第三章 プロデューサー降臨
沖縄県 那覇港 十五日目
「さて、ここからが忙しいわね。ちょっと、街の方まで行ってくるわ」と、玲子はクルーザーを降りて近場に止まっていたタクシーを拾う。その後ろから美和子が着いてくる。「高野さん、彼がどこにいるのか分かりますね?」タクシーの中で美和子に質問する。
美和子は相変わらず余裕な表情を出しながら「えぇもちろんですよ。運ちゃん、そこ曲がって」と、支持する。その後、美和子は運転手に複雑な道順を指示した。
そして目的地に着く。そこは街だけに明るい場所と暗い場所がはっきり分かれていた。美和子は暗い路地に入って行く。沖縄特有の清々しい暑さのお陰でまだここは沖縄だと認識できたが、この暗い路地は東京を思わせた。
「ここかな?」と、裏路地の奥の、日の当らない建物の裏に回り込む。その建物はレンガでできた、いかにも老舗のような匂いを出していた。だが、屋根にはシーサーの置物はなかった。
美和子がそのレンガの壁から一つブロックを抜き取った。すると、ガコンという音と共に隠し扉が開いた。「内緒ですよ?」
「ここには何度か来た事があるわ」と、目を鋭くさせて辺りを見回す。
「あらま、さすがですね」と、隠し扉をくぐる。
そこは薄暗い部屋だった。部屋の中央には電球が一つだけぶら下がり、それだけで部屋の明かりを保っていた。その光の元には丸いテーブルがあり、軍服を着た白人の中年男性が五人ほど囲っていた。手にはトランプ、中央には金品が山のように積まれていた。
「(失礼します、大佐殿)」美和子が話し慣れたイギリス訛りの英語を話す。
「(おぉ美和子、久しぶりだな!)」奥の方に座ったサングラスをしている軍人が手札を伏せて手を振った。「(ゲームは中断だ。少しばかり彼女と話があるのでな)」と、立ち上がる。回りの軍人たちも手札を伏せ、ポケットの中からスキットルや葉巻を取り出して一服を始めた。
近くの小さな椅子に大佐が座る。正面に美和子が座った。「(で……貴方達の犯した罪についてですが……)」と、懐から書類を取り出す。
「(あぁ……小遣い欲しさにあいつらがあんな事をするなんてなぁ……すまない、アメリカを代表して謝らせてくれ!)」早々に二人は深刻な話を始めた。玲子は他の軍人たちと席を並べ、持参したウイスキーのボトルを開けて彼らに振舞っていた。
「(謝罪は我々の任務が終わってからで……で?その『買った相手』が来る正確な日時、人数、武器などの情報は?)」正面のテーブルに両肘をつき、手の甲に顎を乗せる。
「(なぁ美和子、この事について君達のボスや我々のボスにリークはしないだろうな?)」
「(もちろんです。この事を公にしない為に我々が動いているんです。いえ、この一大事をチャンスと捉えて動いていると言った方が正しいかも……)」
「(そうか、まぁこれが公にならなければそれでいい)」と、近くのアタッシュケースを取り出し、開いて書類を取り出す。「(いいか?絶対に漏らさないでくれ、用が無くなったらすぐに燃やしてくれ!いいな?)」と、サングラス越しに懇願するような目をして見せる。
「(もちろん。取っておいて額縁に入れる気なんてありませんよ。シュレッダーにかけた後、強火で燃やしますよ)」と、書類に目を通し、満足した様な顔で握手を求める。「(確かに。この情報が寸分狂わなければいいんですが)」
「(我々の情報部の信頼は確かだ!信じてくれ)」と、握手に答える。
「(イギリスは過去に何度かその情報部に裏切られていますがね)」と、不敵に笑う。「増山さん!終わりましたよぉ!」と、先程の英語とは真逆な能天気な声を出す。
その頃、玲子はウイスキーのボトルを半分飲み、顔をほんのりと紅くしていた。「あぁ本当?もう終わり?(ごめんなさい!またね紳士諸君!)」と、大笑いしながら後退する。
「(もう行くのかい?残念だなぁ!俺達はいつでもここにいるからなぁ!待ってるぞぉ!)」
「グッバイ!」と、玲子が大手で手を振った。紳士達も手を振りながら「サヨナ~ラ」と、声を上げた。
隠し扉を閉め、表通りまで歩く。「楽しかったですかぁ?」
「久しぶりだなぁ、ハメ外したの……」と、額の汗を拭い、手で扇ぐ。
「随分と短い息抜きですね」
