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ヴェロニカさんとヴォルクスさんに勉強がしたいとお願いして数分後、二人の手によって驚くべき手際の良さで勉強に必要な本や筆記用具が揃えられ、早速私は勉強に励むこととなった。今後の勉強のためにも早くに覚えた方が良いということで、まずは国語からである。
「では姫様、準備も整いましたので、早速始めたいと思います。午前中の教師は、僭越ながらこの私、ヴェロニカが担当させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
「はい。では、まずこの世界の文字についてからお教えいたします」
一礼し合った後、私とヴェロニカさんは真っ直ぐに互いに向き直る。何事もけじめは大切だ。私は急遽搬入された真新しい書き物机に座り、傍らのヴェロニカさんを見上げる。
ヴェロニカさんは主人に対するメイドさんらしい柔らかで従順な態度を維持しながらも、先程までとは異なる、知性的な眼差しを私に向けていた。服装こそメイドさんらしい質素なワンピースとエプロン、跳ね上げヴェールのカチューシャだが、雰囲気は殆ど教師のそれである。
ただし、彼女は姉のヴィヴィアンさんと同じで恐ろしく肉感的な上、やっぱり良い匂いがするフェロモンむんむんの美女であるため、その……何て言うか、どこかAV的な女教師になってしまっているのは否めない。だがまあ、それは仕方ないだろう。種族柄、この人やっばいエロいんだもん。
「(スーツ着て眼鏡かけてくれないかなぁ)」
悩殺ボディな女淫魔の家庭教師か……私思春期の男の子じゃなくて良かった、なんて、私は早々にそんなくだらないことを考え始めたが、彼女にそれを知る由は無い。ヴェロニカさんは私のいかがわしくなってきてる視線を物ともせず、早速授業を始めた。
「この世界……正式名称「表裏世界ミルドレア」においては、全ての言語と文字はミルドレア語、及びミルドレア文字に統一されています。これには人間界と魔界の隔たりはありません。この統一がなされる前までに使用されていた大陸や国、部族、種族ごとの多数の言語や文字文化は今も存在するのですが、共用語として浸透しているミルドレア語とミルドレア文字の普及率が圧倒的ですので、ミルドレア語のみを押さえておけば、まず言語に不自由することはございません」
「あの、質問良いですか?」
「はい、ヨルムンガンド様。何なりと」
「私達が今喋っているのは、ミルドレア語ですか?」
「はい。私共が喋っている言語も、姫様がお話しなさっている言語も、間違い無くミルドレア語です。姫様のミルドレア語は訛りも無く、とても綺麗で完璧なミルドレア語ですわ」
ふむふむ。どうやら、私の標準語の日本語はミルドレア語に翻訳されているらしい。訛りも無いと言うことは、きちんとミルドレア語の標準語で喋っていると見ていいだろう。では、日本語の方言で話した場合と、英語などの外国語で話した場合はどうなるだろうか。ちょっと気になる。
「すみません、今から私が向こうの世界の訛りで喋りますから、それがどう聞こえるか教えて下さい」
「はい、分かりました」
「――こら、うちがしゃべっとる言語の方言の一つで、京ことばちゅう方言どす。一体どない聞こえまっしゃろか?」
私の人間の方の母は、京都出身だったりする。小さい頃に数年京都の方に住んでいたので、普段は普通に標準語を喋っているものの、京都弁自体は習得しているのだ。特殊な単語の訛りは使用していないが、さて、これは一体どう聞こえるだろうか。
「今お話になったのは、キョートベン、というのですか?先程と同じように、綺麗なミルドレア語でしたが」
「そうですか……では次、お願いします」
そう言って、今度は簡単な英文を喋る。もしかしたら別の言語になったりしないかと思ったが、これもミルドレア語だった。どうやら私が喋った言語は、その種類や訛りに関係無く、全てミルドレア語の標準語に翻訳されるらしい。
