9.行き倒れ
翌日の早朝、アルマは肌を刺す冷たい空気の中、古い家屋から車に乗り込みエンジンをかけた。このあたりはコロニーのあった場所に比べるとずいぶん寒く感じる。北上するほど気温が下がるという知識は持っていたが、ただ知っているのと体験するのとでは実感が全く違う。
もう何日も車を走らせ続けているが、目的地である塔はいまだ遠く離れている。少しずつその姿は大きくなっているため、確実に近づいてはいるのだろうが。
途中でガソリンスタンド跡に立ち寄って、タンクと周囲の車両に僅かに残っていたガソリンを給油した後、またしばらく走っていると、車の前方に道路の真ん中でうつ伏せに寝転んだまま動かない人間の姿を発見した。打ち捨てられた死体だろうか。それにしては外傷も見られず、着ている服も新しくあまり汚れていない。
少し離れた場所で停車して様子を窺っていると、倒れている人間の首が動き、こちらへ向けられた。生きている。茶色い癖毛の髪が特徴的な若い男性。車の存在に気付いた男は、運転席のアルマに向かって何事かを訴えている。
『周囲に他の人間の気配はありません。罠ではなさそうですが……』
ミコが辺りに警戒の視線を向けながら言う。たとえアルマを襲うための罠ではなく純粋に助けを求めているのだとしても、余計なことをすれば行程に大きな支障が生じかねないため、関わるのは好ましいことではない。だが、ミコはどうするかの判断をアルマに委ねた。
「とりあえず、話を聞いてみる」
アルマはそう言うとアクセルを踏み、ゆっくりと行き倒れの男のもとへ近づいていった。
「いやあ、本当に助かった……もう二日くらい、何も食べていなかったんだ」
手渡したパンと干し肉を夢中で頬張り、喉に詰まらせそうになったのを水で流し込んでから、男がアルマに礼を述べる。腹が減って動けないという男をアルマは車の中に運び、安全な場所まで移動したのだった。
「……どうして一人であんな場所に? いつ身包み剥がされていてもおかしくない」
「はははっ。そうだね、その点に関してはとても運が良かった。もちろん、初めて会った人間が君のような善人だったことも」
アルマの質問に男が思わず吹き出す。ジェニィに習った「身包み剥がす」という言葉が少女の口から飛び出したのがあまりに不似合いだったせいなのだが、男が笑った理由がアルマには分からなかった。
「ふう……生き返ったよ。食糧を分けてくれて感謝する。何かお礼ができればいいんだけど……」
「別に、必要ない。あなたがどこから来たのかは知らないけれど、私たちの目的地の道中であれば、近くまで送り届けてあげてもいい」
男が食事を終えたのを確認してアルマが立ち上がろうとする。かなり時間を食ってしまった。そろそろ出発しなければ、今日の宿泊予定地に間に合わなくなる。
「やって来た方角から察するに、目的地というのはあの塔かい?」
男の質問に、アルマが再びその場に座り直す。これくらいは言っても特に問題ないだろう。
「そう」
「それなら、僕も一緒に連れていってくれないか?」
まさか彼の目的地もあの塔だったとは。しかし、まさか歩いて行くつもりだったのだろうか。だとしたら、あまりにも無謀が過ぎる。
アルマが膝の上に乗せたミコに顔を向ける。しかし、ミコはスリープモードのまま動かない。この判断も、ミコはアルマに委ねるつもりのようだ。
「……連れていくのは構わない」
「本当かい!? ありがとう!」
男がアルマの手を取り、全身で喜びを表現する。その様子に悪意は微塵も感じられなかった。
「改めて、僕の名前はウォルター、ウォルター・ブラッドだ。君は?」
「私は、アルマ・シュナイダー」
アルマの名を聞いた男、ウォルターの動きが止まる。
「シュナイダー……?」
『そして、私の名前はミコです。どうぞよろしくお願いします』
「うわっ! びっくりした……!」
突然休止状態から起き上がり、目の前に現れたミコに驚いたウォルターがアルマの手を離してひっくり返る。
『ウォルター。あなたが私たちの旅に同行するうえで、いくつか守ってもらわなければならないことがあります』
驚かせたことを悪びれるでもなく話を続けるミコ。そして、旅の道中でアルマとミコの指示に従い物資調達などの仕事を行ってもらうこと、その働きに応じて食料を与えること、自分の身は自分で守ること、万が一こちらに危害を加えようとするなど怪しい素振りがあれば容赦なく置き去りにすることなど、諸々の決め事を説明すると、ウォルターはそのすべてに快く了承した。
『それではあなたの同行を許可します。車に乗ってください。夜になる前に今日の宿泊予定地へ向かいましょう』
説明を聞きながらまじまじとミコを観察していたウォルターが納得したように大きく頷く。
『……何か?』
「アルマみたいな小さな女の子が一人で荒野を旅しているなんてあまりにも危険だと思っていたけれど、君のように優秀なMIサポートロボットがそばに付いているなら安心だ。この程度じゃお礼にもならないけれど、実は僕はMI関連の技術者でね。もし機体に不調があればメンテナンスしてあげるから、何でも言ってくれよ」
ウォルターはそう言うと朗らかな笑みを見せ、改めてアルマと握手を交わした。




