Kapitel.3
自分を落ち着かせてからそっとトイレを出た。教室から、夕日に照らされた結莉乃のシルエットが浮かび上がっている。結莉乃は泣いているようだ。
私は自分に盗み聞きをしていないと言い聞かせ、あたかも泣き声を聞いてやってきたかのように叫んだ。
「結莉乃!?どうしたの!?」
結莉乃は驚いたように私を見る。そして慌てて涙を拭った。
「なんでも・・・・・・」
首を振りつつも、涙は止まらないようで。心配そうに結莉乃の顔を覗き込んでいると、結莉乃は諦めたように話し出した。
「実はね、私ね、隆二のことが好きだったの。んでね、今日ね、勇気を出して告白したの。なのに、なのに・・・・・・」結莉乃は耐えられないと言うように唇を強く噛む。「酷いよね。ずっと一緒にいて、ずっと想ってたのに」
「振られたってこと・・・・・・?」
私の質問に、結莉乃は悔しそうに頷く。
「もしかしてこのチョコって・・・・・・」
私は、机の隅にぽつんと置いてあるそれを見て言った。
「隆二にあげる為に、想いを込めて作ったのに。貰ってもくれなかった。好きな子以外からは受け取れないんだって。前にも誰かから貰ったらしいんだけど、返さなかったらしいの。隆二があんなに一途だったなんて、知らなかったよ・・・・・・」
「返さなかったって・・・・・・本当?」私は驚いたように聞き返した。
「らしい。私なんて貰ってもくれなかったに!」
溢れる涙を拭う結莉乃を宥めながら、私は静かに口を開いた。「その方が良いかもよ」
「え?」
「考えたらさ。チョコを渡して期待して貰えないよりも、きっぱりと言われた方が良いんじゃないかなって」
少なくとも、私はそうしてほしかった。変な期待なんてしたくなかった。
しかし、結莉乃にはそんな気持ちはわからないようだ。
「なんでよ。貰ってもらう方が絶対良いじゃん・・・・・・」
「結莉乃・・・・・・」
私は心配するように結莉乃の顔を覗き込む。やっぱり、泣きたいみたい。
「帰ろう。ね?そしたらいくらでも泣いて良いから」
結莉乃が頷くのを見て、私は申し訳なさそうに付け加えた。
「一緒には帰れないけど」
「なんで?」
結莉乃が不思議そうに見る。私は雄大の件を話した。
「てわけで、私は雄大を待ってないといけないのよ」
「先生に呼ばれたって・・・・・・。雄大、何かしたの?」
「さぁ?遅刻のこととかじゃないかな」
「なら、私も待つよ」
結莉乃の申し出に、私は苦笑する。「今にも泣きそうな顔して言わないでよ。雄大の奴いつ戻ってくるかわからないから、早く帰った方が良いって。明日も学校あるんだから」
「そう・・・・・・?なら、お先に」
お互いチョコレートを交換してから、結莉乃は渋々帰っていった。
結局雄大が職員室から教室へ戻ってきたのは、結莉乃が帰ってから二、三十分後だった。私は結莉乃を早く家に帰して良かったと安心する。
「悪ィ、まさか待っててくれてたとは知らなくて」
「良いよ。それより、はい。みんなの名前は書いてあるから」私はみんなから頼まれたチョコレートを渡す。
「おー、サンキュ。ちなみにお前のはどれ?」
「緑のヤツ」
私と雄大は並んで駅まで向かう。雄大は彼や結莉乃と同じ駅で降りる。電車に揺られていると、雄大がおもむろに口を開いた。「一つ訊きたいことがあるんだけど」
その言葉がやけに真剣だったので、私は雄大を見る。
「チョコってさ、本命だったりしない?」
私は瞬きしながら雄大を見て、やっと言葉の意味を理解した。
「あぁ、そこまで聞いてなかったけど。本命だったら直接渡すんじゃない?」
「え?」
「ん?」
雄大が首を傾げる。どうも話が食い違っているようだ。
「いや、うん。その、そうじゃなくて」
