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ロマンスに踊れ  作者: 青生翅
本編
18/30

18 先を行く者たちの告解――ロドルフの場合



「師匠、起きてますか?」


 ……寝ているなどと露ほども思っていない勢いのノックの後、やはり返事も待たずに扉が開いた。顔を覗かせたのはシャルル第三王子。灰色がかった緑の目を、室内を見まわした後ににんまりと三日月の形にした。


「やっぱり酒ですか。親娘ですねえ。オレリーたちも盛大にやったそうですよ」


「…………何用です」


 遠くの客室では同じように娘が飲んでいることなど知らないはずが、ファサイエル侯爵ロドルフが(あお)っているのもまた、“命の水”と呼ばれる大麦の蒸留酒だ。さすが王城にあるものだけあって、年代物の質のいい一本である。


 悪酔いしない程度に、それでも鬱として溜まっているものを感じながら、静かに月見酒をしていたというのに。

 まったくこの第三王子は、人を放っておくことを知らない。


「用はありませんよ。強いて言うなら寂しい師匠の御相伴ですかね」


「その師匠というのはおやめくださいと、」


「いいじゃないですか。公ではきちんとしますって」


 十五歳の成人を迎えても、まだ成長期のシャルルの身体は若木のような印象を受ける。国王似のしっかりとした身体つきであるグラシアンや、よく躾けられた獣のようなしなやかな体躯のランベールの、どちらに向かっても不思議ではない。

 が、如何せんこの悪戯妖精を思わせる顔つきだけは、一生変わることがないのではないかと思う。


 それだと言うのに、何が楽しいのかロドルフに懐いて弟子を公言している。夢は王子の身で王立大学院に入学することだと言う変わり種だ。いや……王子たちは言ってみればみな変わり種か。


 勧めてもいないのにロドルフに向かい合うように椅子に腰かけたシャルルに、もはや何も言うまいともう一つグラスを取り出してあてがった。

 酌などはしない。“師匠”と“弟子”だと言うならば、この空間は無礼講だ。

 成人したてのくせに嬉しげに蒸留酒を舐める姿は、おそらく娘と同じで王妃に鍛えられているのだろう。あの人は自分が産んだ子ではないシャルルのことも、分け隔てなく王家の男子として扱っている。


「ランベール兄上が来ると思っていたでしょう?」


「何故です」


「師匠と同じ気持ちだからです。今回のこと、むしろ喜ばしいと思っているのは二人でしょう?」


 当たりですね、とやはりシャルルは答えなど必要としない。


「ちなみに僕は残念です。オレリーが義姉になるのを楽しみにしていたし、グラシアン兄上が王太子じゃなくなるとこれまた面倒なこともある」


 主に次の王太子位のことだと、ロドルフとてわかる。

 現在、正式に王子(デュ)の称号を名乗っているのはグラシアンとシャルルの二人だけ。長兄が資格を失えば、順当ではシャルルにそれが回ってきそうだが、彼は側室の子供だ。間違いなく国王の血を継いでいるというのに、そこをとやかく言う人間がいることもまた事実だ。臣籍に下ったとは言え王族(ファール)の義務を捨てていないランベールの存在もあり、しばらくは王太子位は空位のままかもしれない。


 そこでふと、何でもないことのようにシャルルが話題を変える。……おそらくはそれだけを聞きたくて来たのであろうことは、想像に難くない。


「オレリーは、泣きました?」


 例えどんな理由があろうとも、十三年間をふいにされたに等しいオレリア。悲しさからでも憎さからでも、悔しさからも何でもいい。そこに含まれる感情に関係なく、あの空色の瞳は涙を零したのかと――。


 ロドルフは灰色の双眸を細めた。


「あの子は泣かない。――泣くほどの執着を抱かないようにしていたのだから」


「グラシアン兄上に対して?」


「そうだ」


 主家と臣下の人間同士であることを置き捨て、ロドルフはシャルルに答える。


 同時に思い出すのは、八年前に早々とこの世を去った妻の顔だ。

 一回りも年下の彼女の方が先に逝くなど考えもしなかった。そのときの衝撃は言いようもない。だが病は仕方のないことだ。いつか同じ場所に行くと思えば、残されたオレリアを守ることで日々は色づく。