また、逆にヴェロニカさんに他の言語や訛りで喋ってもらったが、こちらも同様だった。全て同じ、標準語の日本語に聞こえる。方言萌えな自分としてはちょっと残念な気もするが、翻訳機能としては随分と優秀だな。私は自分のチート翻訳に感心しつつヴェロニカさんに礼を言い、説明の続きをお願いした。
「もしご希望であれば、追々魔界特有の言語などをお教えいたしますが、姫様にはまず世界言語であるミルドレア語をお教えいたします。まず、こちらをご覧下さいまし」
そう言うと、ヴェロニカさんは教材を乗せたカートから一枚の大きな紙を取り出した。机に広げられたそれを見れば、何やら文字らしいものがびっしりと書かれているのが分かった。その文字には規則性が見られるので、もしかしたら、ミルドレア文字の一覧表なのだろうか。
「これはミルドレア文字の一覧表でございます。ミルドレア文字は「あ行」、つまり母音の記号を母体とし、それに1つ、または2つの記号を付け加えた子音で、「か行」、「さ行」などを1音字ずつ表現いたします」
説明を受けてから改めてじっくりと一覧表を見やる。私はヴェロニカさんに母音の文字「あ行」を教えてもらい、それから隣の子音「か行」を見た。母音は記号一つだけから成っているが、子音は母音をメインに別の記号が合体する形で書かれており、行によって母音の位置は少しずつ違うものの、基本的に母音さえ分かれば、ある程度当て推量が利く文字らしい。
「(……なるほど。つまりこれ、ローマ字と同じ感じの表記なんだ)」
少しの間一覧表を眺めて、私はミルドレア文字をローマ字の親戚と判断することにした。
ローマ字はA(a)、I(i)、U(u)、E(e)、O(o)の母音に、「か行」ならK(k)、「さ行」ならS(s)が、Ka(ka)、So(so)といった風に、子音としてセットで並べられる。ミルドレア文字はこの母音と子音がセットで並べられるのではなく、母音の記号に子音の記号が寄生するような形で合体しているのだ。
また、平仮名のように大きさで「ゃ」、「ぁ」などの小文字を表しているようで、小文字は大文字の行の隣に、はっきりと大きさを比較できるような形で添えられている。多分、ローマ字と平仮名が結婚すれば、こんな形態の文字になるだろう。
「いかがですか姫様」
「向こうの世界の文字の表記と似てます。覚えやすそうです。ちなみに、文法はどうなってます?」
「文法は特に難しくはございません。ミルドレア文字は、話し言葉の音をそのまま書き表したものになります。「こんにちは」という単語を書く場合、ミルドレア文字でそのまま「こんにちは」と書きます」
「あ、じゃあ割と簡単そうですね」
「それはようございましたわ。では、早速書き取りを始めましょう」
「はい」
ミルドレア語は英語のように小難しく後ろから訳す必要があるわけでもなく、そのまま日本語のような感覚らしい。ただ、唇の動きを見る限りでは、発音は全く異なっているようである。もしかしたら文字の母音とか、私に分かりやすいように翻訳されているのかもしれない。
まあとにかく、チート翻訳機能のおかげで、ミルドレア文字を覚えるのは容易いということは確かだろう。私は羽ペンをインクに浸すと、書き取り用の羊皮紙に拙いミルドレア文字を書き写していった。
羽ペンに羊皮紙……ファンタジーだなあ。シャーペンとノートに比べて、すっごい書きにくいけど。平然とこれでレポート書き綴るハ○ーとかハーマ○オニー尊敬する。
***
「そういえばヴェロニカさん」
「はい、何でしょう姫様」
カリカリとミルドレア文字を書きとる傍ら、私はじっと作業を見守るヴェロニカさんに話しかけた。
「不満なわけでは全くないんですが、ヴェロニカさんとヴォルクスさん、どうして教師役を買って出てくれたんですか?侍女さんも執事さんも、仕事っていっぱいありますよね」
