剣を捧ぐ
文官であったもう一人の側近、マクシムは王都に残ることを選んだ。
正直、自分と同じくグラシアンへ着いていくものと思っていたが、どこかさっぱりとした顔で「戻ってくるのを待っている」と声をかけられたときに、言うべき言葉は今はないのだとわかった。
単純な精神構造であることを自分でわかっているセザールに比べれば、マクシムははるかに思慮深いはずである。
中枢に残る彼の方がおそらく苦しい目にあうだろう。
グラシアンがその地位を返上し、かつての側近が一人は降格、もう一人は中央を離れるとなれば、事情を知らぬ者たちとて好きに憶測を立てるはずである。そしてその場合、多くの虚構の中に真実にとても近い話が混じることを、セザールは経験で知っていた。
そしてあの一件に大きく関わった人々からは、知らぬ者たちよりもさらに厳しい目を向けられるはずである。
マクシムを一人にしてしまったと思う反面、それでもグラシアンの側を離れないことこそが自分の生き方であるとの考えは覆らなかった。
あの日、セザールは間違いなく、主人を守りきれなかったのだ。
その身に傷をつけたのも同然。剣を折られても仕方がない。
だがグラシアンはセザールを咎めなかった。
その許しを易々と享受すべきではなかったかもしれない。そう思う一方、せめて自分だけは側にいるべきだとも思う。
何が正解はわからない。
考えることが苦手なセザールには、なおのこと難しい。
将来有望と目をかけられ、養子に迎え入れられていた男爵家には激怒され、半ば追い出される形で縁を切られた。
何かしらの王族からの睨みが利いては堪らないということなのだろうが、申し訳ないと思う気持ちもあるので、ただ頭を下げて出てきた。
数年ぶりに顔を出した実家では呆れかえられたが、事情を聞かずとも再び家族として扱われた瞬間にはくすぐったく感じたものだ。挨拶程度ですぐ発つという息子に、今度こそしっかりしろと母は涙混じりに言っていたのだったか。
様々あっても、一時は浮上できないのではというほどに落ち込んでいたリディ・サンリークが元のように朗らかに笑い、グラシアンがその手を取って日々を生きている姿を見ると、やはりこの二人を見守れる位置にいれて良かったと感じる。
――二度目の失敗はない。
王族の名を捨て無かったグラシアンは、おそらくいつかは中央へ戻るのだろう。
それを望み、また誰かに望まれるならば。
セザールはそのときまで。そしてそこからもずっと、剣を捧げるだけなのだ。
***
――が。
「熊…………」
「そうなんですよぉ。まあ毎年出るんですけどね? でも今年は餌が足りないのかなんなのか、人里まで下りて来ちゃったみたいでー」
何が来ちゃったみたいでー、だ……。
セザールは挙げられた報告書を片手に、にわかに起こった頭痛の紛らわせるように眉間を揉んだ。
「この間は牛追いに呼ばれたんだったな」
「さらにその前は鹿狩りですねー」
「領主付きの騎士の仕事か!?」
「肉体労働ですから」
答えになっているのかなっていないのか……。
そんなことを堂々と言ってのけるのは、そばかすの散った愛想の良い顔をへらへらと笑ませる男である。
年齢はセザールとそう変わらないだろうが、田舎育ちの割にひょろひょろと頼りない体つき、色白――セザールの対極にいるかのようだ。
領主としてこの地に来たグラシアンの補佐である男は、長年この領地の名士だった家系の息子だとか。
私学を出て学を身に着けた後、グラシアンが来る前の名代の補佐にも着いていたらしい。
間延びした話し方がひたすらに腹立たしく、王族であるグラシアンやその奥方であるリディ・サンリークにも同じように接する不敬な奴である。
正直ウマが合うとも思わないのだが、度々こうやって“騎士の仕事”を持ってくる。
「領民でやれることはもちろん領民がやりますよー。でも騎士様たちだってやれることなら、手伝ってくださってもいいでしょう。暇なんだし」
「暇ではない」
「訓練以外に何かおありで」
馬鹿にしているわけではなく、ただ気になると言う風に訊かれるものだからなお居心地が悪い。
