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ロマンスに踊れ  作者: 青生翅
本編
9/30

9  ファールの筋書き――侯爵家の忠義




 マクシムの感じていた違和感が、その一言で形を取った。


「ヴァルナ公爵閣下、あなたがリディ様の誘拐を計画なされたのですわね」


 いまだ疑惑の晴れぬ――誘拐そのものの黒幕ではないにしろ、怪しさは薄れていなかったはずのファサイエル侯爵令嬢オレリアが発した言葉は、その場の空気に質量を持たせるように、人々に圧し掛かった気がした。


 ――戯れに発していいことではない。


 臣籍に下った、現在は一公爵でしかないなどというのは、貴族ならば誰もが理解している建前だ。元第二王子を相手にしてこのような冗談など言えない。

 つまり、オレリアは本気であるのだ。




 ヴァルナ公爵――ランベール=レミ・ファール。

 三年前に自ら王家から出ることを選んだとき、社交界は騒然とした。

 それもそのはず、王位継承権二位という高位の王族が何故と誰もが思ったのだ。


 当代の国王陛下には王子が三人。

 グラシアン王太子、ランベール第二王子、シャルル第三王子。みな優秀と知られる王国の誉れだった。

 特に王太子と第二王子は正嫡――つまりは王妃殿下が産んだ同腹の兄弟だ。第三王子は側室から生まれた子であり、継承権三位とはいえ兄王子たちからは年齢も立場も少し開いている。

 ランベール第二王子の行動は、一歳しか違わない王太子の立場を慮り、無用な後継者争いの火種をなくすための配慮であろうというのが一応の見解だった。


 だが王子(デュ)の冠詞を返上したとはいえ、いまだ王族(ファール)を名乗ることは許されている。

 つまりグラシアン王太子殿下に何かあった場合、シャルル第三王子と同じように新たな王太子候補として名が挙がるのだ。王子(デュ)の名称がつかない分、実際の継承権は第三王子が二位に繰り上がっているが、他に王族の血を引く者たちの中でもヴァルナ公爵の血の正当性は明らかだ。王国史では序列順そのままに王子たちが王太子や国王の座についたわけでもないことから、もしもの場合、側室生まれのシャルル第三王子よりも、ヴァルナ公爵が王家に再び戻ることで地位に就く方が方が可能性としては高い。


 臣籍に下って後も、国王陛下は何かしら公爵を呼びつけては相談事を持ちかけているという。王太子や第三王子との仲も良く、表向きはヴァルナ公爵は臣下の礼を取って接しているが、おそらくこの先も“兄”と“弟”の親しみは変わらないだろう。




 だが、マクシムが感じていた違和感というのは、まさにここにあった。

 いくらその立場が実際よりも高いものとはいえ、この場に――リディ・サンリーク誘拐事件を論ずる場に居合わせるという不可解さは拭えなかったのだ。


 王家に戻る可能性もある公爵。しかし現段階ではやはり王家を出た人間であるのだ。

 だと言うのに、王太子殿下の婚約者が誘拐された件に関わるのはいささか出しゃばり過ぎと捉えられる。普段は臣下の礼を取り、住まいも王城の外に屋敷を構えて無闇に登城しないでいる公爵が、こと今回の一件に自ら姿を現しているのは何故か。


 ファサイエル侯爵家に王太子とともに出向き、令嬢たちと密に連絡を取り合って何事かをやり遂げたオレリアにもたらされた、王城からの連絡。

 そこでヴァルナ公爵もまた王太子を始めとする人々の戻りを待っていると耳にしたときから、マクシムは何か思いもよらなかったことが裏で起こっているのではないかと予感した。

 

(それがまさか……?)


