第五話:母親
「どうして、自分の母親を……」
「あんなの、母親なんかじゃないわ」
問いかけた新藤さんに対し、夕希さんは間髪入れずにそう言った。
「二年前、私と小織さんは同じヴァイオリン教室で、競うようにして曲を弾いてた……」
そういえば、同じヴァイオリン教室だった事がきっかけで知り合ったと、小織さんが言っていた。腕に怪我をし、それ以来あまり弾いていないとも。
「小織さんは、天才ヴァイオリニストだった。私も出る次のコンクールで、確実に金賞を取ると期待されていたわ」
夕希さんは腕を震わせ、テーブルに叩きつけた。
「それなのに、あの女は、小織さんがいる所為で私が金賞を取れなくなると思って、わざと小織さんの腕に怪我を負わせたのよ!!」
小織さんの怪我には、そんな理由が――。
小織さんは目を伏せ、夕希さんを見つめていた。
「私は、小織さんを慕ってた。本当のお姉さんか――『お母さん』みたいに――!」
怒りに震える夕希さんの目には、いつしか涙が浮かんでいた。
「あの時、まだ16だった私はなにもすることが出来なかった。小織さんも、私に負担をかけない様に、ってヴァイオリンをやめてしまった……。そして、今回。小織さんが来ると聞いて、私は喜んだわ。それをあの女は……」
「『負け犬の癖に、まだヴァイオリンに未練があるの?』って……!!」
夕希さんは叫ぶようにして、そう言った。
「許せなかった。あの女は小織さんを侮辱したのよ!自分で怪我を負わせておきながら!その時に、思った。この女は生きてちゃいけない、って。あの時の私は何も出来なかったけど、今は違う。あの女を殺してやる、って……」
実の姉や、母のように小織さんを慕っていたという、夕希さんはきっと、彼女の事がとても好きだったのだろう。
それは、本当の母親に対しての愛情を、超える程に。
小織さんはそっと、夕希さんに歩み寄り、震える背中を抱きしめた。
「ヴァイオリンを弾けなくなったのは哀しかったけれど、私はあなたのヴァイオリンを聴くだけで十分だったのに……――」
小織さんは、夕希さんにヴァイオリンを渡した。
「弾いて、夕希さん。最後に一回、『あなたのヴァイオリン』を聴かせて……」
「――」
物悲しいヴァイオリンの旋律が、空気を伝い、何処までも広い、透けるような空の中に響いた。