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ロマンスに踊れ  作者: 青生翅
本編
4/30

4  終幕に向けて――ニノンの場合


 お気に入りの緑のドレスを選びかけて、ニノンは次の瞬間、着替えを手伝っていた侍女にクリーム色のものに変えてくれと言った。


(いけないわ。何だか浮かれてしまって、うっかり……)


 危うくあの忌々しい日――王太子殿下とリディ・サンリークが手を取り合った日に、それまでは好んでいたはずのものの多くが嫌いになったその一つ、深みのある緑色を選びそうになってしまった。

 三ヶ月も引きずってしまっている苦渋を少しばかり晴らせるかもしれないと思うと、喜ばしいことなど一つもないはずなのに、最近では一番身体が軽く感じる。

 そのすべては、自分が渦中の人間たちの中でも背負うものの少ない身であるからとわかってはいるのだが。







 ライプツ伯爵令嬢であるニノンは、長年グラシアン王太子殿下に憧れていた。

 もちろん王太子には十二歳からの許嫁、ニノンより三つ年下の侯爵令嬢がいることは承知の上。

 けれど、太陽に輝く金糸の髪に深い緑の双眸を持つ麗しの王太子殿下に、憧れない貴族令嬢などいないはずだと、ニノンはいっそ開き直って遠目に王太子を眺めてはうっとりとすることを楽しみとしていた。


 妄想の中では、庶民に好まれる恋愛小説の一場面を、自分と王太子殿下に当てはめたり、許嫁である侯爵令嬢の立ち位置に自分を据えてみたりして――撃沈した。


 ニノンは自身を醜いと感じたことはなかったが、あの黒髪に空色の双眸という冴え冴えとした美貌の侯爵令嬢を見た後には、年上なのにどこか子供っぽい自分にがっかりせざるを得なかった。平凡な栗色の髪に薄茶の瞳、背は小さく身体も薄い。

 あまりに侯爵令嬢が美しく、そして嫌な噂一つない淑女であったために、憧れの王太子殿下の定められた相手とはいえ、ニノンは彼女を恋敵として憎々しく思うことはなかった。

 選ばれし者というのはああいう方なのだと、ニノンには珍しく達観したものだ。


 そろそろ結婚でもと周囲に期待されるニノンが十八歳になったとき、想いもよらない側室候補などに選定されたのは、何度も冗談じゃないかと父に確かめたほどだ。

 ――嬉しさ半分、恐ろしさ半分。

 憧れ続けた王太子殿下の、夫人の一人になれるかもしれないという望外の話。

 けれどあの美しい侯爵令嬢にもし睨まれることなどあれば、弱気で奥手なニノンは心停止してしまうかもしれない。

 いつも微笑みを浮かべている侯爵令嬢だけれども、もしも心から王太子殿下を愛しているとすれば、側室候補など邪魔過ぎる。あの美貌が苦痛と憎悪に歪んでニノンを詰ったりしたら……どうしようか。どうにかなるものなのだろうか。


 だがそれらは杞憂に終わった。侯爵令嬢オレリアは、実によく出来た“許嫁”だった。外目から見ても完璧であると思っていた少女であったが、本人と接する機会が増えるごとに、その超人ぶりには驚かされるばかりだった。


 オレリアにだって少しくらい、他の令嬢たちに対する優越感もあるだろうとそう思っていたニノンであったが、実際に“許嫁”である彼女に求められるものの多さ、その大きさを考えれば、浮かれる隙など少しもあるはずがない。王太子殿下の愛情を独占する努力よりもすべきことがありすぎて、なるほど恋愛など二の次、三の次である。

 ニノンは憧れの王太子殿下の側に上がれるかもしれない自分が、“側室候補”で本当に良かったと思った。有り得ないことではあるが、オレリアの立場に成り替わりたいなどとは一瞬だって考えられなくなったほどだ。


 世の中、相応というものが一番。

 自分の器をわかっているニノンは、のん気で夢見がちな自分を少しばかり見直して、将来はオレリアに迷惑をかけないでいることくらいしか出来そうもないと悟った。


 そして同時に、王太子殿下に向ける気持ちと同じほどにオレリアに憧れるようになった。

 年下の、それも同性であるオレリアに吸い寄せられる自分の目はおかしくなってしまったのかと訝しんだほど。よもや同性愛かと焦ったが、思い返せばもはや王太子殿下の子供を抱いている自分を妄想するよりも、オレリアがその位置にいることを想う方が何倍も微笑ましく嬉しい光景だった。


