おとなりさん。
僕には小さい頃からお姉ちゃんのような人が居た。
駆けっこではいつも負けて、木登りでも負けて、小さい頃の先輩は本当に僕の憧れだった。
だけど、大きくなるごとに、歳を重ねるごとに僕は男へと、先輩は女へと変化していく。
それが怖かったのかもしれない。
だって、僕にとって先輩は憧れの存在でもあり、何でも僕より凄いというのが先輩だったから。
自分と先輩の間には、それしか繋がりが無いと思っていたから。
だから、僕は中学に上がる頃に、先輩を避けるようになってしまった。
………だけど、いつからだろう?僕にとって先輩が憧れの存在から好きな人になったのは。
「おはよう、今日も部活頑張ろうね」
「…おはようございます。先輩」
朝、登校にはまだ早い時間。
家から出るとちょうど先輩も登校する頃だったのかはち合わせてしまった。
同じ部活に入っているのだから、時間が重なるのはしょうがないことだ。
「相変わらず君は朝連に参加するんだね」
「先輩が行くなら後輩の僕たちは参加しないとダメでしょう」
「そんな上下関係厳しくないんだけどなぁ、うちの部は。ほんっと君は真面目なんだから。まぁでも、こうやって君と一緒に登校できると思えば、面倒くさい朝練も楽しいけどね」
先輩は楽しそうに笑いながら僕を見る。
この人のセリフはいつも僕の心をくすぐる。昔からそうだ…。
僕は嬉しくて二ヤけそうになった顔を隠すために、少し早歩きをする。
「うふふ。そういえば、君って好きな子いるの?」
「はい?!」
「あ、その慌て様…、いるんだ!誰々?」
「べ、別に先輩には関係ないでしょ!」
「あ~そうやってごまかすんだ。小さい頃からずっと一緒に面倒見てあげたのにお姉さん悲しいなぁ」
「お姉さん顔しないでくださいよ!ずっといじめてたくせに」
「うふふ、そうやってムキになる所は何も変わらないね。可愛い」
「っ!」
先輩のニコニコと笑うその顔は小さい頃から何も変わっていない。
こうやって、先輩が僕をいじって、僕がムキになるのを楽しむ。
それが昔は嫌だった。ずっと子供扱いされているみたいで。
でも、今は違う。この時だけは中学時代に離れてしまった僕と先輩の間が少しでも近付いているような気がするのだ。
だけど、僕は素直になれない。素直になれたらどれだけ楽なんだろう…。
僕は何とも言えない気持ちになり、「先に準備してきます!」と言って、せっかくの先輩との登校を走って逃げしまった。
僕の所属している部活の朝練は大したことは無い。
学校をスタートとゴールにした車の交通量の少ないコースを走るだけ。だから準備なんて必要ないのだ。
先輩もそれを知っているのに…、僕は相変わらずバカなのかもしれない。
いつもより早く部室に着いてしまい、部室にはだれも居ない。
そもそも、朝練に参加する部員なんて両手で数えるほどしか無いのだから、この光景が当たり前なんだけど。
僕は素早く制服からジャージに着替える。
少しでも早くコースを回って、このモヤモヤする気持ちを疲れで消し去りたいから。
シューズを履き換えて、いざ走りに行こうと部室から出ると、目の前に赤いジャージを着て、少し長めの後ろ髪をポニーテールにした先輩が満面の笑みで立っていた。
「うふふ、男子なのに着替えるの遅いよ」
「女子なのに着替えるの早いんですね」
「うふふ、女の子扱いしてくれるんだ。嬉しい」
「っ…もう良いです!着いて来ないでくださいね!自分のペースで走りたいんですから」
「うふふ、だ~め。君、少し目を離すと無茶しちゃうもの。朝からのハードワークは怪我の元だよ。お姉さんが見ておいてあげる」
先輩は屈伸をしながらニコニコと笑う。
僕はそんなバカじゃない。準備体操を終えた僕は準備体操で少し温まった身体で学校の外周を走りだす。
もちろん、僕の横には先輩が楽しそうに着いてくる。
「それでね、昨日はさ」
このように余裕があるかのように話かけてくるのだ。
