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第二章 役作り

東京都 羽田空港


「あ、小林広だな?」空港のロビーで目付きの悪い口髭の男が小林に近づく。小林は空港に来るのは学生時代の修学旅行以来で、久々の空港の匂いを楽しんでいる所だった。

「はい、あの映画関係者の方で?」

「あぁそうだ。はやくこっちに来い!」と、腕を掴む。乱暴に引っ張るので小林は少々訝しげな表情になった。なんだこいつは?そう思いながらも男の言うとおりに足を動かす。

空港の奥へと引っ張られ、しばらくすると外に出た。そこにはジャンボジェットや白く輝く旅客機などがゆっくりと走りまわっていた。「うわ!なんだ!」

「こっちだ。お前が最後だ」と、近くの回りよりも少し小さめの旅客機に乗せられる。

旅客機の内部は割と狭く、エコノミーの様な作りになっていた。そこに映画関係者と思しき人たちが各々不機嫌そうな顔をして乗っていた。「あ!あぁ!あー!」小林が声を上げる。無理もない。その寿司詰め状態の客席の中にはアイドルの松山夏美、お笑い芸人ガチャポンズの奥平誠、大御所俳優の大森玄、女優の岡谷真里、タレントの柳谷修斗が顔を揃えて乗っていたのだ。各々の隣にはマネージャーが付き、落ち着かない様子で座っていた。特に大森の隣の付き人は彼の顔色を覗いながら強張った表情をしていた。

そこから一列後ろの席には屈強な体付きをした男が五人ほど肩を揃えて座っていた。ある者は本を読み、またある者は握力を鍛える器具を握りしめ、またある者はカメラのレンズを磨いていた。

「諸君!おはよう!俺は監督の大塚堅一郎だ!よろしく」小林を連れてきた口髭の男が正面に立つ。小林は肩を震わせ、急いで自分の席を探す。一列目は埋まっていたので二列目に座った。隣には身の軽そうな小男が座っていた。

「あの、はじめまして。お名前は?」

「あ、千葉と申します」男は豊かな表情で返事をした。

「え……と、役者さんですか?」

「いえ、スタントマンです」この小男がスタントマン!小林は目を見開きながら静かに驚いた。

「じゃあこの列はスタントマンさんの席ですか?」

「いえ、これでスタッフ全員です」と、小声を出す。

「はぁ……ん?」映画のスタッフ全員?この列が?……たった五人?と、疑問を覚える。

「今日からこのメンバーで楽しく映画を撮ろうと思う!質問!」正面の大塚が大声を出す。

「台本はどうした?」大森がいまにも怒鳴り散らしそうな声を上げる。隣の付き人が肩を震わす。

「現地に着いてからだ。そこで役作りをしてもらう」腰に手を当てながら威厳たっぷりに言う。

「お前、随分態度がでかいな?」大森が喧嘩越しの眼差しで睨む。

その正面に監督が立ち「お前こそでけぇじゃねぇかよ、あぁ?」と、見下ろす。

大森の付き人が顔を歪め、立ち上がろうとするが、大森がこれを止めた。「骨のありそうな監督だな。気に入った」と、言う。だが、目は先程と同じ殺気に満ちた目をしていた。

「あの、現地まで何時間ですか?」夏美が手を上げる。

「知るかぁ!俺はパーサーじゃねぇ!」と、一括する。夏美はすくみ上がり、首を窄めた。

「機内のドリンクサービスはまだぁ?」真里がうだるような声を上げる。

「んなもんねぇ!」

「降りる!あたし降りる!」真里が席を立とうと騒ぐが、マネージャーが押さえる。

 「よし、離陸しろ!」と、機長席に向かって怒鳴る。すると機内が揺れ、シートベルトのサインが出る。

 「俺、飛行機苦手なんだよなぁ……」柳谷がボヤく。

 「その時は裸足になってつま先を丸めるんだ」と、奥平が声を掛ける。

 「へぇ……」と、夏美が裸足になろうとするが、マネージャーが止める。

 

 沖縄県 那覇空港


 「ついたぁ!おぉ!いいねこの気候!」柳谷が旅客機から出て調子のいい声を出す。先程までエチケット袋を片手に青ざめていた。

 その後ろから役者たちが続々と降りる。そして最後に小林が降りる。「あぁ……初めてだなぁ沖縄。できれば両親を連れてきたかった」いつかは自費で家族と来たいなぁ。彼はいつも親孝行に何ができるかを考えるタイプの男だった。

 スタッフ達五人と機長だったはずの男が機体の後部へと向かい、映画に使う機材と思しき木の箱を次々に下ろしていく。「手伝いますか?」小林が歩み寄る。

 「これは我々の仕事です。どうか、あなたはあちらで待っていてください」田中が役者たちの方へ掌を向ける。

 「は、はぁ……でもこんなにたくさん、六人じゃあたいへん……」すると、誰かが大きな掌で小林の頭を掴んだ。

 「いいか?お前は役者!俺達は大道具!俺達の仕事を奪うんじゃない!」短髪を刈り込んだ大男だった。目はギラギラと光り、まるで過去に人を殺して食ったんじゃないかと思わせる野生ようなの迫力を漂わせていた。体はスタッフの中で一番大きく、筋肉隆々だった。

 そこで隣の男が口を挟む。「まぁまぁ待ってくれ。彼は親切心で俺達に手を……」風貌の軽い中肉中背の男だった。

 「無用だ!」短髪の男は眉間に皺を寄せながら木箱を地面に下ろした。

 「悪いな、あの男はああいう熱い男なんだ」小林の後ろから誰かが声を掛ける。長髪を後ろで束ね、メガネをかけた気品ある男だった。「私は加藤と言います。で、あの大男は内海。で隣のは神谷です。そして……あの木箱を大事に抱えているのがカメラマンの戸谷です」と、指をさす。そこには木箱をまるで愛犬の頭でも撫でるように大切に扱う、少々妙な男がいた。白髪で真っ白な口髭を生やしていた。機内で唯一、一言も話さなかった妙な男だった。

 「で、あそこで跳ねまわっているのが千葉です。彼はスタントマンで、」

 「えぇ知ってます。動きに切れがありますね!」と、千葉の動きを目で負う。あの人にガンマンライダーをやらせたら、また面白い舞台ができそうだと想像を膨らます。

 「えぇ、ここにいる者は皆、その道のプロですから」加藤がにこりと笑い、作業を続ける。

 「おい小林!そこで何をしている!」監督の大塚が大声で呼ぶ。

 「すいません。じゃあ後で」とスタッフ達に手を振る。

 「いい青年ですね」加藤が大きな木箱を持ちながらも、落ち着いた静かな声を出す。

 「性格だけでは役者は勤まらん!監督に絞られるザマが目に浮かぶわぁ!」内海が肩に木箱を担ぎ、近くのトラックまで運んでいく。

 「それにしても今回の撮影、場所は例の島だろ?あいつら連れて行って大丈夫かな?」神谷が木箱に肘をつき、遠目で役者たちを見る。「死人が出たら、即中止だぜ?」

 「そこを!俺達がフォローするんでしょうが!」千葉が飛んできて高い声を出す。

 「フン!言われるまでもない!」内海が木箱をトラックに乗せ、肩をいからせる。

 その頃、戸谷は一人黙り、トラックの荷台に積まれた撮影用カメラを摩りながら目を光らせていた。


 沖縄県 那覇市 バス内

 

 「今から台本を配布します。みなさん現地に着くまで、適当に目を通して置いてください」田中が役者に台本を配りながら声を上げる。その台本には題名がなく、ただ『脚本、田中』とだけ書かれていた。

 「俺は何役……え!主役じゃねぇの!」柳谷が落胆の声を上げる。彼の役は『主人公の先輩のスパイ。後半で二重スパイと判明し、終盤、主人公と死闘を繰り広げる。名前、マツオカ』と、書かれていた。

 「私はぁ……女殺し屋ぁ?やっぱり帰る!」真里が目を吊り上げる。彼女の役は『人体実験により強化された凄腕の殺し屋。名前、キリヤマ』と、書かれていた。真里は不満たっぷりに喚き散らし、マネージャーの頭を叩いた。

 「……悪の組織のボス……俺にぴったりだ」と、さっそく脚本に入りこむ大森。設定は『過去に主人公の組織に在籍していた重役クラスの男。アクションは無し。名前、ボス』名前が無いのには落胆していたが、台本の内容には満足した様子だった。

 「オペレーターか……最初の仕事ではまずまずだな」奥平が台本を大事そうに持つ。彼にとっては初めての俳優経験だったので何もかもが貴重に思えた。役柄は『主人公を陰からサポートするオペレーター。たまに場を和ませるムードメーカー。名前、ササキ』

 「ヒロイン!いいのあたしで!」夏美が無表情で驚きの声を上げる。彼女にとっても初めての映画撮影だった。そんな素人のあたしでいいのかと、不安になった。このヒロインは『主人公の組織の敵対組織に所属するスパイ。共闘していく内に恋が芽生える。名前、熊蜂コードネーム』夏美の表情が強張ってゆく。こんな時にどんな表情をすればいいのか、まだ練習不足だった。

 「……嘘だぁ……絶対ドッキリだろ?」小林の役はプロデューサーの言った通り主人公だった。まだ経験不足の青二才になにができる?彼の頭はそんな言葉でいっぱいだった。役柄は『駆け出しのスパイ。初任務で経験を積んでいき、ラストで一人前になる。名前、サクラダ』ある意味、彼にはぴったりだった。

 「よぉし!もうすぐ目的地だ!忘れ物が無いようにチェックしろよ!」と、大塚が手を叩く。監督と言うより遠足の時の学校の先生の様なセリフだった。

 バスが到着する。そこは港だった。船が何隻も泊まっている。潮風が風と共に流れ、日の光が輝く海に照らされる。東京湾とはえらい違いだった。

 「きれーい」夏美が軽く微笑む。

 後ろから遅れてトラックが到着する。運転席から田中が降りる。荷台からスタッフが続々と降り、荷物を船に積み始める。その船は少々小ぶりの漁船だった。

 「これに乗るの?」真里が顔を歪める。今にも臭ってきそうな臭気を帯びたその船を嫌悪の眼差しで見る。外観は明らかに密入国船だった。

 「違う、お前らが乗るのはアレだ!」と監督が指さす。その先にも同じような形をした船が停泊していた。

 「なんだよぉ……ったく」柳谷がため息をつき、タバコに火を点ける。すると、大きな手がタバコを奪い取った。内海だった。

 「ここで吸うな!機材が痛む!」と、ほりの深い顔が柳谷を見下ろす。

 「なんだよ!スタッフが偉そうに!」と、負けじと睨み返す。しかし、内海の行動が彼の目をそむけさせた。内海はタバコを盛り上がった自分の上腕に押し付けたのだった。「な、なんだよ……お前」

 「あの男には何を言っても無駄だぜ?」背後から神谷が声をかけ、通り過ぎて行く。

 「あの男なんなんだよ!」柳谷は未だに指を刺しながら喚いていた。

 しばらくして機材を積み終わり、出航の時間になる。役者が順にしぶしぶとボロ船に乗って行く。そしてマネージャー達も乗ろうとしたが、田中がそれを遮った。「すいませんが、あなた方は別の便に搭乗して貰います」

 「え?どういうことですか?これは役者専用の船って事ですか?」

 「はい。あなたがたは、あちらの船に……」と、指を差す。そこには密入国船ではなく、ドッシリとした大型フェリーが停泊していた。

 「え?アレに?」と、言っている間に船が出る。田中が急いで船に飛び乗る。

 「では二ヶ月後に」と、一礼して操縦席のある小部屋に入る。

 「それはどういう意味だ!」夏美のマネージャーが声を上げる。

 「とにかくあのフェリーへ急ごう!」と、一斉に走り始める。だが、しばらくすると全員口をあんぐりと開けてその場に止まった。フェリーの垂れ幕には『石垣島ダイビングツアー』と書かれていた。「え?ロケ地って石垣島?」「とにかく乗ろうか?」

 

 沖縄県 謎の島 桟橋


 日が西へと沈もうとはげしい輝きを増す頃、やっと目的の島にたどり着く。日本から沖縄までの移動時間よりも遅かった。役者達は顔を青くしながらやっとの思いで桟橋に足を付ける。小林と夏美と他のスタッフ達はケロッとした表情で船から降りた。船上で小林は、ずっと沖縄の綺麗な海や泳ぐ魚を見て子供の様にはしゃいでいた。夏美は長時間、船に揺られても船酔いはしなかった。なぜならこれよりも辛い経験を幾度となく体験してきたからだった。こんな物は彼女にとって苦しみの内に入らない。

「よぉし!今日から役作りだ!これから皆、俺の指示に従ってもらう!」元気よく監督が拳を振り上げる。他のスタッフ達は機材を船から下ろしていた。

「ちょっと!ここどこよ!石垣島には見えないんだけど!」真里が大声を出す。「辺り一面砂浜で向こう側は森林で建物はおろか小屋すらないじゃない!」

「え?ほ、本当だ!俺達どこに泊まるの?」柳谷が未だに青い顔をしながらも声を上げる。先程までずっと海に魚の餌を吐いていた。

「どういう事だ?ん?俺の付き人は?」台本片手に大森が辺りを見回す。

そんな中、奥平は海に沈む夕日を見ながらうっとりとしていた。「俺の初仕事……こんな贅沢な場所でいいのかよ……」と、にんまりする。

すると漁船が桟橋を離れ、徐々に沖へと進んでいく。そして船の上のオヤジが「では二ヶ月間、頑張ってください!」と、大声を出した。監督はそれに手を振って答えた。

「え……?今、二ヶ月って?」柳谷が先程よりもさらに青い顔になる。

「帰るぅ!マネージャー!」真里ががなり声を上げる。

「どうしたの?みなさん?」俳優経験の無い三人はキョトンとしていた。なにがそんなに一大事なのかが理解できない様子だった。夏美と奥平は自分のマネージャーがいないのに気付き、小首を傾げた。「あれ?どこいったんだろう?」


沖縄県 石垣島 リゾートホテル


「はい、では明日の朝十時にフロントに集合してくださぁい!ダイビングの道具は現地でお貸ししますから心配しないでくださぁいね!」小麦色に焼けた薄着の女性が声高々に説明する。ダイビングツアーのツアーコンダクターの人だった。

「あのすいません!」夏美のマネージャーが手を上げる。

「はい何でしょう、えぇと芸能人のマネージャー御一行様」

「はい?」

「今日は長い休暇を取って体を癒しに来られたのですねぇ?存分に石垣島の自然、潮風に波の音、沖縄料理を堪能してくださぁい!」と、笑い、踵を返してロビーから姿を消した。

「いま……なんて?」「とにかく、どうする?」「携帯つながんないよ!圏外?」各々独り言を言いながら騒ぐ。するとホテルのボーイが近づいてくる。

「スイートルームに御着替えなどを用意させました。もうすぐお夕食の時間ですので、着替えて右手のレストランにいらしてください!」と、右手を掲げる。

「は……はぁ……」苦い顔で答える。

「……親分、どこいっちまったんだ?」「あぁどうしよう!事務所から大目玉だ!」「あいつ、今どこにいるんだよ!」再び騒ぐ。今のこの状況が飲み込めず、慌てふためいていた。

「……なぁみんな!」しばらくして柳谷のマネージャーが声を上げる。「今更慌ててもしょうがない!こうなったらこの状況を楽しまないか!」なんと、一人を残してこの意見に賛成した。

ただ一人、賛成しなかった大森の付き人がホテルのロビーを跳び出す。「おやぶぅん!」海に向かって虚しく叫ぶ。


沖縄県 謎の島 砂浜


「ふざけるな!お前、こんな撮影があるか!」大森が事態を把握し、監督を怒鳴りつける。それに向かって監督は涼しい顔をしていた。耳をほじり、指先に付いた耳くそを吹き飛ばす。

「そうよ!二ヶ月もここで野宿ぅ?バカでしょあんた!」都会の空気に染まりきっている真里が大声を上げる。野宿なんて彼女の人生で初のことだった。

監督が言うには、一ヶ月間みっちり役作りと体力づくり、台本の読み合わせにリハーサル。そして残りの一ヶ月は全て撮影だという。役者たちにとっては過酷な二ヶ月間だった。

「おい、お前!この責任は取るのか?え!俺達をこんな僻地に連れて来て役作りしろ!だぁ?もう少し頭を使え!」

「何の問題がある?」大塚監督は目をギラギラさせながら言った。「ここはロケ地、無駄なものは無く、集中できる環境だろ?気候もいい。それにどんな文句をつけるんだ?」

「俳優への待遇をどうにかしろと言ってるんだ!まさか泊まる場所が無いとは言わせんぞ!」大森の頭に怒りが心頭していた。一歩間違えれば監督を殴りつける勢いだった。

「まぁ雨風しのげる場所はある。ホテルのスイートとはいわねぇがな」増山プロデューサーの用意したホテルは気に入ったかな?マネージャー諸君と、ほくそ笑む。

「なに?ホテルじゃないのか!」

「ホテルである必要があるのか?ホテルには邪魔なモンがあるだろう?テレビとか、ワンコインで見れるエロビデオとか……」大塚は空を見上げながら言った。

「そういう事を言ってるんじゃない!待遇をなんとかしろ!さもないと訴えるぞ!」

「訴える?どんな権利でだ?」と、顎をしゃくる。

「なに?」

「じゃあお前、その権利とやらを勝ち取った者の名を言ってみろ!え?」

「な……何を言っているんだ?」

「言えないのか?ならその大層な権利を振りかざす前に、仕事をいっちょ前にこなして見せろ!」大森の鼻先まで顔を近づけ、大声で怒鳴る。「グダグダ言ってる暇があったら台本を読んで自分がどんな役になるのかを体や頭に浸透させるんだな!わかったか!大御所俳優様よぉ!」と、踵を返して歩く。

「監督、その権利を勝ち取った人物の名を知っているんですか?」田中が耳元で囁く。

「知るか」大塚が口元を歪ませながら答える。

「なんだ、あの監督の態度は!ったく!」と、厳しい顔で監督の後ろ姿を睨んだ。

田中が役者たちの目の前に立ち、手を叩く。「今からこれからのプランを説明します。まず、俳優経験のあるお三方はこの森にある施設に行ってもらい、そこで一ヶ月間役作りに徹して貰います。で、残りのお三方は監督の指示で動いてください」と、説明する。「まるで拉致されたような心境の人に説明しますが、二ヶ月経てば確実に東京に帰れます。キチンとギャラも入ります。ただし、映画が二ヶ月以内に完成しなければギャラは入りません」

「なんだと!」再び大森が噛みつく。

「契約書に書いてませんでしたか?」と、言う。大森や他の役者は契約書をよく見ずにサインをしていた。小林を除いて。「ただし、無事に撮影を終えればいつものギャラの倍額をお支払いします。これは約束します」

「……わかった。だがな、この撮影が無事に終わるかどうかは約束できんぞ!俺も含めてな!」大森が声を荒げる。「な!皆!」と、振り返る。真面目に大森の後ろにいるのは柳谷だけで、他の者は砂浜をいじったり、波打ち際で遊んでいる者ばかりだった。「おい!」大森は不安を募らせた。本当に二ヶ月間帰れないのだ。自宅で留守番させている味噌っかすの弟子が心配だった。


東京都 葛飾区 大森邸


大森の家はとにかく見た目から内装まで文句の付け所が無いほど豪華だった。まさしく豪邸であり、回りの家がまるであばら家にも見えるほどこの豪邸は豪華だった。家具から何から全てがブランド物の現地直輸入の物ばかりで、本人にも把握できないほどの数の高級品を所持していた。

だが、大森には子は無く、奥さんも海外旅行中で留守をする人間がいなかった。セキュリティ会社と契約して監視カメラや防犯装置をつけていたが、それでも心もとなかったので大森は事務所の後輩を一人、留守番させていた。番組中にボコボコにした歌手候補の男だった。

今その男はキッチンに立って冷蔵庫の中身を物色していた。事務所の先輩からの指示では『何も触るな』と言われていたが、それが逆効果だった。

 冷蔵庫の中にはロクな物がないと分かり閉める。そして食品庫らしき部屋を見つけ、そこを嗅ぎまわる。外国産キャビアの缶詰めを見つけ、顔をほころばす。

 その奥にあるワインセラーに足を踏み入れる。「ったく高級ワインとテーブルワインの違いも分からない癖に……何を気取って」と独り言を呟きながら、羅列するワインの柄をひとつひとつ見ていく。「ドン・ペリニョンにシャトーペトリュス……ん?」と、一本取り出す。「ロマネ・コンティの85年?どれどれ」と、手にしたワインオープナーで躊躇なくコルクを抜き、グビグビとラッパ飲みをする。「うわぁマジうめぇ!……もう一口?いやぁだめっしょ、え?そこまで言うなら……」と、また口を付けて三回以上喉を鳴らす。「うっわ!これマジで高いワインだわ……」と、口を拭う。「親分!ごっそさん!」


 沖縄県 謎の島 施設外部


 日が落ちる頃、助監督兼脚本家の田中に連れられて大森、柳谷、真里は手荷物を持って古ぼけた施設の外まで来ていた。

 その施設の外観は地味な灰色をしていた。全てコンクリートや鉄筋で固められ、無表情な作りをしていた。近くには駐車場らしきスペースがあり、入口付近には警備員が入っていそうなボックスが立てられていた。日が落ちているため、自動的に明かりがつく。その明かりのお陰でまるで収容所の様だった。

 田中が扉付近のインターホンの様な機械の蓋を開け、番号を八ケタほど入力する。すると、錆びついた音と共に金属製の自動ドアが開く。「ここがあなた方の宿泊施設となります」

 「まぁ……ないよりましか」大森がふてくされた声を出す。

 「不気味……帰りたい」真里が情けない声を上げる。

 「カビくせぇ……」柳谷が鼻をつまむ。

 四人が施設に足を踏み入れる。自動ドアが重たくも不気味な音を立てて閉まる。田中が電気を付けると、そこは施設の外側から予測できるような内装になっていた。

 飾り気が無く、あえて言うなら無駄に広い刑務所の窓口のようになっていた。現に窓口が存在し、そこにはアナウンス用のマイクがついていた。不潔な部分は無かったが、それが逆に不気味だった。妙な清潔感が三人の背筋を震わせる。

 「ロケハンをした時に掃除をしたもので……では、部屋に案内します」と、田中がゆっくりと歩き出す。

 「この施設は……いや、その前にこの島は何だ?何島だ?」大森が田中の肩をわしっと掴む。

 「ここは、日本地図には記されていない島です」

 「なにぃ?」

 「え?じゃあ海外なの?ここ?」真里が目を丸くしてキョトンとする。

 「いいえ、日本の領海内ですよ。ここは、アメリカ軍の滞在施設だった場所です」田中はスラスラと答えた。「某軍事関係施設問題の時にアメリカ軍がここを撤去したんです。それ以来、ここは無人島です。電力の供給は、なぜかまだ続いてますがね」