 つまりのところ、ニノンが考える理想の二人が王太子殿下とオレリアなのだった。

 側室候補ということは、実際に後宮が発足されればニノンにだって手がつかないとは限らない。しかし……しかしである。あんなに献身的でしかも美しいオレリアを前に、他の女性が目に入るなどおかしいではないか。

 ニノンは心から、それはもう底の底から、オレリアと王太子殿下の間にこそ、継嗣が生まれればいいと思った。

 きっと両親に似て美しい子供だろう。金髪だろうか、黒髪だろうか。緑の目か、空色の目か。想像するだけで笑いが止まらない。そんな眼福な王太子夫妻と子供のちょっと離れた場所に、ささやかな自分の立ち位置を想像してみると、なおのこと幸福感が増した。


 幸いにも他の側室候補、ブロンゾ侯爵令嬢もキリーシェル伯爵令嬢も、異性に寄せる想いを王太子殿下に持ってはいないようだ。その気持ちはニノンにもよくわかるようになった。

 憧れることは出来ても、あまりに恐れ多い立場に恋をするのは難しい。

 そう、例えば五歳から宿命づけられたオレリアであれば、誰に憚ることなく王太子殿下と愛情を交わすことが出来るかもしれないと感じた。

 今のところ義務感が勝っているような二人だが、正式に婚約した暁には王太子殿下の方が彼女に愛を乞うようになるに違いない。オレリアとて今より立場が安定すれば、それに応えることもやぶさかではないだろう。

 麗しい二人に芽生える穏やかな愛情。それはもう楽しい未来予想図である。


 空想の恋愛小説のようではなく、実に現実的ながら夢のある話だとニノンは嬉しくなった。




 ――それが覆されて、ニノンの妄想の上をいくロマンスに染まった王太子殿下を目の当たりにしたとき。また、それによってオレリアが放り出された事実を理解した、そのとき。


 ニノンは憧れを持ち続けた、馬鹿馬鹿しいほどに純粋な……けれどせめて自分だけは愛しんでいた自身の心が傷ついたことを知った。


 内々の側室候補だったニノンを始めとする三名は、実のところ痛くもかゆくもないはずである。

 社交界のさらし者になったのは、十三年間“許嫁”として生きてきたオレリアただ一人であり、将来の王太子妃の座が誰に変わっても、ニノンたちの椅子は不動のそのはずで。


 ……けれどニノンは――側室候補たちは、それに甘んじる厚顔さは持ち合わせていなかった。

 オレリアの下だからこそ、あんなにまで安らかに側室候補という立場を受け入れることが出来た。王族直系にだけ許される一夫多妻の制度に過度な不安を持つことなく、いっそ将来を楽しみに思うほどに、同じ相手の側に侍るであろう女たちと友好を深められたのだ。







 選びなおしたクリーム色のドレスを身に着け、鏡の前で侍女に髪を結われている間にも、ニノンは燃えたぎる自身の心を感じていた。


 オレリアはお人よしである。

 いくら嫌疑がかけられそうとは言っても、その分だけを対処する方法だって、賢い彼女ならば考え付いたはずなのに。

 あの夜以来、ニノンは憎しみさえ覚えるリディ・サンリークを守るなどと、オレリアが考えることが信じがたかった。まったく、どこまで王家に忠実な少女なのだろうか。それとも、ニノンが思っていたよりも彼女は不器用な人間だったのだろうか。


 もしもそれ以外に知らない――王太子妃になるための努力を台無しにされ、それ以外の道が何も思い浮かばないでいるとしたら。


(ああもう、今こそ白馬の王子が現れるべきだわ!!)