「うん、いけないと分かっているんだけどね」と、懐から薬の錠剤の入った瓶を取り出し、ジャラジャラと口へ放り込み、バリバリとかみ砕く。「苦いな……さて!次いくわよ!」
「はいはい……それ加藤さんの調合したヤツですか?」
「ノーコメント」と、太陽の光の当たる大通りに出る。
沖縄県 謎の島 砂浜
「よし!これから台本の読み合わせを行う!」大塚監督がいつにも増して大声を上げる。
「あの、施設にいる役者さん達は?」小林が小さく手を上げて質問をした。
「あっちはあっちで読み合わせをしている。というか、小さなトラブルが起きて出られないらしい。まぁ気にするな!こっちはこっちでやるぞ!」
「はい!」「はぁい」「うぃ……」三人がそれぞれの返事をした。
元気の良い二人に比べ、奥平は浮かない顔をしていた。なにせ一晩中砂のサウナに浸かっていたのだ。先に脱出して余裕綽々で小屋へ戻った神谷とは違い、彼は並みの人間だったので脱出はできなかった。今朝になってようやく千葉に助けてもらったのだ。
「さて!では早速オープニングの部分だ!」
「あの!もう一つ質問です!」小林が数日前から気になっていた質問を大塚にぶつけてみる。「そのぉ……気になっていたんですけど、後半部分で、岡谷さん演じるキリヤマが白兵戦用二足歩行型戦闘マシンに乗ってサクラダを襲うって書いてありますよね?」
「あぁ」
「そのぉ、ここにカッコ特撮って書いてあるんですけど、まさかこのマシンって……」
大塚は顎をしゃくって答えた。「特撮だ。当たり前だろ?CGは映画に取って不純物だ。何でもそのままのモノを使ってナンボだ。まぁその不純物を十パーセントくらい混ぜると映画の風味が引き立つのは確かだがな」と、顎を掻く。
「え!じゃあこの戦闘マシンは?」鼓動が高鳴る。彼は特撮モノの映画に出演するのが夢だった。ついでに言うとガンマンライダーのコスチュームを着てだが。
「撮影日になる前に到着する。それに衣装や小道具、セットで使う物などな。そして……」と、監督の顔が一瞬青くなる。「……いや、何でもない。早くリハスタートだ!」
「はい!」「はぁい」「うぃ……」
沖縄県 謎の島 謎の施設
「えぇ……では、読み合わせを始めます」パイプ椅子に座った田中が台本を前に咳払いをする。彼らは今、独房の前に座っていた。
大森と真里もパイプ椅子に座って台本を眺めていた。柳谷は未だに独房の中のベッドの上だった。「彼、いつ出てくるの?」真里が田中に尋ねる。彼女は今の所、精神状態が安定しており、普段よりも大人しく文句も言わなかった。だが、加藤が言うには薬の分量(彼女の知らぬうちに飲んでいる薬)を間違えると、またロクデナシの真里に逆戻りする恐れがあるらしい。
大森もまた抗鬱剤(これまた知らぬうちに)に頼っていたが、これは分量を少なくしても問題はなかった。
「あの……いいですか?」柳谷がか細い声を出す。
「はい何でしょう?」
「僕、アクションやった事ないんですが……ほら、ここにマツオカとサクラダ、激しい殺陣ってありますよね……?どうします?」
「……それに対して考えがあります」と、田中が無線機を取り出す。「監督、至急千葉をこちらに寄こしてください」正直、彼は今焦っていた。ヘマを犯すのは二度目、いや三度目だろう。無線は今、大塚の丁寧かつ怒りに満ちた怒声が飛んでくる数秒前になっていた。
アメリカ バージニア州 某海軍基地 十七日目
広く、そして無駄のない部屋だった。中央には机と高価なブランドの椅子が二脚、そして絨毯が敷かれていた。
一つの椅子には沖縄の例の島で指揮官をしていた男が座り、その目の前にはアジア人らしき男が座っていた。中央には高価なウイスキーが置かれ、まだ一口も啜っていないようだった。氷が解け、ロックが水割りへと変わっていく。
「(……ホントウにあのシマにブツがあるんだな?)」アジア人の話す文法はキチンとしていたが、何処か訛りの強い英語だった。
「(あぁもちろんだ。五十基中三基程残しておいた。しめてそうだなぁ……三千万と言ったが、用意できてるかな?もちろんアメリカドルでだぞ?)」訛りこそないが、下手糞な発音の英語だった。この男は生まれつき頭がよくなかった。ちなみにこの男があの島にアメリカワニやタランチュラを持ち込んだ張本人だった。
