「彼女が出来たって本当なの」
9月3日火曜日。この日から通常通り授業が始まる。昨日より重くなった鞄を背負った春上はため息を吐いた。夏休み明けと言うのに、教師たちは容赦しない。一学期の復習だけで授業が終わるはずもない。
一学期の復習をせずいきなり二学期のカリキュラムが始まるに違いない。現に高校一年生の夏休み明け最初の授業が一学期の復習を完全に無視した、 二学期の授業だったのだからそのように考えてもおかしくはないだろう。
「ねえ」
突然春上の背後から一人の少女が声を掛けた。春上が背後を振り返ると、短髪の少女が立っている。この背が低い彼女の名前を春上は知らない。違うクラスだから面識がないのか。違う学年だから面識がないのか。春上はそれさえも分からなかった。
初対面であるにも関わらずこの少女は春上に声を掛けた。奇妙なラブレターに謎の少女。いったい高校2年生の2学期に何が起ころうとしているのか。春上には分からない。
「どこの誰か知らないが、いきなり馴れ馴れしくはないか」
春上は謎の少女を注意した。だがその少女は警告を無視して馴れ馴れしく話しかける。それも顔を赤くして。
「ごめんなさい。でも一つだけ聞きたいことがあって。彼女が出来たって本当なの」
それは爆弾発言。春上は完全な思考停止状態に陥り動くことができなかった。
少女の爆弾発言が聞こえたのか。少女と春上の周りを多くの生徒たちが囲んだ。恋愛ネタに敏感に反応した生徒たちは野次馬でしかない。
「だからそれは嘘だ。それよりその質問は親しくなってからしてほしい。初対面の女の子がする質問ではないだろう。こっちからも質問しようか。名前は何だ」
その少女は微笑むと春上の右肩を触り耳元で囁いた。
「二年三組の江角千穂とあなたが幼馴染なら、わたしは彼女になるから」
そしてその少女は野次馬たちを避けてさっそうと廊下を歩いた。
朝礼が始まるまでの10分間春上はこのことを江角に報告した。
「怪しいとは思わないか。あのラブレターの差出人は先ほど俺に話しかけてきたあの女の子だと思う」
江角は春上の推理に納得しない。
「まだ彼女が差出人であるという証拠はありません。それともう一つ。なぜ春上はその少女の名前を聞かなかったのですか。そうすれば、探ることができたでしょう」
「いいや。名前を聞こうとしたが、彼女は答えなかった」
江角には春上の言葉が言い訳に聞こえた。
そして彼女はプリントの裏紙を取り出す。
「仕方がありませんから、この紙に春上に話しかけてきたその少女の特徴を書いてください。最低でも身体的特徴5個以上。一時限目終了後の休憩時間に提出してください。提出したメモを夏川くんに見せてモンタージュ写真を作ってもらうから」
夏川誠という男を春上はかなり評価している。夏川誠は何回もコンクールで大賞を受賞するほどの画力の持ち主。それだけではなく、身体的特徴が書かれたメモを読むだけでモンタージュ写真を書くことができる能力を彼は持っている。
「夏川を巻き込む必要があるのか。彼女と俺との会話は多くの人間が聞いていた。つまり目撃者が多数いる。そいつらに聞き込みをして、謎の少女の身元を特定した方が手っ取り早いと思うが」
「夏川くんはぜひ仲間に引き入れておく必要があると思います。彼を仲間にするだけで捜査力はかなり飛躍しますから」
そして一時限目終了後の休憩時間春上は授業中にこそこそと書いたメモを江角に渡した。
それから彼女は机の上に教科書とノートを置いた夏川誠に声を掛ける。
「夏川くん。頼みがあります。このメモを元にモンタージュ写真を書いてほしいです」
目の下に隈がある夏川に江角はメモを渡した。
「江角さんの頼みなら仕方ない。5分で書きます。このメモを見た瞬間から答えは分かっていますが」
夏川は目にも止まらない早業でモンタージュ写真を制作する。3分後モンタージュ写真は完成した。完成したモンタージュ写真を見て夏川は納得した。
「やっぱりそうだった」
夏川の言葉を聞き江角は首を傾げる。
「なぜ一人で納得しているのでしょう」
「最初に言ったでしょう。メモを見た瞬間から答えは分かっているって。半信半疑だったが僕はこのモンタージュ写真に見覚えがある。こいつは二年四組の漆谷梅子。クラス替えがあるまではクラスメイトだったから覚えている」