表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/23

06

 「何だね? そんな寝耳に水のような顔をして。覚えが無いのか?」

 「いや、私の世界に魔法も呪いもありませんし、かけた覚えもかけられた覚えもありませんよ? 何かの間違いでは?」

 「仮にも魔界の大侯爵が、隠蔽されているわけでもない呪い……しかも妖精の呪いを見抜けないとでも?」

 「そうですよねすみません!」


 鋭さを増したヨセフさんの視線に委縮しつつ、私はとりあえず謝った。幸い、ヨセフさん的には軽口の範疇だったのか、それ以上は何も言われなかった。

 しかし……人間の姿になる呪い? それってつまり、私は元々人間じゃないとでも?


 「(いや、そんなことあり得ない。だってそんな馬鹿なこと……だって、だってそれじゃまるで、)」

 「ヨルお姉ちゃん?」


 まるで私が、本当に――


 「(魔族みたいじゃないか)」


 そう考えて、私はぞっとした。

 私は一体今、何を考えた?本当に本物の魔族?そんな、馬鹿馬鹿しい……。

 私の名前は芹沢依。人間の両親から生まれた生粋の人間で、地球の日本国関東圏在住、18歳の女子高生。

 魔族なんかじゃない。ちょっと魂は黒いかもしれないけど、間違いなく人間。人間なんだ。


 「ふむ……異界から召喚された娘に妖精の呪い……そしてヨシュアだけでなく、私までもが手を出せない程の封印を展開する膨大な黒魔力……まさか……」

 「父上……?」

 「ヨル。……ヨル!」

 「!!」


 私はヨセフさんに名を呼ばれ、はっとして彼を見る。すっかり考え事に没頭していた。


 「今すぐに私と来なさい。ヨシュアにマリア、お前達もだ。この娘を拾ったのはお前達だからな」

 「父上、一体どちらへ?」

 「城だ。魔王様に急ぎ謁見する」

 「な……っ!?」


 魔王? え、今この人魔王に会うって言った? え?

 私も大混乱だが、突然のことについて行けないのは私だけではないらしく、マリアもヨシュアさんも狼狽していた。だがそんな私達の様子など全く気に留めることなく、ヨセフさんは控えていたメイドさん達に、城への連絡と馬車の支度を指示している。本気だ、この人本気で言ってる。


 「(いやいやいやいや、展開が超次元過ぎるよ!?)」


 ちょ、待ってよ。無理無理、魔王と会えなんてそんな、いきなりラスダン挑ませないで! 私レベル1! 勇者チートでレベルカンストだったとしても、私の精神的にレベル1だから!


 「父上、突然どうされたのです!? 何故ヨルさんを魔王様と引き合わせるなど……!」

 「理由は後で話す。早く支度をするんだ、ヨシュア、マリア。それとヴィヴィアン、ヨルを馬車まで連れて行け」

 「はい、旦那様。さ、ヨル様」

 「ちょ、ちょっと、そんな……!」

 「――私の言葉が、聞こえなかったのか?」


 渋り、混乱する私達に、ヨセフさんが静かに告げた。そしてその時、私はヨセフさんが蛇の尾を垂らし、口から僅かに炎をちらつかせているのを、見た。

 ……見て、しまった。


 「―――っ!!!」


 それは一瞬だ。一瞬だったが、確実にあったことだった。とんでもない脅威が目の前にあり、そして私は無力な小娘に過ぎないのだと、頭では分かっていても、本当は分かっていなかったことを、まざまざと見せつけられた。

 全身に絡みつくような、底知れない黒い何かに、体が全く動かない。こんな枷なんか、彼の前ではあっても無くても同じなのだと、そう思い知らされる。強者の前では、弱者は弱者以外の何でもないのだと、この上なく痛感させられた。

 私は初めて、本物の命の危機に直面したのだ。


 「聞こえているなら早くしろ。後10分で出る」


 ヨセフさんはそう言うと、一人静まり返った部屋を出て行く。ドアの向こうにその背中が消えて、ドアが閉まり、パタンと音が響いた時、やっと私達は呼吸を思い出していた。


 「お、お兄ちゃ……お姉、ちゃん……」

 「……マリ、ア」


 私も怖かったが、幼いマリアは父がキレたことが相当怖かったのだろう。その大きな目にたっぷりと涙を浮かべて、腰が抜けた私に縋りついてきた。私は辛うじて声を絞り出し、手を重ねてやるのが限界だった。