「(イっただろ?カネはヨウイできている。ソウコのバンゴウとモウマクスキャナーヨウのギガンをワタしてくれ)」と、背後のアタッシュケースを三つ机のわきに置く。一つを机の上に置き、鍵の番号を揃えて開ける。そこには『万能なるドル札』がきっちりと入っていた。
指揮官は吹き出して笑い、手に取って数え始めた。「(数えたら三日かかるかな?)」
「(ヤクソクのバンゴウとギガンを……)」
「(あぁ……)」と、番号を書いたメモ用紙を渡した。そして目に手を当て、自分の目をえぐり出す。彼は義眼だった。「(これだ。義眼の方は事が済んだら返してくれよ?)」
「(わかった)」と、義眼を手に取ろうとする。すると指揮官の男はアジア人の手を掴んだ。
「(あれをこの国に向かって使っても無駄だぞ?わかっているな?)」
「(わかっている。ワレワレがアレをぶっパナすアイテはもうキまっている)」と、掴まれた手を振りほどき、義眼をポケットに入れる。「(ではこれで。いいトリヒキだった)」
東京都 葛飾区 大森邸
大森の豪邸は今でも回りの家を霞ませるほどの迫力で建っていた。だが、その内部は少々違っていた。
「う~ん、もう飲めねぇ……」連日ここで留守番をしている大森の弟子は連日の飲み会で疲れ果てていた。彼の仲間達も大きくも高価なベッドやソファー、絨毯などに寝転がり寝息を立てていた。辺りには高価なワインやウイスキー、ブランデーなどの空き瓶が転がっており、それに比例して嘔吐物や食いかけのつまみなどが散乱していた。「どうせ帰ってくるのは一ヵ月半後ぉ……」
すると、突然インターホンが鳴った。それに跳び起きた彼は、二日、否三日四日酔いの頭を押さえながら玄関へ向かい、扉を開けた。目の前には背広を着た男女が計六人ほど立っていた。「国税局の者です。大森玄の脱税容疑の為、この家は全て我々が接収します」と、中にズカズカと入ってくる。
「え?ちょっと待て!え?何?意味分かんないし?」と、頭痛に苦しみながらも今起きている事がどうなっているのかを頭の中で整理する。しかし、何一つ思いつかなかった。
「ホラ出た出た!この家は国のモンだよ!」と、彼の友人たちは無理やり起こされ、外に出された。
「何よ!あんたら、横暴!」仲間の一人が不満の声を上げる。
「お前らに話す事は何もない!即刻立ち去れ!」と、黒服の女性が声を上げる。豪邸の中にいた彼に仲間一六人は外へ摘み出され、ドアを閉め切られた。
「……政府に家を盗られた……俺のせいじゃないよな?」
「違うでしょ?あんたの親分が脱税をやったからでしょ?」
「じゃあ俺は悪くない!飲みに行くぞ!」半分酔っぱらっている彼は、事の重大さがわかっていなかった。今頃は彼の事務所の大森ブラザーズも大変な事になっていた。
その頃、豪邸の中では「ねぇ、これ私たちが掃除するの?」床に散らばった残飯や嘔吐物を見ながら女が顔を青くする。
「これも立派な仕事だ……ゴム手袋持って来て。あと、トイレットペーパー」
沖縄県 謎の島 二十日目
本日は初の小林と奥平の会話のシーンの読み合わせだった。『お前まだ人を殺した事ないのかぁ?それでよくスパイになれたもんだな!』奥平が台本をなるべく見ないようにしてセリフを言う。
『人を殺さなくてもスパイは勤まるだろう?』小林は台本を手に持たずに手振りを付けて演技をした。
「『馬鹿言え……なら俺は……』俺は……あの監督!」奥平が手を上げる。
「なんだ!演技を中断するな!」大塚はメガホン片手に彼らの演技をじっと見ていた。
「このセリフのあとに『アドリブ。好きに書きこんでください』ってあるんですが?」
「読んだ時に書きこまなかったのか?おい?」椅子から立ち上がり、奥平にジリジリと近づく。そして目の前に立ち、彼を見下ろす。
奥平は監督の目から内海よりもはるかに強い殺気を感じた。このお方に逆らったら、迎えるのは確実な死、彼の直感はそう伝えた。「か、書きこみましたけど!これでいいのか監督にお許しを頂けたらと!」即興の嘘をつき、台本を閉じる。
「よぉし、言ってみろ」ウケなきゃ殺される。そんな考えで奥平の頭は一杯になった。
「馬鹿言え!俺なら数人は殺して度胸をつけてからスパイになるね!じゃないと実戦でチビることになる!お前はおむつを用意したか!えぇ?」殆ど自分に向かってのセリフだった。大塚監督の眼差しが怖くて二滴ほどチビった。
