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07

 「(お腹空いたな……)」


 突然抱きしめてきて、何か凄く感動して大泣きしているらしい魔王夫婦から逃げるように、私はそんなことを考えていた。突然の出来事を直視したがらない脳は思いの外冷静で、取り留めの無いことを次々と考えている。これぞ現実逃避だ。


 「18年間、私達がどんな思いでいたか……! ああ、まさかこうして再び貴女を抱きしめられるなんて!」

 「(こっちに来てからもう何時間経ってるかな? ヨシュアさんの家でお菓子勧められたけど、原材料訊けなくて不安になって結局食べなかったし)」

 「ヨルムンガンド……お前がこうして無事でいてくれただけで、私は、私は……っ!」

 「(眠気は何かもう徹夜的な感じで無いな。でも肉体的疲労は濃いか……そりゃ、あんな脱獄劇やったし、疲れるのも当たり前だよね。絶対明日筋肉痛だわ……)」

 「……ヨルムンガンド? どうした、ヨルムンガンド? まさかどこか怪我でも?」

 「ヨルムンガンド、ヨルムンガンド……ヨル」

 「え?あ、うん」


 突然名前を呼ばれ、私は不意を突かれた形で軽く返事をする。……ってヤバい。凄い軽く返事したけど、呼んだの王妃様じゃん! これマジで殺されるんじゃね!? 今度こそ不敬罪で殺される!


 「す、すみません! ごめんなさい王妃様! こんな気安く返事して……!」

 「あら、どうして謝るの? 親子だもの、そんな堅苦しくする必要なんてないのよ?」

 「そうだぞヨルムンガンド。18年もこの羽虫のせいで離れていたんだ、遠慮などする必要はない」

 「あ、いや、親子だとかそういうご冗談はちょっと……」

 「ああそうだわあなた、そのピクシーにもう用は無いのだし、さっさと殺してしまいましょう? また私達の可愛い娘を取り替えられたら、たまったものじゃないわ!」

 「(無視か)」

 「ああそうだな、そうしようアイリーン」

 「ひっ! ご、ごめんなさい! もうしません、しませんから、命だけは……!!」

 「18年間、貴様を殺す日を待ち侘びたぞ……我が娘に手を出した罪、死をもって償うがいい!!」

 「きひゃっ!!」


 魔王は私を抱きしめたまま、ピクシーを握る手に力を込め、そのまま圧殺した。まさに羽虫のようにその命を散らしたピクシーの小さな体からは、ぷしゅりと、まるでシュークリームでも握り潰したように盛大に血が飛び散り、魔王の手を、床の絨毯を、王妃を、そして私を濡らす。

 だが、魔王がピクシーを殺したことも、それに誰も疑問を挟まないことも、別に全くどうでも良い。むしろ血で汚れた魔王夫婦は思わず目を奪われてしまうくらい美しく、逆によくその姿が似合っていたし、その笑顔を見れば、これは日常茶飯事の内に入るのだろうとも思う。ただ、折角ヴィヴィアンさん達に綺麗にしてもらったのに、もう髪や制服を汚してしまったことがちょっと気になった。

 あと……私を「ヨルムンガンド」と呼ぶことも、私を娘と呼んで憚らないこともだ。ちょっと頭落ち着いてきた。そろそろ対面準備できてきたみたい。

 ……あ、勇者とかだったらさ、こういう時に「なんてことを……!」ってまず怒るのがセオリーかな。ま、私テンプレから外れちゃってるし、今更か。それに本当にどうでもいいしね。


 「まあ大変、汚いピクシーの血で汚れてしまったわ。すぐに綺麗にしましょう、ヨルムンガンド……ヨル。あなた、私達は行きますね」

 「ああ、私もすぐに行く。……アモン、並びにその子供達は私の執務室まで来るように。それと、誰かメイドを呼んでこの羽虫を片付けさせろ」

 「はっ」

 「御意に」

 「さ、ヨル。いらっしゃい」

 「はあ……」


 私は王妃と、控えていたらしい数人のメイドさんに連れられて、謁見の間を出た。出ていく時にちらりとマリア達の方を見やったが、どうも何が起きているのか分からず、困惑しているらしい。……何か、私のせいでごめん。