王城の使用人、特に下働き以外は、ある程度教養のある人間でなくてはならない。特に、現王の一人娘に付く使用人ともなれば、家柄や教養は必須項目だろう。しかもヴェロニカさんとヴォルクスさんは護衛を兼ねているので、腕も立つ人の筈だ。そんな文武両道の人ならば、こんな基礎的な国語や常識の教師役を務めるのは容易い。
だが、それは使用人としては越権行為に当たるのではないかと思う。何せ私は一国の姫だ。身分こそ恐らく確実に私の方が上になるとはいえ、教師役は私の師に当たる人間なので、そんな役を使用人が務めるのは、まずいんじゃないかと思う。なにせ家庭教師という職業が存在するのだ。申し出に甘えておいてなんだが、その方面の人から怒られるんじゃなかろうか(もっとも、私としては、こんなに色っぽいセクシーお姉さんと性的イケメンお兄さんが先生なんて、泣いて喜ぶことだけどね!)。
勿論、仕事の妨げになっていないかも心配だったが、私は主にそういう意味でヴェロニカさんに尋ねた。
「それでしたらご安心下さいまし。私共は陛下と殿下より、姫様の身の回りのこと全てをお任せされておりますので」
「全て……ってことは、家庭教師も含まれるということで?」
「はい。遊び相手も、話し相手も、護衛や勉学の指南まで、姫様が望み得る「全て」をお任せいただいてございます。また、それらには最優先で当たるように、通常業務には携わらなくても良い、とも仰せつかっておりますわ」
「……万能な上に信頼されてるんですね、二人は」
「お褒めに預かり光栄でございますわ」
そう言ってヴェロニカさんは妖艶な笑みを湛え、綺麗に礼をする。その際、さらりと背中から零れたその長い髪から、まるで蜂蜜のような甘い良い匂いがふわりと漂い、私は少しくらりとした。ヴィヴィアンさんといいヴェロニカさんといい、何故同性からしてもこんなに魅力的なのか……女淫魔恐るべし。
「それにしても、姫様はお優しくていらっしゃいますね」
「え?」
私はヴェロニカさんの言葉に、きょとんとして返す。一体今の会話のどこでそんな感想を得たのだろうか。
「教師役を買って出たことで、私とヴォルクスが叱責を受けるのではと、そう思って下さったから、そんなことをお訊きになられたのではありませんか?」
「そう……と言えば、そう、ですかね……?」
「ご謙遜を。お仕えする方がお優しい方で、私はとても嬉しいですよ。それに……そのことに思い至ったことに関しても、主として素晴らしいですわ」
「それはちょっと褒め過ぎですよ」
「いいえ、そんなことはございません。このお気遣いは、私共の仕事や役割などをきちんと把握していなければできないお気遣いです。姫様はお戻りになられて一週間程しか経っていらっしゃいませんのに、既に把握しておいでだなんて……聡明な方でもございますのね」
「……アリガトウゴザイマス!」
いえ、ただのオタク的趣味知識です。中世ヨーロッパ大好きです。メイドさんも執事も大好きです、はい。
……とは言える筈も無く(そもそも言っても理解を得られそうにない)、私はうっとりと陶酔したような表情のヴェロニカさんに、固い笑顔で誤魔化しを入れた。だがヴェロニカさんは一体何がそこまで嬉しかったのか、そこから堰を切ったように私を褒めるのを止めようとしなかった。
「お優しく聡明しかも容姿も大変愛らしくていらっしゃり勉学に励まれる勤勉さも兼ね備えているだなんて姫様はなんて素晴らしいお方でしょう陛下と殿下よりお話をいただいた際は人間としてお育ちの姫様にどう接すれば良いのか不安でしたがそんなものは杞憂でございましたね何故なら姫様は私共使用人にも敬語をお使いになられるほど慎み深くお淑やかで尚且つ大変大人しい方でしたものこれはむしろ不安などより庇護欲が煽られると言いますかとにかく私はすぐに姫様のお心の優しさに感服いたしましたわお着替えをお手伝いいたしました時にこういったお手伝いを気恥ずかしそうになさりながらも私に身を委ねて下さる所がまたなんとも愛らしく恥じらう様は正に花開かんとする蕾のようで――」
