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ロマンスに踊れ  作者: 青生翅
本編
6/30

6  あるべき裁きに向けて――マクシムの場合




 燃え盛る炎のような王太子の後ろに、セザールとともに控えていたマクシムはつぶさに相手――リディ誘拐の主犯であると思われる――ファサイエル侯爵令嬢、オレリアを観察していた。


 婚約以降、相次ぐリディへの嫌がらせを唆していたのがこの令嬢などとは、マクシムとて信じがたかった。そして、このように軽率で詰めの甘い手に出ることも。


 グラシアン王太子の許嫁として、オレリアはまったく文句のつけどころもなく十三年間を勤め上げたと思う。

 しかし王太子に至上の愛を捧げる相手が出来てしまった今となっては、今までの功績を手に、大人しく引き下がるべきであり、賢い令嬢はそうするものと思っていた。

 王太子自らが、人形のようにしてしまったと悔やむ女性。ならば良くも悪くも、グラシアン王太子の意に添わぬ行動は取らないものと思っていたのだが――。


 硬い声でリディ嬢の居場所を問う王太子を前に、ふてぶてしいほどの態度で、平然とした顔を崩しもしない。


「皆さまはわたくしが犯人であると疑っておられるというわけですのね。……王太子殿下の婚約者殿、次期王太子妃であるリディ・サンリーク様を誘拐した、と」


 淡々と感情の起伏のない声は、何を考えているのかうかがえない。

 許嫁として王太子の腕を取っていたときにはついぞ表に出さなかった本性かと思うと、必然とその空色の瞳に浮かぶ感情を探ることになる。

 だがわからない。これほどまでに掴みどころのない女性だったなどと、誰も想像しなかっただろう。


 現に、怒りを湛えている王太子の背中は張りつめて緊張している。それは渦巻く炎とは別に、初めて見るような元許嫁の姿に少なからず衝撃を受けているからだろう。

 微笑んでいない侯爵令嬢を、マクシムも初めて見るのだ。


「厳戒態勢の王城から、何も知らずにお忍びを決行されたリディ様が行方不明になり、その御身を誘拐させたのがわたくしであるなど、どのような根拠があって申されるのでしょう」


 何も存ぜぬとばかりに続けられた声は変わらなかったが、マクシムはそれに含まれている何かがあると思った。

 気づかないでいた王太子側――つまりは自分たちを嘲笑うような、まるで不出来な子供を叱るようなものが。


 ――まさか遊んでいるのだろうか。


 将来の王太子妃という立場を奪われたことで、精神に何か支障をきたしたのかもしれない。外からは何も感じられずとも、そのように人格を崩壊させる人間をマクシムは見たことがある。普段は冷静怜悧で知られた人物こそ、予想だにしない事態というものには弱いのだ。

 十三年間も安泰の立場にいた侯爵令嬢が、引き起こした事件の大事さもわからなくなり、まるで子猫を甚振るようなそんな行動を起こしたとしても不思議ではない。それほど、貴族令嬢にとって婚姻の失敗というのは大きな出来事だろう。男とは違って、他に生きる道のない女ゆえだ。


 だが同情は出来ない。

 巻き込まれて危険にさらされているのは、主が唯一と定めた女性なのだ。いずれ国の女性の中で最も高貴な場所に立ち、将来の国母として王家を守る存在。

 侯爵令嬢その人の癇癪一つに、危うくされていい女性ではない。


「ファサイエル侯爵令嬢」


 とぼける演技を続けるそれに痺れを切らしたのだろう。王太子が決定的な一言を告げようと、硬く彼女を呼んだ。


 そのとき、少しばかり侯爵令嬢の瞳が細められる。情の薄そうな空色の瞳には間違いなく何かの感傷がよぎり、本当の意味では彼女が心を壊していないだろうことがわかる。


(殿下は、『オレリア』と名前で呼んでいらしたのだったか)


 グラシアン王太子が十二歳、侯爵令嬢が五歳のときに交わされた許嫁の約束。王家と侯爵家との間に本人たちの意見が入り込む余地はなかったようだが、それでも親しい仲として王太子は令嬢を大切にしたと思う。

