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ロマンスに踊れ  作者: 青生翅
本編
14/30

14 死ぬまで赤い靴で踊り続ける覚悟。




 例えその体裁を整えることすら難しかったとしても、フランシーヌ=アラベル・ルシエは、生まれた瞬間から貴族令嬢だった。それに相応しい生き方を、十八年間模索し続けてきた。


 今なお――そしてこれからも、許される限りそうなのだろう。

 生まれを選ぶことの出来ない人間という存在は、だからそんなものたちを運命と呼ぶ。






   ***






 “倒錯”――と、その一言に込められたものの意味を、どう受け取るべきか。

 放たれた言葉を受け取るリディ・サンリークだけでなく、フランシーヌもまたそれには考えさせられる。


「君に訊きたい。もし君自身の生まれを、市井で暮らしてきた日々を否定されたとしたらどうだろう。……そんなのは偽物の人生だ。君に相応しい場所は別にあり、今までの君は間違っている。そんな風に言われたら?」


 ああそういえば君の出生の真相なんてものも明かされたんだっけ、とシャルル第三王子は続ける。


「二十年間無縁だった貴族の血を引くというそれを、君は素直に受け止められたかな。何か他人事のような気がしなかった? 父親が誰であれ、自分は自分だと思ったのではないかな。グラシアン兄上の言う自分を持つ(・・・・・)という君ならそうだったんじゃないか、と僕は思うんだ」


 生まれてすぐに教会の前に置かれていたというリディ・サンリーク。十六歳までを孤児院で暮らし、その後は城下の食堂で働いた。その程度の経歴は、今の社交界では常識として広まっている。貴族たちにとっては考えられないその身の上は、好奇心の只中に放り込まれた格好の話題だった。

 あの夜会以降、同じように出かけて行った先でそのように声高に噂する人々のことを、フランシーヌも何度か見かけている。一方では侮蔑と嘲笑混じりに。また一方では同情と憐憫混じりに。どちらにせよ、自身が経験したことのない話だからこそ、そういう感情を抱くのだと思う。


 呟くような声と言ってもいい。語りかけるほどの力強さは込められていないはずなのに。弱冠十五歳の第三王子の声は、不思議なほど染みるように場に響く。


「なら自分(・・)とはなんだろう。……君は市井に生まれ、そこで育ち、その場所で必要な常識を学んだよね。それが君の血となり肉となり、骨となっている。“リディ・サンリーク”という人間はそうして出来ているだろう? だから君は、『自分は自分だ』と胸を張って言えるのではないかな」


 どうだろうかと小首を傾げる第三王子に、リディ・サンリークは硬い表情ながらはっきりと頷いた。彼女には、彼女なりの矜持がある。


「はい……。父親が貴族だったことはよく実感できません。けどあたしは、やっぱりあたしだと思います。これまでのあたしが消えることはないです。死ぬまで、ずっと」


「うん。僕もそう思う。君は自分を見失わない人だ」


 だから兄もそんなところを愛したのだろうと、シャルル第三王子は笑った。それは心からの笑みで、リディ・サンリークを認める部分もあるという証。

 しかし、と言葉は続く。


「君はさっき言ったよね。『王太子である前にグレイは“グレイ”という一人の人間だ』『彼に少しの自由をくれ』……それはさ、想うだけならいいんだ。――でも、君が市井で出会った“グレイ”という男と、今現在の君の隣にいる人は、違う人間だと思うべきだ」


「そんな……」


 言われた意味が理解出来ないリディ・サンリークの横で、王太子その人は静かに目を閉じている。


(ああ……そうなんだわ)


 フランシーヌは、ふと思い至る。

 シャルル第三王子が何を言いたいのか。“倒錯”と言ったその真意。

 彼はけして王太子とリディ・サンリークの愛を否定しているのではない。その邪魔をするのは三ヶ月前に諦めたのだと言った言葉通り、彼はおそらく見守り続けてきた。これから伝えるそれを、二人が気付くことができるかという――。


「君が恋した“グレイ”という男は、王太子じゃなかったろう? 君はそれを知らずに想いを寄せ、その恋は結ばれた。そして兄上と君はその先を望んだ。将来ずっと、死ぬまで一緒にいることを願ったよね。――だから“グレイ”という人は素性を明かしたはずだ。“グラシアン王太子”という秘めていた身分を語り、君に問うた。『それでも一緒に来てくれるか』ってね」


 まるでそこで見ていたかのような断定的な言い方にも、王太子は否を唱えなかった。ただ息を飲むリディ・サンリークと繋いだ手に、力が籠る。


「君は頷いたんだよね。『苦しんでいるグレイを助けてあげたい』ってさ」


 すべてリディ・サンリークが必死に言った言葉だ。王太子を想って――いや、“グレイ”を想って口に出した言葉たち。純粋に、心から好きな相手の力になりたいと望む気持ちは、美しくて真っ直ぐだ。


