20 同病相憐れめない(2)
三年ぶりに聞いてもそこそこの威力があるものだと、オレリアはいっそ感心した。
他人の内側を荒らすことにかけては、ランベールという男は天性の才を持っている。だからこそ昨日明らかにされた、王族の筋書きだというそれの大元を考える役割が与えられたのだろう。オレリアの父が侯爵家の動きをオレリアに舵取りさせたように、国王陛下もまた王家の舵取りはランベールに任せた。……同じ立ち位置かと思うと、そこはかとなく落ち込んでくるから不思議だ。
そしてやはり、ランベールはいつだって一言では終わらせようとしない。
「ああ、それともあっちかな。俺が君に――」
「そちらは結構」
素気無く切ってやれば、あははと楽しげに笑う。そのくせすぐにどこか自嘲する顔になって、遠い目をするのだ。
「さすがに冗談だよ。その件に関しては俺の方が傷が深いんだ」
そうだろ、と同意を求めるそれにオレリアは頷かなかった。
けれど本気で口に乗せていれば、ランベールの被虐趣味を疑いたくはなったかもしれない。それに今のこの状況で話題にされていれば、オレリアにとっても人生二度目の手が出た可能性がある。いや、絶対にそうだ。
三年前にランベールが言った“王太子妃に向かない”という言葉には、手を挙げたりしていない。ただ酷く混乱させられた。あれはちょうど十五歳の成人の直前の話で、まさに王太子の許嫁として世間に広く顔を晒す緊張の只中だったのだ。
揶揄するでもなく、真剣に放り込むように投げられた言葉だったからこそ、無我夢中の時期にいたオレリアには充分な衝撃を与えた。
けれど、と今になって思う。
全てがこうなってしまったからこそ、自分の内側を見つめ直すことが出来る。
放り込まれたその言葉をランベールの真意に則した捉え方をしているかはわからなくとも、響くものはあるのだ。今だからこそ。今しかそうはなれない。
「“王太子妃”であっても、一人の女で、一人の妻なのに。わたくしは見ないようにしてたもの。あの純粋で真っ当な人の隣に並ぼうとしてたくせに、正面から向き合うことは回避しようとしたわ」
するりと出た答えが、おそらくこの半年抱えてきた棘だった。
リディ・サンリークという女性の登場により、隅に追いやられて初めて、オレリアは自覚しないように目をつむっていた自分の歪みに気付いた。
ランベールは何も言わないまま、オレリアの思うように話させようとしている。
「自分の不安を話す勇気が持てなかった。それで幻滅されたり、面倒に思われたりするのも嫌で。追われないほど逃げてしまえばいいと思ったのよ。そうすれば傷つかないし、傷つけない」
――成人する少し前、“恋はしない”と父に言ったことがある。
グラシアンの許嫁ではあっても、婚約しても、結婚しても、恋情は抱かない。何故なら耐えられないからだ。後宮が作られることも、そこに自分以外の妻が住まうことも、グラシアンがそこに通うことも。理屈やその必要性などは、きちんとわかっている。……わかっているくせに、傷つく自分を抑えられないことが予想出来た。まだ恋していない。ただ大事な、家族のような友のようなグラシアンに対して、そう感じたのだ。
ただの不安に向き合う方法だってあったはずなのだ。
「でも、わたくしは臆病ね。先に恋してしまうことも、恋してくれと言うこともしなかった」
そう。想い合う関係になって、不安を消そうという考えには至らなかった。そのときはおそらく思いつきもしなかったのだろう。
政略結婚に真実の愛などないと思っていたのか、それとも想いだけではどうしようもないと判断したのか――。どちらにせよ、可愛い女の子じゃなかった。小賢しいまでに己のみを守ろうとして、自分から歪さを作りだしてしまった。
オレリアが選んだのは、曖昧でどこかぬるま湯のような心だった。恋をせず、それを求めない。代わりに義務と責任と、少しの情だけで繋がった関係。たとえいつか自分ではない女にその目が向いても、恋などしていないのだから、傷つくこともないのだと。