訓練――王城のように施設があるわけでもなく、もっぱら自主的なものになってしまうが、定期的に馬術や剣術を鍛えるようにはしている。セザールの他にも元王太子であるグラシアンに着いて来た騎士は数人おり、この地でも従騎士を増やした。
ひたすらに牧歌的と言える領地であるから、普通ならばそう危険なこともないが、グラシアンの特殊な立場、また騒ぎが起こってそう経っていないこともあって警戒は厳重である。常にグラシアンやリディには警護の騎士が着いている。
ついでに言えば、王家なのか公爵閣下なのかそれとも考えたくないことに例の侯爵家なのか、グラシアンが了承して受け入れている騎士とは違う領分の武人も幾人か館にいるのだ。彼らはまるで影のごとく普段はあまり表に顔を出さないが、グラシアンいわく「こっそりしているがいつでもいる」らしい。
武に特化した密偵である彼らは、グラシアンやリディについていちいちその雇い主に報告しつつも、真面目に二人の身を護っているようだ。
実際、この地に来て数人の同業者とやらを捕獲したとのこと。元王太子という立場は、そうそう静かに放ってはおかれない。
だからか、騎士ばかりでがちがちに二人の周囲を固めることはグラシアンに許可されず、必然的に警護役以外の騎士は時間が空く。
統括をしているセザールには苦手な書類仕事もあるのだが、身を持て余している代の男が数人いると認識している領主補佐によって、前述の肉体労働とやらがけっこうな数舞い込むのだ。
もはや訓練が警護がと言ってみても、この補佐はまったくめげない。了承の意を取るまで徹底的に粘る。外見にそぐわず粘着質なやつなのだ。
「次は熊殺しか」
「いやいや、基本は巡回ですって。ただ襲われたら仕留めてくださいね。熊鍋しましょう。奥方様は熊食べたことありますかねー」
牛飼いの家の柵が壊れて牛どもが逃げたときには、追い込みに借り出されて最終的に肉が振る舞われた。
小さな祭りがあるからと鹿狩りをしてくれと頼まれたときにも、最終的にはやはり肉だった。
今回もか。この地は肉好きなのか。目を輝かせて肉に群がってくる子供たち(こんなにいたのかと毎回驚く光景)を見れば、あながち間違っていなさそうで嫌だ。
最近ではセザール以外の騎士たちの方が順応が早いらしく、いっそ嬉々としてこの田舎を駆けている。……どうなんだ。
「いいじゃないですか。長い間、ここら辺にきちんとした領主様も騎士様もいなくて、みんな憧れだけは持ってますからねえ。目の前でこれでもかと活躍してくださいよ。田舎娘にも器量よしってのはいますからね。黄色い声浴びたくないですかー?」
にやにや、という表現が正しい顔を殴りつけたい。
…………セザールとてわかっている。
その言葉通り、名代が治めるばかりだったこの領地は、新しく来た領主や騎士に興味がありながら戸惑っている。それも領主その人は元王太子、本物の王族であるのだからなおのことだ。
領主補佐が適当な物言いながら、彼らとの距離感を近づけるべく図っていることは明白だ。自分で自分の身を守れる騎士たちは盛大に動き回らされ、グラシアンやリディにはここぞというときに細かな日程を組んで視察に出している。
王太子として長年執務をしてきたグラシアンも根本のやることは変わらないが、この土地柄での注意すべき点など、補佐を頼りに日々勉強しているようなものだ。
立場は違えど、同年代ながら補佐の有能さは遥かにセザールを上回るだろう。いけ好かなくとも学ぶところは多い。
武官と言えど、武を磨くだけでは守りたいものが守れないこともあると――知った。
「領主様には許可取ってありますからねー。何人か騎士様にお手伝いいただきますよっと。はい、ここに印くださいね」
ひらりと置かれた書類を、漏れ出した溜息が揺らす。
それでもセザールは、新しく募った従騎士たちを騎士に振り分けるべく頭を動かした。
変わらない心と。
少し変わった日常と。
こうありたいという想いと。
剣を捧げた主のもと、これからもセザールは騎士として生きる。
側近その2
何だかんだと平和に、ときにはスリルも味わいつつ……そんな日常を営んでいきそうな彼です。
リディに子供が生まれたときには子守に奮闘しそうだなあ。