「君にとってグラシアン兄上は、あくまで“グレイ”なんだ。王太子という肩書は責任と義務いう名前の仮面で、その下に素顔がある。誰も顧みることのない、その姿を守りたかった――そういうことかな」


 もしも――。

 愛しい人の素顔を知るのは自分だけと思えば、何に代えようともそれを守りたくなる。誰からもその軟な心を守って見せると、誓うかもしれない。

 経験のないフランシーヌでさえ、もし唯一と思える人間が現れたなら、そうであるだろうと思った。自分の存在意義を他者に求められることは、きっと世界に認められた気持ちがするだろう。繋がる手の先のぬくもりを手に入れることは、きっと泣きたいほどに素晴らしいに違いない。


(けれどそれは……シャルル殿下のおっしゃりたいことは――)


 ――ある意味では孤独の証明に違いない。


 ――そして同時に、脈々と続いてきたことへの紛れもない誇りだ。


「君を形作ってきたものがあるように、グラシアン兄上を形作ってきたものがある。――僕たちはね、生まれながらの王族(ファール)なんだよ。母たちの胎内に宿ったその時から、民の血税を(すす)る運命を得た。自ら畑を耕すことも、家畜を育てることもなく、納められる税の上に豊かな生活を約束された一族の一人だ」


 特権階級と呼ばれる王侯貴族。王国を統治するファール王家、高位貴族のファサイエル侯爵家、ブロンゾ侯爵家、キリーシェル伯爵家、ライプツ伯爵家……マクシムの生家である子爵家も、セザールが養子入りした男爵家も。二〇〇年続く王国の中で、民の上に立ってきた家柄なのだ。土や草を直接触らず、育まれた恵みを享受する代わりに、人々と土地と経済の調整を行ってきた。

 もちろんすべての貴族がそれに相応しいことをしているとは言い難い。だからこそ没落する家はなくならないし、領民に訴状を出される領主も少なくない。


 けれど王国が二〇〇年続いたというその歴史こそが、王家がそれに足る役割を果たしてきたという証ではないか。生まれながらの特権に相応しい、責任と義務を果たしてきたことを表わしている。

 ただ搾り取るだけの存在ならば、今日までその家が続くはずはない。取って代われる高位貴族とていないわけではなく、隙を見せれば戦乱の時代に周辺国に吸収されていた可能性だってあるのだ。

 それらからファール王家は、国を守り続けてきた。その末に今生まれているのが、グラシアン王太子であり、ランベール元第二王子であり、シャルル第三王子だ。


「グラシアン兄上が、王太子である前に個人であると君は言う。けれど僕たちは、生まれた瞬間から王子(デュ)の呼び名をもらっていたんだ。“グラシアン”や“ランベール”や“シャルル”という自我が芽生えるよりずっと先に、僕たちの血も肉も骨も民の働きの上に作られている」


 名付けよりも先に、生まれるのが男であれ女であれ王子(デュ)王女(ディア)の尊称は決定づけられていた。


 ――自ら望んだ運命ではないと張り上げたくなる声まで、それは民に作られたものだ。王国そのものに贈られた存在だ。


 ときには特権を貪るだけの王族が生まれても、それは速やかに粛清されて今の次代を迎えている。何度も、何度でも、この国の王家は子孫のその身に教え込んできた。

 ……もしも王国に贄を捧げる必要があるならば、それは真っ先に王族(ファール)でなければいけない。もしもただ一人の犠牲を以て国が救える方法があるならば、それには国王があたらなければいけない。次には王太子が、王子たちが、王女たちが、そして王妃や王太子妃が。名もなき王族たちが、その後ろに続く。例え乳飲み子であろうとも、その例外ではない。


 ――生まれながらの特権を持つから王族なのではなく、王族であるから特権を許されているのだと。


 王家の人間は民の夢でなければいけない。

 常に微笑み、強くしなやかで、慈愛を持ち、公正でときに厳しい。そういう理想を体現するもの。彼らの下でならば、数多の名もなき民として生きることを誇れると、そう思わせられなければ……。

 その裏でどれほど涙を流そうと、血に塗れようと。けして清らかではないその生き方を、けして悟らせない。王国の歴史の裏では、王家による陰惨な行為など山のように隠されている。特に戦乱の時代には、国や民草を守るのだと言う大義名分のもと、数多の罪を重ねてきた。

 それでも古の誓約は生きている。建国の昔、人々と土地と神に誓った王家の始祖の決意を忘れることは許されないのだ。


 それは平穏である現在の世の中こそ、王家の、王族に生まれた人間にとっては重い立場だろう。

 庶民出身のセザールが養子に入ることで貴族の名を名乗れるように、今の王国での身分制度は昔ほどには厳しくない。つまり庶民と貴族の距離が縮まったということ。昔ほどには王家が崇め奉られないということ。……一人の人間としての自分を、つい考える機会があると言うことだ。