 だが唯一、ノエミの墓前で罵ってやりたかったこと――それが王太子とオレリアとの許嫁の約束だった。


 王家になど関わるものではないと、自分の身を以て何故行き着かないのだろうか。

 二十七年前、彼女を娶るときにどれほど苦労したか知っていたはずなのにだ。そして親友である王妃の苦労もわかっていてなお、ノエミはオレリアを将来の王太子妃にという申し出をあっさり受けてしまった。


 ……理由は、わかってしまうのが嫌だ。


 幼少期からロドルフに付き纏って、恋だなんだと騒いでいたのがノエミだった。夢見がちでどこか抜けたお嬢様だったら良かったのが、彼女の場合は性質が悪い。面倒見がいいと言えないロドルフの、どこまで踏み込めばいいのかを見極め、罪悪感やら庇護欲やらをくすぐり、どの線ならば譲歩するかというのを徹底的に考える人間だった。無邪気な笑顔の下に、奔放で強かな一面を忍ばせる。それが自分に向いているうちは疲労とともにまだ諦められるものの、他者へ向けられることを考えると座りが悪い。


 十四歳という子供の年齢で愛を囁かれたときには、捕まってたまるかと隣国へと避難した。もともとそれまで行っていた研究に必要な資料を得たかったこともあるが……ほぼ建前だ。自分の地味で穏やかな人生が狂わされる予感に慄き、無事に逃げた先でやっと忘れられると二年が経った頃に――ノエミはやらかした。何故、よりにもよって王家の、それも王太子などという大物を釣るのだ。馬鹿だろうか。

 ぎりぎりまで己を理性で縛り上げていたのに、その年が終わる直前に王国へ戻っていた。一生の失態だと感じた瞬間でもある。いかに彼女を愛しているか……などそんな恐ろしいことは一言も口からは出ず、危険物を回収する許可だけを求めた。

 

 会うなり『やっぱりね』と艶然と微笑んで見せた二歳ばかり年を取ったノエミを前に、抗うだけ無駄だと悟ったものだ。この執着心というか、自分にツキを回す力は生半可なものではない。


 だからこそ、純粋にノエミはオレリアに願ったのだろう。

 

 ――恋を育むこと。


 自身に宿る(こわ)いほどの情を娘が受け継いでいるはずと信じて、長い年月側にいればそれだけ想いは強まるのだと。


(あの阿呆娘が)


 遅すぎるが、ロドルフは何が何でも止めるべきだったと思っている。

 あれだけノエミにそっくりなオレリアの中身が、彼女の予測通りであったことを自分は勘付いていただろうに。

 だが同時に自由すぎる母に育てられ、一方でロドルフにも充分に懐いたオレリアは、両親の何とも難しい部分ばかりを引き継いでいたのだ。


 ノエミからは、その深すぎる情を。

 ロドルフからは、ある種の不器用さを。


 オレリアは“王太子妃”という高すぎる椅子を前に尻込みもしなかったが、母ほどに奔放になれないその性質は、自分の心を守るために一つの約束を掲げた。

 全てはノエミが亡くなり、オレリアがついに成人を迎える頃に聞かされた言葉だ。


『わたくし、グラシアン様に恋だけはいたしませんわ』


 ――親愛の情も、友愛の情も持てる。けれど恋情だけは抱かない。 


 何故とロドルフは問うた。

 妙なことを言うものだ。普通は逆ではないのだろうか。用意された政略結婚を前に、貴族の令嬢たちは相手の男を愛する努力をするものなのではと。


 けれどオレリアはあまりに聡明で、現実的で、不器用だった。


『お父様、わたくしは完璧な王太子妃になどけしてなれません』


 ――もしも恋してしまったら。女としてグラシアン王太子を愛してしまったら、きっと自分は耐えられない。後宮を管理することも、そこに幾人もの側室が迎えられることも、いつかは自分ではない誰かに子が生まれることも。何でもない顔をして微笑み続けることは出来る。だがそうなれば、今度は親愛も友愛も感じないようになるだろう。


