05
「(……疲れた)」
私は側に控えているメイドさん(何かすんごい肉感的で、良い匂いのする美女。ここに来てからずっとお世話をしてくれてる。女淫魔かな……)にバレないように、胸中で溜息を吐く。マリアとヨシュアさんの兄妹に色々と良くしてもらっているのは分かっているのだが、正直、私はそれにかなりのストレスを受けていた。
マリアによって屋敷に足を踏み入れてしまって以降、結果的に言えば、至れり尽せりと言っていい。
枷のせいで脱ぐことが叶わずに制服のままだが、仕方なしに着たまま風呂に入れられたため、全身清潔になっている(ちなみに、魔法的なもので服は一気に乾いた)。脱獄の際に破れていたらしい部分も繕われたし、髪もメイドさんに綺麗に整えられて、ちょっと痛んでいた筈の髪は見違えている。腕が四本ある医者っぽい人に徹底的に怪我や病気が無いかチェックされ、健康も保障。しかも何故か薄く化粧までされていて、鏡を見た時はどこの誰かと思ったくらいだ。
だが……正直、至れり尽せり過ぎる。ここは確かに侯爵家ではあるが、私自身は貴族ではないし、委縮して仕方がない。大体、どう考えても彼らに殺されるしかないような人間の私が、魔族の巣窟とも言える場所でのうのうと過ごせる筈も無い。なのにメイドさん達は兄妹の客だからと畏まって、色々とお菓子とか勧めてくれるし、もうさすがにどう対処していいのか分からなくなった。私もそこまでは神経太くないよ!
そんなわけで、私は今絶賛お疲れモードである。今までの疲労もあって、体が枷よりも重く感じる。私は座り込んだ異常にふかふかのソファーから動くことができず、かといってうとうとなんてもっとできる筈も無く、ぼんやりと燭台の火を見つめていた。
「(……これからどうなんのかな、私)」
これからのことは問題が山積みだ。いくらマリアもヨシュアさんも私に好意的とはいえ、いつまでもお世話になりっぱなしというわけにはいかない。ていうか、私が無理。だって私、良くされても何も返せないし、そこまで親しいわけでもないのに居候は気が引ける。それに今のところ、私は魔族に対してはほぼ全くと言っていいほど恐怖や敵意を感じていないが(ただし、無礼者! とかで殺されるかもという心配は除く。ちなみに嫌悪レベルで言えば、むしろ人間の方が悪印象)、もし人間だと知れたら、私は魔族達に即刻殺されるだろう。よくある勘違いフラグだけで生き延びるのは、ちょっとギャンブル要素が強過ぎる。
それに、枷も何とかしたい。一生枷付きで過ごすなんて冗談じゃない。私はマゾじゃないんだ。
ヨシュアさんの話の通りなら、これは私の魔力で封印・保護されている。多分私、召喚勇者にありがちなテンプレチート補正があると思うから、私の魔力を上回るような力を持つ存在なんて、皆無に近いだろう。居るとしたら、それこそ魔王とかそういうラスボス的存在だろうと思う。そんなのに会いに行く勇気は持ち合わせていない。
そうなると、残りは解言……字面的に、これを外すためのキーワードだろう。これを使うということになるか。きっとあのデブなら、解言を知っているに違いない。なら、やはり当初の予定通り、力と知識を付けてあいつらをぶち殺して、その時に吐かせるしかないわけだが、それはそれでまた大変だ。
何せ私は枷でこのザマ。魔力も封印されてるから、魔法とかそういうのも使えないだろう。肉弾戦も魔法も無理。そうすると知略・謀略で何とかしなくてはならないわけだが、それをどう身に付けるかである。誰かに師事するのが一番だが、身元もはっきりしない、しかも手足を拘束されている怪しい小娘に、誰が教授してくれるのだろう。更に、それらを何とかして身に付けたとしても、私自身が策を実行できない以上、誰かに代行してもらわねばならない。私のために動くような人なんて心当たりがある筈も無いし、金で雇うにしても一文無しときたものだ。八方塞がりである。
「(何より、帰れるかな……)」
そう。最大の問題は、元の世界に帰れるかどうかということだ。
今までは脱獄と復讐しか考えなかったが、それが一応一区切りついた今、この一番大事な問題に着手していいだろう。私はこんな異界の地で一生を終えるなんて考えられないし、そもそもここで命が保証されるのかと言えば、答えは否である。殺すのには特に抵抗が無いが、殺されるのなんてまっぴらごめんだ。私は自分の身が何より可愛いとも。