 それでも、と第三王子は言う。

 側室から生まれた、兄王子たちとはわずかにでも低く見られるその生まれを持つ身にしても――それは貴族の目線であって、民からは何の差異もない。王子は王子、王族は王族である。


「君の前に現れた“グレイ”という人間は、王太子の仮面を取り払った真実の姿なんじゃないよ。“グラシアン王太子”というその人の表や裏でもない。隣り合う同一人物で、切り離すことの出来ないものだ。君に出会う運命とはつまり、グラシアン兄上が王家に生まれて、王太子でなかったら有り得なかった。……君が孤児で、市井に育ったリディ・サンリークであるのと同じように」


(オレリア=コンスタンス・ランドローが、王太子の許嫁であったのもまた同じこと)


 フランシーヌは思う。

 誰もかれもが彼女を、王家の犠牲のように捉える。王太子のために用意された人形のような令嬢で、十三年間の努力を無に帰された――もはや何の希望も残ってはいない人であると。

 けれど本当に? 彼女はそんな人間なのか。

 ……完璧に振る舞った“王太子の許嫁”であり、それはつまりオレリアがそういう少女に育ったということではないのか。責任や義務を取り払おうとしても、そこに残るのは同じ人間だ。努力家で惰性を許さず、困難を楽しみながら自分を試す性質。

 ファサイエル侯爵家に生まれ、五歳で王太子の許嫁として約束された。それが今のオレリアを形作る要素だっただけのこと。誰もそこに罪を感じる必要はない。彼女に用意された、彼女が選択肢して歩める人生だった。


 フランシーヌが苛立たしいのは――それ以上に悲しくて仕方がないのは、そんなオレリアの真実を、誰よりも側にいた王太子が見ていなかったことだ。

 けして王家の、王太子のために、自分を犠牲にしてきた少女ではない。求められるからどんなにつらくとも耐えてきたのではないのだ。自分も望むから耐えてきた。楽しんできた。


(オレリア様は真実、グラシアン王太子の隣に立つことを楽しみにしていらしたのだわ)


 そうでなければ、少しでも自分が犠牲になっていたのだという思いがあるならば、王太子とリディ・サンリークが手を取り合った現実に少しの恨みも抱かないなど有り得ない。 ただ楽しみにしていた未来が、自分ではどうしようもない要因で立ち消えた。自分が必要だと思っていた準備が無駄になったからといって、誰に当たることが出来る。


 ……フランシーヌがあの夜会以降、不思議で仕方がなかったオレリアの心をようやく少しばかりは理解出来た気がした。彼女の代わりに怒りを湛えることの愚かしさも。


 呆然とするリディ・サンリークを、もはや恨む気持ちなど起きなかった。

 恋に落ちるのは突然でも、それを深める、続けることは本人たちの努力が伴うのだろう。


「君の出会った“グレイ”という、立場も責任もない身軽な男はもういないんだ。グラシアン兄上が君にすべてを明かした瞬間から、隣に立つのは“王太子”であり、グラシアン=レオンス・ファールだよ」


 自由を与えてやれというその言葉は相応しくはない。リディ・サンリークが考える自由と、王家に産まれたグラシアン王太子にとっての自由は、まず定義からして異なるのだ。


 さて、とシャルル第三王子は息を吐く。

 ――グラシアン兄上の代わりに、今度は僕が訊こう、と……。


「それでも君は一緒に来てくれる? 王太子殿下(デュ・ナ・ファール)の伴侶として、自我に根付いた心より、家族に対する愛情より、王国と民への誓いを優先すること。愛する夫であるのと同時に、自分さえもときに駒として扱う王太子殿下を信じ続けること。それらが出来るかい?」


 自分を作り上げてきた常識を捨てなければいけない。今まで得てきた自由や尊厳を放り投げる必要さえある。




 ――“リディ・サンリーク”ではなく“王太子妃”として生涯を国に捧げる覚悟があるか。




 あの夜会から今日という日まで、無言のうちに王族が問うてきたそれが、今度こそ撤回のできない言葉として投げかけられる。

 最後の最後、彼女がどう答えようと、恋人たちが引き離されることはないだろう。それは一度二人の正式な婚約を許した王族が、違えてはならない約束の一つになっている。


(けれど、何もないわけじゃない)


 このままで済んでいいものかと、ずっと思い続けてきたフランシーヌでさえ、リディ・サンリークの答えを待つのが怖いと感じる。

 是と否。そのどちらを答えても、恋人たちは代償を払う。それがおそらく半年間続けられた、三つの賭けで負けたことへの支払いなのだ。


 ――あれは王族(ファール)の賭けだと言っていた。


 つまりはそこに王太子自身もまた運命を左右され、その伴侶になることを願ったリディ・サンリークも賭けに参加する権利を得ていた。

 王族の払う代償の中にはもちろん、彼らに依るものも含まれるのだ。


 フランシーヌが願った以上に、王族は公平を貫こうとし――何よりも、厳正な結果が導かれるように動いているのかもしれなかった。








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