 「な……こんな場所で映画を撮るのか!許可は得たのか!」

 「えぇ……得ましたとも」田中がなにやら企むような笑顔を向ける。そんな笑顔に不気味さを感じたのは大森だけだった。

 

 沖縄県 謎の島 砂浜


 地平線の日はもう少しで落ちかけていた。砂浜では乾いた木が何本も積み重ねられ、大塚はそこで石を擦り合わせていた。

 「ねぇ、あたし達の寝る場所はどこですか?」夏美が監督に質問する。

 「ここだ。心配するな、テントはある」と、親指を神谷に向ける。神谷は木箱を崩して床らしき物をこしらえ、その上に何本も細長い棒を立てていた。

 「夕飯時には立つからねぇ!心配すんなよ、お嬢さん!」神谷が白い歯を見せながらも手を休めず、金槌で釘を打っていた。テントと言うよりも即席の小屋でも立てる勢いだった。その回りでも加藤や内海が同じ作業を黙々と続けていた。

 「夕飯……そうだ!夕ご飯はどうするの!」夏美がお腹を押さえながら聞く。

 「いちいち質問の多い子だなぁ……」大塚が耳をほじくる。「おい内海!日が落ちる前にやっちまえ!」と、合図をする。

 すると内海はテントの作成を中断し、懐から細長い棒を取り出した。監督に近寄り、彼の起こした小さな火にそれを近づける。すると、棒から垂れ下がった紐がバチバチと音を立てる。内海がそれを海に放り込むと、日の光で輝く海から一瞬にして轟音と共に大きな水柱が立った。「玉屋~ってか」神谷が笑う。

 「今の音は何だ!」奥平が海水パンツ姿で走ってくる。先程まで海で泳いでいた。

 「……もう撮影始まったの?」小林が台本から顔を上げる。顔に水しぶきがかかり、目を擦る。

 一部始終を見ていた夏美は目を見開き、口をあんぐりさせながら「沖縄の海に何してんじゃお前!」と、内海に向かって指をさした。

 「許可は取ってる」内海が上着を脱ぎ、網の袋を片手に海へ入って行く。

 「できるだけ多めにな!今日は派手に食うぞ!」大塚が大声を上げる。それと同時にワラに点いていた小さかった火が生木に燃え移り、段々と燃え盛って行く。風が更に火を大きくし、大きな炎にまでなる。神谷がその炎に近づき、タバコに火を点ける。

 「神谷さん、サボらないで下さいよ」加藤が作業を止めずに首だけ向ける。

 「一服くらい、いいだろう?相変わらず真面目だなぁ、加藤さんは」と、満足そうに煙を吐く。「大丈夫、これが終わったらテントもすぐ完成するよ」

 「あ、そういえば千葉さんと戸谷さんが見当たりませんが?」小林が辺りを見回す。

 「あいつらは早速、この島に小型カメラを配置している所だ」大塚が手を叩き、内海がいる辺りの海を遠目で見ていた。

 「はぁ……大変ですね。僕達はなにか手伝わなくてもいいんですか?」

 「役者は台本を読んでろ!この一カ月の仕事はそれだ」

 「はぁ……」と、台本に目を戻す。

 日が完全に沈む頃、内海が海から上がってくる。袋には先程の爆発で犠牲になった魚がたくさん入っていた。その頃には加藤と神谷のテントが張り終わり、張りかけの内海のテントを加藤が張っていた。テントの部分は屋根になり、床や壁は木箱をバラして作ってあり、内部は広々としていた。一つは役者用でもう一つはスタッフ用。加藤がいま取りかかっているのは機材を仕舞うテントであり、女性用つまり夏美の寝床でもあった。機材だらけで狭く感じるだろうが、人一人が寝れるスペースは十分確保してあった。

 「よし!調理は俺に任せておけ!」と、神谷が懐からサバイバルナイフを取り出し、魚をさばいていった。「こっちは刺身で、こっちは焼き魚だ!」

 「この人たち、何者だろう?」そんな光景を見ながら夏美が呟いた。

 「映画のスタッフと言うよりも、サバイバルの達人って感じ」奥平が口にする。

 「わぁ……スタッフってすごいなぁ……これが映画の撮影か……」小林がうっとりとスタッフ達を眺める。

 

 沖縄県 謎の島 謎の施設


 「おなか減ったぁ……」真里がうずくまりながら小さな声を出す。その声が広々とした部屋に響く。真里がいるのは施設にある宿泊用の部屋の二号室だった。一号室には大森と柳谷がいた。寒くもなければ暖かくもない、薄ぼんやりとした部屋だった。人がいた痕跡だろうか壁中、茶色く汚れているのに真四角に白くなっている壁があちこちにあった。ポスターを剥がした跡だろうか。

 「おなか減ったぁ……これじゃあ囚人だよぉ……寒いよぉ……」と、露出した二の腕を擦る。実際はこの部屋が寒いのではなく、麻薬の禁断症状が徐々に現れ始めているのだった。

 突如ノックの音が響く。「はい?」力なく答えると、田中がドアを開けた。

 「今日の晩飯です。今日はこれで我慢してください。後日、まともな飯が来ますので」と、トレイに乗っかったペースト状の何かが寄こされる。

 「何これ?歯磨き粉?」

 「いえ、軍用レーションです。味はイマイチですが、栄養バランスは最高ですよ」と、笑顔を作り、ドアを閉める。

 真里はスプーンでそのペースト状の物をすくい取り、口に運んだ。「まずぅ……」と、舌を出し、トレイを床に置く。

 その頃、隣の部屋でもレーションが配られていた。「これを食えと?」大森が眉を吊り上げる。

 「おえ!ゲロまずっ!食えるかよ、こんな物!」と、柳谷がトレイを机に叩きつける。

 「すみません。今日はこれしかなくて……」声の割には表情を変えない田中。

 「おい、田中さん。あんたがこの映画の脚本を書いたんだよな?」大森がスプーンについたペーストを眺める。

 「はい」

 「俺の演じる役のボスは……これを食べたか?」

 「えぇモチロン。そのキャラクターは人生の半分を軍で過ごしました。当然あらゆる種類のレーションを口にしています。その台本の中にも、その話を振り返るセリフが出てきます」

 「そうか……」と、黄土色をした粘着質の塊を睨みつける。そして覚悟を決めたのか、それを口に運んだ。口の中でそれをゆっくりと味わい、鼻でにおいを吐きだす。「……ボスってキャラクターはこのレーションをどう思っているんだ?」

 「好きではないですが、非常時にはありがたいって言いますね」

 「そうか……」と、もう一口食べる。「役作りの為だ……」


 沖縄県 謎の島 砂浜


 「よし!とにかくいただこう。乾杯!」大塚が声を上げる。手に持った紙コップには麦茶が入っていた。

 「乾杯!」新米役者三人とスタッフ一同が声を揃える。

千葉と戸谷の姿はそこになかった。「あの人達、まだ戻ってきていませんが?」小林が心配そうな声を出す。

「あいつらは島の対岸でキャンプだ。しばらく、あいつらは島でいろいろ撮影して来いって言っておいた。その映像が使えるかもしれん」

「なるほど……ではでは、いただきます」と、小林が串刺しになった焼き魚に齧り付く。下拵えが完璧になされた焼き魚の香ばしさが口全体に広がった。「うまい!」

「当然だろ?俺が味をつけたんだ!」神谷がタバコ片手に笑う。

「食事中に吸うな!」内海が刺身を噛みながら睨みつける。

「まぁモラル的には……止めていただきたいな」加藤がワザとらしく鼻をつまむ。

「わぁ……うまそう」と、夏美も刺身を口に運ぶ。醤油をつけない分、魚の味が口の中で広がり、磯の香りが鼻を抜けた。「銀座で食べたらいくらだろうなぁ……」

「四万くらいかな?」神谷が得意げに鼻を上げる。

「しかし、いいのかな?俺達ばかり。あっちのベテランさん達はどうしてるんだろう?」奥平が焼き魚の頭にしゃぶりつく。

「あっちにはあっちの楽しみがあるだろ?それに施設に行きたいって言ったのはあいつらだしな!おい田中ぁ!そっちはどうだ?」と、大塚が無線機で呼び掛ける。

「まぁなんとかやっています。一名はこちらに協力的な模様。どうぞ」

「そうか、まぁ明日には物資が来る。それまではそっちで持たせてくれ、どうぞ」

「了解、オーバー」と、無線が切れる。

「あの、一つ聞いていいですか?」小林が監督の隣に座る。「過去に何か映画を手掛けた事はあるんですか?」

「いいや、これが初めてだ。正直、右も左もわからん。まぁそこをこいつらに助けてもらうんだがな!」と、神谷達に顔を向ける。

「何を言うんですか!向こうでは随分と作品を手掛けたとか?」神谷が紙コップ片手に言う。「それなら場数はここにいる我々よりも多いでしょう?」

「はは!まぁな……だが、この国で映画を撮るのは初めてだ」と、茶を啜る。

「外国ではどんな物を?」

「まぁ……色々な経験を積んできたと、だけ言わせてもらうよ」と、大塚はここにきて初めて笑う。

「よぉし!隠し玉とはこの事!磯づくし鍋ができたぞぉ!」神谷が遠くで煮込んでいた鍋を持ってくる。そこにはダイナマイトの衝撃波で四散した方の魚の肉が入っていた。適当に味噌で味付けをし、味見をする。「よし!みな皿を持て!」砂浜を暖かい湯気と魚の香りが包みこんだ。


沖縄県 謎の島 謎の施設


「ふぇっくしぃ!」真里が薄いタオルケットに包まりながらクシャミをする。目を見開き、カタカタと震える。「寒ぃよぉ……凍えそうだよぉ……死、死ぬよぉ……」と、空腹の腹を鳴らす。食事はあの一口で終わっていた。

すると、ドアからノックの音が響き、田中が入ってくる。「毛布もありますが?」と、濃い緑色をした毛布を二枚ほど持ってくる。

「んなもん持ってくるなぁ!暑いのに……そんなのかけて寝られるか!」と、近くの枕を田中にぶつける。

「そうですか。では、おやすみなさい」田中は怯まず、ただ一礼してドアを閉めた。

「……投げ返せよ……」と、隣の簡易ベッドから枕を取る。

その隣の部屋で大森が一人で筋トレをしていた。「あの大森さん?さっきからちょっと、バホバホうるさいんですけど?」柳谷が不快そうな顔をする。

「役作りの為だ……こうなったら徹底的にやってやる」と、スクワットを始める。「見てろよ……あの野郎……本国に帰ったらただじゃあ済まさないからな……」額どころか脇の下や背中などから滝の様な汗を掻き、体が上下する度に部屋中に飛び散った。

「勘弁してよぉ……俺、他で寝るぞ?」と部屋から出て、廊下を歩き始める。奥まで歩き、突き当たりを曲がり、色々な部屋を覗く。ガランと何もない部屋や、見たこともない機材だらけの部屋、さらには先程食べたレーションだらけの倉庫まであった。「なんもねぇじゃん、こんな所で二ヶ月?死ぬってマジ……」と、頭を掻く。

すると、奥に一つ扉の開いた部屋を見つけ、そこを覗く。その部屋はさきほどいた部屋を縮めて一人用にした様な部屋だった。こじんまりとし、ベッドやトイレなどが完備されていた。「ここでいいか……あのオッサンと相部屋じゃなければ」と、しぶしぶその部屋に入り、ドアを閉め切る。その時『ガチャン、ピー、カチッ』という独特な機械音が響いたが、本人含め四人にはその音は聞こえなかった。「あぁ……明日には向こうの奴らの組にでも行こうかな……」と、鉄格子のハマった窓の向こうに見えるキャンプファイヤーを眺めた。


 沖縄県 謎の島 浜辺 


 夕食を食べ終わり、監督からトレーニングスケジュールが発表される。その内容は新米の役者から見て過酷なものだった。『島の外側を二周。基礎トレーニング四時間。発声練習一時間。殺陣の稽古二時間』これを十四日間も続けると言ったのだ。この発表を聞いて夏美と奥平は愕然としていた。あいた口が塞がらず、まるで魚の様な表情をしていた。打って変わって小林はワクワクするような表情をしていた。実際、彼は今迄に役者になる為の訓練を独学で片っ端からやってきた。そのお陰で彼はガンマンライダーのリボルバーキックを出来るようになったのだ。

 「よし、消灯!」と、神谷がキャンプファイヤーの残り火に砂をかける。辺りが真っ暗になり、テントの内部だけが静かに光っていた。

 「はぁ……明日から地獄か……」二人のテントに遊びに来ている夏美がハンドバックから化粧落としを取り出し、顔を拭き始める。と、言っても彼女の顔は化粧いらずなので、実際は顔に付いた砂埃を落とす程度だった。

 「あの監督、きっと元軍人だ。で、回りのスタッフはその戦友かなんかだ」奥平が寝ころびながら腕を組み、唸る。「だっておかしいだろ?普通さ、映画のスタッフって、あんなんか?筋肉隆々だしさ、機材を組み立てるだけじゃなくて、こんな立派な小屋作ったり、即席で海鮮料理作ったり、そうそう!ダイナマイト!あれは驚いた」

 「あんた、うるさい」夏美が顔の手入れをしながら言う。彼女の顔は一日一時間以上の手入れを必要とする顔だった。でないと日に日に形が崩れ、不可思議な顔になってしまうらしい。

 「そういえば奥平さんって芸人さんですよね?」小林が興味津々な顔で近づく。彼にとっては回りの芸能人が珍しくて仕方が無かった。彼のテレビ出演は例のCMだけで、他の芸能人との仕事や触れ合いは一切なかった。

 「あぁ……でも、この仕事が終わったらコンビを解散して、役者で食っていくつもりだ。俺はそもそも芸人ってキャラじゃないんだ。なのにウチの事務所の奴が勝手にあの木偶の坊と組ませやがって……まったくよぉ!」と、ワザとらしく伸びをする。

 「でも芸人って感じしますよ?今でもトークショーの時のしゃべり方、表情、仕草じゃないですか」と、指摘する。彼はガチャポンズの出ている番組をよく見ていた。

 「あぁもう!たった一年でもうこんなに染みついていたか!ったく拭わなきゃ!」

 「ホラまた!」

 「うるさい!」

 「あんたがうるさい!」と、夏美が振り返り無表情で睨みつける。

 「あのさ、さっきから何やってるの?夏美ちゃん!」奥平が起き上がり、夏美に近づく。

 「えぇっとぉ……うん……」顔の手入れを止めずに悩む。

 「ほらぁ!会話はテンポよ!さぁ答えて!」奥平がせかすように手を叩く。バラエティーでもよくやるせかし方だった。

「その手入れの仕方、どっかで見た事あるなぁ?」と、小林が夏美の手の動きをじっと見る。彼は昔、『女神の作り方』とういう番組を見ていた。顔の崩れた人達を美人にするという、視聴率の為なら可哀そうな人達にお節介をやくような番組だった。

 「え!こここ、これは!その、そう!お肌の血行をよくするマッサージです!」と答える。実際は痛んだ顔の神経と皮膚を馴染ませる、父親から教わった手入れの仕方だった。『女神の作り方』では血行を良くして張りと艶を出すと紹介されていたが、実際の効き目はこちらの方だった。ゆえ、過度な整形をしていない一般人には何の効果もない。

 「あぁ……ほんとう?」奥平が疑り深い表情を見せる。夏美の顔から何かを探ろうとする目だった。たった半年で手に入れた『笑いの種を見つける眼力』だった。「実際はどっかのクリニックの先生に教わったおまじないだったりして?」少々毒を入れることも肝心だ。

 そこで夏美が肩をビクっと震わせる。「なんの事かしら?」と、奥平から顔を背ける。

 「最近は多いらしいからねぇ……プチ整形ってやつはさ!」

 「失礼ね!」振り返らずに怒鳴る。実際は『あんなお遊びと一緒にするな!』と、叫びたかった。

 「そういえば小林さんも……有名だよね?あのCMで」たった一年で人気者になった彼の理由はこれだった。話のリズムを崩さず、上手に続ける。これによってトーク番組の進行がスムーズになるのだ。

 「あぁ……それは触れないで……」と、この島に来て初めて弱ったような顔になる。あのCM収入とアルバイトで今まで生計を立てていたのだ。彼はそれを情けないと思っていた。

 「あのCMの最後にトイレに駆け込んで叫ぶじゃん?あれ、どんな思いで叫んだ?」顔をニヤつかせながら聞く。彼の表情の作り方もうまかった。視聴者に不快だと思われない程度の憎まれ顔だ。

 「……僕、ガンマンライダーが好きなんですよ。そのガンマンにやられる悪役の様な声でやりましたね」顔に明るい表情が戻る。この話題でなら彼は二日は喋り通せる自信があった。

 「へぇ!俺も昔見てたよ。今のはさすがに見てないけどな……この歳だし」

 「それはそうですよ!今のガンマンは改造人間じゃないんですから!」そこで夏美の肩がピクっと動いた。

 「へぇ?どういう意味?」

 「最近のガンマンライダーはただ銃を振り回す乱暴者って感じですね。決め台詞にもなってない脅し文句を吐いて悪役を撃ち殺す。そんなのはヒーローじゃないですよ!それに引き換え昔のはよかった……銃を使うのは本当に必要な時だけ。遥か彼方の人質を助ける為とか、悪役の持っている武器を打ち飛ばすためとか……ガンマンライダーはいざ悪役と戦うときは素手で戦うんですよ、その殺陣もカッコ良くて……今のはちゃちな喧嘩って感じですよ。それに!今のガンマンは改造人間じゃないんですよ?ただ若者がアーマーと銃を持ってるだけですよ?昔のはきちんと改造手術を受けてのヒーローでした」

 「その改造手術って、どんなの?」興味が無くとも聞く、それが司会者。

 「テレビでは手術シーンは無いんですけど、設定資料によると体中を切り開いてバイオ原子力エンジンを心臓に癒着させて、皮膚と骨をアダマンタイト合金に交換、筋肉は高密度の人口筋肉に改造し、内臓も全てバイオテクノロジーによってひと塊にされるんです。その手術に耐えられるのはオリンピック選手の一万倍ほどの強靭な体を持つ超人でないと無理なんですよ!」まるで子供の様な表情になり、とうとうと説明する。

 「んな人間、この世にいるわけないだろ!」突っ込みも的確だった。

 「でも、いたんですよ。初代ガンマンライダーの神宮寺正義って人はその手術を受けて死ななかったんですよ!」

 「へぇ……なんで?」肩肘をつきながら聞く。

 「心ですよ!心で痛みに打ち勝ち、ガンマンライダーになったんです!それから二号、マグナム、マシンガン、二世、V、Z、ホワイトまで様々なガンマンが誕生したんです!」

 「ほぉ……で?」もう聞きたくないのが本音だが、ここまできたら相手の話を限界まで引き出す、それがプロの芸人である。

 「でも、近年のガンマンライダーはそういった試練がなくなってしまい、いわゆるインスタントヒーローになってしまったんです……」と、小林なりにオチをつける。

 「なるほど、俺達インスタント芸人と一緒だな!」と、自嘲気味に笑う。

 「いやあなたはそんな芸人じゃないでしょう?くだらない一発ギャグとかローリターンの漫才とか、そんな事はやってないでしょう?」

 「こら!おだてても何も出ないぞ!それに、今回のこの仕事でお笑い辞めるんだから、俺」

 「そんなぁもったいない……せっかくデビューして有名になったんだから……」

 「うるさいなぁ、もう決めたんだから!」

 「だからうるさい!さっきから何よ!改造人間とか、インスタントって!」彼女の言われたくないツートップのセリフだった。

 「え?何か気に障った?」奥平が夏美の目を見て、再びいじるべく探索する。

 「別に!ただその……う、うるさいなぁ!この芸人!」悪態を吐こうにも、知識の足りない頭では思いつかず、言葉が詰まる。

 「芸人だもん。なになにぃ『改造人間』と『インスタント』が頭にくるんだろ?ってことは君……」と、鼻をじっと見る。だが、プチ整形の痕跡を探るがそれらしいものが見えない。それどころか夏美の顔は整っており、整形外科医がよくやる鼻が不自然に高いという致命的ミスが見当たらなかった。「インスタントラーメンをよく食べるわけ?」とにかくボケる。

 「違う!あたしは……そのぉう……」と、手を動かしながらも俯く。

 「じゃあ何か?自分をインスタントアイドルだと自覚しているワケ?」奥平はテレビで夏美を見た時、掃いて捨てる程いるインスタントだと鼻で笑った。あと半年でこの子のAVデビューは堅い、そこまで予想していた。

 「ちっぐわぁ~う!」この男の言いたい事が全て予想でき、頭の血管を破裂させんばかりに怒鳴った。

 「うるさいよ、お前ら!早く寝ろ!」遠くのテントから大塚監督の怒声が鳴り響いた。その一括以降、役者のテントはしん……と静まりかえった。そしてテントからゆっくりと夏美が顔を出し、地面が砂浜であるにも関わらず忍び足で自分の寝床へ戻った。


 沖縄県 謎の島 浜辺 二日目


 次の日の朝早く、小林と奥平は内海に叩き起こされ、ラジオ体操を強制的にやらされていた。夏美は彼らよりも二時間早く起き、顔の手入れと日課の柔軟体操、ラジオ体操を終わらせ、浜辺に転がる流木に座って神谷とお喋りをしていた。

 「へぇ君、新宿の飲み屋で働いた事あるの!行った事あるよ!そこの店」懐から箱を取り出し、タバコに火を点ける。

 「そうですかぁ?そこであたしスカウトされるのを待ってたんです。で、二ヶ月経ったら次っていろんな所を回って、恵比寿でスカウトされたんです」

 「新宿でずっと働いていたらきっと、別のスカウトが来てたかもね。物騒な怖いおじさんのさ」口に咥えたタバコを転がし、夏美にかからないように煙を吐く。

 「そうそう、その人の気配がしたから新宿から退散したんです」

 「その視線、オレだったりして」悪戯っぽい表情を見せながらタバコのフィルターを噛みつぶす。

 「やだぁこわぁい!」と、神谷の肩を叩く。

 「あのすみません、彼は仕事があるので」と、加藤が神谷の襟を掴み、立たせる。「行きましょうか?神谷さん」

 「ちょっと待ってくれよぉ!これ吸ったらぁ!」と、駄々を捏ねながら引きずられていった。神谷はそれでも夏美に視線を送り続け、ニヤついていた。

 「おもしろいオッサン……」夏美も腰を上げ、尻に付いたゴミを掃った。その頃には二人の体操は終わり、今度は筋トレをやらされていた。それに夏美も参加する。

 「なぁ!思っていたよりキツイな!この腕立て!」奥平が歯を食いしばりながら零す。

 「黙ってやる!そうすれば疲れない!」内海が自衛隊の上官の様な口ぶりで唾を飛ばす。奥平は今後、この男が筋トレの指揮を執る隊長になるんだろうなぁ……と、苦笑した。

 腕立て、腹筋、背筋、スクワットを五十回三セット終わり、やっと朝ご飯の時間になる。神谷が持って来た米を洗い、昨日の残りの鍋に入れて雑炊を作っていた。それに味噌を入れてかき混ぜる。「もうすぐ飯ができるぞぉ!」