 数いる貴族令嬢たちの中で、唯一の例外として名前で呼ばれていた侯爵令嬢もまた、これまでは『グラシアン様』とそう言葉を交わしていたはずだった。


「何でしょうか。グラシアン王太子殿下」


 だが、返されたそれこそが、すべての答えのように感じてならない。

 もはや袂を分けたことを証明するように、同じく他人行儀に王太子を呼ばわった侯爵令嬢は、なおも知らぬ存ぜぬを貫くかのように、カップに注がれた茶を優雅に口に運んだ。

 常ならば見とれるような所作も、白々しいものにしか思えない。

 心の底に巣食う暗い激情を抑えつけるための装いの一つだとすれば、何と恐ろしいことだろうか。


「無駄話をするつもりはない。リディを引きずり込んだ馬車には、ファサイエル侯爵家の家紋があったと目撃されている」


 決定的だ。

 令嬢自身が望んだ証拠はきちんとある。王城に届けられた目撃情報のことまでは、知らなかったに違いない。


「これで言い逃れは適いませんな。侯爵令嬢、リディ様をお返しください。今なら罪は問わないと殿下もお考えです」


 王太子は心優しい。

 例え精神を病んでいたとしても、愛する女性が危うい目に遭ったとしても、十三年を共にした侯爵令嬢を酷い罪に問うことは出来ないだろう。

 しかし一方で、マクシムはどうやって彼女を王都から追い出すかの算段も立てた。


 表立っての罪には問えずとも、王家にはきちんと報告が行く。これまで権勢を誇ってきたファサイエル侯爵家も娘が引き起こした事態を、知らなかったで済ませることは出来ないだろう。

 王家と侯爵家との間で話し合いが持たれ、おそらく令嬢は永世的に戒律の厳しい辺境の修道院に入れられるか、侯爵家の領地で軟禁生活が取り決められるはずだ。


 黙って引き下がっていれば、そのうち侯爵家の家名欲しさであろうと有力な貴族と結婚も叶っただろうに、自ら人生を台無しにしたのは令嬢自身だ。生まれながらの貴族として、諦めるということを知らなかったのだろう。


 何にしろ、このように物騒な人間を王太子やリディ嬢の側近くに置いてことは出来ない。これで認めないのならば、セザールが剣を抜き放ち、女性ならば耐え切れないであろう脅しまで使うことになる。


 ――だというのに。

 見間違いかと思うような、本当にかすかな笑みを侯爵令嬢が浮かべたように感じた。


「――残念ですわ。王太子殿下」


「なに……?」


 まるですべてが手遅れだと言わんばかりの、傲慢な一言。

 予想もしなかった言葉と感じるのと同時に、嫌な汗が一筋背中を流れた。


 すると、凍った空気を打ち破るように響く、扉をノックする音。

 応接室の外にいるのは侯爵家の執事のようで、入室の許しを令嬢に尋ねる。


「いいわけがあるか! 入出は禁ずる」


 王太子とともにこの応接室に入ったそのときから、令嬢には人払いを申し付けてある。

 そのわかりきった状況に礼を失した使用人の行いに、王太子が声を荒げた。


 しかし、侯爵令嬢は平然とかすかに首を垂れると、どうかお許しくださいと一言添えた。


「入りなさい。そして報告を」


 許しの返答を待たずに入室を許可してしまった暴挙には驚くしかなかったが、静止する間もない。

 初老の執事が断りを入れて入室してくる姿を唖然と見守ることしか出来ず、王太子殿下がいることをまるで見えないもののように扱う執事は、この家の主にそっくりだと思った。


 しかし、本当に言葉を失くすのはその後だった。


「リディ・サンリーク様を保護したと、当家の騎士から連絡が」


「なに!?」


 反射的に立ち上がった王太子殿下をちらりと見遣るだけで、侯爵令嬢の表情にはまるで変化がない。

 すべてが予想の範疇だとでも言いたげな涼しい顔で、先を勧めるよう執事に指示する。


「当家のサフールにある別邸に向かう道で発見したそうです」


 ――サフール。この屋敷に向かってくる途中、地図を広げて印をつけたはずの、侯爵家の別邸の一つだ。

 謀りごとに慣れているはずもない貴族令嬢が一人の人間を隠すとしても、知らぬ場所にはしないだろうという王太子の見解だった。


 しかしそれを暴いて見つけ出すのはこちらの思惑だったはず。

 何故、侯爵家の騎士が保護などと――。


 まったく見えてこない状況を前に平然とする侯爵令嬢が、軽く頷いている。


「そう。ご無事なのね」


「軽い混乱が見られますが、怪我もなくお元気だそうです。そして同時にブロンゾ侯爵家、キリーシェル伯爵家、ライプツ伯爵家の者から、この一件に関して虚偽の報告を行った五人を捕縛したとのことです」