決して遅くは無い。だって、それなりのペースで走っている。
だけど、先輩にとってこのペースは普通で余裕なのだ。
それが少し悲しくもあり、嬉しくもある。駆けっこに関してはまだ小さい頃の先輩のように憧れられるのだから。
「ほらほら、君の悪い癖が出てるよ。顎は上げない」
それなりのペースで走っているのに、僕の横でニコニコしながら付いてくる先輩。
指摘された所を直しながら、少しでも先輩を引き千切るようにペースを上げる。
先輩はそれでも付いてくる。本当に先輩は凄い。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
しばらく走って、信号に捕まってしまった。
僕は肩で息をするように上下に揺らしているが、横にいる先輩は「筋肉冷えちゃうよ?」と言いながらその場で足踏みをする。
やっぱり僕はこの人に敵わない…。
僕は先輩に駆けっこで勝てたら告白をしようと思っている。だから、こうして努力できている。
僕が先輩を超える……それはもう訪れないのかもしれない…。
これで終わりにしよう。もし、ここから学校まで全力で走って勝てなかったら僕はもう先輩を諦めよう。
その場でピョンピョンと跳ね、冷えかけている筋肉をほぐす。
急に僕がそんなことをしたため、先輩は不思議そうな顔で僕を見る。
この僕にとって憧れでもあり、お姉さんでもあり、好きな人を超えてみせる。
「先輩」
「ん?どうしたの?」
「ここから学校まで勝負しましょう」
「え?勝負?」
「はい。全力で勝負です」
「…うん、いいよ。負けないからね。私、君のお姉さんだもん」
僕の真剣な雰囲気を悟ってくれたのか先輩も真剣な顔をする。
これが最後だ。
信号が赤から青に変わる。
僕と先輩がスタートする。
ここから学校まで3キロと少し。
僕が最も自信を持っている距離だ。
先輩に負けないようにさっきまでとは違う、本気のペースで走っていく。
しかし、先輩は僕の横から離れない。
それも、僕と目が合うとニコッと小さく笑う余裕すらあるのだ。
でも、先輩も苦しいに違いない。苦しくないはずがない。と自分に言い聞かせながら全力で走る。
だって、ここで諦めてしまえば、先輩を諦めるのと同じなのだから。
いつまでも先輩が横にいる状態で学校が見えてくる。
最後の勝負はここだ。残り500mの所からスパートを掛ける。
足が縺れそうになりながらも、心臓が爆発しそうなほどしんどいが腕をしっかりと振り、顎が上がらないようにする。
そして、校門の前で身体を投げ出すようにゴールした。
先輩は……………
…………
………
……
…
僕よりも少し後で校門の前を通り抜ける。
勝った……、やっと、先輩に勝った………
僕の中でそのことだけが鳴り響く。
しんどさなんて吹き飛ぶ。
あの先輩にやっと勝ったんだ!!!!
「………すん、う、うぅぅ…」
ガッツポーズを取ろうとすると、僕の横にいる先輩の目から涙がぽろぽろと零れ出す。
「え?え?ど、どうかしたんですか?先輩!」
「ううん、な、なんでもないよ」
「でも」
「ほんと…なんでもないよ」
「それじゃなんで泣いてるんですか」
「…………」
どこか痛いんじゃないだろうか?
朝からハードワークをしたせいで…
さっきまで先輩に勝ったという喜びがあっという間に消え去り、そんな心配が出てくる。
バカだ…、僕は本当にバカだ。
「えと、保健室行く?歩ける?あ、無理だったらおんぶでもなんでも!!!あ~でも、今の時間は保健室の先生いるか?うわ、うわ、うわどうしよう!?」
「だ、大丈夫だから、ね?大丈夫だよ」
「でも、痛いから泣いて」
「違う、違うよ。………もう私は君のお姉ちゃんじゃ居られないんだなって思ったら…悲しくなっちゃって…」
先輩が目から涙をぽろぽろと流しながら悲しそうな笑顔を見せる。
僕のお姉ちゃんじゃ居られない???