「何!? ヴェロニカさん何があったの!? 貴方に私はどう見えてるんですか!? むしろどう私を見てるんです!?」
そのふっくらとした厚めの色っぽい唇から、私への賛辞が途切れることなく延々と紡ぎだされていく様子に、私は思わず全力でツッコミを入れた。
ていうかヴェロニカさん、興奮してる? 頬が凄いピンク色、色っぽい。エロい。潤んだ赤い目も熟れた苺みたいにきらきら綺麗に光って、何だか吸い込まれそうだ。頬に添えられた白い手は、繋いだらどんな感触がするだろう。さらりとした綺麗な黒髪は、一体どんな指通りだろうか……触りたい。そんな欲求が溢れてきている。それにさっきから甘い匂いがどんどん強くなってきてて、何か頭がぼーっとするっていうか、もうヴェロニカさんしか目に入らないっていうか……とにかくヴェロニカさんがすっごく綺麗で色っぽくて、私は吸い寄せられるようにその唇に――
「王女様、一体何をなさってらっしゃるんですか! しっかりなさいまし!」
「!?」
強く肩を揺さぶられ、私はハッとして動きを止めた。目の前には凄い焦った顔のヴォルクスさんが居て、酷く慌てていた。
「……あれ?」
……一体、私は何をしていた? 思い出せない。とりあえず自分の今の状態を見てみよう。
まず居る場所。私の部屋の床、ヴェロニカさんの上。……床? 何で? 私机に居た筈じゃ……
「……え!?」
ちょ、待て! ヴェロニカさんの上!? 何で!? 何で私ヴェロニカさんに跨ってんの!? まさか私ヴェロニカさんを押し倒した!? 私は慌ててヴェロニカさんの上から退いた。
「あら……止めてしまわれますの? 姫様」
「ヴェロニカ姉さん! ……申し訳ございません王女様。どうやら王女様は、姉の催淫フェロモンで一時的に魅了にかかっていたようです」
「催淫って……え、魅了?」
「はい……淫魔特有の能力です。私共淫魔は精を奪うため、体から強力な催淫フェロモンを放出し、相手を自分の虜にすることができるのです」
それは分かる。淫魔はヤった相手から精力を奪う種族だから、そういう能力を持っていてもおかしくない。むしろ持っている筈だ。
ただここで疑問なのは、何故異性から精を奪うために使われる魅了が、同性の私に効いているのかということである。
「大変言いにくいのですが……姉はその、女淫魔としては異例の、特殊な性癖の持ち主でして……」
「……もしかして」
「はい。私は女性に性的魅力を感じるので、私の魅了は女性に効く魅了なのです」
予想外―――ッ!!! これ予想外の展開ですよ!? まさかこのお色気むんむん女淫魔のメイドさんが、百合担当だったなんて!! キャラ的には大変美味しいですごちそうさまですだけど私は当事者になりたくないよ! 私ノーマルだよ!? 女の子とはキャッキャウフフしてるだけでいいんです!
「……はっ、まさか」
「仰りたいことは分かりますが、私は普通です王女様。女性が好きです。ヴィヴィアンも普通です」
「良かった……ヴィヴィアンさんとヴォルクスさんはノーマルか……」
もしヴィヴィアンさんまで私をそういう目で見てたら、ちょっと悪寒が走る。いや、ヴィヴィアンさん自体は嫌いになったりしないけど。あとヴォルクスさんの方までそうだと、また見る目が変わりそうだったよ。
いや、ヴェロニカさんも警戒心持つだけで、特に嫌いになったりもしないけど。お色気お姉さん大好き。むしろ襲われないなら存分にお近づきになりたい。
「っ姉さん! 私が紅茶を淹れ直している間に、一体何をしてるんですか! 王女様に発情するなんて……!!」
「ヴォルクス! 姫様の魅力が貴方には分からないの!? それでも男淫魔!?」
「そんなことは言ってません! それより姉さん、王女様を汚すなんて何を考えてるんですか! 私達は使用人ですよ!?」
「そこがいいのよ馬鹿ね! 許されないから燃え上がるのよ!」
「………」
……書き取り、続きやろう。
私は背後で言い争いを続ける二人を、とりあえずそっとしておくことにした。