 リディ嬢が無事であると言う言葉に安堵するものの、列挙される家名と最後の報告には瞠目せざるを得ない。


 内々に選定されていた側室候補である三家の令嬢は、非常に侯爵令嬢と親しいということで、今回の事件にも関わっているのではないかと疑っていた。

 普通に考えればリディ嬢に取り入る方を選び、何食わぬ顔で側室候補としての立場を守るだろうが、王太子の愛情深さに分が悪いと判断したのではないかと思ったのだ。このままでは後宮発足自体が危ぶまれると思っても仕方がない。

 実際に、リディ嬢しか考えられないグラシアン王太子は、国王夫妻にその旨を打診していた。秘密裏の計画だったが、王城内の協力者から漏れ出たのかもしれないと予想した。

 ファサイエル侯爵家の馬車が目撃されたという情報を仕入れた後、この屋敷に王太子自らが乗り込むその一方で、三家のもとにも騎士たちをそれぞれ差し向けて逃亡を図れないようにしていた。


 それが密に連絡を取り合っていた事実。しかも王城への虚偽の報告とは、いったい何のことだ。


 一人で肩の力を抜いている侯爵令嬢は、何度も目にしたことのある自然な微笑みを浮かべていた。 


「王城からは?」


「当家の先触れに対し、国王陛下並びに王妃殿下、第三王子殿下、宰相閣下、ヴァルナ公爵閣下が既にお待ちしていると使者を通じてご返答がありました」


「御苦労さま。マルゴにドレスの準備をさせてちょうだい。準備が出来次第、急ぎ登城します。その旨を三家にも伝えて。そうね……四時を目安にと」


「かしこまりました」


 ただの客が来ているのと変わらないような、お茶とお菓子を新しくお持ちしますと一礼して、執事は応接室を出て行った。


 ……常にないほど混乱する頭でも、どうやら侯爵令嬢がリディ嬢を攫ったのではないということはわかる。だがわかったところで怪しさは増すばかりだ。いったい王太子殿下すら知らぬところで何が起きているの言うのか。


 耳に入り込んだ侯爵令嬢と執事のやり取りからは、この事態を王城もしっかり把握していることを悟る。

 持ち込まれた目撃情報はマクシムの直接の部下が聞き取ったために、リディ嬢の行方が知れなくなったことについては箝口令を敷き、まだ国王夫妻や宰相の耳には入っていないはずであったのにも関わらず、だ。

 それに第三王子殿下は理解出来るとして、ヴァルナ公爵――臣籍に下った元第二王子がなぜ関わってくるのか。


 マクシムは嫌な予感がした。

 若手の出世頭になる過程で身に着けた、大事なことを告げる勘が痛いほどに脳内で音を鳴らすようだ。


(何かを――見落としているのか)


「おい、リディはどこだ!?」


 そうであったと思考の渦から自らを戻し、侯爵令嬢にきつく声をかけるグラシアン王太子に倣って彼女を見つめる。


 ああそれなら、といかにも興味が薄そうに伯爵令嬢は答えた。


「リディ様についてはどの家が保護しようと、そのまま王城へお連れする手筈になっております。当家の騎士が発見したとのことですが、おそらく今はその道中でしょう」


 やはり引っ掛かりを覚える言葉だ。

 

「手筈……そうおっしゃいましたか」


 落ちかかる眼鏡(グラス)を指先で押し上げながら、何か読み取れるものはないかとマクシムは令嬢を見るのだが、やはりわからない。


「今回の件、詳しいことは虚偽を申し立てた人間――おそらく当家の家紋を目撃したと言った者でしょうが、彼らへの追求を待たねばなりません。しかしだいたいのところは把握しているつもりです。説明は陛下の御前で、他の三家もそろう場での方がいいでしょう」


 着々と駒を動かして盤上で詰んだかのように、侯爵令嬢の言葉には余裕さえ感じられた。

 わからぬのなら従えと、言外の圧力さえ感じる。




 オレリア=コンスタンス・ランドロー。

 その名を持つ、元“王太子の許嫁”が何をしたのであれ――。


 自分たちは彼女を見誤ったのだと、マクシムは感じ入るしかなかった。









 男性陣目線のオレリア、物凄い病んだ悪女ですよ……(苦笑)

 彼女を全く分かっていない野郎どもはこんな感じ。少しは頭の柔らかい殿方にも出張っていただきたいですね。予定は――ある、かな……。

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