10
「王女様、誠に申し訳ございませんでした!」
「大変な失礼を……」
ヴェロニカさんとのまさかの百合イベントの後、いつの間にか姉弟の口論のBGMが途切れているなあと自習の書き取り中に思って振り向くと、二人が殆ど体を二つ折りにしたような体勢で、そりゃあもう 深々と頭を下げていたため、私はぎょっとしてペンを取り落した。
「いくら魔族が自身の感情や欲求を抑えるのが難しい種族だとしても、ヨルムンガンド様は王女! このようなことは決して許されるものではございません!」
「ヴォルクスの言う通りです。つい右も左も分からない雛鳥のような姫様を1から開発するという禁断の主従愛に欲情が止まらなくなってしまったとは言え、私ったら大変なことをしでかしてしまって……」
「本来でしたら体中の皮膚を剥いでから聖水に全身を沈め肉という肉が全て爛れるような拷問に掛けられたとしても仕方がないことです。しかし、これでも姉はメイド長を務めるほどに優秀な人材です! すぐに欲情して何人ものメイドを喰ってしまうようなどうしようもない色狂いのある意味どんな淫魔より淫魔らしい女色の女淫魔ですが、仕事ぶりは素晴らしいのです!」
「未だに姫様が圧し掛かった時の重みと感触に頭がどうにかなってしまいそうですが、猛省しております。洗顔の際に触れたお肌の滑らかさとか、お召し換えの際に見た細い肢体ですとか、髪を梳いた時の香りですとか、思い出すだけで芯から熱くなってまいりますが、必ず抑えますわ!」
「王女様にお仕えすることとなってまだ半日程しか経っておりませんが、すぐに王女様も姉の価値にお気付きになることをお約束いたします! ですからどうか! どうか今回はお慈悲を賜りたく! 姉を処刑や拷問にかけないでいただきたいのです!」
「次回からは必ず同意を取ってから事に及びます……ですからどうか、お許し下さいまし!」
……あれ? これ、謝ってるんだよね? 私今、さっきの百合イベントのことについて、二人から謝られてるよね? 謝ってるはずなのに、ヴェロニカさん全然反省してなくね? まだむらむらしてるって言っちゃったし、今次から同意でヤるって宣言したよね? 何で当の本人より、ヴォルクスさんからの謝罪の方がちゃんとしてんの? ヴェロニカさんとんでもねえキャラだな!
私はドン引きの意味で唇の端をひくひくと痙攣させ、二人を見やる。
二人共頭が床に付くんじゃないかっていうくらい頭を深々と下げているので、顔は見えない。だが、何となくヴォルクスさんは必死に姉を庇う真摯な表情、ヴェロニカさんは別の意味で真面目な顔をしているであろうことが、何となく分かった。
……これがギャグ漫画なら、今思いっきりヴェロニカさんに突っ込めるんだろうな。超真面目に謝ってるヴォルクスさんの手前、そういうことは雰囲気的にできないけど。
「まあ……未遂だし……別に、お咎めとかは無い方向で……」
「っ真でございますか!?」
「まあ……姫様!」
ちょっと引いただけで嫌いになったわけでもないし、怒ってるわけじゃないし……何より、ヴェロニカさんより遥かに真面目に謝るヴォルクスさんが、何か可哀想だ。きっと苦労してるんだろう……そう思って無罪放免の旨を伝えると、二人はバッと顔を上げ、私を凝視した。
……あれ? 二人共、何か目キラッキラしてね? いや、ヴェロニカさんはどっちかって言うとギラッギラしてるけど……。
「今まで姉のしでかしたことで、どんなに軽くても夜伽の相手を命じられたのに……無罪、放免だなんて……」
待て。ヴェロニカさん、そんなに何かしてきたのか? ていうか誰だよ夜伽命じた奴。パワハラだろ。しかもどっちに命令されたのか気になるぞ。
「同意の上でしたらシても構わないと仰るのですね……」
そこまで言った記憶無えよ。これから先、何が何でも同意取られそうで怖い。くそ、今更撤回できねえ。
「このヴォルクス、王女様の御心の広さに感動致しました! これからも姉共々、誠心誠意お仕えさせていただきます!」
「絶対に同意を取れるよう、精進致しますわ!」
「………はい」
無駄に好感度は上がったけど、精神的な何かはごっそり減った気がする。
***
「では王女様、準備はよろしいでしょうか? 午後の教師は僭越ながらこの私、ヴォルクスが担当させていただきます」
「よろしくお願いします」
嫌な好感度上昇イベントの後、昼食を終えた私は午前中と同じ、ただ教師だけが変わった図で一礼し合い、授業を始めた。
なお、ヴェロニカさんは反省のため、ヴォルクスさんに言われて厨房で銀食器磨きの罰を実行中のため、ここには居ない。やっぱり嫌いではないんだけど、この場に彼女が居ないことにちょっとだけ安心したのは秘密だ。
「それで講義の内容ですが……そうですね。王女様、何かお知りになりたいことはございますか?」
「……じゃあ、魔族のことを教えて下さい」