異世界召喚もののテンプレで考えると、召喚された主人公は大体帰れない。帰れたとしても何かリスクがあったり、とんでもない条件があったりするものだ。だがしかし、私の場合はまだそれがはっきりしていない。つまり、帰れる可能性は現段階では0ではないのだ。帰れるのならさっさと帰るし、帰れなきゃ帰れないで、また色々と考えないといけない。そう、とにかく帰れるのかどうかの可能性を検討しなくては始まらないということだ。
「(とりあえず、召喚魔法とかそういうのについて訊いてみるか。できればマリアに訊きたいけど、こういう話はやっぱりヨシュアさんの方がいいかな……)」
何たって侯爵なのだ。変態という名の紳士だが、フラグの立ってる侯爵である。今までもそうだったし、多分大体のことは答えて教えてくれる筈だ。
そういえば、後で来るって言ってたけど、マリアもヨシュアさんもいつ来るかな。やっぱり私を殺すとか、そういう展開になってんじゃないだろうな……
「ヨル様」
「!」
私が再び私の殺人計画を疑い始めると、それを遮るようにして女淫魔(仮)のメイドさんが私に話しかけてきた。何事かと思っていると、どうやら私が考え込んでいた間に先触れがあったらしく(ああ、貴族っぽい……)、もうすぐマリアとヨシュアさんが来るとのことだった。
ていうか、このメイドさん本当に色っぽい……メイド服という名の凶器だろこれ。同性なのにすごいクラクラする。めっちゃ良い匂い。
「ヨル様、何か……?」
「あ、いえ、何でもないです」
思わずメイドさんを凝視していたせいか、ちょっと怪訝そうな反応をされてしまったので、慌てて取り繕う。幸い深く突っ込まれることは無く、丁度良くやって来たらしいマリア達を出迎えに行ってくれた。
「ヨルお姉ちゃんっ」
「マリア」
扉が開くと同時に入ってきて抱きついてきたマリアは、ただの天使だった。どうやらあの質素なローブは、所謂「お忍び用」だったらしく、今は可愛らしい黒いゴスロリ風のドレスに身を包んでいる。どう見ても小悪魔なのかもしれないが、マリアがあまりにも可愛らしいため、やはり私には天使という形容詞しか浮かばない。
しっかし会って間もないのに、随分懐いてくれてるなあマリア。超嬉しい。これも勇者的補正かな……ラッキー。
「ヨ、ヨルさん……っ」
「……ヨシュア、さん?」
「ははは、はいっ!!」
次いで現れた背の高い男性は間違いなくヨシュアさんなのだが、思わず疑問符が付いてしまった。
顔がイケメンなのに陰気臭いのと雰囲気が陰湿なのは変わらないのだが、マリア同様「お忍び用」だったらしいローブから貴族らしい服装に着替えると、かなり受ける印象が違う。陰気で陰湿というのはどうしても払拭されないが、服装がきちんとしているだけで「陰のある美青年」くらいに見える。いや、元々そうだったと言えばその通りなのだが、やっと正しくそれを認識した感じだ。
とは言え、やっぱり私の前では挙動不審な変態という名の紳士らしい。せっかく侯爵にクラスチェンジしたのに、これじゃ逆戻り……いや、もうこれクラスじゃないか。称号だな。クラス・侯爵、称号・変態という名の紳士。うん、これだ。
ヨシュアさんはもじもじとドアの所から私の方を窺い、目線が合えば外し、外してはまた見るという面倒なことを繰り返している。マリアは慣れたのか無視して私にじゃれ付くけど、メイドさんは困ってるよ。何とかしてあげたいけど、今更ながら客で、しかも平民である私が、侯爵のヨシュアさんに注意してもいいものか。まあそれ以前に、私が邪魔だとか鬱陶しいとか言ったら、何するか分からない感じはあるんだけど……。
「――ヨシュア、いつまでそこに立っているつもりだ?」
密かにヨシュアさんの扱いに困っていると、ドアの向こうから壮年の男性の声が響いた。他にも誰か居るのか?
侯爵であるヨシュアさんにこの口調で、しかも壮年の男性のもの……となると、もしかして……
「……すみません、父上」
「客人をいつまで立たせておく気だ? 早く部屋に入りなさい。それにマリア、淑女が突然抱きつくなど、はしたないぞ」
「はい……お父さん」
やっぱりか! やっぱりお父さんだよ! 大侯爵来ちゃった!