意味が分からない…、どうして?
「私はお姉ちゃんだから…、ずっと君の憧れのお姉ちゃんだから。なんでも君よりできなくちゃいけないのに…。それなのに、どんどん君は大きくなれば私よりもできるようになっていく…。
背も体力も力も……。それに駆けっこでも……。ちょっとずつちょっとずつ君の方が速くなっていって、頑張って余裕なふりをしてた。でも、本当は凄くしんどかったし、付いて行くのがやっとだった…。でも、駆けっこだけは君の憧れで居たかったから…。でも…抜かれちゃった。もう、私は君の憧れのお姉ちゃんじゃ居られないんだね…。だって、君の方が全部凄いんだもん」
ポロポロと涙を流しながら消えそうな声で先輩が話す。
先輩は気が付いていたんだ…。僕が小さい頃、先輩のことを憧れの対象として見ていたのを。
そして、それが先輩の枷となっていたのだ。
「ごめんね、もう君のお姉ちゃんじゃなくなっちゃったよ…」
目の前で謝る先輩。
どうして謝るんだろう…。僕にとって先輩はお姉ちゃんであり憧れだ。
それは僕が勝手に思っていただけで、その勝手な思い込みのせいで先輩は…。
いや、違う。例え、駆けっこで僕が先輩に勝っても、僕にとって先輩は何も変わらない。
お姉ちゃんであり、憧れであり、好きな人なのだ。
「僕は確かに先輩の事を小さい時からなんでもできる凄い人だった思ってました。
だから、中学に上がる頃に怖かったんです。このまま一緒に居たらいつか抜いてしまうって…。でも、それが普通なんです。僕は男、先輩は女の子。
でも、駆けっこだけは勝てませんでした。だから、まだ憧れの対象として見てたのかもしれません。
それが先輩の重荷になってるってことも知らずに。でも、今日で変わりました」
「………ごめんなさい」
「謝らないでください。確かに先輩に対する思いは変わりました。
ずっと憧れの対象だった先輩…ううん、やっと先輩と同じ場所に立てた。
先輩、ずっと僕を先輩の隣に居させてくれませんか?」
僕の隣にずっと見守っててくれた。
僕が怪我をしないようにずっと隣に居てくれた。
少しでも僕より凄い所を作ろうと努力をしてくれた。
僕にとって今でも先輩は憧れの対象だ。
人のためにこれだけできる人なんて他に居ない。
これは僕がどれだけ努力しても敵わないだろう。
だから、だからこそ、先輩の隣に立って見習わなければならないのだ。
「…………」
先輩は、ぽかーんとした顔で僕を見つめる。
驚きのあまり涙も止まってしまったのだろうか…。
僕と先輩の間に変な緊張が走る…、一方的に僕だけなんだけど。
そして、少しだけの間があった後、先輩の表情が崩れた。
「うふふ、そうだね。やっぱり君は私が見ておかないとダメだね」
目から零れる涙を手で拭く。
そして、先輩は嬉しそうな笑顔で姉が弟にするような優しいキスをしてくる。
「うふふ、ずっと見守っててあげるよ。ずっと君のお姉ちゃんで、先輩で居てあげる。今までもこれからもずっと」
先輩は頬を赤く染めながら、今まで見てきたどんな嬉しそうな笑顔よりも嬉しそうな笑顔で僕の頬に手を添える。
そして、もう1度…いや、今度は恋人同士がするような優しいキスをした。
今回の短編はTwitterにて、「暇な青年」さんからお題を提供していただきました。
私自身、たぶん短編は初めてなのでまとめるのが難しかったです。
あと言い訳ですけど、即興で作ったので読みにくいかも…。
でも、たいへん楽しく書かせていただきました。
暇な青年さん、ありがと~。
あと、彼も小説を書いているのでまだ読んだこと無い人は是非!
最後に、読んでくださった皆様へ。
ありがとうございました!
P.S.学園が微妙に達成できてないですけど、ごめんね。
お題提供ありがとう、楽しい執筆時間でした!