 奥平はヘロヘロになり、夏美はしっとりと汗を掻き、小林は余裕な表情で鍋へと向かった。「運動の後の飯!いいねぇ」小林は箸を持ち、監督が来るのを待った。

 「あれ?監督は?」と、夏美が辺りを見回す。

 奥平が鍋に手を伸ばそうとすると、神谷が彼の手をパシッと叩いた。「まだ蓋を開けるな」彼はすっかり鍋奉行になっていた。

 しばらくすると、砂浜の端っこから監督が走ってくるのが見えた。疲れた様子もなく、無駄に汗を掻かずに鍋の方へと駆け寄ってくる。「お待たせ」同時に鍋の蓋が開く。「島の外周は約一四キロ程だろう。軽い軽い」と、口髭を上機嫌に上げながら鍋の前に座る。湯気が出迎え、監督はその匂いを胸一杯に感じた。「いいできだな、神谷」

 「どうも」と、笑いながら皆に取り皿を配る。

 「では、いただきます!」内海が大声を出す。やっぱりこの人が軍曹で監督は中尉って所かと、奥平が苦笑する。

 

 沖縄県 謎の島 謎の施設

 

 「はい、みなさん起きてください」田中が部屋を見回る。一号室の大森はベッドには寝転がらず床で何もかけずに寝ていた。「なぜ……?」

 「ボスって男はこの堅い床や土、草の上でも寝たって設定だろう?」大森はムキになっていた。

田中はそんな大森をまるで子供の反抗期でも眺めるかのような目で見ていた。「そうですね……そこまでやっていただけるのならありがたい。さすがはプロだ」最後は皮肉を上手に込めていった。

次に隣の部屋の扉をノックして開ける。そこには体にタオルケットを何枚も包ませた真里がいた。頭からもタオルケットを巻き、まるでインド人の花嫁の様な姿になっていた。目の下を黒くし、カタカタ震えていた。「寒いよう、熱いよう、凍えるよう、燃えるよう……」と、ぼそぼそと独り言をいいながら小刻みに揺れていた。

「何か持ってきます?」少々心配なのか、顔を歪ませる。

「アレ……」ボソッと呟く。蚊の鳴くような声だった。

「は?」

「だからアレ!」日ごろから薬、麻薬、コカイン、覚せい剤などの言葉を口にしないように気をつけていたので咄嗟には出なかった。彼女はさすがに沖縄にコカインや覚せい剤、注射器などを持ち込もうとは思わず、現地の知り合いからこっそりと貰おうと思っていた。だが、想定外の事態が起き、彼女は今、最大のピンチを迎えていた。もしくは最大の救いか。

 「はぁ……朝ご飯もレーションになりますが、どうします?」

 「そんなのいらないよぉ……」今にも泣きそうな顔で答える。

 「でしょうねぇ……」真里のベッドの下にある食いかけのトレイを見ながら答える。二号室の扉を閉め、柳谷の所在を確認しようと辺りを探す。しかし、彼を見つける事が出来ず、監視カメラのある警備室へ足を運んだ。

そこにはアメリカ軍の置き土産が山と積まれていた。もしこれが見つかったら映画どころではない、そんな危険なものまであった。もちろん、今の真里には与えてはいけない物まで……。

そこにある監視モニターのチャンネルをひとつひとつ変えていき柳谷がどの部屋にいるのかを探す。最後に一番汚れている番号を押す。その番号の部屋とは、独房の部屋だった。

そこで柳谷は横になっていた。「いた……」と、警備室を出て真っすぐ独房へと向かった。早速ノックし、ドアを開けようとするが……開かなかった。「あの、起きてください」

 「あと、五分」と、死人が声を出したらこんな声だろう、と思えるような声を出した。

田中は静かに溜息を吐き「わかりました」と、答えた。まぁここの奴らは特にやる事は無く、自分なりに役作りさせる為の場だからいいか、一ヶ月間缶詰めにすれば嫌でも役になりきれるだろうと頭の中で予想した。「監督、そちらの状況は?どうぞ」無線機を取り出し、口を当てる。

 「上々、これからこいつらの根性を試す所だ。そっちは?どうぞ」

 「まぁ初日はこんなもんですね。大森はやる気がカラ回りしないかどうか心配です。柳谷と岡谷は……今後が心配です。まぁ三人とも役者としては経験があり、一応プロですから……まぁ大丈夫でしょう。どうぞ」

 「天下のプロデューサー様が決めた役者たちだからな。まぁ信用しておけ」

 「はは、そうですね。オーバー」と、無線機を腰に戻す。「こっちは暇だなぁ」と、伸びをしながら警備室へ向かった。

 

 沖縄県 謎の島 密林

 

 「ふぅ、昨日のあの鳥は美味かったっすねぇ!」千葉が戸谷に声をかける。戸谷は黙りこくり、撮影用カメラを担いでいた。「なんていう鳥だったんだろう?あれ」彼らが食べた鳥とは、リュウキュウコノハズクというフクロウだった。

 彼らは明け方の海から森林、小動物、鳥などをカメラに収め、今は密林の中を移動しながらカメラを回していた。あらゆる動画を撮り、後の編集で切ったり張ったりするのに使うのだ。千葉は戸谷のアシスタント、そして戸谷の行けない場所まで行きカメラでその場を撮影するという役割をしていた。

 「綺麗な景色は撮れたけど、こんな景色をスパイ映画に使うんですか?」と、近くの木に小型カメラを仕掛ける。このカメラは撮影の日に遠隔操作でオンにして使うモノだった。役作りの終わった彼らの表情を余さず撮る為、そしてクライマックスのシーンを取る為の重要なカメラだった。これを彼らは島中に仕掛けていた。

 戸谷は黙りこみ、カメラ片手に辺りを舐めるように撮っていた。彼の鋭い眼光からは、今にもレーザーが出そうな勢いだった。口元の白髭が風になびく。

 「……!」戸谷が千葉を睨んだ。カメラが余計な音を拾い、あとで面倒な編集作業をする羽目になるのを彼は避けたかった。

 「何?」千葉が耳を傾ける。「あ!そっか撮影中か!ごめんごめん」と、頭を抱えながら下げる。戸谷はその顔を睨み、気を取り直して正面に向き直る。

 彼の腰から上は微動だにせず、まるで砲塔の様に動いた。鳥が飛び立つ瞬間を押さえたのだ。千葉はそんな彼の動きを真似しようとパントマイムの様に動いた。

 「…………」戸谷はそんな彼を、眉を下げながら見ていた。



 沖縄県 謎の島 砂浜


 「アメリカでさぁ、こんなテレビドラマなかったっけ?」奥平が息を荒げながら隣の夏美に声をかけた。夏美は持参したタンクトップにホットパンツ姿で走っていた。豊かな胸を揺らし、息を荒げる。「色っぽいねぇ」

 「喋るな!とっとと足を動かせぇ!」内海が後ろから奥平を怒鳴りつけた。監督の命令で彼らを監視する為に一緒になって走っていた。息を全く荒げていないので、まるでギリシャの彫刻が走っているようにも見えた。

 奥平と夏美よりも一キロほど先には小林がちょうどいい速度で砂浜を走っていた。朝の潮風を吸い、空を飛ぶ鳥の声に耳を傾ける。「あぁ……こんな仕事をやっていいのかな?罰が当りそうだ」と、ほくそ笑む。およそ八キロ地点になると、更に速度が上がった。彼は中学、高校の頃のマラソン大会では毎回一等賞をもらう程の持久力を持っていた。

 そのはるか後方で奥平が倒れる。夏美はそれを尻目に走って行く。内海が奥平の襟首を掴み、大きな掌で頬を叩いた。「起きろ!寝たら殺すぞ!」

 「助けてぇ……」顔中に付いた砂を払い落し、無理やり立たされ、無理やり走らされる。その時、彼の頭に相方の本田の顔が浮かんだ。一応一年間苦楽を共にしてきた仕事仲間だ。こんな体験をあいつがしたらどうなるだろう?きっと一キロで「もうだめ」と、なるだろう。そうだ、俺はあいつとは違う!あいつの様な根性無しで終わったら、一生あいつとコンビを組むことになる!そんなのは嫌だ!「うおぉぉぉぉぉ!」脚に無理やり力を込め、速度を上げる。だが、百メートルといかない所でまた倒れる。肺と肝臓、心臓がキリキリと痛みだしていた。「本田ぁ!」の様になってたまるかぁ!彼はそこまで叫びたかったようだが、途中で力尽きた。

 

 東京都 渋谷区 下水管の点検工事


 「はいこっち……はいこっち」と、交通安全セットに身をまとった本田が蛍光棒を片手に車を案内する。仕事の無い二ヶ月間、彼はバイトをしようと思い立ち、交通整理のバイトをやっていた。木偶の棒でも、彼は無駄な時間を過ごすのが嫌いなタイプだった。

 その休憩中の時だった。「おい新入り!お前なんかに似ているよなぁ……」コンビニ弁当を突きながら同僚が問う。

 「だ、誰にです?」本田はまんざらでもない様な顔で聞き返した。頭の中では「そう、ガチャポンズの本田です!」と、答えたくてウズウズしていた。

 「なぁヘルメットとってみ」と、箸で支持する。本田は自信たっぷりにヘルメットを脱いだ。額に残る彼のトレードマークの髪の毛が風になびく。

 「あぁ!」と、オヤジが声を上げて指をさす。本田が口を開き、手を胸に当てた瞬間「チャー○ー・○ラウンだ!」と、大声を上げた。すると、回りの仕事仲間が群がり、本田を見た。

 確かに本田の着ている黄色い制服や黒いギザギザのストライプ、スキンヘッドの額に残る縮れ毛、彼の言った通りあの某人気ビーグル犬の飼い主にそっくりだった。

 「本当だ!チャー○ー・ブラ○ンだ!」「そっくりそっくり!」

 「はは、よく言われますよ……はは、」と、片手に持ったお茶のボトルに口を付ける。世間ではこれほど認知されず、それはおろか某黄色いシャツが似合うキャラクターに似ていると言われ、彼はとてもへこんだ。

 「今日からお前のニックネームは『チャーリー』だ!ようっチャーリー」現場監督のおやじが肩を叩く。

 「はい、僕チャーリーです」本田の頬に汗の様な何かが光りながら落ち、アスファルトしきたての地面に落ちて蒸発した。


 沖縄県 謎の島 謎の施設


 「おぉい!出してくれぇ!」柳谷が声を上げる。昼の一時までたっぷり寝た彼は、スッキリしない顔で鉄格子越しに廊下へ向かって叫んだ。虚しくその声が木霊する。「おいフザけるな!開かないんだよこのドア!誰か!」と、ドアを蹴る。次第に苛立ってきたのか、殴りつけ、喚き散らす。

 すると、遠くから足音が響いた。田中の足音だった。「やっと起きました?」

 「起きました?じゃねぇ!開かないんだよ!このドア!」

 「いやぁすみません。まず、あなたのいるこの部屋は独房みたいです。で、ここのカギは電子ロックされていて特殊なカギが必要なんですが……見つからないんですよ」弱ったような声を出さず、淡々と話した。

 「ふざけんなよ!出せ!俺はあっちの組に行きたいんだ!」と、外側の鉄格子を指さす。その鉄格子からは日の光が差し込み、鳥のさえずる鳴き声が聞こえていた。自由の音だ。

 「そうですねぇ……ブレーカーがあればそれを落として開ける事が出来そうですが……ちょっと待ってて下さい」と、ドアから遠ざかり、駆けていく。しばらくすると建物の全ての電源が落ちたのか、明かりが全て消えた。柳谷は急いでドアを押したり引いたりしたが、開く事は無かった。

しばらくして明かりが点き、田中が戻ってくる。「あれ?出なかったんですか?」

「開かなかったんだよ!」

「どうやら補助電源が自動で作動したんですね。主電源を落としても開かなかったのだとしたら、きっとそうでしょう」と、感情を全く表わさずに説明する。

「じゃあ俺はこれからどうするんだよ!」今にも泣きそうな声を出す。

「そうですねぇ……」と、泥棒髭を摩る。そして食事を受け渡す扉に脚本を入れる。「カギが見つかるまでここで役作り、と言う事で」

「ふ、ざ、け、る、なぁぁぁぁぁ!」と叫んだが、すでにその場に田中はいなかった。


「クンクン……何かないか?何かないか?」二号室のドアから真里が這って出てくる。相変わらず体中にタオルケットを巻き、アラブ人だかトルコ人の様な恰好をしていた。腹から弱った子犬の様な鳴き声を上げる。

 しばらく四つん這いになり、一号室を開ける。そこには汗だくになり、パンツ一枚になった大森が立っていた。年齢の割には腹筋がわれ、スタッフほどではないが見事な体をして立っていた。「ぎゃあぁぁぁぁ!」真里の眼には大森のその姿が宇宙から現れた昆虫人間の様に見えた。そう、早くも幻覚症状が現れたのだ。

 「大丈夫ですか?岡谷さん」と、田中が駆け寄る。

 「うわ!来ないでぇ!来ないでぇぇぇ!」と、二号室へと駆け戻り、鍵を閉めた。彼女の目から田中は異世界から現れた爬虫類人間に見えたのだ。

 「どうしたんだ?」タオルで汗を拭きながら大森が出てくる。

 「さぁ?役作りの一環でしょう」と、素っ気なく答える。


 沖縄県 謎の島 浜辺


 その頃、島の外周を走り終えた小林と夏美は、休憩しながら会話をしていた。粉末製スポーツドリンクを片手に小林が生き生きした表情で声を上げる。「本当だよ!ガンマンライダーは銃弾を掴んで相手に投げ返し、怯んだところをリボルバーキックで止めを刺したんだ!」

 「すごいんだねぇ、改造人間って」自分で自分を侮辱する時に使っていた言葉が光り出した。「他にどんな話があるの?」

 「そうだなぁ、後は敵の持つ銃の銃口に銃弾を入れて暴発させるとかさ!大砲の弾に五発弾を当てて攻撃を逸らして最後の一発を相手の腕に当てるとか」過去に見たガンマンライダーのベストシーンをとうとうと語る。

 「ふぅん……今もやってるんだよね?今度見てみようかな?」

 「ダメダメ!今のはそういう演出は無いし、キックもないし、熱いセリフもない。あんなのただの遊びだよ」

 「ふぅん……でもさ、その特撮を作るスタッフってどんな気持ちで撮ってるのかな?」

 「……スポンサーに銃を突きつけられてるんじゃない?」

 「きっと拳から血を滴らせて奥歯を擦り減らせてるね」

 「もしくは今の作品で満足しているのか……それはないと信じたいな」と、苦笑する。その直後、島の端っこから人影がチラついた。奥平を肩に背負った内海が走ってきたのだ。

 「こいつ、八キロ地点で気絶しやがった……」と、砂浜に捨てるように転がす。

 「……も、だめ……」と、過呼吸気味になりながら地を這う。

 「ほら、飲んでください」と、スポーツドリンクの入った水筒を渡す。奥平はそれにむしゃぶりつき、喉を鳴らして飲んだ。

 「ごれ、とってもおいしい……」死にそうな声を出しながら感嘆の声をか細く上げる。

 「あと少し休憩したら発声練習するぞ!その後に朝にやった筋トレを三セット!その後に殺陣の訓練、でシメにもう一周だ!」監督がメガホン片手に怒鳴る。

 「はい!」小林は元気よく答えた。

 「はぁい」夏美は額を擦り、タンクトップに染みた汗を腰のところで絞る。

 「殺して……」まだ立てずにいる奥平が漏らす。

 「撮影が終わった時になら喜んで」内海が給水しながら口の端を歪ませる。

 すると、遠くの空から何かが近づいてきた。速度が速く、鳥ではない事は確かだ。大きさからしてスーパーマンでもなかった。

 その巨大な塊は、貨物運搬用のヘリだった。回転翼とエンジンの音が大きく鳴り響き、次第に潮風が津波の様に彼らに襲いかかった。着陸態勢には入らなかった。島の丁度真上まで来ると、来るときに運んだ木箱よりも巨大な木箱が六つ程投下された。パラシュートが開き、物の数秒で砂浜に落ちてくる。最後の一つが投下されると、ヘリは沖縄の方角へと引き返して行った。

 「御苦労さん!」監督がヘリに向かって手を大きく振った。神谷と加藤が早速、箱を開けに行く。「おぉし!これで一ヶ月はまともに暮らせるな!」と、様々な物資を手に取った。

 「缶詰めに、米、ミネラルウォーター、車のバッテリー、クーラーボックスなどなど……受注した通りですね」と、加藤がメモ用紙片手に箱を叩く。

 「よぉし!田中ぁ!物資が届いたぞ!今から届けに行く!そっちの状況はどうだ!どうぞ!」大塚が機嫌よさそうに無線機に向かって大声を上げる。

 「トラブル発生、柳谷が独房に缶詰め状態になりました。鍵が無いのでどうしようもありません、どうぞ」

 「どうせそっちは一ヶ月間缶詰めだし、そいつアレだろ?アイドルに手ぇ出したんだろ?いい薬だ!どうぞ」

 「それもそうですね。物資の到着を待ちます。オーバー」

 無線機の番号を変え、口を開く。「よぉし、千葉!今どこだ!どうぞ」

 「今、地図から見てBの5地点にいます。物資が来たんですね?どうぞ!」いつにもまして機嫌のよさそうな声だった。

 「あぁ!こっちに来て田中のいる施設に物資を運べ!どうぞ」

 「了解!」と、無線が切れる。

 「さて、一ヶ月の安全が確保された所で、発声練習始め!」監督が指示する。

 小林は早速、過去にやった方法で発生を始めた。「あーえーいーうーえーおーあーお!」夏美もそれに続く。小林より声が張れなかった。理由は、彼女は声帯にも手術を施し、今の声になっていた。大声を出す事には問題ないが、過度に声を張ったり声帯を傷つけるような行為をすると予想もつかない声が出てしまう恐れがあるのだった。それを心配しながら喉に力を入れずに腹に力を入れ、なるべく声を張らないようにする。

 「あ~い~う~え~おえぇ……」奥平は未だに砂浜に突っ伏し、死んだようになっていた。

 「コラ!立って姿勢を整えてから声を出さんかぁ!」内海が奥平の耳を掴み、無理やり起こす。

 「マネージャー!助けてぇ!」中腰で耳を押さえ、情けない声を出す。

 「そのマネージャーは海の遥か彼方だ!そこへ向かって精いっぱい叫んでみろぉ!」

 

 沖縄県 石垣島

 

 「はぁい!耳抜きは鼻をしっかりと……こうですね、掴んでフンってやりまぁす!」船の上でダイビングインストラクターが陽気な声で説明をする。

 「ふん!」奥平のマネージャーがインストラクターのお姉さんに見とれながら真似をする。

 「ふん!」「ふぅん!」「ふんが!」他のマネージャーも真似をした。一人を覗いて。

 「あのぉ、できました?」お姉さんが大森の付き人の背中を摩る。

 「うるさぁい!親分があいつらに拉致られたんだ!こんな事をしている暇があるなら、助けに行くべきだ!」と、シュノーケル越しに涙目になる。彼は大森の事務所では一番彼を慕っている方の人間だった。

 「あのお兄さん?そんな悲しい声を出さないで、海に潜って見てください!きっと、心が洗われて、いい気分になれますよ?」と、小麦色の顔をニコリとさせる。

 「そうだ!潜って来い!」と、マネージャーたちが彼の背を蹴り、海に落とした。

 「こらぁ!まだ潜っていいって言ってないでしょう!もう!では、お姉さんに付いてきてくださぁい!」と、船から飛び降りる。マネージャーたちも続いて跳び下りる。

 「きゃっほ~い!」

 

 沖縄県 謎の島 謎の施設


 「何かないか?」大森が施設内を台本片手に練り歩いていた。あらゆる部屋を回り、階段を昇って二階に着く。しばらく歩き、部屋を覗く。彼は役作りの為、何か役立ちそうな物を物色していた。田中から聞いた話によると、悪の組織の撮影場所はここになると聞かされていた。ならば何か役に立つ物があるはずだと、探し歩いていた。途中で柳谷のいる独房を見たが、そこにいた本人は無視した。

 「ん?ここは?」と、英語で書かれたプレートを読む。どうやらここが指揮官の部屋かとにんまりして扉を開く。

 大森の眼に本棚や艶々した机、その上の電気スタンドや内線電話などが写った。まずは良しと足を踏み入れ、見回す。ホワイトボードや絵画、グラスの仕舞ってあった様な棚などがある。扉を開けると、そこには一本だけウイスキーが置いてあった。瓶にはマジックで横線が書いてあり、飲んだ日と思わしき数字が書いてあった。ケチな指揮官だったようだ。机の前に立つと、そこには小箱が置いてあり開く。なんと葉巻が数本入っていた。それを咥えてみる。湿気ってはいたが、香高く、いつも吸っている物と似ていた。「ここでならいい役作りができそうだ」と、満足そうににんまりと笑った。


 「くそぉ……何が映画だ!全然おいしくねェ!」虚しい独り言を吐きながら台本を読む柳谷。彼は未だに独房に閉じ込められていた。

 すると、ノックの音が響く。田中だった。「柳谷さん、物資が届きました。昼飯です」と、缶詰のサンマの煮つけと炊きたての米、それに味噌汁を受け渡し口に通した。

 「カギは!見つかったか!」

 「見つからないからここに通したんです」ため息交じりに答える。

 「あぁ!クソがぁ!チクショウ!早く出せぇ!」と、扉を叩く。だが、昨晩からまともに食べていなかったので、渡されたメシにがっついた。「ちくしょう!」

 「辛抱してください」田中は物資の一部の乾パンを齧りながら独房を遠ざかって行った。


 「へへへ、兎が見える……どこに行くのぉ?」と、真里が幻覚を見ながらヨタヨタと歩いていた。半分白目を剥き、膝をガクガクさせる。やがて壁にぶち当たり、手でを探る。「穴ぁ、穴が無い!どこ行ったの?兎さぁん!」不意に肩を叩かれ、血走った目を向ける。

