03 私的少女定義
いつの頃からだろうか、ある日を境にして青年の認識は歪んだのだ。
身体は毛で覆われ、細長い四肢で歩き、口から鼻にかけて突き出ていて、優れた嗅覚をもつ哺乳類──イヌをそっくりそのままヒトとして、青年は認識してしまうようになった。
それだけに留まらず、彼はイヌと会話することすらできた。イヌは人語をある程度理解する。そしてイヌにも感情はあるといわれている。それら感情に起因するしぐさや動作を、彼は機微に読み取って、ことばとして受け取ることができた。
彼にしてみれば相手は等身大の──サイズによりけりだが、とにかく──同じヒトとして映るのだから、意思疎通は何ら難しいことではなかった。
なぜこのような認識をもつようになったのか、彼自身、とんとわからなかった。しかし、とりわけ体に異常があるわけでも、日常生活に困るでもないので、彼はなるべく気にしないできた。
問題があるとすれば、それは……少女だとばかり認識してしまうことだった。それも可愛げのある女の子として。たいていのメスなら若々しい……というよりも幼い少女に見えた。オスですらそのように映ることもあり、彼は辟易した。
そもそも彼はイヌそのものにあまり好感を持ってはいなかった。
それは、彼がまだイヌをイヌと思っていた幼少期に追い回されて恐怖感を植えつけられたせいかもしれないし、イヌがヒトに見えるなどと突飛なことを吹聴して周囲にバカにされた経験を味わったからかもしれない。
とにもかくにも彼は、そんなイヌ──犬耳を持つ少女たちと、なるべく関わり合いになりたくないと思っていた。
そう胸に決めていたはずなのに高架橋の下で子イヌを助けてしまったのは、彼はとても見て見ぬ振りができなかったからであった。
問題がもうひとつあるとすれば、つまりはそういうことだ。
イヌが嫌いなのに、ヒトとして見えてしまうだけあって、どうしようもなく気になり、肩入れしてしまうのだ。
◇
「俺は嗣郎っていうんだ。ホントの名前はトシロウなんだけどね。こっちは内緒だ」
嗣郎は少女の髪をブラシでとかしてやりながら、自己紹介をした。
「しろう……? トーシロー?」
「それで合ってるが、その微妙に嫌なアクセントはヤメロ」
このおバカ犬め、と軽く少女の頭を小づいたら、
「ご……ごご、ごめんなさい!」
と、勢いよく謝られてしまったので、仕方なくそのまま頭を撫でてやった。
少女の尻尾がぱたぱた振れていた。
「バカ犬呼ばわりされたくなかったら、名前くらい教えてくれよ」
「なまえ、ですか……? わたしの?」
「そう。飼い主に何て呼ばれていたか。それから、どうしてあんなところにいたか、も」
少女の反応は薄い。幼いとはいえ、ことばはそれなりに話せるはずだ。
はっきりとした意識も持っているようなのに、どうにも歯切れが悪かった。
「じゃ、バカ犬と呼ぶよりほかない」
「え、えぇ~……なんだかそれはうれしくないです……」