 「あらヨル、アモンの息子達が気になるの?」

 「えっ……あ、はい。恩人ですし……」

 「そう……ふふっ、そうだったわね」


 私がマリア達を見ているのが気になったのか、王妃様がそう尋ねてきた。私は無難な返答をしたつもりだが、何だかノリが娘の恋人を詮索する母親っぽいのが気になる。

 母親っぽいと言えば……ちょっとだけでもそれ、訊いておくか。


 「あの、王妃様」

 「言ったでしょうヨル。親子なのだから、そんな風に堅苦しくならないで?」

 「いやその、何で私がお二人と親子なんです? 私の親はちゃんと元の世界に居ますよ?」

 「ああ……そう、そうね。突然だったものね。18年も人間として生きていたんだもの、すぐには信じられないし、ちゃんとした説明が必要よね……そうね、お父様がいらしてから、そのことをゆっくり親子水入らずでお話ししましょう?」

 「はあ……」

 「ふふふっ……さ、お父様を待つ間に、この薄汚いピクシーの血を落としてしまいましょうね。それと、この服も着替えましょう。貴女に似合いそうなお洋服がたくさんあるの。選ばせてちょうだい?」

 「……分かりました」


 心の底から私を慈しむような王妃様の目に、今はこれ以上何かを尋ねるべきではないだろうと判断した私は、大人しく王妃様達に連れられて行った。


 ***


 ヨセフさんの屋敷で通された客間らしい部屋よりも、遥かに豪奢な部屋。揺り籠が置かれているその部屋のソファに座り、私は魔王夫婦と三人きりで対面していた。

 私は王妃様に勧められた、貴族っぽいドレスを着せられている。配色は黒をベースにモノトーンだ。現代人の私の感覚からするとコスプレという言葉が浮かぶが、異世界のここではこれが普通らしいから、ここは無視だ。

 さて、私から見て左には魔王が居る。闇の色の服を纏った、深い緋色の髪に緑の目をし、竜の翼と2本の角を生やした、端正な顔の30代程に見える男性。右には王妃様が。夜空の色のドレスを纏った、腰まで届く艶やかな鴉の濡れ羽の髪と紫色の目をし、こめかみから鹿の角を生やした(この角はサイズを変えられるようだ。ドアの幅よりあったから縮めてた)、20代くらいの百合の花が似合う美女。

 まさに美男美女の夫婦だが、二人共私の方に限りなく愛情深い眼差しを向けて来るので、近寄り難いような雰囲気は無い。とは言え、さすがに二人の間に座れと言われた時は、全力で辞退したが。


 「まず、どこから話したものか……」

 「初めから、全てをお話しすればよろしいのでは?」


 何としてでも私を妻との間に座らせたがってごねていた魔王が、その風体に似合わず「うーん」と唸るが、「ヨルは思春期だから仕方ない」と言って譲歩した王妃様に言われ、「そうするか」と頷いた。どうやら夫婦仲は良いらしい。何となく空気が自然だ。きっと政務の時とか、いつもこうなのかもしれない。