 「うわ!あのぉ御飯です……」と、田中がまともな食事の乗っかったトレイを差し出す。

 「兎さぁん!兎さぁん!」涙を流しながら田中を無視し、遠ざかって行く。

 「……あの人の役作り……凄まじいな」と、田中が感心する。真里に与えられた役は人体改造を受けたスパイだった。人格に異常をきたし、サイコな部分のある役柄だった。今の真里はまさにそのキャラだった。

 そんな事は知る由もなく歩き続ける真里。「穴見っけ」と、レーションが山と積まれた部屋へと向かう。「ティーパーティーだ!」と、レーションの入った缶詰めを開け、指ですくい取って舐め始めた。「うまぁい……この蜂蜜、うまぁい」と、猟奇的な顔を綻ばせる。


 沖縄県 謎の島 密林付近


 「小林君、中々うまいじゃん」神谷が腕を組んで小林の空手の型を眺める。小林は過去に空手、柔道、合気道、ボクシング、カポエラなどを少しずつ齧っていた。これも役者の肥やしになると信じてやっていた。

 そんな姿を夏美は一生懸命になって真似していた。さすがに疲れたのか汗を垂らし、息を荒くして前屈みになる。

 「よぉし、二人一組でやってみようか!奥平は加藤と組め!で、神谷と内海で指導だ!始め!」と、大塚監督が声を上げる。早速、小林と夏美が組んだ。

 「よろしく。こういう稽古は初めて?」

 「うん、いつもは写真の前でポーズとか、ただ椅子に座って笑いを浮かべるとか、そのくらいしか……」と、愛想笑いを浮かべる。

 「僕は経験が少しあるからさ、リードさせてもらうよ」と、やさしく笑いかける。

 その数メートル隣では「ホラ立てぇ!そんな事で役者になれるか!」内海が大声を上げて奥平を引っ張り回し、加藤の前にブン投げる。発声練習を終え、なんとか筋トレが終わった後の彼は、もう助けを呼ぶ力も残っていなかった。

 「内海さん、少しはやさしく接しましょうよ」と、加藤が奥平を起こす。そして懐から注射器を取り出し、彼の首に有無を言わさず刺した。

 「な、なにこれ」

 「私がブレンドしたカクテルです。これで元気になれます」と、ニコリと笑う。

 注射針が抜かれる頃、顔には生気が蘇っていた。「……え?気休めじゃなくて本当に元気出てきたんですけど?」と、自分の力で立ち上がる。「これ合法の薬物?モルヒネとかじゃないよね?」と、刺された首を押さえる。

 「えぇ、合法ですよ」と、注射器を仕舞う。成分は秘密、隠し味は……ここでは書けない。

 「お前の方がよっぽど厳しいぞ、加藤」内海が呆れた様な顔で加藤を見た。

 そんなやり取りを尻目に小林が夏美に寸止めの方法を教えていた。相手にぶつかると思った時には遅く、拳や蹴りを出した瞬間に減速するようにと教えた。「へぇ……そうやるんだぁ……」と、夏美がボクシングの姿勢になり、拳を振る。

 「腰に体重が乗ってないぞぉ」と神谷が彼女の腰に手を添える。

 「いいです!大丈夫です!今度こそできます!」と、振りほどいてもう一度構える。そして、腰に体重を乗っけるような姿勢になり、拳を振る。きちんと体重の乗った拳を急に止めるのは難しかった。

 「あだ!そう、その調子……」小林の額に命中する。「今度は僕の番」と、寸止めできるように肩と肘に力を入れ、振る。

 「きゃ!」寸止めは出来たが、止まった先が夏美の胸の前だった。拳の先に夏美の乳房の先に少しめり込む。

 「おぉ!やるねぇ小林君!」神谷が羨ましそうな表情を見せて小林の肩を肘で小突く。

 「ご!ごめん!」

 「あ……あぁ……うん!大丈夫!」と、胸に腕で何度か触る。彼女は胸の中にある食塩水のパックを気にしていた。ちょっとやそっとでは割れないが、万が一破裂したら撮影どころではないし、自分が改造人間だという事がばれてしまう。

 「その仕草、色っぽいねぇ」神谷が夏美のタンクトップから零れる胸の谷間を眺めて鼻の下を伸ばす。すると、神谷の目の前に拳が飛んできて鼻先で止まった。

 「こうっすね!」夏美は数少ない表情の中で最も難しい勝ち誇った表情をしてみせた。

 「そう、それね……」と、跳んできた拳をどける。

 「あぁ……向こうは楽しそうだ……」奥平が小林達を恨めしそうにながめていた。

 「コラ!よそ見をするな!加藤、受け身の練習だ!」と、内海が大きく太い腕を組みながら支持する。

 「受け身、とれますよね?」といいながら奥平を容赦なく一本背負いで投げ飛ばす。

 「ぎゃ!」受け身をとり損ね、頭から落下する。「な、ナッツの匂いがする……」と、頭を押さえながら悶絶する。

 「受け身をとれない方が悪いんだ!もう一度!」

 「もう嫌だぁ!」鼻水を垂らしながら胸ぐらを掴まれ、無理やり起こされる。今日になって何度も内海に引き起こされたお陰で、彼のTシャツの襟はビロビロに伸びていた。

 そんなこんなで殺陣の稽古が終わり、残ったノルマは島の外周を走るだけになった。小林は元気よく走り出し、夏美もそれに続いた。そして彼は「もうやだぁ!家に帰るぅ!」鼻血を垂らしながら泣きじゃくった。とうとうTシャツが破け、まるで某映画の失恋男のような格好になっていた。

 「はい、おかわり」本日三本目の注射を加藤が施す。

 「だから何が入ってるんだよぉ!ちくしょお!」と、奥平は元気に走り出した。その後ろに内海も続いた。減速する度に尻を叩き、罵声を浴びせた。

 「あの二人は中々根性があるなぁ」タバコを点けながら神谷が口にする。

 「いえ、あと何日持つか……ですね。奥平君はきっと明日で限界を迎えるでしょう」加藤が口を歪ませながらも冷静にいう。

 「あのくらいでへばってて役者が務まるかよ」と、テントの中の機材を点検しながら大塚が声を上げた。

 数分と経たないうちに一キロ地点に差し掛かる小林と夏美、何やら余裕が出てきたのか会話を楽しんでいた。

 「やるじゃん、アイドルにしては!」

 「あんたこそ、下剤のCMマスコットにしてはやるわね!」

 「それは言わないでくれよぉ!」と、加速する。

 「マイペースマイペース!」と、夏美も後に続く。過去の改造手術によって身体能力が上がったわけではないが、夏美にはそれなりの体力が備わっていた。

 すっかり夕日の日差しの強い時間になり、日が二人の影を照らしていた。

 その八百メートル手前では、奥平が千鳥足で走っていた。気力と体力は加藤特製のカンフル剤で回復はしたが、身体が限界を超えてしまい、頭についていかなかった。内海はそのおもりとして後ろからついてきていた。

 「おかしいなぁ……元気なのに体が動かねぇ……」

 「……心配するな、骨は拾ってやる」後ろから奥平の背中を眺める。こいつと共に歩む二ヶ月に向かって溜息をつく。

 「マネージャー、本田ぁ……変わってくれぇ……」とうとう腕にも力が入らなくなり、まるで下手な人形劇の様な歩き方になる。「転びたいのに転べない~」


 沖縄県 石垣島


 「明日はもっと沖に出るってさ!楽しみだなぁ!あのインストラクターのお姉さんから番号聞いちゃった!今夜部屋から電話だぁ!」と、声を上げる。

 「なんであいつが一番はしゃいでるんだよ……」と、奥平のマネージャーが声を漏らす。はしゃいでいる男は大森の付き人だった。

 

 沖縄県 謎の島 謎の施設


 「うぅむ悪くない」指揮官の部屋で大森が葉巻を吸いながら椅子に仰け反る。天井の大きな扇風機を回し、そこに向かって吐きつける。「セリフでも読むか」と、昨日中に暗記したセリフの一部を思い出す。

 「ゴホン!『これは復讐だ!俺を裏切った日の丸帝国への、資本主義への、そしてバカな指導者へのな!ふはははははは!』」

 「失礼します、夕飯です」と、田中が入ってくる。

 「何の用だ!俺の崇高な計画の模索中にノックなしに入ってくるとは何事だ!」すっかり役になりきって怒鳴りつける。

 「あ!失礼しました。夕飯です」と、トレイを机に置く。

 「馬鹿野郎!こんな豚の餌が食えるかぁ!別のを持って来い!」と、葉巻の灰を辺りに散らす。

 「す、すみません!」と、一礼する。実は田中もエキストラとして大森演じるボスの副官で出る事になっていた。ついでにそれの練習をする。部屋を出る前に敬礼する。

 部屋を出てしばらくすると、部屋の扉が静かに開いた。「す、すまん、ちょっと役になりきりすぎた」と、咳払いをしながらトレイを受け取る。「それから、昨日のレーションを持って来てくれないか?役作りの為にもう一度食べたい」

 「わかりました」と、もう一度敬礼する。一階へ下がり、レーションの置いてある保管室へ向かう。「……む?」目を疑う光景が広がっていた。

 「おいちぃ……あまぁい」と、真里が口の周りをべとべとにしながらその場で眠っていた。回りにはレーションの入っていたと思われる空き缶が数個転がっていた。

 「何があった?」と、真里から目を離さないように部屋に入り、レーションを三つほど取って部屋を出た。

 

 「あぁ……なんで川島はあんなに人気があるんだろう?」と、柳谷が鏡の前でボゥっと自分の顔を眺めていた。昨日まで迫力のあった金髪はまるで鮮度を失った野菜の様にシナっとなり、艶々していた肌は少々イキを失いかけていた。「確かに俺、歌は下手だぞ……少し整形して違和感のある部分もあるし、たしかにビジュアル系を意識しすぎた……でもこれらは全部事務所命令だった……なんだ?あの事務所は俺に何をさせたいんだ?」

 「あの柳谷さん、夕飯です」と、扉越しに田中が目を向ける。

 「あぁ……今日はもういらない……一人にしてくれないか?」鏡から目を離さずに答えた。目は目の前を見ていながらも遠くを見るような目をしていた。

 「わかりました……」と、独房から遠ざかる。「割と真面目に役作りしてるなぁ、あいつも」と、漏らす。柳谷の役柄は苦悩する二重スパイだった。


 沖縄県 謎の島 砂浜


 夜が更け、一日のスケジュールが終了する。昨日同様にキャンプファイヤーをおこし、役者とスタッフ達は輪になって食事を楽しんでいた。ただ奥平は一足先に小屋へ戻り、気絶するように眠っていた。「おい加藤、あとであいつに栄養剤の注射を打ってやれ。じゃないと明日がもたん」味噌汁を啜りながら大塚が言う。

 加藤は静かに頷き、上品にトレイの上に乗っかった飯を食べた。神谷が作った栄養満点の夕飯だった。三種類ほどの缶詰めを開けてバランスよく混ぜ合わせ、軽く味付けしたモノだった。

 「おいしい……缶詰でこんな事が?」夏美が不思議そうな顔をしながら口を動かす。

 「貧乏人にしか編み出せないよ、この料理のレシピは」神谷は得意げな顔をし、茶を啜った。

 「ただ塩をふっただけだろうが!運動後の塩っ気が美味く感じるのはそのためだ!」内海が目をギョロつかせて神谷を睨む。

 「でも、あのフライパン捌きは素人ワザではない」小林が久々の炊きたての米に舌鼓を鳴らす。

 一通り食事が終わり、片付けをした後に監督が明日のスケジュールを言い渡す。「明日、役者達は休憩を兼ねて島を練り歩いてもらう。これで撮影の時に地図だけでも指示通りに動けるようにしてもらう。ガイドは千葉、お前だ。その他は撮影に向けての準備だ!以上!」

 「休憩……で島を練り歩く?」夏美が首を傾げる。

 「連日あのトレーニングをやっても、筋肉が成長しない。筋トレとは筋肉を破壊する為にやる。明日はその壊れた筋肉を回復させる日です。間をあけないと、かえって萎んでしまうんです」加藤の説明で、夏美は納得した。

 「そんなトレーニングをするのはヒヨッコだけだがな!」通りすがりざまに内海が唸る。

 「あなたは特別ですよ……」ため息混じりで加藤が肩を下ろす。

 夏美が内海の背中を眺め、納得したように頷く。「あなた達はどういった所で経験を積んだんですか?」

 「……色々な場所で、色々な経験を積みました……ふっ」加藤は最後に自嘲気味に笑い、腰を上げて小屋へ向かった。

 「ワケあり、かな?」

 その頃、役者用の小屋では奥平が体を捻りながら唸っていた。「むぅん!もうダメ!そんなに走ったら俺の足がぁ!」と、ガバッと目を覚ます。それと同時に体全身が鈍く痛んだ。早くも筋肉痛になっていた。「くそぉ……日頃の怠りがこんな所でぇ……」

 「あ、奥平さん、起きました?」正面にいた小林が台本から顔を出す。「喜んでください!明日は休みらしいですよ!」

 「マジ!やったぁ……あと少しでも体動かしたら自壊しちまう……」

 「その代わり、島中練り歩けって言われました」

 「うそ……やだ!俺、行かない!」と、タオルケットに包まる。

 「でも、監督命令ですし、内海さん怒りますよ?」

 「やだぁ!」と、体を動かさずに駄々を捏ねる。

 小屋のカーテンがめくれて夏美が入ってくる。「ねぇ、森の近くにシャワーがあるんだって、浴びに行かない?」と、さっそく鞄からタオルケットと着替えを取り出す。

 「うん、いいね」小林も早速、自分の鞄から洗面用具を取り出し、腰を上げる。

 「俺パス……」布地でできた天井を見上げながらか細い声をだす奥平。

 「あら残念、シャワー室一人分しかないから、みんなで裸の付き合いをしようとしたのに……」と、無表情ながら色っぽい声を出す。

 「なら俺も行く!」と、常に激痛の走る体を無理やり動かし、鞄を手に取る。

 「うっそだよ」と、奥平が完全に立ち上がったのを見計らっていう。奥平はそのまま床に倒れ、ピクリとも動かなくなった。

 

 テントを張った砂浜から少し離れた森の入り口付近に、夏美が言った通りにシャワー室がポツンとあった。四部屋程あり、蛇口を捻れば綺麗な水が出た。地面は枯葉や土、虫の死骸などで埋め尽くされていたが、先に使ったスタッフ達が掃除したので、かなり使い心地のよいシャワー室になっていた。

 一部屋に夏美が入り、着ていたタンクトップとホットパンツを脱ぐ。隣の部屋に小林も入り、砂や汗で汚れた服を脱ぎ捨てた。

 「この島はいったい何だろう?無人島かと思いきや水道は使えるし、普通にリゾート地みたいだね」と、シャワーを捻る。さすがに湯は出ないようだったが、昼にかけて太陽光で温まったのか、シャワーの水は温かった。だが、段々と冷たくなり「ひゃ!」という声が自然に出る。

 「日本なのは間違いないよ。でも地元民すらいないなんて、ちょっと変だよね?」洗面具の中のスポンジを取り出して体を擦る。

 「あ!石鹸が無い!貸して!」

 「いいよ」と、壁の上から渡そうと背伸びをする。すると、夏美が壁をよじ登り、顔を出して手を伸ばしてきた。「うわぁ!」

 「ありがと」と、石鹸をとり、戻る。

 「松山さんって、結構スタミナあるんだね。僕の想像だとアイドルとかってあんまりその……」

 「根性無し?」慣れた手つきで石鹸を泡立て、体を擦る。あっという間に体中が泡だらけになる。

 「そこまでは言わないけど……うん」

 「半分正解、かな」と、また壁を昇り、石鹸を小林に返す。「人によるよ。苦労してやっと昇ってきた子から、事務所の力で無名から一気に上がる子……人それぞれでタフな子から箸すら持てない子までピンキリよ」と、シャワーヘッドを手にとって泡を流し、今度は持参したシャンプーを手に垂らし、よく泡立てる。

「松山さんはやっぱり、這いあがった方なわけだ」と、返された石鹸を泡立てる。夏美が使った石鹸だ……と、少々鼓動が速くなる。

「うん……そうだね」と、俯く。本来ならテレビにも映れないほどの化け物顔だったのが、親の手によってこの様な美貌を手にした……フェアではないな、と顔を不器用に歪ませる。

「そうかぁ……苦労したんだ、松山さんも」と、自分の苦労した時代を思い出す。あらゆる芸能プロダクションから門前払いにされ、劇団に入っても、いつまでも最下層の奴らと同じ扱い。やっと事務所に入れたと思ったら今度はお笑い芸人でも作らない様なふざけたCMに出て大恥を掻いた。そんな過去を振り返り、今となっては笑い話だと苦笑する。

「あなたもね」と、髪に泡を立て、慎重に洗う。実はこの髪の毛も……いえ、これは彼女自身の髪の毛です。過去に唯一改造しなかった部分だ。その他は……ご想像にお任せを。

 しっとりとした会話を楽しんでいる最中、小林の隣から耳をつんざく様な悲鳴が轟いた。「きゃあぁぁぁぁ!」夏美自身もこんな声を出せるのかと驚いていた。

 「いいねぇ、たわわに実ったメロンが二つ!食べ頃の乙女だ!」声の主は神谷だった。実は夏美にシャワー室があると教えたのはこの男だった。

 「いい加減にしろ!この不埒者が!」今度は内海の怒声が鳴り響いた。続けて鈍い音が二つ。小林はドアを開ける頃には白目を剥いた神谷の襟首を内海がムンズと掴んで引きずっている所だった。

 「ムードメーカーにも程があるよ、あの人……」胸を隠しながら夏美が言う。実はあの鈍い音の一発は彼女からの一撃だった。それがトドメとなった。

 「見られた?」壁越しに聞く。

 「地上波では放送できない部分をチョロっと……」と、さほど参っていない様な声が返ってくる。このセリフを聞いて小林は顔を赤くしながら冷たいシャワーにうたれた。

 

 二人が小屋に戻る時、砂浜に何かが転がっていた。西瓜かと思い、夏美が足早に近づき、持ち上げようとしゃがみ込む。その西瓜には髪の毛が生えていた。「ぎゃ!」神谷だった。なんと、内海の掘った穴に彼が垂直に入れられ、砂を被ったらしい。何処かの国の刑罰にも見えた。

 「助けてくれよぉ、パイオツをチコッと見ただけじゃないかよぉ!」と、首だけでジタバタする。

 「こんな刑じゃあ甘い!」夏美が指の骨を鳴らす。

 「いや、十分だよ……」以前見たガンマンライダーの話で主人公最大のピンチの場面がこれと全く同じだった。ガンマンライダーは自力で脱出したが、彼はどうだろうか。

 「この状態で監督に見つかったら確実に殺される!だから助けて!」と、ふざけた様な声を出す。

 「しょうがない」と、夏美は砂浜に目を落とし、何かを探すように目を細めた。そして棒の切れっぱしを見つける。拾い上げ、神谷の口元に放り投げる。「ホラ、これで脱出しなさい」

 「そんなぁ」と、いいながら棒を咥え、顔近辺の砂をいじる。

 あわれな神谷を尻目に二人は小屋へ戻り、今日の昼に届いた寝袋を広げる。「あ、奥平君。外に滅多に見られない物があるよ!笑いのネタに見に行けば?」小林が洗面用具を仕舞い、枕を取り出す。

 「今動けない、メシ食ってるの……」と、うまく動かない腕を無理やり動かし、米を口に運ぶ。我慢できなくなり、手で米を掴もうとしたが、内海の怒った顔が目に浮かび止めた。どこからあの男の怒声と拳が飛んでくるかわからなかった。

 「そう?あれは中々見られないよ?」夏美は日課の顔面のマッサージを始めた。

 「海亀の産卵ごときでは動かんぞ!俺は」と、必死で手を動かし、味噌汁を啜る。

 「いやぁ……それ以上かもよ?」と、先程の神谷の顔を思い出す。

 「小林、肩ぁ貸して……気になってきた」と、小林の肩を借りて立ち上がり、ヨロヨロと歩きながら神谷の埋められている場所へ向かった。

 だが、そこに神谷はおらず代わりに大きく深い穴が開いているだけだった。近くには夏美が神谷の口元に投げた小枝が落ちていた。「穴がそんなに珍しいか?」

 「……あの人、ガンマンライダーか?」小林は不思議そうな目で穴を覗きこんだ。ちなみにガンマンライダーは穴から脱出するのに一五分、つまり一話の半分を使ったのだ。ある意味、小林にとって神谷はガンマンライダー以上だった。


 沖縄県 謎の島 謎の施設


 「虫ぃ!虫が湧くよぉ!助けてぇ!」施設の一階、廊下の奥にある地下へと通じる階段の近くで真里はもがいていた。完全に覚せい剤の末期症状が起こり、錯乱状態になっていた。「わ!」と、足を踏み外して地下へと転がり落ちる。階段脇の掃除用具にぶつかり、モップやバケツと一緒に転がり、地下一階に着く。バケツが喧しい音を立てながら回転する。

 「いたたたた……あぁむず痒い……助けて、蟻が……ウジがぁ」と、地下室を壁伝いに歩く。「ここどこ!目がまわるよぉう!」と、近くのドアにぶち当たり、部屋へ入る。

 そこにはコンピューターの機材が整頓され、未だに煌びやかな色を輝かせ、独特の機械音を定期的に鳴らしていた。「あぁ?こんな所に星ぃ?ばかな」と、ケタケタと笑いながら部屋を出る。

またフラフラとしたおぼつかない足取りになり、壁にぶつかる。そしてまたドアに激突する。今度は開かなかった。ドアノブを捻ると開き、そこには棚に収まったファイルがズラリと並び、段ボール箱が山のように積まれていた。「つまんねぇ場所……あぁ寒いよぉ」と、部屋を出てまた歩く。どこへ行こうという目的の無い脚は、とにかく前へ進んでいた。

そして、突き当たりの廊下で大きい扉にぶち当たった。金庫よりも頑丈そうで、ノブの近くにはパスワード入力盤、さらには網膜スキャナーまであった。「どうやって開けるのかにゃ?」と、番号の書いてあるスイッチを出鱈目に押す。何度か否定的な音が流れ、しばらくすると施設全体を揺るがすような警報音が鳴り響いた。「わ、私じゃないよ!」と、ドアから離れる。その場で座り込み、泣きそうな表情になる。

しばらくすると警報音が止み、真里の後ろから田中がやってくる。「岡谷さん、ここには足を運ばないでください」と、起き上がらせて一階まで送る。放心状態となった真里は、再びフラフラと歩き始めた。