しばらく間をおいた後に鼻で溜息を吐く。「……チョイ巻きで頼むぞ。よし、今の所からもう一度!」と、自分の席に戻る。
「でも、なんで俺のセリフはアドリブが多いんですか?」
「そりゃあアレだろ?お前は期待の新星芸人だろう?そんなお前にアドリブを飛ばしてもらいたいんだ。田中みたいな堅物のギャグよりも、お前みたいな才能豊かな奴の笑いの方が客はウケるはずだ。自由にやれ!」意外と物腰柔らかな声だった。
そんなセリフに奥平は少々悩んだ。うれしくもあったが、自分を役者ではなく芸人として捉えているという屈辱感もあり、複雑な思いだった。
「はい、スタート!」
沖縄県 謎の島 謎の施設 二十二日目
『ボス!早く東京にアレを打ち込め!政府の奴らはあたし達の事を完全に舐め切ってる!』意外にもキャラにすんなりなりきった真里が唾を飛ばしながら叫ぶ。
『黙れキリヤマ、撃つかどうかは俺が決める!口出しをするな!』昔の自分を出しながらもキャラクターになりきる大森。彼らは腐ってもプロの俳優だった。そんな彼らを田中は満足そうに眺めていた。
「いいですか柳谷さん?あなたのアクションで必要なのはキレとしなやかさです。はい、やってみて」と、千葉が独房越しに殺陣の手ほどきをする。
「はい!」と、拳を振り、蹴りを放つ。彼はダンス経験が長く、普段から運動もしていたので小林ほどではないが、殺陣はうまくできている方だった。
「いいですよ!では五分間連続のバトルシーンを一人でやって見てください。合図は私が出します。リズムを付ければ簡単でしょうか?」と、いう。「ワンツースリーフォーワンツー……」独房からは空を切り裂く音が鳴った。
「いい調子ですね……」すると、田中の腰の無線機から大塚監督の声が響いた。「はい?どうしました?こっちはいい調子ですよ」
しばらくの沈黙の後「きた!」と、焦ったような怒鳴り声が響く。
「はい?」
「あいつが!プロデューサーが来た!」今迄にないくらい大塚は興奮していた。しかもその声から伝わってくるのは恐怖や不安などの負の要素ばかりだった。
「落ち着いてください。いまどこの辺りですか?どうぞ」
「浜辺から約十キロ地点だ!やばい!どうしよう!」
「いいですか監督?落ち着いてください!どうぞ!」
「お前も出てきて出迎えろ!あの女は出資者代表で製作総指揮で俺達のプロデューサだぞ!鬼だ!悪魔だ!魔王だ!」大塚は完全に怯えきっていた。
「落ち着けぇ監督ぅ!」そんな監督を支えるのは助監督の使命だった。無線機越しに怒鳴り、監督を一括する。「いますぐそっちへ向かいます!あなたは今の内にいつもの薬を飲んで深呼吸をしてください!オーバー」と、無線機を切る。
「どうしたんですか?」柳谷が鉄格子越しに顔を覗かせる。
「あなた方はリハーサルを続けてください。私は少し席を外します」と、椅子にかかった上着を手に取り、急いで施設の外へと駆けていった。
「……来るんだ……あの人が来るんだぁ……」千葉も顔を青くし、冷や汗を流し始める。
沖縄県 謎の島 砂浜
「おい、監督の様子がおかしいな?」奥平が小林の耳の近くで小声を出す。小林は首を傾げながらも自分の言うセリフを口にしていた。
「あんな監督見た事ないな……まるで凶暴なドーベルマンを前にしたチワワの赤ちゃんみたい」夏美はかわいい物でも見るかの様に大塚を見ていた。
その時、内海は双眼鏡で遥か彼方のクルーザーを見ていた。船首の先ではスーツを着た女が腕を組んで仁王立ちをしていた。「間違いない、あの女だ」
「玲子ちゃんが来るのか?意外と早いなぁ」神谷は監督の表情とは真逆の顔をしていた。まるでガールフレンドとでも再開する、そんな顔だった。
「高野さんも一緒なんですよね?会うのが楽しみだ」加藤は相変わらず不敵に笑っていた。
「あの女は苦手だ」と、内海が双眼鏡を監督に渡し、機材のある小屋へ入る。
そんな内海を横目に「逃げるなよ、内海」と、神谷が言う。
「……」戸谷は彼方のクルーザーが近づいてくる風景を望遠レンズ付きカメラに収め、ハンディカメラをまわした。
遠くからドタドタと駆けてくる音が響き、奥平が振り返る。「あ!えぇっと田中さんだ!久しぶりだなぁ……」
「監督!」息を整え、大塚の隣に立つ。「来ましたね。予定よりも三日早い」
