02 犬とお店と姉ちゃんと
「あ! またお店の入り口から入ったわね!」
開閉された扉の、頭に取り付けられた鈴がカラカラと鳴り、その音を聞きつけて店の奥から店主の声があがった。
「ごめん。ちょっと荷物があってさ」
少し小降りになったとはいえ、外は雨模様だ。自家用の出入り口はこの店の裏側にあるので、遠回りするぶん余計に濡れなければならない。
把握したこの店の店主は、代わりに店のバーカウンターの奥から出てきて『荷物』を出迎えることにした。
「おかえり、トシちゃん……ありゃ」
「……ただいま」
トシと呼ばれた青年、嗣郎は気まずそうに、上着にくるんだ少女を抱いて立っていた。
その両腕にちょうど収まる程度に小さくて、大きな荷物。
それは、下校途中に制服を濡らして帰ってきたことよりも、ずっと彼の決まりを悪くさせた。
その荷物──当の少女はというと、嗣郎の体に抱きついたまま縮こまっていて伏し目がちである。店に来るまでは辺りをきょろきょろと見回したり、嗣郎の顔を見上げたりしていたのだが、どうにも嗣郎以外の人間を前にして落ち着かないらしい。
彼女のぺたんと垂れた耳は、顔を隠さんという勢いだ。
人見知りなのかな……コイツは。嗣郎はひとり察した。
「いったいどうしたの、そのワンちゃんは?」
店主が、嗣郎の顔と『少女』とを見比べて言った。
「帰ってくる途中で見つけたんだ。首輪をしてるから、たぶん捨て犬じゃない」
「なるほど、ね……とりあえず何か、拭くもの持って来るわ」
「うん。頼んだ、甘姉」
この店の店主である、嗣郎の姉の甘音は一旦店の奥へと引っ込み、乾いたタオルを手にして戻ってきた。それから開口一番にこう尋ねた。
「やっぱり女の子に見えるの?」
「女の子なの」嗣郎は言葉の端にシュールさをにじませ答えた。「犬のタレ耳、女の子、尻尾付」
ランチセットみたい、姉がこぼす。
「代わりに聞くけどさ。姉ちゃんには“これ”がどう見えてるんだ?」
「どうって……ワンちゃんはワンちゃんでしょ。もふもふしてて、けもけもしてて、タレ耳があって、尻尾がある♪」
甘音はタオルを嗣郎に手渡し、なかなか目をあわせようとしない少女を覗き込む。
「私はあの犬の子どもだと思うわ~。……何ていう犬種だっけ、えーと……ナントカ・ナントーカー?」
「ほとんど情報ゼロなんだけど」
嗣郎は姉の返答にげんなりした。
甘音は、嗣郎の抱えているそのモノが『少女』には見えない。
嗣郎の学校の友達も、甘音と仲の良いお隣さんも、この喫茶店に毎日コーヒーを啜りにやってくる常連客さえも、誰一人そのモノを少女だとは思わないのだ。
『少女』を指差して、それは『イヌ』だという。
そう主張する人々に対して嗣郎はこの上なく違和感を感じていた。なぜなら彼にとって少女とは、少女以外の何物でもなかったからだ……ただしそれは耳と尻尾つきだが。
嗣郎がかの少女に視線を落とすと、思わず目が合った。少女のほうはまるで何かを期待するかのように、じっと嗣郎を見つめていた。
自然と少女の尻尾が、ふるふる振れだした。
彼女の尻尾と髪の毛は淡いクリーム色で、柔らかそうだ。雨に濡れた毛先はくりくりと毛羽立っている。この子が成長してもっと髪が伸びたなら、波打つように美しくなるのだろう。
嗣郎は少女の濡れた身体を拭いてやろうとして、途中で手を止めた。
「甘姉、やっぱ、代わりにお願い。このまま抱えてるから……」
タオルを姉に押し付けて、嗣郎はそれきり顔を背けた。
彼にとってそのヴィジョンは、そう、健全ではない。
なぜならば、イヌは、ヒトと違って身に着けているモノがないから。
とはいえ素っ裸というわけでもなく。
「肌着姿に見える……」
「へぇ~」
この助平ぇ~、と姉はおちょくりながら、嗣郎の抱える少女の身体を丁寧に拭いてやった。