「監督、地下室に岡谷さんが侵入し、あの場所を見つけ出して警報を鳴らしました。どうぞ」

「それか今の音は……今、役者たちがざわめいてるよ。どうぞ」

「どうします?また入られたら困りますね。特に大森さんに見られたらどうなるか、どうぞ」

「なら出入り禁止にしておけ、一ヶ月後の撮影の時以外、そこは使わないんだからな、どうぞ」

「了解、オーバー」と、無線を腰にさす。「困ったもんだ……」と、地下への階段付近にある頑丈なドアを閉じ、電子ロックをかける。そのドアには英語で『危険、関係者以外立ち入り禁止』と、赤く縁取られた文字が並んでいた。


「さっきの音、何だ?」独房の鉄格子越しに駆けていく田中を見ながら呟く。独房に入って丸一日が過ぎた。昼の様には騒ぎ立てず、大人しくベッドに腰を下ろしていた。腹を鳴らし、苦い顔をしたが、なぜか食べる気が起きず、ずっと一人で考え事をしていた。「俺、世間ではどう思われてるんだろう?テレビや雑誌を見る限り、他のタレントと同じようだけど……なんで俺は川島みたいな人気が無い?」と、自問自答する。

彼のパートナーである川島には、彼には無いカリスマ性があった。どの雑誌、番組、ドラマでも確実に人気にできる、モノにできる、周りの人間も引き立たせるという天性の才能を川島は持っていた。毎シーズンドラマの主役をこなし、今では映画業界から引っ張りだこになっていた。にもかかわらず彼は片っ端から受けるようなことはせず、キチンと仕事を選んでこなしていた。つまり、川島は柳谷よりも仕事のやり方をわきまえているのだ。

 それに引き換え柳谷は川島に注がれるスポットライトを自分のモノだと勘違いし、ファンには素っ気ない態度をとり、仕舞いには乙女系アイドルとの問題を引き起こす始末だった。

事務所側も彼には見切りを付け、ユニットを解散させる方向へ向かっていた。そして業界から柳谷を干し、世間から忘れさせようとしていた。そこまで彼は追い詰められていた。

そこまで悟ると、彼は情けなくなったのか一筋涙を流し、体育座りの状態で涙ぐみ、肩を揺らした。「俺って……なんなんだよ!ちくしょう……」

「どうかしました?」警報騒ぎを解決させた田中が顔を出す。

「うるせぇ!お前に何が分かる!何が!ちくしょう!」今日は『チクショウ』くらいしか声に出していなかった。

「はい、わかりました」と、目を細めて扉から遠ざかる。「……三人とも、熱が入りすぎているなぁ……でも、岡谷さんは少し様子が変だな。プロデューサーの言うとおりなのかもなぁ……だったら映画どころじゃないなぁ……」と、溜息を吐く。「でも、その騒ぎが起こる前にこの映画を世に出さなければ……」


「今の音は?」ウイスキーの入ったグラスを手の中で転がしながら不快な表情をする。「敵集か!」と、台本のセリフを言い本番の撮影風景を思い浮かべる。「うん、まだまだだ」と、ブランデーを啜る。どのくらい飲んだのか線を引いてあるのが頷けるほど、この酒は豊潤な味がした。鼻の中で香が通り抜け、舌を程良いアルコールが刺激し、喉にその余韻が残る。

「ふぅむ……なんていうウイスキーだ?」と、ラベルを見る。『メーカーズマーク』と、書かれていた。「今度買って、あいつ(奥さん)と飲むか」と、もう一口啜る。


東京都 葛飾区 大森邸


「じゃんじゃん開けちゃって!飲まなきゃ損よ!」留守番を頼まれた青年が、今大森が舌鼓を鳴らした酒のボトルを片手に声を上げる。

「でもいいのぉ?ここ大森玄の屋敷で、あなたは留守番でしょうに」と、青年の彼女がワイングラス片手に赤い顔で声を出す。

「他にご質問は?」と、近くのテーブルに置いてあるワインを取り、彼女の持つグラスに注ぐ。

「以上です!裁判長殿!ひゃっほー!」と、三十万はするワインをがぶ飲みする。そんな彼女の足元にはその倍以上高いワインの瓶が三本ほど転がっていた。 

「いいかお前ら、あと二ヶ月であいつが帰ってくる。それまでに綺麗に掃除するんだぞ!」

「じゃあそれまで遊び放題ってことか!」

「そういう事だ!」と、出前したピザの上に高級缶詰のキャビアを乗せ、丸めて食べる。「ぜーたく!こんなの今時のグルメ番組でも食えないぜ!」


 アメリカ ネバダ州 ラスベガス


 東京の数倍煌びやかなネオンを放ち、偽物ではあるが世界中の歴史的建造物がある街、ラスベガス。そのラスベガスのカジノに大森夫人がダイス片手にはしゃいでいた。その夫人の隣には不倫相手の男がベッタリとくっついていた。

 「何番?ねぇ何番?」と、肩をリズミカルに揺らしながら聞く。

 男は頬に笑いを浮かべ、甘い吐息で「九なんていいんじゃない?」と、囁く。

 「よぉし!ナイン!」と、ダイスを振る。向こう側の壁に辺り、しばらくダイスが回転する。一つは五で止まり、もう一つは四で止まった。「やった!やった!これで五十万ドルだ!」と、大声を上げる。

 「やったねハニー」と、どうしてもハニーという歳ではない夫人の唇を奪う。

 「もちろんよ!ダーリン」と、舌を絡ませる。しかし夫人は気づいていなかった。男の片耳には常に小型イヤホンが袖には小型マイクが仕掛けられている事に……。


 沖縄県 謎の島 浜辺 三日目


 「ん~……ぐぅ!」唸り声と共に夏美の体に激痛が走る。奥平程ではないが、彼女の体も筋肉通の魔の手に囚われていた。思うように体が動かず、まるで老婆または生まれたての小鹿の様に立ち上がり小屋の外へ向かう。

 彼女はいつも早く起きて顔のマッサージや体操をしていた。深呼吸で始まる部分では痛みに喘いだが、深呼吸で終わる頃には痛みにすっかり慣れ、普通に体を動かしていた。改造期間中の痛みに比べたらこんなモノは痛みの内に入らない。彼女は勝ち誇ったように鼻息を鳴らした。

 スタッフ達はすでに起床し、本日のスケジュール通り体を動かしていた。加藤、内海は機材をいじり、神谷は朝ご飯の支度をしていた。大塚監督は今日も島の周りを走っているようで姿は無く、代わりに千葉を目にした。

彼を見るのは久々だった。体の筋肉をほぐしているのかストレッチをしていた。そのストレッチ方法は目を見張るモノがあり、夏美はつい見入ってしまった。千葉は気づいたのか笑顔で手を振った。夏美もワンパターンな表情で手を振り返す。

すると、千葉は何を思ったか急にバック転を始めた。しかも一回ではなく、砂浜が続く限り何度も繰り返した。「おい、千葉ぁ!」神谷が声をかける。

すると千葉はバランスを崩し、頭から砂浜に落下した。「アベし!」

「あちゃあ……」と、夏美は苦笑した。しばらくスタッフ達の動きを目で追いながら深呼吸をする。顔のマッサージを終える頃、森の近くに佇む男を目撃した。影の薄いカメラマン、戸谷だった。彼は朝だというのに鷹か山猫の様な鋭い眼差しをしながら正面を見据えていた。手にはハンディカメラを持ち、じっとしていた。しばらくすると空を見上げ、一枚撮る。そしてカメラを首にぶら下げ、一息ついてその場にしゃがみこんだ。

「何なんだろう?あの人」と、首を傾げる。時計を見るとまだ朝飯には早く、まだ小林と奥平は眠っていた。

夏美は洗面用具を片手にこっそりとシャワー室へと向かった。神谷に見られていないか確認しながら服を脱ぎ、シャワーを浴びる。

「……」シャワー室に置いてある鏡を見る。そこには自分で見ても美しい裸体が写っていた。しかし、この姿は別人にしか見えなかった。

整形を終えて六年程経つが、どうしてもこの姿には慣れる事が出来なかった。子供の頃の冷たい視線や軽蔑の眼差しはなく、代わりに今ではイヤらしい視線や妬みの眼差しが突き刺さってくる。別人の皮を被っても、刺さる視線は同じように思えた。そして、今の視線に彼女は負けそうになっていた。

自分の顔、体を活かしきれない……なぜ両親はこんな美人に作り替えたのだろうか?あたしは『並みでいい』と言ったのに……三年かかるモノが五年もかかってしまった。五年間の苦しみから得たモノは素晴らしいモノだったが、それを使いこなせず、他人に振り回される自分がいる。そんな自分が情けなくてしょうがない、今の彼女の心はそんな言葉で埋もれていた。

すると、夏美の口が不意にしょっぱくなった。本人に気がつかない内に涙が出てきたのだ。ちなみに彼女の涙腺は手違いにより塞がってしまい、目からではなく、鼻や口から涙が出るようになってしまった。

「ぺっ!」涙を吐き捨て、シャワーの水を止める。弱気になってはダメだ。そう、なぜこの過酷な映画撮影の中に自分を置いているのか思い出せ!ここで一皮むけるんだ!ここであたしを試すんだ!ここで……あたしの将来が決まるんだと、自分を鼓舞する。

 びっしょりと濡れた体を拭い、下着を付ける。「……よし……もう弱気にはならないぞ!こうなったら徹底的に強気になってやる!」と、シャツを着てシャワー室から出る。

 目の前に神谷の顔のドアップが現れた。「あ!おっしぃ!もう出ちゃったか!」夏美が昨日渡しそびれたモノを渡す。バッチーン!「いったぁい!」

 「……ばぁか!」と、頬に紅葉を作った神谷を尻目に小屋まで歩いていった。


 「よぉし!行って来い!日没までには全地区を回って来いよ!」と、大塚がメガホンも使わずに大声を上げる。

 「では、行って参ります」と、千葉が敬礼して先頭をきって歩く。その後ろを小林、夏美、奥平、そして……。

 「こらぁ!ノタノタ歩くんじゃない!」内海が後ろから大声を上げる。朝飯の時に奥平がブツクサと文句を垂れたので、大塚が内海に指示したのだった。

 「そんな事言われても、体が……」と、全身からの激痛を耐え、奥歯を噛みしめながら歩く。

 「なら、加藤から貰ったこの薬でどうにかしてやろうか?」と昨日、加藤が持っていた注射器を取り出す。三本ほどケースに収納されていた。

 「やだそれ!なんだか病みつきになりそうだからやだ!」と、涙目になりながら無理やり脚を動かす。あのカンフル剤には絶対にモルヒネか覚せい剤が入っていると思っていた。

 「そうか、なら脚を上げて腕を振れ!こんな事、幼稚園児でもできるぞ!」と、奥平の尻を軽く蹴飛ばす。

 「ひぃぃぃ!」今の彼にとって体全身が急所と化していた。

 そんな彼を差し置いて先頭の三人は意気揚々とハイキングを楽しんでいた。小林は普段から体を動かしているので筋肉痛は全くなく、夏美も筋肉痛の痛みにはすっかり慣れ、それになっていた事すら忘れていた。

 「二人とも丈夫だねぇ、昨日はあんなにしごかれたのに」千葉が機嫌の良さそうな声を上げる。彼はいつでも上機嫌だった。

 「慣れてますから」夏美が楽しそうな声を上げる。ハイキングなんて中学生の頃以来だったし、都会の空気とは違う自然の空気が頭に浸透し、少々ハイになっていた。

 「なるほど、日本本土の自然とは少し違いますね」と、草木を見る。彼の目は鋭かった。ここに以前いたアメリカ兵の悪ふざけか偶然かは謎だが、海外の草の種が島中に散らばっており、今ではもう日本の島とは言えない生態系になっていた。もちろん、アメリカや他の国から持ち込まれた虫や動物なんかもいたりする。

 「ハブいるかなぁ!ハブ!」と、夏美が目を輝かせる。沖縄と言ったらハブ否、ハブとマングースのショーだと思っていた。

 「ハブはいないみたいですねぇ、代わりに昨日はワニに遭遇しましたよ?」

 「ワニ?」

 「えぇ、日本では見ない大きめのワニでビックリしましたよ……」彼の見たワニは、悪ノリしたアメリカ兵がペットとして持ち込んだアメリカワニだった。今ではアメリカ本土で希少な存在となり、保護対象にされている生き物だった。保護されている理由は『人間を襲う害獣として駆除され、数が激減された』為である。

「そんな奴に遭遇したら?」小林が恐る恐る聞いてみる。

 「悪戯に刺激しないよう、目を合わせながら後退してください」

 「それって、熊に遭遇した時の対処法じゃない?」と、夏美が突っ込みを入れる。

 そこで突っ込むタイミングを逃した奥平は、彼らの後ろ二十メートルの所で首を押さえて喚いていた。「やだぃ!その注射だけは打たないでくれぇ!」

 内海は奥平の体を羽交い絞めにして注射器を構えていた。「騒ぐな!それにこの薬に非合法な薬物は入っていない!」

 「嘘だぁ!絶ぇ対ぃ嘘だぁぁぁぁ!」


 沖縄県 謎の島 謎の施設


 外の喚き声に気付き、頭を上げて大あくびをする大森。久々に寝酒を飲んで寝た為、頭の中がふんわりとしていた。指揮官室の窓を開き、空気を胸一杯に味わいたい気分だったが、それを我慢する。台本によると彼のキャラは延々地下室で悪だくみをするキャラクターだった。ゆえに役作り中は外には出れない、と自分で勝手にルールを作っていた。「そうだ!地下室だよ」と、部屋を出て階段を下る。辺りを歩き回り、地下へと通じる階段を探す。

 「おはようございます、どうかしましたか?」背後から田中が声をかける。

 「あぁ、地下室への階段はあるかな?」

 「あ……現在、この施設の地下は閉鎖されています。一ヶ月後の撮影の時に開放するつもりです」と、淡々と説明するが少々焦っていた。大森だけは地下室に入れるわけにはならない。もしも入れて、この施設がどういう事をする為の施設なのかバレたら撮影どころではなくなるからだ。

 「スマンがその地下室を今、解放してくれないか?役作りの為に我慢してここに滞在しているんだ!このくらいの注文くらい受けてもらうぞ!」半分、いや殆ど彼のキャラになりつつあった。

 「それは困ります……第一、私の一存では……」

 「ふざけるな!なんなら監督やプロデューサーに話をつけても構わんのだぞ!」と、朝から大声を出す。

 「わかりました……」と、腰の無線機を取り外してスイッチを入れる。「監督、大森さんから話があるそうです。今代わります」と、大森に無線機を渡す。

 「おい監督!どんな理由があるかは知らないが、この男が地下室へ入れてくれないのだが?」

 「そりゃあ入っちゃあいけないなぁ」と、大塚が上から目線の声の出し方をする。「地下室はアメリカ兵が置いていった武器弾薬や爆発物が大量に残っている。あんたの役柄だったらたぶん、そこを葉巻咥えて練り歩く気だろう?それをやられちゃうと撮影どころじゃあなくなるんだよ、だからそこの助監督もそうならないようお願いしてるんだろうが」

 「ほ、本当か?」大森の顔が青ざめる。

 「えぇ……撮影前にはその武器弾薬を撤去してセットに使う小道具を入れるつもりですから」と、監督が即興で考えて吹いたホラに感心する。

 「そ、そんな危険な場所に我々を泊めるな!」

 「火を地下室に放たなければ安全ですよ。人さえいなければ、武器は大人しいですから」と、監督が笑いを含める。「では、引き続き役作りをお願いしますよ、大森さん」

 「う、うむ……」と、肩に入れた力を抜く。懐に入れた葉巻を咥え、噛みつぶして火を点ける。「ここで我慢してやる!」と、足を踏み鳴らして歩いていく。

 大森が遠くへ行くと、田中が大きなため息を吐いた。「まったく……」

 「本当に、まったくだ。どうぞ」

 「監督、よくうまい嘘をつきましたね。どうぞ」

 「同じようなもんだろう?あそこにあるモノはよ?どうぞ」

 「はは、確かに……時間を取らせてしまい、すみませんでした!オーバー」と、無線機を腰に戻す。


 「くそぉ……くそぉ……」昨日から一睡もできなかった柳谷は一人で悪態をついていた。頭の中には今でも『これから俺はどうすればいい?このデコレーションの派手な空箱男は?』というテーマで一杯になっていた。「ちくしょお……助けてくれよぉ……誰かぁ!俺が何したってんだよぉ!」と、喚く。

 「あの、食事ですが?」と、田中が覗く。

 「見るなぁ!今の俺を見るなぁ!そんな目で見ないでくれぇ!」と、タオルケットを頭から被り、部屋の隅でうずくまる。

 「……そうですか、食事はここに」

 「いらねぇよぉ!持ってって自分で食えばいいだろう!ちくしょう!」うずくまっていても、昨夜から何も食べていなくても、大声を出した。

 「そうですか……立派です」と、トレイを持ち上げる。彼は柳谷が役作りの為に絶食しているのだと勘違いしていた。確かに彼の演じる二重スパイは苦悩に疲れてやせ細った男だった。

 「立派だと?」スクッと立ち上がり、力の抜けた目で田中を睨む。「誰が立派だと!適当な事を言うんじゃねぇ!」と、鉄格子から両腕を出して田中の胸ぐらを掴んだ。『ふざけんな!お前に何が分かるんだ!こんなしょぼくれた俺の事なんざ何一つ分からない癖に何を言いやがる!馬鹿にするんじゃねぇよ!ちくしょうがぁ!』と、唾を吹きかけんばかりに怒鳴りつけた。本人は気づいていないが、脚本の中に出てくる彼のセリフと全く同じ一説だった。

 迫力あるこのセリフに田中はより一層感動した。独房に閉じ込められた現代を代表する日本の若者(チャラ男)がたった一日半でここまで化けたのだ。

 田中は満足そうな表情を浮かべ、独房のドアの前から遠ざかった。まだまだ日本も捨てたもんじゃないな、そう思いながら腕を組む。


 「もう限界だぁ!薬ぃ!薬が欲しいよぉう!」本人の気がつかぬまま二号室へ戻ってきて、昨日食べたレーションを吐き散らし、怒鳴っていた。もはや今の彼女にテレビの中の売れっ子女優岡谷真里の姿は無く、今あるのはただ薬でボロボロになり、哀れな醜態を曝す一人の薬物中の真里だった。

 「誰かぁ……助けてよぉ……苦しいよぉ熱いよぉ……寒いよぉ……」と、演技以外では流した事のない涙を流す。「だれ……か……」と、床を這いつくばりながら泣く。「うわぁぁぁぁぁん!誰かぁ!」

 すると、真里の目の前にいつの間にか本が置かれていた。台本ではない、分厚く、高級感漂う皮張りがしてあった。「なに?これ?」涙目でその本の表紙を眺める。

 その本は全編英語で書き綴られていた。長々と説教臭いその本には、見る人が見れば、それはそれは有り難くも厳しく、それでいて救いと慈悲で満ち溢れた事が書かれていた。

 腐っても英文学を専攻していた元インテリアイドルの眼にはその英文が手に取るように読めた。「ホーリー……バイブル……?」『神』という男の事が延々と書き綴られている本だった。「第一章……神は……」泣くのも吐く事も忘れ、虚ろな目で英文に没頭し始める。


 沖縄県 謎の島 山頂


 「着いたぁ!」と、夏美が両手を上げて背筋を伸ばす。彼女たちのいる地点はDの4地点であり、島の一番高い場所だった。そこには水が湧いており、西へ向かって下流に流れていた。その先のDの2地点に小さな湖があり、昨日そこで千葉はワニを見たと言った。しかも三匹も。

 「へぇ……緩やかな丘でも、頂上から見える景色は全然違うなぁ……やっほー!」と、小林が調子にのって山彦するか試してみる。

 帰ってきた言葉は「やかましい!」だった。彼らの五十メートル後ろでへばっていた奥平がむしゃくしゃして言い放ったのだ。結局内海に無理やり注射を打たれ、ここまで歩いてきたのだ。

 「はぁ……お弁当持ってくればよかったなぁ」夏美はその場に座り込み、小さく溜息をついた。

 「あ、神谷さんから渡されたよ!はい、松山さんの」と、手にした包みからおにぎりを二つ取り出し、夏美に渡す。

 「ありがとう」と、笑う。

 「う~ん」夏美の笑い方を見て小林が唸る。

 「どうしたの?」サランラップを開きながら問う。

 「松山さんの笑い方ってさぁ、なんかその、ワンパターンだよね?」と、夏美が気にしている事をズバッと指摘する。

 「うっ!やっぱりぃ?」

 「うん、だからさ、もっと豊かな表情で笑ったら?ほら、千葉さんみたいにさ」と、千葉に顔を向ける。千葉は湧水で顔を洗い、「ぷは~」と、気持ちいいと叫びたいような声を上げていた。

 「よ、よし」と、千葉の顔を見る。網膜にしっかりと焼きつける気持ちで睨みつけ、しばらくすると目の裏にその顔が写る。その映像を頼りに顔のどこの筋肉をどう動かせばいいのかを想像し、目を開ける。

 小林の目の前で千葉そっくりの表情をして見せる。とても強引で、引き攣っていて、不自然な化け顔になってしまった。

 「あ……あは、あは……その調子、鏡を見て練習だな……うん」と、おにぎりに齧りつく。

 夏美はすぐに無表情に戻り、何がいけなかったのかを考えながらおにぎりを齧った。

 「はぁ……はぁ……やっとついたぁ……」と、奥平は地面に顔から突っ込み、そのまま動かなくなる。「み……みずぅ……水を……」と、絞り出す。

 「そこに湧水があるから、顔でも突っ込んで飲んだら?」夏美は素っ気なく答えた。そのセリフの通り、奥平は湧水に顔から突っ込み、そのまま動かなくなった。

 「ばかやろう!」と、内海が奥平を引き上げる。たった数瞬だったが、引き上げた時には奥平の表情はまるでドザエモンの様になっていた。「死んだか?おい」返事は無かった。


 東京都 港区 青山霊園


 真昼の午後十二時に、この青山霊園に二人の女性が訪れた。一人は背が高く、高級感漂う材質でできたスーツを身に纏い、サングラスをかけていた。手には花束を持っていた。そう、小林達をスカウトした映画プロデューサーの増山玲子だった。そのやや斜め後ろにいる付き人の女性もまたスーツを着ていた。玲子とは違い、見た目よりも機能を重視したスーツを着ていた。視線は常に正面に置き、まるで目の前に獲物でもいるかのような表情をしていた。

 玲子の付き人が、木製の桶に水をくむ。しばらく二人は眩い太陽光の中を歩いた。三十五度を超す気温の中をスーツ姿だというのに二人は汗一つ垂らさず、眉一つも動かさなかった。