「……くそぉ……」と、懐から錠剤の入った小瓶を取り出し、口の中にザラザラと流し込む。ボリボリかみ砕きながら「どうする……?」と不安に満ちた小声を出す。
「とにかく、あの人次第です。それにここは日本の領海内です。あの時の様な事は出来ないはず……」
「やめろ!思い出したくもない!」と、プラスチック製の小瓶に亀裂が走る。
夏美はそんなやり取りを眺めながら「……プロデューサーってどんな人だろう?あたしはオファーがマネージャー越しにあっただけだから分からないけど?」と、言った。
「僕は会いましたよ。確かその時……」よく思い出してみる。その時、さりげなく小林は死刑宣告を受けていた。「死ぬっていわれたなぁ……」
「言葉のアヤか冗談でしょ?物騒な事を言うプロデューサーも少なくないからな」奥平は腕を組んで頷いた。
そんなこんなでクルーザーが段々と迫ってくる。数分も立つと島の目と鼻の先にまで近づいてきた。
いきなり玲子は船首から腕を組んだまま飛んだ。「わぁ!」役者一同声を上げる。スタッフ達は毎度この光景を見ているのか、驚きもしなかった。
玲子は膝を曲げ、態勢を崩さず腕を組んだまま着地する。そして立ち上がり、正面に立っているスタッフ達、砂浜に座っている役者達を睨んだ。「あれ……ガンマンライダーZのカタパルトジャンプだ……」と、小林が小声で漏らす。
「諸君、こんにちは!」プロデューサーが口を開いた。「私がこの映画のプロデューサーであり、製作総指揮の増山玲子です!どうぞよろしく」と、腕を組んだまま深くお辞儀をした。ハイヒールを履いたまま砂浜に一歩踏み込む。砂浜の上をヒールで歩き慣れているのか、まったく態勢を崩さなかった。そして監督の目の前に立つ。
「ど、どうも……」大塚は完全に怯んでいた。予想はしたが、玲子が自分の前に立つという絶望的状況が実現したのだ。
「……状況報告」玲子は大塚よりも背は低かったが、回りの者からは玲子の方が頭二つほど大きく見えた。
「役作りを終え、たった今リハーサルの真っ最中です」
「何週目の何ページまで?」懐に仕舞った台本を取り出し、開く。
「三週目の八十九ページまでです」
「遅い!」と、台本で大塚の頬を殴った。台本を仕舞い、今度は平手で叩く。「あなた、時間を何だと思っているの!えぇ?金よりも貴重な時間を何だと思っているか言ってみろぉ!」数秒間で二ダース程の往復ビンタを終え、膝立ちになった大塚の胸ぐらを掴む。「私が何を嫌うか知ってるわよね?それは『遅刻』よ。私は約束した時間は必ず、いいえむしろその前から着いているのが当たり前だと思っているの。いい?何事も早すぎるという言葉はない!いつでも物事は遅すぎるのよ!それなのに貴方は遅刻した!この意味がわかるか?」と、大塚の頭を拳で軽く叩く。「金は返せるけど時間は返せない!この意味がわかるか!お前は分かっているのか!」
「増山さん!しかし!」と、田中が割って入ろうとするが、それと同時に玲子の放った裏拳が頬にめり込む。地面に砂埃を立てて倒れる。
「黙れ!今こいつに話している!」大塚から目を離さずに怒鳴った。「いいか?今から私はお前の腐った心臓をこの手で掴んでおく。で、今度スケジュールを遅らせたり私を失望させる様なマネをしたら手の中の心臓を握りつぶして捨ててやるからな!いいな!」
「……はい……わかりました」両頬を真っ赤に腫らした監督が力なく答えた。
「ち、私の細腕では身に染みないらしいな!内海ぃ!」と、内海のいる方角へ頭を向け、大声を上げる。その声は内海の耳の中へ衝撃波となって襲いかかった。
身震いした内海は「は、はい!」と、返事をした。
「この時間泥棒の腹と頬を殴れ!おもっくそ強く!手加減を感じたらあんたはクビ、ここから泳いで帰ってもらうわ!」と、指を立てる。
内海は弱ったような顔をしたかったが、玲子の前ではそれすら許されなかった。駆け足で大塚の前に立ち、拳を振りかぶった。「すみません、監督」
「いいから早くやれ……」と、大塚は奥歯を食いしばった。
一発目を腹にめり込ませ、前のめりになった所を頬に一発入れた。これが大塚へのトドメの一撃になった。彼は気絶し、ピクリとも動かなくなった。