 少しして、私はぎこちなくヨシュアさんを見やった。元々彼の肌は青いが、今はそれ以上に青褪めて、緊張しているのが見て取れる。そして女淫魔(サキュバス)(仮)のメイドさん……ヴィヴィアンさんは、辛うじて立ってはいるものの、今にも気絶してしまいそうな顔をしていた。きっとメイドという立場から、仕える主人とその家族、客人の前で、無様な姿は見せられなかったのだろう。だが、ここで彼女が気絶したとしても、私達はそれを責めたりなどしない。あんな恐怖体験の後では仕方がない、殺されなかったことこそが奇跡なのだと、そう思うからだ。


 「……い、行きましょう、ヨルさん」

 「はい……」


 あの人に逆らってはいけない。私をはじめ、この部屋に居た全ての存在は、それを心に深く刻みつけた。


 ***


 あの後、私はヴィヴィアンさんに抱っこされ(そう、私が枷で歩くのにも不自由していることから、彼女がずっと抱っこで運んでくれているのだ。美女と物理的な距離でお近づきになれて嬉しいけど、超恥ずかしい。ていうかヴィヴィアンさん力持ち)、黒い馬車に乗せられた。既にヨセフさんが乗り込んでいたためにちょっとビビってしまったが、もう別に怒っているわけではないらしいヨセフさんは、あっけらかんとしていた。どうやらあまり引きずらないタイプらしい。更に少ししてマリアとヨシュアさんが乗り込み、コウモリの翼が生えたガリガリの馬が引く馬車は、魔王城に向かって走り出した。

 道中は途中までは比較的穏やかだった。多分、もうヨセフさんが怒っていなかったことと、私を含めて全員意外に切り替えが早かったせいだろう。私はマリアに私の世界の童話を話したりして、割と楽しく過ごしていた。ただ、ヨシュアさんがこの狭い空間に私と居ることが落ち着かず、ずっと顔を赤らめて挙動不審だったせいでとうとうヨセフさんがキレてしまったため、後半は恐ろしく空気が重かった。


 だが、その時の空気の重さすら、今受けているプレッシャーに比べれば、何でもないのではないかと私は思った。

 何せ今私の目の前に居るのは魔界の王……魔王と、その妃なのである。


 「魔王陛下、並びに妃殿下。この場を設けていただけたことに、このヨセフ・レドランド・アモン、心より感謝致します」


 魔王の城に着いた後、私達は真っ直ぐにこの謁見の間に通された。何メートルになるのか分からない高い天井と、いっそ無意味なほどに広く、不気味な雰囲気のこの謁見の間。そこで今私とマリア、ヨシュアさんは、ヨセフさんの後ろに控える形で片膝を着き(私は枷のせいで両膝だが)、玉座に座る魔王夫婦に謁見している。

 否、謁見しているというよりは、むしろ生贄にされている気分である。さっきから玉座の方からの視線が本当殺人級。しかもサイドからの臣下っぽい魔族からの視線も、視線という名のレーザーみたいになってる。穴開きそう……! まさに針の筵!


 「挨拶などいい。それよりアモン……その話、本当だろうな?」

 「確証はございませんが、その可能性は非常に高いかと」

 「もし違った場合は……分かっているな?」

 「はっ。いかなる罰をも甘んじて」


 ヨセフさんと魔王は、一体何の話をしているのだろうか。魔王の声はどこか焦れたような、何かを期待するような声音だ。

 対して、ヨセフさんはこの期待に、酷くプレッシャーを受けているようである。彼がどれくらい恐ろしいかを知った身としては、その声が微かに震えていることが信じられない。それだけ、この魔王が強大な恐怖であるということだろうか。

 視線を左右にちらりと向ければ、マリアはじっと床を凝視して固まっているし、ヨシュアさんは私がすぐ隣に居ることに動じる余裕すらないのか、やはり緊張して冷や汗をかいていた。かく言う私も、今すぐここから離れたくて仕方がないのだが。ヨセフさん早く話し終わって……!


 「――ヨル」

 「……っ、はい」


 唐突にヨセフさんに名前を呼ばれ、私は反射的に顔を上げる。すると、周囲からの目線、特に魔王夫婦からのものがますます強くなった。もしかして、まだ顔上げちゃダメだった? 私不敬罪で死ぬ?