 やがて二人は目的の墓の前に立つ。玲子はサングラスを胸ポケットに仕舞い、一度手を合わせた。背後の付き人は腰の下で手を組み、じっと玲子の背中を見ていた。しばらくすると、玲子は柄杓で水をすくい、何度も墓に水をかけ、墓前に供えた湯の茶碗の水を取り換えた。その動作を見ながら付き人は懐から線香の束を二束取り出し、慣れた手つきで火をつける。辺りに線香独特の煙が立ち込める。玲子がその線香を取り、墓前に並べる。そして玲子は、懐からタバコの箱を取り出し、二本咥えて火を点ける。一本を線香の隣に置き、もう一本は自分で吸った。静かに目を閉じ、何かを考えるような表情で吸い、紫煙を空に向かって吹きつける。「ふぅ……」

 「ちょっと、あなた」玲子の二つ隣の墓に来ていた女が近寄ってくる。四十代半ばの中年だった。その後ろにはメガネをかけた髪の薄い男が鼻を袖で隠していた。「ここでタバコを吸わないでくれるかしら?私の両親や、ここの墓の人にも迷惑よ!」と、眉を吊り上げる。その女の胸には禁煙運動のバッジが誇らしげに光っていた。

 「この人の弔い方にケチをつけるのはやめていただきたいなぁ」と、玲子の付き人が訝しげな表情で嫌煙家の顔を見る。玲子は女の文句には耳を貸さず、いまだにタバコを吸い続け、ゆっくりと煙を吐いていた。

 「でもね、その弔い方でどれだけの人に迷惑をかけるかわかる?その副流煙がどれだけ体に有害で、どれだけの人がタバコに殺されてきたのかわかる?」自分の意見は絶対に間違っていない、そんな言い方をしながら付き人に詰め寄った。

 「えぇ、癌になったり脳卒中になったり心筋梗塞になる確率が上がるんでしょう?はいはい、分かってますよ」付き人は面倒くさそうな顔で耳を穿った。

 「分かっているなら即刻、ここでタバコを消して携帯灰皿に捨てなさい!それがマナーでしょ!」と、指まで向ける。禁煙運動の為なら何でもやる、暇を持て余した主婦の典型的な行動だった。

 「うるさいなぁ、あんたみたいな迫害主義者がいるからどんどん世間が狭くなるんだよ」付き人が欠伸を噛み殺し、口を開く。「アメリカがこういったから私たちもこう、あらそっちを向くの?なら私たちも、っていう臆病な日本人の典型だね、おばさん」

 「なんですって!」声を張り上げる。

 「大声出さないの、ここは墓地だよ?」と、口の前に指を持ってくる。

 「何を言ってるの!あなた達の方が迷惑よ、マナー違反よ!タバコなんて吸う人がおかしいんだわ!出て行きなさい!即刻この神聖な場所から立ち去れ!」額に血管を浮き上がらせる。

 「あんたが立ち去れば?」と、付き人は懐からスプレーを取り出し、女に吹き付けた。女はせき込みながら後退した。

 「何これ!」

 「ストロンチウム90を濃縮したヤツよ」と、スプレーのラベルを見ながら言う。「これを浴びると被爆して、発癌率がグーンと上がるのよ。知ってる?」

 「え?何?何を言ってるの?」目を擦りながら顔をクシャクシャにする。

 「あんたみたいなヒトラーを駆除するのに使ってるのよ。早く病院で検査して貰わないとヤバいかもよ?ほら、体の芯がムズムズするでしょ?これは被爆してどこかしらに腫瘍ができる合図なのよ。あらあら?汗が出てきたみたいね……早くしないと……」と、言ってる間に女はつれの旦那らしき男を連れて早々に青山霊園から出ていった。「ばぁか、愛煙家を舐めんなヨ」と、スプレーを髪に吹きかけ、髪型を整える。「これはただの整髪用スプレー。本物はこっち」と、ポケットから例の原子力マークが張られている小型のスプレー缶を取り出し、にっこりと笑った。

 「本物も持ってるの……高野」墓前に供えたタバコがフィルターを残して灰になる。玲子はフィルターと自分の吸っていたタバコの吸殻を携帯灰皿に入れた。

 「管理は万全なので被爆の恐れはありませんよ」と、ポケットに仕舞った。付き人の名は高野美和子といった。玲子の仕事やプライベートなどには必ず同行している謎多き女だった。

 「いや、そんなモノを持ち歩くのはどうかと」と、帰る準備を始める美和子を眺める。相変わらず無駄のない動きだと関心はするも、どこかに危険に満ちた謎をもつ美和子に少々畏敬の念を抱いていた。一応、私の方が立場は上だが、きっとこの女には勝てないだろう、玲子はそう思いながら苦笑した。

 「では、今日の午後からのスケジュールと読み上げます。これから……」と、淡々とした口調でスケジュールを読み上げる。膨大な量ではあったが、うまく内容がまとまっているのでわかりやすい。「……以上です」

 「わかったわ……ふぅ、しかし映画の仕事は忙しいわね。あっちこっち飛びまわらなきゃいけないし、どこかしらにコネを作らなきゃいけないし……私とあなたがもう一人ずついればねぇ……」

 「作ります?」

 「冗談でしょ?」

 「私はもう作りましたよ?ほら私に無口な妹がいるんですよ。あの子が……」

 「冗談だといいなさい」と、玲子が目を鋭くさせる。

 「はい、冗談です」と、頭を掻きながらおどけて見せる。

 「ついでに先程のスプレーも冗談だといいなさい」

 「えぇ……冗談ですとも」と、楽しげに空を見上げる。

 「なら、よろしい」と、踵を返して出口へ向かう。「では早速、S工業大学へ向かいましょうか」と、新型機種の携帯を取り出し、操作を始める。

 「ヘリを使いますか?」

 「都内よ?タクシーで十分」

 墓地を出てしばらく歩く。「あのぉ、ポケットの中の保冷剤が温くなってきましたね」

 「そうね、近くのスーパーで何個か貰いましょうか」

 

 沖縄県 謎の島 山頂


 「ん?」奥平が薄く眼を開けると、そこには内海の厚い唇がゆっくりと迫っていた。「うぎゃぁ!わぎゃあ!」と、起き上がり内海から八メートルほど離れて震える。「なんで!なんで俺にその厚い口……を?」

 「あんた死にかけてたんだよ?それを助けようと内海さんが人工呼吸をして……」夏美が半笑いになりながら太股を叩く。

 「なんで夏美ちゃんがしてくれないの!」

 「だってあたしできないモン」と、ワザとらしく口を膨らませる。

 「はぁ……まぁとにかく、唇を奪われる前に起きたんだからいいか……」と、安堵の溜息を吐く。

 「え?奥平さんはもうかれこれ一五分も気絶してたんですよ?みんな心配してたんですから。意識が戻って良かった!」千葉が腕を組みながら安心したように頷く。

 「おうぇぇぇぇ!」と、奥平が近くの川に向かって吠える。そして水で口を何度もゆすぎ、うがいをする。「もうやだよぉ……」

 「もう助けてやらん!」内海も持参の水筒で口をゆすぎ、ペっと地面に吐き捨てた。

 「で?これからどうするんでしたっけ?」小林が千葉に目を向ける。

 「えぇっと、地図に沿って島を歩き回って、地形や木の生え方などを見てもらい、頭と体に覚えさせます」

 「一日じゃあ無理でしょ?」夏美が言う。

 「えぇ無理でしょうね。ですから、筋トレと遠足を交互にやるんです。明日は筋トレ、明後日は遠足という形で」

 「わかりました、では行きましょうか」と、小林は腰を上げ、川に沿って山を下り始める。夏美も小林の後に続いて並ぶ。

 「この川にワニがいるんだってさ……どうする?」夏美がワクワクする子供の様な声を出した。

 「まぁ構わなければ襲ってこないさ……はは」と、小林は苦笑いをした。本物のワニを柵無しで見るのは初めてだった。

 「待ってくれぇ、もうこの人と一緒に歩きたくないぃ……」奥平は急いで内海から離れようと体を動かしたが、疲労で思うように動かず、その場でもがいた。

 「ここで死なれたら映画が撮れん。早く立って歩け!」と、奥平の首根っこを掴んで無理やり立たせる。

 「ちくしょう……大人しくバラエティーで腐っていた方がマシだった……」と、近くの長目の棒を拾い、つきながら歩き始めた。

 

 東京都 渋谷区 下水管工事

 

 「おいチャーリー!そこの図面を取ってくれ!」「チャーリー頼む、後でタバコを買ってきてくれ!」「なぁチャーリー、仕事が終わったら銭湯に行って一杯やろうや」仕事中、本田は仕事仲間にすっかりチャーリーという愛称で呼ばれるようになっていた。本田自身もこの愛称に慣れ始め、今では自分から『チャーリーです』と名乗る程になっていた。

 「なぁあんた、なんだかイキイキしてるね。昨日とは大違いだ」現場監督がチャ……本田に声をかける。

 「はい、なんだか愛称で呼ばれるようになってからその……キャラが立ってきたというか、とにかくうれしいんですよ」と、にっこり笑う。彼は幼稚園の頃から愛称で呼ばれた事が無かった。だから今、彼にとってこのチャーリーという愛称はうれしくてたまらなかった。

 「ま、がんばれや。いつかその名前でテレビに出るあんたを見てみたいよ、チャーリー」と、現場監督が笑う。

 本田、いやチャーリーはしばらく仕事を続けながら考え込んだ。このままガチャポンズとして奥平におんぶして貰いながら歩いていくか、それとも自力で芸能界で食べていくか悩んだ。しかし彼にはこれと言った才能がなく、自分でもただの木偶の棒だと自覚していた。

 だが、芸能界の仕事の中にも木偶の棒にしかできない仕事がある。それをうまく見つけていけば、生き残る事が出来るかもしれない。チャーリーはこう考えた。

 「よし!これからはチャーリーとして生きるぞ!」と、本田は車の交通整理をしながら吠えた。その声は、渋滞のクラクションの音や周りのざわめきによって、虚しくかき消された。


 沖縄県 謎の島 謎の施設


 「……もう、疲れたな」か細い声で柳谷が言う。骨ばったパイプベッドに寝転がり、鉄格子の入った窓からこもれ入る日差しを眺める。その光から目を背け、タオルケットを頭から被った。ドアの前に置かれた朝食には全く手はつけられておらず、米は渇き、味噌汁も冷たくなっていた。

 「……ここにいたの、柳谷君」と、しおらしい声が独房に入ってきた。その声の主は真里だった。頭からタオルケットを被り、先程まで読んでいた本に出てくる登場人物になりきっていた。

 「一人にしてください、あなたにはわからない悩みを抱えているんですから……」

 「その悩みを、共有してはダメかしら?」と、ドアの前に座り込む。

 「何?俺の悩みが、あんたみたいな人に分かるのか?」彼は少々苛立ちを覚えた。彼から見ると岡谷真里はアイデンティティーを持った人間に見えていた。それに引き換え柳谷にはそれが無いと思い込んでいた。

 「わからないわ……でも共有できたら、あなたの苦しみの半分でも取り除けるのならば、私は何でもやります……」

 「はぁ……だったら、この部屋から離れてくれ。そして話しかけないでくれ……」

 「わかりました……あなたは私を信じられないのですね?」と、腰を上げる。「いいですか?信じる事の出来ない者、心を開けない者に救いはきませんよ?」と、独房から離れた。

 「……役作りか?あんな役柄だったっけ、あの人」と、台本を開く。

 

 「なんだ?その格好は?」大森が真里を見た途端、咥えていた葉巻を落としそうになる。大森は以前、真里とドラマで一緒に仕事をした事があり、彼は岡谷真里という女優の事を知っていた。彼の知る限り彼女はしおらしい女ではなかった。

 「清らかな服装でしょう?あなたもそんな不浄なる服を脱いで、もっと罪の無い恰好をしてみたら?」と、顔に笑いを浮かべながら言う。大森は指揮官室にあった指揮官の着ていた制服に袖を通していた。見た目はもう役に入りきっており、いつでもカメラが動いてもいいような顔をしていた。

 「なに?お前は俺様の……ゴホン!俺の組織の直属の殺し屋の設定だろうが!その役に早くなりきったらどうだ?」

 「わたくしはこの恰好で出ます。たとえ回りがサイコだの狂人だと言っても構わないわ。皆、地獄に落ちるでしょう……」と、大森の顔の一個分上をみながら微笑む。

 「何があったんだ、あんた?何か変な薬でも飲んだのか?」

 「クスリ!……あれはわたくしにとっての砂漠……そう、試されたのです。いえ、今でも試されているのです。わたくしは耐えます!この苦しみに!」と、体をもじもじとさせる。

 「……噂は本当だったか……」と、肩を落としながら葉巻を吸う。「あ!あんたぁ!ちょっとこっちに来てくれ!」と、遠くにいる田中を呼ぶ。

 「はい?なんですか?」田中は相変わらず澄ました顔だった。

 「こいつがなんか、変なんだ。お前からもなんか言ってやれ!」

 「……?岡谷さん?どうしたんですか?」真里の目を注意深く見ながら尋ねる。目の色や皮膚の色、汗のかき具合などを見て禁断症状の程度を予想する。彼の予想は末期の向こう側だった。

 「わたくしは試されているんです。我儘ですみませんが、この状態、この恰好で映画に出させてもらいます」

 「そうですか……わかりました」と、少々苦い顔になる。顎に指を当て、何かを考えながら唸る。「聖書の最後に書かれていたのはどんな内容か知ってます?」

 「ヨハネの黙示録よ。最後の審判……我々が報われる日……」真里はさらっと答えた。その答えを聞いた田中は安堵のため息を吐きながらも焦ったような顔になっていた

 「おい?どうしたんだ?あんた」と、大森が田中の肩に触れる。

 「いいえ、ちょっと失礼」と、その場から離れ、二号室へ向かう。そこにはどこからか見つけてきたのか蝋燭が数本立ち並び、壁には十字架が飾られていた。その下には聖書が立てかけられていた。「新約聖書……か。旧約よりはましか」と、聖書を手に持ち、懐に仕舞う。腰に下げているトランシーバーに手をかける。

 「緊急事態です……岡谷さんが新約聖書を読んでしまい、人格が変わってしまいました。どうぞ」

 「何!そりゃあ大変だ……まさに緊急事態……って田中ぁ!なんで台本を読ませずに聖書なんか読ませた!あいつの役柄はジャンヌ・ダルクか?どうぞ!」

 「ある意味、そっちにシフトチェンジするのもいいですね。どうぞ」

 「馬鹿野郎!早くなんとかしろ!あと十一日で読み合わせとリハやるんだからな!もし、それまでにあの女がまだマリア様だったら、俺が責任を取らなきゃならん事になるんだ!それがどういう意味なのか分かっているんだろうな!……どうぞ」セリフの最後の部分が震える。まるで背後で銃でも突きつけられているかのような震え方だった。

 「わかっています……どうにかこっちでやります……以上オーバー」と、無線を切り腰に仕舞う。

 「ちょっと」田中の背後から穏やかながらも怒りを混ぜたセリフが飛んでくる。まるでテリトリーに不法侵入した相手に投げかけるような言い方だった。「その懐の本を返してくれる?」と、歩み寄り手を出す。

 「は……私も読んでみたくて、つい……」冷や汗を掻きながら懐から聖書を取り出し、真里に返す。

 「頼んでくれれば、わたくしが読み聞かせてあげるわよ?」と、聖書を開く。

 「いえ……そのぉ……またの機会に……」と、部屋から足早に出る。さらに焦ったような顔になり、親指の爪を噛む。「どうするか……な」

 

 東京都 目黒区 某工業大学敷地内


 とある教授の研究室に男が二人、机越しに向かい合っていた。「教授、どうするんです?アレ」と、学生がコーヒーカップを両手に持って質問する。カップの一つを教授の目の前に置く。

 「……まぁ座りたまえ……はぁ……」と、目の前のコーヒーを啜る。目を細めながら再び溜息を吐き、背もたれに寄りかかる。「やりすぎた。それは分かってるよ。アレは浪漫の遺物といえる代物だ」薄汚れた天井をボウッ眺めながら言う。

 学生はコーヒーを一気に飲み干し、苦い顔をしながら口を開いた。「確かにアレは素晴らしい作品です。SFファンの私にとってもアレは、後世に残しておきたい一品ですよ!しかし、もう我が大学にはアレを維持しておく金はありません!授業中に空調を止めるしか……」

 「そんな事は許さん!今の季節に空調を止められては、我々は死んでしまう!エコではあるが……そんなもの構うものか!地球温暖化問題は君の世代で解決したまえ!」

 「では、どうするんです?解体業者に頼んでアレを引き取って貰うんですか?それでも金はかかりますよ?」と、机をバンっと叩く。

 「そうだなぁ……しかし金は……うぅん……」

 「何とかしましょう!」ノックなしに研究室のドアが開く。そこには玲子が立っていた。

 「あぁ!あなたは……高野さんが見当たりませんが?」教授の表情が一瞬だけ明るくなった。しかし、また先程の浮かない表情になる。彼は玲子の事はよく知らなかったが、美和子とは古くから付き合い(どんな付き合いかは不明)があった。

 「彼女は少し用がありまして……早速ですが相談に乗りましょう」と、ずかずかと部屋に入り、椅子に座る。「あ、コーヒーをお願い。ブラックで」

 「あなたは?」学生が顔を歪ませながら聞く。彼はこんな無礼な女を見た事がなかった。

 「申し遅れました。私は映画プロデューサーの増山玲子と申します。名刺はいりませんよね?学生さん。さ、コーヒー持っておいで、坊や」と、手で追い払う。

 「あの、高野さんならともかく、あなたが我々に何を?」教授が訝しげな表情になる。

 「あなたの浪漫の一品、『ゴールドウォーカー』を我々が引き取ろうという……そういったお話です」と、手を組み、前のめりになる。

 「え!なぜ、あなたが!……高野さんから聞いたんですね?」

 「無論です。彼女があのマシンの設計や組み立て、部品の発注に参加したことも知っています」出されたコーヒーを早速啜る。「インスタント?ふん、ないよりましね」

 「引き取ってくれるんですか?あの厄介者を!」学生が声を上げたが、すぐに噤んだ。教授にとってそのゴールドウォーカーは息子の様なモノだった。

 「えぇ……いえ、引き取るのではなく、買い取りましょう。あなたの言い値で結構です。高野から聞いた話によると確か、材料費だけで五……」

 「いえ、無料で差し上げます。アレには散々乗って痛んでいますし……もうほとんどジャンクみたいなものです」苦い顔をしながら言う。

 「そうですか……ではここにサインを」と、どこからか用紙を取り出し、教授の目の前に置く。教授はペンを取り出し、少々震えた手で自分の名前を書いた。

 「あの……アレをどうする気ですか?もしや映画で?」

 「はい、使わせていただきます。出演料をお支払いしましょうか?」

 「……はい、そのお金は大学に寄付しますよ……最後にあいつはどうなるんですか?」

 「爆破します」

 「そう……ですか……」まるで息子の死刑宣告の知らせを聞いた父親の様な表情になった。

 「教授……いいんですか?」そんな表情をみた生徒は同情の表情を浮かべた。

 「はい……なぁに、また景気が回復したらゴールドウォーカー二号でも作るさ」と、笑顔を見せた。

 「それは無いわねぇ」玲子はサインの記名された用紙を仕舞いながら二人に聞こえないようにボソッと呟いた。

 

 「これがゴールドウォーカー……」玲子は目を剥いて驚いた。彼女が想像していたモノよりも大きく迫力があったからだ。同時に何故こんな物を作ったのか、という疑問が浮かんだ。

 大学の格納庫に静かに佇むそれは、戦車よりも大きく見えた。ゴールドと言うだけに金に近い輝きを放つ黄色で塗装され、車体部分は黒のストライプが塗られていた。

 「……数年前にあった新型ショベルカー開発計画のプロトタイプですよ。キャタピラ部分を堅牢でバランスの良い脚と取り換え、よりスムーズに瓦礫の中で作業できるようにして、アーム部分を二つに増やし、作業効率も上げたんですよ」教授が機体に歩み寄り、やさしくなでる。「しかし、奴らは『足など不要、キャタピラで事は足りる』『コストの事を考えろ』とぬかし、今日のショベルカーはただ……面白みのないあんな武骨な形になってしまったんです……」と、俯き拳を握る。

 「いや、まず大きいですよコレ」学生が口を出す。彼の言うとおり、機体の幅はショベルカー二台分あり、全長は大型ブルドーザーの二倍はあった。工事などを行う乗り物ではなく、まるで戦場へ赴く為のパワードスーツにも見えた。

 「お前には浪漫が分かってないな……」教授は機体に手をついた。「最後に、これに乗っていいですか?格納庫から出す必要があるでしょう?」

 「そうですね。向こう側の中央まで移動させてください」と、場所を支持する。無線機を取り出し、ボタンを押す。「今どこ?」

 「はぁい!もうすぐ大学の敷地です!」美和子の声だった。背後からは何やら激しい風を切るような轟音が響いていた。

 「わかったわ。教授!お願いします」

 「よぉし」と、ハッチを開いてコクピットに乗り込む。内部はロボットアニメを思わせるような密閉空間になっており、目の前にはモニター、手元にはハンドル、足元にはアクセルとブレーキが配置されていた。回りには様々なスイッチやレバーがあり、教授が慣れた手つきでボタンを押し、レバーを上げる。すると、外では古臭いエンジン音や油圧ポンプの動く音、そして咆哮にも似た機体のきしむ音が響いた。近くの学生がビデオカメラを持ち、撮影を始める。機体は玲子が思っていたよりもスムーズに歩き始め、あっという間にグラウンドの中央までたどり着いた。何度か両方のアームが動き、メインカメラの近くのライトが点滅した。そして教授が降りてくる。「満足しました……連れて行って下さい……」涙をこらえるような震えた声を出す。

 「はい」先程携帯から聞こえた轟音が近くなる。上空には貨物輸送用大型ヘリが三機、トライアングルフォーメーションで飛んでいた。次第に高度を下げ、やがてグラウンドに三機とも着陸する。「許可は取ってます」慣れた言い方だった。

 先頭のヘリから美和子が元気よく出てくる。「わぁ!ウォーカーだ!久しぶり!」と、機体に走り寄り、撫でる。「あ!教授ぅ!お久しぶりです!」

 「やぁ久しぶりだね、高野さん。君は何年経っても歳を取らないな」

 「やだぁ!お世辞は言わないの!……ついにこれを手放す時が来たね」と、眉を下げる。「この子の晴れ姿、見に来てくださいね!」と、手を差し出す。

 「あぁ……試写会に招待してくれ」それに答え、堅く握手を交わす。

 「はい、もちろん!」と、元気よく答える。「増山さん、では準備に取り掛かります!」残りの二機から出てきたパイロットが折りたたんだ厚手の布やワイヤーを取り出し、ゴールドウォーカーに取り付ける。その作業はものの十五分で終わり、機体はヘリ三機に固定された。