「よし、それでいい。加藤ぉ!こいつと田中の傷の手当てをしてやれ。大塚は奥歯の欠損と右耳鼓膜の破損に、おそらく肋骨にヒビだ。田中はたぶん頬骨にヒビが入っているだろう。一時間で応急処置してこい」と、懐から例の小瓶を取り出して錠剤を口に含む。
加藤は足早に二人に歩み寄り、両肩に二人を担いだ。「相変わらずそれを飲んでるんですか?飲みすぎは体に毒ですよ?」
「あなたが処方した毒でしょう?これは」
「まぁそうですね」と、苦笑しながら二人をスタッフ用の小屋へ連れて行こうと駆けだす。すると、玲子の背後から元気の良い声が響いた。
「加藤さん!そっちよりもクルーザー内の医務室の方が手っ取り早いですよ!」美和子だった。
「あぁ高野さん。久しぶりですね。ではお言葉に甘えてそちらに行きましょうか」
「甘えるというか、そうしないと増山さんがまた怒りますよぉ?」
「一言多いよ、高野……」
「はいはぁい!」と、加藤に歩み寄り、大塚を肩に担ぐ。
「よ、玲子ちゃん。久しぶり!」と、神谷が先程のやり取りを終始見たにも拘らず、ひょうきんな態度で玲子に近づいた。
「……涼一……一年と六カ月、一六日……一八時間二四分ぶりね……」
「そんなに経ってた?でも、相変わらず美しいねぇ!昔の借りを返してもらいたいなぁ!その魅惑のボディでさ!」と、腕を肩に回し、尻を撫でようと手を動かす。
「それもいいけど、それはこの仕事が終わった後でたっぷりね……」と、尻に触っていた手を掴み、大切そうに握る。
突然、神谷がいつもとは違う落ち着いた表情になった。「わかってる……けど、終わったらすぐに俺の前から消えるんだろう?」すると、玲子が神谷の頬を叩いた。先程の大塚監督への殺意の連撃とは違う、感情の籠った一発だった。
「姿を消すのは、あなたの方じゃない!バカ!」これまた先程とは違う、しおらしい女性の様な口調だった。神谷はそれに対して苦笑で返した。
奥平はそっと内海の近くへ歩み寄り、小声よりも小さな声で尋ねた。「あの二人、どういう関係?」
「……常人では理解できない絆で結ばれているとか……詳しくは俺も知らん」玲子を前にした内海はいつもの鬼軍曹ではなく、ただの大男でしかなかった。
小林と夏美は目の前でハイレベルの即興劇でも見たかのような心境に陥っていた。「何なのこの世界?この人たち本当に日本人?」夏美が怯えた様な声を出す。
「……分かる事は一つ、この人たちは半端な気持ちで映画を作る気ではない……そして俺は、必ずあの人に殺される……死んじゃうよ俺……」小林は夏美以上に怯えていた。
すると、玲子が小林に目を向けた。小林はまるで蛇に睨まれた蛙のようにピタリと止まり、呼吸まで止めた。「……あなた、役作りは順調かしら?」と、歩み寄り中腰になる。
「はい!順調であります!」と、立ち上がり敬礼する。
「ふふ、軍隊じゃないんだから敬礼しなくてもいいのよ」と、目だけ微笑む。そして夏美に首を向け、歩み寄る。夏美もまた、カッチカチに固まった。「あなたはどう?順調かしら?」
「ははははは、はい!順調そのものです!」と、すぐに立ち上がる。
「うん、よろしい。あなたは後でクルーザー内の医務室に来てちょうだい」
「はい!……医務室ぅ?」と、小首を傾げながら顔を触る。すると、忘れていた重大な事を今さらになって思い出した。咄嗟に表情が出ないだけせめてもの救いだったが、口の中が塩辛く潤う。
「で、あなた……そう、あなたよ」と、奥平に近づく。内海は『わしゃしらん』という顔で奥平から遠ざかった。奥平はキョトンとその場で立ち尽くしていた。戦車を目の前にした歩兵の様な気分だった。「あなたのキレのいいアドリブ、期待しているわよ!」と、肩をやさしく叩いた。その時、奥平の胃の中で胃酸が溢れ出し、食道を焼いた。喉の近くまでこみ上げた胃酸を、表情を変えずに何とか飲み込んだ。後で海に向かって吐き散らそう、奥平はそう思った。
沖縄県 謎の島 大型クルーザー内の医務室
「増山さんの言ったとおりですね……監督!大丈夫ですか!」加藤が監督の右耳に向かって声を出す。
「まだキーンとなってる……鼓膜を破ったのは初めてだが、嫌なモンだな、これ」顔が包帯で包まれ、目だけ出した監督が苦しそうに笑う。「巻き添え、すまなかった」隣で椅子に座る田中に声を掛ける。彼は左頬に湿布を貼るだけで済んでいた。
「いいえ、彼女の性格を忘れていた私の落ち度ですよ」と、頬を摩る。
