12 犬と少女とカフェラッテ!
日が沈んでゆく。辺りはすっかり夕焼けのオレンジ色を失い、明日の地平から順に夜の帳が下りてくる。夕陽の黄と、夜の暗黒とが交じり合って、日暮れの空に不思議なコントラストを創造する。こんなときになら見た目はヒトで中身はイヌの、物の怪などに出逢っても、おかしくはないかもしれない。
嗣郎は自宅に帰り着いた。
開けた扉の頭に取り付けられた鈴がカラカラと鳴った。
「……ただいま」
「あ! またお店の入り口から……」
その音を聞きつけた、この店の店主の声は尻すぼみになった。
嗣郎はその両腕に少女を抱えていた。
「荷物が、あったからさ」
「……そっか。ラテちゃん、見つけてきてくれたんだね」
さすがうちの弟だわ、と頭を撫でにくる姉に対し、嗣郎は思わず恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
「何はともあれ、おかえり。ラテちゃん♪」
「えへへ……ただいまです」
甘音は、ラテの頭も存分に撫でまわしてやった。
◇
「……なんだこれ」
自宅として使っている店舗二階の居間へ上がった嗣郎は、絶句した。
「いっぱいありますね。これはなんですか?」
「知らん。俺に聞いてはだめだ」
一緒に二階へ来たラテと共に、居間のテーブルの上に並べられた大量の『大福』を前にして、唖然としていた。
店の片付けを終えた甘音が程なくして居間に姿を現す。
「それはね~、お客のおじさんに、もらっちゃったのよ~」
「こんなに?」
「ええ。なんか、大見得を切ってラテちゃんを探しにいったおじさんが、『手ぶらでは帰ってこれん』って、買ってきてくれたのよ。あと、食逃げの代償だわ」
「へぇ、さっぱり事情は謎だけど。食逃げは許すまじだな」
しきりに食逃げ犯を非難する二人。
「あ、あはは……なんだか、ごめんなさい」
その原因を生み出したらしい少女は、少し気まずそうに照れ笑いをしていた。
「もらっちゃったもんだし、いっぱい食べちゃってよね~」
嗣郎は腰かけて、それから大福の一つを取り出して食べた。
それは犬っぽい形をした謎の大福だったが、見かけによらず美味だった。二つ三つと食べた。あんまりにも大量にあったので、いくら食べても一向に減らなかった。
傍らにいる少女にも分けてやった。尻尾を振って喜んでいた。
「あ、それから今日はお店を早めに閉めたから、もうお夕飯も作ってあるのよ」
「なら、こんなに食う前に言ってよ、姉ちゃん……」
「てへっ、今日はシチューよん♪」
◇
嗣郎と姉とそれからもう一匹は、夕飯の席に着いた。
「この付け合せはどうかと思う」
熱々のシチューをよそった器の傍らに、冷え冷えの冷やっこ。
他にもなにやら妙な組み合わせのメニューたちが並ぶ。
この桐谷家では、嗣郎も日替わりで夕飯の担当をするので、食卓に対するダメ出しは厳しい。
「豆腐ね~、シチューに入れてみようと思ったんだけど。豆腐インシチューは崩壊が目に見えたから、さすがの私でもやめておいたわ」
姉よ、その判断はきっと正しい。なぜその二つを組み合わせようとしたのかは、謎だが。
「それにしても白いもんばっかりだな」
「そうなのよ! ラテちゃんが何を食べるかわからなかったからね。とりあえず白いものを集めてみたのよ~」
「なるほどね。その思考はわけがわからないけど」
姉の奇行に辟易する嗣郎であった。
「しろーさん! これはなんですか?」
ラテは、目にしたことのないものがズラリと並ぶ中、ある一品に興味を示した。
細長いパイプのような見た目の、彼女にとっては不思議な食品だ。
「それは『ちくわ』な」
「ち、ちくわですか……このフォルムにこの形状……なぜか心ひかれます……お一ついただいても?」
「まぁ、フォルムも形状も、同じことしか言ってないが」
ほらよ、と嗣郎は渡してやる。
「わぅん!」