 「(では、例の港に輸送します)」と、パイロット二名が玲子に向かって敬礼をする。二人は外国人だった。

 「遅れないで下さいよ、増山さん」と笑いかけ、美和子はすぐにヘリに乗り込んだ。一斉に三機が飛び立ち、宙に浮くゴールドウォーカー。

 「さて、私も急がなきゃ。失礼しました。またお会いしましょう」と、玲子は一礼しその場を去った。

 「私のウォーカー……うぅ」教授は今迄堪えていた厚いモノを地面に落した。

 「教授、また設計しましょうよ。もっとコンパクトで、研究室にも置ける奴を……」

 「やだい!乗れなきゃやだぃ!」

 「困った人だなぁ……」後に彼らは、次世代二足歩行型車椅子『メタルウィール』の計画に携わることとなる。それはまた、別のお話。

 

 沖縄県 謎の島 謎の施設

 

 「おい若いの。まだこんな所で腐ってるのか?」大森が葉巻を咥えながら現れる。軍服を着ているのでその姿は、どこぞの国の戦争好きな大統領にそっくりだった。

 「カギがないんだよ、だから……」

 大森は役の中で見せる為のキャラクター特有の癖のある挙動をしながら言った。「役作りは進んでいるのか?」

 「いいや、それどころじゃないんだ……」と、鉄格子の向こう側の夕日を眺める。

 「それどころじゃあ?ふざけるなよ、お前!俺達は今、映画を撮る、それだけの為にこんな場所に監禁されているんだぞ?役作りする為にこんな所に……なのにお前はそれもしないで黄昏やがって!」

 「なんです?だったら貴方はどうなんです?今まで自分と向き合った事はありますか?」

 「なに?俺はいつも自分と向き合っているぞ!」

 「そうですか?僕にはそうは見えませんね。そんな服を着て葉巻まで咥えて役作りですか?しかも、そんな自分が普段やらない様な表情まで見せて……」

 「何が言いたい!」

 「あなたにはきっと、『自分』が無いんでしょう?僕と同じ空っぽの人間なんだ……だから貴方は役になりきる事で心の隙間を埋めているんですよ」

 「なにをバカな事を……」セリフとは裏腹に声から勢いが抜ける。

 「あなたは怖いんでしょう?自分と向き合うのは……そりゃそうだ、僕だって怖い」

 「お前、そんな役柄だったか?」と、台本に目を落とす。

 「ほら、そうやって自分の都合のいい介錯をするんだ……」

 「やめろ、もう黙れ!」葉巻片手に指を差す。

 「鏡で自分を見ろ、そして一度向き合うんだ!あなたにもそれが必要だ!」と、指を差し返す。

その時、大森にはその指から何か強烈な衝撃波が飛んでくるような感覚を覚え、一歩後退した。葉巻を取り落とし、独房から離れてトイレに向かう。トイレの流しの前にある鏡に映る自分の顔を見る。「これは、俺じゃない……」頭のネジが飛んだのか、彼らしくないセリフだった。

 「やっとうるさいのが消えた……」柳谷は溜息を吐き、鏡を見た。「俺に無く、川島にあるモノ……俺にあって川島にないモノ……くそ!俺には無いモノだらけだ!」枕に顔を押し付け、耳をふさぐ。「チクショウ……俺はいったい何だ!何のために芸能界に入ったんだ!」

 

 東京都 某テレビ局 駐車場


 「川島クン!君に会いたかった、どうだい!いい仕事があるんだ、私と組まないか?」映画プロデューサーの譲和夫が川島に歩み寄る。それに対して川島は逃げるような歩調で歩いていた。

 「すみませんが、あなたの映画に出る気はありませんし、向こう二年間スケジュールで一杯なんです。それに次の局へ行かなきゃならないんですよ!」と、ポケットに手を突っ込んで車のカギを探る。

 「いいから頼む、聞いてくれ!次にやるのはアニメだ!君にはその主人公をやって貰いたいんだ!監督はあの『ストップウォッチ・ガール』を務めた弘田高次だぞ!」

 「このテレビ局と製作委員会が出資してるアレでしょう?知ってますよ!一度マネージャーを介して断ったはずです!しつこいですよ貴方!」と、鍵のスイッチを押してドアを開ける。

 「しかし、他の俳優やタレントはもう揃っていて後は君だけなんだ!頼むよ!君が出てくれれば大きな話題性を呼び、成功間違いなしだ!」

 「僕には声優経験はありませんから!それにあなたは前回の映画の時にその『話題性』にかまかけすぎて惨敗したでしょうが!失礼」と、車のドアを開けてそそくさとドアを閉めようとする。しかしそれを譲が阻止した。

 挟まった足の痛みをこらえながら懇願した。「頼む!次に失敗したら俺はもう終わりなんだ!君だけが頼りなんだ!頼む!」

 「柳谷君に声を掛ければいいでしょう?彼は今、仕事が無くて困っているんです。彼にやらせては?」彼は心底、相棒の事を心配していた。だが、いつもそれが裏目に出て柳谷の怒りを買っていた。

 「あいつは今、映画のロケで南の島だ。それにあいつは問題を起こしてイメージダウンになりかねん!今必要なのは君の様な……」

 「イメージですか?そんなにイメージが必要ですか!映画……否アニメに必要なモノは何だ!それは話題性ではなく演技力や内容でしょう?だったら我々の様な顔だけのタレントを声優に選ぶより熟練した正規の声優を使うべきだ!そんな公開前の宣伝効果を考えるより、公開した後の事を考えなくてはいい作品はできませんよ!」

 「それは出資者達の以降でその……頼む!」と、譲は川島の足元にすり寄った。

 「くどい!少なくとも僕は、生まれ来る作品を未熟な僕の声で汚したくない!失礼!」と、譲を強引に引き剥がし、突き飛ばし、ドアをバタンと閉めた。そしてアクセルを踏み、エンジン音を鳴らして駐車場から出る。

 「まてぇ!お前が必要なんだ!いや、お前の人気が!ファンが!話題力が必要なんだぁ!」と、車の後部になんとか掴まる。

 川島は困った顔をしながらも怒りの眼差しでバックミラーを睨み、駐車場の外に出る前に譲プロデューサーを振り払った。「俺が死んでも、次のプロデューサーが来るぞぉ!」と、叫びながら地を転がり、壁にぶつかった。川島の車はそんな譲を尻目に走り去った。

 譲は強かにぶつけた背中を摩りながら立ち上がった。「……この業界は死ぬ気でやらなきゃ映画は売れねぇんだ……」と、鼻血を拭いながら携帯電話を取り出す。

 

 沖縄県 謎の島 砂浜

 

 「し、しぬぅ……」結局、奥平は内海の肩を借りて島中を見て回った。

内海はそんな奥平を見て溜息を吐いた。「この根性無しが!さっき見たワニの餌にすれば良かったか?」

「ワニ、凄かったね!」夏美が肩を小刻みに揺らしながらにこにこする。

「あぁ!あれならガンマンライダーに出演してもおかしくないだろう!」

「もう、すぐその話にするぅ!」と、笑いながら肩を叩く。

「監督!とりあえず島全体の地形を歩かせました」と、千葉が監督の前まで走り寄る。

「御苦労だった。連中に休憩時間をやれ。その間にお前は神谷の手伝いだ。今日はカレーだってよ」と、監督が神谷のいる方向へ親指を向ける。そこでは神谷がエプロンをつけてニンジンを刻み、底の深い鍋に入れていた。

「シーフードカレーだ!千葉は玉ねぎを切ってくれ」と、玉ねぎ片手に笑う。

「しみるんだよなぁ……あれ」

すると監督の腰にさしたトランシーバーから田中の声が響いた。「監督、緊急事態です。どうぞ」この島に来てから一番慌てた様な声だった。

「またか?今度はどうした!キリストでも生まれたか?」

「……大森が鬱になりました。原因は不明です。どうぞ」

「よりによってあの大ベテランが?精神脆弱すぎだろ!どうぞ!」

「……一度そっちと合流させた方がいいでしょうか?どうぞ」

「いや、そっちの鬱が感染する恐れがある。あと十一日でなんとかしろ!いいな!どうぞ」

「……分かりました……何とかしましょう。オーバー」と、参ったような声を出しながら無線が切れる。

「こっちは意外と順調だが……どうやらお荷物は向こうの方だったみたいだな」簡易チェアに座り、足を組みながら考える。「まぁ田中に任せればいいだろう……大丈夫だ。信頼してこそのスタッフだからな」


アメリカ ネバダ州 ラスベガス

 

 「今日は散々だったね、ハニー」昨日、大勝ちした筈の大森夫人は、本日は運に見放されたらしく、総額一千万程の敗北を喫した。今日はポーカーをプレイした。彼女の対戦相手の自閉症気味の小男とその連れのハンサムな白人に連続でフルハウスやフォーカード、挙句にストレートフラッシュを出されたのだった。そこでやめればいいのに今度はルーレットへ向かい、テレビで言えない様な悪態をつきながらまた負け、結果スッテンテンになった。

 「いいのよ、どうせ夫の死に金だし」ホテル最上階の絶景を見ながらシャンパンを啜った。

 「そういえばハニーの夫は有名人だったね。大森玄っていう……」

 「そうね、昔は良かった。いい夫だったし、いい役者だった。でも最近では時代の流れについて行けずに、抜け殻になって自分を偽って、傲慢な俳優になった……もう私が何人もの男に抱かれても……それを知っても眉ひとつ動かさない男になったわ」と、シャンパンを啜る。

 「その上、贅沢させてもらってるんだろう?」

 「そうね……ふふ、」と、意味ありげな笑いを浮かべる。

 「どうしたんだい?」と、男が夫人に顔を近づける。

夫人は何か言いたそうな顔をして男の顔を見て、一度キスをした。そして口を開く。「内緒にしてくれる?」

「もちろん」と、笑顔を向ける。「言って」

「実はね、彼、脱税してるのよ」喉の奥に突っかかったモノを吐きだしたような表情になる。実際は色々な知り合いや友人に話したくて今日まで我慢してきたのだ。「やってかれこれ十五年になるかしらね?」と、外の風景を見ながら笑う。

「そうかい、まぁ払いたくないよね、税金って」と、言いながら服装を正す。「ちょっとトイレに行っていいかな?シャンパンを飲みすぎた」

「ご勝手に」と、椅子から腰を上げてベッドに寝転がる。そして着ていたドレスの肩紐をずらす。「出てきたらお相手を頼むわ……今日の悪夢を忘れさせて」

「あぁ、その役目は他の男にはさせないよ。あなたの主人以外にはね」と、言いながらバスルームに入った。カギを閉め、上着を脱ぎながら耳を押さえる。「録音したか?」ワイシャツの襟に付けたマイクに向かって話す。

「あぁ今、聞き返している所だ。もう少し言い逃れのできない証言が欲しい。もう数日粘ってくれないか?」イヤホンの向こう側にいる仲間が機械をいじりながら答える。

「冗談じゃない!あのばぁさんの塩辛い肌を何回舐めたと思う?ニコチン臭い舌を何回しゃぶったと思っている?それから……」

「わかった、わかった!本部からこれで十分だと報告があった。任務終了、降りてきてこのバンに乗れ、ホテルのスイートとはほど遠いがな」笑い交じりに仲間が声を上げる。

「俺にとっては天国だ!ミネラルウォーターと冷たいビールを用意してくれ!口を濯ぎたい」と、口の中の粘り気に顔を歪める。

「もう用意してある。はやく帰って来い!」

「あぁ!」と、耳からイヤホンを取り、袖からマイクを外しポケットに入れる。蛇口を少し捻り、水を出して顔や胸、わきの下などを濡らす。上着のポケットから携帯を取り出して、何も操作せずに耳を当てる。

「なんだって!本当か!あぁ!あぁ!馬鹿野郎、俺が今どこで何をやっていると思う!くそぉ……」と、悪態をつきながらバスルームを出る。「おいおい、誰の首が飛ぶのか分かってるのか?あぁ……わかったすぐ飛んで帰る!」と、携帯を仕舞う。「ハニーすまないが休暇は中止だ。今すぐインドに飛ばなきゃ!本部のIT課の奴らがヘマをして僕の頭を必要としている!」即興の出鱈目を並べながら靴を履く。

「え!私はどうするの?」

「すまないが一人で観光を楽しんでくれ、悪い!この埋め合わせはするよ!」と言いながら夫人に歩み寄る。「悪いな……」

「それなら最後にキスをして……」と、唇を尖らせて目を瞑る。

その顔に顔を青くさせ、舌を出す。何とか唇を近づけるが、下にいる仲間とミネラルウォーター、そしてアメリカ産のB級ブランドビールの事を思うといても立ってもいられず、彼女から遠ざかった。「そんな時間もないんだ!今日の飛行機があと三十分後に迫っている!じゃ!」と、颯爽とドアから出ていった。

「つれない人ねぇ……あ、電話番号聞いていなかった」夫人は彼とは、こっちの空港で知り合ってまだ六日しかたっていなかった。「ま、いいか。明日かわいい白人でも捕まえて楽しもっと」

その頃、下ではバンに飛び乗った彼はミネラルウォーターで口を濯ぎ、ビール瓶の王冠を素手で外してラッパ飲みをしていた。「くぅ~!国税局の仕事は辛い!でも仕事の後のビール、こいつがあるから今まで頑張ってこれたんだ!」

「お疲れさん」正面に座っている仲間が彼の持つ瓶にキンっと自分の瓶を軽く当てた。


沖縄県 謎の島 浜辺


日はすっかり落ち、辺りはキャンプファイヤーの火だけで照らされていた。スタッフの小屋では今後の役者たちのトレーニングプランの見直しなどが話されていた。男性役者の小屋では夏美と小林、死にかけの病人の様になった奥平はトランプでババ抜きを楽しんでいた。

「やぁい!あんたがババだぁ!」夏美が奥平に向かって指を差して笑う。

「くそぉ……ポーカーフェイスがうまいね、夏美ちゃん」

「うるさい!黙れ!」言われたくない事を言われて腹を立てる。

「今日のハイキングは中々楽しかったね。千葉さんのあの動きも凄かったし……」と、目の前のトランプを見ながら小林が言う。

今回千葉は、スタントマンらしくあらゆるワザを地形の歪んだ場所でやってのけた。岩場での連続バック転、木に登り猿の様に飛び移り木の実をもいだり、斜面を全力疾走して川の端から端まで飛んだりと離れ業を見せた。小林はそんな千葉を尊敬した。

「顔の割にはお喋りよね。芸人の彼より口数が多かったな」と、夏美がペアの揃ったトランプを捨てながら言う。道中千葉は、まるで独り言のように口を動かしていた。生えてる木や飛んでいる鳥、アメリカワニなどの説明を、軽口を添えながら話していた。

「俺だってアレくらい話せるぜ?っておい!俺は芸人を辞めるんだ!口達者じゃなくて結構だね!」と、一向に揃わずにババだけ残る手元を睨みながら言う。

「いいや、あんたは芸人だよ。天性の才能に逆らわず、堂々とやればいいじゃない。はい上がり!」

「そうですね。奥平さんは役者も芸人もどっちもできますよ、きっと……あ、揃った!上がり!」

「二兎を追う者は一兎をも得ずって知ってるか?俺はそうなりたくないんだよ!」ババだけ残った手元を睨みながら言う。「今回のこの仕事で一皮むける。それが俺の今回の目標だ!」

「だったらあきらめた方がいいよ、あんた」夏美が顔のマッサージをしながら言う。

「何だと?」

「昨日今日と弱音を吐きまくって内海さんの背中におんぶしてるじゃない、そんな脚を引っ張る根性無しは、一皮どころか薄皮一枚剥けないわよ!」

「このインスタントアイドルが!言っていい事と悪い事があるぞ!」

「あんたに言われたくないわよ!この半人前!」

「ちくしょう!」と、ババを持ったままヨタヨタと小屋を出ていく。

「松山さん!いくらなんでも言いすぎだよ!」小林はトランプを片付ける手を止めて奥平を追った。

「いい薬よ……根性があってもインスタントの半人前でしかいられない奴もいるんだから……」口に感じた塩ッ気を吐き捨てながら夏美は顔のマッサージを続けた。


奥平は、小屋の外の波打ち際まで歩き、その場でしゃがんで地面を殴りつけた。「くそ……あんなAV女優寸前のアイドルにあそこまで言われて……何も言い返せないのか?俺は!」

「……奥平さん、今日は疲れが溜まっているんだし、そろそろ休んだ方がいいんじゃないですか?」追ってきた小林が奥平の肩を持つ。

「あの女の言うとおりだよなぁ……俺は根性無しさ!努力もせず、ただ夢に向かって無知なまま突っ走って……気づいたらこの有様だ!俺みたいな奴は、芸人すらやる資格は無いのかもなぁ……」

「そんな事はないですよ!あなたは色々な人に笑いを届けたじゃないですか!立派ですよ!」

「俺は人を笑わせたんじゃない!ただ笑われただけだ!このババみたいにな!そんな道化になった自分が嫌になって役者になりたい……そう思ったよ。でも、すでにもう……このメンバーでまた俺は道化を演じている……惨めだ……こんな俺は惨めだ!」と、手に持ったババを海に投げ捨てる。

「甘ったれるなよ!」小林は奥平の襟を掴み、怒鳴った。「俺だってそうさ!役者になりたいよ!俺も道化をやらされて世間では芸人より酷い扱いを受けている!でもな、そんなに自虐的になっても事は始まらない!新しいモノに向かって歩かなければ、今の自分を拭い去る事は出来ない!あんたは歩いている途中で小石につまずいて痛がっているだけだ、立ちあがって歩かなければ、向こう側にある目標になんかたどり着けないんだ!」

奥平は目頭に溜まった涙を拭いながら尋ねた。「……お前は弱音を吐かないよなぁ……どうやったらそんなに強くなれる?」

「ガンマンライダーを見るんだ!」と、力強く拳を握る。

「……ここまできてスベるなよ、お前」と、虚しい溜息を吐いた。


沖縄県 謎の島 謎の施設


「今の時代は腐ってる!メディアも!音楽も!芸能界も!番組も!全てだ!全部腐ってる!」長椅子に寝そべりながら大森が涙を浮かべながら怒鳴っていた。その傍らでメモ用紙を片手に田中が座っていた。話す言葉全てを速記で書きとる。

「そうですよぉ……何でも腐りますよぉ……」と、目を細めながら答える。


 「川島ぁ……お前は、本当はいい奴だったんだなぁ……仕事の無い時は励ましてくれたり、メシ奢ってくれたり……全てが嫌味に感じたよ……でも、今はそんな俺が嫌になるよぉ……川島ぁ!こんな俺を許してくれるか?」独房生活三日目にして何かを悟ったのか、柳谷は鉄格子越しに見える夜空の朧月に向かって懺悔をしていた。

 

 「主よ!わたくしに罰を!もっと重い罰を!」ついに迎えた禁断症状の最終段階、体が薬を欲しがり、真里の皮膚や筋肉、脳みそに激痛のシグナルを鳴らしていた。「主よ!わたくしは負けません!わたくしは必ずこの砂漠から生還し、悔い改め、その日が来るまでわたくしは……わたくしは尽くしますぅ!」半分白目を剥き、口から泡を吐きながら目の前の聖書、そして十字架に向かって祈りをささげた。「主よぉ!」


 沖縄県 謎の島 砂浜 四日目


 この日、奥平は誰よりも早く起きて筋トレを始めていた。「おい小林!あの女が起きる前に始めようぜ!」筋トレを三セット終わらせた奥平はいい具合に汗を掻いていた。

 「んぅ?まだ四時でしょう?こんなに早く起きると体が持ちませんよ?」

 「そんなんだと目標に追いつけないぞ!ほら見ろ!」と、指さす。その向こう側には大塚監督がいた。すでに起きた彼は島の回りを走る為に準備運動を始めていた。

 「あの人は特別だよぉ……」と、奥平に背を向ける。

 「もう知らん!ガンマンライダーが聞いたら呆れるぞ!」と、スタートした大塚を追うように奥平は走り始めた。

 「……変わるのはいいけど体が追いつくのかな?」と、いいながら小林は軽く唸りながら寝袋の中に顔を引っ込めた。

その三時間後、夏美と小林は一緒に筋トレを終わらせ、簡易テーブルの前に腰を下ろしていた。「あれ?あいつはどこ?」夏美がキョロキョロする。

 「昨日の松山さんの言葉が相当心に突き刺さったのか、もう島の外周を走りに行ったよ」

 「へぇ……空回りしなきゃいいけど」と、目の前の昨日のカレーを見る。

 「一晩寝かせたカレーがまた美味いんだ!」神谷がタバコを咥えながら皿にカレーを盛りつけていた。今日はご飯ではなくルーだけだった。「今朝、作ったパンと一緒に食べてくれ。うまいぞぉ」

 「何でも作れるんだね、神谷さん」小林は早速パンに手を伸ばした。すると、目を剥いて島の端を見た。「あ!アレ!」と、指さす。

 「どうした?幽霊でも……ん?」とうに一周走り終わり、食卓の席についていた大塚が目を細める。「あいつ……さっき後ろでヒィヒィ言ってた奥平じゃないか?」

 「何!」内海が目をギョロつかせる。

 奥平は右へ左へと大幅に脚をもつれさせてはいたが、気力を振り絞って走っていた。そして数分後、皆のいる場所へとたどり着き、地面に倒れた。「はぁ!はぁ!はぁ!どうだ夏美ぃ!俺には根性がないだとぉ!もういっぺん言ってみろぉ!」と、汗と砂にまみれた顔を夏美に向けた。皆気付かなかったが、この場面を戸谷が数枚写真に収めていた。

 「はいはいわかった、あんたは大したもんだよ。ガッツがある!」と、拍手した。そして小林も、神谷も加藤も拍手をした。大塚と内海はそんな奥平をただじっと見ていた。

 「さ、朝飯だ。たんと食って昼に備えろ!」と、神谷がカレーの乗った皿を差し出す。

 「ごめん、もう限界……今日は寝る……」と、ヨロヨロと立ち上がり小屋へ向かい、そのままバタンと倒れて眠った。

 「前言撤回」夏美は素っ気なくそう言ってパンを齧った。

 「やっぱりな」大塚と内海は声を揃えた。「……三時間だ。三時間経ったら起こせ、内海」

 笑いを堪えながら内海は「了解」と、目を伏せながら答えた。


 沖縄県 謎の島 謎の施設 六日目

 

 田中が食事の乗ったトレイを持って独房の前までやってくる。トレイにはいつもの食事は乗っておらず、代わりに味噌で味付けをしたお粥が湯気を立てていた。「柳谷さん、昼飯ですよ」と、受け渡し口に入れる。