「かしこまりました。――我々魔界に暮らす民の内、その形態が人型で、更に一定以上の知能を持つ存在を魔族、それ以外の存在を魔物と言います。こうして分類はされるものの、基本的に魔物も魔族も、黒の精霊の加護を受けた魂を持つ同胞です。精霊のことは、またいずれお話し致しましょう」
ふむ、どうやら魔族そのものは、大体ファンタジー的な王道を押さえた設定らしい。何となく同胞というニュアンス的に、魔物と魔族は隷属関係とかそういうのではなく、仲間意識があるような感じがする。部下と上司のようなものだろうか。
私が羊皮紙に日本語でノートを取るのを見守りつつ、ヴォルクスさんはタイミングを見計らい、丁度キリの良い所で話を再開してくれる。出会ってから節々に見受けられるのだが、ヴォルクスさんは気遣い上手だ。その様子は、きっと執事としてとても優秀なんだろうと窺わせた。
「我々魔界の民は、他種族に比べるとかなり好戦的で、実力至上主義な種です。基本的に気に喰わない相手は殺しますし、強者による支配に重きと効率を置きます。少々短絡的で極論に走るところもありますね。王女様にも覚えはございませんか?」
「……ありますね」
それは、私が向こうで「おかしい」と言われた理由の一つだ。私はどうにも血の気が多く、クラスに一人は居る男子とばかり遊ぶ女の子で、中学に上がるまでは拳で物を言わせていたタイプだった。中学に上がってからは、女ということや社会的風潮などもあって、暴力行為が暗黙のタブーとなったものの、内心気に喰わない相手には常に「死ね」と思っていた(たまに実際言った)。無視するだとか回りくどく嫌味を言うだとかができなくて、自分の世界から抹消してやりたいと常々思っていたのである。
また、民主主義な日本の政治体系に対しても、くるくると首相が変わったりするのを目の当たりにして、興味関心が向かないながらも、なんて阿呆なことをしているのだろうと思ったものだ。全員の意見を聞いて云々と言っているくせに、結局主張を誰も譲らず、枠は限られているのに、無理矢理全てを生かそうとするから失敗するのだ。それなら、強い発言権を持つ者が全て支配した方が余程早いではないか、とも。
うん……私、やっぱり根は純粋な魔族なんだな。改めて振り返ると、自分がいかに社会に溶け込めていなかったか分かるよ。後悔したことは無いけど。
「人間や他の種族はそんな我々を野蛮と言いますし……先程の姉の件でお分かりかと思いますが、我々は知性や理性以上に感情に忠実に動くので、実際そう言われても仕方がないのかもしれません。しかし逆を言えば、それは純粋さの表れであると私は思うのです」
「純粋さ?」
「はい。我々は正直に言って、難しいことはよく分かりません。面倒ならば消せばいい、障害があるならそれごと消してしまえばいい、その後で問題が起きると言うならそれをも消してしまえばいいと思い、その通りに実行するからです。ですがだからこそ、一番単純で純粋なものを持っていると、そう思えるのです」
「んー……何となく分かります」
単純というのは、言い換えれば素直ということだ。分かりやすい、と言えばいいか。ヴォルクスさんの言う純粋さとは、この素直さを指すものだろう。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。それを包み隠すのが人間で、それができないのが魔族……魔界の民なのだろう。
単純明快にして純粋無垢。それには、ある種の爽快感すら感じられた。
……まあ、さっきのヴェロニカさんのように、身の危険も同時に感じるが。
「それに、我々は実力至上主義で自己中心的な我が儘かもしれませんが、そこにはそれなりにルール……いえ、法則とも言えるものが存在するのですよ」
「法則、ですか?」
「はい。強い者は、弱い者を支配する権利を持ちます。人間ですと、半分くらいはそこで弱い者を虐げ始めますが、我々は違います。我々はほぼ確実に、支配する相手に愛情を抱きます」
「え? 愛情?」
「ええ、愛情です。我々は残念ながらこの通りの気性ですので、他種族は非常に毛嫌いし、我々もまた他種族を嫌います。まあ、これは向こうが嫌うからこちらも、という部分が多いのですが……その分、魔界の民は他種族よりも、同族の結束が強いのです。同じ魔界の民というだけで親近感を抱きますし、ある程度は助け合うのです。同族に好意を持ちやすい、と言うのが適切でしょうか。それは支配関係においても適用され、支配する強者は、支配される弱者を、一種の家族と見做します」
「家族」
「ええ、家族です。一家の長になったようなものですね」
まあ確かに、相手を支配すると言うことは、そいつを私物化するようなもので、私の性分的に考えても、懐に抱えたものは大切にするという考えは分かる。私物化したのが生き物であるなら、家族愛のようなものを抱くのも納得だ。私が身の危険を感じてもヴエロニカさんを嫌わない、嫌えないのも、彼女が「私付きの侍女」という、一種の「私のもの」であるせいだろう。