途端に緊張の走る私を余所に、兄妹は父親の言葉に従い、ヨシュアさんは私から距離をある程度取りつつもちゃんと部屋に入り、マリアは近くのソファに座る。その様子に壮年の男性が頷くような気配がすると、扉が大きく開かれ、彼の姿を私に見せた。
「君がヨシュアとマリアが連れて来たという客人か。私はアモン215世、名はヨセフ・レドランド。魔王陛下より、恐れ多くも大侯爵の位を賜っている。そして、この二人の父親だ」
「わ、私はヨルと言います」
目が赤いという以外は兄妹とほぼ同じ特徴を持った壮年の男性、もといヨセフさん(神の子の大工の父親の名前か……)が、威厳のある声で名乗ったので、私も慌てて名乗り、ついでに頭を下げる。向こうは大侯爵なんだから、こっちが頭を下げて問題無い筈だ。
ヨセフさん……いや、ヨセフ様? もうどっちでもいいや。ヨセフさんは「ふむ……」と小さく唸ると、私とヨシュアさんに近くのソファに座るように促した。私は大人しくマリアの隣に座り、ヨシュアさんはマリアに羨ましそうな視線を送りつつ、私から遠い一人用のソファに座る。ヨセフさんは私の前のソファに腰かけた。
「ヨル、君は人間に殺されるところを逃げ出してきたと聞いた。その辺りを詳しく聞いても構わないかね?」
「……はい」
ですよね! 息子が突然得体の知れない女を連れて帰ったとなれば、父親としてはそりゃ心配ですよね!
……と、重苦しい自分の精神状態を、少しおちゃらけて誤魔化してみるが、ヨセフさんの鋭い視線がぶれるわけでもない。私は召喚されてからここまでに至る経緯を、包み隠さず話すことにした。隠したところで意味は無いだろうし、隠し通せるとも思えなかったからだ。
「……なるほど。話は分かった」
私が全てを話し終えると、マリアはよく分からないのか不思議そうな顔をしていて、ヨシュアさんは真面目な顔をして落ち着いていたが、拳を強く握っていた。私が人間に問答無用で地下牢にぶち込まれたというくだりからこうなのだが、私が理不尽な目に遭ったことに怒っているのかもしれない。……逆ハー補正からの好意のせいとは言え、ちょっと好感度上がるわ。
ちなみに、肝心のヨセフさんはと言えば、変わらないポーカーフェイスのまま、じっと私を見つめている。そしてそのまま、部屋の中は沈黙が支配してしまった。
「……それで、その、私を殺します?」
私はヨセフさんの方から口を開くのが何となく怖くなって、話題はアレだが、こちらから会話を持ちかけてみることにした。するとヨセフさんは私の言葉が不思議だったのか(ですよね!)、ポーカーフェイスを崩してちょっときょとん顔になった。あ、この顔ヨシュアさんに似てるかも。
「死にたいなら殺しても構わないが、死にたいのかね?」
「まさか! でも、私人間ですし……」
「ヨシュアから聞いているのだろう?黒魔力は、魔界の民特有の魔力の色だと。ならば君は魔族に違いない。我々は嫌いでもない限り、同族を殺さない」
「でもそれ、召喚の時の副作用とかかもしれませんし……」
「いや、それはない。そもそも、魔力の色は変化するものではないのだ。魔力とは魂の発するエネルギーであり、その色は魂の色そのもの。そして魂の色は、その器によって決定する。もし君が界を越えた召喚により何らかの作用を受けたとしても、君の器が人間のままであるのなら、魂は黒にだけはならない。黒き魂は、我ら魔界の民の器にのみ宿るのだからな」
「だけど私は異世界の人間ですし、その法則が当てはまらないかも……」
「いや、当てはまらなかったとしても関係ない。我々の世界では、黒魔力を持つ者は全て魔界の民だ。君が黒魔力を持っているという時点で、君は魔族と認識される。人間からも、我々魔族からもな。つまり、君自身が自分を人間だと言おうが、肉体が本当に人間であろうが、魂の色さえ黒であるのならば、君は魔族でしかありえんのだよ」
「………」
ヨセフさんの清々しいまでの言い切り様に、私はこれ以上反論するのを止めた。ここまで言われてしまっては、反論できる余地など無い。
それに、どうやら魔族かどうかの判断基準は魔力、魂の色のみらしいというのが分かったから、自分が魔族だというのに抵抗が無くなったのである。魂や魔力なんて目に見えないものだけが判断基準なら(いや、何か口振り的にヨシュアさん達は見えてるっぽいけど)、自分の正体が実はグレムリンだ、なんていうのよりよっぽど良い。要するにゲームで言う「魔法使い」とかの職業が、私の場合「魔族」になったというだけなのだろう。本当は「勇者」の予定だったのになあ……。
「(何だ、あんなに悩んでたのが馬鹿みた――)」
「だが、見たところ君の姿は、人間の姿になるように魔法――いや、呪いがかかっているだけだな」
「――は?」
私はヨセフさんの爆弾発言に、思わず間の抜けた声で返事をした。
え? 何それ、何の話?