 「私とアイリーンが出会ったのは22年前、私がまだ王子であった頃で――」

 「すみません、その話私出ます? 20年以上前なんて、生まれてすらいませんよね? 私が関係する話からでお願いします」


 いくら夫婦仲が良いからって、馴れ初めとかは今要らない。いや、気になると言えば気になるけど、思わず突っ込むくらい今は要らねえ。


 「いや、重要なことだぞ? 私とアイリーンが出会わなければ、お前は今ここに居ないのだから」

 「私が登場するくだりまでショートカットして下さい」


 私がキッパリとそう言うと、魔王は渋々といった感じで口をつぐみ、妻の方を見やる。王妃様は困ったように微笑むと、「では私が」と言い、ゆっくりと口を開いた。


 「今から18年前の春の日……私達に娘が生まれたの。名前はヨルムンガンド。私達はヨルと呼んでいたわ」

 「……ヨル」

 「そう、ヨルよ。……私達は娘と幸せに暮らしていたの。だけど、それも長くは続かなかったわ……」


 王妃様の語ったそれは、まるで御伽噺のようなものだった。


 ある日、魔王夫婦が執務を終えて娘の部屋へ行くと、揺り籠に小さな影があった。妖精ピクシーが居たのである。ピクシーは娘の眠っている揺り籠に向かい、何か魔法をかけていた。悪戯をしていたのである。

 魔王夫婦は慌ててそのピクシーを捕まえ、娘の安否を確認した。だが、揺り籠に娘は居なかった。居たのは娘の姿に変えられた、ただの人間の赤ん坊だけだった。

 ピクシーは悪戯好きの妖精で、時たま自分の子供と赤ん坊を取り替えてしまう。だがこのピクシーはあろうことか、魔王夫婦の子供と人間の子供を取り替えてしまったのである。

 これに魔王は怒り狂い、取り替え児(チェンジリング)の赤ん坊をすぐさま殺すと、ピクシーに自分の子供はどこだと迫った。だが、ピクシーは娘をただの人間の子供と取り替えたのではなく、異世界の人間の子供と取り替えたと言うのだ。

 妖精は住処である妖精郷を通じ、あらゆる世界に行くことができる。そこでこのピクシーはほんの出来心で、異なる世界の子供を取り替えてやろうと思ったらしいのだ。

 いくら魔王とは言え、異世界のものを召喚術で無差別に召喚することはできても、目標を定めて召喚することは難しい。かと言って、妖精のように異界を自由に渡ることもできないし、娘を連れて帰れとピクシーを自由にしては、逃げられてしまうだろう。

 もうどうすることもできなかった。娘は永遠に夫婦の手から離れてしまったのである。

 魔王夫婦は酷く嘆き悲しんだ。たった一人の大切な娘が、手の届かない場所に連れ去られてしまったのである。当然だった。


 「せめて我々にできたのは、奇跡が起きて娘が戻った時、人間になる呪いを解くため、ピクシーを捕まえておくことだけだった。妖精の呪いは普通の呪いと違って、かけた本人にしか解けない、厄介なものだからな……」

 「だけど、奇跡なんてそう起きない……召喚術で無差別に召喚を続けたとしても、どんな世界から召喚されるかも定かではないから、娘をそれで呼び戻すのは、砂漠で一粒の砂を探すのと同じことだったもの。もう娘には会えないと思っていたわ。でも――」


 ここで王妃様は言葉を区切り、魔王と共に私をじっと見つめる。……言いたいことは分かった。


 「奇跡は起きた。偶然人間が召喚したのがその娘――私だった」

 「ああ、そうだ。お前は間違いなく我々の……魔王、ロキ・レイゼルシュバルツ・サタンと、その妻アイリーン・レイゼルシュバルツの娘、ヨルムンガンド・レイゼルシュバルツだ」

 「………」


 話は分かる。私の世界に本当に妖精が実在するのかは別として、妖精の取り替え児(チェンジリング)はヨーロッパでいくつも伝承が残っているし、魔王の娘が人間の子供と取り替えられてしまったというのは、筋が通っている。わざわざ自分の子ではなく、異界の子供と取り替えたというのは気になるが、妖精の悪戯の内容や意図なんて、分かる筈も無い。そもそも、悪戯に遊び以上の意味など無いのだ。