 柳谷はすっかり痩せてしまい、六日前の威勢のよいチャラ男はどこへやら、まるで修行僧の様な眼差しをしていた。何日も洗えていない髪はフケだらけになり、体は垢で汚れていた。それでも彼は一言も口を利かず、ただ黙って鉄格子の向こう側を見ていた。

 「いらないです……もう僕は、誰にも必要とされていないと分かりました。ほっといて下さい。僕はここで……一生を終わらせますよ……」と、ベッドに横になる。

 「幾ら役作りでも、このまま何も食べなければ死にますよ?今日は食べてください!」

 「役作り?そんなものはハナからしてませんよ……それに、こんな僕を映画に出してもいい事なんかありませんよ?どうせ脚を引っ張って皆に迷惑を掛けますよ……」

 田中は目を瞑り、呼吸を置いて口を開いた。「まだやってもいないのにそんな事を言って何になるんですか?あなたは自分のこの境遇、運の悪さなどに理由をつけてそれに酔っているだけでだ!自分の不幸に酔って今度は我々に迷惑を掛けるんですか?言っておきますが監督や我々はあなたが必要だからオファーを出したんです!それにあなたは答えてこの島にやってきた!なのに何もやっていないクセに、失敗もしていないクセに必要とされていないなんて言うんじゃない!」このセリフを大森にもかけたが、効果は無かった。

 「……僕が必要なんですか?」

 「えぇ、あなたの為に書いたキャラクターです。それをあなたに演じてほしくて私は書きました」と、真顔で答える。「さぁ、役作りを始める前に栄養をつけてください」と、一礼して独房の部屋から遠ざかって行く。

 柳谷は久しぶりの食事に近寄り、そっとお椀と箸を手に持ち、口をつける。味噌や米の味が口の中で広がり、何も入っていなかった胃の中にゆっくりと落ちていく。お粥の暖かさが胃で広がり、乾いていた体を優しく温める。「うまいよぉ……このお粥、今まで食った飯の中で一番うまいよぉ……」乾いた頬を涙で濡らしながらお粥をゆっくりと味わう。

 

「……鬱患者Aは片付いた。後は鬱患者Bとキリスト中毒か……」田中はメモ用紙を片手に頭を掻いた。「岡谷さんにはどうしても来たばかりの頃に戻ってほしいな……どうすれば……」と、警備室へ向かう。そこにある段ボール箱を見る。そこにはアメリカ兵の置き土産がたくさん入っていた。もちろんその中には日本では中々お目にかかれない物まで入っていた。「よし……あの人に頼るか」無線機を取り出し、口を近づける。「監督、加藤さんを出して下さい」

 

大阪府 大阪市 大阪港 七日目


「さ、速くこの荷を積んじゃって!丁重にお願いよ!それは私の息子みたいなもんだからね!」と、美和子が港の船乗りに指示をする。東京の工業大学から持ってきた二足歩行ショベルカーを大型クルーザーの貨物室に積んでいた。

このクルーザーは金持ちが船で旅行をするのに楽しむ為のレジャー用ではなく、玲子が特注で作らせた映画撮影用に改造した大型巡洋艦だった。

「それを積んだら木箱のAからZまで積みこんでちょうだい。チップは弾むわよ」と、玲子が小切手を取り出す。「一人頭二十万よ。給料とは別に、ね?」

「よし、お前ら!やる気を出せ!」

「おぉす!」と、玲子の思惑通り作業能率が上がる。

「人にとってのカンフル剤はやっぱりお金よね……チップを渡すのを日常化すれば日本は栄えると思うけど……ま、心の狭い人ばかりの国では無理な話よね」

「でも、増山さんはそうやって成功したんでしょう?」美和子が積み荷をチェックしながら話しかける。

すると玲子は美和子の顔をギロリと睨みつけ「私を金だけの人間みたいに言わないでくれる?」と、渋い声を出した。

「はいはい、すいませ~ん」と、おどけながら作業に集中した。

「ホラあんた達、急いで!二時間後には出航するんだから!」


沖縄県 謎の島 密林 九日目


本日の新人役者たちのノルマは休憩を兼ねたハイキングだった。小林はすでに島全体の地形を頭に入れており、どこにどんな形の木が生えているのかまで知っていた。他の二人は数日前のいがみ合いがまだ終わっておらず、目を合わせる度に鼻息を荒くしていた。

「どうした根性無し!筋肉痛か?ん?」自分の筋肉痛を棚に上げながら美夏が憎まれ口を叩く。連日続く基礎トレーニングやハイキングの疲労が体に積み重なり、さすがに激痛慣れしている美夏でもこれは堪えた。

「ほざいてな、このインスタントアイドル!お前こそ辛かったら、その胸のシリコンでも取ればいいじゃないか!」と、数日前に拾い、すっかり手に馴染んだ木の棒に体を預けながら足を動かす。

「これは……シリコンじゃない!」と、歯を剥きだして怒鳴った。食塩水パックだったので否定する権利はあった。

「ったく、こいつと歩いてるとやる気が抜けていく気がする……小林ぃ!待ってくれよぉ!」と、数十メートルも先を歩いている彼に向って駆け足になる。

「待てぇ!先に行かせるか、この道化が!」と、夏美も駆けだす。

そんな二人の前を気持ちよく歩く小林は、千葉と一緒に会話を楽しんでいた。「千葉さんはどこ出身です?」

「熊本県の菊池市ですが?」

「あぁ、車エビとカルデラで有名なあの?」

「待てぇ!置いていくなぁ!」奥平は息を弾ませながら小林の肩を掴んだ。「待て!お前が見えなくなったら遭難するだろうが!」今回は内海が付いていなかったので、頼れるのは小林か千葉だけだった。

「お前こそ待て!」と、夏美も走ってくる。転びそうになり手をついたが、それでも怯まずに奥平の背を追いかけた。

「あ!お前の肩になんか付いてるぞ!」ふいに奥平が振り返り、夏美の肩を指さす。

「ひゃ!どこどこ!ハブゥ?」と、慌てながら背負っていたリュックを投げ捨ててジタバタする。

「引っ掛かった!ばぁかが見るぅ!」今時の小学生でもやらない様なからかい方をしながら上機嫌で踵を返した。すると、夏美の顔が青ざめ、ゆっくりと指を向けた。

「あ、あの奥平さん?背中になんかついていますよ?」声が震える。同時に珍しい物でも見るかのような眼差しになる。

「ふぅんだ!引っかからないよ俺は!腐っても元芸人だぜ?一度やったボケツッコミを俺が繰り返すと思ってるのか?」と、得意げな顔になる。

すると小林も顔を青ざめながら奥平の背中を見た。「いや、本当に張りついてますよ?その……蜘蛛かな?これ?」

「蜘蛛は益虫だぜ?背中に張りついたくらいで怯えるかよ!千葉さん、取ってくれ」と、千葉に背中を向ける。

「いやぁこれは蜘蛛じゃないですね。えぇっと確かこれはタランチュラだったか?」

「ははは、面白いボケですね千葉さ……」と、千葉の手の中にある毛ガニサイズの毛むくじゃらな八本足を見る。「わぎゃぁぁぁぁぁぁ!」

「きっとこれもアメリカ兵が連れてきたヤツですね。あのワニといい、このタランチュラといい、悪ノリがすぎますね」と、タランチュラを近くの茂みに逃がした。

「悪ノリが過ぎるのはあんただろう!」奥平は顔を真っ白にしながら体を震わせていた。「ここは本当に沖縄かよ!」今更なツッコミである。


沖縄県 石垣島 ビーチ 十日目


青い海、青い空、白い雲にギラギラと光る母なる太陽。その下で今、別の島で地獄を見ているパートナーの事なんか忘れて四人の男たちが長椅子に寝そべっていた。

「あぁ……あの雲ってどんな味がするのかなぁ……」「わたあめじゃね?お前はどう思うよ?」「考えたくもないね」「あぁ……今はこうやってのんびりとしてようや」四人のマネージャーたちはすっかり南国に溶け込み、仕事や背広の事を忘れて静かな時を楽しんでいた。

その頃、大森の付き人は「ははは、本当だって!俺は大森親分の右腕で、親分は俺がいないと何もできないんだから!そう、自分が着る服すら見つけられないんだぜ?」と、両脇に座る肌のあらわな水着の美人二人に自分の仕事について語っていた。「今夜、友達を連れて部屋にきなよ!芸能界の裏事情をたっぷりと聞かせてやるぜ!」と、笑いながら席を立ち、マネージャーたちが寝そべる場所まで小走りする。

「おい!今夜特上のチャンプルーを食えるぜ?乱交騒ぎだよ!憧れの!」

「ホテル側から苦情がきてどっかのセレブ馬鹿みたいに報道されるぞ?」「チャンプルーって何よ?」「つーかお前、なんで一番乗り気なんだよ?」「興奮しないで寝ろよ……」

「おい!やっとウザい連中がいなくなったんだ!しかも経費は責任者が払ってくれる!今日はドンぺリあけて豪勢にやろう!」いつもは大森が楽しんでいるのを傍らで見ているだけだった彼は、今迄の溜まった鬱憤や欲望をここで吐き出していた。

「昨日飲んだじゃん……わかった、その代わり八時まで寝かせて……疲れた」


沖縄県 謎の島 謎の施設入口 十三日目


施設の扉が重たい音をたてながら開く。開いた扉の向こうには田中が立っていた。ゆっくりと歩き出し、目の前にいる男の前で止まる。その男は加藤だった。

「久しぶりですね。そっちの様子はどうです?」加藤が田中の目を覗く。

「あぁ……柳谷は真面目に役作りを始めみたいだ。大森は未だに鬱状態で酒を切らして何か喚いている。そして岡谷は……あの薬が必要だ。できましたか?」

「できたから持ってきたんです。少量だし、材料が不足して時間はかかりましたが、なんとか……これを鼻から吸引すれば解決するでしょう。吸引させた後にこの薬を与えれば麻薬の副作用の苦しみを和らげる事が出来るでしょう」と、口元を上品に歪ませる。

「そうですか。ありがとうございます。では、また撮影の時に」と、急いで踵を返して施設に戻ろうとする。

そこを加藤は田中の肩を掴んで阻んだ。「あなたにしては切羽詰まっているみたいですね……まぁこれがあれば信仰なんて吹っ飛ぶはず……そして」と、田中に錠剤を手渡す。「監督がいつも飲んでいる薬です。四分の一に薄めて食事に混ぜるといいですよ。もし多く与えると低血圧や目眩、視力調節障害が起こりますので気を付けて使ってください」

「ありがとう、助かるよ」

「礼は撮影が無事終わってからにしてください」と、加藤は田中が動くのよりも先に来た道を引き返した。

「さすがは美和子さんの元上官だな……」と、苦笑しながら施設へ戻って行った。


田中は急いで施設内部の二号室へ向かい、真里がいないのを確認する。そして加藤から渡された粉の小袋を十字架の飾ってある場所の近くにさりげなく置いた。そして急いで警備室へ向かい、マイクのスイッチをオンにして二号室のカメラを睨む。

しばらくして二号室に真里が現れ、早速十字架の下に落ちている粉の袋を見つけ、拾い上げる。「おぉ主よ!今度はこのような試練をわたくしに与えるのか!あまりにも残酷です!しかし、わたくしは負けません!この悪魔の薬には決して手を……」

田中は一度咳払いをしながら喉を摩った。そしてマイクに口を近づけ、いつもよりも深く威厳のある図太い声を出した。「これは私からお前への褒美だ。よくぞ今まで頑張った。これは大天使ガブリエルの埃である。これを吸えばたちまちお前の罪は許されるであろう」なるべく自分独特の声を殺し、勢いを上げず下げずに言った。

「おぉありがたや!早速褒美の品を祀り上げ、祈りをささげましょう!」

「いや、今それを吸うのだ!さもなければ悪魔の誘いを断ち切ることはできんぞ!」

「失礼しました!では早速!」と、袋を丁寧に開き、粉を一直線に並べて一気に吸引する。これがコカインならここで脳内が快楽や刺激で包まれ、ぼんやりとした恍惚な表情になるが、今回真里の頭で起きた事は、いうなれば竜巻だった。頭の中でハリケーンに近い衝撃が暴れ回り、いままで真里がおこなってきた出来事がそっくりと耳の外へと押し出されていった。そして頭の中に残ったモノ達は心の奥底に鍵を掛けられ閉じ込められた。

「……あれ?なんだろう?久々に我に返った気がするなぁ……なにこの本?聖書……興味ねぇよ」と、手に持った本を床に置く。正面に飾られた十字架が傾いてバツ記しになる。

「成功だ……さすが加藤さん特製の抗中毒剤だ……」加藤は美和子の元上官だけに、世界ではまだ出回る事の出来ない薬品の調合方法を知っていた。その中で特に世に出してはならないと言われている薬品がこの『抗中毒剤』である。この薬を吸引すると本人が自覚しているものからしていない中毒までを『無かった事にする』事が出来るという、まさに魔法の様な薬だった。これが出回らない理由は『この薬が出回ったら、より一層不景気になる』からである。

「あれぇ?なんだか体がだるいなぁ?ムズムズする……」さすがに麻薬の副作用までは取り除けず、真里の体はボロボロだった。しかし、十三日間の缶詰め生活とキリストの教えによって麻薬からはすっかりと足を洗えていた。

「岡谷さん、お食事ですよ」と、なにくわぬ顔で田中が入ってくる。もちろん食事の中には神経痛抑制剤がふりかけられていた。

「お腹ぺこぺこ……あ、リハまであと何日だっけ?」ケロッとした顔だった。

「二日後です。それまでに役を……」

「わかってるよ。私を誰だと思ってるの?」と、トレイを受け取り一口食べる。気分を良くしたのかもう一口、さらにもう一口と食べた。「苦めだけど、これがまた……」

「……解決」田中は不敵に笑い、もう一つのトレイを大森に届けに行った。


「……老けたなぁ……わし」大森が指揮官室の部屋でボソッと呟く。「今までわしは、事務所の椅子にふんぞり返っていた……いや、俳優と言う職業の上で胡坐をかいていた!わしはおろか者だ!どうかしていた……変わりゆくこの時代でわしは頑固になり、変化を嫌い、結局はこんな埃被った役者になってしまった……」指揮官室の椅子に座り、頭を抱える。「だがわしは間違った事をやった覚えはない……わしは何を考えていた?昔わしは……そうだ!わしは劇場の、映画館の、テレビの前の客達に喜んでもらいたかったんだ!だからわしは今迄がんばってきた……それがどうだ?……みじめだ」

指揮官室にノックの音が響く。田中が入ってきて食事が運ばれる。「夕飯です」と、机に置く。

「あぁ……ありがとう」すっかり勢いを無くし、今に崩れそうな表情をしていた。だが、魚の煮つけを……正しくは大塚監督用に調合された加藤特製抗鬱剤を口に入れた大森の目に一筋の輝きが戻った。「そうだ!俺はいままで頑張ってきた!すばらしい功績も残したし、ファンの期待にも答えた!少しだがそう、ハリウッドの映画にも出た!あれはいつまでも語り草だ!そうだろう!」と、立ち上がり田中を見る。田中はそんな大森を安心したような目で見ていた。「いつの間にか見失っていたが、そうだ!昔の自分の勢いを取り戻せばいいんだ!俺の名は大森玄!俳優だ……そうとも、俺は俳優事務所、大森ブラザーズの首領だぁ!」田中は薬の量を間違えたのかと首を小さく傾げたが、問題はないと胸をなでおろし、静かに指揮官室を後にした。

真里のいる二号室へそっと立ち寄る。真里は台本を熟読しており、一瞬田中に目をやったが、すぐに目を戻した。田中はゆっくりと部屋に入り、床に落ちた聖書を取り上げ、二号室を後にした。警備室へ向かい、聖書を箱の中に入れる。ちなみにその箱には英語で『危険物保管箱』と、書かれていた。


 沖縄県 謎の島 砂浜 十四日目


 「千葉さん!殺陣の練習に付き合って下さい!」島を一周し、トレーニングや発声練習を軽く終えた小林が威勢よく千葉の前に立つ。

 「よぉし!かかってきなさい。まずは寸止めからだ。体が慣れてきたら寸止め無しでやるよ!」と、お互いにお辞儀をしたのち、殺陣の稽古が始まった。と言っても二人のは稽古ではなく、まさに真剣勝負そのものだった。

 それに見とれる夏美と奥平。「コラ!お前らもやれ!」内海が大声を上げる。

 「あぁそうだったね……えぇ?こいつと組むの?」と、夏美が奥平に一瞥をくれる。

 「それはこっちのセリフだ!俺は神谷さんと組みたい!」

 「神谷さんは今、監督と島の見回りに行きました。セットや爆薬を設置する場所の最終確認ですよ」と、加藤が言う。彼は今、薬の調合をするためにフラスコの中身を確認していた。

 「じゃあ加藤さんは?」

 「見てわかりません?私も忙しいんです」

 「じゃあ……」と、奥平が内海を見上げる。彼と殺陣の稽古をするのは自殺行為だった。手加減を知らず、もろにパンチを食らっても『防げない己の未熟さを呪え』と言われる始末だった。「しょうがない、組んでやるよ」と、夏美に向き直る。それと同時に拳が目の前に飛んでくる。

 「あたしを舐めるなよ?今迄の訓練であたしはあらゆる護身術や武術の基礎を学んだんだ、本気を出さなくてもあんたに勝てるよ!」と、下手な憎まれ顔をしながら挑発する。

 奥平はそんな挑発には乗らず、冷静な表情をした。「俺は女に本気は出さない。さ、構えなよ」と、ボクシングの態勢になる。その前に夏美が懐に入り込み、奥平の鳩尾に肘を当てた。

 「ほらピエロが気取るんじゃないよ!」数日間の冷戦状態を破るのか、夏美は臨戦態勢に入り、奥平の迎撃に備えた。

 「もうキレた!この出来立て三分アイドルめが!」

 その数メートル隣では、激しい殺陣の訓練が行われていた。小林は温まった体から更に熱を放射して汗びっしょりになっていた。彼は拳の一発一発を本気で放っていた。それを三十分程ノンストップで続けていたおかげで、さすがに疲れがピークに達していた。

 しかし、千葉は涼しい顔で拳を防ぎ、寸止めでの蹴りを急所に放っていた。「これで二十回目の負けだ!」と、微笑む。

 「まだまだぁ!」と、数週間前に舞台で見せたリボルバーキックを放った。着ぐるみを着ていない分、ワザが素早く出た。だが、牽制打の五発を防がれ、最後の飛び蹴りを回避され、そのまま地面にたたき伏せられた。「くそぉ!」

 「熱くなっちゃあダメですよ?」

 「わかってるよ!」と、起き上がりざまに回転蹴りを放つ。そして距離を取って千葉を睨む。千葉も睨み返した。

 そんなハイレベルな稽古の隣で、奥平は見せかけだけの派手で実用性のない殺陣を演じていた。「この野郎!」と、奥平が拳を振るう。彼は攻撃の訓練より、投げられた後の受け身くらいしか上達していなかった。

 「甘い!」結局、夏美は後で小林と殺陣をする事になった。今の奥平の稽古の相手は内海だった。

 「ぎゃあは!」奥平は頭から転倒した。しかし、受け身をたやすく取り、内海の追い打ちを難なく避けた。「はぁ……死ぬかと思った」

 「死んじゃえ」座っている夏美がボソッと言う。

 「黙れ!」奥平が振り返り、怒鳴る。

 そんな隙を内海が逃すはずがなかった。「よそ見をするな!」ドカン。

 

 そして夜になる。今日で新人役者の体力作りが終了するので、本日のトレーニングはいつもよりも厳しかった。だが、そんな厳しい日々を耐え抜けるだけ三人は強くなっていた。奥平は特に成長していた。

 「よし!明日からリハーサルだ。で、それが終わったら撮影になる。まだ厳しい日々が続く!気を抜くなよ!以上解散!」大塚監督の号令で本日のノルマは終わりを告げ、役者達は解放された。

 「ふぅ……疲れたぁ……」夏美がフラフラとシャワー室のある場所へと歩いていく。自然と奥平もそれについていった。

 疲れで頭がボウッとしている二人は、お互い知らぬままシャワー室へ入って行った。

 「はぁ……恵みの雨……か」蛇口を捻り、頭をゆすぐ奥平。その隣でもシャワーの出る音を聞き、こっそりと上から覗く。そこには服と下着を脱ぎ捨てた夏美が立っていた。体中に泡を付け、今まさにその泡を洗い落とそうとしていた。

 「……!(マジかよ!AVデビューする前にパイオツ拝めんの!ラッキー!)」と、鼻息を荒くして夏美の胸を凝視する。

 「ん?」と、夏美は視線を感じて正面の鏡を見た。その鏡の端っこに誰かの手が上にかかっているのが見えた。「……(神谷さんかな?)」と、シャワーを止め、体を擦ってさらに泡立てる。石鹸を手に持ち、更に泡立て、アイスクリーム会社のマスコットの様になる。そして「うりゃあ!」と、相手の顔めがけて泡だらけの掌を向ける。そして顔面を掴み、目に泡を入れる。

 「うぉわぎゃあ!」奥平は堪らず滑り落ち、後頭部を強かに打った。

 夏美はすぐに泡を落とし、濡れたまま服を着て隣のバスルームの扉を開く。「お前だったか……お前だったのか!」昼に発散した筈の怒りが髪の毛の先まで浸透する。そして奥平の足を掴み、バスルームの外へ引きずって行く。その先にある、以前神谷を埋めた(その後、夏美のシャワーを何度も覗きここに入れられた)深い縦穴に奥平を入れ、回りの砂を被せる。

 それらの作業が終わる頃、奥平が目を覚ます。「おい!冗談じゃないぞ!俺はまだ何も見てない!」と、喚く。その目の前に小さな棒がふってきた。

 「脱出してみな、エロピエロ」と、目の前まで顔を近づけ、この二週間で習得した新しい表情をして見せる。勝ち誇り、相手を見下す様な顔だった。「さて、シャワーを浴びなおそっと!」と、ご機嫌な足取りでシャワー室まで戻って行った。

 「まてぇ!せめて乳首くらい見せろぉ!」と、喚き散らす。その目の前に誰かが立った。顔を上げると、その誰かは神谷だった。

 「俺の指定席で何やってんだ?」と、タバコを咥えて立っている。

 「知るかよ!助けて!」

 「いや、俺にはやる事がある」と、バスルームへ目を向ける。

 「待て!戻ってきてくれ!」

 「I’ll be back」と笑い、スキップしながらバスルームへと向かう。その後を内海が追ったのを奥平は気づいた。そしてバスルームから鈍い音が二発響く。

 そして数分後、奥平の隣に神谷が同じ状態で埋められた。「言っただろ?」

 「うるせぇよ」


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