 私は慌てて頭をまた下げるが、正直、近衛の兵士に殺されるんじゃないだろうか。だが、私の心配とは裏腹に、おろおろしている私をヨセフさんが自分の前に押し出しただけで、物騒なことは何も起きなかった。良かっ……いやいや、良くない。何で私を前に出したんですかヨセフさん! 魔王の前なんかに出さないで!

 だが、私の叫びなど聞こえる筈も無く、ヨセフさんは魔王夫婦に私のことを説明し始めた。


 「この娘はヨルと言います。エウラタ城の者の手により異界から召喚されたのですが、魔族として捕われてこの呪具の枷を嵌められ、処刑される所であったのを逃げ出し、こちらに控える私の子供達が助けました。本人は自分を人間と申しておりますが、ご覧の通り膨大な魔力の色は黒。その身にかけられた妖精の呪いに関しては、知らぬと」

 「異界の者に、妖精の呪い……確かに……」

 「……ヨル……」


 な、何で魔王、期待込めて呟いてるの? 何で王妃は私の名前をしみじみと懐かしむように呼んでるの? え? 何? 何なの?

 馬鹿の一つ覚えのように私が混乱していると、不意に影と、とても大きな黒いものが二つ、近づいた。顔を上げなくても分かる。これは、魔王夫婦だ。

 さっと血の気が引いた。ヨセフさんがキレた時も生きた心地がしなかったが、今もまた生きた心地がしない。しかもヨセフさんの時より、もっとずっと大きな脅威に晒されている。


 「顔を上げよ」

 「……っ」


 魔王が静かに告げ、私は息を呑む。震えながらそっと顔を上げれば、私の顔をじっと覗き込む男女が居た。

 とろけるような闇の黒を身に宿した男性と、豪奢な夜空の黒を宿した女性。どう考えても、この二人は魔王夫婦だろう。ヨセフさんすら怖気づく程の、怖くて美しい、圧倒的強者にして捕食者。

 だが私はその二人を目の当たりにして――何故か、恐怖よりも先に、違和感を覚えた。既視感(デジャヴ)、と言ってもいい。絶対に初めて会ったはずのこの魔族達に、何故か頭の隅で、奇妙な引っ掛かりが疼くのだ。

 何だ?この疼きは何なんだ?


 「……枷を外してやろう。手足を差し出せ」

 「……は、い」


 言われるがままに私が枷の嵌められた手足を差し出すと、魔王は一瞬緑色の目を光らせ、その身から闇のような黒い奔流を枷に流し込んだ。すると、一つ私が瞬きをする間に全ては終わり、ゴトンという重苦しい金属音と同時に、私の手足は拘束から解放されていた。多分、魔力で無理矢理封印を解いたんだろう。魔力チートだと思われる私の魔力を使った封印を無理矢理壊すとは、やっぱりこの人は魔王なんだ。

 だが、あまりに呆気無い。私は簡単に解放されたことが俄かには信じられずに目を瞬かせていたが、魔王は枷を手にし、再び緑の目を光らせると、それを一瞬で跡形も無く消し去ってしまう。こうして、私は初めから何も無かったかのような状態……この世界に召喚される前の姿に、至極あっさりと戻ったのだった。


 「妖精を」

 「はっ。こちらでございます」


 次いで魔王が一言告げると、近くに居た兵士が鳥籠を持ってきた。見れば、その中にはひしゃげた羽の生えた小人……多分ピクシーだろう。そのピクシーが、酷く怯えた様子で監禁されていた。

 だが、魔王はピクシーが怯えていることなど気にも留めず……いや、むしろそのピクシーに滅茶苦茶怒っているようで、美しいとしか言えない端整な顔を鬼のように歪めて、羽が折れ曲がるのも構わずに(ああ、ひしゃげてたのはこのせいか……)、その小さな体を思い切り握り締める。そして妖精を私の前に突き出し、隠そうともしない怒りと憎しみに満ちた声で喋りだした。