自分のものはしっかりキープ、手を出す奴は許さない……子供のように単純で我が儘、当たり前の感情だろう。成程、確かに感情的だ。
「我々魔界の民はその気性から考えても意外なことに、愛情深いのです。他種族へ向けない分の感情が、その分同族に向くのでしょう。支配対象を愛し、支配される者も、殆どが支配する者を慕います。まあ勿論、弱ければ簡単に立場が逆転されますが、この慕い慕われの部分は変わりません」
「支配者階級から引きずり下ろされて、不満とかないんですか?」
「不満など持とうものなら、殺されますからね。弱かったから下剋上されるのですから、仕方がないでしょう。弱いのがいけないのですから」
「ああ、それもそうですね」
……ん? 何か人としては変な感じだったような。あ、私魔族だからいいのか。
しかしこれ、何か強い奴が弱い奴に「愛さなきゃ殺す」って言ってるようなものだよね。ヤンデレか、種族単位でヤンデレなのか。パネェ。だがヤンデレ萌えも持ち合わせる身としては、何だか魔物・魔族に対して好感度が上がった。まあ、あんまりハードなヤンデレの対象になるのは勘弁してほしいけど。
「それから、もう既に魔王陛下と王妃殿下と接されてお分かり頂けているかと思いますが、実際に血を分けた親族に関しては、我々はかなり甘くなります。友人に対しても大変甘いです。特に伴侶や恋人となれば、それはもう甘くなります。まあ勿論、愛情表現には個人差がありますが」
……成程。私の両親の親馬鹿は、魔界的に考えて標準仕様だったわけか。それに、百合イベントの件でのヴォルクスさんの当人以上の謝罪祭りも。
「ヴォルクスさん、ヴェロニカさんが好きなんですね」
ヴェロニカさんに比べて理性的らしいヴォルクスさんは、主人に襲い受けプレイ仕掛けちゃうような姉にどう見ても苦労させられていると思うのだが、それでも(多少貶していたが)必死に庇っていたのを見ると、本当に魔族は愛情深いのだなと思う。
「……あれでなかなか、優しい姉なのです」
「ああ、優しいというのは分かります」
無駄に色っぽい溜息と共に吐き出される言葉に、私は同意した。ヴェロニカさん、洗顔の時も手つきがとっても優しかったし、着替えの時もきつくないかとかよく訊いてくれて、髪を梳く時もかなり丁寧だったから(まさかその時からああいう目で見られていたとは思わなかったけど、まあ私もちょくちょくいかがわしい目で見てたし……)。
シスコンブラコンもデフォルト、か……うん。何か魔族とか魔物って、こうして聞くと随分可愛いな。
「私共姉弟は、1番上のヴィヴィアンが「普通」の仮面を被っただけの被虐思考な完全奴隷体質、2番目のヴェロニカが女性専門の自由奔放な色狂いなもので、いつも3番目の私が二人を引き留めたり後始末をしたりしてきました。ヴィヴィアンがあんまりにも変態趣味が極まったの人間の奴隷になると言い出した時は必死で説得し、ヴェロニカが襲った女性の親兄弟に死ぬほど頭を下げ……」
「………」
「ヴィヴィアンが自慰で聖水プレイをしてうっかり目に入ってしまいかけた時には、なんとか魔法で聖水を取り除きましたし、ヴェロニカが男淫魔になりたいから私の一物を寄越せと言って刃物片手に迫って来た時は死ぬ気で逃げて……」
「………」
「……ですが、二人共私が困っていれば手を差し伸べてくれますし、悩みがあれば聞いてくれるのです。……10回に3回くらいは」
「ねえ、それどこが優しいんですか? ヴォルクスさん、優しさの定義間違ってません?」
しみじみと語るヴォルクスさんに、私はさすがに突っ込んだ。いや、もっと突っ込み所はあったけど(特にヴィヴィアンさんに対しての衝撃の事実とか)、それ以上にヴォルクスさん自身に突っ込まないといけないと思った。
だって不憫だ。不憫過ぎる。これ苦労人っていうか、ただの可哀想な人じゃないか。しかもそれでも姉が好きだなんて、本当に魔族って家族愛強い。でも報われてない、報われてないよヴォルクスさん! 一方通行じゃん!
「ヴォルクスさん、何か辛いことがあったらすぐ言って下さい。相談くらいいつでも乗りますから……!」
「そんな恐れ多い……王女様、私は一介の執事です。友人のように扱われるのは……」
「私はこれでも貴方の主人ですから! 執事の一人や二人を快適に過ごさせるくらいできます! ……多分」
駄目だ、物凄い何とかしてあげたい。私まだろくにここのこととか知らないけど、せめてその気概だけでも伝えたいと思い、私は力説した。話を聞くくらいだったらいつでもするよ! 不憫過ぎるよヴォルクスさん!
「お、王女様……!!」
ヴォルクスさんは私の言葉に何やら感じ入ったのか、真っ赤な目を潤ませて涙目で私の手を取った。
「ありがとうございます! ありがとうございます王女様! 私、一生お仕え致します!!」
「うん、うん」
後から思えば私から恋愛フラグを立ててしまったことになるが、不憫過ぎるヴォルクスさんを思えば、別に何でもないと思った。