 一方、オレリアの投げかけた言葉に固まった人々など意にも解さないように、ヴァルナ公爵ランベールは少年のような笑みを浮かべた。嬉しくて仕方がないとばかりに、艶然とした美貌を輝かせる。


「ランベール……お前っ!」


 実の弟に移った疑惑に、グラシアン王太子は瞳を揺るがせた。

 元許嫁に罪を問うよりも、その声は震えている。


 だが当の公爵本人は、どこかオレリアをも思わせる微笑みで王太子に目を向けた。


「王太子殿下、リディ・サンリーク嬢がご無事で何よりでした」


 もしもオレリアの言葉がなければ、何の当たり障りもない挨拶の一つ。しかしマクシムはもはや、そこになんの含みがあるのか徹底的に観察しなければならなくなった。


 けれど、と続けてヴァルナ公爵は再びオレリアに瞳を戻す。


「私のことよりも――まずはオレリア嬢、君が何をしたのか聞かせて欲しいな」


「……と、おっしゃいますと?」 


「君と、君の同志たちが何を予感し、今日のためにどのような準備をしてきたのか。リディ・サンリーク嬢が無事に、今も愛しい恋人の腕の中に居られるその理由を、君の口から聞きたいのさ。『それぞれの持つ情報を一繋ぎにしなければ、真相はわからない』――だろう?」


 移行したはずの疑惑について明言はせず、オレリア自身が口にした言葉を持ち出してヴァルナ公爵は言い締めた。


(リディ嬢が無事でいる、その理由が侯爵令嬢にある……)


 そう。リディ嬢を発見して保護したのはファサイエル侯爵家の騎士であった。そして側室候補の三家からは、虚偽の報告を行ったという五人の人間を捕縛したという。


(何故だ)


 リディ嬢が行方をくらませ、そして馬車に連れ去られたというその報告が上がったとき、王太子もマクシムもあらゆる可能性を考えた。しかし後にもたらされた『ファサイエル侯爵家の家紋のついた馬車』という目撃情報で、オレリア嬢こそが犯人であると屋敷に詰めかけたのだ。


 王太子とリディ嬢の婚約から三ヶ月。夜会や王城で行われたリディ嬢への嫌がらせの数々を指示しているのがオレリア嬢であるという話があったことからも、確信は深まった。あらゆる可能性の中で一番濃厚だったその人物に、やはりとマクシムは思ったのだ。

 浅はかにも、女の嫉妬または権力への執念でこのようなことを仕出かしたのだと。


 だが実際にリディ嬢を保護したのも、オレリア嬢の手駒である。

 挙げられている事実から、この矛盾を晴らすには一つしかない。


「つまり……ブロンゾ侯爵家、キリーシェル伯爵家、ライプツ伯爵家でそれぞれ捕えたという五人が行った虚偽の報告とは、『ファサイエル侯爵家の家紋を見た』というその目撃情報ということでしょうか」


 マクシムが口に出したそれに、オレリアは一つ瞬きをするとゆっくり頷いて見せた。


「社交界で横行するという『ファサイエル侯爵令嬢の指示する嫌がらせ』については、わたくしも友人から聞かされて承知しておりました」


 だから予想した。

 ――万が一にもリディ・サンリークの身に何かあれば、その疑惑を真っ先に向けられるのはオレリア=コンスタンス・ランドローである。


「杞憂であると一蹴するにはあまりに派手に振る舞われる方が多すぎて、わたくしは我が身かわいさに、本来ならば関係のない友人たちを巻き込むことも辞さなかったのです」


 三ヶ月前、王太子とリディ・サンリークが婚約してしばらく後、横行する嫌がらせの数々に自身の名前を使われていると知ったオレリアは、側室候補でる三人に連絡を取った。

 マクシムが考えるよりもはるかに繋がりを深めていた彼女たちは一も二もなく了承し、オレリアの考えに従うことに決めたらしい。


「しかしオレリア様は、王太子殿下が愛を宣言されたあの夜会以降、婚約者様の周囲に人を配しておいででしたわ」


 ブロンゾ侯爵令嬢フランシーヌが、わざとリディ嬢の名前を呼ばないようにその事実を明らかにする。

 マクシムはその態度に眉根が寄ったのを感じたが、同時にオレリアが取った行動にわけがわからなくなる。


 あの夜会自体は、半年前のことだ。国王夫妻は王太子殿下の主張に難色を示し、リディ嬢との正式な婚約が成立するまでには時間がかかった。

 オレリアの言ったように嫌がらせが横行し始めたのは婚約以降のことだ。逆に、フランシーヌの言う言葉からは、オレリアが妙な行動を取り始めたのは婚約よりさらに三ヶ月前だということになる。