 「この娘か?」

 「………」

 「答えよ、この娘か?」


 私から露骨に目を反らし、沈黙するピクシーに更に苛立ったのか、魔王は握り締める力を強くする。だがピクシーは無言を貫き、それに怒る魔王がまた手に力を込めた。


 「答えよ……この娘か?」

 「………」

 「……これで最後だ。首を捩じ切られたくなければ答えよ」

 「…………はい……この娘です」


 沈黙と怒りを何度か繰り返し、業を煮やした魔王が殺すと脅して、ピクシーはやっと観念したのだろう。傍目に見ていても分かる程に震えながら、蚊の鳴くような声を絞り出すようにして、ついに私を何かだと認めたのである。

 何だ? この妖精は一体、私を何だと認めたのだ? 駄目だ、怖い。知りたいが、知りたくない。私は耳の奥で何かが熱く脈打つのを感じ、その足音に怯えた。

 だが、魔王夫婦と臣下達、そしてヨセフさんは、そんな私とは違って目を見開き、何かに驚愕していた。全員何故か驚愕に喜びを滲ませていて、特に王妃は今にも声を上げて泣き出しそうな顔をし、魔王もまた、頬を紅潮させている。

 だから何なんだ、一体何が起きている? 謁見の間を包む、不気味な雰囲気に似つかわしくない、明るい空気が、じりりと私の肌を焦がすのを感じた。


 「ならば、私の言わんとしていることも、分かるな?」

 「……はい」

 「なら早く呪いを解きなさい!」

 「…………はい」


 魔王夫婦に急かされて、ピクシーはぼそぼそと何か呪文のようなものを唱え始めた。何を言っているのかは全く理解できなかったが、ただ何となく、この呪文が終わってしまったら、私にとって何か大きな、取り返しのつかないことが起きるのだと、そんな漠然とした予感を感じる。

 そしてそれは一種の禁忌のように恐ろしく、しかし抗い難い欲求を湧き起こす、境界線なのだとも。


 「………っ」


 終われ。いや、終わるな。残酷な真実も甘い嘘もいらないから。何も知らない、気付かないままで、ただ無知なままで居させてくれ。

 本能的な好奇心。根源的な恐怖。その二つがごちゃごちゃに混ぜ合わさって、頭の中で暴れている。私はそのどちらの手を取るのも怖くて、ただ目の前のピクシーを凝視することしかできなかった。

 だけど――私がどちらの手を取らずとも、結局「終わり」が背を押して、その坩堝に突き落とすのである。


 「――名前を返すよ、【ヨルムンガンド・レイゼルシュバルツ】」

 「……!?」


 ピクシーが口を閉じた瞬間、私の全身を何か奇妙な感覚が襲い、次いで眩い光が溢れだした――私の体から。


 「わっ……」


 突然の出来事に驚いた私は、思わずぎゅっと瞼を強く閉じる。だが光は一向に収まる気配を見せず、むしろ奇妙な感覚が大きくなるのに比例して、徐々に大きくなっていった。

 この奇妙な感覚……それは例えるなら孵化であり、脱皮であり、蛹が蝶になるのに似ていると思った。私は私を包んでいた何かがぽろぽろと崩れていくような感触を、どこか他人事のように感じていた。


 「……?」


 やがて光が収まり、私はそっと閉じていた瞼を持ち上げた。ぱちぱち。瞬きをしてみるが、さっきまで光っていたとは思えないくらい、私は何ともない。体を触ったり見たりして確認するが、やっぱり何でもない。変わらないのだ。

 ……あれ? 何かこう、物語始まります的な、シリアスな展開になると思ったんだけど……ちょ、私なんか恥ずかしくないか? 一人凄いシリアスだったんですけど。あれ?

私は何となく気恥ずかしいと言うか、一人気まずくなり、周囲を見渡す。


 「おお……」

 「ああ……!」

 「……っ」

 「(あ、あれ……?)」


 な、何で魔王夫婦半泣きなの? 臣下の人達、何でざわ…ざわ…ってなってんの? ヨセフさん凄い間抜け面になってますよ? あっ、マリアとヨシュアさんまで? みんなどうしたの? 何かあった?

 もしかして、魔族って集団で居ると急に奇行に走るんだろうか……なんて、私がそんな失礼なことを考えていると、急に目の前の魔王夫婦が私を抱きしめてきた。


 「へっ? ちょ、何を……」

 「お帰りなさい私の可愛い娘!」

 「よくぞ帰った我が娘よ!」

 「………は?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