ラテは、はじめ遠慮がちに一口。そしてずいぶん気に入ったのか、「もっとください!」とねだってきて、結局そこにあったのを全てぺろりと平らげてしまった。
「わぅ……ごちそうさまでした」
「……というか、形か? 味じゃなくて、形が気に入ったのか?」
「あら。ちくわがクリティカルヒットだったのね~。ちょっと白くはないけど」
「だから姉ちゃん、それは関係ないでしょ……」
ラテは満足そうに夕飯をほおばっていた。
あんなにも泣いていたことが不思議なくらいだった。
嗣郎はラテの充足感あふれる笑顔を見て、少し安心した心地がした。
◇
幾日が経ったある日曜日の喫茶店。
店内のおだやかな休日の雰囲気をよそに、嗣郎は店の雑務をこなしていた。学校が休みになる日は、彼も従業員として店の手伝いをしている。
主に雑談やら、世間話やらで声をかけてくる客の対応に追われる甘音。嗣郎は続々と入ってくる注文をさばいていた。休日のこの喫茶店は、しかし激務の様相を呈していた。
嗣郎は店内と厨房をばたばたと行き来する合間に、店の奥に置かれた段ボール箱に目をやった。
箱の中で行儀良くおとなしくしている少女。そのラテの周りには、物珍しそうに眺める客でちょっとした人だかりができていた。
他人と接するのも試練だ、と嗣郎は遠巻きに見守っていたが、最近では彼女も見慣れない相手に対して困惑することは少なくなっていた。
「完成っ!」
先ほどから、カウンターの奥でなにやら格闘していた甘音が、一杯のカップを手に飛び出してきた。
「じゃーん、見てくださいよ、これ! ラテちゃんにちなんで、ラテ☆アートなんてしてみました~♪」
「……甘姉、そんなことしてたんかい。普通に店の仕事をしろよ」
甘音の持ってきたその特製のカフェラッテは、とろけて浮かぶミルクをキャンパスにして、クリーム色のアートが描かれていた。甘音が犬だと主張するその絵はかつて見たことのない謎の生物だった。嗣郎はノーコメントに徹した。
「ふふん♪ このカフェラッテをお店で販売すればラテちゃんの宣伝にもなるし、お店の売上もアップで、一石二鳥よ!」
甘音は到底犬のようには見えない珍妙なアートが乗っかるそれを、自信満々にラテ本人に見せにいった。
「ぜつぼうてきです……これじゃ宣伝になりませんよぅ……!」
と、ラテが主張していることを嗣郎はそのまま伝えてやった。
玉砕した甘音はうなだれていた。
「なぁ、豆の坊主よ。おめーの姉ちゃんから聞いたんだけどな」
コーヒーを注文した客の一人が嗣郎をつかまえて尋ねた。
「豆の坊主には、あの犬っころが人間に見えるってのか?」
「えぇ、まぁ。普通の女の子に見えますよ……天然ぼけで、泣き虫の」
あと犬の耳と尻尾はついてますけどね、と付け加える嗣郎。
「面白ぇこというな、おまえ。子煩悩ならぬ、犬煩悩な奴なら、そこいらにもいるがな」
客は、不可思議な現象を真顔で語る嗣郎を、奇異の目で見るようなことはしなかった。
「ま、俺にゃ到底、人間のようには見えないがよ。あの犬っころが妙に可愛げあるってのは、なんか知らんが、よくわかるよ」
そういって客は朗らかに笑う。
店の奥の人だかりの中心で、ちやほやされ可愛がられているラテを、客と嗣郎は眺めていた。
いつの間にかラテは客たちの間で、店のマスコットのように認知されていた。
◇
ゆるやかな時間が流れる喫茶店。
この店のマスコットを模した、素朴で温かいカフェラッテが供される。
姉の手伝いをする嗣郎の傍らには、一匹の子犬、いや一人の少女の姿があった。
一の章は、これにて幕引きでございます。
お楽しみいただけましたでしょうか。
次章からは、これまでに書ききれなかったワン子の魅力を詰め込んで、
さらにストーリーの幅を広げていけたら、と思っております。
よろしければ、一言でも、ご感想をいただけると、
私の尻尾も犬のごとく振れちゃいます。
それでは、あとがきにて失礼いたしました。
2011/12/06
(※本物のイヌには人間の食べ物をあげないでくださいね!)