雄大にしては珍しく、躊躇っている様子だった。私は首を傾げる。「どうした?」
「これから時間ある?」
雄大の質問に、私は時計を見て答えた。
「まぁ、少しくらいなら大丈夫だよ」
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれ」
雄大の意図が全くわからないけれど、私は頷いた。
「おーっ」
私は思わず声を上げた。目の前には、イルミネーションが輝いている。まるでクリスマスみたいだ。
「凄い。こんなのテレビでしか見たことないよ」
私の家は都会より少し外れている。学校は都会にある為学校帰りに遊ぶ子は多いが、私にはそんなの無縁だった。第一に、この容姿で都会に行くのは躊躇いがあったのだ。
「クリスマスとかに来なかったのか?」
「家から出たくなかったもん。相手もいなかったし」
私はイルミネーションに眼を奪われながらも答える。
本当に綺麗だった。遠くから見たらもっと綺麗なんだろう。
「そんなに喜んでくれるとは思わなかった」
「本当にありがとう!私、こういうのとは無縁だから、感激だよ」
私が笑顔を振りまいて言うと、雄大がぼそっと何かを言った。
「え?何か言った?」
「・・・・・・別に」
私の質問に、雄大は素っ気なく答える。私は首を傾げた。
「こっちこっち。ついてきて」
気にするなとでも言うように雄大は話を変え、歩き始める。全く土地勘のない場所なので(学校の近くだけど)私は素直についていく。すると、またしても私は歓声をあげた。
「わああああっ」
そこは公園だった。公園の中心に噴水がある。水がイルミネーションを良い感じに反射していた。
「あ、あそこ空いてる」
雄大は、噴水を囲むように設置してあるベンチの中から空きベンチを見つけては駆けだした。座るなり、私に手招きをする。
なんとなく嬉しかった。男の子とこんな時間にこんな場所にいるなんて、小学校の時には全く想像も付かなかったな。
「ていうか、なんかここって若いカップルが多いんだね」
私は周囲を見渡しながら言った。イルミネーションを見ている時から思っていたが、バレンタインだからだろうか、カップルが多い。というか、ほとんどがカップルだ。
「・・・・・・本当に何も知らないのか」隣で雄大が苦笑しながら呟く。
「え?」
「そういう場所なんだよ、ここは」
「そういう場所・・・・・・?」
そういう場所ってどういう場所?カップルが大勢集まると言うことか?
「あぁっ」私はつい手を叩いた。「大切な人にこの綺麗な景色を見せたいってことで、カップルが多いってわけか」
「うーん。まぁ、間違ってはないけど」
雄大は困ったように唸る。首を傾げる私を見て、雄大は決心したように口を開いた。
「だから、まず、男がここに女を連れていくと言う時点で、告白してるみたいなもんなんだ」
二人の間に沈黙がやってくる。
「・・・・・・え?」
たっぷり一分くらいして、私は聞き返した。そんな私を雄大は睨む。
「聞こえなかったか?」
「あ、いえ・・・・・・」
聞こえなくはなかったよ。あぁそうですよ、聞こえましたとも。だから聞き返したんじゃないか。
「何かドッキリでも仕掛けてる?まさか夏美達が早く帰ったのって、仕掛けをする為!?」
私は慌てて周囲を見回した。そんな私に、雄大は静かに言う。
「真剣だよ」
そっと雄大を見ると、確かに雄大の顔は真剣そのもの。こんな雄大の表情なんて、見たことないかもしれない。
「でも、そんなの・・・・・・」
「わかってたんじゃないか?なんとなく、俺が好意を寄せてるって。俺、結構アピールしてるつもりだったけど」
私は息を飲んだ。正直に言うと、気がついていたんだ。勘違い、思い過ごしって思ってきたけれど。