「触っちゃダメ!明日にはこぶとり爺さんみたいになるぞ?」美和子が顔をしかめる。
加藤は監督の服を脱がし、ヒビの入った肋骨を探り当て、そこに薬を塗り包帯を巻いた。「美和子さん、元気にしてましたか?」
「えぇ元気そのもの!増山さんの背中を守るべく、日夜努力と精進の日々ですよ!」
「……彼女、また薬の量が増えましたね」
「えぇ、今は私が薬の処方をしてるんですよ。加藤さんに教えられた通りに……最近になってまた薬をガバ飲みするようになったから薬の調合を変えました……そうしたら案の定、飲む量が増えてしまい……」
「そうですか……監督、あなたはまだ軽傷みたいですね」と、大塚のポケットに入った小瓶を取り出す。
「うるせぇよ」と、顔を背ける。
沖縄県 謎の島 謎の施設
「こんにちは!私はこの映画のプロデューサーで製作総指揮の増山玲子です。よろしく!」と、独房の前までやってくる。そこにいた役者三人はポカンと玲子を見ていた。千葉は体を震わせ、直立していた。
「あ、あので、でんせつの……」千葉は震えた声を出した。
「伝説なんかじゃないわ。ただ仕事をこなしただけよ」と、静かに鼻で笑った。まず大森に歩み寄る。「久しぶりですわね、大森玄さん」と、微笑む。
「は?はぁ……」と、頭の中で思い出を巡らせる。過去にこんな美人のプロデューサーと仕事をしたか?はたまた何処かのパーティーであいさつでもしたか?いくら考えても増山玲子という名前は聞いたことがなかった。「すまんが、覚えていないんだ」
「そうでしょうねぇ……初めて会った時、私がまだ六歳の時ですから」
「な、そんな前に?はて……」と、考える。おそらく二十年以上も前だろう。そんな前の事など覚えていなかった。
「よろしくお願いします」と、腰深くお辞儀をする。そして次に真里の目の前に立つ。おもむろに真里の顔を両手で掴み、目の色や肌の色、口臭などを確認する。
「ちょっと!なんなの!」真里は逃げるように後退した。
「……映画を撮る分では問題ないわね」と、真里の目を見て微笑む。彼女の全てを見透かしたような目だった。「で?あなたが柳谷修斗君ね」と、独房に手を掛ける。「あら?開かないわね」
「かれこれ二十日以上も閉じ込められているんですよ……僕はもう構いませんけど」
「そうはいかないわ。これじゃあ貴方、独房のシーンしか撮れないじゃない。高野!」と、自分の背後にいる万能人間に指示する。「これを開けて」
「無理ですよ、電子ロックされていてカギは専用のがないと……」と、言っている間に高野は自分専用の小型軽量ノートパソコンを鞄から取り出し、それに付属する無印のカードを取り出した。しばらくキーボードを叩き、カードを通す。すると、今まで赤かった部分が緑色にひかり『カチン、ピー』という音を立てて扉が開く。
「……開いた」柳谷はボウっとした表情でドアの外を見た。
「その人は?」大森が美和子を見る。
「はぁいどうも!あたしは皆さんの衣装やメイク、さらには特殊メイクなどその他、諸々を担当する高野美和子と申します!よろしくぅ!」と、ピースサインを出す。
「この人、見た事ある」真里が美和子の顔を見る。
「僕も……」
「俺もだ……どこでだったかな?」因みに外の新人役者三人も美和子の顔には見覚えがあった。
「へへ……地味に有名人なんだよね、あたし」
「おだまり」
「はい」
沖縄県 謎の島 砂浜
砂浜には久しぶりに全員揃っていた。キチンと整列され、その正面に玲子、そして痛々しい傷を負った大塚が立った。彼らの背後は夕日で真っ赤になっていた。
「いいかしら?あと七日と六時間三十八分後に撮影を開始する!それまでにリハを終わらせ、撮影の段取りなどを体に叩き込んでおくように!以上!」と、大塚よりも大きく、力強い声で支持した。それに対してスタッフ達は揃って大声で返し、役者達はまばらに声を上げた。
「あ!松山さん、クルーザーの医務室に来てください。あ!それと役者の皆さんは今日からクルーザーの中にある宿泊用ルームで寝泊まりできますから、そういう事で!……さ、来て」と、手を出す。夏美は玲子に誘われるがまま手を取り、クルーザーへと足を運んだ。
「なぁ小林、気にならないか?」と、奥平が肘で小突く。
「なにが?」