 ……もう私が魔族で、人間でなく、そして彼らの子供であることも、否定できない。実際に私の魔力は黒く、妖精も呪いを解いたと思われるし、少し前に感じた既視感(デジャヴ)の疼きも、私がこの魔王夫婦の娘ならば、全て辻褄が合い、納得できた。

 今まで私の価値観や考えが「おかしい」と言われていたのも、今にして思えば、私が魔族としての根本的な特徴を有していたからなのだろう。呪いで姿形が変わっても、もって生まれた資質は変わらなかったということか。人間としての常識がこちらでどの程度通じるのかは分からないが、魔族特有の考え方と言ったギャップについては、順応の難しさをあまり心配しなくてよさそうだ。

 こちらで魔族として生きていく覚悟はもうできた。私が彼らの子供だと言うのも信じるし、人間でないことも受け入れた。もうそのことに関しては揺らがない。それに元々薄情だから、残るだけの理由と覚悟さえできてしまえば、向こうの世界もあっさり捨ててしまえる。私にとっての元の世界、本来在るべき正しい世界は、こちらなのだから。

 ただ、それでもどうしても、一つだけ納得がいかないことが……不安があった。


 「………」

 「どうしたヨル? お前は私達が守る。ここでの生活やその他諸々は何も心配する必要は無いぞ?」

 「そうよ、ヨル。私達は18年間貴女と再開する日を夢見て来たわ。そんな大事な大事な娘を愛さないなんてことも、絶対に無いのよ?」

 「あ、その……そうじゃなくてですね……」


 正直、彼らが私をどう扱うかについては、私に対する二人の態度と、私の(恐らくは)魔族的な思考によって、ちょっと予想が付いていた。彼らは言った通り、私を大切に娘として扱ってくれる筈だ。

 だが……


 「………」

 「ヨル、一体何が不安なんだ?」

 「正直に言ってみて?」


 二人は真剣に私を心配し、気遣ってくれている。このまま沈黙を貫いて、余計な心配はかけたくない。

 ……私は意を決して口を開いた。


 「…………しょうか」

 「え?」

 「その……私、本当に、貴方方の娘、でしょうか」

 「何を言ってるの! 絶対に間違いないわ!」

 「でも私……二人に、全然似てない」


 そう。似てない。似ていないのだ。

 妖精が呪いを解いた時、周りの人々がこぞって目を見開いていたことから、私に何か劇的な変化があったのであろうとは思う。だが、私自身が変化をチェックしてみた時、何も無かった。何も変わらなかったのである。

 肌がマリア達のように青くなったわけでもなく、翼が生えたわけでも、角が生えたわけでもない。四肢のどれかが増減したわけでもなかったし、髪の色が変わったわけでもない。親子だと言うのに、身体的な特徴の共通項と言えば、王妃様と同じで髪が黒いと言うことだけで、それは元々日本人として当たり前の色だった。一体何が変わったというのだ?

 もしかしたら、変化は私には見ることのできない、魂とか魔力とか、そういうものの変化だったのかもしれない。だが、それがあったとしても、親子なのだから、もっと見た目が似てもいいと思うんだ! ヨセフさんと子供達は似ていたのだから、魔族にだって遺伝子があって、親子なら多少なりとも似る筈だ!


 「私、自分で言うのもなんですけど、顔立ちに関しては普通です。十人並です。魔王様達みたいに美形じゃありません……」

 「………」

 「………」


 私がそう言うと、魔王様と王妃様は、ぽかんとした顔をした。そして少しして「……ああそうか」と何か納得し、ちょいちょいと私を招き寄せる。

 一体何かと思いながらも素直に立ち上がると、二人はドレッサーの前に立たせ、そして埃避けのための布を取り去った。


 「あ……」

 「ね、親子でしょう?」

 「アイリーンの若い頃にそっくりだぞ」


 ドレッサーの鏡に映し出されたのは、私と同じ黒いドレスに身を包んだ、王妃様によく似た顔立ちの、紫の目の美少女だった。

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