティ……じゃなくて、パーティでありますか!?」

「ご、ごめん、おれ、小さすぎるよね……ほとんど赤ん坊みたいなものだし」

「い、いえっ、いいえっ! 小さくても百人力であります! 私は、ヒロトさんの戦いぶりを見た時から、弟子入りしたいと思っていたのでありますっ!」


 ウェンディは勢い余って茂みから出てきてしまった――茂みから出てきたのに、彼女には茂みがない。さて、何のことだろう。回答時間は三秒、配点は五十点。


(は、はいてないのに出てきちゃったら……み、見てはいけない部分が……!)


「う、ウェンディ……それはいいんだけど、あの、し、下……」

「ほえ?」


 俺は耐えかねて目をそらす。ウェンディは呆けた声を出して、自分の下半身がマッパであることを確かめた。


「――ひきゃぁぁぁぁーーーーーっ!」


 コボルトもびっくりの遠吠えを上げて、彼女は茂みに戻っていった。うーん、どこから声が出ているんだろう。戦士のスキルに「戦士の雄叫びウォークライ」があるけど、彼女には素質がありそうだな。


「……もうお嫁にいけないであります……お師匠様になら、見られてもいいでありますが……っ」


 茂みの中から声が聞こえる。下着が乾くまでは出てきてくれなさそうだな……とか思っていると。



◆ログ◆


・「魅了」が発動! 《ウェンディ》は抵抗に失敗した。



(そ、そうか……コボルトと戦うときに、アクティブにしたの忘れてた……!)


「ひゃんっ……!」


 茂みの中から魅了が成ったことを示すように、ウェンディの声が上がる。赤ん坊なら、母性に訴えかけて魅了しやすくなる――と思っていたのだが。彼女の好感度を調べると、すでにこんなことになっていた。



◆情報◆


名称:ウェンディ・ベル

関係:あなたに好意を抱いている



(こ、これは……コボルトから助けたから、好意を持ってくれたってことだよな……そして、魅了が入りやすくなってしまったと……)


 分析しているうちに、また茂みが揺れて、ウェンディが出てくる。今度は、彼女は恥ずかしがる様子もなく、俺の方に真っ直ぐ歩いてきた。


「……お師匠様には、私の一番恥ずかしいところを幾つも見られてしまったのであります。それに、これからパーティを組むとなると……し、親睦を深めたいと言いますか……ヒロトさんはまだ、赤ちゃんみたいに小さいでありますから……そ、そのぅ……あのぅ……」


(は、話がうますぎる……じゃなくて、早すぎる。え、えーと、ウェンディのステータスは……?)



 ◆ステータス◆


名前 ウェンディ・ベル

人間 女性 13歳 レベル3


ジョブ:戦士

ライフ:100/100

マナ :24/24


スキル:

 戦士 13

 剣マスタリー 18

 恵体 5

 母性 24

 気品 28

 料理 12


アクションスキル:

 薙ぎ払い(剣マスタリー10)

 授乳(母性20)

 簡易料理(料理10)


パッシブスキル:

 剣装備(剣マスタリー10)

 勇敢(戦士10)

 攻撃力上昇(戦士20)

 育成(母性10)

 マナー(気品10)



(戦士……戦士は戦闘力に直結するスキルが多い。多いぞ……!)


 二回言わなくてもわかるが、大事なことなので強調しておいた。戦闘力は大事だ、さっきみたいな荒事があったとき、攻撃力が上昇していたら、コボルトリーダーをもう少し楽に倒せたはずだ。


 欲望ミルクに直結した思考を展開しているうちに、ウェンディは破かれて申し訳程度に上半身を覆っているシャツを左右に開く。その時の音を表現するなら、プディングを皿に載せたときの感じというか、スライム的な感じというか、つまりはぷるるんだった。ぷるんぷるん、と二回言うと破壊力が増す。そして俺は死ぬ。


「……あのまま犬の怪物に襲われていたら、私は生きてなかったのであります……ですから、私のすべてはお師匠様に捧げるべきものなのであります。それが、私の家の家訓なのであります。命を助けられたら、それが異性であれば、絶対に逃がすなと。見込みのある男性に違いないからと。私は一理ある、と思うのであります」


(こ、後半はなにか婚活めいたことになってるような……それに、家訓って……)


 ウェンディのスキルに「気品」が含まれていることには気づいている。フィリアネスさんもそうだったし、この国では上流階級の子女でも騎士を目指すことは多いのだろう。


 まだ十三歳の瑞々しいプロポーションが、小川の水面のきらめきに彩られている。思わず息を飲むほどで、俺は女の子はこれほど表情や情景ひとつで違って見えるのかと感嘆する。


「……お師匠様、私に何か出来ることはありますか?」

「え、えっと……あの……」


 出会ったその日になんて、なかなか無いことだ。むしろありえない。そんなことを思っていた生前の記憶が、薄れてなくなっていく感じが……これが、次のステージに上がるということか。


 ウェンディは俺を抱え上げると、じっと見つめてくる。何をしていいのかわからないが、何かがしたい。彼女の目は、そう訴えかけているように思えた。


(……俺は選択肢を提示するだけだ。ダメならダメと言ってもらって……まあ、言えないんだけどな)



◆ダイアログ◆


・《ウェンディ》はあなたの命令を待っている。命令しますか? YES/NO



 俺はわりと震える感じで、意識に展開したウィンドウを開き、ウェンディの所持スキルからひとつを選択した。「授乳」をする条件を満たしていないというログが流れ、代替スキル「採乳」が選択される。


 俺の手が輝き始める――ウェンディはそれを見てこくんと喉を鳴らしたが、胸に触れるまで動かずにいてくれた。


 ふにゅん、という何とも言えない弾力――しかし、まだ成長の可能性を感じさせる硬さが残っている。彼女の胸が光り輝いたあと、俺の中にエネルギーが流れ込んでくる――『戦士』スキルの経験値だ。


「……こうしていると、落ち着くのであります。怖い思いをしたことも、全部忘れられて……安心するであります……」


 小川のせせらぎと、ウェンディの穏やかな声。彼女のマナからすると、二度採るだけで限界ではあったが、それでお礼としては十分過ぎるものだった。


「あ、ありがとう……ごめん、変なことお願いして」

「い、いえ……私こそ、こんなふうにしたいと言ってもらえたのは初めてなので、何だかふわふわしているであります……あの、お師匠様。もう少しぎゅっとさせていただいてもいいでありますか……?」


 採乳をした後の好感度の上昇は激しいものがある。それでも俺は、スキルを集めることをやめられない――『戦士』スキルはとても有用だからだ。


「うん、いいよ。ウェンディ」

「ありがとうございます……であります……はぅぅ、お師匠様、いい匂いであります……っ」


 パーティに入って欲しいとお願いするつもりが、弟子ができてしまった――しかも、かなりなついてもらっている。

 俺はウェンディにひとしきり可愛がられつつ、これで冒険の一歩が整ったことに満足し、そして彼女が俺を気に入ってくれたことに安堵していた。


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[良い点] 面白い… そしてなろう界初の合法的エロ本かもしれない…(笑)
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