「あの胸だけ女が医務室に呼ばれたんだぜ?こりゃあなんか怪しいな」と、顎に手を置く。
「彼女をそんな名で呼ぶなよ!」
「おや?あの子に気があるのか?」と、覗きこむ。「ま、久々にまともな部屋で寝たいからな、俺……クルーザーに乗らせてもらうぜ」
「……わかった、行くよ」と、小林も後を追った。
そんな後ろ姿を眺めながら真里は「私も船で寝よ。柳谷君は?」
「……僕は施設で寝ます。なんだかあそこ、落ち着くんですよね」相変わらず勢いの無い声を出した。もう以前の彼の面影が無かった。
「じゃあ大森さんは?」
「俺もあの施設でいい。役作りをもう少し……な」と、苦笑しながら施設の方へ向かった。
「みんな真面目ねぇ」と、真里はクルーザーの方へ向かった。
沖縄県 謎の島 クルーザー内 医務室
「さて、松山夏美さん」と、玲子が夏美の正面に立つ。
夏美は手術台に腰掛け、怯えていた。自分が改造人間だと、この女にばれている。「あの……あの……」と、泣きそうな顔になりながら口や鼻から涙を垂らす。
実は、夏美の顔や体は二カ月おきの調整が必要だった。もし二ヶ月を過ぎてしまうと彼女の体型や顔は形を少しずつ崩し、やがて世間にすら見せる事の出来ない美術絵画のできそこないの様になってしまうのだった。そして、そのタイムリミットが二日後に迫っていると、先程思い出したのだ。
「わかっているわ……あなたの顔は、せいけ」
「言わないで!うん、卑怯よね!でも、あたしにはこれしかないの!この手を使わないと、夢を掴むことはできないのよ!あなたに何が分かるの?」
「あのね夏美さん、わかるわよ」と、夏美の頬を掌で包み込む。「実は私も整形しているの」と、悪戯っぽい表情を見せる。
「え?」
「あなたとは理由は違うけど、今の私は別人なの。声も顔も変えて……殆どあなたと一緒よ。そうね……美しさとか可愛らしさとか……誰でも確かに欲しいわ。それを手にしたいが為に整形するのは頷ける。そんな道を選んだ不甲斐なさも頷ける。でも、自分で選んだ道でしょう?なら、正体がバレたくらいでいじけたり自暴自棄になっちゃダメよ。いいわね?」と、やさしい顔になる。
夏美は顔をクシャクシャにして泣き声を上げた。口や鼻から止めどなく涙を流す。玲子はハンカチを取り出し、夏美の顔をやさしく丁寧に拭いた。「今からあなたの顔の調整を高野がやるからね?いい?」
「でも!この顔の調整はパパしかできない!」
「心配しないでください!」と、美和子が白衣を着て現れる。頭にはヘッドホンをしていた。「松山先生!指示をヨロシクお願いしまぁす!」と、口元のマイクに向かって話す。
「え?パパ?」と、辺りを見回す。医務室の手術台に小型カメラが四台ほど設置され、その映像が東京の夏美の両親のパソコンに写っていた。
「そういう事よ。大丈夫、高野はアメリカの整形外科の権威、ジョーンズ医師の教えを受けた事があるからね」と、夏美を寝かせる。全身麻酔用のボンベを取り出し、オペの準備に取り掛かる。
「嘘でしょう?」ジョーンズ医師とは、夏美の両親の師匠のそのまた師匠だった。
そんなやり取りを小林と奥平は陰で盗み聞きしていた。「やっぱり整形か……」
「……松山さん」と、小林が俯く。
「ショックだよなぁ……あんなかわいい子が整形なんてなぁ」
「改造人間だったんだぁ……松山さんって」と、輝く目をする。
「お前、幸せで能天気な馬鹿だなぁ……」と、奥平は呆れた様な声を出した。
すると突然、背後にいる誰かが二人の肩をムンズと掴んだ。「あらお二人さん、こんな所で乙女同士の秘密の会話を……立ち聞き?」嫌にやさしい透き通った声、増山玲子の声だった。
「あ!あぁぁぁぁ!ここはどこだぁ!」奥平が必死になって弁解の口実を考えた。
「すみません……立ち聞きしようなんてそんな……」小林は素直に謝った。そんな彼を見て奥平は『あぁ俺達殺されるわ』と、観念した。
「いい?私が整形だって言う事はみんなに言わないでよ?ついでに夏美ちゃんの顔の事も!いいわね?」と、笑う。しかし、その瞳には『みぃたぁなぁ?』という念が籠っていた。
「はい!もちろんです!」と、小林が敬礼する。
「口が裂けて、歯が抜け落ちて、舌が溶けても言いません!」奥平もつられて敬礼する。
「よろしい!では、歯ぁくいしばれ!いくぞ!」と、二人に熱いビンタを放った。