 実際のこの国の王子など、実情は押して図るべし。

 いっそ薄ら寒い恋愛小説のような王太子殿下とその婚約者に対抗して、とびきり甘い御伽噺のような相手がオレリアに現れないものか。

 恋も知らず、求められる義務と責任に邁進してきた真面目で忠実な少女に、神様は誰よりも素晴らしい相手を用意すべきなのだ。


(そうよ。王太子殿下の“運命の相手”がリディ・サンリークならば……)


 面と向かっては淑女たるもの言えようはずがないが、リディ・サンリークという少女は何から何まで並みにしか見えなかった。そう、まるでニノンのようなものである。

 愛玩動物めいた、まあ可愛いという範疇には収まるような容姿。しかし身体つきはニノンといい勝負の“絶壁”であるし、身のこなしや立ち居振る舞いはさすがに市井で庶民として暮らしていたことからも、付け焼刃程度では物慣れなさは隠し通せるはずもない。

 

 あの忌々しい日の後、何度か王太子殿下に伴われて夜会で踊る彼女を見たが、ダンス中に王太子殿下の足をそれはもう豪快に踏みつけた姿をきっと誰もが目撃した。

 予想通りに始まった嫌がらせを上手く捌くことも出来ず、おろおろオタオタとしている姿は、心中では遠慮のなくなったニノンからすれば滑稽そのものだ。

 オレリアとて、好意的な視線ばかりに晒されてきたわけではなく、時にはそう言った令嬢たちの嫌味な言葉や実力行使にも何度も遭ってきたのだ。表に出さずに処理する手腕はあまり見事過ぎて、大事であろう婚約者に降りかかるそれらをまるで初めて見たもののように激怒する王太子を遠目から確認したとき、ああ彼はまるで許嫁の立ち向かってきたものを知らなかったのだと失望させられた。


 優秀すぎる女は可愛くないと男は言う。

 けれどニノンは、自分と同じくらいほけほけとしてそうなリディ・サンリークを目にするたびに、だからと言ってあの女でいいのいうのかと、自分のことのように苛立った。

 そこらの貴族の、お飾りの妻ならばニノンやリディ・サンリークでいいのだ。普段ほけほけ、何かあってもおろおろオタオタ。例えそうでも夫が出来た男なら許されるだろう。

 しかし、実際にリディ・サンリークがいる立場は駄目だ。あそこは彼女のような女がいていい場所ではない。十三年もの努力をオレリアが必死に続けるほどに、重く苦しい責任がかかり、国の期待を一身に背負うのだ。


 ――それが“運命の相手”など!


 何故五歳から自分に寄り添ってきたオレリアを、運命として愛する努力をしなかったのだ。道端に転がっているような恋愛でなければならないと、誰が決めた。 

 リディ・サンリーク。そんな横から掻っ攫うような真似がまかり通るならば、天からでもどこからでもいいから、王太子殿下の百倍は誠実な男性がオレリアに愛を乞うて欲しいものだ。


(この一件が終わったならば、みんなでオレリア様の婿探しをしましょう。独身貴族でそれらしいのは誰かしら。例え婚約者がいようが、ぶち壊してでもいい相手を見つけてみせる! 私は悪魔になるのよ!!)


 王太子の元許嫁には、二重三重の意味で手が出しづらいことだろう。そんな立場にオレリアを追いやった腹立たしさは忘れがたいが、何にしろどんな手を使ったってオレリアに幸せな結婚をさせてみせるとニノンは不思議なやる気が出た。

 この一連がオレリアにとって、人生の底に向かう分岐点だったなどとは認めない。それこそ運命などと表されてはたまったものではない。必要ならば誰だろうがオレリアの“運命の相手”にでっち上げればいいのだ。


 決して、あの美貌に悲しい微笑みを浮かべさせたまま、日蔭の身になどさせるまい。

 それは見事な結婚式でオレリアが幸福を味わう姿を堪能するまで、ニノンは絶対にあきらめないと決心した。


(最後に笑うのはオレリア様よっ!!)


 ……もはや自身こそがオレリアよりも切羽詰まった嫁き遅れであることなど、すっかり忘却の彼方である。

 ニノンはおそらく初めて、オレリアよりも年上なのだからと、姉のような気分で世話焼きを決行することにした。




 百面相をしつつも、最期にはきりりと勇ましい顔をして立ち上がったニノンの支度を終えた侍女は、うちのお嬢様は今日もお元気そうだと、ただそう思った。












 一人くらいこんな娘さんがいたって……ね(笑)

 ニノンは21歳。オレリアよりも年上、お姉さんです。

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