その片鱗は成人よりさらに前にもあった。グラシアンに責められたように、幾度かあった誘拐事件について話したことがないのも、オレリアが一定の距離を取ろうとしていたからだ。父が処理し、国王陛下は王妃殿下が知るところになっても、頑なにグラシアンには知らせないようにと頼んでいた。心配させたくないという言葉の裏で、自分の存在を負のものと感じてほしくなかっただけだ。まるで可愛くない主張。
けれどその全てが、おそらくグラシアンを傷つけ、疑心暗鬼にし、結局は離れていくきっかけを作った。潜在的にそれを感じていたからこそ、リディ・サンリークの登場に驚きはしたものの、二人を憎らしく思うことはなかったのだ。
いずれ出来る後宮でそれは起こるものと思っていたから、たしかに予想外と言えばそうだった。けれど事象としては大きな違いはないのだ。オレリアではない誰かを愛したグラシアン。それはわかっていたこと。いっそオレリアがそう願ったこと。覚悟して、待つばかりだった未来の一つだった。
仲睦まじい二人を見ながら、そこに自分の姿を当てはめることがやはり出来なかった。二人に待ち受けるものを予期していたのもある。それに立ち向かい――結局はやはり愛という尊い心の前に、手を取り合う最後が待つということが、自分に置き換えると有り得ないと笑えてしまうのだ。リディ・サンリークの考え方は、自分には出来ない。だからまず、ああはならない。グラシアンには愛されない。
なのに……。
「ねえ、リア」
向かい合った小さな丸テーブルの向こうから、大きな骨張ったランベールの手が伸ばされて、オレリアの頬をなぞった。
「泣くかい? それでもいいよ。全てが遅いからと言って、悲しんでいけないわけじゃない。君が涙したからって、今さら誰も困りはしないよ」
「……いいえ」
(泣かないわ)
なのにランベールの長い指は、まるで無理矢理にでも泣かすようにオレリアの目の縁を擦る。だんだんそこに湿り気が滲んでいるような気になって、落ち着かない。
だいたいなんて促し方だろうか。慰めているようで、まったくそうではない。全てが遅いとか、誰も困らないとか。優しい言葉で、優しくしない変な人なのだ。……だから苦手。
「泣かないったら」
「そう、残念。でもまあ、そうだね。もしリアが半年前、二人の目の前で泣いたなら遅くはなかったよ。俺は嫌々ながらあの熱い恋人たちの仲を壊して、君を立派な婚約者として立たせていただろうから」
「なに……」
「もちろん王太子殿下に、衆目の中を君に跪いて愛を乞うくらいはさせたさ。それも本心からね」
そのための筋書きを用意し、グラシアンをその気にさせるために力を尽くしただろうとランベールは言う。
「リアも言ったじゃないか。兄上は純粋で真っ当な人間だって。罪悪感だろうが義務感だろうが、そういうものをなかったことにまでは出来ない人なんだよ。訴え方次第では、リディ・サンリークへの気持ちはそのまま君に向かった。……ああ、錯覚だとか勘違いじゃない。兄上の心はそもそもその辺が紙一重だからさ」
シャルルがリディ・サンリークに言っていたように、“王太子”としての彼はそのまま“グラシアン”でもあるほどに、それは精神に根付いた役柄のはずだった。ゆえに愛も恋も、義務や責任も、全ての根本に大きな違いはないとランベール言う。
「先に愛していると言ったのが、君か彼女かの違いだよ」
それはあんまりな言い方だと、オレリアは頭が痛くなった。巷で物語や劇にもさえれているような、熱烈なロマンスを見せつけた二人なのだ。その運命だとか、唯一無二だとかの煽り文句を台無しにするような解説はいただけない。
「けど遅い。おまけにリアは鈍い。今さらちょっと傷ついて見せたって、俺は同情しないよ。半年前にはしたとしても今は駄目だ。そこまで親切で心が広い男じゃないからね」
(だから、そんな台詞を言われて泣ける人がどこにいるっていうのかしら)
泣いてもいいなんて言いつつ、その気があるように感じられない。どこまで本気で冗談なのか、いつでも煙に巻いている。
そしてなおも追撃するかのように、ランベールは悪戯が成功した子供のような笑い方をした。
「それにリア。何かしら後悔したとしても、きっちり意趣返しもしてるじゃないか。――恨んでいない、憎んでいない。そう言いながら、でも面白くないって気持ちはあったろう?」
(面白い?)