 ――恋はしなくとも、愛があれば夫婦にはなれる。それが家族のような淡い想いでも、同志のような感覚でもいい。けれど恋は駄目だ。自分ではない誰かが寄り添っているのを見た瞬間に、“オレリア”を保っていられなくなる。


『人形のように生きたくはないのです』


 密やかに守っている奥、眠るようなそれはノエミよりも強い心の塊なのだとロドルフはやっとわかった。父親に似てあれもこれもは出来ない。妥協が出来ないのだ。そのくせ世の中を理解してしまう。自分に求められる役割のなんたるかを、その自我よりも先に身に着けてしまった。


 ……オレリアは成人を前にして予感したのだ。

 抱いている淡い情が、そのうち恋に育ってしまうかもしれない。母であるノエミが願った通りのそれは、けれど真面目で器用ではないオレリアには荷が重かった。


 ――もっと鈍感であれば。愚かであれば。非情であれば。野心があれば。

 誤魔化しが利いたかもしれない。しかしそのどれもなかった。そのたった一部の心以外は、オレリアは実に上手く操る才があったのだ。知識を理解することも、討論することも、計画することも、実践することも。他者の人心もよく集めて見せた。

 オレリアはせめて“やりがい”という厚い皮を被せることにしたのだろう。王太子妃に求められるあれやこれ、立ち上がる問題、向けられる嫉妬や羨望の眼差しでさえ、鮮やかに処理していくその過程に楽しみを見出した。


 グラシアン王太子に、恋する気持ち以外の全てを預けようとした。

 最良の家族、最強の友。そんな存在になりたかったのかもしれない。


 だがロドルフは憂慮した。

 押し込めた心が一生封じられているかなど信じがたい。ただでさえままならぬものが、あのノエミの激しい情を引き継いでいてなお、大人しくしているだろうか。

 許嫁であるうちはまだいい。けれど正式な婚約、婚姻という引き返せない段階になってからそれが起きたらどうする。……誰も救ってやれない。人知れずオレリアは全てを諦めて、ただ尽くすだけの人形になってしまう。


 ロドルフは、二人の婚約を先伸ばすことを考えた。

 本来はオレリアが十五歳の成人で以て、正式な婚約を結ぶことが王家の思惑だったのだ。それを、せっかくの社交界デビューしてからの独身期間をもう少しだけ味わわせてやりたいという、親馬鹿な意見で打ち消した。


 ――その間に、グラシアン王太子がオレリアを愛してくれればいい。


 リディ・サンリーク相手には審議にさえかけられなかった後宮廃止案も、だんだんと伝統を見直しつつある今の時代、正妃にオレリアを据えるとあっては通ったかもしれないのだ。

 グラシアン王太子が真実オレリアに惹かれたならば、ロドルフはその案を自ら根回しして了承させる気でいた。あらゆるツテと権力を振りかざしても、だ。


 ……娘からは折れられないのだ。唯一の例外は、伴侶になるその人に最愛の情を向けられることでしかない。それ以外にオレリアが、恋情までをも安心して渡せる状況にはならない。


 けれど十八歳になり、そろそろ先延ばしも利かない時期になっても、王太子はオレリアへ憐憫以外の想いを向けることがなかった。幼いころのそのまま、せめて妹のように可愛がっているのならまだ良かったものを、妙に歪んだ二人の交わらない関係はロドルフの想像する中で最悪のものだった。