「え、人って、誰……」


 少々斜めからの疑問を持った様子のリディの呟きに、オレリアはくすりと笑う。


「おそらくリディ様が直接面識を持っておられない者もいるでしょうが……一番お近くに居たのは、侍女のシュゼットですわ」


「しゅ、シュゼットさんっ!?」


 王太子殿下ですら瞠目を隠せない。またマクシムも同じだった。

 リディ嬢の周囲に置く人間は、吟味に吟味を重ねた人員だったはずだ。その背後関係はよくさらったはずであるし、元許嫁であるオレリアとの繋がりはいっそう警戒したはずだ。だというのに、そんなに側近くに人を配していたなどと……。


 マクシムの内心を察した様子のオレリアは、悪びれもなく言い募る。


「密偵などという怪しい理由のために彼女に手伝ってもらったのではありませんし、侍女として必要最低限の秘密は守っております。今回のことで彼女は責められるべき罪は犯しておりませんわ。頼んだことは、リディ様に危険が迫ったと感じたときに、当家へ連絡を入れてほしいというそれだけです」


 他にも数人、同じことを頼んだ人間が王城の中にも外にも居たのだとオレリアは言う。


「シュゼットは子爵令嬢として、五年前から王城に出仕しております。しかし元は当家の領地にある孤児院で育った者です。そこでは必要な読み書き計算の他に、希望者は貴族の屋敷に奉公に上がれるよう教育します。シュゼットはその縁で子爵家へと使用人の身分で入りましたが、人柄に優れていたところを気に入られ、先代様が亡くなられる直前に養子入りをお認めになったと聞き及んでおります」


 王太子やマクシムが探った関係図に、そこまでの情報はなかった。出仕自体が五年も前のことならばなおさら、それ以降の関係性にまで疑いは持たない。

 しかしシュゼットは、そもそも自分が、孤児の身の上では過分なほどの教育を受けられたその恩を忘れはしなかったのだ。オレリアが慈善活動に積極的であったのは誰しもが周知していたが、彼女が自分の足で救貧院や孤児院を巡っていることなどはマクシムも知らないことだ。


「リディ様への嫌がらせの指示をわたくしが出しているなどという話は、それこそ予想外のことです。しかし、わたくしが友人に協力を求めることを決意した決め手にはなりました」


 リディ嬢へ降りかかるかもしれない危険性を感じた、直接の原因ではないとオレリアは言う。


「フランシーヌ様がおっしゃる通り、シュゼットを始めとする人間を介して、わたくしがリディ様の周囲で情報を集めようと思ったのは、婚約発表よりさらに三ヶ月前の、あの夜会直後のことです」


「何故そのようなことを……? もしも私がそれを知っていれば、今日君に向けた疑いはさらに濃くなっていただろう。誰が見たとしても不可解な図式だ。リディに何かあった場合に、ファサイエル侯爵家に疑惑が向けられるかもしれないと予感したのは、嫌がらせの存在を知ってからだと君は言う。しかし君が実際に動き始めたのはさらに前。――その段階で、君がリディを守る必要はなかったはずだ」


 あの夜会でオレリアがリディ嬢に対する悪感情ではなく、庇護欲を刺激されたなどとは王太子も思わない。

 必要がない。その通りだ。もし危険があると思ったとしても、それは忠告の形で王城側に告げればいいはずのことだ。わざわざオレリア自らが指揮を執って、秘密裏にリディ嬢の警護を受け持つ必要は、まったくない。


「――その疑問については、私が晴らすことにしようか」


 両側に王太子とオレリアを見る形の、国王陛下その人がそう言った。

 マクシムの予想外のことばかりが起こる。ここに、国王が絡んでくるその意味。


「あの夜会で王太子が起こし、リディ嬢が応えたその行動によって、彼女は……言いにくいことだが、人々の恨みと妬みを一心に買った。そう、今までは“許嫁”であったオレリア嬢が受けていたものがすべて、何倍にもなって向けられた」


