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ロマンスに踊れ  作者: 青生翅
番外編
27/30

リアとグレイ(2)


 穏やかに時間は過ぎる。

 七つの開きがあるオレリアのことを許嫁として意識することはなかったはずが、十五歳の成人を祝う会で同伴した従妹姫の手を引きながら、成長した彼女の幻を見た。 この手を取るのがオレリアになるまで後七年もかかるのだ。それまでは誰と絞ることもなく、家格と年齢の釣り合う令嬢を連れなければならない。

 ……酷くそれが退屈であるようにふと感じたとき、オレリアが早く成長してくれればいいと思った。


 幼く無邪気な彼女はそれは可愛いが、早く自分と同じ場所まで来てほしい、と。


 そんなことを一瞬でも考えたことを、数年後に後悔するとも知らずに――。






   ***






 性質の悪い夏風邪にかかり、オレリアの母であるファサイエル侯爵夫人がしばらく臥せっているという話は聞いていた。オレリアが母を慕っていることもあるが、何よりその病を王城に持ち込まないために、しばらくグラシアンは彼女と会えていなかった。


 十七歳になり、王太子としての仕事も本格的になった頃だ。

 正直、オレリアと遊べる時間もそうは取れず、登城して訪ねてくる彼女の話を執務の合間に聞くことが唯一の休憩時間であるほどだったのだ。

 ランベールもまた同じように公務に加わり、将来的にはグラシアンが即位した後の補佐を務めるための教育も施されていた。もしかすれば、高齢の域に入ったロジュロの後任として、宰相位に就くかもしれない。

 負う責任の重さなど感じさせずに、相変わらず飄々と、そしてそつのない弟に感心しつつも、だからこそ自分も手を抜けないと気を引き締めた。




 それがある日、あまりに突然すぎる侯爵夫人の訃報が伝えられたのだ。


 王太子の執務室に籠っていたグラシアンのもとに、柄にもなく蒼白な顔で現れたのがランベールだった。


「亡くなった……? 風邪だとばかり」


「医者の診断はたしかにそうだったらしい……でも今となってはわからない。病状が回復しないまま、三日の高熱の後に、と」


 頭の中身が全て鉛にでもなってしまったかのように重く、強張った表情のランベールを見返すので精一杯だった。

 それでも、無意識の名前が口から零れる。 


「リアは」


 ……だが言葉が続くはずもない。ランベールもまた返答など出来ないから、紫の瞳を悲痛に細める。


 平気なはずはないのだ。

 母とは、この世に一人きり。グラシアンが違和感を感じていたファール王家とは違い、ランドロー家は実に温かみのある家族そのものだった。長く願った末に生まれたオレリアは何においても大事にされ、まるで夫妻の宝物のようだった。

 特に淑女としての教育を自ら施す侯爵夫人にとっては、娘というのは若い頃の自分を投影できるものでもあっただろう。あらゆる経験を継がせようとする姿は、ときに厳しくもあったが楽しげで、興味深そうにそれに倣うオレリアとの組み合わせは実に微笑ましかった。

 そんな侯爵夫人によく懐いていたオレリアは、十歳を超えたばかりだ。まだまだ甘えたい盛りの女の子であるのに、その存在はあまりに急に失われてしまった。


「埋葬は五日後だそうだ」


 兄弟そろってこの場になどいられないとばかりに、ランベールはその一言を残して室を出て行った。

 お互い、身近な人間の死はまだ経験していない。

 そして同じ予感もあっただろう。もしも自分の身に置き換えてみても、グラシアンやランベールはそれほど悲しみを感じないだろう、と。


 ……薄情だと己自身が思おうと、そういう風に育てられたと言ってもいい。両親というよりも、父と母はまず国王夫妻であるという認識の方が強かった。

 例えどちらかが急逝したとして、何も感じないわけではないだろうが、浸るほどの悲しみに飲まれることもないと断言できる。国葬の準備を進め、最後には冷静に別れの言葉とともに花を捧げられるだろう。


 だからこそ、実にまともな家族を持つオレリアがどれほどの想いをするのか、本当の意味では理解してやれない。そんな同じもどかしさとやるせなさを持つ二人が、顔を合わせているほど嫌なこともないのだ。

 こんなときこそ、たった一歳しか違わず、それなりにお互いの心根をわかっていることが恨めしい。


 ……通常、臣下の家内の事情に王家は関われない。冠婚葬祭はその最たるもので、祝い事も喪に関することも、気遣いの手紙一つを送るのがせいぜい出来ることだ。グラシアンとオレリアの場合も、まだ許嫁であることが例外的な立ち入りを許さない。