「でも、それってないよ。ありえない」
私が断言すると、雄大はぽかんとした。「なんでそう言い切る?」
「だって、私だよ?クラスの中で可愛くもないし、運動神経だって良くない。学力にしたって、この学校じゃあ上位にいるわけでもない。私と何を比べたって勝ってる子だっているんだよ」
「そんなの関係ないって。俺は外見はどうでも良いんだ。大切なのは中身だと思ってる」
「そんなことない。だって、絶対に可愛い方が何かと有利じゃない。大切なのは中身だなんて言っても、容姿は重要なのよ」
優しく言う雄大に対して、私は向きになって言う。驚いたように私を見る雄大が視界に入ったが、自分を止めることができなかった。
そして、そんな自分に言い訳をするように、両手を握りしめながら言った。
「私は・・・・・・、自分の太ってる体が大嫌い。中身より、所詮最初に眼に入るのは容姿でしょ。それで昔、小学生の頃、虐められたんだから」
ずっと隠してた。中学生になっても同じ過ちを繰り返さないようにって意識して、なるべく元気に努めた。でも、心の底ではずっと気にかけてたんだ。ずっと怖かったんだ。
私は喉に突っかかったような何かを吐き出す。
「虐められて痩せるなら、私は喜んで虐められるわ。でも、そうじゃないでしょ。仕方ないのよ、どうしても痩せることはできないの。我慢なんてしたくないの。これが私なのよ。雄大も私の性格が良いって言いたいんでしょ。良く言われるよ、それ。でもね、性格が良いかなんて、ぱっと見ただけじゃわからないの」
自分でも何が言いたいのかがわからなくなってくる。言いながら、涙が出てきた。
「私は所詮可愛そうな雌豚なの。そう言われ続けたの。小学五、六年の頃、ずっと!こんな私の気持ち、雄大にはわからないよ。絶対にわからない」
体が震え出す。もう雄大がどんな顔をしているのかもわからなかった。
私が涙を拭うと、隣から小さな声がした。「ごめん」
私は驚いて雄大を見る。雄大は悲しそうな横顔で俯いていた。
「全く知らなかったよ。原川は明るかったから・・・・・・、まさかそんな過去があるなんて思わなかった」
雄大の声を聞いて、私は凄く後悔した。やっぱり言わなきゃ良かった。封印した過去だったのに。自ら紐を解いてしまった。
私が眼を伏せていると、雄大はさらりと言った。
「でも、だから何?」
私はあまりの驚きに雄大を凝視する。
「昔虐められた。だから何?昔はそうだったかもしれないけど、今はそうじゃないだろ。昔のことなんて忘れろよ。今を見れば良いじゃないか」
多分、雄大は私を想って言ってくれたんだと思う。けど、
「そんな簡単に言わないでよっ。三年経った今でも、時々悪口が頭の中で響くのよ。お前はいつまでも醜い雌豚だって。ずっとずっと私を見て、見下されてる気分になるの。だから言ったじゃない、雄大にはわからないって」
「・・・・・・わからないな」雄大は空を仰いで呟いた。「どうして今そのことを言うわけ?」
「えっ」
「俺がお前を好きだと言うことに、それって関係あんの?」
それは・・・・・・、え?
私はこの時、今自分が冷静な判断ができないということに気がついた。思った以上に気が動転している。
「・・・・・・俺は今のお前が好きだと言ってるんだ。容姿なんて関係ない。俺が関係ないって言ったら関係ないんだよ」
「でも、そうじゃなくて」
私が一生懸命に言うと、雄大はふっと笑った。
「まさか原川がこんなに取り乱すとは思わなかった。良いもん見れたよ」
「っ、馬鹿ぁっ」
「ははっ。まぁ、返事は後で良いからさ」
雄大は笑う。私は複雑な気持ちになった。どうして、こういう時に思い浮かぶのが彼のことなのだろう?