「恨み……」


 妬まれる気持ちは分かっても、そこまで多くの恨みを買う理由は思いつかないと呆然とするリディ嬢に、王太子もマクシムも伝えてないことがあった。


 良くも悪くもオレリア嬢の存在は、貴族の権力図を固定化し、将来的にも予測しやすい状態にしていた。十三年の時間はオレリア嬢の立場を強固なものにし、誰もが王太子妃は決まったものとして考えることで、そこで発生する副利益を分け合うことを念頭に置いたのだ。

 しかし、後ろ盾はおろか他の貴族と一切の繋がりがないリディ嬢がその位置に成り替わった場合、予測されていた未来は根本から覆る。副利益が発生することすら疑わしく、固定化しその変遷さえある程度予測されていた権力図は白紙となった。

 同時に、もしリディ嬢におもねった場合、ファサイエル侯爵家の機嫌を損ねることになればと誰もが危惧した。実際には沈黙を守るという行動に侯爵と令嬢が出たことでしばしの鎮静化は叶ったが、それでも血統と歴史に支えられた貴族社会は揺らぎ、その結果小賢しい策略を練ろうとする輩も増えたのだ。


 保守的な人々は特に、楔となったリディ嬢に忌々しげな目を向けた。かねてからマクシムやセザールが小うるさいと思ってきた、凝り固まった古い形の貴族たちのことだ。


「グラシアンとリディ嬢についての結論を出すには、それなりの時間がかかるだろうと私は思った。だが非公式で安定しない立場にあるリディ嬢を、表立って王家が守護することは出来ない」


 婚約に難を示している一方で、少しでも譲歩するような姿は見せられないと、そういうことだ。


 正式ではなくとも、周囲の人間が広く知る形で“許嫁”を名乗っていたオレリア嬢とは少し違う。彼女の場合は、十二歳当時の誘拐事件に王太子や第二王子などの王族も絡んだことからも、将来的には王家の一員になるというその立場は守護を受けることの叶う事情を有していた。

 しかしリディ嬢の場合は、許嫁でもなく婚約もしていない、王太子その人が認めているという口約束でしかない身の上だったのだ。


「始めはランベールに、密かにリディ嬢を警護する人材を揃えてほしいと頼んだが……」


「けれど私もまた、臣下とはいえ王族(ファール)の名は残っているからね。片足を王家に突っ込んでいる人間と言ってしまえばそれまでだ。だから、そのお鉢がファサイエル侯爵家に回ったわけだ」


(そんなことが……!)


 父王に引き継いで軽い調子でそう言ったヴァルナ公爵の言葉に、オレリアもまた顎を引く。


 ――考え難い。将来の王太子妃という立場を剥奪された直後の、その生家に依頼するなどとは普通ではない。


 だが実際に有り得てしまったのだ。王族(ファール)の名を持つ王太子以外の者たちは、それを行った。


「そう、誰もが予想しないからこそ適任だった。そして私も王妃も、王国で最も信頼に足ると思ってるのがファサイエル侯爵家だ」


「恐れ入ります」


 国王の重々しい言葉に、慇懃に頭を下げたファサイエル侯爵の顔には何の表情も浮かばないが、少なくとも納得してその任を受けたのだ。

 王家に、王国に、十三年間尽くしてきた令嬢の父親もまた――忠実な臣下の鏡だった。









 面倒な設定をしたばっかりに……

 「ファール」というのが王家の姓です。が、王家の外に出たはずの王族(王位継承権をまだ持っている場合)にも例外的に認めています。なので王族そのものを表すときにも使います。継承権を失えば名乗れません。

 ヴァルナ公爵家は、ランベールが王家から出るときに新しく作ったので、ファールの姓をそのまま持って行っても混乱が少なかったです。でももしどっかに婿入りの形をとった場合は、

「ランベール=レミ・ファール・○○○○」なんですねー……

 あ、「デュ」っていうのは王子時代のランベールだと

「デュ・ランベール=レミ・ファール」とまあ、前に着きます。


 無駄に凝り性だったばっかりに……

 酒の勢いですわ。すみません。

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