――……そんなもの、あったはずがない。
聞こえたわけでもないだろうに、やはりという感じでランベールは続ける。
「俺たち王族の考えたことを、リアは完全にはわかっているわけじゃなかったんだろうけどね。でも気づいたときにはきっちり乗っかったろう? リディ・サンリークの警護を頼んだときも、王家は兄上たちにそれを知らせるなとは言わなかったしね」
……それだけじゃない。夜会のたびに起こったというオレリアの指示を騙った嫌がらせについても、オレリア自身が動いてそれを対処しようとはしなかった。いずれ自分と生家に疑いがかけられるかもしれないと言いつつ、その大元を正そうとしない矛盾。
女のやらかすことには、女が対処するのが最も効率的なのだ。グラシアンやその側近が見逃したことを、オレリアならば綺麗に回収出来ていたはずだった。リディ・サンリークが嫌がらせされているその場に、笑顔で現れてやればいい。後々の面倒を考えれば、親切を装ってそのときに対処していた方が楽だったということも、わかっている。
そうしていれば、まずもってグラシアンに敵愾心を抱かれることもなかっただろう。誘拐事件の犯人の容疑者に挙げられることが事前に防げたはずなのだ。昨日あの場にいることもなく、ただ静かに傷心の元許嫁として社交界の盛り上がりが落ち着くまでを過ごすだけ。一番平穏で面倒の少ない、大人しやかな道がそれだった。
でも実際は、少しずつの矛盾を誤魔化しつつ、それを周囲に指摘させないようにここまで来ている。昨日と言う日を迎え、グラシアンとリディ・サンリークは代償を払った。
憎しみも恨みもない。
――だが味方でもなかった。そうなろうとはしなかったのだ。
「……わたくしだけみたいに言いますけど」
あまりに嬉々とした様子でランベールが言い並べるものだから、オレリアとて返したいものがあった。紫の瞳をきっと見てやれば、嫌なことにおそらく言わんとしていることくらいはわかっているのだろうと思う。
「殿下に手を差し伸べなかったのは、お互いさまだと思うのよ。だいたいあなたは、リディ様の存在を夜会のより前に知ってらしたんでしょう」
「何故そう思う?」
興味深げに訊きかえすランベールと、半年前の夜会の情景が重なった。
ああやはりそうだったのではないかと、オレリアは少しばかり苛立たしい。
「そうやって見てらしたもの。殿下とリディ様が愛を誓うと言っている側で、あなたはわたくしがどんな反応をするのかとこちらを観察していらしたわ」
誰もが、王太子とその腕に縋る見慣れない女性に釘付けになっていた空間で、ランベールはオレリアの様子をうかがっていた。衝撃の中でどうしたらいいのかわからず、わずかに彷徨わせた視線の先で目が合ったのだ。紫の瞳に驚きも不快さも喜びも滲ませないで、ただ冷静なままにこちらを窺う目。あの場では異様だった。
「言ったじゃないか」
何度目かもわからない。思い出してくれというその言葉を、ランベールは言うのだ。
「リアがあのとき泣いたなら、手を打ったよ」
その場面を見るためだけに、王太子とその恋人のロマンスに口出ししなかったのだと暗に認めているようなものだ。やはり夜会より前に二人のことには気づいていたのだろう。
ついでに言えば、王族が動く前に手助けしてやることはランベールにも出来たはずなのだ。オレリアよりも先に、二人のことに気付いていたのならば、その機会は倍以上あったはず。弟の忠告や助言を聞かないほどに、グラシアンは盲目ではないだろう。ランベールの話術があれば、彼にオレリアへの愛さえ乞わせられると言うくらいなのだ。恋人たちの軌道修正をし、昨日ほどの代償を負わせることなく終幕へ導けただろうに。
「…………」
「ま、この手の突き合いはよそうか」
そう、この二人で相手の腹を探りあっても何も生み出さない。互いの困った性質とでも言うべきものは、嫌というほどにわかっている。
オレリアが心を取り繕うことがやめられないように、ランベールもまたその難しい立場ゆえか、一癖も二癖も自ら進んで身に着けたようなものだ。家族への情は互いに深いと認めるところだが、同時に自己愛も激しい。自らの満足のために動くときは、不思議なほどに呼吸が合ってしまうのだ。……それが、きっと今回の流れに則してしまった。
――同病、相憐れめない。
「面白くない」。オレリアにとってはこのロマンスってその程度……