 こうなればもはや、オレリアを逃げさせるしかない。逃げ道を知らない娘を騙してでも、そこから退かせたかった。

 王家でさえなければ……一夫多妻が堂々と宣言されているその一族でさえなければ、オレリアへの憂いはないものとなる。

 相手は普通の貴族でいい。一人娘だ、婿入りならなお都合がいいかもしれない。高位貴族の筆頭であるファサイエル侯爵家に迎え入れられるとあれば、容易に愛人を囲うこともない。仮に万が一があったとして、王家でなければ離縁も出来る。今さら家の名がどうだなどとロドルフは気にしない。オレリアが繁栄させようが、衰退させようが好きにすればいい。


 やり口はどうしようかと考えているそのとき、侯爵家で使っている人間からもたらされたそれは、大変馬鹿馬鹿しくもロドルフには朗報だった。

 ――町娘と王太子のロマンス。それもどうやら加速的に燃え上がっている様子だと。

 遺伝的な王家男子の情熱家ぶりにはいっそ笑った。二十七年前には傍迷惑だと思ったそれが、今回は諸手を挙げて歓迎したくなるほどに。いい年になってからの初恋、実にけっこうなことだ。


 オレリアがグラシアン王太子に女としての愛情を注いでいたのならば、けして考えもつかない。

 けれどロドルフは心から願った。王太子がその町娘の手を取り、派手にオレリアを裏切ってくれる形になることを――。


「師匠?」


「ああ……」


 シャルルの訝しげな声に、はたと我に返る。

 今日と言う日に起こったことは、すべてが想定内だった。自分と、おそらくもう一人にとっては……。


(泣きそうには、なったがな)


 そうなのだ。大丈夫であると信じたかったが、オレリアの情は少しばかり王太子に深まり過ぎていたかもしれない。半年前の衝撃の告白の直後はさすがに平気そうだとは言い難く、家に戻り、ロドルフの胸に縋って微動だにしない時間があった。

 それでも今日のため、ロドルフは描いた構想の取りやめなどはしなかったのだ。


 途中で王太子に妥協させてはならない。リディ・サンリークという女性は彼に従うのみであるから、グラシアン王太子その人が突き進んでいくのを邪魔しないことが大事だった。


 最初の、王太子妃の未来図にオレリアが縋らないという条件は心配する必要もなかった。

 次の後宮廃止案。それとなくグラシアン王太子の耳に入るよう、それがあたかも自分たちの発想であるかのように手配した。側近二人では近すぎる。あくまで呟きのごとく、さり気無い位置と拍子で放り込んだそれは上手く機能し、王家を引っ掻きまわした。

 最後、リディ・サンリークの誘拐事件だけは王家の筋書きだが、ロドルフはある意味で王太子の婚約者である女性を信じていた。……いわゆるその“甘さ”を。常春な頭の彼女ならば、きっと何かやらかしてくれると思っていた。実際に王城を抜け出したと聞いたときには、頬が緩んだものだ。


 王家から打診された警護の采配を任せたことで、オレリア自身で王太子に見切りを付けさせることはおそらく成功しただろう。受けた傷もたしかにある。けれど手遅れになる前に間に合ったはずだ。そうでなければいけない。




 いつの間にか杯を干して、ロドルフの視界にシャルルが乗り出して入って来ていた。

 人の悪そうな笑みを浮かべつつ、灰色がかった緑の目がきらりと光る。


「師匠、師匠。悪い顔になってますよ。傍目には無表情だけど。企みごとは成功ですか?」


「そんなものはしていない」


 ――悪い顔などしてはいない。

 こと今回の件について罪悪感など微塵も持ってはいないのだ。


(後悔することがあるなら……)


 それは十三年も前にするべきことだったと、ロドルフは思っている。

 天上であららと笑っているはずの阿呆娘に、そのうち会ったときに説教せねばなるまい――。








 ロドルフお父様が一番面白くないのは、娘と王太子のツーショットそのものなんですよ。若い日の国王とノエミが並んでるようにしか見えないので(笑)

 設定メモのところに「恋人のようなファサイエル親娘」って書いてありました……。お父様はきっと家の中では、娘に対して極甘紳士になる瞬間があります。


 親世代はここまでです。

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