 だがそんなものは、大人だからこそ受け入れられることではないか。悲しみに包まれてしまっているはずのたった十歳の少女に、決まり文句の手紙を送ったところで何になる。

 側にも行ってやれない。ただこの書類が山と積まれた机の前で、想ってやることしか――。


 ――グラシアンは無力を味わった。

 王族に生まれたゆえの壁を、おそらく初めて感じたのだ。






 オレリアが姿を見せたのは、およそ一ヶ月後のことだった。

 少女の悲しみにどう寄り添うべきかと考え、だがどうするというものを思い浮かばないまま、グラシアンは彼女を迎えた。


 育ち盛りであると言うのに、以前よりどこか儚げになったようなオレリアがいた。黒髪は相変わらず艶があったが、空色の瞳の中には複雑に渦巻く感情が浮かび、浮かんでは消え――それらを隠すように笑おうとする。まるで移り変わる天候のようだった。

 ただ久しぶりに会った親しい人にそうするように、柔らかく抱きついてくるオレリアを腕の中に囲ったとき、どうしようもないほど心が波打った。


 ――あるべきものが戻ってきたような安心感と、それがもう以前とは違うのだという寂しさ。


「お母様と約束したのです」


 抱き締めたオレリアがぽつりとそう言ったとき、続けられた言葉にグラシアンはかけるべき言葉を失った。


「素敵な淑女になりますって。だからわたくし、頑張ります」


(いいや、そうじゃなくて)


「グレイに似合うようになります」


 そこに決意さえ滲ませて、オレリアはグラシアンの腕の中から抜け出した。ひらりと翻るドレスの裾が、まだ十歳の少女であることを忘れさせる。

 拭い切れない悲しさを押し込めるようなオレリアの姿にグラシアンが感じたのは、痛みというべき感情だった。


(その前にリア、君は……)


 ――泣いてもいいんだ。

 

 ――立ち止まっていいんだ。

 

 ――頑張りすぎなくていいんだ。


 ――リアはまだそのままでいいんだ。


(そんなに早く大人になるな)


 嫌でも“いつか”は必ず来る。

 グラシアンが成人のときに感じたように、七年は長いものと思っていた。

 しかし幼い頃、ランベールが一足飛びに子供の無邪気さを脱ぎ去った風に、グラシアンの周囲では驚くほど人々は変わっていく。早く成長しないものかと思っているうちに、オレリアは七年などあっという間に超えてきて“こちら”に来てしまうだろう。


 成人を過ぎた頃から、グラシアンは己の立ち位置の特殊さを噛み締めることになった。

 ランベールが幼い日に画策したことは今もなお効果を発し、グラシアンの立つ場所を疑う者はほとんどいない。八歳になったシャルルは既に自分が兄たちの三歩は後ろを歩くべきと、甘えたで手のかかる第三王子を演じることを本能で選び取っている。 幼い日には歪にさえ感じた家族の姿は、もう自分にとっては当たり前になってしまってさえいた。近い未来、同じような形の中に自分も新たな人間を増やしていくのだろうと容易に想像が出来るくらい……。

 社交の場に出れば、さまざまな思惑を持った者に囲まれるのが日常だった。特に年頃のグラシアンを前に、まだ幼い許嫁を出し抜いてその位置に腰かけようとする女たちは後を引かなかった。ときには淑女らしからぬ手を使う者も、それを助長させる者もいた。


 ――まだオレリアはあんな風にならなくてもいいのだ。

 寄ってくる厚化粧と臭い香水の令嬢たちのようになるとは思っていない。けれどそんな人々と渡り合い、グラシアンの隣で戦うのはもっと後でもいい。ゆっくりでいいいのだ。急ぐ必要はない。 


 だからそれまでにきっと、オレリアを守れる人間になろう。

 彼女が笑って、泣いて、怒っていられるように。誰よりも素直に生きられるように、グラシアンが守ってやればいい。


(何も出来ないなど、もう二度とごめんだ)


 王太子であるのだから。人々の上に立つ身であるのだから。


 ――ならばせめて、一人の女の子くらい軽々背負えなければ嘘だろう?


 目の前にある現実がときに空っぽのように思えても、オレリアが代わりにすべてを持っていてくれるはずだ。

 グラシアンが笑えないとき、泣けないとき、怒れないときに、彼女が側にいればそれでいいときっと思える日が来る。


「大丈夫だ、リア。――私がいる。君の全部を預けてくれればいいから」


(だからそのままでいて)






 それが誓いと……願い。

 王族としてではなく、グラシアンがオレリアに向けた最初で最後の――。






 けれど気づかなかったのだ。

 その裏で、泣きそうな顔で自分を抱きしめるグラシアンを前に、オレリアも幼いながらに誓ったことなど。願いを持ったことなど。


(そのままのグレイでいて)


 優しいあなたを守りたいと刹那に思ったそれこそが、彼女が王太子妃に相応しくなろうと本当に決意した瞬間だった。


 ――そのために“リア”を封じ込めてでも。







 

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